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2017年6月 3日 (土)

旧東海道箱根越え 箱根西坂

旧東海道箱根越え2日目は箱根宿から三島宿までの約16km。
箱根峠からは西坂と呼ばれる三島側の急坂を下りますが、
こちらもまた山の中、石畳の続く坂道です。

この日は朝から晴れ、のち曇りの予報でしたが、
とにかく雨が降らないようにと、祈る気持ちでのスタートでした。

Hakonew01

朝の芦ノ湖、
すでに厚い雲に覆われて、この日もまた富士山は望めません ><;
足早に関所を抜けて、
国道1号線で箱根宿を抜けて行きます。

Hakonew02

芦川の集落から駒形神社の傍を曲がると旧道の入口。
建ち並ぶ石仏群を見て行くと

Hakonew03

すぐに向坂で、箱根峠まではふたたび上り坂。

Hakonew04

向坂、赤石坂、釜石坂、挾石坂と続く石畳の坂道を登っていくと、
国道1号線に出ます。
出たところをそのまま進むと道の駅箱根峠ですが、
ここは反対に左へと国道を行きます。

Hakonew05

すぐに箱根峠
箱根新道の終点箱根峠インターと、
芦ノ湖スカイラインなどの道が交わる交通の要所だけに歩行注意!
すでにモヤがかかり始めていていやな予感 ><;

Hakonew06

国道を横断すると冠木門があり、
ここが三島側の旧道入口。
しばらく下って、ゴルフ場に沿った車道を道なりに行くと

Hakonew07

綺麗に整備された旧道入口があり、
ここから三島宿まで長~い箱根西坂が始まります。

Hakonew08

まずは笹のトンネルを行く甲石坂、
笹の葉が積もった道を慎重に行きます。(笹の葉で滑ります^^;)

Hakonew09

石原坂石畳から、
少し開けて明るい大枯木坂、小枯木坂を過ぎると

Hakonew10

山中新田
とまぁ、淡々と書いてきましたが、この間の道筋には
接待茶屋跡、かぶと石、明治天皇小休址、念仏石など、
たくさんの見どころがあります。

しばらく山道を行き「雲助徳利の墓」なるものを見ると、
すぐに県道に出ますが

Hakonew11

ここが駒形諏訪神社の入口で、「山中城跡」への案内があります。

「山中城跡」は今回の箱根峠越えの目的のひとつだったため、
ここで約1時間ほど城跡を散策しましたが・・・それはあらためて ^^;

Hakonew12

散策から戻って旧道を行くと、城跡への三の丸入口駐車場があります。
正式?にはこちらからが見学入口でしょうか。
そのまま国道を横切ると旧道の左には、
「山中城岱崎(だいざき)出丸跡」への入口がありますが・・・
残念ながらこちらはパス ^^;真っ直ぐ旧道を行きます。

Hakonew13

三島側の箱根西坂は一部を除いて整備された石畳で、
東坂に比べて凸凹の少ない石畳ですが、
とにかくほとんど三島宿まで続く長~い下り坂 ><;
これだけ長いと少々飽きてきますが・・・
この先で旧道は工事中のため国道を迂回させられます。

これは誤算でした ><;

Hakonew14

ヘアピンカーブの続く国道を行くと富士見平。
ちょうど通行止めの旧道(右から斜め左奥)出口に、
この芭蕉句碑がありました。

” 霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き ”
芭蕉「野ざらし紀行」の前文には、
”関こゆる日は、雨降て、山皆雲にかくれたり”とありますが、
霧で富士山を見ることができなかった芭蕉の、
やせ我慢ともいえる一句でしょうか。
旧道の通行止めで見れないかと思っていましたが、
この日はまさに芭蕉の心境で見ることができました ^^;

Hakonew15

すぐに「三島スカイウオーク」の大吊橋。
ここで旧道と合流します。

Hakonew16

三島スカイウオーク前から笹原新田へと向かう旧道入口、
この辺りからは開けた明るい旧道が続きます。

Hakonew17

「笹原一里塚」
この先で現在の東海道を横切ると、
その先が西坂では第一といわれる急坂の”こわめし坂”。

Hakonew18

写真では分かり難いですが、
かなりの急こう配が続くアスファルト道です。

下りきると三ツ谷新田
題目坂(法華坂)、出征馬記念碑、六地蔵などを見ながら、
坂を下って行きます。

Hakonew19

そして一瞬草むらの地道か?と思われた旧道ですが、
すぐに石畳に変わります ^^;
抜けると塚原新田、ここで国道に合流しますが、
国道は伊豆縦貫自動車道を横断します。

Hakonew20

その先は国道沿いに整備された石畳の道「初音ヶ原石畳遊歩道」。
途中、「錦田の一里塚」を見ると三島宿まではあと2km ^^;

五本松交差点で旧道に入り愛宕坂を下ってJRの踏切を越えると、
箱根西坂最後の今井坂です。

Hakonew21

大場川に架かる新町橋は三島市の富士山眺望地点とか。
この日を象徴する眺めでしたが・・・悔しいので1枚!><;

