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2022年8月 6日 (土)

木彫りのまち 井波

富山県の南西部に位置する南砺市は、合掌造りの五箇山や、
田園に広がる散居村など豊かな自然と日本の原風景が今に残るところ。
そんな砺波平野の南端にある”井波”は古いまちなみが残り、
歴史と文化が息づく日本一の木彫りのまちといわれています。
まちの中心部にある井波別院「瑞泉寺」の門前町として栄え、
250年余の伝統を誇る井波彫刻の粋を集めた木彫り細工が
随所にみられるというその「瑞泉寺」もまた魅力のまち。

初訪問でしたが・・・走る高速道路は途中から激しい雨になり、
着いたまちなかも土砂降りの雨でした ><;

Inami01
しばらく雨が止むのを待ち、小降りになったところでまちなか散策、
まちのメイン通りになる”八日町通り”に出ます。

Inami02
「瑞泉寺」に向かって真っすぐに続く奇麗な石畳の通り!
建ち並ぶお店のどこかにいろんな”木彫りにゃんこ”がくつろぐという ^^
そしてまち筋には多くの彫刻工房が軒を連ねます。

Inami03
店先にも見られる木彫り

Inami04
工房では見学も可能ですが、とにかく雨がやみません、
気持ちが先を急がせます ^^;

Inami05
通りの突き当りが瑞泉寺の”高岡門”、
ここで再び激しい雨になり立ち往生 ><; 山門前のお店でしばし雨宿りも、
さらに激しくなるばかりで思い切って拝観に出ます。

Inami06
その山門(大門)・・・大きいです ^^;
江戸後期天明5年(1785)起工、文化6年(1809)上棟式、完成。
総欅・重層入母屋造りで楼上には木造釈迦三尊を安置。

Inami07
右にあるのは寛政4年(1792)建立 の式台門(勅使門)で、
平成17年(2005)に200年前の状態に復元されている。

Inami08
山門に戻って境内拝観です。

Inami09
山門正面の彫り物は”雲水一疋龍”

Inami10
門を受付前から降りしきる雨のなかの本堂遠望。
明徳元年(1390)本願寺第五代綽如(しゃくにょ)上人の開創。
明治18年(1885)に再建、本尊は阿弥陀如来。
単層入母屋造りで北陸随一の大伽藍だそうですが、内部は撮影禁止 ^^;

Inami11
本堂内見学の後は渡り廊下で「太子堂」へ。

大正7年(1918)に井波建築、彫刻、塗師の技を集めて再建された、
という建物ですが・・・その彫刻

Inami12
正面向拝上手狭(たばさみ)の彫刻
向拝屋根を支えるように左右に突き出た部分

Inami13
こちらは側面上方蟇股(かえるまた)の彫刻
多分に装飾性の強い彫刻が施されているそうですが・・・? ^^;

Inami14
Inami15
欄間と虹梁部(でいいのかな?)に施された彫刻。
堂内には太子才の尊像が安置されていて、
7月末に行われる聖徳太子絵伝の絵解き説法でも有名だそうです。

Inami16
激しい雨はやむこともなく屋内から眺める「鐘楼堂」、
こちらも北陸随一の大きさを誇るという・・・。

南砺市井波のまち、豪雨でまちなか散策は止めましたが、
周辺には絹織物で栄えた城端(じょうはな)、市場町福野、椿の里井口など
魅力的なまちがあり、あらためて訪れたいところです。  📷 4日

2022年7月14日 (木)

若狭鯖街道 熊川宿

戻り梅雨のような天気が続くなかの貴重な晴れ間でした。
以前に若狭路城址巡りで訪れた美浜町の「国吉城」に刺激され、
この日は隣町の若狭町にある「熊川城」へと出かけましたが、
走る途中から雨模様となり、現地は本降りの雨になりました ><;
城跡があるのは若狭鯖街道の「熊川宿」沿いの山手ですが、
ここまで来て戻るのも・・・と、雨の中を宿場町散策です。

