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2012年2月 1日 (水)

ぶらっと伏見

5年ぶりの伏見散策・・・と言いたいんですが、
今回は歩き旅のあとで
ほんにぶらっと ^^個人的な好みの町歩きです。

まずは御香宮神社境内から

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表門の傍にあります「天満宮」

もちろん学問の神様・菅原道真を祀りますが、
我が目的はこちらの芭蕉句碑です。

Fushimi02

個人的な趣味で恐縮ですがこれは外せません ^^;

 梅か香に のつと日の出る 山路哉 翁
 應々と いへと敲くや 雪の門 去来 

陰(裏)には
明治二十六巳とし十一月蕉翁のふた百とせの
御遠忌を營み・・・とあり、
明治26年(1893)11月に建てられたものです。

ここにはいろんな碑がありますが、
もうひとつはこれ。

Fushimi03

碑には当時の総理、佐藤栄作の書で
「明治維新 伏見の戦跡」と刻まれています。

御香宮神社は明治維新の伏見の戦いで、
薩摩軍が陣を置いたところ。

すぐ南にある幕府軍の伏見奉行とは
わずか数百メートルしか離れていません。

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その伏見奉行所跡は
広大な桃陵団地の入り口に碑だけがあります。

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その右手にある三面の石垣は
江戸時代の奉行所の石垣と、
明治時代に陸軍が奉行所の敷地を拡げて
西に建設したものとか。

旧街道に戻ります。

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道が突き当たる「四ツ当り」
その右角にある「伏見御堂」の前には
「会津藩駐屯地跡」の碑があります。

ここから町の中心部へ入りますが、
伏見はまた酒造で知られるところで多くの酒蔵が建ち並び、
多くの伏水(伏見の名の謂れとも)があります。

これもそのひとつ。

     Fushimi07

油掛町に曲がる角にある伏水は
清酒 神聖の仕込み水”白菊水”です。

南下すれば大倉記念館(月桂冠)、長建寺から
宇治川派流をへて寺田屋、そして京橋ですが、
歩いた油掛町を西へと行きます。

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竹田街道に出る手前にある「西岸寺(油掛地蔵)」
由緒は省きますがここも我が趣味で ^^;

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境内にある芭蕉句碑です ><;

貞享二年(1685)
三世住職・任口上人を訪ねたときの句で、
” 我衣に ふしみの桃の しつくせよ ”(野ざらし紀行)。

ぶらっと伏見
最後はやはりここでしょうか ^^
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「寺田屋」
坂本龍馬が投宿した船宿ですが、
龍馬襲撃で知られ、
今は伏見の観光には欠かせないところでしょう ^^

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三十石船や多くの舟がが行き交ったという
そんな昔の船着き場が前にあります。

帰りは龍馬通りを抜けて

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伏見の台所ともいわれる納屋町商店街、
さらに風呂屋町商店街と楽しみながら
北へ北へと歩いて丹波橋へ出ました。

数ある観光スポットは回りませんでしたが ^^;
今回は我が趣味で楽しんだ伏見でした。

2012年1月21日 (土)

生野コリアタウン

近鉄フリーハイキングの大阪版、
「コリアタウンから四天王寺”どやどや”へ」に参加したとき
初めて知った「生野コリアタウン」。

大阪市生野区の桃谷にあります
「御幸通商店街」周辺の通称だそうです。

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以前は「朝鮮市場」と呼ばれていた商店街が
平成5年(1993)から
「コリアタウン」と呼ばれるようになりました。

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東西600mに130以上の店舗が並び
連日買い物客で賑わいをみせるという。

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韓国のものならなんでも揃うという商店街。

     Ikuno05

”オイソ、ボイソ、サイソ”の横断幕が架かる「百済門」。
来てえな、買うてえな、見てえな、ということですが、
ここまでが御幸通東商店街。

ここから御幸中央商店街になります。

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もともと古来より朝鮮半島からの渡来人が
多数暮らしていたところ。
韓国・朝鮮の食材や日用品が豊富に揃う
生活に密着した市場だったそうです。