Hakonew22

すぐに「三嶋大社」に到着。
山中城跡散策約1時間を入れて6時間の行程でした。

今回は目的もたくさんあり出かけた箱根越えでしたが、
芭蕉句碑も見ることができて目的も達成。
旧東海道のすべての峠を越えた歩き旅でした。 camera 31日

2017年6月 2日 (金)

旧東海道箱根越え 箱根東坂

旧東海道の箱根越えは小田原宿から三枚橋までの1里半、
三枚橋から箱根宿(芦ノ湖畔)まで約2里半の合わせて4里(16km)。
箱根宿から箱根峠を越えて三島宿までの4里、
合わせて8里(32km)が箱根八里といわれる箱根路。
三枚橋から箱根峠までを東坂、三島までを西坂と呼ばれ、
石畳の急坂が続く東海道最大の難所といわれます。

今回は途中にある見どころも楽しみながら、2日かけての箱根越え、
まずは1日目に箱根東坂の石畳です。

Hakonee01

三枚橋から箱根湯元駅を見て、
県道723号(旧東海道)で湯元温泉街を抜けて行きます。

Hakonee02

すぐにある「早雲寺」
小田原城主・北条氏の菩提寺で、境内には北条氏5代の墓があります。

”湯本一里塚”を見た先で箱根路最初の石畳みへ。

Hakonee03

猿沢沿いを行く猿沢石畳ですが、歴史のある道です。

すぐに県道に戻ると、道は次第に高度を上げ、
奥湯本で山間部の旧道に入ります。

Hakonee04

ここからしばらくは須雲川(すくもがわ)自然探勝歩道で、
丸太橋などのある須雲川渓谷を行きます。

Hakonee05

県道に出て道を横断すると「割石坂」の石畳

Hakonee06

この辺りから石畳の坂道が続きます ^^;

Hakonee07

大澤坂
苔むす素晴らしい石畳ですが・・・この石畳、
足元要注意の歩きにくい道で、かなり体力を消耗します ><;

Hakonee08

坂を登りきると間の宿「畑宿」。

郷土の伝統工芸箱根細工(寄木細工)で知られますが、
町並みを見ながら通り抜けると

Hakonee09

「畑宿一里塚」がありますが、
これは平成10年(1998)に完全復元されたもの。

この手前にある峠の茶屋で昼食兼ひと休み。
この日の暑さには少々閉口気味 ><;でしたが、
ここからまた急坂が続く石畳、元箱根までは残り2時間ほど。

Hakonee10

いきなりの急坂は西海子坂(さいかちさか)。
登りきると県道に出ますが・・・ここからは箱根七曲りの急坂で、
なかなか休ませてくれません ><;

Hakonee11

七曲の途中から、今は石段になった橿木坂(かしのき)を登ると、
新緑のなかの自然探勝歩道に出て
見晴らし茶屋の下を通過していきます。

Hakonee12

新緑の中を行くのもつかの間、次が猿滑坂
上りきると、県道を横断して

Hakonee13

すぐに追込坂と続きます。
このゆるい坂を上りきると箱根旧街道資料館(休憩所)、
並ぶように「甘酒茶屋」があります。

Hakonee14

一杯400円の冷たい甘酒を飲んでひと休み ^^;
ここは芦ノ湖も近いためかハイカーや観光客も多くすごい人、
特に青い目の外人さんが多いのにびっくり。

少し元気をもらって最後の追い込みです ^^;

Hakonee15

元箱根まで40分とありますが・・・
このあとも続く石畳の坂、まず於玉坂から

Hakonee16

白石坂と続きますが、
次第に足が重たくなり動きが鈍ります ><;

Hakonee17

ようやく開けた場所に出ると二子山眺望所?
”箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川”の
箱根馬子唄の歌詞が刻まれた大きな石碑があります。

この先、湯坂道との合流点を過ぎると道はようやく下り坂に。

Hakonee18

石畳は権現坂ですが、石畳の下りはさらに要注意!

Hakonee19

下り終えると元箱根の杉並木が迎えてくれました。
そのまま行けば箱根の関所ですが・・・ひとまず芦ノ湖畔へ。

Hakonee20

見えるはずの富士山も、
夕暮れ時とあいまって雲のなかで見えません ><;

Hakonee21

戻って最後の踏ん張り、
見事な杉並木の中の道を行くと「恩賜箱根公園」に出ます。

Hakonee22

駐車場を回り込んで着いた「箱根の関所」、
この日の歩きはここまででした。

小田原から約16km、ちょうど7時間の箱根路でしたが、
思っていた以上に長い石畳の道と坂の多さに、
あらためて難所箱根越えの苦しみを味わった1日目でした。
2日目は箱根峠を越えて三島宿までです ^^;  camera 30日

2017年6月 1日 (木)

旧東海道箱根越え 小田原

芭蕉の「野ざらし紀行」で歩いた旧東海道。
その目的は京都から三島までで終わっていたんですが、
ただひとつ気になっていた箱根の峠越え。

もう箱根の峠は越さないと決めていましたが、
以前に三島スカイウオーク(大吊橋)まで出かけて
旧街道を見たときから気が変わりました ^^;
桜の咲くころに小田原からと思いながら・・・ようやくです。

駅から小田原城の北入口に出て城内を抜けて行きます。

Odawara01

正規登城ルートの逆になりますが、
いきなり本丸・天守閣からです ^^;

Odawara02

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常盤木門(ときわぎもん)

Odawara04

門を出た左右には花菖蒲園でしょうか?

