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2019年9月 7日 (土)

敦賀シンボルロード

久しぶりの「敦賀まつり」でしたが、この日は少し早く出かけたため、
山車が神宮大鳥居前に終結する12:00までは少し時間がありました。
巡行をしている各町の山車を見て回っても良かったんですが、
今回はこれも久しぶりでしたが ^^
敦賀駅前から気比神宮までの商店街通りに設置されている、
「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメント見て歩きです。

神宮の臨時駐車場から敦賀駅へと歩いて戻りますが、
駅前広場にある”星野鉄郎とメーテル”像はパスして駅前商店街通りから。

Turugam01
まずはこの”銀河鉄道999”の列車正面

Turugam02
次が”少年 星野鉄郎”

Turugam03
そして”メーテルとの出会い”
次の” 母との記憶”像はパスして ^^;

Turugam04
国道8号線の角にあるポケットパークには”999と車掌さん”で旅立ち。
ここから気比神宮までの本町商店街通りに設置されていた10体の像は、
国道の整備中で少し東にある「本町第3公園」に移されています。

その本町第3公園

Turugam05
かって小浜線を走っていたC58蒸気機関車とともに、
ずらりと並ぶモニュメント。

Turugam06
食堂車のウエートレスガラスの”クレア”や、999に乗り込んできた
エメラルダスに、機械帝国の女王 プロメシューム。

Turugam07
そして地球に帰った鉄郎とメーテルの別れのシーン”別離”など。
本物の蒸気機関車との競演は年末頃までの期間限定とか ^^;

銀河鉄道999のあとは講堂8号線を挟んだ西側のしぃう店外通り、
こちらには「宇宙戦艦ヤマト」のモニュメント像です。

Turugam08
ふたたび敦賀駅へとあるきますが、最初の像は”アナライザー”から。
ちょっと露店の裏で無理やりの撮影 ^^;
つぎが英雄の丘”像ですが飛ばして・・・

Turugam09
”スターシャ”像

Turugam10
そして”別れ-出会い”
帝国軍の銃弾に倒れた森雪は、敵の将校アルフォンに保護されます。
キャラクターは”サーシャ”と古代進たちの像から

Turugam11
”サーシャの最後”

Turugam12
そして”スカルダートの罠”、国道沿いの最後の像惑星デザリアムと続き、
駅前商店街通りから駅前へとあと4体がありますが、
山車終結の時間が近づいたため、ここからまつりの会場へと戻ります。

オマケ!

Turugam13
気比神宮から少し北に行ったところにある「永賞寺(えいしょうじ)」。
ここは天正17年(1589)から12年間、
秀吉政権のもと敦賀城主であった大谷吉嗣の菩提寺です。
Turugam14
本堂
関ケ原の戦いでは小早川秀秋の裏切りによる急襲で敗れ自害しましたが、
その後も領主・寺領とも安堵され、ここに供養塔が建てられています。

Turugam15
その供養塔
関ケ原の戦いから9年後に建てられたと伝わる九重の層塔です。

この日は祭りの前にぶらり敦賀!
こちらも久しぶりに楽しんだ銀河鉄道999と宇宙戦艦大和のモニュメント、
そして大谷吉嗣の菩提寺「永賞寺」でした。  📷 4日

2019年8月20日 (火)

ぶらり鳥羽・江戸川乱歩館

この日は毎年この時期に行われる高校の同窓会で鳥羽市でした。
開始時間は午後からのため、ゆっくりと出かければいいんですが、
そこはジッとしていられない身 ><;
早くから出かけたものの、この日も猛暑日で町はうだるような暑さです。
海上遊覧でもと思いながら、思いとは逆に町なかめぐりでした ^^;

観光スポットが多い海側とは反対の鳥羽駅西口へ。

Tobac01
金刀比羅宮鳥羽分社の鳥居が建つ道を南へと行きます。

Tobac02
すぐに「伊良子清白の家」がありますが、ここは見学自由。

Tobac03
その角にある「鳥羽街道の観光常夜灯」を見て右に岩崎通りへと入りますが、
ここはまだ旧鳥羽道(鳥羽街道)ではありません ^^;

