2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2020年6月24日 (水)

和歌山街道 珍布峠

この日は朝から梅雨とは思えぬ快晴の天気で、久しぶりの街道歩きに。
以前から歩きたいと思っていた和歌山街道をほんの少しだけと、
場所は松阪市飯高町宮前にある”珍布峠(めずらしとうげ)”でした。
その宮前の宿は以前に散策したことがあり、
そのときは峠口までだけでしたが、いつか峠を歩こうと思っていました。
今回も街道歩きというほどの距離ではありませんが ><;
目的は大岩を切り開いたというその珍布峠の切り通しです。

ここは「道の駅・飯高駅」からウオーキングコースが設定されていて、
道の駅でコース図が置かれていますが、
道筋には詳細な案内図と道しるべも設置されています。

Mezurashit01
その案内に従って、道の駅から旧街道へと入りますが、
この日は一組のご夫婦が先行されていました ^^

Mezurashit02
すぐにある「霊符山への道標」
”紀州みちよし乃かうやならはせ 左 くりたに是よりれいふみち・・・”と。
集落を抜けると”木戸の一軒家”跡(案内板だけ)

Mezurashit03
その先からは舗装された山道になります。

Mezurashit04
途中には”馬の水飲み場”や

Mezurashit05
”道行谷・道行橋”、”石灰爺さん”などの案内板が立てられていて、
往時の街道の面影を少しだけでも楽しめます。

Mezurashit06
峠に向かう道とは思えぬほどの明るくなだらかな道が続きますが

Mezurashit07
峠への別れ口からすぐにこの日の目的「珍布峠」に到着。

Mezurashit08
そこには素掘りで切り開いたという大岩の切り道しとなっていました。
ここで天照大神と天児屋根命(あまのこやねのみこと)が
出会ったとされる場所で、伊勢と大和の国境(高見山)を決めたという 。


Mezurashit09
旧街道ではよく見る切り通しですが、ここも見事な切り通し道でした。

この先で道は赤桶(あかお)へと下り「礫石(つぶていし)」を見る道
へと分岐しますが、この日はそのまま本道を行きます。

Mezurashit10
目の前が開け、街道から眺める櫛田川

Mezurashit11
そしてうえから眺める「礫石」。
この岩が伊勢と大和の国境を決めたという(国分け伝説)の 巨岩で、
言い伝えでは、この岩を目がけて石を投げ、当たれば男子が授かり、
当たらなければ女子が授かると言われているそうです ^^;
 
跡は櫛田川の清流を見ながら道を下るだけ

Mezurashit12
さらに下って赤桶橋を見ると、ウオーキングコースは街道から離れますが、
今回は少しでも旧街道を歩こうと道を直進 ^^

Mezurashit13
赤桶の集落を抜けて少し先まで行き、
国道を戻ってウオーキングコースへと戻りました。

Mezurashit14
戻るコース上にある「倭姫姿見の池」から、
眺める櫛田川の絶景!ですが、この道筋もなかなか楽しい道でした。

オマケ!

Mezurashit15
この日のひと花は ”ハナイカダ”です ^^

和歌山街道「珍布峠」。
この日は梅雨とは思えぬ快晴のなかの道歩き、少々暑かったものの、
念願の峠の切り通しを見ることができました。   📷 23日

2020年2月 4日 (火)

太子道 斑鳩から飛鳥へ

聖徳太子ゆかりの「太子道」と呼ばれる道はいくつかありますが
そのひとつが万葉の時代、太子が斑鳩から飛鳥を往来したといわれる「太子道」。
この道は、藤原京から平城京へとむかう下ツ道に対して、
南北方向に斜交している道で、”筋違道”とも呼ばれます。
中世以降は「法隆寺街道」とも呼ばているその太子道。
この日は今年最初のロングウオークでしたが、JR法隆寺駅に着くのが遅く、
どこまで行けるか?分からぬ気まま歩きでした ^^;

まずは法隆寺へと歩き

Taishimici01
南大門から境内を抜けて行きます。

Taishimici02
途中、大宝蔵院への角に格子のはまった馬屋がありますが、
その中には聖徳太子のお供で太子道を往来したという愛馬の黒駒と、
舎人の調子丸の像があります。

Taishimici03
東大門をくぐり、夢殿への参道
その夢殿が建つ辺りが太子が住んだといわれる「斑鳩宮」跡とか。
太子道はここからになりますか? あらためて飛鳥の宮へスタート ^^

Taishimici04
法隆寺をあとに斑鳩の街を行くと、見えるのが”調子丸古墳”。
この少し北に”駒塚古墳”がありますが、
太子の愛馬黒駒と、舎人調子丸が葬られた塚だそうです。

この先、富雄川を業平橋絵渡ると高安(斑鳩町)ですが、
在原業平が天理から河内八尾の高安まで、河内姫のもとへ通ったといわれ、
その時に立ち寄っていたため高安と呼ばれるようになったとか。

Taishimici05
のどかな田園地帯に出てJR大和路線の踏切を渡ると安堵町に。
ここから道は南へと向きを変え、筋違道の名のとおり、
ジグザグに南東へと下って行きます。

Taishimici06

Taishimici07
安堵町の中心部にある「飽波神社(あくなみじんじゃ)」。
その境内には”太子腰掛の石”があります。人形はちょっとご愛嬌 ^^;

