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2023年9月29日 (金)

旧東海道 品川から日本橋へ

旧東海道歩きも最終章、歩き旅の2日目は距離が短く余裕旅 ^^
まずは宿の近く泉岳寺に立ち寄り拝観後のスタートでした。

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今回の道筋は国道15号線をひたすら歩くのみ、
大都会東京の真ん中、立ち並ぶビル群のなかをひたすら行きます。

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すぐに通り抜ける”高輪大木戸跡”
普通なら道を渡って近くで獲りますが、何せ幹線道路 
横断歩道が前後ともはるか先だけに道路越しです ><;

あとはもうひたすらビル群のなかを進むだけ

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田町駅の近くで偶然見つけましたが、
工事柵の中にあった「西郷・勝会見の地碑」です。

観光ならば見たいところはいくつかありますが、
とにかく東海道を歩き終えてからと先を急ぎます ^^;

浜松町、新橋と過ぎて銀座へ

Tokaidoksn03
新橋近くの銀座口にある「銀座柳之碑」
お馴染み東京行進曲の”むかし恋しい銀座の柳・・・”ではなく、
植えてうれしい 銀座の柳・・・”と銀座に特化した歌詞という
ただ、今はもう柳並木を見ることはありません。
 
Tokaidoksn04
銀座八丁目から銀座通り
実に半世紀ぶりの銀ブラで日本橋を目指します ^^

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時計のない(修復中?)四丁目の服部ビル(現和光ビル)

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銀座通りを過ぎると京橋、
高速道路下の草むらに隠れるようにある”京橋の擬宝珠”

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京橋を過ぎると日本橋はすぐ

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首都高の壁面にかかる「日本橋」の文字
高速道路の建設で往時の面影はないといわれる「日本橋」

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橋の中央にある麒麟(きりん)像の電飾灯、
日本橋到着!です ^^
これにて京都三条大橋からの旧東海道歩きは完歩です。

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日本橋船着き場

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橋の袂、北東角にある乙姫広場の乙姫像と「日本橋魚市場発祥の地」碑

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そして橋の西側にある日本国道路元標のレプリカ、
道路元標は道路の中央に埋め込まれていますが撮っていません ^^;

芭蕉を追って歩き始めた旧東海道、
目的は芭蕉紀行の句碑巡りでしたが、これにて全行程を歩き終えました。
次なる目標は・・・また気の向くままに ^^;    📷 25日

2023年9月27日 (水)

旧東海道歩き 神奈川から品川

芭蕉紀行を歩こうと芭蕉句碑をめぐり各所の旧道を歩き始め、
紀行文のひとつ、”野ざらし紀行”を追っかけて吉原から歩き始めた旧東海道。
気の向くままに歩いてきましたが、
いつの間にか箱根峠を越えて江戸は日本橋までと目的が変わり ^^;
その江戸(東京)が近くなりました。

前回は保土ヶ谷から神奈川へと入りましたが、残りは28kmとわずかになり、
東京地区は涼しい日が続くとの予報に最後の歩きに出ました。
正直横浜から日本橋まではほとんどが第一京浜(国道15号線)と
付かず離れずで見どころはあまり期待できません ><;

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今回は前回の続きで横浜駅から、
駅を出て国道に出るとすぐに跨線橋を越えた「神奈川宿」です。

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少しの間旧道らしくなりますが、その神奈川宿もわずかな区間 ^^

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ふたたび国道に合流する手前、キリンビールの敷地傍にある

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生麦の”生麦事件の碑”があります。
文久2年(1862)、薩摩藩島津久光の行列の前を横切った
イギリス人3人が、藩士により殺傷された事件でした。

生麦から鶴見へ入り”鶴見橋関門旧跡”を見ると

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すぐに鶴見川を”鶴見川橋”で渡ります。

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しばらくである「市場の一里塚跡」碑
この辺りは静かな道で旧道歩きを楽しみます ^^

この先、八丁畷の無縁塚を見ると川崎

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その入り口にあった小公園に「松尾芭蕉の句碑がありました ^^