Odawara05

Odawara06

その先、右に銅門(あかがねもん)
馬屋曲輪(うまやくるわ)から二の丸に通じる位置にあり、
二の丸の正門にあたり渡櫓門(わたりやぐらもん)、
内仕切門(うちじきりもん)と土塀で周囲を囲む
枡形門(ますがたもん)の構造を持つそうですが、
工事中で通行禁止でした。

Odawara07

Odawara08

戻って二之丸跡

Odawara09

二之丸隅櫓を回り込んで

Odawara10

学橋(まなびばし)で内堀を渡り、

Odawara11

堀沿いを南にある正面入口に行きます。

Odawara12

その南入口は大手登城口になる馬出門、
この先が先ほどの銅門に通じています。

Odawara13

馬出もんの先にチラッと天守閣が見えます。

今回は旧東海道歩き ^^;
そのまま南へと歩いて国道1号線に出ると
旧東海道小田原宿の中宿町。

Odawara14

ここから目指すは箱根峠越え ^^;
これといった見どころもなく、
国道1号線と付かず離れずに淡々と旧東海道を行きます。

Hakoney

小田原宿中宿から1時間少しで三枚橋到着。
先に見えるのは箱根登山鉄道「箱根湯本駅」。

早川を渡り、湯元温泉街を抜けて行きますが、
この日はメチャ暑い日になりました ><;
ここから上りが続く箱根路、続きはこのあとに ^^; camera 30日

2017年4月26日 (水)

尾張の官道上街道 後編

サクラも終わって次の花たちが咲くまでに、
以前に歩いた尾張の官道・上街道(うわかいどう)を歩き終えようと、
小牧市からの続き、御嵩町の伏見宿までを歩きました。

前回の続きは名鉄小牧線の田県神社前駅から、
県道27号線の久保一色交差点に出て旧道には入ります。

Uwakaido201

交差点の角にある神社の祠
ここから県道を離れて左の旧道に入ります。

すぐに犬山市に入りますが、
いつもながら街道沿いには神社閣しか見どころもなく、
今回は少し道標を見ながらの旅を。

Uwakaido202

犬山市に入って楽田の追分東、
ここが「稲置(いなじ)街道」と「上街道」の追分。
左に進むと稲置街道で犬山城へと行きますが、
上街道は右へと行きます。

あとは犬山市の東部をひたすら北上して行きます。
羽黒で五条川を渡るとその先は
右に尾張富士を眺めるのどかな田園地帯。

Uwakaido203

新郷瀬川を合戦橋で渡ると羽黒安戸南にあった道標。
馬頭観音ですが、
その台座には「右 やまみち 左 きそみち」と刻まれています。

Uwakaido204

道は県道168号線に出て国道41号線をくぐり善師野(ぜんじの)へ。
名鉄広見線が見えると善師野駅手前で左折。

Uwakaido205

線路を渡ると「善師野宿」の集落、直進していくと、
旧東山道との分岐にある常夜灯、さらに行くと・・・

Uwakaido206

新しい一里塚跡石柱と馬頭観音があります。

Uwakaido207

この先で街道は地道の山道へと入り、
久しぶりの峠越え。

緩やかに登る道を行くと

Uwakaido208

いきなり池のほとりに出ました。
善師野宿の案内には”大洞池”とありましたが、
この道は東海自然歩道にもなっています。

池の先で自然歩道が交わる辻に休憩所がありひと休み ^^;
道はさらに緩やかな登りになり、

Uwakaido209

空が開けるとまた交差路に出ますが、
ここが「石拾峠(いしひろいとうげ)」。

道を確認してこのあとは下り

Uwakaido210

峠道の途中にあったふたつの道標。
ひとつは「左 名古屋」でしょうか?もうひとつは
「左 犬山 右 つかお 道」とあります。
つかお?これは犬山の継鹿尾観音寂光院のことか。

街道を歩いていると往々にして本筋かどうかが分からぬことも。
地図はあるものの、道標や案内板を見ると正直、ほっとします。

そして峠道を抜けた先には

Uwakaido211

新しい道標がありました。
ここも道の分岐になっていて、この右手の道は、
先ほどの道標にあった継鹿尾観音寂光院へと行く
東海自然歩道のようです。

ここからは可児市西帷子(旧石原村)と鳩吹山の麓を行きます。

Uwakaido212

ふたたび国道41号線に出ると、その手前にあった「馬頭観音」、
ここは山の間を切り開いた”切通し”で石原村と土田(どた)の境界。、

Uwakaido213

その馬頭観音の後背には
「右ハかち道 (かちとは徒歩)、左ハ馬道 川渡(太田の渡し)ハ東道」
と、刻まれているようですが・・・><:

