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2018年10月31日 (水)

飯田街道 四郷から足助へ

少し間が空きましたが、以前に歩いた「飯田街道」の続きです。
この日は愛知環状鉄道四郷(しごう)駅からの再開でしたが、
この道筋には旧街道らしき場所に観音堂や常夜灯が多くあります。
また、旧名鉄三河線の廃線跡をたどることができて飽きません。
今回は特にそんな旧鉄道跡とともに、紅葉前の足助までです。

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四郷駅から下古屋の通りに入って旧道を探しながらのスタート ^^;
少々分かり難い、細い旧道を天道、井上町の集落を抜けて行くと

Iidaka02

広大な「豊田市運動公園」の傍を通ります。
この日は平日でしたが、多くの方が散策中 でした ^^
通りすぎると御船町に入ります。

Iidaka03

すぐにあるのが旧名鉄三河線の「御船駅」跡。
今は「ふれあい広場」になっていますが、以前は吉良吉田から
中金町の「西中金駅」を結んでいた三河線の廃線跡です。

この先で東海環状道をくぐりますが

Iidaka04

そのすぐ先、畑のなかに建つ「御船城跡」の碑と説明板。
道から遠いため近付けず詳細は分かりませんが、
文明二(1470)に応仁の乱で戦功のあった児島右京亮義明が、
御船、亀首、加納を領有し館を構えたのが始まり・・・とか。

ここから奥山畑、坂上、枝下(しだれ)と歩き、猿投グリーロードをくぐると、
先に見た旧三河線の枝下駅から延びる廃線跡があります。

Iidaka05

旧街道は前田地区で矢作川を船で渡ったようですが、
今はその線路を横切って「両枝橋」で渡ります。

Iidaka06

その矢作川、手前の左右に渡船場らしき跡が見えますが・・・?
橋を渡り道は川の反対側を戻るように石野町稲上の集落へ。

Iidaka07

ここでも分かり難い道を探しながら、グリーンロード北側の道へ出ます。
ここから道はゆっくりと登って行きますが・・・ひと汗掻いて

Iidaka08

着いたところに建っていた祠。ここが「力石峠」の頂部でした ><;
道はここから林の中を急降下して行きます。

Iidaka09

出たところが国道153号線。
石野郵便局の横に香嵐渓までの距離表示がありますが、
これは11月から始まる”紅葉まつり”のためのものでしょう。

ここからは長い国道歩きになりますが

Iidaka10

途中、中金町にあったこの駅舎が旧名鉄三河線の終着駅、
「西中金駅」跡です。

Iidaka11

残されていたプラットホームの先に延びる線路の先は行き止まり。
鉄道は三河鉄道時代に足助まで延伸される予定でしたが、
目的は達せられずにここで終わっています。

ここからは国道と付かず離れずにある集落内の道を行きます。

Iidaka12

野口町では”ふれあいの道・しゃくやく街道”なる道へ。
この町は野口雨情の祖先ゆかりの地ということでその碑があります。

あとは中切町までのどかな道を行き、井ノ口町で国道に戻ると

Iidaka13

すぐに追分の交差点ですが、ここから足助大橋までは約2km。

Iidaka14

旧道はその足助大橋を渡らずに直進、
巴川沿いの道に入って足助の宿へと向かいます。

Iidaka15

足助宿町西の入口にある「馬頭観音」。
(左屋根の先に見えるのは芭蕉句碑 ^^;)
道を真っ直ぐ進めば足助の古い町並み中心部ですが

Iidaka16

色づき前で紅葉もまだこれからの香嵐渓を眺め ^^;

Iidaka17

旧街道は川沿いを下って行きます。

Iidaka18

渡る橋は「落合橋」

Iidaka19

左に「足助交流館」を見て、ひと筋南の西町に入って直進

Iidaka20

旧街道の辻に建つ弘化2年(1845)の道標。
「右ほうらいじ道  左ぜんこうじ道」とあり、
ここが中馬街道(飯田街道)と遠州街道の分岐で飯田街道は左 ^^;
細い道をひと回りして