立派な碑には ”麦の穂を たよりにつかむ わかれかな”
芭蕉が晩年故郷の伊賀に返る途中に詠んだもの。

児のsと川崎宿になりますが、町筋に見る者もなく ^^;

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宿の案内はこの「かわさき宿交流館」で・・・ ><;

Kawasaki
海道に戻ると”田中本陣跡”の解説版がありますが、
すぐに六郷の渡し・多摩川を新六郷橋で渡ります。

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この日は日曜日でもあり、多くの人たちが橋を渡っていました。
渡った先は東京と大田区、やっと東京へ入りました ^^

この先、長い国道歩きが続きますが

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大森海岸駅を過ぎて国道から離れると、すぐに「鈴ヶ森刑場跡」に出ます。

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多くの罪人が処刑されたところですが、
見せしめのために人通りのある街道筋に置かれたとか・・・。
あとは品川の商店街を抜けて行きます。

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南品川宿と北品川宿の間に流れる目黒川、
渡る橋は「品川橋」ですが、また境橋とも。

すでに夕刻 ><;

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黄昏迫る北品川宿の街道筋、
この日は工事中で何かよく分からない品川駅まででした。

歩いてきました旧東海道、残すは品川から日本橋まで、
あと8kmほど、最後の歩きは翌日に ^^   📷 24日

2023年7月27日 (木)

旧東海道 藤沢から神奈川

旧東海道歩きの二日目は藤沢宿から神奈川宿(横浜)へ。
江戸からは東海道最初の難関といわれた”権太坂”と品野坂”を越えます ^^
少しは旧道歩きが楽しめるかと思いながらでしたが ^^;

藤沢宿からスタートは藤沢橋を渡って直進して行けばいいんですが、
旧道は「遊行寺」前を通るため小刻みに道を回り込みます。

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高札場と横にある交流館を見ながら遊行寺前を回り込んで行き

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松並木跡の案内を見ると登る道は遊行坂。
登りきるともう横浜市戸塚区です ^^;
道筋のいたる所に立つ案内標柱を見ながら進む国道1号線

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”原宿の一里塚跡”標柱を見ると国道沿いにある
「お軽勘平戸塚山中道雪の場」碑。

この先国道は新道とも重なってやたら複雑ですが、
旧東海道も付かず離れずで続きます。

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戸塚淑”澤邉本陣跡”を過ぎると戸塚市の中心部へと入りますが

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JR戸塚駅の跨線橋を渡った先ですが、
この辺りの旧道はどこを行くのか?うろうろして、
手元の地図より道しるべを探す道中に ^^;

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「吉田一里塚跡」標柱
藤沢宿からすでに三つ目の一里塚跡、江戸からちょうど十番目の一里塚です。

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”江戸方見付跡”の案内を見て国道を離れた先辺りからは
さらに地図より道しるべを拾っていくことになりました><;

そして品野坂へ

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登った先は思わぬ?住宅街、住宅のなかの細い道をしばらく行くと、
鬱蒼としたところに出ます ^^;

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ここが神奈川県では唯一、両方に塚が残る”品野の一里塚”でした。

少し下ってから焼餅坂を上り返すと

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武蔵と相模の国境にある「境木地蔵」前に出ます。
あとは”権太坂”を下るのみ ^^

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その「権太坂」
江戸側からは初の難所となる約1.5kmほどの登り坂。
今は宅地造成で坂も緩やかになっているそうですが・・・
こちら側からは長い下りです ><;

下った先で国道に合流し、
少し先で本陣跡を見て国道を離れると保土ヶ谷宿です。

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問屋場跡、江戸方見付跡などの案内を見て

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賑やかな松原商店街を通り抜けて行きます ^^

浅間町に入り浅間神社を見て浅間下交差点から環状一号線に入ります。

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すぐ先で首都高速をくぐると神奈川区、
大都会の喧騒に引き戻される瞬間でした ^^;

神奈川宿はもう少し先ですが、今回の歩きはここまで。
土曜日でごった返す人ごみのなかを横浜駅へと向かいました。 📷 22日

2023年7月25日 (火)

