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2012年7月26日 (木)

鹿島詣

芭蕉紀行の集大成「奥の細道」を歩き終えたあと、
やることもなく芭蕉ゆかりの地と句碑を追っかけて、
近江大津の地から始めた我がブログ。

「野ざらし紀行」、「笈の小文」の旧東海道と中山道、
「更級紀行」の善光寺西街道、京都の「嵯峨日記」と、
歩いてきましたが残すのは「鹿島詣」だけでした。

今回は久しぶりに芭蕉紀行を歩こうとその「鹿島詣」、
まさか^^;
こんなに暑くなるとは思わぬ旅だちでした。

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JR成田線佐原駅下車。
利根川を「水郷大橋」で渡ります。

「野ざらし紀行」から2年後、
芭蕉が”鹿島の月を見んと・・・”出た旅が「鹿島詣」。

芭蕉は江戸深川の芭蕉庵から
船で中川から江戸川を下り千葉の行徳へ、
そこから徒歩で八幡、鎌ヶ谷を経て
利根川沿いの布佐(現在の我孫子市)に出ています。

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横利根川黄門とふれあい公園

そこで漁師の家に泊りましたが、
あまりの魚臭さにたまらずそのまま利根川を下り、
水郷佐原から潮来へと水路で鹿島に入っています。

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潮来に向かう途中の田園風景

残念ながら今は水路で鹿島に行くことはできません ><;
そこで一番潮来に近い佐原から
陸路で鹿島に入るコースを歩くことにしました。

単調な歩きですが、
我が「芭蕉紀行」のこれが最後の歩き旅。
それにしても暑い日 ><;

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潮来に入る手前の与田浦

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そして、渡る北利根川(常陸利根川)の潮来大橋と、
水郷めぐり遊覧船のりば方面。

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水郷潮来といえばあやめと嫁入り船。

欄干にはデザインされた透かし絵がある、
潮来大橋の歩道橋(メロディ橋)を渡り、
祭の準備か?提灯の揚がる潮来の町なかをみながら

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市街地を抜けると鹿島に入る「神宮橋」。

橋を渡ると大船津で、昔は鹿島詣で賑わった川港。
芭蕉たちはここで下船すると深川時代から縁のあった
仏頂和尚を「根本寺」に訪ねています。

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その「根本寺」

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山門をくぐった境内、左には新しい句碑があります。
句は ”寺に寝て まこと顔なる 月見哉 ”

その「鹿島詣」
芭蕉は鹿島に月を見に来ていますがその日は雨 ^^
本文では、” ひるよりあめしきりにふりて、
        月見るべくもあらず。・・・”と。

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本堂前
その右手前に旧い句碑があります。

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残念ながら句碑の下には廃材が積まれていて、
チョッと残念でしたがその部分をカットしています。

句は ”月はやし 梢は雨を 持ちながら ”
月を見に来て雨に降られながら、
そんななかで詠んだ芭蕉の思いでしょうか。


これで我が鹿島詣では終わりましたが、
やはりここまで来たからには「鹿島神宮」です。

芭蕉も鹿島神宮への参詣は目的であったはず。

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楼門

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本殿は工事中?

このあと境内樹叢、奥の院、要石、
そして御手洗池を参拝して鹿島の旅は終りました。

念願でした「芭蕉紀行」
最後の「鹿島詣」は汗のしたたり落ちる暑い日 ><;
この日も忘れられぬ日になりました。

2008年6月 5日 (木)

芭蕉更科紀行・善光寺

芭蕉の更科紀行を追っかけてきました善光寺街道、
最後は善光寺詣でと「刈萱山往生寺」の句碑です。

長野駅前の善光寺参道アーケードの先で右折して、
左からくる北国街道(善光寺街道)に入ります。

善光寺まではここから真直ぐに1.8km、
近代的なビルが建ち並ぶ中央通りを抜けていきます。
大門交差点の先で善光寺境内に突き当たると善光寺街道は
終りですが、北国街道は右に折れて越後へと続きます。