Iidaka21

出たところが「足助商工会」前。
旧街道は右に「中橋」を渡って足助川右岸へ

Iidaka22

新町「天王社」を右に曲がるとお馴染みの足助の町並み。
新町、本町、田町へと続く道ですが・・・この日はここまででした。

名古屋の「札の辻」から赤池までを歩いて以来、
いつか足助まではと思いながら、長い間の中断でしたが ><;
ようやく足助までを歩き終えた「飯田街道」でした。  camera 30日

2018年10月23日 (火)

熊野古道 女鬼峠

お伊勢参りをすませた後に、多くの旅人たちが目指したのが熊野詣。
そのスタート地となる田丸(玉城町)で巡礼衣装に着替えた人々は、
熊野街道(伊勢路)で熊野三山へと向かいますが、
多くの峠を越える熊野街道(古道)で最初に越えるのが「女鬼峠」です。

この日はウオーキングには絶好の秋晴れ!
田丸から、古い町並みの残る玉城町、多気町内を歩き、
女鬼峠(めきとうげ)を越えて栃原(大台町)までのコースでした。

Kumanok01

JR田丸駅前にある「熊野古道伊勢路出立の地」碑と像、
ここから北に少し歩いて伊勢本街道に出ます。

Kumanok02

伊勢本街道を西に向かうとあるこの道標。見てびっくりしましたが、
長い間、玉城中学校に移されていた本来の旧道標です。
いつからか?こうして元に戻されていましたが、ここが初瀬街道と
伊勢本街道の合流点で、熊野街道が分岐するところ。
田丸は熊野詣の出発地でもあり、紀州街道で吉野・高野、
西国観音巡礼へと向かう人たちで賑ったといいます。

田丸も旧宿の面影を残していますが、
この先、コースの見どころとともにまたにして、今回は女鬼峠です。

Kumanok03

田丸の旧宿を抜けて県道13号線に出るとあるこの石柱。
ここから南に下った宮古にある「神照山廣泰寺」への寺名柱ですが、
道標を兼ねたもので、「右 くまのかうやよし乃 左 たな・・志摩・・道」、
北面には「神照山廣泰寺 是より十五丁」と刻まれています。
南に下ると、渡会町を経て南伊勢町を通る熊野脇道への分岐点。

本街道はここから西に向かいますが、すぐに野篠。

Kumanok04

その道端にあるのが「接待地蔵尊」。地蔵尊の詳細は省きますが、
ここにあった旧家ではお茶の接待がされていたという。

ここから長い県道歩きになりますが、蚊野から原と行き

Kumanok05

旧道の分岐にあった「石佛庵」と「巡礼道引観世音」。
西国三十三観音が祀られ、”くまのぢを みちびきたまえ かんぜおん
きよきふじょうも ひとはゑらばず ”のご詠歌が掛かっています ^^;

ここから昔の面影が色濃く残る腹の集落を抜けて多気町へ。

Kumanok06

野中にある「永昌寺」、ここも見どころの多いお寺でしたが、
ここでうっかり見落としそうになった道しるべ 。

Kumanok07

すぐ左脇にあったのが目的の「女鬼峠」への案内でした ^^;
ここから道は集落のなかを右左折して行きますが、

Kumanok08

すぐの角にあったのがこの道標。
東面には「左 さいこく道」、北面には「よしのかうやみち」、
西面には「すくさんくう道」と刻まれています。
ここは和歌山別街道との分岐で、道標は天保4年(1833)のもの。

この先で「西外城田神社」を見ると県道119号線に出ます。

Kumanok09

しばらく県道を歩き、野中の南にある最後の集落を抜けると、
道路わきの峠案内板で雑木林の中の里の道へ。

Kumanok10

林を抜けた先で伊勢自動車道をくぐります。

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そしてようやく目的の「女鬼峠」多気町側登り口です ^^
ご覧のように思っていたよりは明るい入口でしたが・・・

Kumanok12

そこはやはり峠道 ^^;昔は荷車も通ったとか?轍の跡が残ります。
このあとも「水飲み場跡」や「石積み跡」などを見て登っていくと

Kumanok13

女鬼峠に到着!

