2009年10月14日 (水)

伊賀上野寺町界隈

「芭蕉祭」に来たものの・・・、
この祭りはこれといって見るものがありません。
自分で見たい行事を選んでその場所に行くだけです。^^

まぁ、記事にするようなものはありませんが、
久しぶりに町中を散策してみました。

そのなかからこちら、寺町です。
道の両側に7つの寺が建ち並びます。

Teramati01_2
カラー舗装された道と白壁の綺麗な道ですが、
チョッとロケーションがイマイチで片側だけ。

写っている最初の寺が「上行寺」。

Teramati02
藩主藤堂家の菩提寺。
てんしょう16年(1588)、藤堂高虎によって紀州粉河に創建
されたが、伊予国を経てここに転じられる。

  Teramati03 Teramati04
境内には藤堂家の代々の墓石(石碑)が並びます。
写真左が高虎の碑、右は父、虎高と継室の御霊屋です。

その横が「妙昌寺」。

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山門ですが、

Teramati06
その横にもう一つの門、
境内には鬼子母神・三十三番神を祀る小祠があります。
番神の神体は紀州粉河からの伝来で建宝8年(1680)の
遷宮と伝えれれる。

ちょうど中間です。

Teramati062
邪魔のない一瞬の寺町通り。

続いては「万福寺」。

Teramati07
山門右に大きな碑があります。

 Teramati081 Teramati082
有名な鍵屋の辻の仇討ちで討たれた河合又五郎の墓があります。
又五郎享年24歳でした。

そのつぎは「念仏寺」。

Teramati091
ですが・・・その手前にある門と六角堂。

Teramati092
そして楼門です。
安置される「木造阿弥陀如来像」は国指定重文です。

ここまででが東側に並ぶお寺、折り返して反対側です
「念仏寺」の前が「大超寺」。

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藩家老、藤堂玄蕃家の菩提寺。
これもまた凄い楼門です。

折り返して見る寺町通り

Teramati11
何故か東側ばかり撮っていますが・・・それはそれで^^
この通りは実に気持ちの良い道です。

お寺を続けますが、つぎが「善福寺」。

Teramatizen
天正2年(1682)に33体の観音が奉納され、
諸寺に分け与えられ巡礼の信仰仏となり、
伊賀国巡礼が始まったと伝えられる。

そして最後は「妙典寺」。

Teramatimyoten
残念ながら本堂改修中で斜めから・・・。
「赤門さん」と呼ばれているようです。
開基恵光院日詠が伊予国から藤堂高虎の移封に伴って、
ここに移したと言われる。

以上が寺町通りに建ち並ぶお寺でした。
3つほど紹介しようと思いながら全部を載せてしまいました。

尚、お寺についての解説文は
パンフレット「伊賀・大和街道 芭蕉路」からの引用です。

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2009年9月 2日 (水)

ならまち

学園前から奈良に出ました。

奈良はこの日「バラサ祭り」開催中!
時間は2時から、暑い中でさらにヒートアップします。

時間が少しありました、
こちらも久しぶりでしたが・・・”ならまち”です。

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猿沢池から上ツ道(伊勢街道)に入ります。

Nara002
真直ぐ続く道、突き当りが中新町の漢方薬局、
買ったのは和漢胃腸薬「陀羅尼助丸」。

いつもは吉野で買いますが奈良ではここです^^

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左隣は「奈良町物語館」、
右に回ると「「奈良町資料館」です。

資料館の前を通って高御門町から下御門町へ。

 Nara0041 Nara0042
祭りのためか?いつもより人が少ないようです。
静かな”ならまち”もまた良し!

Nara005
ならまち界隈、
何も変わらない同じ町筋なんですが・・・
歩くとそれなりに楽しいところ。

静かな通りから大勢の人で混みあう商店街(この日は
某系列局の24時間テレビでした^^)を抜けて三条通りに出ます。
ここは祭りの見物客で埋まっていました。

上三条から下三条へ。

Nara006 
Nara007
トップを務める”コーブバサラ”が下三条通りをスタート。

次々とスタートする踊り連を横目に戻ります><

Nara008 
暑いね~sweat01 お姉さん!

踊る・なら・そらっ!「バサラ祭り」。

昨年も見ているためか?いや、なぜか気乗りがしなくて><
暑い奈良から早いご帰還でした。     camera  30日  

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2009年8月 8日 (土)

中山道・醒井宿

季節になると訪れる醒ヶ井ですが、
ここはまた中山道61番目の宿場でもあります。
宿場の中心部はほとんどが梅花藻を見る通りですが、
この日は醒ヶ井の中山道を散策してみました。

地蔵川の水源地「居醒の清水」から東に200mほど行くと
中山道「鶯の端跡」があります。
その坂を少し上ったところからの眺めです。

Samegai001 

柏原宿から来た旧道は国道21号線から離れて醒ヶ井に
入ってきます。
その最後の坂を上がるとあるのが「佛心水」の井戸、
ここから西に1キロほどの中山道を歩きました。

  Samegai0021 Samegai0022
中山道の馬頭観音近くにあり、
旅人の喉を潤し旅の安全を祈願したという「佛心水」、
そして坂を下って行くと途中にあるのが「鶯の端跡」。

” ここからは西方の眺めがよく、はるか山間には京都の
 空が望めたという・・・ ”とありますが今は何も見えません。
で、冒頭の写真です。

この「鶯の端跡」の先が醒ヶ井宿の「東の見附跡」。
道はここで右に、左にと折れる枡形ですが、

 Samegai0031 Samegai0032
その角にある「中山道分間延絵図・醒ヶ井宿部」です。
絵図には枡形から居醒の清水、宿の町並みが描かれています。

枡形を曲がって来ると醒井宿、その中心部に入ります。

Samegai004 
ここから道はカラー舗装になります。

Samegai005 
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加茂神社の境内から見る醒ヶ井と居醒の清水、
横から撮っています。

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絵図に描かれている町並みです。
地蔵川の川沿いには時期でしょうか?緑が多いです。

そして宿場ではお馴染みの本陣跡と問屋場。

 Samegai0081 Samegai0082
特に問屋場前は梅花藻の観賞ポイントになる資料館です・・・^^
江戸時代の問屋場の建物が現存している貴重なもの。

チョッと寄り道は「了徳寺の御葉附銀杏」です。

Samegai009
露地を少し入ったところにあるお寺の境内、
見事な大銀杏の木です。
葉が付いたままの銀杏・・・国指定天然記念物です。

街道に戻ります。

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中心部の最後は「十王水」、

Samegai011
そして醒ヶ井大橋を渡って中山道は左に行きます。

すぐ先にある「西行水」

Samegai012
「居醒の清水」、「十王水」、「西行水」。
醒ヶ井には七湧水と名付けられた湧水がありますが、
そのうちの醒ヶ井三水です。

ここはまた「胞子塚」が建てられており、
西行法師に因む伝説のある場所でもあります。

名神高速の傍を行くと道はT字路になりますが角に立つ石柱、

Samegai013
次の番場宿へ一里とあります。
この辺りが醒ヶ井宿の西口になるのでしょうか?

