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2017年4月26日 (水)

尾張の官道上街道 後編

サクラも終わって次の花たちが咲くまでに、
以前に歩いた尾張の官道・上街道(うわかいどう)を歩き終えようと、
小牧市からの続き、御嵩町の伏見宿までを歩きました。

前回の続きは名鉄小牧線の田県神社前駅から、
県道27号線の久保一色交差点に出て旧道には入ります。

Uwakaido201

交差点の角にある神社の祠
ここから県道を離れて左の旧道に入ります。

すぐに犬山市に入りますが、
いつもながら街道沿いには神社閣しか見どころもなく、
今回は少し道標を見ながらの旅を。

Uwakaido202

犬山市に入って楽田の追分東、
ここが「稲置(いなじ)街道」と「上街道」の追分。
左に進むと稲置街道で犬山城へと行きますが、
上街道は右へと行きます。

あとは犬山市の東部をひたすら北上して行きます。
羽黒で五条川を渡るとその先は
右に尾張富士を眺めるのどかな田園地帯。

Uwakaido203

新郷瀬川を合戦橋で渡ると羽黒安戸南にあった道標。
馬頭観音ですが、
その台座には「右 やまみち 左 きそみち」と刻まれています。

Uwakaido204

道は県道168号線に出て国道41号線をくぐり善師野(ぜんじの)へ。
名鉄広見線が見えると善師野駅手前で左折。

Uwakaido205

線路を渡ると「善師野宿」の集落、直進していくと、
旧東山道との分岐にある常夜灯、さらに行くと・・・

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新しい一里塚跡石柱と馬頭観音があります。

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この先で街道は地道の山道へと入り、
久しぶりの峠越え。

緩やかに登る道を行くと

Uwakaido208

いきなり池のほとりに出ました。
善師野宿の案内には”大洞池”とありましたが、
この道は東海自然歩道にもなっています。

池の先で自然歩道が交わる辻に休憩所がありひと休み ^^;
道はさらに緩やかな登りになり、

Uwakaido209

空が開けるとまた交差路に出ますが、
ここが「石拾峠(いしひろいとうげ)」。

道を確認してこのあとは下り

Uwakaido210

峠道の途中にあったふたつの道標。
ひとつは「左 名古屋」でしょうか?もうひとつは
「左 犬山 右 つかお 道」とあります。
つかお?これは犬山の継鹿尾観音寂光院のことか。

街道を歩いていると往々にして本筋かどうかが分からぬことも。
地図はあるものの、道標や案内板を見ると正直、ほっとします。

そして峠道を抜けた先には

Uwakaido211

新しい道標がありました。
ここも道の分岐になっていて、この右手の道は、
先ほどの道標にあった継鹿尾観音寂光院へと行く
東海自然歩道のようです。

ここからは可児市西帷子(旧石原村)と鳩吹山の麓を行きます。

Uwakaido212

ふたたび国道41号線に出ると、その手前にあった「馬頭観音」、
ここは山の間を切り開いた”切通し”で石原村と土田(どた)の境界。、

Uwakaido213

その馬頭観音の後背には
「右ハかち道 (かちとは徒歩)、左ハ馬道 川渡(太田の渡し)ハ東道」
と、刻まれているようですが・・・><:

Uwakaido214

国道をくぐるとすぐにこの案内板がありました。
「土田城址」への道しるべと、
織田信長生母・土田御前の生まれた地、土田宿へと入ります。

Uwakaido215

土田公民館の前にある本陣址。
善師野宿から石拾峠を経て土田宿まで、
短い道でしたが、上街道らしい道を楽しみました。

ここからはまた、
町なかの何もない道をただ歩くだけ ><;

Uwakaido216

今渡神明に出ると富士浅間神社前で、
太田の渡しを迂回した太田橋から来る中山道と合流です。
ここからは伏見宿まであと約一里(4km)ほど。

Uwakaido217

国道21号線に出て中恵土(なかえど)にある新しい「一里塚跡」石柱。
この先で国道から離れると中山道伏見宿はすぐです。

伏見宿はすでに歩いているため上街道はここまで。
あとは国道を直進して名鉄明智駅へと向かいました ^^;

オマケ!

Uwakaido218

明智駅の少し手前で、
可児川に架かる野崎橋近くに咲いていたシバザクラ。

快晴の歩き日和!ほどよい汗をかいて、
無事に歩き終えた尾張の官道「上街道」でした。 camera 23日

2017年4月19日 (水)

尾張の官道 上街道

以前に、中山道と名古屋城下を結んだ下街道(したかいどう)
善光寺道ともいわれる旧街道を歩いたことがあります。
名古屋城下と中山道を結ぶ道はもうひとつあり、
こちらは、尾張藩が参勤交代のときに中山道に出るため、
五街道並みの規格でつくられた官道の上街道(うわかいどう)です。

まだサクラの綺麗なときに、とりあえず小牧の北端にある
田県神社まで歩きました。
いつものことながら、旅人だけが楽しむだけの街道歩きですが・・・ ^^;