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茶屋跡が残り、横から巻いて行くと展望台ですが、
それは別ルートで行くとして、まずは見たかった切り通しです ^^;

Kumanok15

熊野古道の峠は石畳が人気ですが、
このような切り通しのある峠道はここだけでしょうか ^^

Kumanok16

一部では崩れた感もありますが、掘削跡のある岩や

Kumanok17

石積みもしっかりと残っています。
古道の峠道は我が歩いた限り、どこもそれなりの雰囲気がありますが、
標高120mと標高差が少ないものの、ここはまた格別の趣でした。

少し興奮気味で展望台に立ち寄ります。

Kumanok18

峠の山頂から眺める熊野方面の山並み。
ひと休みして戻ります。

Kumanok19

戻った峠すぐ下には、この日出会ったただ一組のグループです^^;

Kumanok20

その方たちが休まれていたところが「名号碑と如意輪観音像」前。
名号碑(右)には”南無阿弥陀仏”と彫られていて、
祠の中には「如意輪観音」が祀られています。

ここから下りになりますが、こちらの道は広くて明るい道。
気持ちよく下って行くと

Kumanok21

「大神宮寺相鹿瀬寺跡」があります。
天平神護2年(766)、称徳天皇により建立されましたそうで、
周囲から奈良時代の軒瓦などが出土しているという。

Kumanok22

すぐに相鹿瀬(おうかせ)の集落に出ます。

このあとは多気町から大台町に入り、千代、柳原、新田と続く、
旧道の見どころを楽しんでJR栃原駅まで。
距離は約15kmほど、5時間の行程でした ^^;   camera 21日

2018年10月10日 (水)

飯田街道 赤池から四郷

以前に拳母街道を歩いたときに、次は飯田街道をと思っていましたが、
この日は絶好のウオーキング日和。
足の調子もほゞ回復したこともあり、とりあえず赤池から四郷(四郷)まで、
万一のことも考えてエスケープのできるところを歩きました。

スタートは拳母街道との追分になる赤池交差点から。

Iidak101

拳母街道は右に行きましたが、
飯田街道はそのまま県道58号線を直進して行きます。
この道もまた急開度の面影がほとんどない道を歩くだけ ^^;

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途中に見られる常夜灯や、道筋の祠もわずかで見どころもなく、
日進市の野方町、蟹甲町、米野木町とただ歩いて行きます。

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米野木の五反田交差点も直進して行き、
東名高速道路をくぐります。

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その先にあった「飯田街道」の案内板。
これがただ一つの飯田街道を示すものでしたが、
この道のいわれはご覧のとおり ^^;

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咲き残るハギの花!道はゆるやかな上りになります。

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すぐに名古屋商科大学前通過

飯田街道は名古屋の城下町の「札の辻」から東南にある
東区駿河町を起点として、名古屋市内を抜けると、日進市から
豊田市を経由して足助へ。足助からは中馬街道(塩の道)とも
呼ばれて飯田へと通じている物流の道です。

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右にゴルフ場の入口を見ると豊田市へと入りますが、
ここが一応?三峯峠。
峠とは思えないきれいなところでびっくりも ^^;道は下りに。

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下ったところの豊田市田籾町(たもみちょう)にあった「鶏石」、
詳細は省きますが左手の大きな岩が鳴いたという・・・伝説の場。

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道を下りきるとしばらくで国道155号線にでますが、
ここで右折。

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すぐにあった役行者大菩薩像と祠ですが、
由緒は分かりませんでいたが・・・立派な石像でした。

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狭い国道を歩いてすぐの塚原交差点。
県道58号線は足助方面へと曲がり保見町に入っていきます。

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伊保小学校南門の傍に建つ二宮金次郎像。
最近見ることは少ないですが、この像を見ると気持ちが安らぎます ^^

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愛知環状鉄道の保見駅を見て貝津で少しだけ旧道へ。
歩いてきた国道58号線は、何ヶ所かで旧道を歩きますが、
道筋でみた常夜灯はこのひとつだけでした。

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ふたたび県道に戻ると篭川を渡ります。
この日の目的地四郷はもうすぐ。

Iidak115

愛知環状鉄道の高架をくぐると下古屋。
先の交差点手前で道は左に曲がりますが、この日はここまででした。
道を右に曲がって

Iidak116

愛知環状鉄道「四郷駅」に到着。

この日はここまで15kmほど、足助までのほゞ中間点です。
10年ほど前に名古屋の飯田街道を歩いて以来でしたが、
残りの足助までは早い時期にと思いながら・・・さて? ^^;   camera 9日

2018年9月18日 (火)

一宮市今伊勢 酒見神社

岐阜県一宮市今伊勢町本神戸にある「酒見神社(さかみじんじゃ)」。
岐阜街道を歩いている途中に知りましたが、
その名前と、皇大神宮御聖蹟の名柱に思わず立ち寄りました。

倭姫命が滞在した「中嶋宮」の跡とされ、元伊勢のひとつとか。

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鳥居をくぐり真っ直ぐの参道を行きます。

Sakamij02

右にあるのは神池でしょうか?

