2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2018年9月14日 (金)

長光寺地蔵堂 稲沢市

稲沢市六角堂東町の美濃路沿いにある「長光寺」。
岐阜街道歩きの最初に楼門と、門前にある道標を紹介しましたが、
ここには珍しい六角円堂の「地蔵堂(国重要文化財)があります。

織田信長も遊んだともいわれるその境内とともに、ちょっとご紹介 ^^;
まずは楼門(仁王門)をくぐります。

Choukoji01

足利尊氏が将軍宣下を受けた1338年に建立(奉納)、
江戸時代中期に再建されたという。

Choukoji02

Choukoji03

門の左右には仁王像。
尾張六地蔵尊一番札所の門札がありますが、
二番札所は中区大須清浄寺の矢場地蔵(延命地蔵尊)、
三番は南区呼続の地蔵院、四番は緑区鳴海の如意寺、
五番は天白区島田の地蔵寺、六番は千種区今池の芳珠寺。

Choukoji04

門をくぐった先にある「地蔵堂(六角堂)」
仁寿元年(851)小野篁が陸奥国に下る途中、この辺りに駐杖したおり、
路傍に地蔵像を安置したのが始まりと伝えられ、
1160年に尾張守であった平頼盛が寄進したといわれます。

Choukoji05

北壁に須弥壇をおき、鉄造地蔵菩薩像が安置される。
もちろん内陣は見れませんが、外陣はすべて吹放し。
軒は二重の放射状の扇垂木、隅木下には風鐸(ふうたく)が付きます。

Choukoji06

屋根はとち葺型の銅板葺となっているが、
当初はこけら葺もしくは檜皮葺であったと考えられる・・・とも。
現在の建物は1510年に再再建されたもので、
その後は織田家、徳川家によって庇護されました。

まぁ、歴史のある地蔵堂ですが

Choukoji07

その回廊への石段です。

Choukoji08

これが何かを意味するものなのか?
それとも何の意味もないものなのかは分かりませんが、
ちょっと気になった文字でした ^^;

Choukoji09

観音堂

Choukoji10

そして奥にある本堂です。
さらにここには信長愛飲の臥松水(がしょうすい)と呼ばれる
井戸があるそうですが、確認していません ><;

周辺には信長ゆかりの「総見院」もあり、
少し南に下れば信長の居城「清須城」があります。 camera 11日 

2018年9月 6日 (木)

長浜 明治ステーション通り

滋賀県長浜市の市街地には何度も訪れていますが、
今までは駅のコンコースを通り抜けて
”駅前通り(シンボルロード)”から町の中心部へと入っていました。
最近は新しく観光駐車場が整備されたこともあり、
”明治ステーション通り”を歩くことが多くなりました。

この道は以前にも少し紹介しましたが、
ちょっぴり明治のロマンを感じることもでき好きな道です ^^

Nekisute01

長浜浪漫ビール館から舟板塀を見ると「北国街道」にでますが、
この辺りまではよく知られたところ。

この辺りの建物は旧商家が多く

Nekisute02

Nekisute03

その角にある建物には玄関に”馬つなぎ石”もあり、
往時の繁盛ぶりを知ることが出きます。

道を東に入るとこちらにも旧い建物が残っていて

Nekisute04

観光客で賑わう中心部とはまた違った雰囲気が楽しめます。

Nekisute05

Nekisute06

旧家に残る”ガス灯”と白壁土蔵、
その横には”粋な黒塀と見越しの松”ですね ^^

Nekisute07

田町公民館の角にあるのは”子ども歌舞伎”像、
春の「長浜曳山まつり」では”子ども歌舞伎”が演じられます。

Nekisute08

曳山は全部で13基ありますが、子ども歌舞伎が演じられるのは12基。
そのひとつ「月宮殿」収蔵されている曳山蔵(右)です。

Nekisute09

そしてここがステーション通りの東端になる市立図書館前です。
ここで北に延びる”博物館通り”へと曲がりますが、
その角にある料亭の建物(国登録有形文化財)。

Nekisute10


周囲が白壁に覆われていますが・・・
その上にある巨大な石組にはちょっと驚かされます ^^;

Nekisute11

道を北に歩くとすぐにある曳山蔵は「「萬歳楼山蔵」。
さらに北へと行くと

Nekisute12

以前にも紹介したことのある「元祖 堅ボーロ本舗(清水ボーロ)」。
明治創業の老舗和菓子店ですが、
そのお菓子をご存じの方はどれくらいいらっしゃるか・・・ ^^;