Tobac04
しばらく進むと本町通りに合流、左手に曲がる錦町通りから本町通りと、
この道筋が旧鳥羽道で鳥羽の中心部になります。

Tobac05
その鳥羽道を西に少し歩くとある「常安寺」。
このお寺は九鬼水軍を率いた「九鬼嘉隆」の菩提寺で、
その子守隆が父の供養のために開いたという。

ここで一本南の大里通りにUターンしますが、
少し南に下るとあるのが「鳥羽みなとまち文学館 ~江戸川乱歩館~」です。

Tobac06
以前は本町通りに面していましたが、少し改修もされ再公開されたようです。
受付のある建物が「鳥羽みなとまち文学館」ですが

Tobac07 
ここは江戸川乱歩が鳥羽に滞在していたころに友人であった、
画家で風俗研究家の岩田準一の家を中心に 、
鳥羽にゆかりの文人に関する資料が展示されています。

文学館の建物を出て奥にいくと土蔵がありますが
関する資料を展示 画家で風俗研究家であった岩田準一の家を中
Tobac08 
ここは「幻影城」で、入口から何やら異様な雰囲気が ^^;

Tobac09
中に入ると・・・そこには怪人二十面相や、
小説の中で現れるいろんなコスチュームが展示されていて

Tobac10
まさに江戸川乱歩の妖しい世界が再現されています。
ここは面白い ^^

Tobac11
幻影城から岩田準一の書斎がある建物を見てさらに奥へ行くと「乱歩館」。

Tobac12
昭和30年代の町並みが再現されたみなとまち文学小路と、
「乱歩館 」~鳥羽文学ギャラリー~。

Tobac13
鳥羽で青年時代の一時期を過ごした江戸川乱歩は、
妻の隆(りゅう・坂手島出身)との結婚など、
短い期間とはいえ、鳥羽とは深いかかわりがあります。

Tobac14
岩田準一による乱歩作品の挿絵コーナー

ここでは乱歩の業績や愛用品が展示され、
作品の一部からそのワンシーンも模型などで再現されています。

Tobac15
また、三島由紀夫の「潮騒」や、石坂洋次郎の「若い人」など、
鳥羽を題材にした作品も紹介されています。

Tobac16
こちらは土蔵の乱歩夫妻
池袋の乱歩邸にある土蔵で本を片手に談笑する乱歩夫妻の模型ですが、
ちょっと上部にある仕掛け(見えてませんが)も面白い ^^

鳥羽のまちめぐり。
鳥羽みなとまち文学館「江戸川乱歩館」が中心になってしまいましたが、
ここは隠れスポットとしても人気のようです。
開館は基本土日・祝日のみ、平日は予約のため要確認を ^^ 📷 18日

2019年5月27日 (月)

飛騨金山 筋骨めぐり

岐阜県下呂市金山町。いちど”横谷峡四つの滝”に訪れたことがあるものの、
町なか歩きにはあまり縁がなかったところですが、
以前にこの町の”筋骨(きんこつ)めぐり”というツアーがあるのを知り、
いつか歩こうと思っていました。
この日はまた猛暑との予報でしたが、久しぶりのまち歩きです ^^;

スタートは国道41号線沿いにあるドライブイン飛山(ひざん)から。

Kkinkotsu01 
いきなり入口は道ならぬ道に迷いながら 、
下調べはしていて散策マップを見ながらも、まさか?の出だし ><;