Sakamij03

拝殿鳥居前には蕃塀があり左手に手水舎、
参道はその横を回り込んで鳥居をくぐります。
尾張地区の神社ではよく見られますが、”不浄除け”や、
拝殿を直接見れないようにとの意味もあります。

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その右手には少し北に窪んだところに「山王社」

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西側の奥には「秋葉社」です。

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第二鳥居をくぐって拝殿前へ。

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御祭神は天照皇大御神、倭姫命と、酒造の神である
酒弥豆男神(さかみづおのみこと)、酒弥豆女神(さかみづめのみこと)。
「倭姫命社」は本殿の裏に祀られているようです。

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右手に並び建つのは末社の「熊野権現社」に「天王社」
その奥には「磐船」ですが・・・

Sakamij09

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前に建つ石柱には”・・・往昔皇大神宮へ奉納の白酒黒酒を醸造し
此の磐船を以て搾取せり」と刻まれています。
かっては船の形をしていたようです。

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左手奥には

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正面に皇大神宮遥拝所

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神社の社殿は北向きに建てられていますが、
こちらも南にある皇大神宮を遥拝するようになっています。

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その横にある霊水「栄水の井」
白酒黒酒を造る際に使われたとのことですが、
”・・・霊水を身に滌ぎかけ邪念を祓ひて除厄招福を祈願せば
無病息災延命長寿家内安全商売繁昌に霊験あらたかなるべし・・・”とも。

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”・・・倭姫命が伊勢の地を求めて旅される途中、垂仁天皇14年(紀元646)、
当村に渡来された際、村民の奉仕により社が建てられたのが神社の始まり・・・
また清酒の醸造は酒見が最初とあり、酒見神社は清酒醸造の元祖の神社
という事になります・・・”とも。

ここもまた街道歩きで知った倭姫命ゆかりの神社でした。   camera  16日

2018年9月17日 (月)

岐阜街道 一宮本町から笠松湊

ようやく晴れるとの天気予報に歩き残した「岐阜街道」の続きでした。
前回は愛知県一宮市の本町通りまででしたが、
今回はその続きで一宮本町通りから岐阜県笠松町の笠松湊まで。
残りの街道は短い距離ですが見どころも多く、それはまたとして、
まずは歩いた街道筋の様子をサラッと紹介します ^^;

この日のスタートは本町通りから南へ少し下ったところから。

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その銀行角にある「一宮城跡」
一宮城:築城時期は不明。真清田神社の神主関成重が築城。
のちに不破広綱が入場するが、天正18年(1590)に廃城となります。
この碑を見て旧街道に戻ります。

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岐阜街道
その続きは本町商店街のアーケードを行きます。

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抜けると「真清田神社」に突き当たりますが
道は神社に沿って左、右と小刻みに曲がり

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大宮一丁目筋に出てからはただ北上して行くのみ。
しばらくは何もない道筋を行きますが今伊勢で県道に合流すると、
その左手にあるのが「酒見神社」。

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皇大神宮御聖蹟とある神社だけに、ここは立ち寄りましたが、
詳しくはあらためて紹介するとして・・・先へ。
途中にある「彼岸縄手地蔵」など見ながら、しばらくは県道を歩くだけ。

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県道を歩き終えると、
馬寄(うまよせ)の交差点を過ぎた先で旧道(右)へ入ります。

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住宅地を抜けていくと少しだけ田園地帯を行きますが、
この道は県道190号(旧国道)から離れたすぐのところ。
先に見える東海北陸自動車道をくぐって木曽川町黒田へと入ります。

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黒田の町並み


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その道筋にある「愛宕神社」と

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そして「善竜寺」。
この門前と境内には「明治天皇黒田御小休所」の碑がありますが、
明治11年の明治天皇東海北陸巡幸の際に小休所となったところ。