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商店街は御幸商店街へと続きます。

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最近では韓流スターグッズショップも多くあり

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在日韓国・朝鮮人をはじめ
地元の人々の生活スペースでありながら、
多くの観光客が訪れるそうです。

商店街の西にある「御幸森(みゆきもり)天神宮」

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祭神は仁徳天皇、少彦名命、忍坂彦命。

古くから水鳥の集まる景勝地であったとも伝えられ、
仁徳天皇が何度も行幸されたことから
御幸の森と呼ばれるようになったといわれます。

大阪阿倍野の下町情緒と、
「生野コリアタウン」を楽しんだ新春初歩きでした。

2011年12月22日 (木)

ぶらり犬山城下町

犬山城から南へと続く本町通り、
久しぶりに犬山の町なか散策でした。

「文化資料館」は現在休館中、
向い側にある「からくり展示館」もパスして
丸の内交差点から・・・
江戸時代の風情も残る本町通り界隈です。

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丸の内交差点角にある”犬山しみんてい”、
初めて目にする施設でしたが・・・

Inuyama02

犬山城下町のまちづくり拠点地施設のひとつだそうで、
地域住民との交流を図る場として整備されたようです。

この辺りは休日になると
ひときわ観光客で賑わうところ。

Inuyama03

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町家を生かした建物には
地元FMラジオの”まちの放送室”も。
もちろん公開生放送中でした。

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角にからくり人形がある人気の五平餅のお店や、
庶民的なお店が並ぶメイン所でもあります。

Inuyama07

電線地中化で電柱が消えて
ずいぶんと景観のよくなった本町通り。

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そんななかでひときわ目を引くのが
「起り屋根(むくり)」の町家「旧磯部家住宅」です。

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築150年という建物は間口が狭く奥に長い(58m)、
典型的な”ウナギの寝床”と呼ばれる京町家の造り。

江戸時代は呉服商だったという店構えは
入ると店先、奥に番台

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そして座敷へと続きます。

    Inuyama12

裏屋敷に出る通り庭

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濡れ縁のある裏屋敷

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そして土蔵と奥土蔵

保存修理が行われ
明治中期の姿に復元されてあたらしくなりましたが、
細部に旧家の造りを見ることができます。

本町通り中心部の最後は「どんでん館」

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犬山祭りで曳かれる13輌の車山、
その4輌が展示されています。

おまけ?・・・

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本町交差点の角にできた?これ
「老い呆け来ず地蔵」とありますが・・・
これも商店街活性化のひとつでしょうか?

この日の犬山城下町散策
最後は思わぬお地蔵さんへの願掛けでした。

2011年12月16日 (金)

平清盛ゆかりの地 大輪田泊

わずか半年でしたが平清盛は平安京から
現在の神戸市兵庫区北部に都を移しています。
それが福原京でした。

来年のNHK大河ドラマは「平清盛」、
だからという訳ではありませんが・・・
この日は”清盛ゆかりの地”を歩きました。

神戸市の兵庫区が載せている散策コースから
その兵庫区南部編をめぐります。

Owada01 

まずは「高速神戸駅」jから南へ歩いて、
ここ「七宮(しちのみや)神社です。

都を移した清盛が
日宋貿易の拠点にと大規模な修築を計画したのが
大輪田泊(おおわだのとまり)とよばれた兵庫の港。

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しかし、ここは風害がひどく
風から舟を守るため経ヶ島を築きます。
そのとき崩した塩槌山の神の怒りにふれぬようにと
ここに神社を移築し祀ったといわれる社です。


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その平家の福原遷都も清盛の願いかなわず、
わずか半年で終焉を迎え、
再び京の都へと「還都」を行います。


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新川運河に架かる築島橋の傍にある築島水門

この先にある中央卸売市場前の広場では
来年の1月にできる「歴史館」が工事中でした。

中之島交差点を右折して

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橋梁補強工事中の大輪田橋を渡ります。

すぐに住吉神社の西角にある「清盛塚」。

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途中ショートカットしたため
こちらからは反対側になりました><;