旧東海道 大磯から藤沢へ

猛暑が続くなか梅雨が明けて少し暑さも和らぐとの予報に、
思い出したように旧東海道歩きの旅に出ました。
日本橋まで残すところ70kmほどとなった大磯から
今回は神奈川宿(横浜駅)までの約35km(一泊二日)です。

お昼前の大磯駅から旧街道に出て

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鴫立庵(しぎたつあん)の傍にある
「大磯発祥の地」碑を見て歩き旅のスタート。
しばらくで国道を離れると”化粧坂(けわいざか)”に入りますが、

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この辺りは旧街道らしい雰囲気が残るところ。
途中にある「化粧坂の一里塚」、「虎御前の化粧井戸」など見て
国道に戻ります。

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次の花水橋で再び国道を離れるともう?平塚宿(平塚市)です ^^

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県道を行く道筋には「本陣跡」「高札場跡」などの碑が建ちますが、
道は車が行きかい街道筋の面影はありません ^^;

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中心部にある「平塚宿江戸見付」跡のポケットパーク。

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町の外れにある”馬入一里塚跡”碑を見ると相模川にかかり

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渡る橋は馬入橋(ばにゅうばし)。

源頼朝が橋の落成式に出席した後に落馬し、
翌月に亡くなったという逸話からその名があるという ^^;
越えると茅ヶ崎市

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鶴峰八幡宮鳥居前にある”南湖左富士の碑”
ここから左手に富士山が見えたという・・・
東海道ではここと静岡県の吉原の二か所だけ ^^

茅ヶ崎は藤沢宿と平塚宿の”間の宿”で道中に見どころもなく

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途中にある”茅ヶ崎一里塚”を見て

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赤松町の松並木を過ぎると藤沢市へと入ります。

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国道から分かれるところにある”四ツ谷不動(大山道標)”と
右に「大山阿夫利神社」の一の鳥居。

ここで国道一号線から分かれ

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引地川を渡って藤沢宿の中心部に入ります。

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この宿も今は案内板が残るのみ

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道筋に立ち並ぶ変電盤?に書かれた藤沢宿の案内
これにはちょっとビックリ ^^

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この日はちょうど「白旗神社」の祭礼日でしたが、
賑わう町筋を楽しみながら一日目の歩きはここで終了。

変電盤の案内図を見ながら宿へと向かいました ^^ 📷 21日

2022年11月10日 (木)

熊野街道脇道 大紀町

伊勢本街道の田丸から熊野古道伊勢路の本道から別れて南下し、
度会町を抜けるふたつの熊野街道脇道。
今回歩いたのは度会町の北部を大紀町滝原へと抜ける道で、
この日は前回の度会町田口から続く滝原までを歩きました。
本来なら田口から滝原へと歩くべきところですが、
この区間の交通手段が不便で、JR紀勢線のダイヤも少なく、
帰宅時間を考えて逆順の大紀町滝原から度会町田口への歩きです ><;

まずは滝原駅から大紀町役場まで歩きすぐ下で熊野古道本道へ入ります。

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本道を少し三瀬峠方面に戻り、滝原宮手前で脇道と入りますが、
ここがその分岐、道を右にとります。

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ここからかっては難所であった?と思われる七保峠へと向かいます。
現在も途中に何か所か旧道(あまり踏まれた形跡なし)が残りますが、
今回は案内書通りに県道38号線をメインの道歩きです ^^;

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峠を越えた先にあるサイクリングロード案内のあるポケットパーク、
この後、県道を少し外れた旧道を行きますが

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再び県道に合流すると永会(えいかい)の交差点、
ここでしばらく県道と別れ、藤川沿いの静かな道を行きます。

Kumanowdaiki05
ふたたび県道38号線に戻り永会の集落を抜けて行くと、
次が金輪の集落
Kumanowdaiki06
すぐに「金輪公園」がありますが、ここで道が二手に分かれます。
右に行けば歩きには楽しそうでしたが、今回は左の県道を行きました ^^;
すぐに打見地区に入り