Nekisute13

米川を渡るとこちらの曳山蔵は「孔雀山」。
すぐに駅前通り(シンボルロード)を渡りますが

Nekisute14

もう「大手門通り」はすぐ ^^

Nekisute15

その大手門通り、長浜観光の中心部で、
ちょうど「曳山博物館」のある角に出ます。

歩いてきた明治ステーション通りから博物館通り。
ほんの短い距離ですが、観光化されたメイン通りとはまた違って、
ちょっぴり郷愁を感じさせてくれる楽しい道です ^^;  camera 2日

2018年8月14日 (火)

ぶらり鯖街道・朽木宿

京都市久多から国道367号に戻ると滋賀県高島市ですが、
そのまま北上していくと朽木(くつき)に出ます。
この道はかっての鯖街道(若狭街道)のひとつで、
朽木には現在の市場を中心に栄えた「朽木宿」があります。

8年ぶりの訪問でしたが ^^;
あらためてその朽木の宿場を散策しました。

Kutsuki01

道の駅「くつき新本陣」に車を停めて北へ少し歩くと、
宿の南口にあるモニュメント。
宿場はここから北へと約1.5kmほど続きます。

Kutsuki02

柳並木と水路の引かれた町なかには、鍵曲(かいまがり)と呼ばれ、
意図的に造られた折れ曲がる道筋が何箇所もあります。

Kutsuki03

昭和8年に建築されたという「丸八百貨店」、
今は喫茶店兼休憩所になっていて、旅人を迎えてくれます。

Kutsuki04

最初の鍵の手を曲がると北へと真っ直ぐに延びる街道。
この辺りはベンガラや連子格子の家を見ることができますが

Kutsuki05

こちらは旧商家「熊瀬家」住宅。
かって行商人たちで賑った朽木宿を代表する商家のようです。

Kutsuki06

まだ比較的新しい「鯖街道」道標

Kutsuki07

旧商家と思われる家が建ち並ぶこの辺りは
かっての朽木宿の中心部になるのでしょうか?
ここでも道が鍵の手に曲がります。

Kutsuki08

曲がるたびに北へと延びる宿場内の道。

Kutsuki09

茅葺屋根の家や

Kutsuki10

昭和13年に建てられたという
旧郵便局舎(伝ボヴォーリズ設計)もあります。

Kutsuki11

この先道はさらに左、右と曲がり、見える現在の朽木郵便局を左へ、
さらにその先で右にと・・・まぁ、よく曲がります ^^;

Kutsuki12

そして最後の街道筋に入ります。

Kutsuki13

すぐにある「織田信長の休憩地」(旧圓満堂遺跡)。
織田信長が越前の朝倉攻めのために敦賀に侵攻したとき、
浅井長政の離反にあい、朽木谷を通って京都に逃れますが、
当時の藩主・朽木元綱は信長をこの地でもてなしたという。

Kutsuki14

朽木宿の北口にあるモニュメント。
この先鯖街道はされに北上して行き、今津町保坂から水坂峠を越え、
熊川宿から若狭小浜へと続きます。

Kutsuki15

宿場から国道367号に出ると安曇川の支流北川が流れます。

すぐ西側の京都「久多」を通る鯖街道(針畑峠越え)や、
琵琶湖西岸を行く西近江路、さらには周山街道など、
いくつかある鯖街道のなかでも特に知られているのがこの若狭街道。
久しぶりに訪ねた鯖街道「朽木宿」でした。     camera 3日

2017年8月26日 (土)

尾張大野古今散策

今年は天気が不安定で、出かけることも少なく、
雨の合間を見ては思い出したように出かけることが続いています。
ここも久しぶりでしたが・・・以前に訪れてからもう9年になりますか ^^;
愛知県常滑市大野町。
江戸期には商工業の町として発展、海上交通の要所でもあったところ。

Oono01

いきなり海からですが・・・大野海岸?