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桝形を抜け、さらに先の旭橋で左折すると、
黒田城主山内家の菩提寺「法連寺」と山内一豊生誕の碑がありますが、
生誕の碑を見逃がしたため省略 ><;
ここもまた山内豊一の生誕地ともいわれるところです。

さらに道は北に向かった後西に方向を変え、
県道181号線でJRと名鉄線を越えると街道も大詰め。

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県道14号線に合流すると北方町中島に。
中起で最後の旧道へ入るとあとは木曽川へと向かうだけ。

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そのの先の川原屋敷
あとは木曽川の堤防に出るだけというところに、
「宝江の渡し跡」説明板と、津島街道分岐の道標が建ちます。

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道標には「右 津しま起道 左 なごや道」
起とは、ここから南に下った濃尾大橋近くにある美濃路の起宿。

道を挟んで建つ小さな「宝江渡跡」の碑を見て行くと

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木曽川堤防に出ます。
渡し後はどの辺りになるのか分かりませんが、
それらしきところに下りてみました ^^;

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ちょうど正面に「笠松湊の渡し跡」が見えます。
あとは木曽川橋に迂回して木曽川を渡りその笠松渡し跡へ。

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橋を渡って下りたところが岐阜県笠松町の「木曽川笠松渡船場跡」。
その石畳を上って行くと渡船場跡の説明板と

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「すぐ京道 右いせ道 左 なごや道」の道標、
その奥には芭蕉句碑もありますが・・・すごい草叢のなかです。
昔は?もっと綺麗なところだっただけにこの草叢はねぇ ><;

岐阜城下町からこの笠松湊までは御鮨街道(鮎鮨街道)ともいわれ、
すでに歩いているところ・・・。
これで稲沢市四ツ家追分から愛知県側の岐阜街道(名古屋街道)と、
岐阜県側の御鮨街道を歩き終えました。     camera 16日

2018年9月14日 (金)

長光寺地蔵堂 稲沢市

稲沢市六角堂東町の美濃路沿いにある「長光寺」。
岐阜街道歩きの最初に楼門と、門前にある道標を紹介しましたが、
ここには珍しい六角円堂の「地蔵堂(国重要文化財)があります。

織田信長も遊んだともいわれるその境内とともに、ちょっとご紹介 ^^;
まずは楼門(仁王門)をくぐります。

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足利尊氏が将軍宣下を受けた1338年に建立(奉納)、
江戸時代中期に再建されたという。

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門の左右には仁王像。
尾張六地蔵尊一番札所の門札がありますが、
二番札所は中区大須清浄寺の矢場地蔵(延命地蔵尊)、
三番は南区呼続の地蔵院、四番は緑区鳴海の如意寺、
五番は天白区島田の地蔵寺、六番は千種区今池の芳珠寺。

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門をくぐった先にある「地蔵堂(六角堂)」
仁寿元年(851)小野篁が陸奥国に下る途中、この辺りに駐杖したおり、
路傍に地蔵像を安置したのが始まりと伝えられ、
1160年に尾張守であった平頼盛が寄進したといわれます。

Choukoji05

北壁に須弥壇をおき、鉄造地蔵菩薩像が安置される。
もちろん内陣は見れませんが、外陣はすべて吹放し。
軒は二重の放射状の扇垂木、隅木下には風鐸(ふうたく)が付きます。

Choukoji06

屋根はとち葺型の銅板葺となっているが、
当初はこけら葺もしくは檜皮葺であったと考えられる・・・とも。
現在の建物は1510年に再再建されたもので、
その後は織田家、徳川家によって庇護されました。

まぁ、歴史のある地蔵堂ですが

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その回廊への石段です。

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これが何かを意味するものなのか?
それとも何の意味もないものなのかは分かりませんが、
ちょっと気になった文字でした ^^;

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観音堂

Choukoji10

そして奥にある本堂です。
さらにここには信長愛飲の臥松水(がしょうすい)と呼ばれる
井戸があるそうですが、確認していません ><;

周辺には信長ゆかりの「総見院」もあり、
少し南に下れば信長の居城「清須城」があります。 camera 11日 

2018年9月12日 (水)