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七保小学校を過ぎるとそ県道46号線との分岐交差点。
左に行けば七保大橋から県道道42号線、並行する熊野古道ですが ^^
今回は脇道歩き、道は右へと曲がり野添地区へと入ります。

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旧道の面影が残る野添の集落、
過ぎるとまたまた味気ない山間の長い県道歩きですが

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道沿いに見るススキの穂や清流宮川の流れを楽しみながら歩いていくと
次が野原(のわら)地区

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集落に道を少し歩くと野原交差点、右に七保神社、道を挟んだ七保第一小学校跡に
”お葉つきイチョウ”の木がありとの案内、立ち寄ります ^^

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”お葉つきイチョウ”(県天然記念物)
樹齢350年、樹高20m、一部の実が葉の上なり

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葉をつけたままで実が落ちる?というそのお葉附きイチョウ、
木はたわわに実をつけていますが、落ちてみないと分からない? ^^;

少し楽しませてもらって

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大紀町は野原で最後の集落を抜けます。

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町境になる注連指(しめさす)川で、渡る橋の先は度会町の田口地区 ^^

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前回歩き終えた田口の集落に到着。
歩き始めて4時間30分、距離約19km、今回は案内書通りの道筋でした。
上田口からは伊勢市駅前のバスが1時間ごとに出ています ^^

今回は時間の都合上大紀町滝原からの逆歩きになりましたが、
2回に分けた熊野街道脇道・田丸から滝原まででした。   📷 8日

2022年11月 3日 (木)

熊野街道脇道 度会町

熊野街道(古道)伊勢路の歩きもさることながら、
今回はちょっと趣を変えて熊野街道脇道を歩いてみることにしました ^^;
熊野脇道は玉城町田丸で本街道から分岐して度会町に入り、
宮川沿いに西へと歩いて大紀町で本道に合流する道と、
度会町を南へと歩き、南伊勢町から熊野灘沿岸をたどりながら
紀北町で本道に合流する道があります。

今回は度会町の北部、宮川沿いを大紀町へと行く
比較的短い脇道を歩いてみました。

Kumanowaki01
まずは田丸の本街道と分岐するところにある道標を見て、
しばらくははっきりとしない道を歩き ><;
伊勢自動車道の玉城インターへ口から県道65号線に入ります。

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峠らしき道を登りつめると度会町、坂を下りきった先で県道と離れ西へ、
度会町の北部を牧戸地区から平生(ひろお)へと入ります。

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度会町は”わたらい茶”の生産地 
平生から立岡へは見事な茶畑を見ながらの歩きが続きますが 

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まずは平生のお茶畑のなかを行く道です ^^

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集落を抜けると道沿いにある「国束寺(くづかじ)」

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境内の色づき始めた紅葉と、参道口に咲く十月桜に癒されて先へ

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次が大久保地区
この辺りから県道38号線(伊勢大宮線)と付かず離れづの道に

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大久保から立岡への道沿いも見事な茶畑が続きます ^^
この後は立岡の集落を抜けて県道を歩き鮠川(はいかわ)へ

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ここに古道跡らしき鮠川(はいかわ)経塚地蔵があります。
あとは鮠川から長原地区と味気ない県道歩きになりますが

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坂井に入るとようやく宮川を渡ります ^^;

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中川大橋から眺める清流宮川の流れ、
橋を渡ると麻加江の集落へと入りますが、特に何もなし ><;
集落を抜けて再び県道に出ると次が田口地区

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度会町上田口の熊野街道脇道(県道38号線)
度会町はこの田口地区まで、この先大紀町七保へと入りますが、
この先交通手段がなく今回はここまででした。

ここで約半分の道のり(約18km)でしたが、
大紀町までの歩きはまたの楽しみです ^^;   📷 2日

2022年9月11日 (日)