ここ熊川宿は若狭と京都との交易の拠点として発展した宿場町
その京都側(東口)からスタート

Kumagawas01
まずは「熊川番所」
平成14年に歴史的考証を行いながら復原され、一般公開された文化展示施設で、
全国唯一という伝建地区内に元位置のまま現存する番所建物

Kumagawas02
宿場は三つの町に分かれていますが
こちらは京へと向かう京口になる上ノ町(かみんちょ)の町並み

Kumagawas03
三つの町並みでは一番距離のあるところですが
主に平入(ひらいり)の建物が建ち並びます

Kumagawas04
上ノ町と中ノ町(なかんちょ)を結ぶ「中条橋」
ここからが中ノ町で宿場の中心部になるようです

Kumagawas05
すぐにあるのが熊川村の初代村長「旧逸見勘兵衛家住宅」で
伊藤忠商事二代目社長伊藤竹之助の生家


Kumagawas06
そして若狭鯖街道熊川宿資料館「宿場館」
近代洋風建築による旧熊川村役場

Kumagawas07
この通りは街道に面して平入(ひらいり)や妻入(つまいり)の建物に土蔵など
旧宿場町の面影を色濃く残すところでしょうか

Kumagawas08
妻入り建物 二階部

Kumagawas09
白石神社
熊川城下郭跡に祀られた熊川区の氏神さんで
小浜藩主酒井忠勝も合祀されているという


Kumagawas10
建物の間にある細い道は「御蔵道」と呼ばれ
古くは北川を往来した舟運の米が蔵屋敷までこの道を通ったそうですが
他にも足軽長屋への道という「長屋道」もあります

Kumagawas11
宿場の道と国道と交差するところが宿の枡形(ますがた)
熊川では”まがり”とも呼ぶようですがここからが下ノ町(しもんちょ)

Kumagawas12
流れる前川は右手に代わりましたが
下ノ町では多くの旅人が体を休めたという

Kumagawas13
そして宿場の小浜口(西口)に出ました

本降りとなった雨の中を戻りましたが、この日の目的でした「熊川城跡」は、
通ってきた資料館「宿場館」の裏手にあります

Kumagawas14
その「熊川城跡」
残念ながら土砂降りの雨のなかでこの日は登城を断念 ><;
ここは改めて天気の良い日に再訪することに。

雨中の若狭鯖街道「熊川宿」で
また違った宿場町の雰囲気を楽しみました ^^; 📷 13日

2021年12月18日 (土)

駅前イルミネーション

”ぶらり旅”もまゝならぬまゝ、すでに今年も残り2週間となりました。
このままでは初めて記事の無い月になるか?・・・><;と思っていたら、
久しぶりに電車で出かけた帰りに立ち寄った駅前イルミネーションです。
年の瀬のイベントといえばやはりイルミネーション ^^
例年なら近場の「木曽三川公園」や「なばなの里」の大規模なイルミですが、
この日は地元の「桑名駅」前 ^^;

Kuwanasi01
「桑名駅」も新しくなって、現在は東西の駅前広場が整備中ですが

Kuwanasi02
その東口広場に点灯されているイルミネーションは、
樹氷の世界が表現されたエリアから

Kuwanasi03
花の温かみを表現したエリアへ ^^

Kuwanasi04
桑名駅が観光の顔としてふさわしく、
さらなる活性化を図ることを目的に点灯されているという・・・

Kuwanasi05
駅前を華やかに彩るイルミネーション!!