道が田園地帯に入ると

Taishimici08
大きな聖徳太子像のオブジェが目を引きましたが、
ここは安堵町の「かかし公園」^^;
あらためて紹介したい楽しい案山子が一杯でしたが・・・ひとまず通過。
しばらく先で大和川を渡ると川西町。

Taishimici09
少し北へと歩き、
田園地帯のなかにポツンとある「油掛け地蔵」を見て

Taishimici10
ふたたび道は畑の中を真っ直ぐに南下して行きます。
この辺りは奈良の古道らしき道 ^^ですが、ふたたび川に突き当り、
川沿いを行きながらも道は南へ

Taishimici11
二度目の橋を渡ると、堤防沿いにある「結崎面塚公園」。
室町時代、空から”能面と葱”が降ってきた・・・という伝説が残る、
観世流能楽発祥のちとか。
この先で道は三宅町に入ります。

Taishimici12
三宅町に続く太子道

Taishimici13
すぐにあるのが「白山神社」
聖徳太子にまつわる駒つなぎの松や、太子と黒駒、調子丸像に

Taishimici14
ここにも太子”腰掛石”があります。
道を挟んで隣接するのが

Taishimici15
「屏風杵築神社」

Taishimici16
こちらには太子がこの地で休憩されたときに、
弓で地を掘ると水が湧き出たという”屏風の清水”がありました。

Taishimici17
三宅町の町なかを南へと行く太子道
ここには太子ゆかりには関係がないですが、見どころが多いところです^^;
屏風地区から真っ直ぐ南南東に延びる道、伴堂地区を過ぎると、
近鉄田原本線の黒田駅を通過、ここから田原本町です。

正直、見るべきところはあまりなく ^^;
ただひたすら歩くだけですが、三笠の町なかを抜けると飛鳥川堤防へ。

Taishimici18
ここからは堤防に設けられた橿原・大和郡山を結ぶ自転車道を
ただひたすら歩くだけ ><;

Taishimici19
田原本町の南端にある「多神社」を回り込んで、
飛鳥川の左岸に出るとすぐに橿原市です。
あとは飛鳥川堤防に続く自転車道を歩くだけですが

Taishimici20
大和八木近くで近鉄大阪線のガード下を通って、
東西に延びる古道横大路を過ぎると、JR桜井線のガードをくぐります。
道は今井町から飛鳥に向かいますが・・・この日はここまででした ^^;

あとはさらに飛鳥川沿いを行く道ですが、
飛鳥の雷(いかづち)から橘寺まではもうすぐ。
いつか花の季節にでも歩きたいところです ^^  📷 2日

2019年11月17日 (日)

熊野古道ニ木島から三木里へ

最近気がむくままに歩いている熊野古道伊勢路。
とはいえ、その全行程を踏破する気はなく ><;目的はその峠道ですが、
歩き残しているところもまだ多く、「始神峠」と「三木峠」に「羽後峠」、
そして「曽根次郎坂太郎坂」は熊野市までにある主要な峠道。
以前に「おわせ海・山ツーデーウオーク」で「八鬼山越え」を歩きましたが、
今回もそのイベントで、ちょうど三木里からニ木島を結ぶ峠道、
曽根次郎坂太郎坂から、羽後(はご)峠、三木峠のコースがありました。
これはいっきの三つの峠を歩けると、久しぶりに参加しての歩きです ^^

スタートは「熊野古道センター」ですが、JRで仁木島駅に移動。
国道311号線に出て逢川を渡るとすぐに「曽根次郎坂太郎坂」の登り口 。

Kumanokodonm01
歩き始めの高台から眺めるニ木島聚楽と仁木島漁港

この先長くなりますが 、メインどころを中心にいっきに載せます ^^;
約12km(手引書では4時間半)の行程です。

Kumanokodonm02
いきなり現れる猪垣(いのがき・ししがき)。
猪や鹿が田畑へ侵入するのを防ぐために作られた石垣で、
この道筋には多くの猪垣が残っています。

Kumanokodonm03
あとは木の根道に

Kumanokodonm04
石畳(石段)の多い熊野古道・・・でしょうか ^^

Kumanokodonm05
道は標高320mほどと、それほど高くはないですが、
ここがピークの”楯見の丘”。
正面に見える半島の先が熊野市の名勝「楯が崎」でしょうか?

ここから少し下ったところが

Kumanokodonm06
甫母集落への分岐になる「甫母峠(ほぼとうげ)・(ほうじ茶屋跡)」で、
「ほうじ」とは「榜示」という領地の境界を示すものに由来するそうです。
ここは中世の頃、志摩国と紀伊国の境だったといわれ、
”自領”・”他領”がなまって次郎・太郎といわれるようになったとも。

Kumanokodonm07
下る途中にはこの”鯨石”や、
江戸城築城に使われたという「石切り場跡」のあともあります。

Kumanokodonm08
興味があったのはこの「曽根の一里塚」、
街道筋ではよく見られる塚跡ですが、峠道では初めて見る?一里塚でした。

Kumanokodonm09
下る曽根登り口へと続く猪垣もまた見事 ^^

Kumanokodonm10
途中から見えるのは賀田湾と賀田漁港。
この先はしばらく集落の中の国道を行きます。

Kumanokodonm11
次の峠道は「羽後峠」
こちらもまた素晴らしい猪垣が残る道を行きます。

Kumanokodonm12
道標”是より左くまの道”