醒ヶ井養鱒場への道を渡ると「六軒茶屋跡」、

 Samegai0141 Samegai0142
” 享保9年(1724)醒ヶ井宿は大和郡山藩の飛地領となり、
 藩主・柳沢候は彦根藩・枝折との境界を明示するため、
 中山道の北側に同じ茶屋を6軒建てた・・・ ”とあります。
その一軒の茶屋があります(今でも土・日は現役とか・・・?)。

その中山道の北側・・・枝折。

Samegai015
かって彦根藩との境界であったのはこの辺り?枝折の交差点。

醒ヶ井宿を出た中山道はここで国道21号線に合流、
この先一里、次の番場宿へと向かいます。

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2009年7月25日 (土)

五個荘の中山道

近江商人屋敷の「うちわ・扇子展」の前に一汗掻きました^^;

てんびんの里・五箇荘を通る旧中山道、
北東の街道口から西南の街道口まで2.5キロを散策です。

Kaido001
五個荘は宿町ではなく単なる街道筋の集落であまり見るものも
ありませんが、街道筋の面影を残します。

「愛知川宿」を出た中山道は国道8号線に合流し、
御幸橋で愛知川を渡ります。

少し先にある宮荘の交差点で左の旧道へ、
ここから五個荘の旧中山道に入ります。

Kaido002
すぐに「五箇神社」の御旅所、角にある常夜灯、
この前には休憩所のポケットパークがあります。

大同川に沿って行くと右手に東近江市五個荘支所がります。

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前に架かる橋の欄干にはてんびんを担ぐ可愛い商人像が。

Kaido006
支所の前を通り過ぎると一回り大きなポケットパーク。

ここには文化3年(1806)に江戸幕府が作った
街道絵図が掲げられています。

  Kaido0071Kaido0072
ちょうど歩いている区間が詳細に描かれています。

以前に歩いたときは詳しく見ていませんでしたが、
この「中山道分間延絵図」は右が愛知川宿側、
左から歩いてきていますから左右逆になっていました。


この辺りから町筋に古い建物が見られます。

Kaido008
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べんがらに塗られた板塀の立派な屋敷、そして土蔵、
ただ、ここはまだ旧五個荘の町並みではありません。

この先にある常夜灯が乗ったような古い標石がありますが、
ここが御代参街道の追分。

Kaido0010
この写真でははっきり分かりませんが、
右面(正面)に「 右 京道 」、
左面に「 左 いせ ひの 八日市 」と刻まれています。

御代参街道は八日市や日野を経て東海道土山に続く道で、
伊勢や多賀大社への参詣道でもありました。

少し先で交差点を渡りますが、
この辺りから近江商人発祥の地、五個荘の町並みへと入ります。

Kaido011 
五個荘町北町屋集落の家並みが続きます。

Kaido012
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「金毘羅大権現」の常夜灯と、
西国32番札所「観音正寺」への道標。

中山道は五個荘町山本、石塚の集落を抜けていきます。

Kaido014
右に繖山(きぬがさやま)が 見えると道は国道8号に合流。

Kaido015
ここが五個荘を通って来た中山道の西南の口、
ほんの短い五個荘の旧中山道、懐かしい街道歩きでした。

ここから道は清水鼻集落から、
老蘇の森・「奥石神社」を通って次の「武佐宿」へと続きます。

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2009年6月28日 (日)

石田三成出生地・長浜市

長浜市の東部、米原市山東町と接する石田町、
関が原の戦いで西軍の指揮をとった「石田三成出生地」です。

大河ドラマ「天地人」でこのところ登場していますが、
その三成出生地、石田町を訪ねました。

Isida001_3 
いきなり道路端から入りましたが、
町の中で駐車場を探していたらここに出てしまいました。^^;

駐車場は「石田会館」にとめられるようですがこの日は適当に・・・、
ということで、ここから案内板に導かれるようにまちなか散策です。
まずは旗の先に見える木のあるところ、

Isida002
「八幡神社」ですが目的はここではありません。

この拝殿と本殿の横には「石田神社」の石柱が、

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そしてその裏には「石田三成公一族家臣之供養塔」が
ありました。

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「石田家一族香炉堂」。

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その左手には三成自筆という歌碑があります。
” 残紅葉 散り残る紅葉はことにいとおしき
 秋の名残はこればかりぞと  三成 ” とあります。

ここからすぐの「石田会館」。

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ここが「石田三成公屋敷跡」。

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Isida010
三成に関するものはすべてがここに集約されていますが、
そのなかから、「石田三成公像」と、顕彰碑。
碑には「石田冶部少輔出生地」と刻まれています。

他にも三成に関係した碑や堀端池(冶部池)など・・・、
ここから町なか散策へ。

北に少し歩くと石田三成産湯の井戸がありました。

Isida011
永禄三年(1560)、冶部屋敷の北側にあったとされ、
三成の産湯の水を汲んだとされる井戸です。

Isida012
道端に立つ照明灯には三成に関係する武将達の名前があります。
これはもちろん、「天地人」ですね~^^
説明版には「東の盟友」とあります。

Isida013
三成には直接の関係はありませんが、「日吉神社」。

ここ日吉神社からは織田信長が姉川の合戦で勝利した後に、
羽柴秀吉が入った横山城のある横山への遊歩道があります。

Isida014
その横山です。
山向こうの「観音寺(以前紹介した三成三碗の才)」までは、
山頂を経由して行けるそうですが・・・、
この日はあまりにも暑くてさすがに失礼しました。><

そして・・・、
 Isida015_2 Isida016
日吉神社の参道と真新しい本殿。
これも遷宮か?本殿は完成していましたが、拝殿はこれから。

長浜市石田町、
「石田三成出生地」として知る人は知る?

Isida017
そんな町なかを散策して来ました。

真夏日が続いていますが夏といえば”ひまわり”、
石田三成が戦った関が原!
その熱き戦いに思いを馳せた・・・そんな石田町でした。

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2009年6月 5日 (金)

哲学たいけん村無我苑

碧南市「油ケ淵花しょうぶ園」と「応仁寺」から「無我苑」を結ぶ道。

道は「哲学の小径」と名付けられ、歩きながら哲学、文化、歴史、
自然を体験することができる散歩道・・・とありますが。

応仁寺の境内横から「哲学の小径」に入ります。

Mugaen001
マンホールの蓋はもちろん市の花「花しょうぶ」。

道には哲学的な言葉、俳句などの文学を掲示する”サイン”が
置かれている・・・とも。

Mugaen002
道筋に並ぶその”サイン”のひとつ、
のどかな田園風景の広がる道を名言を読みながら行きます。

Mugaen003
「無我苑」の建物正面入口、
入ると左が研修道場「安吾館」、右が「立礼茶席」。

 Mugaen0041 Mugaen0042
早速中庭(日本庭園)を見ながら一服いただきました。

明治から昭和にかけて「無我愛」を提唱し、幅広い研究と思索を
続けた哲学者、伊藤証信が開いた研修道場「無我苑」を
遺族の方から寄贈を受けた市が同じ場所に再建したもの。