十三街道十三峠越え・業平道

在原業平が河内高安の女性に会うために天理の櫟本(いちのもと)から
通ったという業平道。大和側は太子道や奈良街道が重なるところもあります。
大和側は少し歩いたこともあり、この日は河内へと向かう初めての道、
平群(へぐり)から十三街道で生駒山系の十三峠越えを歩いてみました。
業平が大和から八尾市神立(こうだち)にある玉祖神社(たまおやじんじゃ)
を参拝した際、茶屋筋に住む娘を見染めしばしばこの道を通ったという道。

初めて生駒山系を越える歩きですが、
まずはスタートの近鉄生駒線平群駅から

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駅の中心部?に出て、
正面に見える生駒山系の十三峠(じゅうさんとうげ)を目指します。

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役場を過ぎて龍田川を渡るとすぐに峠へと向かう道へ

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緩やかな坂道を行くと国の重文指定の「藤田家住宅」があり、
その傍の道を通り過ぎると道は次第に山道へ入り高度を上げていきます。

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福貴畑の集落を過ぎるあたりから眺める景色

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横断する道路は”信貴フラワーロード”
この辺りは小菊の畑が多くあり その中を縫うように峠を目指します。

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左手に「杵築神社(きづきじんじゃ)」を見ると平群の集落も終わり、
あとは峠へと最後の登り、といっても緩やかな坂道 ^^;

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登りきると信貴生駒スカイラインの下に出ます。
道はスカイラインをくぐって側道のハイキングコースに入りますが、
いったんトンネルの先でスカイラインの上に出ます。

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スカイラインに沿って続くハイキングコースに出ますが、
ここが「十三峠」で十三基の塚が並ぶ「十三塚」。

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思っていたよりちょっと視界がない峠でしたが・・・
まずは第一目的を達成 ^^ここから戻って河内へと下ります。

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八尾側の十三街道、猛烈な下り斜面の道に
歩き始めはただのハイキングコースかと思いましたが ><;

雨上がりで滑る道に一苦労しながらまずは最初の「水吞地蔵尊」に到着
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山の中腹にあるお堂ですが・・・

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本堂の前から眺める景色に驚きました!
はるかに大阪の市街地まで 見渡せる見事な景色です。
一息入れさせてもらって・・・急斜面の道を下ります。

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建ち並び二体の仏像は神立の地蔵堂から水呑地蔵まで続く、
33か所に立てられた66体の石仏とか。

さてここを通った業平の恋物語ですが ^^
在原業平が大和から十三峠を越えて河内高安にある玉祖神社(たまおやじんじゃ・
八尾市神立5丁目)に参拝するとき、神立(こうだち)の辻にある
茶屋の娘・梅野を見初め、その後しばしばそこに通うようになります。
業平は、来るときはいつも決まって、近くの松の木から笛を吹いて
梅野に合図をし会っていました。

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急坂を下ったところにあるその「神立茶屋辻」跡

あるとき、笛を吹かずに梅野の様子をなにげなくのぞくと、
梅野が自分でご飯をよそっていたことから、業平は急に興ざめし、
笛を玉祖神社(たまおやじんじゃ)に置いて帰りました。
梅野はそれに気づき、業平の後を追いましたが見当たらず、
悲しんで近くの渕に身を投げたという・・・。 
その説明の要約が石柱横の石碑に書かれています ^^

在原業平が残したと伝えられる笛は一節切(ひとよぎり)の笛として、
この先の「玉祖神社」に保管されているという。

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茶屋辻から南へすぐのところにあるその「玉祖神社」。
ここが第二鳥居で、第一鳥居はここから西に1.5kmほどの
国道170号線(東高野街道)沿いにあるそうです ^^;

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本堂拝殿
在原業平が天理の櫟本から参拝に来たという「玉祖神社」。
大和と河内を結ぶ「十三街道・業平道」の歩きはここまででした。

ここから近鉄「服部川」駅へと向かいましたが、
こちらにも「歴史の道」がありあります。 またいつか ^^  📷  10日

2022年6月20日 (月)