Kkinkotsu02 
「筋骨」とはこの地方で言われる路地裏通りのことだそうですが、
まぁ、確かに人一人がとおれるほどの狭い道。

何度も迷いながら飛騨街道に飛び出します。

Kkinkotsu03 
街道沿いの枝道に入ると旧い銭湯があるというので、
ちょっと戻り立ち寄ります。

Kkinkotsu04 
番台

Kkinkotsu05
脱衣箱
湯船は白と水色のタイル張り、お馴染みの浴槽でしたが ^^
昭和レトロの銭湯を見て飛騨街道に戻ります。

Kkinkotsu06
筋骨めぐりは街道から離れ、左に見える川沿いの細い道へ

Kkinkotsu07
ここもまた何も案内はなく迷う入口でしたが、
どうやら筋骨めぐりのメインはこの先にありました。

Kkinkotsu08 
昔から生活に密着した共同通路で

Kkinkotsu09 
そこに住む 人々の大切な生活空間として活用されているという・・・

Kkinkotsu10 
それが路地裏の生活道路。
水場に清水の湧くところも数カ所ありますが

Kkinkotsu11 
こんなところを歩いていていいのか?と思うような、
裏筋の道にはさすがにびっくりしながら

Kkinkotsu12 
軒下を抜けてふたたび飛騨街道へと出ました。
この辺りは街道筋の旅籠も残り、少しだけ宿場の面影が楽しめます。

Kkinkotsu13
飛騨街道は商店街通りを渡って直進して行きますが

Kkinkotsu14
筋骨めぐりは渡ってすぐの路地に入ります。
こんな路地を見つけるのにほんとに迷いました ><;

Kkinkotsu15 
そのためか?筋骨めぐりはガイドをしてくれる方たちがいます。(有料)
確かに、詳しい説もいも聞きながら歩くには賢明かもしれません ^^;

Kkinkotsu16 
ただ、我が町歩きは十二歩くこと ^^;
迷いながらも何とか三分の二ほど歩いたところで川縁に出ました。
ここは馬瀬川(手前)と飛騨川が合流する金山橋の桜並木、
このあとも細い路地を何本か通り抜けてスタート地点に戻ります。

町の中心部を飛騨街道が通り、昭和の雰囲気を色濃く残す飛騨金山。
このあとは街道筋と金山の見どころです ^^   📷 25日

2018年9月 6日 (木)

長浜 明治ステーション通り

滋賀県長浜市の市街地には何度も訪れていますが、
今までは駅のコンコースを通り抜けて
”駅前通り(シンボルロード)”から町の中心部へと入っていました。
最近は新しく観光駐車場が整備されたこともあり、
”明治ステーション通り”を歩くことが多くなりました。

この道は以前にも少し紹介しましたが、
ちょっぴり明治のロマンを感じることもでき好きな道です ^^

Nekisute01

長浜浪漫ビール館から舟板塀を見ると「北国街道」にでますが、
この辺りまではよく知られたところ。

この辺りの建物は旧商家が多く

Nekisute02

Nekisute03

その角にある建物には玄関に”馬つなぎ石”もあり、
往時の繁盛ぶりを知ることが出きます。

道を東に入るとこちらにも旧い建物が残っていて

Nekisute04

観光客で賑わう中心部とはまた違った雰囲気が楽しめます。

Nekisute05

Nekisute06

旧家に残る”ガス灯”と白壁土蔵、
その横には”粋な黒塀と見越しの松”ですね ^^

Nekisute07

田町公民館の角にあるのは”子ども歌舞伎”像、
春の「長浜曳山まつり」では”子ども歌舞伎”が演じられます。

Nekisute08

曳山は全部で13基ありますが、子ども歌舞伎が演じられるのは12基。
そのひとつ「月宮殿」収蔵されている曳山蔵(右)です。

Nekisute09

そしてここがステーション通りの東端になる市立図書館前です。
ここで北に延びる”博物館通り”へと曲がりますが、
その角にある料亭の建物(国登録有形文化財)。

Nekisute10


周囲が白壁に覆われていますが・・・
その上にある巨大な石組にはちょっと驚かされます ^^;

Nekisute11

道を北に歩くとすぐにある曳山蔵は「「萬歳楼山蔵」。
さらに北へと行くと

Nekisute12

以前にも紹介したことのある「元祖 堅ボーロ本舗(清水ボーロ)」。
明治創業の老舗和菓子店ですが、
そのお菓子をご存じの方はどれくらいいらっしゃるか・・・ ^^;