建物を回って”瞑想の小径”へ。

Mugaen005
短い距離ですが、静寂な中に和の趣を感じます。

Mugaen006_2
「日本庭園」への入口です。

Mugaen007
入った正面には市民茶室 「涛々庵」、左手は先ほどの中庭。

茶室の前は左右に庭園、

 Mugaen0081 Mugaen0082
庭はSの字に流れるせせらぎで結ばれています。

 Mugaen0091 Mugaen0092
庭園の右手には隠れたように二重露地(露地囲い)、
外露地を高い塀で囲い、外界と隔絶された空間を形成する、と。

Mugaen010 
飛び石には随所に関守石(留め石)が置かれて・・・、
この先へは進むことはできません。

静寂の日本庭園から再び小道を回りこみます。

Mugaen011
一転して、何やら現代的な建物が、

Mugaen012
「瞑想回廊」と名付けられた建物。
内部には展示ギャラリーやリラクゼイション・ルームなどがあり、
「哲学たいけん」のきっかけを提供している・・・とあります。

「碧南市 哲学たいけん村 無我苑」。
パンフにあった”日常を離れて、自分と向き合う時間”、
そんな言葉が似合う施設でした。

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2009年4月30日 (木)

津島市散策と藤まつり

津島神社神苑の”つつじ”を見てそのまま東へ歩くと本町通、
南北に延びるこの通りはかっての津島上街道。

名古屋の新川橋で美濃路から分岐し
甚目寺、木田、勝幡を経て津島に入る道です。 

本町筋の上街道をほんのちょっぴり歩いて、
旧道に残る津島の古い町並みを散策しました。

Tusima001_2
本町筋にある「観光交流センター」で資料を入手。

昭和4年に立てられた銀行の建物がこの4月に観光拠点として
生まれ変わりました。
津島市初の鉄筋コンクリート造りで「復興式」と呼ばれる
建築様式だそうです。

 Tusima0021 Tusima0022
館内には天王祭のまきわら舟の提灯や、
秋まつりのからくり人形などが展示されています。

さて、旧街道です。

Tusima003_2
本町筋の北にある本町交差路から旧街道筋を行きます。

Tusima004_2
古い町並みの面影を残す街道筋。

Tusima005
街道にはいくつかの井戸が見られます。

まず目に入るのが「上切の井戸」、
”津島地方は木曽川の伏流水が多く、古地図にはいくつかの
街角に辻井や井戸が記入されている”と。

Tusima006
こちらは「堤下神社(とうげじんじゃ)の井戸」、
”津島神社を遥拝する御手洗の井戸として使われ、
また、近隣の住民の生活用水として使われた・・・”とも。

Tusima007_2
黒塀に見越しの松、よろしいなぁ、これぞ街道ならでの風景です!
ここからすぐ先にある道標、

Tusima008_2 
津島の歴史の古さを伝える道標といわれます。

そしてすぐに津島下街道分岐、

Tusima009 
橋詰三叉路。
上街道と下街道の分岐でもあり街道の起点です。

旧上街道はここで終ります。
ここから西に向かえば海津高須への高須街道、
南下すれば埋田の追分で佐屋街道に合流しますが、
どうやら下街道と呼ばれる道は佐屋街道が一般的なようです。
ここにも旧街道の歴史があります。

このすぐ先が本町筋、ここにも井戸がありました。

Tusima010 
「坂口町の井戸」、
辻井の形態を残す花崗岩の方形石組みの井戸で、
朝早くから近隣の住民が水を汲みに来て賑わたことから、
夜明けの時を知った・・・とか。

町中散策、たくさんの見所がありましたが最後はここ、

Tusima011
「稚児門」。
川祭祭礼当日、乗船する稚児が門外の水路から小船で
本船に向かったところ・・・だそうですが、
瑞泉寺と言う立派なお寺の幼稚園の前にありました。

津島の町中を巡って来ましたが、
最後はやはり「尾張津島の藤まつり」を載せないわけには・・・^^;

    Tusima012_2
    Tusima013
満開は過ぎてあまり気合が入りませんでしたが・・・、
下は八重の藤、「八重黒竜藤」 です。

Tusima014
いつまで持つか?そんな気がしましたが、
二度目となると今一つ魅力に欠けて・・・身が入りません><

信長。秀吉が見つめた尾張津島の春!
サクラとフジとツツジと旧街道の町中散策、
今年はすべてを見せてもらいました^^     camera 28日

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2009年3月10日 (火)

岐阜市美殿町から柳ケ瀬

梅まつり、瑞龍寺と見て戻る途中の街歩き、
まつりで走る人力車を追っかけた先は美殿町でした。

美殿町のメイン通りを散策です。

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町の中心部は石だたみ、敷かれているブロックは
ドイツ生まれの「アルコンダ」コンクリートだそうで、
岐阜で最初のブロックだと書かれていました。

Midono002
この町の郵便ポストは明治41年(1908)からこの位置に
設置されているそうで、このポストは昭和32年製。
正式名称は「郵便差出箱1号丸型」、
胴体の上下が回転できる優れもので今でも現役のようです。

 Midono0031 Midono0032 
こちらは街灯ですが、右はガス灯です。
昭和62年(1987)に岐阜市で最初に復元されたそうです。

 Midono004
人力車の出発地歯ここでした。
道路を挟んだ先は岐阜の繁華街「柳ケ瀬」、
なんと!ここであの「彦根ゆるキャラ」で見た”やなな”に逢います。

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思わず・・・、いや懐かしいお姿でした!
他にも友情出演か?後ろにチラッと多治見市の「うなかっぱ」が。

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名古屋市の「はち丸」にぎふ清流国体マスキャラの「ミナモ」。

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奈良県の「まんとくん」。

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このキャラは初めてでしたが、岐南町の「ねぎっちょ」くん?
後ろは津市の「シロモチ」くんですね。

他にも彦根市の「やちにゃん」や津市の「とらまる」もいたみたい
ですが・・・、捉えきれませんでした。

Yanagase005

何かと思えばこの日(7日)限りのイベントに遭遇したようで、
「柳ケ瀬早春ゆる祭り」開催中でした。

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2009年3月 5日 (木)

旧徳島城表御殿庭園

徳島市の旅が続きましたが最後は「旧徳島城表御殿庭園です。

徳島に着いた初日の夕方、それも雨の中の徳島散策でした。
徳島城跡を市民公園に整備した徳島中央公園、
その中にある「徳島城博物館」に隣接する庭園です。

Teien001

徳島城表御殿の小書院と表居間に面する庭園で、
枯山水と築山泉水庭園からなる回遊式庭園です。

       Teien0022_2
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入った右側にあった枯山水庭園。
前兆10.35mの青石橋は中央で折れていますが、
初代藩主蜂須賀至鎮の踏み割り石との伝説があるそうです。

庭園はこの枯池の裏側を通り、
石橋や飛石を渡って回遊できるようですが、
閉園が迫っていたため表側だけの観賞でした。><

とにかく広い庭園で、右から回り込んでいます。

       Teien0032
 Teien0031  
枯山水の右から左の最深部まで並べてみました。

ここから左に曲がって築山泉水庭園に

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広い芝生で途中まで泉水庭園の様子が分かりません。

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ほぼ中央の辺りから見たところです。

1.53ヘクタールあるという庭園、
桃山時代の武将上田宗箇の作とされているようですが不明と。

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中央部から左へと回っています。

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左奥から見る庭園です。
全体を捉えようと下がると芝生の庭が広すぎて池が隠れ、
高い場所からでないと無理、そんな広さです。

豪壮な造りの桃山様式を顕著に伝えた城郭庭園として
昭和16年12月13日、国の名勝に指定されています。

できれば晴れた日にゆっくりと城跡も散策したいところでした。   

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2009年2月 9日 (月)