Uwakaido01

スタートは名鉄瀬戸線の東大手駅を出た、
名古屋城の東大手門。

上街道は、ここから出来町通りを東へと歩いて、
名古屋高速下を左折、北へ数百メートル歩いて斜め右に
旧道へとは入るとあとはただ北上するのみ。

Uwakaido02

名鉄瀬戸線清水駅を過ぎてしばらく行くと、
「稲置(いなじ)街道」の案内があるポケットパーク。
犬山の楽田まではこの稲置街道と重複し、
木曽街道とも呼ばれます。

Uwakaido03

道は黒川の県道102号線と環状線で分断されますが、
志賀橋交叉点で迂回して、さらに北上すると庄内川に。

Uwakaido04

ここは歩道橋の「ふれあい橋」で渡ります。
この先がチョッと複雑で迷いながら出たところが

Uwakaido05

「味鋺神社(あじまじんじゃ)」前の。

Uwakaido06

この道もまた神社仏閣が多いですが、
ここは味鋺神社と「護国院」が隣接しています。

寺内を拝観しながら旧道に戻り、
あとは味鋺の集落を抜けて行きます。

Uwakaido07

途中にある「首切り地蔵」を見ると(曰くは省きます ^^;)、
その先で県道102号線に出ますが・・・

Uwakaido08

先に見えた綺麗なサクラに寄り道、
案内には春日公園(春日山古墳)とありました。

ここからは長~~い県道歩きになります。
途中に見どころはなんにもありません ><;
ただ、途中春日井市中町の道端、「正念寺」にあった芭蕉句碑。

Uwakaido09

句は”來與に(いざともに)穗麥喰はん 草枕 芭蕉 ”
貞享2年(1685) 野ざらし紀行での吟。
我が手引書には、寛政12年(1800)の建立とあります。
これもまた、歩き旅の楽しいところでしょうか。

街道は小牧市に入ってようやく県道から離れます。

Uwakaido10

そして「小牧宿」に入ると、下之町にある「岸田家」と、

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すぐ隣には「小牧御殿」、「小牧代官所跡」があります。
ここが小牧宿の中心部で、
しばらく行くと宿の桝形になる戒蔵院前に出ます。

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左手に見える小牧山の桜に未練はありましたが、
先を急ぎます。

Uwakaido13

「戒蔵院」山門と

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その前にあった道標
「南 名古屋 東 木曽街道 犬山道」と刻まれています。

このあともただ歩くのみ、小牧原、味岡と過ぎて

Uwakaido15

「田県神社」を見ると

Uwakaido16

すぐ先には久保一色の交差点。
ここから県道を離れて左に旧道へ入るとすぐに犬山市ですが、
今回はここまでで、傍にある田県神社前駅から戻ります。

名古屋から小牧、犬山を通り、中山道伏見宿にいたる
十里八町(約40km)を行く尾張の官道「上街道」。
続きは、またの機会に・・・。    camera 4月12日

2017年3月31日 (金)

美濃街道 駒野から関ケ原

美濃路(美濃街道)は東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ
脇往還ですが、桑名の東海道から美濃の関ケ原へといたる
もうひとつの美濃街道があります。

関ケ原からは伊勢への道として伊勢街道とも呼ばれる道。
昨年の暮れに桑名の多度から海津市の駒野までを歩いていますが、
この日はその続き、駒野から関ケ原までを歩きました。

Mino201

駒野集落を行く美濃街道

歩く身に楽しい街道とはいえ、特に見どころもなくただ歩くだけ ><;
ただ、この街道は伊勢街道ともいわれるだけに
神宮と刻まれた常夜灯が多くあります。

Mino202

で、いきなり常夜灯(南濃町徳田)ですが ^^;
今回はそんな「常夜灯」を中心に道中を紹介してみたいと思います。

街道は南濃町徳田、戸田の集落を抜けると
再び県道56号線(薩摩カイコウズ街道)に出て,
その先で旧道を志津の集落へと入ります。

Mino203

ここで初めて道標に出会いました。
「右 京都 ・・・  左 伊勢、多度 四日市 ・・・」は判読できましたが、
あとはどうにも??読めなくても街道歩きではうれしい道標です。

次が津屋の集落、美濃津屋駅を過ぎてしばらく行くと

Mino204

この常夜灯。
常夜灯は道しるべも兼ねていますが、
この道筋の常夜灯は”神宮”の文字が刻まれています。

Mino205

すぐ先にある「本慶寺」。
ここはかっての「津屋城」があったところ。
関ケ原の戦いで西軍についたため廃城となりますが、
その後領主の許しを得て本慶寺となっています。

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津屋から道は養老町へ入ると一色、船見の集落に。

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ここには「太神宮」の常夜灯です。
その先には「観音寺」がありますが、
とにかくこの街道筋にある神社仏閣の多いのにはちょっとびっくり。