Nekisute13

米川を渡るとこちらの曳山蔵は「孔雀山」。
すぐに駅前通り(シンボルロード)を渡りますが

Nekisute14

もう「大手門通り」はすぐ ^^

Nekisute15

その大手門通り、長浜観光の中心部で、
ちょうど「曳山博物館」のある角に出ます。

歩いてきた明治ステーション通りから博物館通り。
ほんの短い距離ですが、観光化されたメイン通りとはまた違って、
ちょっぴり郷愁を感じさせてくれる楽しい道です ^^;   2日

2018年8月14日 (火)

ぶらり鯖街道・朽木宿

京都市久多から国道367号に戻ると滋賀県高島市ですが、
そのまま北上していくと朽木(くつき)に出ます。
この道はかっての鯖街道(若狭街道)のひとつで、
朽木には現在の市場を中心に栄えた「朽木宿」があります。

8年ぶりの訪問でしたが ^^;
あらためてその朽木の宿場を散策しました。

Kutsuki01

道の駅「くつき新本陣」に車を停めて北へ少し歩くと、
宿の南口にあるモニュメント。
宿場はここから北へと約1.5kmほど続きます。

Kutsuki02

柳並木と水路の引かれた町なかには、鍵曲(かいまがり)と呼ばれ、
意図的に造られた折れ曲がる道筋が何箇所もあります。

Kutsuki03

昭和8年に建築されたという「丸八百貨店」、
今は喫茶店兼休憩所になっていて、旅人を迎えてくれます。

Kutsuki04

最初の鍵の手を曲がると北へと真っ直ぐに延びる街道。
この辺りはベンガラや連子格子の家を見ることができますが

Kutsuki05

こちらは旧商家「熊瀬家」住宅。
かって行商人たちで賑った朽木宿を代表する商家のようです。

Kutsuki06

まだ比較的新しい「鯖街道」道標

Kutsuki07

旧商家と思われる家が建ち並ぶこの辺りは
かっての朽木宿の中心部になるのでしょうか?
ここでも道が鍵の手に曲がります。

Kutsuki08

曲がるたびに北へと延びる宿場内の道。

Kutsuki09

茅葺屋根の家や

Kutsuki10

昭和13年に建てられたという
旧郵便局舎(伝ボヴォーリズ設計)もあります。

Kutsuki11

この先道はさらに左、右と曲がり、見える現在の朽木郵便局を左へ、
さらにその先で右にと・・・まぁ、よく曲がります ^^;

Kutsuki12

そして最後の街道筋に入ります。

Kutsuki13

すぐにある「織田信長の休憩地」(旧圓満堂遺跡)。
織田信長が越前の朝倉攻めのために敦賀に侵攻したとき、
浅井長政の離反にあい、朽木谷を通って京都に逃れますが、
当時の藩主・朽木元綱は信長をこの地でもてなしたという。

Kutsuki14

朽木宿の北口にあるモニュメント。
この先鯖街道はされに北上して行き、今津町保坂から水坂峠を越え、
熊川宿から若狭小浜へと続きます。

Kutsuki15

宿場から国道367号に出ると安曇川の支流北川が流れます。

すぐ西側の京都「久多」を通る鯖街道(針畑峠越え)や、
琵琶湖西岸を行く西近江路、さらには周山街道など、
いくつかある鯖街道のなかでも特に知られているのがこの若狭街道。
久しぶりに訪ねた鯖街道「朽木宿」でした。      3日

2017年8月26日 (土)

尾張大野古今散策

今年は天気が不安定で、出かけることも少なく、
雨の合間を見ては思い出したように出かけることが続いています。
ここも久しぶりでしたが・・・以前に訪れてからもう9年になりますか ^^;
愛知県常滑市大野町。
江戸期には商工業の町として発展、海上交通の要所でもあったところ。

Oono01

いきなり海からですが・・・大野海岸?