旧東海道 小田原から大磯

芭蕉の「野ざらし紀行」を追っかけて歩いた東海道ですが、
すでに京都から小田原までを歩き日本橋まではあと80kmほどを残すだけでした。

小田原から先、東京まではもう歩かないと決めていましたが、
このところ無性に歩きたくなり、それなら旧東海道で再開しょうと ^^;
急遽、小田原から大磯までの歩きに出かけました。

街道歩きの感を取り戻すにはちょうどいい距離でもあり、
小田原駅10:38着と、新幹線のおかげでできる日帰りの旅です ^^

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駅前からお堀端通りを南へと歩き国道1号線(旧東海道)へと出ます。
「御幸の浜」交差点で今回は東へと向かいますが、
すぐ先で国道と離れ旧道(かまぼこ通り)へと入ります。

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すぐにある「明治天皇天皇宮ノ前行在所跡」は清水金左ヱ門本陣跡で、
この辺りは脇本陣跡もあり小田原宿の中心部だったところ。

浜町で道はカギ型に折れ、新宿(しんしゅく)交差点で再び国道に合流

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山王口手前にあるのが「江戸口見付・一里塚跡」ですが、
この先は何も見どころのない国道歩きが続きます。

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山王口にある”小田原まちしるべ”は小田原宿の出入り口
ここから江戸日本橋までは83km。

この街道歩きは先何もない単調な国道歩きが続きますが、
越えるえる川は酒匂川(さかわがわ)。

Tokaidooo05
江戸時代、この酒匂川には橋がなく、
川越し人足によって川を渡らなければならなかったという難所だったと。

この先、小八幡には「小八幡の一里塚」の案内板があります。
小田原から江戸への二つ目の一里塚でしたが、載せていません ><;

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次の森戸川を渡って国府津(こうづ)に入ります。
右に付かず離れづで続く西湘バイパスと相模湾ですが、
国府津の駅前から海岸に出ることができます。

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少しの休憩を兼ねて立ち寄りました国府津海岸 ^^
目の前に広がる相模湾ですが・・・ここはサーフフィッシングの聖地とか。
右に見えるのは真鶴半島と岬でしょうか ^^

しばしの休憩で戻る街道
国道歩きとはいえ、少しは街道らしい雰囲気のある道もあり

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「大山道」への案内道標を見ると「車坂」の入り口、
緩やかな坂を上り下って次の中村川を渡ると押切の坂下。

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押切坂から集落を抜けたところにある「史跡東海道一里塚の跡」碑。
ここは
江戸・日本橋から18里(78km)とあります。

すでに二宮町へと入っていましたが ><;二宮駅前を過ぎ

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「六所神社」の大鳥居を見て次の国府新宿の交差点でふたたび旧道へ入ります。
ここからは長い旧道歩きが続きます。

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静かな旧道をしばらく行くとある「国府本郷の一里塚」、
ここで江戸・日本橋までは17里(68km)。
小田原からは4つ目の一里塚で、塚間では12km来たことになります。

静かな街道歩きを楽しんで「大磯城山公園」・「旧吉田茂邸」を見ると
再び国道1号線に合流。

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その国道に架る「切通し橋」。
歩いて来た国道1号線は城山のすそ野を切通して付けられています。
また、川は”血洗川”で、 源頼朝に仕えた梶原景時の子にまつわる伝説もあるという
ちょっと曰くのある川にかかる橋でした。(来た道を振り返って  ^^;)
ここまでくると大磯の宿まではあと少し。

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国道が二手に分かれる一方通行のところまでくると、
右側に続く大磯の松並木が見えてきます。

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右手に「明治記念大磯庭園」を見ながら、
見事な松並木が残る旧道で今回初めて味わう街道歩きの醍醐味でした ^^

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そして松並木の中にあった「上方見付」の案内板。
宿の出入り口に置かれた見張り番所で、こちらは京口になる上方見付跡。
界隈には多くの見どころがありますが、それはまたの機会にして・・・

Tokaidooo16
鴫立沢交差点に到着! 
鴫立庵(しぎたつあん)を右に見ながら今回はここまで、
旧道を離れて左手、JR大磯駅へと向かいました。

宿間の距離は約16kmですが、駅間の歩きを入れて約18kmほど。
久しぶりの街道歩きを楽しみました ^^
次回はいつか?ここから江戸・日本橋を目指します。 📷 19日