Kuwanasi06
来年2月28日まで楽しめるという ^^

三重県内の各鉄道沿線の駅前イルミネーションも賑やかなようですが、
ここ桑名駅前では長期間の点灯です ^^    📷 15日

2019年8月20日 (火)

ぶらり鳥羽・江戸川乱歩館

この日は毎年この時期に行われる高校の同窓会で鳥羽市でした。
開始時間は午後からのため、ゆっくりと出かければいいんですが、
そこはジッとしていられない身 ><;
早くから出かけたものの、この日も猛暑日で町はうだるような暑さです。
海上遊覧でもと思いながら、思いとは逆に町なかめぐりでした ^^;

観光スポットが多い海側とは反対の鳥羽駅西口へ。

Tobac01
金刀比羅宮鳥羽分社の鳥居が建つ道を南へと行きます。

Tobac02
すぐに「伊良子清白の家」がありますが、ここは見学自由。

Tobac03
その角にある「鳥羽街道の観光常夜灯」を見て右に岩崎通りへと入りますが、
ここはまだ旧鳥羽道(鳥羽街道)ではありません ^^;

Tobac04
しばらく進むと本町通りに合流、左手に曲がる錦町通りから本町通りと、
この道筋が旧鳥羽道で鳥羽の中心部になります。

Tobac05
その鳥羽道を西に少し歩くとある「常安寺」。
このお寺は九鬼水軍を率いた「九鬼嘉隆」の菩提寺で、
その子守隆が父の供養のために開いたという。

ここで一本南の大里通りにUターンしますが、
少し南に下るとあるのが「鳥羽みなとまち文学館 ~江戸川乱歩館~」です。

Tobac06
以前は本町通りに面していましたが、少し改修もされ再公開されたようです。
受付のある建物が「鳥羽みなとまち文学館」ですが

Tobac07 
ここは江戸川乱歩が鳥羽に滞在していたころに友人であった、
画家で風俗研究家の岩田準一の家を中心に 、
鳥羽にゆかりの文人に関する資料が展示されています。

文学館の建物を出て奥にいくと土蔵がありますが
関する資料を展示 画家で風俗研究家であった岩田準一の家を中
Tobac08 
ここは「幻影城」で、入口から何やら異様な雰囲気が ^^;

Tobac09
中に入ると・・・そこには怪人二十面相や、
小説の中で現れるいろんなコスチュームが展示されていて

Tobac10
まさに江戸川乱歩の妖しい世界が再現されています。
ここは面白い ^^

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幻影城から岩田準一の書斎がある建物を見てさらに奥へ行くと「乱歩館」。

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昭和30年代の町並みが再現されたみなとまち文学小路と、
「乱歩館 」~鳥羽文学ギャラリー~。

Tobac13
鳥羽で青年時代の一時期を過ごした江戸川乱歩は、
妻の隆(りゅう・坂手島出身)との結婚など、
短い期間とはいえ、鳥羽とは深いかかわりがあります。

Tobac14
岩田準一による乱歩作品の挿絵コーナー

ここでは乱歩の業績や愛用品が展示され、
作品の一部からそのワンシーンも模型などで再現されています。

Tobac15
また、三島由紀夫の「潮騒」や、石坂洋次郎の「若い人」など、
鳥羽を題材にした作品も紹介されています。

Tobac16
こちらは土蔵の乱歩夫妻
池袋の乱歩邸にある土蔵で本を片手に談笑する乱歩夫妻の模型ですが、
ちょっと上部にある仕掛け(見えてませんが)も面白い ^^

鳥羽のまちめぐり。
鳥羽みなとまち文学館「江戸川乱歩館」が中心になってしまいましたが、
ここは隠れスポットとしても人気のようです。
開館は基本土日・祝日のみ、平日は予約のため要確認を ^^ 📷 18日

2019年5月27日 (月)

飛騨金山 筋骨めぐり

岐阜県下呂市金山町。いちど”横谷峡四つの滝”に訪れたことがあるものの、
町なか歩きにはあまり縁がなかったところですが、
以前にこの町の”筋骨(きんこつ)めぐり”というツアーがあるのを知り、
いつか歩こうと思っていました。
この日はまた猛暑との予報でしたが、久しぶりのまち歩きです ^^;

スタートは国道41号線沿いにあるドライブイン飛山(ひざん)から。

Kkinkotsu01 
いきなり入口は道ならぬ道に迷いながら 、
下調べはしていて散策マップを見ながらも、まさか?の出だし ><;