名張八日戎とまちかど散策

三重県名張市「蛭子神社」の「八日戎」本祭です。

本祭といっても催事は7日の宵宮ですべて終了、><
この日は参詣だけで何もありません。

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しかし神社の外から境内にずらりと参詣者の列が続きます。

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こちらは福笹ならぬ、
ネコヤナギの枝に鯛や千両箱をつけた縁起物の「吉兆」です。

露店が並ぶ「初瀬(はせ)街道」。

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縁日の風景ですが、
この界隈から先の街道筋には旧家が見られます。

この蔵元もその一つ、

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杉玉がかかり、白壁にむしこ窓。

そして中町石の鳥居前にあります「伊賀まちかど博物館」の
”はなびし庵(角田酒店)”です。

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ここも、築170年という旧家の町家ですが、
店内の座敷では「縁起絵展」が開かれていました。

こちらは店の片隅に飾られていたお雛さんです。

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「御殿雛」、屋根のない源氏枠飾りですが、
幕末から明治初期のものとあります。とすれば珍しいもの!

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江戸時代後期の「立雛」。
壁に掛けられていましたが?傷まなければいいんですが。

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丸型と飾り紐の付いたこれも珍しい大正時代の「掛け雛」。
ここは来るたびにいろんなものを拝見させていただけます。

この後、家の前を通る「初瀬街道」を散策しました。

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形の違う格子に白漆喰のむしこ窓。

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外側の柵は駒寄(こまよせ)、
そして同じ家のむしこ窓?というより、むしこ格子ですね?

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そして土蔵ですが、これも海鼠壁でしょうか?
普通は斜め菱に塗られる漆喰が、こちらは縦横です。

以前の祭りで山車を追っかけた名張の初瀬街道。
この日は八日戎に来たんですが・・・、
どちらかといえば”まちかど散策”になってしまいました。

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2009年1月21日 (水)

絞りの里有松・旧東海道

久しぶりの”まちかど散策”に名古屋市緑区有松です。

名古屋城が開府400年なら、
ここ有松も2008年が開村400年でした。

名鉄「有松」駅から有松裏通りを東に歩いて旧街道に入ります。
東の宿口から古い家並みが続きます。

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「東海道」の石柱と”ありまつ”の暖簾?が掛かる民家。

重厚な造りの町家が街道沿いに建ち並び、
往時の雰囲気が見事に残ります。


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こちらは「服部家」

”有松における絞り問屋として代表的な建物、
主屋には卯建を設け、2階は虫籠窓、
土蔵は海鼠壁で防火対策がされている。”(愛知県指定文化財)

Arimatsu002
本来は有松絞りなんですがひな祭りも近く思わず一枚、
当然ですが衣装は絞りですね?

 Arimatsu003 Arimatsu004
屋根の古い行燈、
そして「竹田家住宅」、(名古屋市指定有形有形文化財)。

こんな町家が続きます。

 Arimatsu0051_2 Arimatsu0052_2
こちらは「岡家住宅」
江戸末期の建築、切妻造桟瓦葺で正面に土庇がつき、
2階は虫籠窓でこれもまた塗篭造の建物です。

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とにかく有松絞りを紹介するにも重厚な建物で、
そのの入口の格子戸を開けて入る勇気がありません。><;
そんな建物がお店なんです。

そして有松の西宿口に入って行きます。

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村社「天満社」、
秋の例大祭には東町、中町、西町の山車が東海道筋に
集結します。

街道に戻ります。

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「東海道五十三次二代目松」、時代は変遷しています。

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有松の西、
その宿口にあります「祇王寺」、
光明天皇が万葉集に呼んだ歌碑や奈良薬師寺を模した
仏足石があるそうですが・・・。

Arimatsu010

名古屋市緑区有松、
旧東海道はただいま電柱移行工事中でした。

この街道筋から電柱がとれて地中埋没になれば、
ここ有松の景観もまた素晴らしいものになると思います。

旧東海道有松、その時が楽しみです。

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2009年1月17日 (土)

亀山仇討物語

大阪松竹座で公演中の「初春大歌舞伎」。

その演目にある「霊験亀山鉾」は、
三重県の亀山市で実際にあった仇討が題材になっているとのこと。
興味があったので調べていたら亀山市の資料の中にその一項目、
仇討ストーリーとそのルートがありました。

ルートは亀山八幡神社から→大手門跡→太鼓門跡→石坂門跡→
黒門跡→京口門跡、そして野村照光寺へとなっています。

これはもう行かねばなりません!(悪い癖です^^;)

その最初にある八幡神社は亀山城址の中にあります。

Kameyama001

しかしこのルートは特に仇討を意識したものではないようで、
単に関連の碑を結んだだけのようです。

勝手にルートを変えます。

Kameyama002
城址から大手門跡に向かう途中にある「太鼓櫓跡」。
整備されポケットパークになっています。
この前(右手)が標柱だけが立つ太鼓門跡。

そして大手門跡ですが、つい最近記事にしたばかりで、
代わりに傍らの交差点です。

Kameyama003
撮っている角は旧東海道の曲がり角、
直進すると亀山城址です。

ここから少し遠回りですが旧東海道を行きます。

 Kameyama0041 Kameyama0042 
ちょうど大手門跡から街道はカラー舗装されています。

各家にはそれぞれの屋号札がかかりますが、
前に歩いた時より多いようで、また新しいですね。

Kameyama005
ここから東海道は左に曲がっていくんですが、
こちらは街道を外れて石坂門跡へ。

Kameyama006
前に池があるんですがその手前から見る多聞櫓。

そして写真の右端に見えるのが石坂門跡と
「石井兄弟亀山敵討遺跡」の碑です。

Kameyama007

亀山市には二つの仇討があります。

一つはこの石井兄弟の29年目の仇討、
”元禄14年(1701)5月9日早朝、石井源蔵、半蔵兄弟が、
28年目に父の敵、赤堀水之助(源五衛門)を討ち取った・・・
「元禄曾我兄弟」と称されて、歌舞伎、講談、絵本、浮世絵
などに取り上げられ・・・・・”と解説板にあります。

そしてもう一つは「関の小万」の仇討ですが、
これは以前に載せました。

ここから黒門跡の標柱を見て再び東海道に入ります。

Kameyama008

すぐに京坂口に出ますが、亀山宿の西の口「京口門跡」です。
東の宿口は本町筋にある「江戸口門跡」、京と江戸です。

京坂口橋を渡ると右にあるのが照光寺。

Kameyama009
 Kameyama0101 Kameyama0102 

山門左手に赤堀水之助(源五右衛門)の碑が、
そして本堂左手奥の広い墓の中に墓石がありました。

歌舞伎「霊験亀山鉾」の話から始まった亀山仇討物語。
史実の記事は地味ですが、
これが歌舞伎の舞台になると違うんでしょうね。  camera 15日

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2008年11月10日 (月)

どんぐりの里・いなぶ散策

山里の稲武で紅葉見物のあとは町なかを散策でした。

「大井平公園」から戻って、
ごった返す道の駅「どんぐりの里いなぶ」に車を停めます。

すぐ目の前の高台にある「武節城跡」の看板に興味を持ちました。
登山口と書かれた坂道を登って趣のある山道のなかを行くと
広場の本丸跡に出ます。

Inabu001_2  
     Inabu002

「武節城跡(ぶせつじょうし)」

”時代の変遷のもとに天正年(1575)、長篠の戦に敗れた武田勝頼が
敗走のおりにこの城で休息し甲州に帰った・・・”、
いうことで”武田勝頼ゆかりの城”の幟が揚がります。

本丸のすぐ上にある八幡神社の小さな境内が狼煙台跡。
ここから眺める本丸跡の紅葉も綺麗でした。

Inabu003_3

帰りは広場の横からそのまま車道を下ります。

Inabu004

山道と違って紅葉の綺麗な道が続きます。

二の丸、三の丸跡と見て下りて行きますが、

     Inabu005_2  

途中で見たつつじ?と紅葉・・・ん?何つつじか?