  Owada07 Owada08

手前に「琵琶塚」
琵琶の形をした古墳を、
琵琶の名手・経正と結びつけて経正塚とした・・・

その奥にある「清盛塚」
十三重塔の石塔は清盛墓と伝えられてきたが、
墳墓ではなく供養塔であった・・・と。
ともに元の場所からここに移されたものです。

挟まれて清盛像が建てられていました。


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ここから南にある清盛橋を渡ります。
渡った先にある「薬仙寺」

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境内にある「萱の御所跡」
”牢(楼)の御所ともいわれ、 清盛が後白河法皇を幽閉した
  建物があったところからこの境内に移された・・・”と。

戻る清盛橋

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橋の欄干には平家物語絵巻と源平合戦図屏風の
レリーフが数枚付けられていました。

そして北上して行くと「能福寺」です。

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兵庫大仏は日本三大大仏のひとつ 。

いきなりこの大仏に驚きましたが
この左手前に「平清盛公墓所(平相国廟)」があります。

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福原京遷都にともない清盛が剃髪入道したところ。

京都で没した清盛の遺骨を、
住職円実法眼が持ち帰り葬ったと伝わるそうですが、
遺骨の所在は確認されていないそうです。


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高速神戸駅からめぐった”平清盛ゆかりの地”
ゴールの大開駅に向かう街路樹の公孫樹も
まだ黄葉真っ盛り!

神戸市兵庫区南部地区に
その史跡を訪ねた師走のひとときでした。

2011年10月 7日 (金)

伊勢の芭蕉句碑

伊勢市の「銀座新道商店街」に、
松尾芭蕉が伊勢を訪れたときに詠んだ22の句が
俳句プレートで設置された。

伊勢にある芭蕉の句碑を追っかけた身としては
これは見逃せないと出かけました。

ここで商店街の俳句プレートだけでは能がない、
で、商店街の句碑プレートとともに
あらためて伊勢にある句碑ですが・・・

これはもう我が身だけが楽しむ趣味の世界です ><;

Shinmichi01_2 Tsukisabi_2

「新道商店街」と伊勢市駅側入口にある句碑

” 月さびよ 明智が妻の 咄せん ” 
参宮で滞在した元禄2年(1689)の吟ですが、
これは宇治山田駅前から移し替えられたもの。

では、商店街の柱に取り付けられた俳句プレートと、
伊勢市にある句碑です。

Shinmichi02_2 Mitinobe_2

” みちのべの 木槿は馬に くわれけり ”
 貞享元年(1684)「野ざらし紀行」
( これは伊勢で詠まれた句ではありませんが、
 伊勢に句碑があるからでしょうか?)

句碑は岡本の「旧豊宮崎文庫跡」の
敷地内にある「木槿塚」。


Shinmichi03 Monniireba 

” 門に入れば 蘇鉄に蘭の にほひ哉 ” 
 元禄2年(1689)の吟

句碑は浦口の法住院にある「芭蕉・蘇鉄塚」


Shinmichi04 Akinokaze 

” 秋の風 伊勢の墓原 なほすごし ” 
 元禄2年(1689) の吟 

句碑は一之木の常明寺にある「秋風塚」


Shinmichi05 Nannokino 

” 何の木の 花とはしらず 匂かな ”
 貞享5年/元禄元年(1688)の吟 

句碑は岡本の「祖霊社」敷地内にある「何木塚」


Shinmichi06 Kamigakiya

” 神垣や おもひもかけず ねはん像 ”
  貞享5年(1688) 「笈の小文」

こちらは市街地からひと山駆けた朝熊山
「金剛證寺」奥ノ院への参道脇にある句碑です。


Shinmichi07_2 Yabutubaki

さて、この俳句プレートは
” いも植えて門は葎の 若葉哉 ”(笈の小文)ですが、

船江の「瑞泉院」にあります「若葉塚」には
” 藪つばき 門はむぐらの 若葉かな ”で、
” いも植えて・・・” の異形句になります。

そして最後はこの句でした。

Shinmichi08 Utagauna

” うたがふな 潮の花も 浦の春 ”
 