Kkinkotsu02 
「筋骨」とはこの地方で言われる路地裏通りのことだそうですが、
まぁ、確かに人一人がとおれるほどの狭い道。

何度も迷いながら飛騨街道に飛び出します。

Kkinkotsu03 
街道沿いの枝道に入ると旧い銭湯があるというので、
ちょっと戻り立ち寄ります。

Kkinkotsu04 
番台

Kkinkotsu05
脱衣箱
湯船は白と水色のタイル張り、お馴染みの浴槽でしたが ^^
昭和レトロの銭湯を見て飛騨街道に戻ります。

Kkinkotsu06
筋骨めぐりは街道から離れ、左に見える川沿いの細い道へ

Kkinkotsu07
ここもまた何も案内はなく迷う入口でしたが、
どうやら筋骨めぐりのメインはこの先にありました。

Kkinkotsu08 
昔から生活に密着した共同通路で

Kkinkotsu09 
そこに住む 人々の大切な生活空間として活用されているという・・・

Kkinkotsu10 
それが路地裏の生活道路。
水場に清水の湧くところも数カ所ありますが

Kkinkotsu11 
こんなところを歩いていていいのか?と思うような、
裏筋の道にはさすがにびっくりしながら

Kkinkotsu12 
軒下を抜けてふたたび飛騨街道へと出ました。
この辺りは街道筋の旅籠も残り、少しだけ宿場の面影が楽しめます。

Kkinkotsu13
飛騨街道は商店街通りを渡って直進して行きますが

Kkinkotsu14
筋骨めぐりは渡ってすぐの路地に入ります。
こんな路地を見つけるのにほんとに迷いました ><;

Kkinkotsu15 
そのためか?筋骨めぐりはガイドをしてくれる方たちがいます。(有料)
確かに、詳しい説もいも聞きながら歩くには賢明かもしれません ^^;

Kkinkotsu16 
ただ、我が町歩きは十二歩くこと ^^;
迷いながらも何とか三分の二ほど歩いたところで川縁に出ました。
ここは馬瀬川(手前)と飛騨川が合流する金山橋の桜並木、
このあとも細い路地を何本か通り抜けてスタート地点に戻ります。

町の中心部を飛騨街道が通り、昭和の雰囲気を色濃く残す飛騨金山。
このあとは街道筋と金山の見どころです ^^   📷 25日

2018年8月14日 (火)

ぶらり鯖街道・朽木宿

京都市久多から国道367号に戻ると滋賀県高島市ですが、
そのまま北上していくと朽木(くつき)に出ます。
この道はかっての鯖街道(若狭街道)のひとつで、
朽木には現在の市場を中心に栄えた「朽木宿」があります。

8年ぶりの訪問でしたが ^^;
あらためてその朽木の宿場を散策しました。

Kutsuki01

道の駅「くつき新本陣」に車を停めて北へ少し歩くと、
宿の南口にあるモニュメント。
宿場はここから北へと約1.5kmほど続きます。

Kutsuki02

柳並木と水路の引かれた町なかには、鍵曲(かいまがり)と呼ばれ、
意図的に造られた折れ曲がる道筋が何箇所もあります。

Kutsuki03

昭和8年に建築されたという「丸八百貨店」、
今は喫茶店兼休憩所になっていて、旅人を迎えてくれます。

Kutsuki04

最初の鍵の手を曲がると北へと真っ直ぐに延びる街道。
この辺りはベンガラや連子格子の家を見ることができますが

Kutsuki05

こちらは旧商家「熊瀬家」住宅。
かって行商人たちで賑った朽木宿を代表する商家のようです。

Kutsuki06

まだ比較的新しい「鯖街道」道標

Kutsuki07

旧商家と思われる家が建ち並ぶこの辺りは
かっての朽木宿の中心部になるのでしょうか?
ここでも道が鍵の手に曲がります。

Kutsuki08

曲がるたびに北へと延びる宿場内の道。

Kutsuki09

茅葺屋根の家や

Kutsuki10

昭和13年に建てられたという
旧郵便局舎(伝ボヴォーリズ設計)もあります。

Kutsuki11

この先道はさらに左、右と曲がり、見える現在の朽木郵便局を左へ、
さらにその先で右にと・・・まぁ、よく曲がります ^^;