岐阜街道 稲沢から一宮本町

岐阜市湊町にある御鮨所跡から笠松湊を経て、愛知県稲沢市の
美濃路「四ツ家追分」を結ぶ岐阜街道。
江戸時代、尾張藩が、長良川で捕れた鮎をなれ鮨にして、
江戸の将軍に献上するために整備したという街道で、
そのために岐阜県側では御鮨街道ともいわれています。

以前に岐阜城下から笠松までを歩いていますが、
今回は残りの岐阜街道を、愛知県稲沢市の美濃路四ッ家追分から、
一宮市木曽川町までを逆順で歩きます。

この日は稲沢市のJR清洲駅をスタートしてまずは美濃路に出ます。

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美濃路もすでに歩いているところですが、途中にある「長光寺」。


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その門前にある道標
かってはこの先の岐阜街道「四ッ家追分」にあったもので、
「右 ぎふ ・・・ 」「左 京都道・・・」で下は折れています。
資料に寄ると「右 ぎふ並浅井道」「右 京都道並大垣道」だそうです。

ここからすぐにその追分があります。

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稲沢市井之口四家にある美濃路と岐阜街道が分岐する、
「四ツ家追分」。

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美濃路と分かれた岐阜街道は、
しばらくJR稲沢操車場に沿ったあと北上して行きます。

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井之口から下津町(おりづちょう)に入って道は桝形に曲がり、
さらに北へと行きます。
この道もまた神社仏閣と街道筋の祠を見ながらの道中ですが ^^;

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下津片町を通る岐阜街道筋
道筋にはときおり旧街道らしき町並みも見られます。

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さらに北上していくと「赤池一里塚跡」
追分からちょうど4km地点で、傍に建つのは「御巡幸之跡」碑。

この先で県道166号線で道は分断されますが、
赤池居道の交差点で牛野通(県道190号線)を行きます。

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名神高速道の手前で一宮市に入ります。
この先、旧道は牛野通に付かず離れず小刻みに右左折して行き、
少々戸惑うところもありますが目印になるのはやはり神社仏閣 ^^;

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まずは牛野の「神明社」
その境内には”照手姫袖掛け松”なるものがありました。

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”浄瑠璃・歌舞伎で名高い照手姫が室町時代中頃 常陸(茨城県)の城主
小栗判官助重と恋の道行きの折 鎌倉街道脇のこの地の末に小袖を掛け
しばし休息したと伝える。・・・”と説明にあります。

ここからさらに細い道を行くと裁判所前にでますが

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高架で県道を渡るとすぐ前が「富士三社」
ここは「真清田神社」の御旅所でもあります。

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すぐ西にある「一宮一里塚址」碑
ここまでで美濃路の追分からちょうど8kmです ^^

さらに北に向かうと正面にある「地蔵寺」

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正面にある「仁王門」、境内には見どころが多いですが、
道を回り込んで行くと

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本町通り側には西門
この門の傍には市指定文化財?イチイガシの巨木があります。

あとは本町通りを真っ直ぐ行き本町商店街へ。

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旧街道はアーケードの商店街を通り抜けます。

この日はちょっと時間に制約があり残念ながらここまででした。
このあと木曽川町の「宝江渡跡」まではあと7kmほどでしょうか?
あらためて近いうちに歩き終えたいところです。  camera 11日

2018年7月 3日 (火)

拳母街道

春先に痛めた坐骨神経痛?も少しづつ回復している感じで、
今回は思いきって街道歩きに出かけてみました。
とはいえ、長い距離は無理とどこを歩くか悩みましたが、
途中で何かあった時にはエスケープができる・・・
そんな街道をと選んだのが「拳母(ころも)街道」です。

以前に歩いた「飯田街道」赤池の追分から、
豊田市(旧拳母市)市街地まで、約16kmほどの歩きですが、
旧街道として見るべきものは何もなく、ただ歩くだけ ^^;

Koromo01

愛知県日進市の赤池交差点
ここが「飯田街道」と「拳母街道」とが分岐する追分。
ここから国道153号線に出て側道を東へと歩きます。

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何の面白みもない国道の側道を歩くこと約50分ほどで、
東郷町和合牛廻間(うしばさま)の交差点、ここを右折。