Oono02

こちらは海岸の北にある「大野海水浴場」。
小さな海水浴場ですが、
鎌倉時代、鴨長明が訪れて潮湯治をしたことから、
世界最古の海水浴場といわれています。

海岸からいったん町なかへ出て、また港へ

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大野は”大野湊(おおのみなと)”と呼ばれて栄えた港町。
この辺りでは旧い商家や民家も多く、
伝統的な家並みを見ることができます。

海岸筋から町なかへと戻る道は幾筋もありますが

Oono04

古い民家が残るこの町筋は旧大野の中心部。

Oono05

細い路地道に建ち並ぶ旧家を見ながら散策して行きますが、
このすぐ横にあるのが「齊年寺」。

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大野城主4代佐治家の菩提寺で4代位牌所、
享禄年間(1518~31)に宮山にある大野城の城内に建立。

Oono07

天正15年(1587)には大野城とともに亡びたものの
翌、天正16年、現在地に再建されます。

とにかくここ大野は神社仏閣のムチャ多いところ ^^;
見どころを楽しみながら向かったのは大野城。

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町なかから散策コースで約1kmほどの、
小高い丘陵(青海山)にある大野城です。

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北駐車場から石段を数百メートルほど登りますが、
その先にある城門。

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くぐると左手に城址碑があり

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城門の横には主郭部二層の模擬天守(展望台)と、
背後には城主であった佐治氏を祀る「佐治神社」があります。
左手の鳥居はなぜか?
「桃山御陵遥拝所」(京都伏見の明治天皇御陵)が・・・。

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天正11年(1583)、大野城主佐治一成に嫁いだ”お江(おごう)”は、
短い期間ですがこの地で暮らしています。

Oono13

天守展望台からの眺め。(一応パノラマです ^^;)
今は城山公園として整備されている「大野城址」でした。

毎年10月には大野の町をめぐるイベント、
「大野古今散策」が開催されているようですが、
今年は21日(土)・22日(日)のようです。    24日

2017年8月14日 (月)

旧東海道大津追分から山科

JRに乗って滋賀県を巡るモバイルスタンプラリー!
「ビワイチAppスタンプラリー」。
最後のスタンプめぐりは彦根の銘菓”埋れ木”の「いと重菓本舗」から
彦根駅へ出て、あとは琵琶湖線で山科へ。
そこから京阪京津線の追分駅まで行き山科まで旧東海道を戻ります。

追分駅から旧道に出ると、すぐに大津の「追分」があります。

Tokaido01

ここは奈良街道、小関越えと、何度も歩いた旧道ですが、
もちろん、短い旧東海道沿いに思い出の多いところ ^^;
左にてれば伏見街道(奈良街道)から大阪への”東海道57次”道、
東海道は右に行きます。

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追分からすぐの「閑栖寺」
その門脇にある東海道道標に”車石”と車道の説明駒札。
この説明は後ほどに ^^;

そして、スイーツ巡り最後のスタンプゲット場所 ^^;
京銘菓で知られる「井筒八橋本舗」の追分店。

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玄関には名水”走り井”(飲めません ^^;)と、
大津絵発祥の地碑が建っていますが、江戸時代にこの水で作った
名物”走り井餅を食べ、のどを潤したという・・・。
最後のスタンプは「走り井餅本舗の」近江銘菓”湖舟”でした。

あとは気楽な街道歩き ^^;

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すぐに国道1号線を高架で越えますが、
旧道は高架橋を越えて右に見える道に下りると、
その先で右折して旧三条通へと入ります。

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すぐにあるこの車石の案内板。
車石の説明がありますが、これは当家の方が作られたもので、
京都と大津間3里(約12km)は、物資を運ぶ牛車を楽にするために、
花崗岩の石が敷き詰められていて、石は牛舎の頻繁な通行により、
その表面が削られて轍の痕ができたもの・・・と。

この車石は近江側と京都側の街道筋にいくつも置かれています。

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道の分岐は「小関越え」。
あの芭蕉も越えた道として知られています。

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旧街道の趣が残る道を楽しみながら

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この道では最大の見どころといえる「徳林庵 六角堂」、
江戸時代の作で地蔵菩薩像を安置。

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山科地蔵ともいわれ、小野篁(おののたかむら)により、
852年に造られた京六体地蔵尊の一体。

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徳林庵は、仁明天皇第四之宮人康(しのみやさねやす)親王の末葉。
南禅寺第260世雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が
1550年に開創したという。