Kumanokodonm13
右に続く猪垣を見ながらの峠道、
この辺りは平たんな道が少し続き峠歩きが楽しめます ^^;

Kumanokodonm14
「羽後峠」到着
あとはいっきに下って次の「三木峠」へ。

Kumanokodonm15
こちらも苔むす石段の続く道

Kumanokodonm16
登り下りを繰り返しながら着いた「三木峠」。
ここには「絶景の丘展望所」への案内がありましたが・・・
予定の14:23発列車に乗る時間まで余裕がなくなりカット ><;
(大会のタイムテーブルでは1本あとの16:38発列車でした)

先を急ぎながら

Kumanokodonm17
三木峠下り口から眺める賀田湾の眺望!

すぐに国道311号線に合流すると10km地点。

Kumanokodonm18
残り約2kmほどのところで、近年地元の方により発見整備されたという
「ヨコネ道」へと入ります。

Kumanokodonm19
綺麗な林間の道を行きます。
ここはゆっくり歩きたいところでしたが、もう急ぎ足 ><;

Kumanokodonm20
下ったあとはふたたび国道を歩く残り1km弱でしょうか?
見える八十川橋を渡って、三木里集落へと続く古道から離れ、
道を左折するとJR三木里駅はすぐです。

今回は久しぶりに「おわせ海・山ツーデーウオーク」大会に参加。
以前の「八鬼山越え」に続く「三木峠」、「羽後峠」と「曽根次郎坂太郎坂」、
逆順でしたが尾鷲市から熊野市へと歩いた熊野古道でした。   📷 16日

2019年9月18日 (水)

続・山陰道 丹波口から亀岡

旧山陰道歩き前半は京都の丹波口から亀岡との国境老ノ坂峠まででしたが、
続きは老ノ坂峠を下ったところにある旧山陰街道入口からです。

旧道からふたたび国道に出て峠を下って行くと、
左に大きくカーブしたすぐ右に「旧山陰街道入口」の案内があります。
ここは信号がなく、車も多い国道だけに注意して渡り旧道へ。

Sanindk01
こちらは田園地帯と山裾を行く細い道が続き旧道の雰囲気十分で、
古道の歩きが楽しめます ^^;

しばらく田んぼの中を行きますが、すぐに山裾の道になると、
”中の谷林道入口・からと越え(本能寺の道)”の案内があります。
本能寺で信長を討つために明智光秀は老ノ坂を越えましたが、
”からと越え”は大軍であった光秀軍の別隊が越えたともいわれる道のようです。

その少し先にある「占い石」

Sanindk02
山陰街道を行き交う旅人たちは、
この石に座った占い師に旅の吉凶を問うたという。

Sanindk03
山裾を行く道は”三軒屋跡”からふたたび田畑の広がる道になり、
”船着場跡”を見ると県道402号線(王子並河線)に出ます。

Sanindk04
ここからは篠の町並みを行く県道歩きですが、
この道筋にもたくさんの愛宕山常夜灯があり、これが道案内にも ^^
あとはひたすら亀岡市街地にある「亀山城跡」に向けて歩くのみ。

Sanindk05
亀岡市街地の旧道にある愛宕山常夜灯を見ながら、
年谷川を渡るとその北側に続く堤防は千本松(野橋立)跡だそうで

Sanindk06
かっては見事な松並木があったという。
一説には亀山城の防御線として明智光秀が植えたといわれるとも。

そして、道は亀山城下町へと入ります。

Sanindk07
亀山城の外堀跡に整備されたという「古世親水公園」。
その先には「桜の馬場跡」、「古世門跡」に

Sanindk08
「本陣跡」と、今では駒札だけがその場所を示しています。
城跡の南西にある桝形を回ると

Sanindk09 
「形原神社」がありますが、ここが「丹波亀山城の大手門跡」で、

神社は寛永元年(1748)、丹波篠山から亀山藩へ入府した
形原信岑(のぶみね)を主祭神とし、歴代藩侯を祀るという。

Sanindk10
山陰道は城跡の西側を行き、この先は次の宿町園部と続きますが、
歩き旅はここまで ^^;
ここからは亀山城の西門から東門へと城跡を抜けて行きました。

Sanindk11
亀山城跡西門

Sanindk12
旧天守への道ですが・・・関係者以外立ち入り禁止で通過 ^^

Sanindk13
Sanindk14
城跡の石垣が残る万祥橋周辺、この右手が天守跡になるようです。

天正10年6月1日、「敵は本能寺にあり」と光秀が軍勢を発した亀山城ですが、
現在は宗教法人「大本」が神苑として整備した「天恩郷」となっています。

Sanindk15
城跡の中を通り抜けた東門から北側に回ったところにある”南郷池”、
ここも内堀だったところでしょうか?