Kutsuki12

そして最後の街道筋に入ります。

Kutsuki13

すぐにある「織田信長の休憩地」(旧圓満堂遺跡)。
織田信長が越前の朝倉攻めのために敦賀に侵攻したとき、
浅井長政の離反にあい、朽木谷を通って京都に逃れますが、
当時の藩主・朽木元綱は信長をこの地でもてなしたという。

Kutsuki14

朽木宿の北口にあるモニュメント。
この先鯖街道はされに北上して行き、今津町保坂から水坂峠を越え、
熊川宿から若狭小浜へと続きます。

Kutsuki15

宿場から国道367号に出ると安曇川の支流北川が流れます。

すぐ西側の京都「久多」を通る鯖街道(針畑峠越え)や、
琵琶湖西岸を行く西近江路、さらには周山街道など、
いくつかある鯖街道のなかでも特に知られているのがこの若狭街道。
久しぶりに訪ねた鯖街道「朽木宿」でした。      3日

2017年8月26日 (土)

尾張大野古今散策

今年は天気が不安定で、出かけることも少なく、
雨の合間を見ては思い出したように出かけることが続いています。
ここも久しぶりでしたが・・・以前に訪れてからもう9年になりますか ^^;
愛知県常滑市大野町。
江戸期には商工業の町として発展、海上交通の要所でもあったところ。

Oono01

いきなり海からですが・・・大野海岸?

Oono02

こちらは海岸の北にある「大野海水浴場」。
小さな海水浴場ですが、
鎌倉時代、鴨長明が訪れて潮湯治をしたことから、
世界最古の海水浴場といわれています。

海岸からいったん町なかへ出て、また港へ

Oono03

大野は”大野湊(おおのみなと)”と呼ばれて栄えた港町。
この辺りでは旧い商家や民家も多く、
伝統的な家並みを見ることができます。

海岸筋から町なかへと戻る道は幾筋もありますが

Oono04

古い民家が残るこの町筋は旧大野の中心部。

Oono05

細い路地道に建ち並ぶ旧家を見ながら散策して行きますが、
このすぐ横にあるのが「齊年寺」。

Oono06

大野城主4代佐治家の菩提寺で4代位牌所、
享禄年間(1518~31)に宮山にある大野城の城内に建立。

Oono07

天正15年(1587)には大野城とともに亡びたものの
翌、天正16年、現在地に再建されます。

とにかくここ大野は神社仏閣のムチャ多いところ ^^;
見どころを楽しみながら向かったのは大野城。

Oono08

町なかから散策コースで約1kmほどの、
小高い丘陵(青海山)にある大野城です。

Oono09

北駐車場から石段を数百メートルほど登りますが、
その先にある城門。

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くぐると左手に城址碑があり

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城門の横には主郭部二層の模擬天守(展望台)と、
背後には城主であった佐治氏を祀る「佐治神社」があります。
左手の鳥居はなぜか?
「桃山御陵遥拝所」(京都伏見の明治天皇御陵)が・・・。

Oono12

天正11年(1583)、大野城主佐治一成に嫁いだ”お江(おごう)”は、
短い期間ですがこの地で暮らしています。

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天守展望台からの眺め。(一応パノラマです ^^;)
今は城山公園として整備されている「大野城址」でした。

毎年10月には大野の町をめぐるイベント、
「大野古今散策」が開催されているようですが、
今年は21日(土)・22日(日)のようです。    24日

2017年8月14日 (月)

旧東海道大津追分から山科

JRに乗って滋賀県を巡るモバイルスタンプラリー!
「ビワイチAppスタンプラリー」。
最後のスタンプめぐりは彦根の銘菓”埋れ木”の「いと重菓本舗」から
彦根駅へ出て、あとは琵琶湖線で山科へ。
そこから京阪京津線の追分駅まで行き山科まで旧東海道を戻ります。