Oono02

こちらは海岸の北にある「大野海水浴場」。
小さな海水浴場ですが、
鎌倉時代、鴨長明が訪れて潮湯治をしたことから、
世界最古の海水浴場といわれています。

海岸からいったん町なかへ出て、また港へ

Oono03

大野は”大野湊(おおのみなと)”と呼ばれて栄えた港町。
この辺りでは旧い商家や民家も多く、
伝統的な家並みを見ることができます。

海岸筋から町なかへと戻る道は幾筋もありますが

Oono04

古い民家が残るこの町筋は旧大野の中心部。

Oono05

細い路地道に建ち並ぶ旧家を見ながら散策して行きますが、
このすぐ横にあるのが「齊年寺」。

Oono06

大野城主4代佐治家の菩提寺で4代位牌所、
享禄年間(1518~31)に宮山にある大野城の城内に建立。

Oono07

天正15年(1587)には大野城とともに亡びたものの
翌、天正16年、現在地に再建されます。

とにかくここ大野は神社仏閣のムチャ多いところ ^^;
見どころを楽しみながら向かったのは大野城。

Oono08

町なかから散策コースで約1kmほどの、
小高い丘陵(青海山)にある大野城です。

Oono09

北駐車場から石段を数百メートルほど登りますが、
その先にある城門。

Oono10

くぐると左手に城址碑があり

Oono11

城門の横には主郭部二層の模擬天守(展望台)と、
背後には城主であった佐治氏を祀る「佐治神社」があります。
左手の鳥居はなぜか?
「桃山御陵遥拝所」(京都伏見の明治天皇御陵)が・・・。

Oono12

天正11年(1583)、大野城主佐治一成に嫁いだ”お江(おごう)”は、
短い期間ですがこの地で暮らしています。

Oono13

天守展望台からの眺め。(一応パノラマです ^^;)
今は城山公園として整備されている「大野城址」でした。

毎年10月には大野の町をめぐるイベント、
「大野古今散策」が開催されているようですが、
今年は21日(土)・22日(日)のようです。   camera 24日

2017年8月14日 (月)

旧東海道大津追分から山科

JRに乗って滋賀県を巡るモバイルスタンプラリー!
「ビワイチAppスタンプラリー」。
最後のスタンプめぐりは彦根の銘菓”埋れ木”の「いと重菓本舗」から
彦根駅へ出て、あとは琵琶湖線で山科へ。
そこから京阪京津線の追分駅まで行き山科まで旧東海道を戻ります。

追分駅から旧道に出ると、すぐに大津の「追分」があります。

Tokaido01

ここは奈良街道、小関越えと、何度も歩いた旧道ですが、
もちろん、短い旧東海道沿いに思い出の多いところ ^^;
左にてれば伏見街道(奈良街道)から大阪への”東海道57次”道、
東海道は右に行きます。

Tokaido02

追分からすぐの「閑栖寺」
その門脇にある東海道道標に”車石”と車道の説明駒札。
この説明は後ほどに ^^;

そして、スイーツ巡り最後のスタンプゲット場所 ^^;
京銘菓で知られる「井筒八橋本舗」の追分店。

Tokaido04

玄関には名水”走り井”(飲めません ^^;)と、
大津絵発祥の地碑が建っていますが、江戸時代にこの水で作った
名物”走り井餅を食べ、のどを潤したという・・・。
最後のスタンプは「走り井餅本舗の」近江銘菓”湖舟”でした。

あとは気楽な街道歩き ^^;

Tokaido05

すぐに国道1号線を高架で越えますが、
旧道は高架橋を越えて右に見える道に下りると、
その先で右折して旧三条通へと入ります。

Tokaido06

すぐにあるこの車石の案内板。
車石の説明がありますが、これは当家の方が作られたもので、
京都と大津間3里(約12km)は、物資を運ぶ牛車を楽にするために、
花崗岩の石が敷き詰められていて、石は牛舎の頻繁な通行により、
その表面が削られて轍の痕ができたもの・・・と。

この車石は近江側と京都側の街道筋にいくつも置かれています。

Tokaido07

道の分岐は「小関越え」。
あの芭蕉も越えた道として知られています。

Tokaido08

Tokaido09

旧街道の趣が残る道を楽しみながら

Tokaido10

この道では最大の見どころといえる「徳林庵 六角堂」、
江戸時代の作で地蔵菩薩像を安置。

Tokaido11

山科地蔵ともいわれ、小野篁(おののたかむら)により、
852年に造られた京六体地蔵尊の一体。

Tokaido12

徳林庵は、仁明天皇第四之宮人康(しのみやさねやす)親王の末葉。
南禅寺第260世雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が
1550年に開創したという。

Tokaido13

徳林庵 蝉丸・人康親王供養塔
南北朝時代の珍しい宝篋印塔です。

Tokaido14

山科駅前から約100mほど手前にある道標。
ここが京都三条大橋から一里半、大津札の辻まで一里半とあり、
ちょうど中間地点になります。

Tokaido15

すぐに山科駅前。
この先にもスイフヨウの寺「大乗寺」や、見どころも多く、
秋には何度か京都三条大橋までの花めぐりで歩いた道です。

久しぶりに歩いた短い旧東海道でしたが、
今年もまたスイフヨウの季節がやってきます ^^;  camera 12日

2017年7月25日 (火)