天正5 年(1577)ごろ、丹波攻略のため亀山城を築城した明智光秀ですが、
5年後の天正10年に「本能寺の変」が起こります。
その後、城は羽柴英俊(小早川秀秋)によって修築されます。

Sanindk16
JR亀岡駅到着
多くの幟が立てられていますが・・・来年の大河ドラマは
明智光秀が主人公の「麒麟がくる」ですね ^^

今回は山城国と丹波国の2回に分けて載せましたが、
それぞれに見どころの多い街道歩きでした。  📷 15日

2019年9月17日 (火)

山陰道・丹波口から亀岡

今年は何十年?ぶりか、青春18きっぷの旅をしてみようと、
中国地方一周を計画 ^^; 京都から山陰本線での旅立ちでした。
旅を終えて次は各地に立ち寄りながらの国道9号線の旅を企画していますが、
その前にちょっと旧山陰道を歩いてみようかと・・・
この日は京都の丹波口から亀岡までを歩いてみました。
旅の詳細ルートは省きますが、スタートは島原の島原大門からです。

Saninw01
Saninw02
見返り柳が残る大門をくぐって花屋町通りを行き、
揚屋「角屋(すみや)」を見てさらに西へ。

Saninw03
JR嵯峨野線のガードに沿った千本通りの角にある「島原住吉神社」。
ここから道を南下して七条通りに出ると、あとは真っ直ぐ西へと行きます。

葛野七条交差点の先で七条通から旧道に入り、
西京極で天神川を渡ると旧道の面影が残る町並みが続きます。

Saninw04
西京極の町並み
この辺りからは道も狭くなり蛇行が続く旧道歩きです ^^

Saninw05
桂大橋

Saninw06
桂川を渡った桂大橋の袂に建つのは弘化3年(1846)建立の常夜燈。
この先、地図を見ながらもチョッと分かり難い道になりますが、
西山別院への道を曲がると小さな道標があります。

Saninw07
「左 むかふ町、あわふ、ながをか、やなぎ谷」、
「右 西山御坊、よし峰、大原の、岩くら」と刻まれていますが、
案内どおりにいくとその「西山別院」があり

Saninw08
道を回り込んで阪急京都線の踏切を渡ると川島粟田町。
しばらくすると県道67号線樫原(かたぎはら)交差点 に出ます。
交差点を渡るとに続くのが山陰道最初の宿場となる樫原です。

Saninw09
樫原の”辻のお地蔵さん”

Saninw10
宿場町の面影を色濃く残す町並みを抜けて行きますが、
大枝中山町、大枝沓掛町と次第に山間の集落に変わってきます。

Saninw11
左から京都縦貫道、国道9号線、そして川沿いを行く旧道。
道は徐々に上って行きますがこの辺りもまた旧道らしさが残るところ。

Saninw12
山間の道を抜けると国道9号線に合流、
すぐ先で京都霊園があり旧道はその中に続くようですが、
今回はその道の詳細が分からず、あえて遠回りの国道を行きました。

峠のトンネル手前から国道を離れて旧道への道と入ります。

Saninw13
その旧道に出たところには愛宕山常夜灯と”老ノ坂峠(山陰道)”の案内板があり、
ここから少し旧道を戻ります。

Saninw14
しばらくで、「従是東山城國」と刻まれた国境碑がありますが、
ここが山城国と丹波国の国境。

Saninw15
その傍にある「首塚大明神」
源頼光が討ち果たした酒呑童子の首が埋められた塚にまつわる神社だそうですが、
京都霊園からの旧道はここに来ますが、その道はチエンが掛かっていました ^^;

道を戻って

Saninw16
旧道の老ノ坂峠を下り、ふたたび国道9号線に出ると亀岡を行く
山陰街道へと入ります。

このあとは亀岡を行く山陰道です ^^   📷 15日

2019年9月 3日 (火)

和歌山別街道

紀州藩の本城(和歌山城)と東の松阪(松阪城)を結ぶ和歌山街道。
和歌山県側では伊勢街道ともいわれ、紀州藩の藩道でもありますが、
途中、松阪市飯南町の粥見で「和歌山別街道」に分岐します。
昨年の10月に熊野街道・女鬼峠を歩いたときに、
多気町の野中で分岐する道標を見てから、いつか歩こうと思っていました。
すでに1年近くが経ってしまいましたが久しぶりの街道歩きです。

とにかく交通の便が悪く、できれば帰りに自由がきくようにと、
スタートは和歌山街道との分岐になる飯南町の粥見からでした。

Wakayamab01
バス停「粥見神社前」から南へ少し下ったところにある粥見神社。

Wakayamab02
その南東の片隅にある道標、ここが和歌山別街道の分岐で、
「右 さんくう道 左 まつさか道」と刻まれています。

ここから粥見の集落を抜けて国道368号線に合流し、
かって渡し場のあった櫛田川を桜橋で渡るとあとは単調な国道歩きです。
すぐにだらだらと桜峠へと登って行きますが・・・暑い ><;

Wakayamab03
桜峠
国道の峠道だけに苦労はしませんが、ここからは多気町です。

Wakayamab04
峠を下ると朝柄(あさがら)の集落。
この道は丹生の集落と長谷辺りしか見どころも少なく、
もっぱら道標と山村の景観を楽しみながらの道歩きです ^^;
Wakayamab05
朝柄川に沿うように行く朝柄の街道