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小倉から鷲巣の集落に入るとこの石柱、
鷲巣は第13代横綱「鬼面山谷五郎」の生誕地とか。

Mino209

そして「養老駅」に到着。
駒野駅からほゞ10km、2時間10分の行程でしたが、
ここでひと休みして後半へ。
関ケ原までは残り約15kmほどですが、
ここからはエスケープができず、一気の歩きになります。

Mino210

県道56号を渡った先で変則5差路を曲がりそこね、
養老公園の道でいきなり迷いタイムロス ><;
本道に戻って養老町石畑の集落へ入ります。

Mino211

石畑にある比較的新しい道標
ここは伊勢街道と養老街道が交差する柏尾地区。
※ 養老からは伊勢街道に統一します。

柏尾地区から道はいったん県道(通称焼き肉街道)寄りに出ますが

Mino212

すぐに山沿いに戻り、石畑から勢至の集落へ。
このあと竜泉寺、桜井と行きますが、
この辺りは道が入り組んでいて本道を外した感もありました ><;

Mino213

沢田地区に入って珍しい二宮金次郎像と学校の門柱。
養老北小学校跡(前身は沢田小学校)との説明碑がありました。
ここでしばらく休憩 ^^;

Mino214

次が沢田の集落にあった常夜灯(本郷)。
個人の方の寄進によるもので二代目だそうですが、
玉垣で囲われ、唐破風造りの屋根という珍しいものです。

沢田地区を抜けると養老町から大垣市上石津町。

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すぐに牧田川を広瀬橋で渡ります。

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その先、上石津町牧田で九里半街道に合流。
(ここから関ケ原の中山道までは重複部分になります ^^;)

九里半街道:詳細は省きますが、
江戸時代、養老の濃州三湊から大垣市上石津町、関ヶ原を通り、
中山道で米原の「朝妻湊」までの九里半(38km)を結んだ街道。

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その中心部となる牧田宿、
まずはこの大神宮の常夜灯。

Mino218 Mino219

そしてこのふたつの常夜灯、刻まれているのは金毘羅大権現と秋葉山、
海上交通の守り神と、火防の神さんですが、
ここ牧田は水運物資で栄えた町でもあります。

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牧田集落の外れ「木曽神社」の先にある地蔵尊、
その後ろにまだ新しい?「芭蕉句碑」がありました。
句は ”義仲の寝覚めの山か月かなし 芭蕉”

この先で道は名神高速道をくぐりますが、
その手前にある烏頭坂。

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ここは島津豊久奮戦の地。
関ケ原の戦いで西軍の敗戦が決したなか、
孤立した島津軍が家康本陣の敵中突破(島津の退き口)で、
島津義弘を助けるため豊久が踏みとどまって戦ったという。
この上にはその豊久の墓がありますが・・・外しました ><;

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関ケ原町に入ってすぐにある道標、
「左 旧道」の指示通り旧道へ。

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桑名から始まったもうひとつの「美濃街道(伊勢街道)」、
最後の立ち寄りは桑名藩初代藩主本多忠勝の陣跡でした。

すぐに中山道の追分

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そしてJR関ケ原駅に到着です。

ヤマトタケルが伊吹山で負傷して下山、
手負いのまま大和をめざした古道でもあるという・・・
これも数ある伊勢街道のひとつでした。 camera 29日

2016年12月26日 (月)

もうひとつの美濃街道

東海道宮宿と美濃の垂井宿を結ぶ美濃路(美濃街道)、
桑名からも美濃へといたる街道が開けていました。

岐阜県側では伊勢への道として伊勢街道とも呼ばれる道。
すでに三重県側は桑名の七里の渡し跡から県境の
多度町柚井までを歩いていましたが、
この日は今年の歩き納めにと、
あらためて多度から岐阜県海津市の駒野までです。

養老鉄道の多度駅から県境までは2kmほど。

Minokaido01

その県境、
ここから岐阜県海津市に入ります。

Minokaido02

次の街道分岐の目印は「八幡神社」でしたが、
ここ辺りから山麓を行く道筋が入り組み少々迷います ><;

道は神社の横を山に向かって回り込むのが正解。

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山麓を行く街道から美濃松山の町並み

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すぐに「御鍬神社」。
聖武天皇ゆかりの由緒ある神社だそうですが・・・
詳細は省きます ^^;

Minokaido05

道は神社の前を曲がって下りますが・・・
直進してしまいました ><;

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間違いに気が付いたのは数百メートルほど行った先の「諏訪神社」。

ただ、ここには岐阜県天然記念物の”大クス”と、
海津市天然記念物の”大まき”があり、これをみれたのはラッキー ^^
さらに直進すれば吉田出来山公園への散策コース。

Minokaido07

道を修正して本来の美濃街道に戻ります ^^;
山除川沿いを行く街道と、右には三切池。

町並みは吉田に入り

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すぐに国道258号線を太田の交差点で渡ります。
その先には

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「杉生神社」
そして

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養老鉄道石津駅を通過。

とにかく街道筋には特別なものを除いて神社仏閣が多いのは常 ^^;
ただ、この町筋にはちょっとした?曰くのありそうな石柱がみられます。

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抜けると般若谷から来る県道1号線、
海津橋の手前を横断していきますが・・・山から川に?