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国道をくぐるとすぐにこの案内板がありました。
「土田城址」への道しるべと、
織田信長生母・土田御前の生まれた地、土田宿へと入ります。

Uwakaido215

土田公民館の前にある本陣址。
善師野宿から石拾峠を経て土田宿まで、
短い道でしたが、上街道らしい道を楽しみました。

ここからはまた、
町なかの何もない道をただ歩くだけ ><;

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今渡神明に出ると富士浅間神社前で、
太田の渡しを迂回した太田橋から来る中山道と合流です。
ここからは伏見宿まであと約一里(4km)ほど。

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国道21号線に出て中恵土(なかえど)にある新しい「一里塚跡」石柱。
この先で国道から離れると中山道伏見宿はすぐです。

伏見宿はすでに歩いているため上街道はここまで。
あとは国道を直進して名鉄明智駅へと向かいました ^^;

オマケ!

Uwakaido218

明智駅の少し手前で、
可児川に架かる野崎橋近くに咲いていたシバザクラ。

快晴の歩き日和!ほどよい汗をかいて、
無事に歩き終えた尾張の官道「上街道」でした。 camera 23日

2017年4月19日 (水)

尾張の官道 上街道

以前に、中山道と名古屋城下を結んだ下街道(したかいどう)
善光寺道ともいわれる旧街道を歩いたことがあります。
名古屋城下と中山道を結ぶ道はもうひとつあり、
こちらは、尾張藩が参勤交代のときに中山道に出るため、
五街道並みの規格でつくられた官道の上街道(うわかいどう)です。

まだサクラの綺麗なときに、とりあえず小牧の北端にある
田県神社まで歩きました。
いつものことながら、旅人だけが楽しむだけの街道歩きですが・・・ ^^;

Uwakaido01

スタートは名鉄瀬戸線の東大手駅を出た、
名古屋城の東大手門。

上街道は、ここから出来町通りを東へと歩いて、
名古屋高速下を左折、北へ数百メートル歩いて斜め右に
旧道へとは入るとあとはただ北上するのみ。

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名鉄瀬戸線清水駅を過ぎてしばらく行くと、
「稲置(いなじ)街道」の案内があるポケットパーク。
犬山の楽田まではこの稲置街道と重複し、
木曽街道とも呼ばれます。

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道は黒川の県道102号線と環状線で分断されますが、
志賀橋交叉点で迂回して、さらに北上すると庄内川に。

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ここは歩道橋の「ふれあい橋」で渡ります。
この先がチョッと複雑で迷いながら出たところが

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「味鋺神社(あじまじんじゃ)」前の。

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この道もまた神社仏閣が多いですが、
ここは味鋺神社と「護国院」が隣接しています。

寺内を拝観しながら旧道に戻り、
あとは味鋺の集落を抜けて行きます。

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途中にある「首切り地蔵」を見ると(曰くは省きます ^^;)、
その先で県道102号線に出ますが・・・

Uwakaido08

先に見えた綺麗なサクラに寄り道、
案内には春日公園(春日山古墳)とありました。

ここからは長~~い県道歩きになります。
途中に見どころはなんにもありません ><;
ただ、途中春日井市中町の道端、「正念寺」にあった芭蕉句碑。

Uwakaido09

句は”來與に(いざともに)穗麥喰はん 草枕 芭蕉 ”
貞享2年(1685) 野ざらし紀行での吟。
我が手引書には、寛政12年(1800)の建立とあります。
これもまた、歩き旅の楽しいところでしょうか。

街道は小牧市に入ってようやく県道から離れます。

Uwakaido10

そして「小牧宿」に入ると、下之町にある「岸田家」と、

Uwakaido11

すぐ隣には「小牧御殿」、「小牧代官所跡」があります。
ここが小牧宿の中心部で、
しばらく行くと宿の桝形になる戒蔵院前に出ます。

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左手に見える小牧山の桜に未練はありましたが、
先を急ぎます。

Uwakaido13

「戒蔵院」山門と

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その前にあった道標
「南 名古屋 東 木曽街道 犬山道」と刻まれています。

このあともただ歩くのみ、小牧原、味岡と過ぎて

Uwakaido15

「田県神社」を見ると

Uwakaido16

すぐ先には久保一色の交差点。
ここから県道を離れて左に旧道へ入るとすぐに犬山市ですが、
今回はここまでで、傍にある田県神社前駅から戻ります。

名古屋から小牧、犬山を通り、中山道伏見宿にいたる
十里八町(約40km)を行く尾張の官道「上街道」。
続きは、またの機会に・・・。    camera 4月12日

2017年3月31日 (金)