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すぐに「念仏塚」なるものがありますが・・・これが何か?
説明板もなく分かりませんが、これが唯一の街道筋らしきものでした。

あとはひたすら県道36号、520号線を歩いて行くだけ。

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東郷町諸輪で県道54号バイパス、境川を越えるとみよし市ですが、
その手前で豊田まで8km、ここでちょうど半分です。

東名高速を越えるとすぐに豊田市。

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宮口町に入ると「宮口神社」がありますが、
ここは鳥居前だけで失礼しました。

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その先で逢妻女川を渡りますが、
ここは秋のヒガンバナで知られるところ 、もう豊田市街地はすぐです。

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小坂本町、から西町、桜町と市街地を小刻みに右左折し

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桜町本通商店街を東進していくと

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「拳母神社」西口、ここで右折して次の信号を左折。

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道は拳母神社の前を通りすぎて行きます。
この辺りは少しだけ旧道の雰囲気があるところでしょうか?

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すぐに矢作川の堤防に突き当って、この日はここまででした。
右に行けば国道301号線で松平、作手から新城への拳母街道、
左に行けば途中から足助への飯田街道に合流します。

ということで何とか歩いてきましたが、
見どころはないとはいえ、最後はやはり「拳母神社」 ^^

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神社を参拝しながら豊田市駅まで戻ります。

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境内には名木、古木が多いですが、
こちらは樹齢650年ともいわれる”くすのき”。

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秋の例祭”拳母祭り”で知られる拳母神社ですが、
江戸時代には「子守大明神」と呼ばれ、子供の成長を願う神様とも。

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拝殿前の狛犬はちょっと珍しい”子守(子だき)狛犬”です ^^

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本殿
創建については諸説ありますが一般的には文治5年(1189年)と。
明治4年(1871)に「拳母神社」と改称されます。

オマケ!

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私事で恐縮ですがここにも芭蕉句碑がありました ^^;
句は“ 木のもとに 汁も鱠も 櫻かな” 元禄3年(1690)吟
                       寛政11年(1799)建立

豊田市を通る旧街道では飯田街道が知られていますが、
今回歩いた拳母街道は豊田市の中心部(拳母)へと向かう道。
他とはちょっと違った旧街道?でした。    camera 6月30日

2018年1月30日 (火)

熊野古道 三瀬坂峠

今年は熊野古道でも歩こうかと、(もちろんその一部ですが ^^;)
まずは伊勢街道で田丸から分岐する古道最初の「女鬼峠(めきとうげ)」。
その行程を調べていたところ、
たまたま”三瀬坂峠を越えて滝原宮”のバスツアーを見つけました。
三瀬坂(みせざか)峠は女鬼峠の次の峠道です。

この熊野街道は交通の便が悪いのが難で、
個人的に歩くにはなかなかその交通手段に苦労するため、
これはちょうどいい機会と参加することに。
スタートの道の駅「奥伊勢おおだい」から佐原交差点で古道へ入ります。
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すぐに宮川を渡りますが橋は「舟木橋」。
レンガ造りの橋脚を持つ登録有形文化財ですが、先へ ^^;
このあとは長い県道歩きになります。

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紀勢自動車道をくぐると三瀬川の集落に入りますが、
すぐに「多岐原神社」への案内があります。立ち寄ります ^^

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多岐原神社(皇大神宮摂社)
倭姫命(やまとひめのみこと)が宮川を渡るときに案内をした
真奈胡神(まなこのかみ)が祀られています。

そのまま先に行くと宮川に出ますが

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ここはかって、巡礼者が舟で渡ったという”三瀬の渡し跡”。
古道に戻ると

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すぐに民家の脇に峠への三瀬川登り口があり、
しばらくは舗装された緩やかな道を行きます。

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途中から地道に変わると急な上り坂が続く道になり、
残りの距離を示す案内板につい目がいくところ ><;
とはいえ、短い峠道。

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この日はツアーでもあり寂しくはない歩きです ^^;

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すぐに峠の頂きに到着!