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それもつかの間で、
今度は味気ない国道258号線を少し歩いて

Minokaido13

安江台団地入口から美濃山崎へ。

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外れに?ある「八幡神社」
ここには国道を走るときによく見る大イチョウの木があります。

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これも海津市天然記念物でした。
ふたたび国道を横断すると上野河戸(うえのこうず)、
ここからは津屋川(揖斐川)沿いの道を行くことになります。

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ここでもやはりお寺 ^^;「寒窓寺」です。
高須藩主小笠原貞信の菩提寺(後の禅海寺)ゆかりの
仏頭、仏像が安置・保管されているそうです。

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街道筋は津屋川沿いの田園地帯に変わり

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左には「月見の森」が見え始め、
この先は南濃町羽沢の集落。

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大専寺

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すでに正月飾りの置かれた春日神社を見て、
県道8号線を高架で渡ると駒野です。

あとは国道258号線の藤沢交差点へと続く街道でしたが

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途中で駒野駅へと出ました。

三重県側多度駅から駒野駅まで、
少し余分な歩きもありましたがほぼ13kmほどでしょうか。
今年の歩き納め、もうひとつの「美濃街道」でした。 camera 25日

2016年12月22日 (木)

中山道 小紅の渡し

岐阜市の中山道、加納宿と河渡宿の途中にある長良川で、
一日市場(ひといちば)と鏡島を結ぶ「小紅の渡し」。
もともとは中山道河渡の渡し(現在の河渡橋付近)の裏街道として、
鏡島弘法・乙津寺(おっしんじ)の参拝者が多く利用したという。

以前にここを歩いたときは先を急いで河渡橋を渡りましたが、
最近、テレビの放映を見たこともあり、あらためて渡しで中山道をと、
21日の乙津寺の弘法さんの日を待っていました。

この日はもちろん、中山道を歩きます ^^;

Obeni01

岐阜駅南口から南へ少し歩き、
加納宿口から旧中山道に入ります。
なにも見どころのない旧道をただ歩き続けるだけですが、
駅から1時間ほどで乙津寺参道口に着きます。

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この日は21日で、鏡島弘法・乙津寺は弘法さんの縁日、
ここから中山道を離れて参道を行きます。

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賑わう「乙津寺」はあらためて載せたいところですが、
まずは「大師堂」にお参りして
すぐ近くにある「小紅の渡し」へと向かいます。

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乙津寺の縁日には小紅の渡しも賑わうという・・・

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長良川左岸堤防から見える「小紅の渡し」。

堤防を下りて渡し場へ。

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渡しは県道173号線文殊茶屋新田線の一部で、
月曜日(祝日の日は火曜日)と年末年始は休航日。(荒天時も)
渡りたいときには白い旗を振って
対岸で待機している船頭さんに合図します。

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ちょうど到着した船に乗ります。
下流に見えるのが「河渡橋」、
かってはそのすぐそばに「河渡の渡し」があったという。

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対岸の船着き場
乗船時は必ずライフジャケットを着用です。

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鏡島側船着き場を離れると

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上流には「岐阜城」が見えます。

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一日市場側船着き場に到着

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ほんの数分の乗船でしたが、
観光渡船ではなく、れっきとした県道で長良川を渡りました ^^;

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堤防上にある船頭さんたちの待機小屋。
この日は縁日で多くの人の利用があるそうです。

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ここからは「河渡橋」へと堤防を歩いて行きます ^^;

長い堤防歩きから「河渡橋」をくぐって

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少し行くと小さな祠がありますが、
ここでいったん堤防から下ります。

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下りたところにある「馬頭観音菩薩堂」。
天保年間に道中家内安全五穀豊穣を祈願し、
地元の人々の寄進によって建てられたもので、
「河渡宿」の案内板があります。

もう少し堤防下を行って道なりに曲がると

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河渡宿の入口

Obeni18

すぐに「河渡の一里塚跡」がありますが、
短い宿場には他に見どころはありません ^^;

「小紅の渡し」であらためて歩いた中山道は、
岐阜市の加納宿から河渡宿まででしたが、
この日はここから穂積駅に出て戻りました。   camera 21日

2015年7月 7日 (火)

伊勢別街道

桑名の「七里に渡し」の”伊勢国一の鳥居”とともに、
東海道関宿の東の追分の”一の鳥居”が、
時を同じくして建替えられました。
その新しい鳥居をまだ見ていませんでした。

花も気になるところですが、体力と脚力も気になります ^^;
これを機に鳥居のくぐり初めを兼ねて、
この日は9年ぶりの「伊勢別街道」歩きました。

Isebetsu01

竣工式が行われてからひと月の真新しい鳥居。
ここから津市江戸橋の”伊勢街道”追分まで、
約18キロほどの伊勢別街道。
鳥居をくぐって坂を下りるとあとは南に直進して行きます。