Wakayamab06
次が古江の集落と、この辺りは街道の面影が残ります。
この先で小さな道標を見て左折しますが、右にいくと熊野街道の栃原です。

Wakayamab07
道は県道421号線(勢和兄国松阪線・せいわえくにまつさかせん))に出て、
しばらくは櫛田川の渓谷を見ながらの歩きに ^^
川から離れて紫陽花の植えられた道を行くと丹生の里。

Wakayamab08
くねくねと曲がる集落の中を、いくつかの道標を見て行くと、
ちょうど正面に丹生太師の仁王門が見える道で門前に。仁王門はまだ工事中 ^^;

Wakayamab09
突き当たった道の左角に建つ道標、
「左 よしのかうや道  右 いせさんぐうみち」とあり、街道は左へ曲がりますが、
ここで昼食、休憩タイムでした ^^

Wakayamab10
歩きを再開、道は丹生太師の駐車場先で案内に従って右へ。
しばらく田園地帯の中を行き、県道702号線に合流。
この辺りは散策コースにもなっていて迷うことはありませんが、
途中、近長谷寺(きんちょうこくじ)への道に入る街道は、
2017年10月の台風で被害を受け、長谷集落への道が一部崩落しているため、
そのまま県道で迂回して長谷の集落へ入りました。

Wakayamab11
長谷の集落は「観音の里」^^
右に見えるのが和歌山別街道ですが、まずは左の道で「長谷の車田」へ。

Wakayamab12
その車田、この右手が街道の崩落現場で通行できません ><;
雨になりました。

Wakayamab13
街道に入って集落を抜けますが、
途中にある道標は「近長谷寺」への案内を兼ねたもの。
正面には「すぐさんぐうみち」と刻まれています。

Wakayamab14
集落を抜けると猛烈な雨になりました ><;
先に見える林の中へと街道は続きますが・・・しばし立ち往生で、
右にある田んぼの道へと迂回します ^^;

Wakayamab15
少し遠回りになりましたが、回避した山麓の道と合流したすぐ先、
三叉路にあるのが「道標地蔵」。
小さい首欠け地蔵には「右 いせ 左 あふかみち」とあります。
ここから再び始まる山裾の少々荒れた道を行きます ^^;

Wakayamab152
山道を抜けて川沿いの道になると集落の入り口に架かる橋の袂には、
草に埋もれるように道標があります。
道標の案内は書かれているとおり ^^

Wakayamab16
すぐに前村の集落に入りますが、
ここからは国道42号線とJR紀勢線沿いに北東へと進みます ^^

Wakayamab17
前村から平谷へ、JR佐奈駅には15:00到着。
間に合えばここまでと思っていた電車に乗り遅れ、次の電車は17:19発。
あとはバスの時間が頼りで先に行きます ^^;

Wakayamab18
国道42号線を渡った先にある仁田の道標。
大正13年に建てられたという比較的新しいものですが、
「右 相可口駅(現多気駅)田丸ヲ経テ山田ニ至ル 左 相可町ヲ経テ松阪ニ至ル」
とあります。大台町栃原へと向かう熊野街道の分岐点になるようです。

その田丸へと向かう道を行きます ^^

Wakayamab19
四神田に入ってここにも道標(道標地蔵)がありました。
小さい石仏地蔵の右に「よしの道」と彫られているいうですが、
これは確認できませんでした ^^;

あとは野中の熊野古道分岐まで2kmほど、
行くか戻るか?(行っても来た道を引き返すだけ ^^;)迷っていたら雨に。
ここは戻ることにしましたが・・・これが大正解!
42号線にあるバス停まで戻ったらどしゃ降りのゲリラ豪雨となりました ><

ということで、あと少しで未完の和歌山別街道でしたが

Wakayamab20
2018年10月21日に歩いた熊野古道女鬼峠のときに撮った、
和歌山別街道との分岐に建つ道標です ^^

和歌山街道は松阪で伊勢街道に合流し伊勢へと向かいますが、
この街道は紀州藩本城と田丸城(玉城町)を結び、紀州からは
最短となる参宮の道、伊勢南街道ともいえます。     📷 1日

2019年7月15日 (月)

岡崎街道

うっとうしい梅雨空の日が続きますが、この日の天気は”曇りときどき晴れ”
雨雲レーダーでは早い時点で雨になりそうな様子でしたが、
久しぶりの街道歩きにと、この日は「岡崎街道」でした。
名前は岡崎街道としていますが、この道は名古屋城下から足助を経て
飯田へと向かう「飯田街道」で、途中の平針で分岐して、
岡崎宿の手前にある宇頭で旧東海道に合流する道。
その間は平針街道(姫街道)ともいわれますが、徳川家康によって開かれた藩道、
岡崎と名古屋を最短で結んだ旧東海道のバイパスともいえる道です。
名古屋の飯田街道はすでに歩いているため、この日は途中の平針からスタート。

地下鉄鶴舞線の原駅から南へ少し歩き、平針西口交差点へ出ます。

Okazakik01
交差点の西側には祠があり石仏が祀られていますが、
その石仏の右には”なごや道”、左には”みやいせ道”と彫られていて、
ここが熱田への分岐だったところ。(綺麗になっていました ^^)