  元禄2年(1689)の吟

句碑は「二見興玉神社」への参道脇
「賓日館」前にあります。

他にもある俳句プレートを見ながら、
これが商店街の活性化になればと願いつつ、
「銀座新道商店街」を通り抜けました。

尚:伊勢の句碑は2005年の撮影です。

2010年9月21日 (火)

岐阜市川原町通り

岐阜市の長良橋南にある鵜飼観覧船乗り場から西へと続く、
湊町・玉井町・元浜町は通称「川原町」といわれ,
格子戸や袖うだつの上がる古い町並みが残っています。

以前に2度ほど訪れていますが、その頃は道路や、
電線地中化の工事などが行われており記事にはしていません。

今回、新しくなった?川原町通りを訪れました。

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鵜飼観覧船のりば、ここも新しくなっています。

ここから西に町並みが続きます。

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この大きな建物は老舗旅館・十八楼。

余分ですが^^;この旅館の中庭に芭蕉の句碑があります。

      Kuhi
ロビーのガラス越しですが、
以前に撮らせてもらったものがこんな形で日の目を見ました。

貞享5年(1688)、松尾芭蕉がこの地に招かれ、
水楼から見た長良川の景色を十八楼と命名し、
その謂れを書いた一文が”十八楼ノ記”、そのとき詠んだ句が、

      ”このあたり めにみゆるものは 皆涼し”

Kawara03 
そういえばその句碑を見に訪れたとき、
このあたりはまだ工事中でしたがここも綺麗になっています。

そして町並みも

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電柱がなくなり、地上から電線が消えて、
まるで美観地区のようです。

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かって和紙問屋だった町屋を改修した和風カフェの「川原町屋」
格子造りに粋な軒行灯?そして赤いポスト・・・よろしいなぁ^^

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この辺りは格子造りの民家が続きます。

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軒屋根に設けられている屋根神様は
町内を火災から守る秋葉様。

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趣のある小路
多くの建物は入口が小さく奥に広い町屋造り?ですね。

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通りの西端にある”ギャラリー 木楽”
ここも空き家になっていた民家を改装した店舗。

この町並みは「川原町まちづくり会」によって、
住みやすい魅力あるまちづくりを目指して再生されたもの。

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ここで通りは西詰め、
先で右に折れ、裏通りに回ります。

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昭和初期の古民家を改装したというレトロなお店「文化屋」
粋なくりぬき壁が目を引きます。

裏通りから駐車場を抜けて来た道に戻ります。

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駐車場の傍にあるレストランカフェ。
蔵を改造したんでしょうか和洋折衷?のシックな造りです。

秋の気配を感じるとはいえまだ暑い日のひととき、
金華山の麓にある「川原町」をそぞろ歩きでした。

2010年7月26日 (月)

塩津街道・塩津宿

地味な旅? 「伊勢本街道」の歩き旅から帰ってきたばかりで、
まだ写真の整理もできていません。 ><
予備記事になりますが・・・やはり街道です。^^

いつも傍を走りながら横目で眺めるだけでしたここ、
滋賀県西浅井町塩津浜の塩津街道・塩津宿。
道の駅「塩津街道 あじかまの里」に車を止めて散策です。

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敦賀に向かう国道8号線とマキノ、今津への国道303号線が
分岐する「塩津」交差点の手前にある常夜燈。

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後ろには塩津を詠んだ歌2首(紫式部と詠人不詳)の碑が建つ
ポケットパークがあります。

ここから東(琵琶湖寄り)に少し行くと
旧街道が分岐し塩津の宿に入ります。

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宿口にある駐在所の脇には
当時琵琶湖の海上輸送に活躍した丸子船の陶壁画が・・・。