このあとも素晴らしい紅葉が続きます。

Inabu006_2
Inabu007_2

「大井平公園」よりは小粒ながらこちらも納得の紅葉でした。
ただ、やはり陽射しがね~。

下りてきたら霧雨が・・・、雨のなかを散策です。

     Inabu008

名倉川にかかる稲武大橋からの紅葉です。

散策路は瑞龍寺へ。

Inabu009

ここの”枝垂れ桜”は有名だそうです。

ここから飯田街道(中馬街道)を少し歩きます。

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軒に吊るされた干し柿、
そして街道に残る旧家の佇まいはかっての塩の中継問屋で、
時代の面影を色濃く残しています。

そして最後はここ、龍光院でした。

Pict0139

南朝の皇子、尹良親王の皇女琴姫の菩提を弔うために
建てられたという由緒の寺だそうです。

どんぐりの里・いなぶの町なか散策。
戦国時代には戦乱の舞台でもあり、また信州へ塩を運ぶ
中馬街道(塩の道)の宿場町として栄えた歴史の里。

紅葉もさることながら・・・そんな山里を楽しんできました。

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2008年2月 1日 (金)

常滑まちかど散歩

常滑市といえば焼物のまち。
そして「やきもの散歩道」と呼ばれる散策コースですが?
今日はその散歩道ではありません。

Tokoname01

名鉄「常滑駅」から観光起点の「陶磁器会館」に行く途中の通りに
この「とこなめ招き猫通り」と呼ばれる一角?いや、通りがあります。
常滑ゆかりの39人によって作られたという様々な形の招き猫。
それぞれに託されたご利益があるとか?

まじめなものから、納得のもの、思わずニンマリしたり、
笑いを誘うものまでと楽しめます。

そのなかからあえて選んだ招き猫!をいくつか載せてみました。

たとえばわが身にたとえてこんな猫を。(ーー;)

Tokoname102
真っ赤なハートを抱える猫、タイトルは、「ぼけ封じ」。
”年を重ねても心ときめくことが大切と・・・” まったくです!

このあとの猫ちゃんの”つぶやき”は皆さんにどう聞こえるでしょうか?

  Tokoname022 Tokoname06
左はお財布ケイタイに$マークの前掛けで、「商売繁盛」。
右は飛行機を抱えて、「航空安全」。

この辺りはまぁなるほどって世界ですかね。

    Tokoname07_1   
少々理解に苦しんだのがこれ、「難関突破」。
この尻尾の意味は?・・・・・、これは解説を載せます。

”ピンと立った尻尾は日時計、それとも道を切り開くため
天の啓示を受けるためのアンテナ?” とありました。

この2枚も笑えます。

  Tokoname08 Tokoname05
左はズバリ!熱い抱擁(古いねぇ)で、「夫婦円満」。
右は傑作です!(大きくして見てね)何も言うことなし、「子授け」。

そして最後はこれ、いや~見事に笑わしてくれました。

Tokomane02_1
黒い瞳の大きな美ネコちゃんでそのものずばり、「美人祈願」

いったい何を掴んで・・・、ユーモアがあります、たっぷりです。
もう見ているだけで笑っちゃいましたわ。
好きですねぇ、こういうのって・・・、すみません一人よがりです。

如何でしたか? ちょっと遊び心で載せてみましたが、
この解説?ちゅうかチラシ。
「陶磁器会館」の見事に分かりにくい場所にありました。

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2008年1月 5日 (土)

新春まち歩き・美濃竹鼻

新春最初のぶらり旅は岐阜県羽島市竹鼻町の散策です。

Takehana001
Takehana002
名鉄竹鼻線の竹鼻駅を出て県道を西に、逆川の平成橋を渡るとご覧のとおり、
円空像が建ち並ぶ円空通りです。

Takehana003
素人の方か?新しいものには市民や名古屋の方の名札があります。

竹鼻は円空の出生地とも言われているところ・・・。
いきなり楽しい歩きになりました。

Takehana004
竹鼻商店街の通りですが新春なのか静かです。

ここは竹鼻街道で、美濃路の起宿(尾西市)から分岐して、大垣とを最短で結ぶ
脇道でもあり、木曽川と長良川を繋ぐ逆川を利用した商家の町として栄えた町
でもあります

竹鼻といえば、竹鼻別院と樹齢300年の藤の古木(県指定天然記念物)、
そして山車が出る「竹鼻まつ」りで知られるところ。
今日は町の中心部を回りました。
その竹鼻別院です。

Takehana005
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唐破風造りの見事な山門と大正期に再建された本堂です。
昔は御坊専福寺といわれていたそうです。

その御坊瀬戸通りを戻りますと、
羽島市歴史民俗資料館と映画資料館がありました。

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これは凄い!昔の映画館の映写機が並びます。
そして古いポスターが展示されています。

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今でも毎月第二土曜日に映画の上映が行われているそうです。

この後は町の見所をいただいた”ふれあいマップ”で散策していきました。

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この地方では有名な造り酒屋「千代菊酒造店」です。

  Takehana
銅版葺の美しい鐘楼門の「聞得寺」。

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こちらは佐吉堂。
舎内の大仏は撮りませんでしたが、佐吉仏という丈六の大仏が 鎮座します。

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街道筋の町屋、格子戸のある家並みが昔の面影を偲ばせます。

ここから中心部を離れ北へ。

Takehana013_2
名鉄の線路を越えると「本覚寺」。
県重要文化財の絵天井「雲龍」や、永田佐吉(佐吉仏)の墓があります。

そして最後はここ

Takehana014
美濃竹鼻の氏神で、かっての竹鼻城の鬼門に位置するという「八剱神社」。

5月に催行される「竹鼻まつり」、13輌の山車のうち隔年で半数の山車による
奉芸がある総社だそうです。

新春のまち歩きもやはり街道筋でした。
美濃竹鼻、戦国時代は竹ケ鼻城の城下町だったところ。

今はその面影はありませんが、美濃街道の脇道としての竹鼻街道としても
パンフレットには一行も載っていません。なぜでしょうか・・・?不思議です。

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2007年12月22日 (土)

丹生の里・和歌山別街道

さて続きです、多気町丹生の和歌山別街道。
「本楽寺」から戻りましていよいよ丹生の宿場へと入ります。

Nyu014
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宿場の入り口から民家に掛かるこの木札。
かっての商売や屋号が書かれています。