藤樹ゆかりの里 あどがわ

滋賀県高島市安曇川町(あどがわちょう)。
琵琶湖の北西部にあり、江戸時代初期の儒学者で、
わが国における陽明学の開祖、中江藤樹(とうじゅ)の生誕地。
没後に”近江聖人”とたたえられた人物だそうですが・・・
すみません 、まったく知りませんでした。 ><;

ならばと、ゆかりの地をめぐってあどがわ散策です。

Adogawa01

まずは道の駅「藤樹の里あどがわ」にある、
”藤樹先生孝養像”を見てから道順で行きます。

Adogawa02

道の駅から東へ数分にある中江藤樹記念館。
ここをベースに散策しましたが、
もちろん主要施設には駐車場があります ^^;

Adogawa03

最初はすぐ北側に隣接する陽明園

中国明代の儒学者王陽明の生地である中国浙江省余姚市と、
日本陽明学の祖・中江藤樹の生地である、
滋賀県安曇川との友好交流を記念して造られた中国式庭園。

Adogawa04

門を入ると太湖石と呼ばれる奇岩が配置され
八角平面のあづまや陽明亭に中国らしさを感じますが、

Adogawa05

池の傍を回り込んみます。

Adogawa06

西には王陽明石像、
中国余姚産の花崗岩を使用して建てられたという。

Adogawa07

流れる水が池となり、
配置された奇岩の数々がまた珍しい友好記念庭園でした。

ここから記念館裏の散策路を戻って

Adogawa08

藤樹神社正面鳥居前に出ました。
中江藤樹を敬慕する人々により、
大正11年(1922)に
建立されたという藤樹を祀る神社です。

この神社も見どころがありますがそれnはまたの機会にして、

南に10分ほどの上小川の集落へと歩きます。

Adogawa09

集落の入口にある天台真盛宗 玉林寺、
ここに中江藤樹の墓があります。

Adogawa10

入口近く、国内では珍しいという儒式にのっとった墓塚だそうで、
左の墓石が藤樹の墓。

そのまま集落に入っていきますが、

Adogawa11

小川が流れる風情ある町並みの残る上小川の集落

Adogawa12

すぐに中江藤樹の住居と私塾跡で、
国の史跡に指定されている「藤樹書院」があります。

Adogawa13

正保5年(1648)に建てられましたが、
明治時代に焼失、ほどなく再建された建物。

Adogawa14

37歳で陽明学に出会い、
致良知に徹すれば心事一元になることを悟ったとも。
多くの門人や村人の教育に励んだという場所・・・。

Adogawa15

透彫の額には藤樹の教え「致良知」の文字

Adogawa16

外に周れば、住居跡と藤棚
この藤の花をたいへん愛したことから誰言うとなく、
藤樹先生と呼ばれるようになったとも。

Adogawa17

隣接するのは案内所兼休憩所の施設良知館です。

Adogawa18

水路の町並みが綺麗な上小川集落

詳しい説明は省きましたが ^^;
近江の聖人中江藤樹ゆかりの施設をめぐった
ぶらり、安曇川町でした。    camera 22日

2016年12月25日 (日)

旧東海道 有松

名古屋市緑区有松町。
旧東海道筋に残る古い町並みと、有松絞りで知られていますが、
平成28年に「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

何度目かの有松でしたが、
この日はあらためてその建物群を見ながらの散策でした。

Arimatsu01

名鉄有松駅から「有松めぐり」の案内はこの遊歩道へと入りますが、
この日もまた線路沿いに歩き、東の宿口へ出ます。

Arimatsu02

町への宿口に架かる”松の根橋”を渡ると、
古い建物群が続く町並みの旧東海道です。

Arimatsu03

Arimatsu04

有松は旧東海道の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)と、
鳴海宿との間につくられた茶屋で間の宿。