四日市日永追分から伊勢にいたる伊勢街道の支道で、
江戸時代には京都方面からの参宮客で賑わった道ですが、
そのころは「いせみち」、「参宮道」、「山田道」などと記され、
伊勢別街道の名が使われるのは明治以降という。

Isebetsu02

鈴鹿川を「勧進橋」で渡りますが、
早くも雨が降り始めました。
この日の予報は降雪量0%だったんですが、
梅雨ですものね ><;
Isebetsu03

橋を渡るとすぐ左手にあるのが
「鈴鹿駅家跡(すずかのうまやあと)」で、
馬や人夫を備え宿舎を設けた場所。

Isebetsu04

その一画には目印に植えられていたという
”御厩の松”と呼ばれる松の根株が保存されています。

ここを左折し、連子格子のある家並みを見て行き、
県道10号線に合流すると名阪国道をくぐります。
右に石山観音道を分けるとすぐに県道と分かれ楠原宿へ。

Isebetsu05

ここは東海道関宿追分からわずか30分ほどの
短い距離にある最初の宿場だけに、
次の椋本宿の補助的な宿場町であったのでしょう。

再び県道に出てすぐに左折し山道を行くと芸濃町林。
雨は止みそうもなくさらに強くなり傘を差します ><;

Isebetsu06

蛭谷街道との分岐に建つ旧明村役場、現芸濃町資料館。
洋風建築の古い建物ですが一見の価値あり、
ただし外観だけで ^^;街道はここで右に折れます。

   Isebetsu07

再び県道に合流しますが、
その合流地点に建つ道標県常夜灯。
”右 さんぐう道 左 京道”とあります。

雨がこれ以上ひどくなればエスケープもと思いながら、
この街道は椋本(むくもと)からしか路線バスはなし ><;
そこまではただ歩くだけです ^^;

Isebetsu08

その椋本に入る手前を行く「横山池」沿いの道、
雨は降り続きます。

Isebetsu09

椋本宿入口に建つ道路里程標の標柱と、
きれいに色ぬきされた道標。

この前がバス停でエスケープするならここでしたが、
ちょうど津行のバスが出るところ・・・逃せばあと1時間後。
しかしここは外せないところで宿場に入ります。

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宿場(街道)に残る唯一の宿、旅館「角屋」。
名前の通りちょうど宿場の真ん中あたりの角にあり、
木造切妻造桟瓦葺で江戸時代の古い建物です。

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入口に掲げられた多くの”参宮講札”に
往時の賑わいが偲ばれます。
(旅館は平成25年12月に廃業されているそうです。)

ちょうどバスが通過していきました ^^;
ここから県道10号線に合流するとあとはもう歩くだけです。
芸濃インターを通過し、その先で旧道に入ると高野尾町。

長~~い集落を歩いて
再び新道に合流する手前にあるお堂。

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”ぜに可け松”と刻まれた石柱が建ちますが、
ある民話に残る伝説の松があったという。

再び何もない道を行きます。
大里睦合町で10号バイパスから分かれ再び旧道へ入ると、
しばらくで大里窪田町、ここから窪田宿です。

Isebetsu13

「明治天皇窪田御小休所」の碑が建つ建物。
ここが本陣のあったところか?
この先で国道23号線中勢バイパスを横断します。

街道も残るはもう少し ^^;

Isebetsu14

直進してしまいそうですが、
紀勢本線の跨線橋手前で右折、細い道に入ります。

   Isebetsu15

すぐにある「窪田常夜灯」、江州の文字がみえますが、
文化14年(1817)、近江国の金物商たちが
神宮へ寄進したもので津市内で最大のものです。

すぐに一身田駅の踏切を越えます。
左に高田本山専修寺、寺内町を見て先を急ぎます。

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近鉄名古屋線江戸橋踏切を越えると
伊勢街道との追分はすぐ。

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その伊勢街道との追分に建つ常夜灯。
東海道関宿東の追分からちょうど5時間でした。

Isebetsu18

この先、伊勢街道は南下していきますが、
この日はここまで、近鉄江戸橋駅へと向かいました。

結局エスケープすることもなく歩き終えました。
見どころの少ない伊勢別街道ですが、
それなりに楽しく歩ける道のひとつです。  camera 4日

2014年9月 4日 (木)

中山道 鵜沼宿から大田宿

この日は各務原市鵜沼の中山道鵜沼宿の
脇本陣で行われていた催しを見に出かけました。

鵜沼宿には何度も出かけていますが、
催事を見たあとは久しぶりに「うとう峠」まで歩こうと
この日も電車でGO!でした ^^;

Unuma02

この日,、脇本陣で行われていた催しはこちら。
やはり撮影は禁止で見るだけででした ><;

あとは脇本陣横にある芭蕉句碑群を見るだけ ^^;