Okazakik02
広い交差点を挟んで東に入る道が二本、ともに旧道ですが、
その北側の旧道の旧道 ^^;を行きます。

Okazakik03
かっての平針宿になる辺りで「秀伝寺」への案内を見ると、
その先が赤池へと向かう飯田街道との分岐。
過ぎるとすぐに「慈眼寺」、「針名神社」への道があります。

立ち寄ります ^^
Okazakik04
長い坂道を行くと左手に「秋葉山慈眼寺」。
歴史はは古く九世紀の創建とも、
織田信長が桶狭間の戦いに戦勝祈願をしたといわれます。

Okazakik05 
境内を西に下ると針名神社への道

Okazakik06 
神門と奥に社殿
ここも創建は古く、主祭神は尾治針名根連命(おはりはりなねむらじのみこと)

詳細は省きましたが以前に歩いた飯田街道以来の訪問でした。
ここからしだれ梅で有名な農業センターへの近道で ^^;旧道へと戻り、
あとは何もない町中を行く街道(概ね県道56号線)歩きです。

Okazakik07
すでに雨が降ったり止んだりの歩きになりましたが、
この日のお供は道筋にある石像と祠 ^^;

Okazakik08
荒池、白土と歩き、東郷町に入ると涼松(すずみまつ)。
ここにあった「涼松せせらぎの道」は愛知用水の上に造られた公園です ^^
ひと休みしたあと、すぐ先で道は南東へと向かいます。

この間、東郷町を通る長い街道ですが、ここは唯一期待していたところ

Okazakik09 
Okazakik10
裕福寺に入って旧街道の左右(北と南)にある「祐福寺一里塚」。
道を挟んで残る一対の一里塚は貴重な遺跡です。
祐福寺には立ち寄りたかったんですが、
このあたりでまた雨が降り始めたこともあり先を急ぎました。

Okazakik11
渡るのは境川、尾張と三河の国境として何度か渡った川ですが、
この下流では旧東海道で渡ります ^^;橋を渡るとすぐにみよし市ですが、
この先もほとんどが市街地歩きで旧街道の面影は何もありません。
明知平成南の交差点でいったん県道56号線から離れると、
しばらくは比較的静かな?市道を行きます。

Okazakik12 
みよし市からようやく豊田市に入りました。
迎えてくれるのはやはり祠と石仏ですが、この先が豊田市堤で、
岡崎街道では平針とともに宿場が置かれたところ。

Okazakik13
その中心部?になる御茶屋の八幡社の前に、
初めて岡崎街道(平針街道)の案内がありました。

Okazakik14
書くより見ていただいた方が早いか? ご覧の案内です。
先を急ぎます ^^;

Okazakik15 
すぐに逢妻女川(あいずまめがわ)を渡り、国道155号線、
国道413号線と横断していくと久しぶりに県道56号線に合流しますが、
街道は並行する旧の56号線を行きます。

Okazakik16
若林で逢妻男川(あいずまおがわ)を渡ると、すぐに名鉄三河線の踏切。
この道はエスケープするところが祐福寺までのバス路線と、
この三河線の若林駅だけ ^^;雨の様子では・・・と思っていましたが、
振ったり止んだりの繰り返しで、思いきって先へ行きます。

伊勢湾岸道をくぐり、最後の川?猿渡川(さわたりがわ)を渡ると

Okazakik17
ようやく岡崎市かと思いましたが・・・安城市との境界 ^^;
この辺りは道が交差してややこしいところですが、
県道76号線を横切ると、あとは真っ直ぐに南下していきます。

Okazakik18
安城市との境界を行く長~~い直線道路、
東海道との合流地点まではもうすぐ、ホッとする道です。

Okazakik19
その合流地点はここ、岡崎市の手前にある宇頭町交差点。
左に行けば岡崎中心部(岡崎宿七曲り)

Okazakik20
右に行くと次の池鯉鮒宿ですが、
ちょうど国道1号線から分かれる旧東海道尾崎の松並木が見えます。

この日はそのまま東海道を岡崎宿までの予定でしたが、
また降り始めた雨に、さすがにもう歩く意欲無し ^^;
すぐ先にある名鉄宇頭駅まででした。    📷 13日

2019年5月 7日 (火)

熊野古道 ツヅラト峠

GWの混雑を避けてゆっくりと楽しめるところはないかと思っていたら、
この日は朝から雲ひとつない青空が広がりました。
気温は少し上がるとのことでしたが・・・それなら山歩きかと ^^;
とはいえ、もう高い山は無理かなぁ~と、熊野古道のツヅラト峠でした。
昨年秋に伊勢路最初の(伊勢側から)「女鬼峠」を越えましたが、
次の「三瀬坂峠」はすでに歩いていて、その次が「ツヅラト峠」です。
ここは馬越峠、松本峠とともに人気の峠ですが、まだ未訪でした 。