美濃街道 駒野から関ケ原

美濃路(美濃街道)は東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ
脇往還ですが、桑名の東海道から美濃の関ケ原へといたる
もうひとつの美濃街道があります。

関ケ原からは伊勢への道として伊勢街道とも呼ばれる道。
昨年の暮れに桑名の多度から海津市の駒野までを歩いていますが、
この日はその続き、駒野から関ケ原までを歩きました。

Mino201

駒野集落を行く美濃街道

歩く身に楽しい街道とはいえ、特に見どころもなくただ歩くだけ ><;
ただ、この街道は伊勢街道ともいわれるだけに
神宮と刻まれた常夜灯が多くあります。

Mino202

で、いきなり常夜灯(南濃町徳田)ですが ^^;
今回はそんな「常夜灯」を中心に道中を紹介してみたいと思います。

街道は南濃町徳田、戸田の集落を抜けると
再び県道56号線(薩摩カイコウズ街道)に出て,
その先で旧道を志津の集落へと入ります。

Mino203

ここで初めて道標に出会いました。
「右 京都 ・・・  左 伊勢、多度 四日市 ・・・」は判読できましたが、
あとはどうにも??読めなくても街道歩きではうれしい道標です。

次が津屋の集落、美濃津屋駅を過ぎてしばらく行くと

Mino204

この常夜灯。
常夜灯は道しるべも兼ねていますが、
この道筋の常夜灯は”神宮”の文字が刻まれています。

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すぐ先にある「本慶寺」。
ここはかっての「津屋城」があったところ。
関ケ原の戦いで西軍についたため廃城となりますが、
その後領主の許しを得て本慶寺となっています。

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津屋から道は養老町へ入ると一色、船見の集落に。

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ここには「太神宮」の常夜灯です。
その先には「観音寺」がありますが、
とにかくこの街道筋にある神社仏閣の多いのにはちょっとびっくり。

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小倉から鷲巣の集落に入るとこの石柱、
鷲巣は第13代横綱「鬼面山谷五郎」の生誕地とか。

Mino209

そして「養老駅」に到着。
駒野駅からほゞ10km、2時間10分の行程でしたが、
ここでひと休みして後半へ。
関ケ原までは残り約15kmほどですが、
ここからはエスケープができず、一気の歩きになります。

Mino210

県道56号を渡った先で変則5差路を曲がりそこね、
養老公園の道でいきなり迷いタイムロス ><;
本道に戻って養老町石畑の集落へ入ります。

Mino211

石畑にある比較的新しい道標
ここは伊勢街道と養老街道が交差する柏尾地区。
※ 養老からは伊勢街道に統一します。

柏尾地区から道はいったん県道(通称焼き肉街道)寄りに出ますが

Mino212

すぐに山沿いに戻り、石畑から勢至の集落へ。
このあと竜泉寺、桜井と行きますが、
この辺りは道が入り組んでいて本道を外した感もありました ><;

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沢田地区に入って珍しい二宮金次郎像と学校の門柱。
養老北小学校跡(前身は沢田小学校)との説明碑がありました。
ここでしばらく休憩 ^^;

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次が沢田の集落にあった常夜灯(本郷)。
個人の方の寄進によるもので二代目だそうですが、
玉垣で囲われ、唐破風造りの屋根という珍しいものです。

沢田地区を抜けると養老町から大垣市上石津町。

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すぐに牧田川を広瀬橋で渡ります。

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その先、上石津町牧田で九里半街道に合流。
(ここから関ケ原の中山道までは重複部分になります ^^;)

九里半街道:詳細は省きますが、
江戸時代、養老の濃州三湊から大垣市上石津町、関ヶ原を通り、
中山道で米原の「朝妻湊」までの九里半(38km)を結んだ街道。

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その中心部となる牧田宿、
まずはこの大神宮の常夜灯。

Mino218 Mino219

そしてこのふたつの常夜灯、刻まれているのは金毘羅大権現と秋葉山、
海上交通の守り神と、火防の神さんですが、
ここ牧田は水運物資で栄えた町でもあります。

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牧田集落の外れ「木曽神社」の先にある地蔵尊、
その後ろにまだ新しい?「芭蕉句碑」がありました。
句は ”義仲の寝覚めの山か月かなし 芭蕉”

この先で道は名神高速道をくぐりますが、
その手前にある烏頭坂。

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ここは島津豊久奮戦の地。
関ケ原の戦いで西軍の敗戦が決したなか、
孤立した島津軍が家康本陣の敵中突破(島津の退き口)で、
島津義弘を助けるため豊久が踏みとどまって戦ったという。
この上にはその豊久の墓がありますが・・・外しました ><;

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関ケ原町に入ってすぐにある道標、
「左 旧道」の指示通り旧道へ。

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桑名から始まったもうひとつの「美濃街道(伊勢街道)」、
最後の立ち寄りは桑名藩初代藩主本多忠勝の陣跡でした。