Unuma03

芭蕉はこの鵜沼宿には3度訪れていますが、
最後に訪れたあと
美濃から木曽路をたどり「更科紀行」の旅に出ています。

もうここに用はありません。
このあとは中山道を「うとう峠」へと行きます。

Unuma04

国道21号バイパス交差点にあるのは
復元された「高札場」。

Unuma05

鵜沼駅への分岐にある「うとう峠」への道標
中山道は左へと行きます。

Unuma06

ここが「東の見付跡」で祠は「赤坂の地蔵堂」。
鵜沼宿の東の出入り口で
道は枡形に大きく左へと曲がります。

このあとは団地の傍の長い坂道が続きます。
坂道上り切って池をを回り込むと
目の前が「日本ライン うぬまの森」です。

Unuma07

森に沿って最後の坂を上ると

Unuma08

「うぬまの森」正面ゲートに出ます。
センターハウスの前を通りすぎると
すぐに「うとう峠一里塚」です。

Unuma10

南北両側に一里塚が残っています。
比較的原型を保つこの北塚ですが、
南塚は半分が壊われかなり荒れています。

幾く筋もの遊歩道が延びる「うぬまの森」の中を行く中山道は、
石畳と案内板で迷うことはありません。

Unuma11

一里塚からすぐに「うとう峠」に到着。

この日はここから引き返す予定でしたが、
歩きだすともうやめられない、止まらない・・・ ><;
一度歩いた道だけに記憶を頼りに先に行きます。

ここからはただ下るだけの「うとう坂」

Unuma12

かなりの石畳の急坂ですが、
道が地道になって緩やかになると出口はすぐ。

Nakasendo01

ひんやりとした国道下のトンネルをくぐって
石段を上ると美濃加茂市坂祝(さかほぎ)町です。

このあとはひたすら国道を歩きますが、
途中で中山道の案内板は「岩屋観音」へとなっていました。

Nakasendo02

以前に歩いた時は右の国道を行って
この道は通らなかったんですが?この日は案内通りに ^^;

   Nakasendo03

「岩屋観音」を拝観して

Nakasendo04

通り抜ける断崖横の細い道から
金網越しに見る木曽川の流れ。

この先で再び中山道は国道に合流していきますが、
途中から木曽川の堤防に整備された
”日本ラインロマンチック街道”に入りました。

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ほゞ3kmほどの道ですが、
国道の中山道を歩くよりは快適な道 ^^;
終点まで行けば中山道大田宿に出られますが、
ここは橋を左に折れていったん国道に出ます。

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しばらく国道を行くと中山道は国道を離れ、
「大田宿」へと入って行きます。

ここも何度か紹介しているため
今回は要所だけを ^^;

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中濃大橋の下にある「虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡」、
ここが大田宿の西の出入り口。
ここから枡形になり道は大田宿の中心部へと入ります。

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「高札場跡」説明板を見て右折すると
すぐに「旧大田宿本陣門」があります。
この前が「中山道会館」で、
大田宿散策のビジターセンターでもあります。

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その横にあるのが「旧大田脇本陣林家住宅」。
現在も居住されていますが(原則火・水のみ公開)、
江戸時代そのままの姿で残っています。

そしてその先にある「祐泉寺」

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本堂の右手前にある鐘楼の横に
芭蕉句碑があります。

私的な趣味の芭蕉句碑で恐縮ですが ><;

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句は「春なれや なもなき山の 朝がすみ」
貞享二年(1685)「野ざらし紀行」の吟で
ここには関係ありません。

中山道鵜沼宿から「うとう峠」までを歩く予定でしたが、
この日もまた思うに任せ大田宿まで・・・
一気に歩いてしまった中山道でした。

2014年2月28日 (金)

下街道から中山道へ

今年の歩き始めに選んだ「下街道」。

あと少しを残して3回に分けてしまいましたが、
その最終回はJR武並駅から下街道槇ヶ根追分に出て、
そのまま中山道を大井宿(恵那)までの歩きでした。

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武並駅から歩き始めてすぐに竹折美濃の集落です。
雪の残る道や周辺の畑を見ながらいやな予感がします。

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集落のはずれにある「明治天皇竹折御小休所」跡。
ここからすぐに国道19号線を渡り中央自動車道をくぐります。

しばらく道は上りになり畑の傍を行きます。

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農道から離れると目的の槇ヶ根追分はもうすぐですが、
山中に入り予感が的中!雪道になりました ><;
途中から雪の重みで折れた竹が道をふさいでいて、
道なき傍を迂回して行きます。

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もうすぐ目の前が目的地ですが、
竹をかいくぐりわずかな階段を探して行きます。

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ようやく見つけた街道に戻り、
目の前が開けると目的の「槇ヶ根追分」です。

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道を上り切ると中山道に飛び出します。
雪の残るところが「槇ヶ根立場跡」で、
かってはここに九戸の茶屋があつたところ。

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江戸(大井宿)に向かって建つ道標、
上に鳥居と大神宮の文字があり
「右 西京大阪  左 伊勢名古屋 道」と刻まれています。