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徳林庵 蝉丸・人康親王供養塔
南北朝時代の珍しい宝篋印塔です。

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山科駅前から約100mほど手前にある道標。
ここが京都三条大橋から一里半、大津札の辻まで一里半とあり、
ちょうど中間地点になります。

Tokaido15

すぐに山科駅前。
この先にもスイフヨウの寺「大乗寺」や、見どころも多く、
秋には何度か京都三条大橋までの花めぐりで歩いた道です。

久しぶりに歩いた短い旧東海道でしたが、
今年もまたスイフヨウの季節がやってきます ^^;   12日

2017年7月25日 (火)

藤樹ゆかりの里 あどがわ

滋賀県高島市安曇川町(あどがわちょう)。
琵琶湖の北西部にあり、江戸時代初期の儒学者で、
わが国における陽明学の開祖、中江藤樹(とうじゅ)の生誕地。
没後に”近江聖人”とたたえられた人物だそうですが・・・
すみません 、まったく知りませんでした。 ><;

ならばと、ゆかりの地をめぐってあどがわ散策です。

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まずは道の駅「藤樹の里あどがわ」にある、
”藤樹先生孝養像”を見てから道順で行きます。

Adogawa02

道の駅から東へ数分にある中江藤樹記念館。
ここをベースに散策しましたが、
もちろん主要施設には駐車場があります ^^;

Adogawa03

最初はすぐ北側に隣接する陽明園

中国明代の儒学者王陽明の生地である中国浙江省余姚市と、
日本陽明学の祖・中江藤樹の生地である、
滋賀県安曇川との友好交流を記念して造られた中国式庭園。

Adogawa04

門を入ると太湖石と呼ばれる奇岩が配置され
八角平面のあづまや陽明亭に中国らしさを感じますが、

Adogawa05

池の傍を回り込んみます。

Adogawa06

西には王陽明石像、
中国余姚産の花崗岩を使用して建てられたという。

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流れる水が池となり、
配置された奇岩の数々がまた珍しい友好記念庭園でした。

ここから記念館裏の散策路を戻って

Adogawa08

藤樹神社正面鳥居前に出ました。
中江藤樹を敬慕する人々により、
大正11年(1922)に
建立されたという藤樹を祀る神社です。

この神社も見どころがありますがそれnはまたの機会にして、

南に10分ほどの上小川の集落へと歩きます。

Adogawa09

集落の入口にある天台真盛宗 玉林寺、
ここに中江藤樹の墓があります。

Adogawa10

入口近く、国内では珍しいという儒式にのっとった墓塚だそうで、
左の墓石が藤樹の墓。

そのまま集落に入っていきますが、

Adogawa11

小川が流れる風情ある町並みの残る上小川の集落

Adogawa12

すぐに中江藤樹の住居と私塾跡で、
国の史跡に指定されている「藤樹書院」があります。

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正保5年(1648)に建てられましたが、
明治時代に焼失、ほどなく再建された建物。

Adogawa14

37歳で陽明学に出会い、
致良知に徹すれば心事一元になることを悟ったとも。
多くの門人や村人の教育に励んだという場所・・・。

Adogawa15

透彫の額には藤樹の教え「致良知」の文字

Adogawa16

外に周れば、住居跡と藤棚
この藤の花をたいへん愛したことから誰言うとなく、
藤樹先生と呼ばれるようになったとも。

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隣接するのは案内所兼休憩所の施設良知館です。

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水路の町並みが綺麗な上小川集落

詳しい説明は省きましたが ^^;
近江の聖人中江藤樹ゆかりの施設をめぐった
ぶらり、安曇川町でした。     22日

2016年10月14日 (金)

北国街道上田・柳町

信州上田の旅、その見どころをめぐったつもりの旅でしたが、
気が付けばほとんどが神社仏閣めぐりになっていました。
上田城跡に真田氏本城跡も「真田神社」に真田氏ゆかりの
神社仏閣が多く・・・まぁ、止む無しともいえますか ><;