すぐに中山道の追分

Mino224

そしてJR関ケ原駅に到着です。

ヤマトタケルが伊吹山で負傷して下山、
手負いのまま大和をめざした古道でもあるという・・・
これも数ある伊勢街道のひとつでした。 camera 29日

2016年12月26日 (月)

もうひとつの美濃街道

東海道宮宿と美濃の垂井宿を結ぶ美濃路(美濃街道)、
桑名からも美濃へといたる街道が開けていました。

岐阜県側では伊勢への道として伊勢街道とも呼ばれる道。
すでに三重県側は桑名の七里の渡し跡から県境の
多度町柚井までを歩いていましたが、
この日は今年の歩き納めにと、
あらためて多度から岐阜県海津市の駒野までです。

養老鉄道の多度駅から県境までは2kmほど。

Minokaido01

その県境、
ここから岐阜県海津市に入ります。

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次の街道分岐の目印は「八幡神社」でしたが、
ここ辺りから山麓を行く道筋が入り組み少々迷います ><;

道は神社の横を山に向かって回り込むのが正解。

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山麓を行く街道から美濃松山の町並み

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すぐに「御鍬神社」。
聖武天皇ゆかりの由緒ある神社だそうですが・・・
詳細は省きます ^^;

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道は神社の前を曲がって下りますが・・・
直進してしまいました ><;

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間違いに気が付いたのは数百メートルほど行った先の「諏訪神社」。

ただ、ここには岐阜県天然記念物の”大クス”と、
海津市天然記念物の”大まき”があり、これをみれたのはラッキー ^^
さらに直進すれば吉田出来山公園への散策コース。

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道を修正して本来の美濃街道に戻ります ^^;
山除川沿いを行く街道と、右には三切池。

町並みは吉田に入り

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すぐに国道258号線を太田の交差点で渡ります。
その先には

Minokaido09

「杉生神社」
そして

Minokaido10

養老鉄道石津駅を通過。

とにかく街道筋には特別なものを除いて神社仏閣が多いのは常 ^^;
ただ、この町筋にはちょっとした?曰くのありそうな石柱がみられます。

Minokaido11

抜けると般若谷から来る県道1号線、
海津橋の手前を横断していきますが・・・山から川に?

Minokaido12

それもつかの間で、
今度は味気ない国道258号線を少し歩いて

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安江台団地入口から美濃山崎へ。

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外れに?ある「八幡神社」
ここには国道を走るときによく見る大イチョウの木があります。

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これも海津市天然記念物でした。
ふたたび国道を横断すると上野河戸(うえのこうず)、
ここからは津屋川(揖斐川)沿いの道を行くことになります。

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ここでもやはりお寺 ^^;「寒窓寺」です。
高須藩主小笠原貞信の菩提寺(後の禅海寺)ゆかりの
仏頭、仏像が安置・保管されているそうです。

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街道筋は津屋川沿いの田園地帯に変わり

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左には「月見の森」が見え始め、
この先は南濃町羽沢の集落。

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大専寺

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すでに正月飾りの置かれた春日神社を見て、
県道8号線を高架で渡ると駒野です。

あとは国道258号線の藤沢交差点へと続く街道でしたが

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途中で駒野駅へと出ました。

三重県側多度駅から駒野駅まで、
少し余分な歩きもありましたがほぼ13kmほどでしょうか。
今年の歩き納め、もうひとつの「美濃街道」でした。 camera 25日

2016年12月22日 (木)

中山道 小紅の渡し

岐阜市の中山道、加納宿と河渡宿の途中にある長良川で、
一日市場(ひといちば)と鏡島を結ぶ「小紅の渡し」。
もともとは中山道河渡の渡し(現在の河渡橋付近)の裏街道として、
鏡島弘法・乙津寺(おっしんじ)の参拝者が多く利用したという。

以前にここを歩いたときは先を急いで河渡橋を渡りましたが、
最近、テレビの放映を見たこともあり、あらためて渡しで中山道をと、
21日の乙津寺の弘法さんの日を待っていました。

この日はもちろん、中山道を歩きます ^^;

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岐阜駅南口から南へ少し歩き、
加納宿口から旧中山道に入ります。
なにも見どころのない旧道をただ歩き続けるだけですが、
駅から1時間ほどで乙津寺参道口に着きます。

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この日は21日で、鏡島弘法・乙津寺は弘法さんの縁日、
ここから中山道を離れて参道を行きます。

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賑わう「乙津寺」はあらためて載せたいところですが、
まずは「大師堂」にお参りして
すぐ近くにある「小紅の渡し」へと向かいます。

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乙津寺の縁日には小紅の渡しも賑わうという・・・

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長良川左岸堤防から見える「小紅の渡し」。

堤防を下りて渡し場へ。

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渡しは県道173号線文殊茶屋新田線の一部で、
月曜日(祝日の日は火曜日)と年末年始は休航日。(荒天時も)
渡りたいときには白い旗を振って
対岸で待機している船頭さんに合図します。

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ちょうど到着した船に乗ります。
下流に見えるのが「河渡橋」、
かってはそのすぐそばに「河渡の渡し」があったという。