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仁王門から仲見世通りを進むと山門(三門)です。

Zenkoji12
只今山門特別拝観中でした。

Zenkoji0013
そしてお馴染の本堂です。
参拝して善光寺詣では終りなんですが、
芭蕉の句碑はここ善光寺境内にはありません。

ここから西方の高台にある「刈萱山往生寺」が芭蕉追っかけの
最終地でした。

境内を回って細い道を西に向かいます。

Karukaya1
途中にある道標を見て道は上り始めます。

Karukaya2
道端に咲く黄色い「ツルマンネングサ」を見て気を紛らわせながら
長い坂道を行きます。

Ojyoji1
坂道のどん詰まりにあります「往生寺」。
境内の本堂左手前にその句碑がありました。

Ojyoji2
奥が本堂、そして左端の石柱がその句碑です。

    Ojyoji3
句は「月影や四門四宗も只一ツ」
   貞享5年(1688)更科紀行・善光寺での吟です。

姨捨駅に降りたときから思い出したようにその気になって、
慌ただしく駆けめぐった中山道・木曽路から更科の地へ、
そして善光寺でした。

振り返れば、
今回は山の中ばかり歩いて来たような芭蕉の追っかけでした。

Karukaya3
最後もこんな高台まで歩かされるとは・・・。

芭蕉は善光寺に詣でた後、北国街道から信濃追分(軽井沢)で
中山道に入り、浅間山麓を碓氷峠越えで江戸に向かっています。

「更科紀行」にある最後の句が、
「吹きとばす石はあさまの野分哉」でした。

2008年6月 3日 (火)

芭蕉更科紀行・続信濃路

芭蕉の更科紀行を歩く、信濃路を再開です。
今回は坂北の青柳宿からスタ―ト。
麻績宿、猿ヶ馬場峠を越えて姨捨へと向かいます。

青柳宿を出てしばらくすると現れるのが大切通し。

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岩をノミで切り開いて通した道で、

Sarasina002
そのノミの痕がはっきりと残っています。
通り過ぎるとすぐに小切通しです。

Sarasina003
二つの切り通しを過ぎて麻績の宿へ入ります。

義仲伝説を伝える一口坂を上り、駒ヶ石など見て宿の中心へ。
旧旅籠の前に目的の芭蕉句碑がありました。

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句は二つ「身にしみて大根からし秋の風」
貞享5年(1688)更科紀行での吟。
左は「ひょろひょろとなほ露けしやをみなえし」
同じく更科紀行での吟句です。

宿場を抜けると、いよいよ善光寺西街道最後の難所、
猿ヶ馬場峠(さるがばんばとうげ)です。

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草むらのみちを行き、石畳の道を上ると「弘法の清水」と
芭蕉句碑があります。

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句碑の裏にある句は「さゝれ蟹足這いのぼる清水かな」
貞享4年(1687)の句で更科紀行には関係ありません。

そして最後の道を上りきると国道に出ました。
目の前は聖湖で、すぐ先が猿ヶ馬場峠です。

Sarasina008
峠の頂上はなんとリゾート地でした!あとは下るだけです。
途中で姨捨への林道に入り街道とはお別れです。

そして、戻って来ました姨捨です。

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前に来たときに外した名勝「田毎の月・四十八枚田」です。

芭蕉はここから坂城に回り、十六夜観月殿で月見をしています。
時間が気になったんですが、雨も降らず行くならこの日と、
そのまま坂城に向かいました。

坂城にある十六夜観月殿、回りには多くの月の句碑があります。

Sarasina011
Sarasina012
そして芭蕉十六夜塚です。
句は「いざよいもまだ更科の郡哉」
貞享5年(1688)更科紀行での吟です。

天候のこともあり、一気に坂城までを済ませました。
芭蕉更科紀行も残すは最後の善光寺だけとなります。

2008年5月30日 (金)

芭蕉更級紀行・信濃路

中山道木曽路の奈良井から芭蕉の追っかけは更科へと、
信濃路の善光寺西街道(北国脇往還)に入ります。

善光寺街道に更級紀行の句碑がある最初の宿は会田ですが、
ここに行く交通機関はバスか、タクシーしかありません。
それが嫌なら歩け、ということで何の見所もない街道歩きです。