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その先には「伊勢神宮遥拝所跡」があります。
中山道を西に行く人はここで伊勢神宮を遥拝したという。

さて、これで下街道を歩く目的は終りましたが、
ここからは懐かしい中山道の歩きです。
中山道はこの先で一旦県道に出ますが、
途中からふたたび山道へと入って行きます。

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ただ、今回は快適な街道歩きとはいきませんでした ><;
下りが続く道ですが・・・
ご覧のようにまだ凍った雪が残りかなり疲れる歩きです。

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ようやく雪道から解放されて出たところが「西行の森」。
この辺りは綺麗に整備された”桜百選の園”となっています。
ここまでは恵那市街から車で来ることができます。

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ここも峠のひとつで「槇ヶ根一里塚」が残っています。
左右にある一里塚の片方です。

そして再び雪道を下って行くと「西行苑」です。
西行終焉の地としては河内の弘川寺が知られていますが、
大井で没したという説もあり、ここに塚が建てられています。

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その西行塚への道を行きます。

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道の傍に建てられている芭蕉句碑。
”西行の わらじもかかれ 松の露” (元禄2年(1689)の吟)

そしてその上には

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西行歌碑があります。
”待たれつる 入相のかねの音す也
         あすもやあらば きかむとす覧”
さらに行くと

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小高い丘に築かれた「伝西行塚」に建つ「五輪塔」です。
ここから下った新田地区には
西行ゆかり水(硯水)跡も残っています。

最後の坂を下って来た道です。

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ここから西の大湫宿までまでの約3里半(14km)の道は、
山中の峠道になり、”十三峠におまけが七つ”とまでいわれた、
激しいアップダウンの坂道が続きます。

ここから先は恵那の市街地(大井宿)はもうすぐです。

2014年1月30日 (木)

下街道 そのⅡ

新春初歩きで歩き始めた「下街道(したかいどう)」。
前回は多治見まででしたが今回はその続きです。

この街道筋はこれと行って見どころがなく、
多くの神社仏閣と秋葉大権現の常夜灯を眺めて行くだけです。
これがほんとの歩くだけという ^^;
久しぶりのロングウオークです。

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前回に終えた多治見市の栄町からスタート、
豊岡町から土岐川を多治見橋で渡ります。

道はすぐに本町エリアの「オリベストリート」へと入ります。

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明治から昭和初期まで、美濃焼の陶磁器問屋が軒を並べ、
多治見の中心部として栄えたところに、
茶人でもあった古田織部の自由で斬新な発想を、
現代の町づくりに取り入れようと造られたという・・・。
実に綺麗な道筋です。

ここから道は次第に上りになり、
小さな峠を越えると国道19号線に合流。
すぐに国道を離れると鉱山の専用道を抜けて行きます。

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道は下りにかかりますがその手前で東海環状道の
跨橋を渡りますが目の前が開けます。
右に恵那山と左に中央アルプス。
その左には御嶽山が見えますがカットしました ^^;

道はすでに土岐市に入っていますが、
ここの楽しみは高山宿です。
といってもこの街道は正式な公道として認められていない
裏街道のため宿場はありません。

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土岐市文化プラザ横からその高山宿に入りました。
宿としての雰囲気を残す工夫がみられるところです。

ただ、ここがちょうど街道の中間あたりになり、
旅人たちの宿場として賑い多くの旅籠があったようで、
宿としての機能ができたと思われます。

綺麗に整備された高山公園を見て先へ。

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町から眺める「高山城跡」は
高山公園横から車道が続いています。

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道筋には「明治天皇高山御小休所」
この先で細い道に入ると

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南宮神社の横にある「明治天皇観陶聖蹟碑」。
このすぐ先が紅葉で有名な「穴弘法」への道、
高山城跡へはここから散策路が続いています。

また何もない(自分には ^^;)街道を行きます。

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和合町で瑞浪市に入りますが、
和合橋を渡ると国道沿いにあった陶器のモニュメント。

瑞浪駅を過ぎて土岐町に入ります。

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ここにもありました「明治天皇土岐御小休所」の碑。

何もないと書いて省いていますが ^^;
道筋に現れる神社仏閣には途中寄りするだけの価値がある、
そんなお寺や神社もあります。

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土岐町の名滝地区に入って初めて道標をみました。
これは歩いてきた道(右)を振り返っていますが、
「右 多治見名古屋 左  ・・・岩村 道」

この先には小さいですが
「名滝稲荷神社」という舞台付きの立派な神社があります。
神社を見てすぐ先にあったのがこの句碑。

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芭蕉句碑です ^^;

碑面には
”いさらは 雪見にころふ 處まて  ばせを” 花月坊書
 貞享4年(1687)の吟ですが、 
ここで芭蕉句碑に出会うとは思いませんでした。

この先でふたたび土岐川を渡るとあった道標。

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大小ふたつの道標ですが
小さい道標は 「左 伊勢道」
大きい方は 「右 中街道 中山道 御嶽之道」
初めて見る”伊勢”の文字でした。