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対岸の船着き場
乗船時は必ずライフジャケットを着用です。

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鏡島側船着き場を離れると

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上流には「岐阜城」が見えます。

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一日市場側船着き場に到着

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ほんの数分の乗船でしたが、
観光渡船ではなく、れっきとした県道で長良川を渡りました ^^;

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堤防上にある船頭さんたちの待機小屋。
この日は縁日で多くの人の利用があるそうです。

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ここからは「河渡橋」へと堤防を歩いて行きます ^^;

長い堤防歩きから「河渡橋」をくぐって

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少し行くと小さな祠がありますが、
ここでいったん堤防から下ります。

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下りたところにある「馬頭観音菩薩堂」。
天保年間に道中家内安全五穀豊穣を祈願し、
地元の人々の寄進によって建てられたもので、
「河渡宿」の案内板があります。

もう少し堤防下を行って道なりに曲がると

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河渡宿の入口

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すぐに「河渡の一里塚跡」がありますが、
短い宿場には他に見どころはありません ^^;

「小紅の渡し」であらためて歩いた中山道は、
岐阜市の加納宿から河渡宿まででしたが、
この日はここから穂積駅に出て戻りました。   camera 21日

2015年7月 7日 (火)

伊勢別街道

桑名の「七里に渡し」の”伊勢国一の鳥居”とともに、
東海道関宿の東の追分の”一の鳥居”が、
時を同じくして建替えられました。
その新しい鳥居をまだ見ていませんでした。

花も気になるところですが、体力と脚力も気になります ^^;
これを機に鳥居のくぐり初めを兼ねて、
この日は9年ぶりの「伊勢別街道」歩きました。

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竣工式が行われてからひと月の真新しい鳥居。
ここから津市江戸橋の”伊勢街道”追分まで、
約18キロほどの伊勢別街道。
鳥居をくぐって坂を下りるとあとは南に直進して行きます。

四日市日永追分から伊勢にいたる伊勢街道の支道で、
江戸時代には京都方面からの参宮客で賑わった道ですが、
そのころは「いせみち」、「参宮道」、「山田道」などと記され、
伊勢別街道の名が使われるのは明治以降という。

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鈴鹿川を「勧進橋」で渡りますが、
早くも雨が降り始めました。
この日の予報は降雪量0%だったんですが、
梅雨ですものね ><;
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橋を渡るとすぐ左手にあるのが
「鈴鹿駅家跡(すずかのうまやあと)」で、
馬や人夫を備え宿舎を設けた場所。

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その一画には目印に植えられていたという
”御厩の松”と呼ばれる松の根株が保存されています。

ここを左折し、連子格子のある家並みを見て行き、
県道10号線に合流すると名阪国道をくぐります。
右に石山観音道を分けるとすぐに県道と分かれ楠原宿へ。

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ここは東海道関宿追分からわずか30分ほどの
短い距離にある最初の宿場だけに、
次の椋本宿の補助的な宿場町であったのでしょう。

再び県道に出てすぐに左折し山道を行くと芸濃町林。
雨は止みそうもなくさらに強くなり傘を差します ><;

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蛭谷街道との分岐に建つ旧明村役場、現芸濃町資料館。
洋風建築の古い建物ですが一見の価値あり、
ただし外観だけで ^^;街道はここで右に折れます。

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再び県道に合流しますが、
その合流地点に建つ道標県常夜灯。
”右 さんぐう道 左 京道”とあります。

雨がこれ以上ひどくなればエスケープもと思いながら、
この街道は椋本(むくもと)からしか路線バスはなし ><;
そこまではただ歩くだけです ^^;

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その椋本に入る手前を行く「横山池」沿いの道、
雨は降り続きます。

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椋本宿入口に建つ道路里程標の標柱と、
きれいに色ぬきされた道標。

この前がバス停でエスケープするならここでしたが、
ちょうど津行のバスが出るところ・・・逃せばあと1時間後。
しかしここは外せないところで宿場に入ります。

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宿場(街道)に残る唯一の宿、旅館「角屋」。
名前の通りちょうど宿場の真ん中あたりの角にあり、
木造切妻造桟瓦葺で江戸時代の古い建物です。

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入口に掲げられた多くの”参宮講札”に
往時の賑わいが偲ばれます。
(旅館は平成25年12月に廃業されているそうです。)

ちょうどバスが通過していきました ^^;
ここから県道10号線に合流するとあとはもう歩くだけです。
芸濃インターを通過し、その先で旧道に入ると高野尾町。

長~~い集落を歩いて
再び新道に合流する手前にあるお堂。

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”ぜに可け松”と刻まれた石柱が建ちますが、
ある民話に残る伝説の松があったという。

再び何もない道を行きます。
大里睦合町で10号バイパスから分かれ再び旧道へ入ると、
しばらくで大里窪田町、ここから窪田宿です。

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「明治天皇窪田御小休所」の碑が建つ建物。
ここが本陣のあったところか?
この先で国道23号線中勢バイパスを横断します。