この日は峠を2つ越えなければならず松本のホテルを
7:30と早めの出発です。
東に少し歩き本町通りで善光寺街道に入ります。

         Matumoto1
すぐ先の指差し道標「ぜん光寺道」で右に折れると中町通り。

  Matumoto2
明治時代につくられたという塗りごめ白壁土蔵造りの家が
左右に建ち並ぶ町筋は壮観です。

見どころはここだけ、shock あとはひたすら会田宿を目指します。

松本の次は岡田宿。
宿場に関するものは何も残っていません。
宿の突当りで鍵型に曲ると道標があります。

Okada
善光寺街道と江戸道(保福寺街道)の分岐で、
傍らの標柱には「狩谷原峠2.9km・四賀村役場8.8km」と。
これから向かう会田宿がその四賀村です。

まず途中にある狩谷原峠を越えます。

Inakura
峠の手前にある伊深から見る稲倉の集落ですが、
これからしばらくは山間の集落を抜けることになります。

この先で馬飼峠の道を分けて峠への荒れた道へ。

Kariyahara
これが最初の難所といわれる狩谷原峠でした。
何もない峠に長居は無用で狩谷原宿まで下ります。

下りたところが狩谷原宿。

Kariyabara
といってもまだ道はどんどん下っていきます。
ちょうど峠道の途中に宿場があるようなもんです。

ようやく目的の会田宿に入ります。
ここにくるまでがまったく余分な歩きでしたが、
それはそれでまた楽し!・・・で。

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宿場の雰囲気が残る新町から本町へ。
本町入口の道標、ここから今度はどんどん上って行きます。


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途中にある善光寺常夜燈、2基とも残るのは珍しいとか。

立峠に向けてさらに進むと無量寺太師堂、
ここに芭蕉句碑がありました。

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句は
「身丹志み亭大根からし秋乃風 者せ越」
(身にしみて大根からし秋の風 ばせを) 貞享5年(1688)吟。
更級紀行の途中に詠んだ句です。

これで目的は終ったようなもんですが先に行かないと帰れません。

少し先で左に山道?を行きますと無住の岩井堂があります。

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人の気配もまったくなくて、佇む御堂になにやら異界の雰囲気を
感じますが、それはここに来るまでの景観によるものでしょうか?

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地層が折重なった堆積岩の岩肌に圧倒されましたが、
御堂へはこの堆積岩の鎖道を少し通過します。

旧道に戻って道はさらに立峠に向かって上って行きます。
自然歩道案内板で山道に入りました。
これは久しぶりに登山です!立峠の旧道は通行不能で、
これはもちろん街道ではありませんから当然でしょうが、
まったくの山道でした。

Tatitoge2
これが立峠の山頂です。
広くはない広場にこの標柱だけが建っていました。

Tatitoge3
正面に聖高原が見渡せる峠でいざ昼食をと、
思ったらペットボトルがない!途中あまりのキツイ登りで、
一口飲んだ後で落としたようでした。

こんなの初めてです!
仕方なく昼食は止めて峠を下ります。

Tatitoge4

水を!水を!と求めて下る途中の石畳。
なぜか「芭蕉の小径」と名付けられていました。

下りた集落は「乱橋」、ここは会田宿と青柳宿の間の宿です。
我が息も乱れ気味でようやく水を手に入れて道端で昼食です。

そして最後の中峠へ。

Midarebasi
中峠から見る乱橋の集落です。

この峠は少し上るだけで、むしろ下りが長い道です。
この後、青柳宿までとも思ったんですがさすがに疲れました。
西条(にしじょう)で今回の芭蕉の追っかけは一旦終了です。

芭蕉を歩く信濃路の旅はこれから「青柳宿」、「麻績宿」、
「猿ケ馬場峠」、「姨捨」、「坂城」そして「善光寺」へと続きます。

2008年5月28日 (水)