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琵琶湖北端の町、塩津と敦賀を結ぶ塩津街道は
「塩津越え」ともいわれた古道で、琵琶湖湖上交通の要所として
海津とともにその役割を果たしてきたところ。

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北国(日本海)から都へ送られる物資は敦賀から塩津街道を
塩津まで運ばれ、湖上を丸子船で大津まで運ばれていました。

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そのためか?「塩津海道」とも。

( 敦賀から琵琶湖への道は他にも国道161号線に沿って
 海津・今津から大津にいたる西近江路があり、
 この道は別名「北国海道」と”海”の字が使われています。)

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塩津宿
かっては港町として繁栄した町も今はひっそりと
その名残りを残すのみ・・・。

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往時の屋号と説明が書かれた駒札が掛かります。

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白壁の土蔵(道具倉とあります)と左は旧郵便局舎、
土蔵の木札には、棟瓦やひさし瓦には「龍」が彫られ、
カメラマンの絶好の被写体に・・・とありました。

それではと

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こちらがその一部です。^^

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塩津の宿に残る造り酒屋「沢屋」
白壁の”蔵”に”黒板塀と見越しの松”、
母屋の二階には二つの出格子。
裏には酒蔵もあるそうですが、なんとも風格のある建物です。

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こちらも白壁の蔵ですが、一部が黒く塗られています。

” 太平洋戦争のとき、白壁は敵機に判りやすいので
 黒く塗るようにとの命令で塗ったもので、二度と繰り返しては
 ならない戦争の遺物として残しておきたい ”とありました。

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一部をゆるく丸みを持たせたような屋根、
これも”むっくり屋根”でしょうか?

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塩津宿の外れにかかって来ました。
「浜御堂」とあります「浄光寺」、ここで道は斜めに曲がります。

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少し先で左に「塩津神社」を見ると塩津宿の東口、
右に国道8号線です。

塩津の港がどこか判りませんでしたが

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国道8号線、入江の北端から見る琵琶湖です。

日本海と都を結ぶ大動脈であった「塩津街道」、
ここ塩津浜から大津へと琵琶湖を縦断して物資が運ばれました。
海運によって栄えた港町・塩津の宿。

今はその面影をわずかに偲ぶのみでした。

2010年7月 4日 (日)

十里街道・長浜市

かなり古くなりますが^^
咲いていない余呉湖アジサイ園からの帰りに立ち寄った長浜市。

もちろんアジサイでしたが、
ここはあまり知られてないところでしょうか?

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「長浜八幡宮」の境内にある小さなあじさい園でした。

この日はここも早すぎて、ただ立ち寄っただけになりましたが^^;
戻る途中に裏通りで見かけたこの風景!

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一瞬、昼間から灯りが点いている?と勘違いしたほど・・・、
銅版で造られた電燈飾りに日が当たって輝いていました。

掲げられた「十里街道 職人のまち」に誘われて、
少し先まで歩いてみました。

スタートは「日吉神社」前。

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「ごぼうさん」として親しまれている「大通寺」の東側を
南北に貫く道ですが、
ここは古くから職人の町でもあったようです。

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すぐ左手にある大通寺

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すぐに”お裏の庭園”が、
今は大通寺公園として整備されています。

その十里街道

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中心部を同じく南北に通る「北国街道」とは違って、
街道の雰囲気や人通りも少なく寂しく感じますが・・・

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道筋には神社や祠もあって
それがまた懐かしい街道を思わせます。

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かっては「浜行き」と呼ばれ、
湖北の各地から「大通寺」へお参りする多くの人が
この道を行きかったという。

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歩いたのはここまでの1キロ弱とほんの短い道でしたが、
「十里街道」はこの先も湖北へと続いているようです。

「長浜御坊」に通じるもうひとつの道・・・「十里街道」、
初めて知った思わぬ”まちかど散策”でした。

2010年3月 3日 (水)