街道も残るはもう少し ^^;

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直進してしまいそうですが、
紀勢本線の跨線橋手前で右折、細い道に入ります。

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すぐにある「窪田常夜灯」、江州の文字がみえますが、
文化14年(1817)、近江国の金物商たちが
神宮へ寄進したもので津市内で最大のものです。

すぐに一身田駅の踏切を越えます。
左に高田本山専修寺、寺内町を見て先を急ぎます。

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近鉄名古屋線江戸橋踏切を越えると
伊勢街道との追分はすぐ。

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その伊勢街道との追分に建つ常夜灯。
東海道関宿東の追分からちょうど5時間でした。

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この先、伊勢街道は南下していきますが、
この日はここまで、近鉄江戸橋駅へと向かいました。

結局エスケープすることもなく歩き終えました。
見どころの少ない伊勢別街道ですが、
それなりに楽しく歩ける道のひとつです。  camera 4日

2014年9月 4日 (木)

中山道 鵜沼宿から大田宿

この日は各務原市鵜沼の中山道鵜沼宿の
脇本陣で行われていた催しを見に出かけました。

鵜沼宿には何度も出かけていますが、
催事を見たあとは久しぶりに「うとう峠」まで歩こうと
この日も電車でGO!でした ^^;

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この日,、脇本陣で行われていた催しはこちら。
やはり撮影は禁止で見るだけででした ><;

あとは脇本陣横にある芭蕉句碑群を見るだけ ^^;

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芭蕉はこの鵜沼宿には3度訪れていますが、
最後に訪れたあと
美濃から木曽路をたどり「更科紀行」の旅に出ています。

もうここに用はありません。
このあとは中山道を「うとう峠」へと行きます。

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国道21号バイパス交差点にあるのは
復元された「高札場」。

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鵜沼駅への分岐にある「うとう峠」への道標
中山道は左へと行きます。

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ここが「東の見付跡」で祠は「赤坂の地蔵堂」。
鵜沼宿の東の出入り口で
道は枡形に大きく左へと曲がります。

このあとは団地の傍の長い坂道が続きます。
坂道上り切って池をを回り込むと
目の前が「日本ライン うぬまの森」です。

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森に沿って最後の坂を上ると

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「うぬまの森」正面ゲートに出ます。
センターハウスの前を通りすぎると
すぐに「うとう峠一里塚」です。

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南北両側に一里塚が残っています。
比較的原型を保つこの北塚ですが、
南塚は半分が壊われかなり荒れています。

幾く筋もの遊歩道が延びる「うぬまの森」の中を行く中山道は、
石畳と案内板で迷うことはありません。

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一里塚からすぐに「うとう峠」に到着。

この日はここから引き返す予定でしたが、
歩きだすともうやめられない、止まらない・・・ ><;
一度歩いた道だけに記憶を頼りに先に行きます。

ここからはただ下るだけの「うとう坂」

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かなりの石畳の急坂ですが、
道が地道になって緩やかになると出口はすぐ。

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ひんやりとした国道下のトンネルをくぐって
石段を上ると美濃加茂市坂祝(さかほぎ)町です。

このあとはひたすら国道を歩きますが、
途中で中山道の案内板は「岩屋観音」へとなっていました。

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以前に歩いた時は右の国道を行って
この道は通らなかったんですが?この日は案内通りに ^^;

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「岩屋観音」を拝観して

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通り抜ける断崖横の細い道から
金網越しに見る木曽川の流れ。

この先で再び中山道は国道に合流していきますが、
途中から木曽川の堤防に整備された
”日本ラインロマンチック街道”に入りました。

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ほゞ3kmほどの道ですが、
国道の中山道を歩くよりは快適な道 ^^;
終点まで行けば中山道大田宿に出られますが、
ここは橋を左に折れていったん国道に出ます。

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しばらく国道を行くと中山道は国道を離れ、
「大田宿」へと入って行きます。

ここも何度か紹介しているため
今回は要所だけを ^^;

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中濃大橋の下にある「虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡」、
ここが大田宿の西の出入り口。
ここから枡形になり道は大田宿の中心部へと入ります。

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「高札場跡」説明板を見て右折すると
すぐに「旧大田宿本陣門」があります。
この前が「中山道会館」で、
大田宿散策のビジターセンターでもあります。

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その横にあるのが「旧大田脇本陣林家住宅」。
現在も居住されていますが(原則火・水のみ公開)、
江戸時代そのままの姿で残っています。

そしてその先にある「祐泉寺」

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本堂の右手前にある鐘楼の横に
芭蕉句碑があります。

私的な趣味の芭蕉句碑で恐縮ですが ><;

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句は「春なれや なもなき山の 朝がすみ」
貞享二年(1685)「野ざらし紀行」の吟で
ここには関係ありません。

中山道鵜沼宿から「うとう峠」までを歩く予定でしたが、
この日もまた思うに任せ大田宿まで・・・
一気に歩いてしまった中山道でした。

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