芭蕉を歩く・中山道木曽路

芭蕉を追って「更級紀行」の句碑めぐり、
中山道木曽路の木曽福島から再開しました。

とにかく短い紀行文で足跡(句碑)を追うといっても少ないんです。
前回の続き(といっても1年半ぶり)で寝覚の床の次に句碑が
あるのは鳥居峠でした。

木曽福島から鳥居峠を越えて奈良井宿までの追っかけです。

Kisoji01
お馴染ですが福島宿の北にある冠木門、
歩く道順としては福島関所を出てすぐの出口になります。

Kisoji02
門の傍に咲くハリエンジュ(ニセアカシア)の甘酸っぱい匂いに
むせながら次の宿・宮ノ越へとこの日の旅立ちでした。

国道19号線を歩き、
途中で右に木曽駒高原の標識を見る手前で旧道に入ります。

Kisoji03
後ろに中央アルプスの雪の山々が見えますが、
ここにあるのが「中山道東西中間の地」の案内板です。
京都へ、江戸へ67里28丁、約268キロです。

そして宮ノ越宿。

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芭蕉が「偖骸は木曽塚に送るべし」とまで遺言した木曽義仲の
菩提寺である「徳音寺」、像は巴御前です。

Kisoji05
徳音寺の傍にある「義仲舘」、この日は定休日でした。
奥に見えますのは右が義仲、左に巴御前の像です。

そしてさらに旧道を行くと、

Kisoji06_2
巴渕と呼ばれる急流渦巻く・・・とはいきませんが場所です。
芭蕉には関係ないんですが、ここに架かる巴橋の袂に
弟子の森川許六の句碑がありました。
”山吹も巴もいでて田植えかな” 山吹も巴も義仲の愛人とか・・・。

ここから再び国道歩きで次が薮原宿です。

Kisoji08
ここも芭蕉には関係ありませんが、
旧木祖村役場前の一里塚跡の碑と、なぜかD51です。

Kisoji09
何もない宿ですがここは「お六櫛」で知られるところですが、
今も数軒の店があって、わずかに街道宿の面影を残します。

宿をさらに行くとこの日のハイライト鳥居峠への登りが始まります。
といってもまだ町中からです。

そして峠口に出ました。

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いきなりこれですわ!何の心配もないんですが
こちらも持っているものは使うで、一応熊よ除けの鈴を付けます。

九十九の道を登って行きます。
そしてこれがこの日の目的でした鳥居峠。

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峠の頂上下にある休憩所とそこに建ち並ぶ句碑・文学碑です。
そのなかに芭蕉の句碑が二つ。

    Kisoji14
更科紀行にある
「木曽の栃うき世の人の土産かな」
(木曽のとち浮世の人のみやげ哉)元禄元年(1688)吟。
もう一つの句碑は紀行には関係なく大和で詠まれた句でした。

そして鳥居峠の頂上です。

Kisoji16

この御岳遥拝所の鳥居がこの峠の名前の由来ですが、
またここは木曽川水系と犀川水系の分水嶺でもあります。

ここから一気に峠を下りますが、道はかなり荒れています。
途中の見所も見ながら下ることおよそ40分ほど、
そして見えてきたのが奈良井宿です。

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木曽路のなかでも最も旧宿場の面影を残す奈良井。
馬籠・妻籠のような華やかさのある?宿場町ではありません。

芭蕉を追って最後の木曽路をと選んだ場所です。
この日の目的は鳥居峠でもありましたので、
この奈良井宿は別記事で紹介します。    

2006年11月 1日 (水)

中山道 寝覚の床・木曽の棧

芭蕉「更科紀行」。
さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりすゝむる秋風の・・・
で始まり、途中に・・・棧はし・寝覚など過て、猿がばゝ・たち峠などは
四十八曲とかや、・・・(略)。と
わずかに地名が出るだけの短い紀行文。
詠まれた句も同行の越人が句2句を含めて13句である。