近鉄、JR紀勢本線と乗り継いで着いた梅ケ谷駅から、
少し戻ってツヅラト峠への古道(県道)に出ます。

Tsuduratok01
何もいうことのない絶好の歩き日和 ^^
人気の峠だけに数組の方たちと一緒になりましたが、少し間を取ります。

Tsuduratok02 
山並みが迫る集落

Tsuduratok03
何度も渡る川は大内山川、道案内をしてくれるのはこの道標 ^^

Tsuduratok04 
下里(くだり)の集落から栃古の集落に入ると

Tsuduratok05 
大内山川から分かれ、
支流になる栃古川に沿いに行く歩行者用の地道へと入ります。

Tsuduratok06
見事なスギ林の林道をしばらく歩くと

Tsuduratok07
栃古川とも別れていよいよツヅラト峠の登り口です。
補陀落浄土と熊野三山を目指すという紀州路への入口。

Tsuduratok08
木の根道もある山道が続きますが、
道沿いには”1/18”から”18/18”まで、100mごとに刻まれた、
木製の道しるべ があり、この先続く歩行の目印になります^^

いったん林道に出て、短い階段上の道を登りきると

Tsuduratok09
ツヅラト峠(標高357m)に到着。
すでに数組の方が休憩中でしたが、すぐ上にある見晴台へ行きます。

Tsuduratok10 
眼下に見えるのはこれから下る志子と紀伊長島の町並み、その先には熊野灘。
伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にしたところ ^^

この日は当然ですが弁当持参(おむすびですが) ^^; ここで昼食タイム。
後はただ志子の集落へと下るのみ。

Tsuduratok11
途中にある野面乱層積の石垣。
中世に開かれたというこの道にはこうした石垣や石畳が残ります。

Tsuduratok12
山の神 ^^;

Tsuduratok13 
紀北側の道は何度も九十九に折れる峠道ですが、
それがツヅラト峠の語源になっています。

Tsuduratok14
峠道が終わるころ、地元ボランティアの方々により発掘?され、
修復されたという石畳の道になります。

Tsuduratok15
石畳の道を歩き終えると”ツヅラト石道”の登り口、
ここに石畳と峠道の案内板があります。

Tsuduratok16  
谷川を飛び石で渡って峠口の広場に出ました。
モミジの新緑にやすらぎを感じながらしばし癒しの歩きでです ^^

Tsuduratok17
林道に出てしばらくで紀北町側(志子奥)のツヅラト峠口、
石道の案内石標と、傍に道標があります。

Tsuduratok18
志子奥の集落から眺めるツヅラト峠、
ここからは赤羽川に出て、川沿いを紀伊長島駅までの長い歩きでした。

江戸時代以降、東寄りに開かれた荷坂峠越えが本道となりますが、
そのあとも、昭和初期までは生活道として利用されてきたツヅラト峠。
今でも多くの人が訪れる人気の峠のひとつです ^^  📷 4日

2019年2月12日 (火)

東海道新居宿から二川宿

新居宿のおひなさんを楽しんだあとは街道歩きでした。
ちょうど12年前に歩いている東海道の新居宿から二川宿ですが、
この道は遠江(静岡県)と三河(愛知県)の県境を跨ぐ約15kmの道。
単調な後半の国道歩きは避けられませんが、
前半の街道筋には松並木や遠州灘を見下ろ絶景の場所もあって、
新居、白須賀、二川と三つの宿場が楽しめる旧街道です。

まずはJR新居町駅の南口を出た東海道を西へ歩くと、
600mほどで新居関跡に着きます。

Tokaidoaf01

江戸時代、街道の関所では”入り鉄砲と出女”いわれ、
江戸に持ち込まれる鉄砲や、江戸から出る女性には
厳しい取り調べが行われていました。

Tokaidoaf02

Tokaidoaf03

その内部の一部、”面番所”と

Tokaidoaf04

別棟にある「女改之長屋」。
特に新居(今切)関所は西へと向かう女性への取調べが厳しく、
それを避けて女旅人は山側の姫街道を使ったといわれるほど。

Tokaidoaf05

京口にある「大御門」、ここから西が新居宿になりますが、
すぐのところが宿場の中心部。

Tokaidoaf06

曲がり角の右手と正面にある三つの本陣を見て(一つは空き地)、
街道は直角に南へと曲がります。

宿場を南へと歩き、国道1号線の少し先で旧道へ。

Tokaidoaf07

しばらくで見事な松並木に出会います。

Tokaidoaf08

しばらく続く松並木を過ぎるとやがて白須賀に入りますが、
宿場は宝永4年(1707)の大津波で壊滅状態になり、
その後は潮見坂を上った高台に移っています。

その町筋を抜けて行くと

Tokaidoaf09

ここからが潮見坂。
左へ行くと新道ですが、今回もこの旧道を上ります ^^;

Tokaidoaf10

結構な勾配の坂を上っていきますが

Tokaidoaf11

上りきった先にある「おんやど白須賀」。
白須賀宿の歴史拠点施設として造られた建物で、
宿を紹介する展示室と、訪れる人の休憩所になっています。

ここから少し行くとある

Tokaidoaf12

潮見坂公園跡
明治元年、明治天皇が初めて東京に行幸されたとき、
この地で休憩されて遠州灘を眺められたという。

Tokaidoaf13

その遠州灘を眼下に眺めることができ、
広重も「東海道五十三次」で描いたといわれる絶景地です ^^

しばし眺めを楽しんで

Tokaidoaf14

下る白須賀の町筋

Tokaidoaf15

曲尺手(かねんて)と呼ばれる桝形を過ぎると白須賀宿の中心部。
本陣、脇本陣跡の碑を見て宿を抜けて行きます。

Tokaidoaf16

静かな旧街道から喧噪の道に出ると国道1号線。
ここが旧遠江(静岡)と三河(愛知)の国境、現在の県境です。
ここからが長~い国道歩きになりますが、
この日はまた西風が強く向かい風の寒い日でした ><;