Arimatsu05

池鯉鮒と鳴海の宿場間は
わずか12kmほどの距離でしたが

Arimatsu06 
有松鳴海絞会館

もともとこの地は人家のないところで、
東海道を整備していた尾張藩が新たな村を開くことを計画。

Arimatsu07

当時の知多郡全域に高札を掲げて移住を呼びかけます。

Arimatsu08

それに、有松しぼりの開祖、竹田庄九郎ら8名が移住、
慶長13年(1608)尾張藩の奨励により開村されます。

Arimatsu09

農作地が少なかった村に、新たな産業として興されたのが
有松鳴海絞りでした。
以来、江戸時代を通じてしぼり業者の町として形成されます。

Arimatsu10

街並みの西筋
こちらにも見事な建物群が残っています。

Arimatsu11

現在の町並みは、
天明4年(1784)の天明の大火後の復興。

Arimatsu112

Arimatsu12

街道沿いの家は瓦葺き・塗籠造り、防火構造に改められ
2階には虫籠窓(むしこまど)を設け、腰壁をなまこ壁にするなど、
今もその景観を残しています。

Arimatsu13

「有松天満社」への参道横にある
「東海道五十三次二代目松」の碑と松の木。

Arimatsu14

その横にある「祇園寺」、
ここが有松の西の宿口で道はSの字に曲がります。

すぐ先にある名二環の高架下には

Arimatsu15

「有松一里塚」がありますが、
これは平成24年に新しく復元されたものでした。

旧東海道は踏切を渡り西へ、
この先左京山から次の「鳴海宿」へと続いていきます。
久しぶりに歩いた旧東海道の「有松」でした。  camera 23日

2016年12月21日 (水)

三重の美濃街道 多度

美濃街道(美濃路)は東海道宮宿と美濃の垂井宿を結ぶ、
東海道脇往還のひとつですが、
以前に三重の美濃街道(多度道)と呼ばれる道を、
桑名市”七里の渡し跡”から、
多度町柚井の岐阜県境までを歩いたことがあります。

今回その続きになる岐阜県側を歩いてみようかと、
まずは多度町の道筋をおさらいしながらたどってみました。

Tado01

いきなりなんだ、といわれそうですが・・・
スタートの多度町下野代にある「野志里神社」のクスノキの神木です。

Tado02

ちょうど旧道が神社を分断していますがその東側 ^^;
「伊勢神宮御旧跡野代の宮」の石柱が建っていますが

Tado03

その西側に鳥居と本殿

Tado04

神代の昔、倭姫命が伊勢への旅をしていたとき、
一時、天照大神を祀ったと伝わる桑名野代宮とも伝わる
元伊勢のひとつともいわれています。

街道は現在、分断された神社を直進していくことになり、
すぐ先でら肱江川を渡り多度の中心部へと入って行きます。

Tado05

街道筋にある戸津(とうづ)地区
この辺りは旧道の雰囲気が残っていますが

Tado06

特にこの老木に囲まれた屋敷は目を引きます。

街道から少し外れますが
戸津地区にある近くの「尾津神社」へ。(近くの小山地区にもあります)

Tado07

祭神は倭建命(ヤマトタケエルノミコト)他8神。
ヤマトタケルが東国平定に向かう途中、
剣を忘れた尾津浜がこの辺りという説があります。

街道に戻ると

Tado08

道は歩道橋で多度川を渡り柚井地区へと入ります。

Tado09

多度山麓に近づく旧道
養老鉄道の線路にそって集落の中を行きます。

Tado10

こちらにも見事な長屋門のある屋敷が ^^;
塀沿いに進んで行くと

Tado11

「空念寺」
この先で2つの集落を抜けてきた狭い道から
ようやく解放されます ^^;

Tado12

目の前には「宇賀神社」の鳥居が建ち、
ここは多度山上公園へのハイキングコース入口。

この神社には思い出がありちょっと立ち寄ります。

Tado13

以前に”吉祥木”のアリドウシ(一両)を撮影にきて、
当時は多かったサルの軍団と対峙した思い出の場所でした ^^;

ご存じのように吉祥木といわれるのは万両(ヤブタチバナ)、
千両(クササンゴ)、百両(カラタチバナ)、十両(ヤブコウジ)、
そして一両のアリドウシ。

Tado14

(大ボケですが ><;)
この木だけがどうしても見つからず・・・
東山植物園の方に聞いてようやくゲットしたところです。

遠い昔の話でした m(__)m 街道に戻ります。

Tado15

国道258号線が見えるとすぐに岐阜県との県境です。

岐阜県では伊勢への街道として伊勢街道とも呼ばれ、
この先は海津市南濃町へと入り、
松山、駒野、養老から関ケ原で中山道に合流します。
この日は三重県側の美濃街道・多度道でした。  camera  20日

2016年10月14日 (金)