最初の句が木曽の棧で詠まれた。
句を訪ねて寝覚・棧を歩く。

JR倉本駅を8:45に出る。寒い!。
Tシャツではチト厳しかった。
立町から宮戸へと草叢の道を行く。

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道沿いのススキに秋を感じる。癒されるね~。
この辺りの中山道はあまり見るものがない。

国道19号を歩く道が多いから歩道のないところは車が怖い!
小野の滝を見ると国道から離れ旧道(県道266号)に入る。
結構きつい登りが続くが木曽路はすべて山の中?か。

旧道に残る「越前屋」と「たせ屋」に挟まれた小道を寝覚に下りる。
観光地だがさすがに平日、それともシーズンオフ?か人が少ない。
入山料200円を払いまずは臨川寺の芭蕉句碑。

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”昼顔に昼寝せふもの床の山”
近江彦根で詠んだ句である。
隣に子規の句碑がある。

お馴染の観光写真と今年初めての紅葉を見る。

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この辺りまで来ると少し色付き始めている。
旧道に戻り見帰、宮前と集落を行く。
この辺りは旧道歩きが楽しめる。
左に上松駅をみると上松宿。
短い宿を抜け再び国道を歩く。
2キロほどで棧の標識がでる。
いつもは車で通り過ぎる棧の上。
赤い橋を渡って対岸に出る。
正面に芭蕉句碑、振り返ると棧跡。

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”棧や命をからむ蔦かづら” 
元禄元年(1688)、更科紀行。

この碑を見るために歩いてきた中山道。しばし佇む。
ここにも隣に子規の句碑が建つ。

国道に戻り沓掛から旧道へ。
神戸から鳥居と行き中平へ。
中平立場から木曽福島市街へ入る。
塩渕で道を外す。
直進して福島宿に入ってしまった。高札場まで行って戻る。
市街地に入る手前で右に折れるところを外したようだ。

芭蕉「更科紀行」ハイライト。
次は北国街道脇往還。洗馬から「善光寺西街道」に入る。
さて今度はどこから歩こうか?

        詳細=中山道 寝覚の床・木曽の桟

2006年10月30日 (月)

中山道・美濃路から木曽路

芭蕉句碑を訪ねて中津川宿から落合、馬籠、妻籠と
中山道のハイライトを歩く。

1030kisoji_001_1まずは中津川駅改札横の碑。
「これより北 木曽路」。
新茶屋の碑を見ている者としては
ここに?と複雑な気分。
これも観光のため?ですよね~。

駅から少し戻り、中津川の橋の袂
本町四丁目から中山道に入る。



1030kisoji_007_1
いきなり卯建の上がる町並みが続く。
カラー舗装の旧道を、本陣、脇本陣、
往来庭と見ながら突き当たると茶屋坂。
県道を越えて短い石畳を登ると芭蕉句碑がある。

1030kisoji_024
「山路来て何や羅游かし寿み連草 ばせを」
貞享2年「野ざらし紀行」吟。
説明には詳しいが省きます。

落合五郎兼行の城跡を見て国道を渡ると落合宿。
本陣、脇本陣、常夜灯をみて宿を抜け、強烈な登りを行く。
山中薬師を過ぎると程なく落合の石畳。

途中、「なんじゃもんじゃの杜」を過ぎると
石畳から新茶屋に出る。
一里塚、藤村木曽路碑、芭蕉句碑が並ぶ。

  1030kisoji_064  1030kisoji_066
「是より北 木曽路」碑。  芭蕉句碑
                 「送られつ送りつ果は木曽の穐」
                 芭蕉、更科紀行での吟。

ここから大妻籠の庚申塚まではかって歩いた中山道。
はっきりと記憶にある。
もっともこのコースは完璧に案内標識が整備され
迷うことはない。
地図を持って出たがまったく使わなかった。

 1030kisoji_075 1030kisoji_105
観光客の多い坂の町馬籠宿を抜けると馬籠峠まで登りが続く。
峠の集落を抜けると馬籠峠、標高801メートル。
ここから山の地道を下る。
 1030kisoji_114_1 
ハイキングコースだけに
道は整備され歩きやすい。
といってもやはり山道。
いきなり野生動物に注意!。
熊注意!の立て標柱。いやだね~。