1時間程で新幹線のガードをくぐると二川の旧道へと入ります。

Tokaidoaf17

梅田川を渡り、JRの踏切を越えます。

Tokaidoaf18

右手角にある「一里塚跡」の碑と交流館を見ると二川宿。

あとは芭蕉句碑がある妙泉寺、商家駒屋、二川本陣を見ながら、
この日はそのまま通りすぎてJR二川駅まででした。   10日

2018年10月31日 (水)

飯田街道 四郷から足助へ

少し間が空きましたが、以前に歩いた「飯田街道」の続きです。
この日は愛知環状鉄道四郷(しごう)駅からの再開でしたが、
この道筋には旧街道らしき場所に観音堂や常夜灯が多くあります。
また、旧名鉄三河線の廃線跡をたどることができて飽きません。
今回は特にそんな旧鉄道跡とともに、紅葉前の足助までです。

Iidaka01

四郷駅から下古屋の通りに入って旧道を探しながらのスタート ^^;
少々分かり難い、細い旧道を天道、井上町の集落を抜けて行くと

Iidaka02

広大な「豊田市運動公園」の傍を通ります。
この日は平日でしたが、多くの方が散策中 でした ^^
通りすぎると御船町に入ります。

Iidaka03

すぐにあるのが旧名鉄三河線の「御船駅」跡。
今は「ふれあい広場」になっていますが、以前は吉良吉田から
中金町の「西中金駅」を結んでいた三河線の廃線跡です。

この先で東海環状道をくぐりますが

Iidaka04

そのすぐ先、畑のなかに建つ「御船城跡」の碑と説明板。
道から遠いため近付けず詳細は分かりませんが、
文明二(1470)に応仁の乱で戦功のあった児島右京亮義明が、
御船、亀首、加納を領有し館を構えたのが始まり・・・とか。

ここから奥山畑、坂上、枝下(しだれ)と歩き、猿投グリーロードをくぐると、
先に見た旧三河線の枝下駅から延びる廃線跡があります。

Iidaka05

旧街道は前田地区で矢作川を船で渡ったようですが、
今はその線路を横切って「両枝橋」で渡ります。

Iidaka06

その矢作川、手前の左右に渡船場らしき跡が見えますが・・・?
橋を渡り道は川の反対側を戻るように石野町稲上の集落へ。

Iidaka07

ここでも分かり難い道を探しながら、グリーンロード北側の道へ出ます。
ここから道はゆっくりと登って行きますが・・・ひと汗掻いて

Iidaka08

着いたところに建っていた祠。ここが「力石峠」の頂部でした ><;
道はここから林の中を急降下して行きます。

Iidaka09

出たところが国道153号線。
石野郵便局の横に香嵐渓までの距離表示がありますが、
これは11月から始まる”紅葉まつり”のためのものでしょう。

ここからは長い国道歩きになりますが

Iidaka10

途中、中金町にあったこの駅舎が旧名鉄三河線の終着駅、
「西中金駅」跡です。

Iidaka11

残されていたプラットホームの先に延びる線路の先は行き止まり。
鉄道は三河鉄道時代に足助まで延伸される予定でしたが、
目的は達せられずにここで終わっています。

ここからは国道と付かず離れずにある集落内の道を行きます。

Iidaka12

野口町では”ふれあいの道・しゃくやく街道”なる道へ。
この町は野口雨情の祖先ゆかりの地ということでその碑があります。

あとは中切町までのどかな道を行き、井ノ口町で国道に戻ると

Iidaka13

すぐに追分の交差点ですが、ここから足助大橋までは約2km。

Iidaka14

旧道はその足助大橋を渡らずに直進、
巴川沿いの道に入って足助の宿へと向かいます。

Iidaka15

足助宿町西の入口にある「馬頭観音」。
(左屋根の先に見えるのは芭蕉句碑 ^^;)
道を真っ直ぐ進めば足助の古い町並み中心部ですが

Iidaka16

色づき前で紅葉もまだこれからの香嵐渓を眺め ^^;

Iidaka17

旧街道は川沿いを下って行きます。

Iidaka18

渡る橋は「落合橋」

Iidaka19

左に「足助交流館」を見て、ひと筋南の西町に入って直進

Iidaka20

旧街道の辻に建つ弘化2年(1845)の道標。
「右ほうらいじ道  左ぜんこうじ道」とあり、
ここが中馬街道(飯田街道)と遠州街道の分岐で飯田街道は左 ^^;
細い道をひと回りして

Iidaka21

出たところが「足助商工会」前。
旧街道は右に「中橋」を渡って足助川右岸へ

Iidaka22

新町「天王社」を右に曲がるとお馴染みの足助の町並み。
新町、本町、田町へと続く道ですが・・・この日はここまででした。

名古屋の「札の辻」から赤池までを歩いて以来、
いつか足助まではと思いながら、長い間の中断でしたが ><;
ようやく足助までを歩き終えた「飯田街道」でした。   30日

より以前の記事一覧