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石室のなかに祀られた地蔵は「宝暦地蔵」とか。

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視界は開けていませんがここには茶屋もあったそうで、
狭いながらも休憩がでるスペースがあります。

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あとは石ゴロゴロの急坂を下るだけですが、
ところどころには苔むす石も。

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約1kmほどの道を下ると里の登り口に出ますが、
見える道は国道42号線。

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登り口にある祠と常夜灯。
道は国道を渡り集落の中へと入ります。
集落には古道らしきものは何もなく、
すぐ先にある里の交差点で国道を渡り返します。

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あとは真っ直ぐに「滝原宮」へと歩くだけ ^^;

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滝原宮の森の中を歩いて行きますが、
この辺りは静かな宮内庁管轄地です。

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そして「滝原宮」に到着。
まだ1月だからでしょうか?たくさんの参詣者でした。

熊野古道三瀬坂峠。
峠の標高は256m、道も全長が約2、1Kkmと短いですが、
古道の雰囲気が十分に楽しめる峠でした ^^;  camera 29日

2018年1月29日 (月)

百曲街道と番割観音

今年は新年から続く街道歩きですが、
今回は少しまち歩きに近い街道歩きです ^^;

江戸の初期、尾張藩主・徳川義直の命により開かれた熱田新田。
その新田の北側に沿ってできた街道で、
道が幾重にも曲がっていたことから百曲街道と呼ばれた道があります。
尾張城下の大須から堀川、江川沿いに六番町へ南下して西へ、
中川、荒子川を渡り庄内川の明徳橋までですが・・・。

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この日は熱田の白鳥庭園南、国道1号線からです。

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まずは国道沿いにある観音堂の第一番観音堂。
熱田新田干拓のときに、その安全を願って333の番割ごとに、
西国三十三所に因んだ33観音像が祀られました。

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少し西に歩くとある慈教寺には第2番・3番観音がありますが、
寺内にあるため見ることができず石柱だけ ^^;
ここで1本北の道に出てその百曲街道に出ます。

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街道といっても道沿いには何もなく、
この日は立ち寄りの多い観音堂めぐりになります。

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4番町には第4番・5番札所。

熱田新田は、熱田神宮近くの1番割から西へ順に33番割まで区画され、
現在の熱田・港・中川区の一番町から十一番町の地名は
今に残るその名残とも。 

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6番町の新幹線高架下には第6番・7番観音ですが、
この辺りから番割の番号がなくお堂だけになってきます ^^;

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第8番・9番
お堂の前にあった石柱に数字がありましたが・・・?

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十番町に入ると第10番・11番観音ですが、
それを表すものは何もなく、
観音像もここまでお堂は閉められていて見ることができません ><;

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十一番町で国道1号線に出て、
中川運河を昭和橋で渡りますが・・・遊覧船でしょうか?

さて、この先は道が分断されていて、、
観音めぐりも道を大きく外れて中川区の新船町から昭明町、
明徳町辺りをぐるぐると回ります ><;

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いちばん南端にあった須成町の12番・13番、
民家のような中にあるお堂でしたが、
ここで初めて観音像を見ることができました ^^;
ここからはもう観音堂だけをめぐる歩きになり、
ただ自己満足だけの世界で・・・観音堂は省略します。

荒子川を渡り中島新町に入ると


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熱田新田の干拓工事にあたった鬼頭景義の墓がある「空雲寺」。

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墓もさることながら見事な黒松にしばし見とれました。
少し南に下った先で第25番から28番までを見て、
小碓(おうす)、明正一丁目で西井筋(稲葉地用水)を渡ります。

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その先からは百曲街道の面影が残るくねくねの道筋 ^^;

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すぐに街道沿いの観音堂がありますが、
ここに第29番から33番が祀られています。

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その傍にあった説明板。

この先も道はくねくねと曲がりながら庄内川に突き当たります。

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渡る橋は人道橋の「正徳橋」、その先は下之一色。

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新川沿いの堤防を行くと最後の観音堂が見えます。

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熱田新田33番割の工事にあたった鬼頭景義は、
最後に33番割観音堂を港区当知町に造りましたが、
庄内川の道筋を変えたときにこの新川堤防に移したといわれます。
また、干拓の最後になる堤防の締切りであったことから、
この観音は「みよどめ(澪止め)観音」とも。

百曲街道、今回は街道歩きとはいきませんでしたが、
熱田新田干拓で祀られた観音堂をめぐり、
現在も残るその番割に往時を偲びました。    camera 28日

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