北国街道上田・柳町

信州上田の旅、その見どころをめぐったつもりの旅でしたが、
気が付けばほとんどが神社仏閣めぐりになっていました。
上田城跡に真田氏本城跡も「真田神社」に真田氏ゆかりの
神社仏閣が多く・・・まぁ、止む無しともいえますか ><;

そんななかでここだけは別でした^^;市街地を通る「北国街道」、
その道筋に残る”柳町”の景観です。

Hokkoku01

「上田城跡(公園)」をひとめぐりして北虎口に出ます。
観光駐車場をから二の丸通りを北に歩き北国街道には入ります。

Hokkoku02

東に向かって歩きますが後ろが善光寺側「坂木宿」
ここから東にある「海野宿」へと向かうことになります。

道筋は職人町の紺屋町を抜けていきます。

Hokkoku03

蛭沢川に架かる緑橋を渡るとそこからが柳町。

Hokkoku04

Hokkoku05

白壁の土蔵と格子の建物が見事な雰囲気で、
これが往時の町筋か?とも思うほど。

Hokkoku06

お味噌の醸造元の建物ですが、
この界隈にまずビックリさせられて・・・

Hokkoku07

先の交差路を曲がると
その先に北にまっすぐ延びる町筋になります。

柳町、その名の由来か?また印象的な柳の木。

Hokkoku08

Hokkoku09

道の角にある「保命水」
明治14年に海禅寺境内の湧き水を引いて以来、
町の人々や北国街道を往来する人々に利用されていたという。
水道が引かれた現在も一部がこうして保存されています。

Hokkoku10

隣りにあるお蕎麦屋さん ^^;

Hokkoku11

建ち並ぶ建物も商家の町らしく、袖うだつがあがり、

Hokkoku12

見慣れた宿場町とはまた違った、
江戸時代のものとは思えない綺麗な町筋です。

Hokkoku13

酒屋の蔵元
表の看板に、思わずお邪魔しました。

Hokkoku14

店内に飾られていたお雛さんです ^^;
享保雛に古今雛、五人囃子も素晴らしい飾りでした。

Hokkoku15

柳町の南口
ポケットパークの傍にある柳町の案内板です。

北国街道はここで東に折れ、すぐに南の原町へと入りますが、
かっての上田宿にはその面影はありません。  camera 10日

2016年9月 4日 (日)

ぶらり高島・大溝まち歩き

近江高島「大溝城跡」を楽しんだあとは、
大溝城・大溝藩(大溝陣屋)の城下町として発展した
大溝(高島市勝野)のまち並み散策でした。

元和5年(1619)、伊勢国上野(三重県河芸町)から
分部光信が2万石で入部し大溝藩が立藩。
町の構造は南から北へと四筋の通りから成っています。

Oomizom01

城跡から戻ったJR近江高島駅前から、
そのまま真っ直ぐに北へと歩きます。

Oomizom02

「流泉寺」
もと、伊勢国上野にあったお寺ですが、
分部光信が移封の時、
信徒とともにこの地に移ったとあります。

Oomizom03

ここから水路で町割りされた北へと延びる
道筋を見ながら東に行くと「総門」があります。
Oomizom04

大溝藩時代の陣屋跡として唯一現存する建物。

ここから町なかをひと回り ^^;

Oomizom05

そのまま東に歩くと本町通りの南端へ出ますが、
角に「蝋燭町」の石標と案内板があります。
江戸時代、この辺りには蝋燭の製造や
販売をする店舗が集まっていたという。

ここで北へと折れます。

Oomizom06

Oomizom07

町筋には曳山が保管されている山蔵や

Oomizom08

うだつの上がる旧商家を改修した店舗が並ぶ
「高島びれっじ」と呼ばれる施設も。

Oomizom09

すぐ隣には酒造蔵の建物もあり、
一帯は懐かしい昔日の面影が感じられます。

Oomizom10

城下町の町割り整備で作られたという水路は、
都と日本海を結ぶ交通の拠点として発展した
この町の防火と生活用水でもあったようです。

道を再び西へ折れますが

Oomizom11

すぐにいくつかの小路を折れて南へ。

Oomizom12

Oomizom13

きれいに整備された町割り水路のある通り

Oomizom14

大溝祭りの曳山が保管されている山蔵、
全部で五基の曳山があるという。

Oomizom15

水路の町筋を突き当っると「勝案寺」で、
城下町の中心部をちょうどひと回りしてきました。

今回は「大溝城跡」から城下町散策でしたが、
できれば”大溝水辺さんぽ”マップを使って
本格的な散策をしてみたかったところでした。  

より以前の記事一覧