   Nyu007
そして「旧・長井家屋敷跡」と書かれたところにあった道標です。
「右 いせさんぐう  左 よしのこうや」の文字がはっきりと読めました。

この辺りから道は南に折れてその先細かく曲がります。

Nyu008
こちらは「立梅用水」を完成させた西村彦左衛門の生家(酒造業)です。
隣に記念公園があり銅像が建っていました。

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さすが、丹生村の地士、記念碑には「水と土の先駆者」とあります。
まだ新しくて平成17年に建てられたものだそうです。

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宿場に残る古い家。
庇のついた出格子窓と、木瓜(もっこう)形かな?に鉄格子のこれは虫籠窓
というのでしょうか?それともただの窓?いずれにしても珍しい。
説明では左が旧柏屋(豆腐屋)、右が旧大和屋(味噌・しょう油屋)だそうです。
この辺りはこうした建物が他にも見られました。

旧街道はこの先で一旦大きく右に回りこんで再びこの道に合流します。
そこが宿場の出口です。
丹生の里・和歌山別街道歩きはここまで。

Nyu015
最後は正面に仁王門を見る大師道を戻ります。

三重県多気郡多気町丹生。
丹生水銀の里、そして和歌山と藩領田丸を結ぶ和歌山別街道の道筋。
今なお残る切妻屋根と格子戸の家並みに往時の面影を偲びました。

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丹生大師の里

丹生大師(神宮寺)、境内に建ち並ぶお堂、神社や隣接の「丹生神社」などを
回った後は丹生の里の散策でした。

丹生は古代、水銀の産地として知られていた。その頃日本で使われていた
水銀のほとんどが、丹生で採掘されたものと考えられている” だそうです。
・・・で、いきなりですがその水銀杭跡です。

Nyu002
この手のものは当然山中にあるんですが、意外と綺麗に整備されていました。
左が古い時代のもの、右が昭和30年頃のもので400年ぶりに水銀産出に
成功したと言われる新しい水銀坑跡だそうです。

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その近くにあった水銀製錬装置。
昭和20年頃にできた日本で唯一の手製のものだそうです。

他にも散策路の途中にはこんな水銀坑跡もありました。

Nyu011

ここはもう一つ、立梅用水(たちばいようすい)なるものがあります。
近隣諸村の窮乏にあえぐ農民を救うため、文政6年(1823)に丹生の地士
西村彦左衛門の尽力によって、櫛田川から取水する用水が完成しました。

Nyu012
その苦労は大変だったようで、この素掘りのトンネルもその一つ。
ノミ一本で掘ったと説明にあります。

ここ丹生ではその用水路に沿って散策路が整備され、水を生かしたいろんな
取り組みもされています。

Pict0058
これはホテイアオイの群生するビオトープ、そしてメダカ池もありました。

さて散策路を一回りして丹生大師に戻ります。
もう一つの道、それが和歌山別街道です。

マップでは丹生大師の正面が大師道、一本南側を並行するように行くのが
旧街道となっています。(三重の歴史街道マップでは大師道が旧街道に)。

暫くは何もありませんので途中寄り道です。

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街道から少し外れますがここ「本楽寺」。
境内に見事なオオイチョウがありましたがこれが目的ではありません。

ここに「快楽園」という庭園があります。

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本楽寺第六世住職尼子合明が本堂・庫裏を再建したときに、
本堂裏に回遊式庭園を築造し偕楽園と称したそうです。
池は近くの丹生川から取水していたそうですが、今は取水されずご覧のとうり。
ちょっと綺麗とはいえませんが・・・。
庭を一周して撮った中から一番らしきところを載せています。

さて、街道に戻りますが・・・少々長くなってきました。
久しぶりに二部構成に分けてアップすることにいたします。続きはすぐに。

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2007年12月20日 (木)

四日市市楠町北五味塚

月に一回の四日市ですが、この日は何年ぶりかで楠町北五味塚に行きました。

ここに何があるかって?いわれると困るんですが。
紹介します、まずはここ「楠緑地公園」です。(12月19日撮影)。

Kusu001
多目的施設がある自然公園ですが、ここはほんの小さな町です。
何でこんな立派な施設があるのかと思うほどの公園です。

この町、見所はたくさんあるんですが駐車場がありません。
そのくせ散策コースが設定されています。
何でや!と思うんですがそんな町で、ここがメインの駐車場になります。

ここの日は無視して車で移動しましたが、
その散策コースは歴史コース、古い町並みコースと、「ハマヒルガオ」で知られる
吉崎海岸コースの散策路があります。

その一つ、吉崎海岸コースの途中にある磯津漁港です。

Kusu004

ここから吉崎海岸に出ますが、浜辺はこの時期何もありません。

Kusu002
ご覧のとおりです。

Kusu003

初夏にはここを埋めつくすハマヒルガオが、
そして県鳥のシロチドリが見られる海浜植物と野鳥の宝庫となります。

この日はそのまま戻りまして古い街並コースの一部を散策しました。

Kusu005
楠町五味塚といえば、ここ酒造会社の「宮崎本店」。

鈴鹿川の清流を使った多くの蔵元があったそうですが今はここのみ。
といっても・・・あまり知る人はいないかも知れません。
しかしあの清酒「宮の雪」と「キッコウミヤ」の焼酎といえばお分かりの方も?

国の文化財建造物に登録されている昭和初期の酒蔵と倉庫が建ち並ぶ
ちょっとした・・・というよりこの地の代名詞といえる露地です。

Kusu006
黒壁に亀甲宮の商標が映えます。

ここに限らず楠町は元々醸造の町。
そういう我が身も若い頃はここの焼酎「キッコウミヤ(キンミヤ)」を
愛飲しておりました。
ひと月飲めば死ぬ・・・、冗談です!飲みすぎるほど美味い焼酎なんです。
もちろん個人差ありですが。

Kusu007

よろしいなぁ、この黒塀の貯蔵倉庫、もうこの雰囲気に飲まれ?てしまいます。

Kusu008

さりげなくあります杉玉にも酒造元蔵の雰囲気が充分です。

四日市市楠町。
他にも見所は多くあるんですが、この日はそのメインどころを散策しました。

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2007年12月16日 (日)

人形の里吉浜「人形小路」

三州瓦の三河「高浜」のお隣が「吉浜」、もちろん高浜市です。
吉浜といえば人形の里、吉浜人形で知られるところですが、
ここに新しく整備された散策路「人形小路(こみち)」というのがありました。

Yosijama000

名鉄三河線「吉浜駅」から柳池院、宝満寺、紫峰人形美術館を巡る
約800mの散策コースとあります。
最初にあったのがこれ、「一豊と千代」、何やら期待させられます。

Yosijama001

伝統文化である「吉浜細工人形」を吉浜地区の空店舗などに展示して、
伝統文化の保存・活用と、商店街の賑わいを呼び起こそうというもの。

人形美術館は別にして、駅前から商店街?を行く小路のところどころに
展示されたその「細工人形」を見ていきました。

Yosijama004
これは歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の三段車曳きの場面。
といってもよく分かりませんがもちろん解説ありです。