そんななかでここだけは別でした^^;市街地を通る「北国街道」、
その道筋に残る”柳町”の景観です。

Hokkoku01

「上田城跡(公園)」をひとめぐりして北虎口に出ます。
観光駐車場をから二の丸通りを北に歩き北国街道には入ります。

Hokkoku02

東に向かって歩きますが後ろが善光寺側「坂木宿」
ここから東にある「海野宿」へと向かうことになります。

道筋は職人町の紺屋町を抜けていきます。

Hokkoku03

蛭沢川に架かる緑橋を渡るとそこからが柳町。

Hokkoku04

Hokkoku05

白壁の土蔵と格子の建物が見事な雰囲気で、
これが往時の町筋か?とも思うほど。

Hokkoku06

お味噌の醸造元の建物ですが、
この界隈にまずビックリさせられて・・・

Hokkoku07

先の交差路を曲がると
その先に北にまっすぐ延びる町筋になります。

柳町、その名の由来か?また印象的な柳の木。

Hokkoku08

Hokkoku09

道の角にある「保命水」
明治14年に海禅寺境内の湧き水を引いて以来、
町の人々や北国街道を往来する人々に利用されていたという。
水道が引かれた現在も一部がこうして保存されています。

Hokkoku10

隣りにあるお蕎麦屋さん ^^;

Hokkoku11

建ち並ぶ建物も商家の町らしく、袖うだつがあがり、

Hokkoku12

見慣れた宿場町とはまた違った、
江戸時代のものとは思えない綺麗な町筋です。

Hokkoku13

酒屋の蔵元
表の看板に、思わずお邪魔しました。

Hokkoku14

店内に飾られていたお雛さんです ^^;
享保雛に古今雛、五人囃子も素晴らしい飾りでした。

Hokkoku15

柳町の南口
ポケットパークの傍にある柳町の案内板です。

北国街道はここで東に折れ、すぐに南の原町へと入りますが、
かっての上田宿にはその面影はありません。   10日

2016年9月 4日 (日)

ぶらり高島・大溝まち歩き

近江高島「大溝城跡」を楽しんだあとは、
大溝城・大溝藩(大溝陣屋)の城下町として発展した
大溝(高島市勝野)のまち並み散策でした。

元和5年(1619)、伊勢国上野(三重県河芸町)から
分部光信が2万石で入部し大溝藩が立藩。
町の構造は南から北へと四筋の通りから成っています。

Oomizom01

城跡から戻ったJR近江高島駅前から、
そのまま真っ直ぐに北へと歩きます。

Oomizom02

「流泉寺」
もと、伊勢国上野にあったお寺ですが、
分部光信が移封の時、
信徒とともにこの地に移ったとあります。

Oomizom03

ここから水路で町割りされた北へと延びる
道筋を見ながら東に行くと「総門」があります。
Oomizom04

大溝藩時代の陣屋跡として唯一現存する建物。

ここから町なかをひと回り ^^;

Oomizom05

そのまま東に歩くと本町通りの南端へ出ますが、
角に「蝋燭町」の石標と案内板があります。
江戸時代、この辺りには蝋燭の製造や
販売をする店舗が集まっていたという。

ここで北へと折れます。

Oomizom06

Oomizom07

町筋には曳山が保管されている山蔵や

Oomizom08

うだつの上がる旧商家を改修した店舗が並ぶ
「高島びれっじ」と呼ばれる施設も。

Oomizom09

すぐ隣には酒造蔵の建物もあり、
一帯は懐かしい昔日の面影が感じられます。

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城下町の町割り整備で作られたという水路は、
都と日本海を結ぶ交通の拠点として発展した
この町の防火と生活用水でもあったようです。

道を再び西へ折れますが

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すぐにいくつかの小路を折れて南へ。

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きれいに整備された町割り水路のある通り

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大溝祭りの曳山が保管されている山蔵、
全部で五基の曳山があるという。

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水路の町筋を突き当っると「勝案寺」で、
城下町の中心部をちょうどひと回りしてきました。

今回は「大溝城跡」から城下町散策でしたが、
できれば”大溝水辺さんぽ”マップを使って
本格的な散策をしてみたかったところでした。  

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