たまにある綺麗な杉林の遊歩道。
こんな道は歩いていて癒されるわ。



最後の石畳を下りると大妻籠。
古い家並みを見ながら行くと妻籠宿に入る。

1030kisoji_141
こちらは馬籠宿と違って落ちついた雰囲気がある。
建物も昔の面影を残して宿場らしい。
宿場を抜けて14:35。
南木曽駅15:06の電車に乗るつもりが、
距離表示が3.6キロ。うそ~。
宿手前の駐車場のおじさんは駅まで30分?かといったぞ。
あわてて案内所に戻り時間を確認する。
15:44特急しなのがあった。なら間に合う。
ピッチを上げて急ぐ。
途中2~3の見所を押さえて駅に急ぐ。
15:15南木曽駅に着く。

中山道を歩き通す気はないが、次は更科紀行木曽の桟。
どこから歩こうか?これも楽しみです。
 
         詳細=中山道 中津川宿から南木曽 

2006年9月 3日 (日)

東海道 大井川と小夜の中山

芭蕉「野ざらし紀行」、冨士川の次は小夜の中山。
金谷宿を挟んで東の大井川と西の小夜の中山越えは東海道の難所。

ついでなら両方を歩こうと島田から出る。
ここはまた芭蕉の句碑が多い。
駅西から句碑を拾いながら東海道を行く。0903nakayama026
島田も宿の面影がほとんどなく、
大井川川越遺跡に当時の面影が
偲ばれるだけだ。

渡しの跡を見て堤防を少し北に行き、
長い川を大井川橋で渡る。
少し南に戻り、旧道を金谷宿へ。

駅の手前で東海道線をくぐるとすぐの「長光寺」に芭蕉句碑「道のべの木槿は馬に喰はれけり」がある。

すぐの急坂を行き県道を渡ると石畳の金谷坂。
登りきると芭蕉句碑。
すぐに菊川坂の石畳を下る。
間の宿・菊川を抜けると強烈な急坂を登る。
ここは生活道路だが、かなりきつい坂道(青木坂)。
登りきると「久延寺」。
境内に芭蕉句碑
0903nakayama077「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」。
傍に往時から続く峠茶屋「扇屋」がある。

0903nakayama078

ここから
沓掛までの道辺には
歌碑、句碑が建ち並ぶ。
急坂(二の曲り)を転げ
落ちるように行くと
日坂宿。



宿場の様子が色濃く残る小さな宿場だ。
高札場の下木戸を抜けると、
後は掛川宿まで見るところもない街道を行く。

掛川城。
ここまで来たら見ないわけには行くまい。
大河ドラマも、丁度今日から掛川が舞台だそうである。
一豊と千代。
長浜、郡上八幡と訪ねてここ掛川。
三度目の正直?
もしかして?高知にも行けということか・・・?

  詳細=東海道 島原から掛川宿 (大井川川越と小夜の中山)

2006年8月31日 (木)

東海道・吉原から由比宿

富士市に、芭蕉が「野ざらし紀行」の冒頭で詠んだ
「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」の句碑がある。

前から訪ねてみたいと思っていた。
せっかくなので東海道を吉原から由比宿を歩くことにする。

9:00 吉原駅を出る。すぐに道を間違う。
道なりに行くところを直進してしまってうろうろし、
元に戻って東海道に入る。
30分のロスで再スタート吉原宿に向かう。

Pict0003_2しばらく行くと名勝「左富士」、
東海道を東から西に来るとここだけが
左に富士が見える。
広重も描いた左富士の名勝だそうだ。
だが、今は周りは工場群で何も見えない?
これはかっての名勝だ。
この先の吉原も宿場の面影は全くなく、
商店街の東海道を行く。

塔の木、本市場とから富士本町へ。
ここで街道を外れ今日の目的である芭蕉句碑を訪ねる。
富士駅前商店街を駅手前で平Pict0035垣公園に折れる。
Pict0034_1