2021年4月23日 (金)

伊勢 古市参宮街道

この日はちょっと思いもあって神宮参拝に出かけましたが、
久しぶりに外宮に参拝したあと内宮までを歩いての正式参拝でした。
これまで何度も歩いた伊勢街道ですが、そのなかで
外宮と内宮を結ぶ最古の道といわれるのが「古市参宮街道」。
今回は10年ぶりに載せるその古市参宮街道です ^^

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昔は歩いてお伊勢参りをする人はこの北御門から参詣すしたという。
この日は歩いてきたつもりでその北御門から参拝 ^^;
正宮に参拝したあとは表参道から御木本道路に出て内宮へ。
途中”祖霊社”を見て左折し、すぐに東へと右折、岡本の町筋へと入ります。

Furuichik02
町筋を抜けると瀬田川に架かるのが小田橋。その手前に案内板がありますが、
見て橋を渡ると小さな公園があり、そこには古い道標が建っています。

Furuichik03
案内板には「簀子(すのこ)橋の道標」とありますが、
小田橋とともに瀬田川の上流に架かる代表的な橋のひとつで、
かっての「二見街道」との分岐を表す道標です。
南面には「すぐ二見 川崎神やしろ 左り みや川 道 」とあります。

Furuichik04 Furuichik05
道標を見て古市参宮街道に戻ると道は緩やかに上っていきます。
ここからが”間の山(尾部坂)”で、途中に建つ「お杉お玉」の石標は
街道筋で芸をする人気の女芸人だったという。

Furuichik06
古市参宮街道は外宮と内宮を結ぶ短い街道ですが伊勢参りにより栄えた道。
特に古市周辺には

Furuichik07 Furuichik08
全盛期の天明期には70軒、遊女約千人を数えたと言われるほどで、
中でも油屋、備前屋、杉本屋は古市の三大妓楼と呼ばれたという。

Furuichik09
特に古市を有名にしたのが、寛政8年(1796)妓楼・油屋で起こった
お紺と孫福斎による殺傷事件「油屋騒動」で、後に近松徳三により
「伊勢音頭恋寝刀」という歌舞伎になり、現代でも演じられています。

Furuichik10
左手に「長峯神社」を見ると、その先にあるのが旅館「麻吉」。
1851年の創業ともいわれる老舗旅館で国登録有形文化財に指定されています。
現在も営業しているかどうかは未確認 ><;

ここからすぐ先にあるのが「古市参宮街道資料館」
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参宮街道や江戸と上方の役者の登竜門でもあった伊勢歌舞伎。
日本の三大妓楼のひとつ、古市妓楼などの関係資料が展示されています。

残すところはあとわずか ^^

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桜木町に入って”両宮常夜灯”を見ると「牛谷坂」

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これまで歩いてきた”間の山”をいっきに下って御木本道路に出ます。
左折して左手に「猿田彦神社」を見ればおはらい町はすぐ ^^

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コロナ禍の中だけに人はやはり少ないだろうと思いましたが、
それでも予想以上に多い参詣者はさすが神宮 ^^

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宇治橋前の参拝客を避けながら、
いつものように内宮参拝でした ^^

昔のお伊勢参りでは外宮から内宮へと必ず歩いた旧街道。
今は歩くたびに少しづつ道筋の様子も変わりつつありますが、
懐かしく思い出しながらの「古市参宮街道」でした。   📷 20日

2021年1月18日 (月)

八風道

年が明けてそろそろ初歩きでも出かけようと思っていたら、
近隣県に続いて三重県でも独自の緊急警戒宣言でが出てしまいました。
県をまたぐ外出は自粛をということで、この日は近場で街道歩きをと 、
伊勢と近江を結ぶ交易の道として古くから利用されていた「八風道」です。
いつもながら神社仏閣や道標に常夜灯ばかりの道歩きですが、
今回は通り過ぎて来た集落を中心にその道筋を紹介してみます。