竹田寺町通り

城下町竹田の中でも竹田城跡のある古城山の真下、
東の麓に位置する寺町通り。

4つのお寺と表米神社(ひょうまいじんじゃ)が建ち並び、
虎臥城公園(こがじょうこうえん)が整備された
約600mの散策路があります。

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通りに沿って流れる竹田川、
竹田駅に一番近いお寺が「法樹寺」。

建ち並ぶお寺の白壁と相まって、
なんとも言えぬ風情を醸し出しています。

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2つ目が「勝賢寺」
川に架かる5つの石橋は江戸時代に建造されたもの、
それぞれに趣があります。
 
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3つ目のお寺「常光寺」の石橋から眺める竹田川。

寺沿いの川べりと「虎臥城公園」には、
およそ3、000本の花菖蒲が植えられ、
6月には「竹田寺町通り花しょうぶ祭り」が行われるそうです。

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4つ目のお寺「善證寺」。

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このお寺を過ぎると民家になりますが、

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これは?

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川には鯉が泳ぎます。
夜来の雨のためでしょうか?水が少し濁っていますが、
なんともいい雰囲気です。^^

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通りの端にある「表米神社」。

格技を好んだといわれる表米宿弥命を祀りますが、
境内には相撲の土俵と舞台、
そして珍しい石積みの桟敷がありました。

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六段の半円形石積段型桟敷は全国でも珍しいものだそうで、
県の指定文化財です。
桟敷は歌舞伎の見物にも使われたのではないかとありますが、
さて?

神社から戻って踏切を渡ります。

Teramati012
先に見えるのはJR播但線竹田駅。

ここから城下町竹田の散策をと思っていたんですが、
どうやら天気は回復どころか雨模様に・・・中止です。
このあとも日本海側に向かう予定でしたが目的変更、
晴れていそうな太平洋側へと車を走らせます。(気ままです^^)  

2010年2月 1日 (月)

蔵の町信州須坂

雛飾りだけを見て帰るのはチョッともったいないと、
「蔵の町須坂」を駆け足での散策でした。

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”馬車よゆっくり走れ!”
市制40周年記念として建てられた「東山魁夷碑」。

須坂まちかど散策、スタートはここからです。

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蔵の町並み・町屋が続く中央通り、
古くから善光寺街道や谷街道の須坂への入り口、
多くの人々が歩いた「須坂旧市街地」の入り口です。

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その角にあるのが「須坂クラッシック美術館」。
明治初期に建てられた屋敷は、土蔵、長屋門、
うわせみ(家の玄関横に取りつけた二枚の板戸を上と下から
上げ下げする仕組み)に囲まれた母屋があります。

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「蔵のまち観光交流センター」
明治中期に建てられ、まゆ蔵として使用されていた建物ですが、
平成21年に観光案内所として開館。

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” 明治、大正、昭和初期まで製糸の町として栄え、 「須坂、横浜、
 ヨーロッパ」という言葉が生まれるほど繁栄した。”

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明治初期の製糸家の建物、
ここも土蔵、長屋門、母屋と続く豪壮な造りです。

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白壁の家が立ち並ぶ道筋。

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東西の中央通りから南北を結ぶ本町通りにでます。

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望楼とうだつのある建物に、黒壁と白い格子の窓。

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こちらは望楼のある櫓造りの茶店、
小屋根の付いた看板が目を引きます。

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駅前本通りに戻って見る「ぼたもち石造りの白壁の蔵」。
ぼたもち石造り、
石の形が丸くぼた餅のようであることからそう呼ばれます。

古い建物が多く立ち並ぶ道筋を回ってきましたが、
ほんの一握りの建物群を紹介しました。

建物ではありませんがもうひとつ。

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笠鉾会館に展示されていた「笠鉾と屋台」、
毎年7月末の夏に行われる「須坂祇園まつり」に巡行されます。

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” 京都・祇園祭の影響を大きく受けていますが、この地方の風土や
 習慣が須坂独自の笠鉾を生み出したといえましょう・・・。” 

「須坂蔵のまち」
雛祭りのあとに・・・駆け足でめぐったまちかど散策でした。