小路に展示されているのは歌舞伎の名場面や伝説、おとぎ話など
12作品ですが、平日でもあってか閉じられていたところもありました。

Yosijama005
吉浜音頭を踊る娘人形。

こんなのもありました。

1214takahama056 1214takahama058

それらしいものを載せていますが、お店の中でガラス越しというものも・・・。

しかしこの人形、さすが愛知県無形文化財指定です、本当に細かい作業で
作られているのがわかります。

Yosijama006

最後は風林火山でした、「川中島の戦」の名勝負、考えますなぁ。

メインは人形のお寺「宝満寺」と「柳池院」で毎年5月に開催される
花の塔なるもので一般公開されているそうです。

その「宝満寺」です。

Yosijama008
Yosijama007
山門にもびっくりしましたが、この本堂、そして本堂軒下の鐘(鐘楼?)、
いや・・・なんて言えば・・・凄いお寺でした。

びっくりついで・・・というか???もうびっくりもしませんが、

Yosijama002
季節が分からなくなりそうですが、この日は間違いなく冬でした。

三州瓦と人形の里、愛知県高浜市に伝統の文化を訪ねて、
その「鬼みち」と「人形小路」を散策した一日でした。

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2007年12月 7日 (金)

江戸川乱歩の散歩道・鳥羽市

昨日、今日と高校時代の忘年会で鳥羽に居りまして何もネタがないんです。
しかしあまりにも天気が良かったので、鳥羽市のHPから鳥羽ウォーキング
マップなるものをダウンロードして鳥羽を散策しました。

題して「江戸川乱歩の散歩道コース」。

Pict0002
何てことはないんですが、お馴染の観光名所は別にして、
見所のない鳥羽の旧市街、いや市街か、を歩くと思いきや・・・。
最初は「日和山」、といってもご存知ないでしょうねぇ。

かってはエレベーターなんぞがあったような記憶があるんですが、
遠~~い昔の名所でございます。
載せていませんがここには芭蕉の句碑、方位石、無線電話発祥記念碑など
ありまして、ウリは鳥羽湾を一望できる・・・さてどうでしょう。

通り抜けるように賀田神社に下ります。
次はもう一つのビューポイント「樋の山」です。

Pict0031
ここにも鐘がありました。
「扇野の鐘~幸福を呼ぶ鐘~」だそうです。
この扇野は山本周五郎の中編小説で鳥羽を舞台にした「扇野」で知られる
ところでもあります。

もう少し先に金刀比羅宮鳥羽分社があるんですが、
そこからの眺めは鳥羽十景の一つだそうですが、ここからの眺めがまだ
良かったのでこちらを。

Pict0030_2
鳥羽湾の景色を眺めて市街地に戻ります。

江戸川乱歩はどうなったと言われそうですが、戻ってすぐにあります
「鳥羽みなとまち文学館」。

Pict0053
いかにも旧家と思える家屋が、ここの画家・作家でもあります岩田準一の
生家で、その準一と交流のあった江戸川乱歩の書簡をなどが展示されて
いる無料の博物館です。

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各地を転々としている乱歩ですが、彼はまたここ鳥羽に一年半ほど
働いていたそうで、その住まいはこの家の前にあります。

しかしこの博物館?いや資料館か、何ともなく見せてくれますが、
凄い内容で充実していますよ!

もっとも爺はこんなもんばかり撮っていましたが、

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こんな紙芝居なんて、なんとも郷愁をそそられますなぁ。
そして、無造作に張られています広告のブリキ板。

そしてこれです。

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何だか分かります?
店先のガラス戸の上部にあった透し磨りガラスです。
上手く撮れていないのが残念ですが、外から左の一部を撮ってみました。

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この店は雑貨屋だったようで、商品の一部を磨りガラスに透かしで入れて
ありました。こういったものも今は懐かしくなってしまいました。

鳥羽市といえば「御木本真珠島」に「鳥羽水族舘」だけではありません!
ちょっと歩けば、また違った見所がほらそこにありますよ・・・なんて。
そんな鳥羽の町歩きでした。

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2007年8月22日 (水)

飛騨古川まち歩き・続編

古川の白壁土蔵と鯉、三寺めぐりのあとは町並み拝見です。

まず気になったのがこれです。

 Pict0101 Pict0065
JR古川駅前と町なかにあった郵便ポスト。

いい感じですねぇ~、最近あまり見かけませんがここでは現役です。
他にももう一つ見ましたが、まだ他にもあったかも知れません。 

手元の見どころマップには民家の雲を探せとありました?
散策を終わった後で気が付きました、多分これではないかと思いますが?

 Pict0066
一番多く目についた商家の軒先です。
白く塗られた軒支え、古い民家で使われる持送りなんでしょうか?
ほとんどの家で見かけましたが、さて、これが何・・・?
意味は案内人に聞けとありますがよく解りません。

こちらは数年前にNHKの朝ドラで放送された「さくら」の主人公の下宿先、
和ロウソクの「三嶋」です。

 Pict0050Pict0048_2    
軒先の上のヘチマと店内の和ロウソクですが、なるほど?老舗を感じます。

高山もそうですが、ここにも酒の蔵元があります。
その一つ、渡辺酒造店、建物は有形文化財だそうです。

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角に司馬遼太郎の選と書の「杜氏酛摺(もとすり)」の像がありました。

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町民の町は人も賑やかですが、気になった武家の町を歩いてみました。

 Pict0098 Pict0099
特に何もありませんでしたが、これは何なんでしょうねぇ。

「遊び中」、「勉強中」と格子に掛けられた木附だですが2枚の意味は?
これが武家の町でみたものですが特にめぼしいものはありませんでしたが、
やはり商家に比べると人も少なく?寂しいものです。

一回りして来ました飛騨古川の町、最後はこれで締めくくります。

 Pict0091
親子のふれあいです。
私の孫でも何でもありません!念のため。

手にしたマップには”高山の町並と古川の町並みあなたはどちらの
町並みが好きですか”とありました。
あんたは?と聞きたい愚問に、思わず責任者出て来い!と・・・、
いいえ、とても言えませんでした。

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2007年8月15日 (水)

近江・日野町まちなか散歩

近江商人といえば表は五個荘、裏が日野だそうですが。

信長、秀吉の時代を生きた「蒲生氏郷」の生誕地で、江戸時代には日野碗
や、売薬の行商で繁栄を極めた近江日野商人町・日野を散策しました。

  Pict0002
町の中心部にある観光案内所を兼ねた日野まちかど「感応舘」です。

行商の主力商品である合薬「万病感応丸」の創始者、正野法眼正三の
薬店が改装されて観光協会となっています。

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日野のまちなかを大窪、保知町などの町並みを見ながら散策して行き、
裏手にまわると「近江日野商人舘」がありました。

旧山中兵右衛門邸で、商人本宅の特徴がそのまま残された建物です。

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館内には道中具や、売薬の数々、家訓なども展示されていて、
日野商人の歴史を知ることができます。
・・・と、ここまでは日野商人の旧宅の紹介です。

しかしこの町、同じ近江商人の町としては五個荘に比べて知名度が低く、
それが裏たる所以なんだそうですが、歩いてみて確かに観光的には弱い
気はしました。

商品も地味な日野碗と売薬ですが、もう一つここは鉄砲の町でもあります。

  Pict0029
近江の鉄砲といえば国友ですが、ここも鉄砲鍛治氏が300人はいたと
いわれ、鉄砲製造禁止の折にも徳川家康から保護を受けたといわれる
ほどの、鉄砲の歴史があるという町でもありました。