追分駅から旧道に出ると、すぐに大津の「追分」があります。

Tokaido01

ここは奈良街道、小関越えと、何度も歩いた旧道ですが、
もちろん、短い旧東海道沿いに思い出の多いところ ^^;
左にてれば伏見街道(奈良街道)から大阪への”東海道57次”道、
東海道は右に行きます。

Tokaido02

追分からすぐの「閑栖寺」
その門脇にある東海道道標に”車石”と車道の説明駒札。
この説明は後ほどに ^^;

そして、スイーツ巡り最後のスタンプゲット場所 ^^;
京銘菓で知られる「井筒八橋本舗」の追分店。

Tokaido04

玄関には名水”走り井”(飲めません ^^;)と、
大津絵発祥の地碑が建っていますが、江戸時代にこの水で作った
名物”走り井餅を食べ、のどを潤したという・・・。
最後のスタンプは「走り井餅本舗の」近江銘菓”湖舟”でした。

あとは気楽な街道歩き ^^;

Tokaido05

すぐに国道1号線を高架で越えますが、
旧道は高架橋を越えて右に見える道に下りると、
その先で右折して旧三条通へと入ります。

Tokaido06

すぐにあるこの車石の案内板。
車石の説明がありますが、これは当家の方が作られたもので、
京都と大津間3里(約12km)は、物資を運ぶ牛車を楽にするために、
花崗岩の石が敷き詰められていて、石は牛舎の頻繁な通行により、
その表面が削られて轍の痕ができたもの・・・と。

この車石は近江側と京都側の街道筋にいくつも置かれています。

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道の分岐は「小関越え」。
あの芭蕉も越えた道として知られています。

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旧街道の趣が残る道を楽しみながら

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この道では最大の見どころといえる「徳林庵 六角堂」、
江戸時代の作で地蔵菩薩像を安置。

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山科地蔵ともいわれ、小野篁(おののたかむら)により、
852年に造られた京六体地蔵尊の一体。

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徳林庵は、仁明天皇第四之宮人康(しのみやさねやす)親王の末葉。
南禅寺第260世雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が
1550年に開創したという。

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徳林庵 蝉丸・人康親王供養塔
南北朝時代の珍しい宝篋印塔です。

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山科駅前から約100mほど手前にある道標。
ここが京都三条大橋から一里半、大津札の辻まで一里半とあり、
ちょうど中間地点になります。

Tokaido15

すぐに山科駅前。
この先にもスイフヨウの寺「大乗寺」や、見どころも多く、
秋には何度か京都三条大橋までの花めぐりで歩いた道です。

久しぶりに歩いた短い旧東海道でしたが、
今年もまたスイフヨウの季節がやってきます ^^;   12日

2017年7月25日 (火)

藤樹ゆかりの里 あどがわ

滋賀県高島市安曇川町(あどがわちょう)。
琵琶湖の北西部にあり、江戸時代初期の儒学者で、
わが国における陽明学の開祖、中江藤樹(とうじゅ)の生誕地。
没後に”近江聖人”とたたえられた人物だそうですが・・・
すみません 、まったく知りませんでした。 ><;

ならばと、ゆかりの地をめぐってあどがわ散策です。

Adogawa01

まずは道の駅「藤樹の里あどがわ」にある、
”藤樹先生孝養像”を見てから道順で行きます。

Adogawa02

道の駅から東へ数分にある中江藤樹記念館。
ここをベースに散策しましたが、
もちろん主要施設には駐車場があります ^^;