土岐川と付かず離れづに行く街道ですが、
中央線の高架をくぐると釜戸の集落。

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釜戸駅を見て集落を抜けて行きます。

下切、上切と行ってふたたび土岐川を境橋で渡ると

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ここから恵那市に入って武並町竹折です。

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集落を抜けたところで特急”しなの”が通過!
何度も見ながらようやく撮影に成功しました ^^;

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正面には恵那山が迫ります。

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武並の竹折を行く下街道。

目的の「槇ヶ根追分」はもうすぐですが、
行って戻って来るだけではなんとも味気なく、
楽しみは先に残してと、
今回はこの先の武並駅でゴールにしました。

2014年1月15日 (水)

新春初歩き・下街道Ⅰ

ずいぶんと前に”名古屋の善光寺街道”と題して、
名古屋市伝馬町の”札の辻”からその善光寺街道ともいう
下街道(したかいどう)を歩いて載せたことがります。
いつかその続きをと思っていましたが、
今年の初歩きはその下街道を選びました。

スタートは以前に歩き終えた名古屋市から春日井市へ入った、
ここ庄内川に架かる「勝川橋」からです。

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ここから下街道は春日井市を抜けて行きます。

歩き始めた勝川は宿場町や街道の面影はなく、
賑やかな大通りを行くだけですが、
柏井町から静かな道へ入ると鳥居松町。

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鳥居松商店街の「鳥居松観音」。

この辺りは風格のある店構えの家屋や、
「明治天皇下原新田御小休所」の建つ
「春日井市立資料館」などもあり少し街道の面影を残します。

毎度のことながら街道歩きは常夜灯や、
神社仏閣ばかりですが、
そんななかからこんな地蔵尊もあります ^^;

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東名高速をくぐり中部大学キャンパス沿いに入ると、
「尻冷やし地蔵」があります。
お堂の中には「浮彫石地蔵」があり、
台石の下から湧く清水で尻を濡らしていたことから、
尻冷やし地蔵と呼ばれるようになった・・・と。

こういうのは楽しいですね ^^;

この先で国道19号線に合流、
国道に沿った歩道を下って行くと坂下の町へ入ります。

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ここも宿場のひとつですが、
昔は養蚕が盛んなところだったそうで、
道筋の家屋には「・・・製糸工場跡」などの木札があり、
宿場町らしい雰囲気があるところです。

このあとは神屋、明知、西尾(さいおちょう)と、
日本武尊の伝承が残る地を歩いて行きます。

このあとは内津峠ですが、
周囲にはそんな山を思わすものは何もありません。
国道19号線と付かず離れずして行き山側へ。


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先で秋葉山常夜灯を見ると内津町です。

ここも宿場町のひとつですが、
内津峠西の拠点として賑ったところで、
人馬が行き交う地を表わす「津」の文字が用いられ
「内津」と書き表させるようになった・・・と。

ここは見どころが続きます ^^;
峠にかかる手前に集中する神社仏閣。

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まずは「見性寺」
尾張の俳人「横井也有(やゆう)」がここを訪れて、
「鶉衣(うずらごろも)」”内津草”を記したところ。
境内には数多くの詩歌碑や句碑があります。

そしてその先には

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内々神社(うつつじんじゃ)

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拝殿

創建については日本武尊の東征と深い関係をもちますが、
長くなるため境内に書かれた由緒を ^^;

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興味のある方は拡大してお読みください。

そして本殿裏にある庭園(県指定・名勝)。

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夢窓国師の作庭によるものと伝えられる庭園で、
京都西芳寺庭園と同じ回遊式林泉型だそうです。

下街道歩きの目的はもうひとつ芭蕉句碑でした ^^;
この庭園の右の道を登ったところにある「すみれ塚」。

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多くの句碑が建ち並ぶ山腹の広場中央にある”すみれ塚”、
その後ろに隠れていますが芭蕉句碑があります。

 碑面は
”山路来て なにやらゆかし すみれ草” 芭蕉翁 也有書
     ( 貞享年(1685) 大津にて 野ざらし紀行 吟) 

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そして神社横にある「内津妙見寺」です。

あとは内津峠を越えて多治見まで・・・。

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国道19号線を高架橋で渡り少し行くと峠ですが、
その手前の国道上り線上にある峠の説明版。

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そして峠の最頂部でここからあとは下るのみ。

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愛知県春日井市から岐阜県多治見市の市境です。

遠くに雪の恵那山を見ながら峠道を下りて
多治見の市街地へと入ります。

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池田町家郷土資料館

富士見町から美濃西端の宿場町池田を抜けて行き、
市の中心部へと県道で大原川を渡ります。
そのまま進むと「栄町2丁目」交差点、
下街道は真っ直ぐ行きますがこの日はここまででした。

この続きは次の機会に・・・
多治見、土岐、瑞浪と行き槇ヶ根追分までです。

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