お馴染みの町並み風景は省きますが、越川町、新町、本町には桟敷窓の
ある家が並んでいます。

これもここ日野だけにあるものだそうで、五月の綿向神社大祭・曳山まつり
を見るために板塀につくられた特別な窓だそうです。

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確かにめずらしいですねぇ。
祭りのときはこの窓を開いて曳山を見物する?・・・見事な発想です。

しかし今日も暑かった~。

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少しは涼しいモノをと思ったんですが、これも暑いのに頑張っていました。

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2007年5月17日 (木)

町並み散策・名張続編

「名張藤堂家邸跡」を見学した後、「初瀬街道」に出ました。
しばらくして「宇流富志禰神社」の一の鳥居があります。

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すぐ傍にあった、まちかど博物館の「すみた酒店・はなびし庵」、表に
あった”江戸時代の奥座敷”のキャッチに思わず入ってしまいました。

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これが店先からの奥座敷ですが、9代目店主の快いお迎えに甘えて
一つ一つ解説をしていただきましたが、ここのお宝は凄いもんです。

これはここの三代目「角田半兵衛夫婦の坐像」です。

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約百四十年前の江戸幕末の時代、男尊女卑の時代に高名な
生(いき)人形師の安本亀八に依頼して作ってもらったという珍しい
ものだそうで、彫刻の寄木造だそうです。

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他にもたくさんありましたが、これは江戸時代の大名火消し装束、
季節によって違う生地で出来ていて、胸当ても違います。

これはちょっと遊びごころが入っているようですが、扇子?です。
飾り物だとのことでしたがちょいと開いてもらいました。
 
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開くと四角で、表裏が春と秋の絵になっています。

元は造り酒屋と両替商の商家だったとのことで古銭も多くあり、
珍しい藩符なども陳列されています。
一番の興味はこの絵図でした。

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「都名所図絵」全6巻・安永9年(1780)と「大和名所図絵」全7巻・
寛政9年(1791)です。年代もんですが思わずこれって本物?
聞きませんでしたが、店先の陳列ケースに置かれていました。

実に気さくに説明をしてくださってついつい小一時間、まさにタイム
オーバーとなりましたが、まさに小さな博物館です。

丁重にお礼を言って先を急ぐ街道歩きとなりましたが、街道沿いには
旧家が建ち並び古い宿場町の雰囲気が残ります。

Pict0045_4 Pict0048

ここはもう一つ、江戸川乱歩生誕の地でもあります。
街道沿いの民家の隅に石標が三つ建ちますが、何で・・・?

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下の写真、右が正式?な「生誕地碑」ですが、細いひやわい(路地)
を入った個人病院の庭先にありました。

後半は時間に押されて急ぎ足の散策になってしまいましたが、
短い時間でまた一味違った充実の名張散策でした。

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2007年5月16日 (水)

町並み散策・名張

近くて歴史があって・・・、そして町なかを通る「初瀬街道」、
その町筋を見たくて久しぶりに町並み散策をと名張に出かけました。

その前に名張といえばまずはここ、「名張藤堂家邸跡」です。


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説明はパンフの「ちょいぶら名張」から手を入れて引用します。

”織田信長の重臣、丹羽長秀の三男で藤堂高虎の養子となった高吉
(たかよし)に始まり、寛永13年(1636)以来11代名張に屋敷を構え
た藤堂家邸跡。建物内では、調度品をはじめ武具、典籍、文書などを
展示し、近世上級武家の生活の一端に触れられるよう公開しています”

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展示されているのは「豊臣秀吉朱印状」「鉄唐冠形兜・一の谷形兜」
「朱具足」「備前無銘刀」「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」などですが、
写真はその一つ「朱具足」です。

こちらは「羽柴秀吉・丹羽長秀の書筒」。
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そして部屋、左が「中奥、六畳間」、右が囲(茶室)「清閑楼」です。
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貴重な資料もここは全て撮影可でした。

そして庭は枯山水です。
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現存する屋敷は当主の日常生活場である中奥部分だそうで、
これは特質されるものだそうです。なんで・・・?
中奥は表の部分ではなく、残されることがすくない場所だそうです。

旧邸図を見ると全屋敷のほんの一部であることがよく分かります。

旧邸の正門(太鼓門)は寿栄神社とともに移築されて、隣接する
裏側にありました。

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「寿栄神社」の鳥居の先、参道の奥にある太鼓門ですが、
この門構えだけを見ても、その規模の大きさがよく分かります。

「名張藤堂家邸跡」、確かに貴重なものでありました。

ただ、私には高虎の跡を継ぐべく養子となった初代当主・高吉が、
高虎に実子ができたがために家臣の格を甘受することになる・・・。
要するに殿様から家臣(分家)に格下げでしょうか、それに従う?
まさに戦国の世の政略的養子縁組の典型ではありませんか。
栞に書かれていたこの一代記には非常に興味をひかれました。

この後、楽しみの「初瀬街道」を中心に町の見所を訪ねましたが、
まちかど博物館「はなびし庵」では江戸時代にタイムスリップ、
店の奥座敷にある貴重なお宝を解説付きで見せてもらいました。
この続きは明日に・・・。  

 

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2007年3月 6日 (火)

伊勢河崎・商人のまち

久居に用があって出かけたついでに伊勢までひと足延ばす。
買出し(古いね~)のついでに河崎の町をぶらついてみる。

商人舘の駐車場に車を入れたら、工事現場の警備のおじさんが
”今日は商人舘は休みだよ”。 んん・・・・・。
そうかここは火曜日が休みなんだ(前にもあったな~)。

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創業元禄の和具屋(セトモノの店)や万延元年の播田屋(糸印煎餅)、
他にも元禄年間創業の山下五郎兵衛商店(鰹節・魚介卸)などの
風格ある老舗の店が点在します。

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「指差標 すぐさんぐう道 右 宮川道」の道標が町角に建ち、
道筋に建ち並ぶ建物も何ともいえない風情があっていい感じです。
道標の一本で全体の景観がガラッと変わってみえるから何とも
不思議なもんです。

少しだけ河崎について説明を要約しますと。
”かって「伊勢の台所」として栄えた問屋街で、江戸時代から
昭和初期まで、勢田川の水運を利用して米や魚の卸売り権を
得た商人たちが行き交った” とあります。
また、”川に沿って石段の残る昔ながらの商家や蔵が今も残る
・・・”とも。 今は味処と資料館になっています。

やはりわずかに残るその蔵を。

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川縁に建つ数少ない蔵の一つ、川側が工事中のためでカット。
工事中でなければ対岸から撮ってみたかった!

今は一ヶ所、ここしかそれらしいところはありません。

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かっての酒海屋商店の蔵(奥野家土蔵)で、
昔はこの川口から蔵に直接船が入っていたそうですが、
川の改修で道が出来てしまい今はその姿を望めません。

しかし、見ようでは黒塀に白のブロックが上手くマッチして、
かえって美しい景観を創りだしているとは思いません?

伊勢にいた頃は何とも思わなかったところですが、
今は結構な観光スポットで、宇治山田駅から河崎~
二軒茶屋~河崎を周回して伊勢市駅まで5キロ弱の
ウオーキングコースも設定されています。

今日は少しの時間、伊勢の小さな町歩きを楽しみました。



 

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