スタートは四日市市富田一色

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ここは江戸後期から運河として多くの蔵が建ち並び、
船の出入りも多く「塩役運河」とも呼ばれていたところです。

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道の起点はこの「開運橋」

現在はその開運橋によって閉切られ、
運河は「水と緑のせせらぎ広場」として整備されています。
八風道はここから北西に向かって歩いて行きますが

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最初の集落は西富田

この道は三重県側を八風道、滋賀県側を八風街道ともいわれていて、
四日市市の富田一色を起点とし、西富田(東海道)から大矢知、平津を経て、
菰野町の田光で巡見道に合流、その先は八風峠を越えて滋賀県に入り、
八日市から武佐(中山道)へと続く道。伊勢と近江を結ぶ重要街道でした。

ここでは旧東海道と交差すると旧道らしき道から下さざらい町の賑やかな道へ。
その先で北勢バイパスをくぐってふたたび静かな道になると

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大矢知の集落へと入って行きます。

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すぐにあるのがこの道標、
文政3年(1856)の建立で南面には「左 たどみち」と刻まれています。
ここで旧道は右折しますが、ちょっと立ち寄りで直進 ^^

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三岐鉄道の線路を越えたところにある「大矢知興譲小学校」。
ここは文政6年(1823)、松平忠義の武蔵国忍(おし)藩への転封により、
代官所(陣屋)が置かれたところです。


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旧道に戻って、次の平津町は旧道の面影を見ることができます。
この先は朝明川に沿って行く道にまりますが、この日はここから天気が急変、
強風と雨のなか、急遽この先の三岐鉄道「暁学園前」駅で中止しました ><;

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ここからは翌日の歩きになり暁学園前駅からの再開です。
道は朝明川沿いを西へと進み、正面には鈴鹿の山脈が見えて、
川の先には菰野町田光の先で越える八風峠もうっすらと ^^

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川沿いを進むこと15分ほどで山城町に。
この辺りも旧道らしい道筋ですが、すぐに県道622号線に出ます。

道はいったん南へと下り、すぐ先で「あさけが丘団地」へと入りますが

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広い団地の中心部を通りすぎるとある「神崎の常夜灯」。
ここで初めて「八風道」の案内板がありました ^^

このあと国道365号線を渡ると保々の工業団地脇を行きますが、
これが少し分かり難い道で初めて道を外しました ><;
戻って道は工場の塀沿いにある野道へと入ります。

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先に見えるのは新しくできた新名神高速道、その下をくぐります。
間違えた道を行っても先で合流しますが、ここはしっかりと旧道を ^^;

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高速道をくぐった先は中野町

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右手に専照寺を見て集落を抜けるとのどかな農村の風景が広がりますが、
ここからしばらくは田園地帯のなかを抜けて行きます。

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田園地帯を抜けた先で県道621号線に合流、
少し歩いてすぐに県道を離れると菰野町永井の集落です。

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集落のなかほどにある西信寺の先には大きな碑がありますが、
これは「倚水の記念碑」で、永井が生んだ「池坊」の先駆者
田中倚水の碑とありましたが・・・ 詳細は省きます ^^;

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すぐにミルクロード(県道140)に出ると、その先で県道616号に合流、
朝明川を八風橋で渡り、すぐに右左折すると道はふたたび北西へ向かいます。
もう鈴鹿の山脈が目の前に迫ってきました ^^

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菰野町小島(おじま)の田園地帯から見る左に釈迦ケ岳、
右の竜ケ岳と間にある丸い福王山の奥が八風峠。
ここから道は田光川に沿って行きますが・・・まもなく田光です。

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小島の北、国道306号線手前の角にある道標

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すぐに国道306号線田光の交差点ですが、渡って少し先

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ここが八風道と巡見道(左右に延びる道)の合流する「田光札の辻」。

八風道はここからさらに進んで八風キャンプ場からの峠越えになりますが、
それはまたの機会に(越えれるかどうか?ですが) ^^;
今回はここまででした。   📷16・17日

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