Adogawa03

最初はすぐ北側に隣接する陽明園

中国明代の儒学者王陽明の生地である中国浙江省余姚市と、
日本陽明学の祖・中江藤樹の生地である、
滋賀県安曇川との友好交流を記念して造られた中国式庭園。

Adogawa04

門を入ると太湖石と呼ばれる奇岩が配置され
八角平面のあづまや陽明亭に中国らしさを感じますが、

Adogawa05

池の傍を回り込んみます。

Adogawa06

西には王陽明石像、
中国余姚産の花崗岩を使用して建てられたという。

Adogawa07

流れる水が池となり、
配置された奇岩の数々がまた珍しい友好記念庭園でした。

ここから記念館裏の散策路を戻って

Adogawa08

藤樹神社正面鳥居前に出ました。
中江藤樹を敬慕する人々により、
大正11年(1922)に
建立されたという藤樹を祀る神社です。

この神社も見どころがありますがそれnはまたの機会にして、

南に10分ほどの上小川の集落へと歩きます。

Adogawa09

集落の入口にある天台真盛宗 玉林寺、
ここに中江藤樹の墓があります。

Adogawa10

入口近く、国内では珍しいという儒式にのっとった墓塚だそうで、
左の墓石が藤樹の墓。

そのまま集落に入っていきますが、

Adogawa11

小川が流れる風情ある町並みの残る上小川の集落

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すぐに中江藤樹の住居と私塾跡で、
国の史跡に指定されている「藤樹書院」があります。

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正保5年(1648)に建てられましたが、
明治時代に焼失、ほどなく再建された建物。

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37歳で陽明学に出会い、
致良知に徹すれば心事一元になることを悟ったとも。
多くの門人や村人の教育に励んだという場所・・・。

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透彫の額には藤樹の教え「致良知」の文字

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外に周れば、住居跡と藤棚
この藤の花をたいへん愛したことから誰言うとなく、
藤樹先生と呼ばれるようになったとも。

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隣接するのは案内所兼休憩所の施設良知館です。

Adogawa18

水路の町並みが綺麗な上小川集落

詳しい説明は省きましたが ^^;
近江の聖人中江藤樹ゆかりの施設をめぐった
ぶらり、安曇川町でした。     22日

2016年10月14日 (金)

北国街道上田・柳町

信州上田の旅、その見どころをめぐったつもりの旅でしたが、
気が付けばほとんどが神社仏閣めぐりになっていました。
上田城跡に真田氏本城跡も「真田神社」に真田氏ゆかりの
神社仏閣が多く・・・まぁ、止む無しともいえますか ><;

そんななかでここだけは別でした^^;市街地を通る「北国街道」、
その道筋に残る”柳町”の景観です。

Hokkoku01

「上田城跡(公園)」をひとめぐりして北虎口に出ます。
観光駐車場をから二の丸通りを北に歩き北国街道には入ります。

Hokkoku02

東に向かって歩きますが後ろが善光寺側「坂木宿」
ここから東にある「海野宿」へと向かうことになります。

道筋は職人町の紺屋町を抜けていきます。

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蛭沢川に架かる緑橋を渡るとそこからが柳町。

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Hokkoku05

白壁の土蔵と格子の建物が見事な雰囲気で、
これが往時の町筋か?とも思うほど。

Hokkoku06

お味噌の醸造元の建物ですが、
この界隈にまずビックリさせられて・・・

Hokkoku07

先の交差路を曲がると
その先に北にまっすぐ延びる町筋になります。

柳町、その名の由来か?また印象的な柳の木。

Hokkoku08

Hokkoku09

道の角にある「保命水」
明治14年に海禅寺境内の湧き水を引いて以来、
町の人々や北国街道を往来する人々に利用されていたという。
水道が引かれた現在も一部がこうして保存されています。

Hokkoku10

隣りにあるお蕎麦屋さん ^^;

Hokkoku11

建ち並ぶ建物も商家の町らしく、袖うだつがあがり、

Hokkoku12

見慣れた宿場町とはまた違った、
江戸時代のものとは思えない綺麗な町筋です。

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酒屋の蔵元
表の看板に、思わずお邪魔しました。

Hokkoku14

店内に飾られていたお雛さんです ^^;
享保雛に古今雛、五人囃子も素晴らしい飾りでした。

Hokkoku15

柳町の南口
ポケットパークの傍にある柳町の案内板です。

北国街道はここで東に折れ、すぐに南の原町へと入りますが、
かっての上田宿にはその面影はありません。   10日

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