公園の片隅に「野ざらし紀行」の”富士川にかかりて・・・”
の部分が刻まれた黒石の「捨子の碑」2基が並んで建つ。
                      
もともとは富士市の市民センターの駐車場にあったものだが、
Pict0027センターの改築でこちらに移したそうである。

ここにはもう一つ芭蕉の句碑があった。
「ひと尾根はしぐるる雲か不二の雪」
貞享4年(1687)柚木の茶屋で詠んだ句である。
これは知らなかった。何か得した気分?と
勉強不足を痛感する。
これで今日の目的はすんだ。


後は惰性で?東海道を歩くだけ?
富士川を渡り、間の宿岩淵、蒲原宿へ。
大正時代の洋館「旧五十嵐歯科医院」、
「旅籠和泉屋」の旧家をじっくりと見せてもらい、
久し振りに街道歩きを堪能する。

蒲原宿を抜けると由比までは3キロ。
由比本陣公園を見て由比宿を行く。
ここはいわずと知れた桜えびの漁港地。
今夜の酒の肴にはこれ!と買ってしまった。
街道歩きはこの時点で終わり。心はもう家路に向う。
由比駅までの1キロがこんなに長かったとは??

   詳細= 東海道 吉原から由比宿

2006年8月15日 (火)

竹内街道と芭蕉綿弓塚

堺市大小路から竹内峠を越え、
當麻町の長尾神社まで約27キロの竹内街道。
短い街道だがはるか推古天皇が西暦613年に作った
「大道」が起源とされる日本最古の官道(国道)である。

竹内集落は芭蕉と「野ざらし紀行」をともにした
千里の故郷でもあり、芭蕉「綿弓塚」がある村。
暑いけど思い切って出かける。

Pict0001_2近鉄南大阪線「上ノ太子駅」駅前に
「竹内街道」の石碑がある。
駅前の道が竹内街道。
しばらく国道を行き、赤坂町で旧道に入る。





Pict0009_3道はカラー舗装された集落の街道を行く。
六枚橋バス停を過ぎて道はゆるやかに登っていく。
孝徳天皇陵の道標をみてさらに登ると
「竹内街道歴史資料館」があるが今日は休館日。
すぐ先の道の駅で「力餅」を買い昼食に備える。
道は国道166号に合流し竹内峠へと登っていく。

峠手前の「万葉の森」。
二上山への登山道があるが今日はパス。
真直ぐ峠へ。

Pict0019閉鎖された道を行くと峠の国境に
三基の碑が建つ。

左に「鶯の関跡」碑。
「鶯の関跡」を見るのは二度目だ。
一度目は「奥の細道」で歩いた南条の
「鶯の関跡」。


道はここから下りに入り、展望台横から旧道へ。
杉並木の中、横を抜けて旧道は再び国道へ。

Pict0033 すぐに、竹内集落に入る。
大和造の家が建ち並ぶ集落を行くと
「芭蕉ゆかりの綿弓塚」がある。
ここは「野ざらし紀行」で芭蕉に同行した
千里の里。




「大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云處、
 彼ちりが旧里なれば・・・わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく 」
と「野ざらし紀行」にある。Pict0039

その綿弓塚。
右側面に「綿弓や琵琶に慰む竹の奥」が
刻まれている。
傍には千里の
「深川や芭蕉を富士に預け行く」の句碑もある。
ここは司馬遼太郎が
幼少のころ暮らしたところでもあるそうだ。

少し先に地蔵堂。傍らに「左たいま道」の道標。
芭蕉も當麻寺には二度訪れている。

二上山にはいけなかったがここはつい寄り道をする。
ここにも芭蕉の句碑があるはずだが、
今日は本堂にお参りするだけ。

Pict0064街道に戻りバイパスをわたると
長尾街道の追分。
直進するとすぐに長尾神社の横、
竹内街道の終点に着く。

わずか26キロの街道だが
この8キロに凝縮された竹内街道。


満足の街道歩きでした。

詳細=竹内街道 上ノ太子から磐城