2009年8月29日 (土)

寝物語の里・中山道

街道が続きますがこちらは以前歩いた中山道から、
「寝物語の里」を再訪です。

今須宿と柏原宿の境、
長久寺集落の東の端がその場所です。

Nemonogatari011

写真の石碑に詳しい由来が刻まれています^^

Nemonogatari012_4 
  ※ (クリックで拡大してください)

その近江と美濃の国境です。

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標柱は2代目に代わり、初代の基礎石が前に置かれています。

国境はこの左側にある細い溝です。

Nemonogatari03
右が滋賀県(近江)側、左が岐阜県(美濃)側です。

この国境を挟んで建つ旅籠の壁越しに、
旅人たちが寝ながら話をした・・・。

Nemonogatari04
近江側の長久寺集落、
今もべんがら壁の家が残ります。

Nemonogatari05
美濃今須側には石柱だけ、
その集落はここから東に国道を渡った先にあります。

近年この前に立てられた芭蕉関連の碑。

Nemonogatari06 
左に「野ざらし芭蕉道」、右に「おくのほそ道 芭蕉道」。

Nemonogatari07
「野ざらし紀行」には
”やまとより山城を経て、近江路に入りて美濃に至る”とあります。

Nemonogatari08
「おくの細道」で芭蕉が敦賀から大垣にどの道を通ったか?
確かな説はありません。

なにやら芭蕉談義になってしまいましたが><
中山道「寝物語の里」、
最近この周辺を走ることが多く懐かしさもあっての再訪でした。     

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2009年8月 1日 (土)

日本最初の都城・藤原京

「おふさ観音」の帰りに立寄った「橿原市藤原京資料室」、
藤原京には何度も来ていながら初めての見学でした。

中国の都城制を模して造られた日本初の本格的な都城「藤原京」。
その藤原京の巨大な模型を中心に、
都に関する資料が展示されています。

Fujiwaragu001
JA橿原の2階にある資料室、
中央に1:1000の藤原京の模型がありました。

Fujiwaragu002
南面から見た藤原京、上に見える山は耳成山。

” 大和盆地を走る東西・南北の直線道路を基準に大小の道路に
 よって区画され、南北の単位を「条」、東西を「坊」とした
 「条坊制」という町割り制度が敷かれていたといいます。 ”

この模型を見ていて藤原京跡を歩いてみたくなりました。

資料室を出てこの模型の北西部から、
四方1キロといわれるその跡をぐる~~と回ります。

Fujiwaragu003
歩き出してすぐの西側から見る藤原京跡、
正面に見えるの小高い丘は香具山です。

左回りに歩いて行きます。

Fujiwaragu004 
この藤原京跡には、
”新しい魅力を咲かせる”をテーマに花のゾーン
「花畑」が整備されています。
そのひとつ、西側にある夏の花ゾーンのケイトウ畑。

花を見て古の都跡を歩ける^^これもまたよろしい!

Fujiwaragu005
南側の中央から見る藤原京跡です。

Fujiwaragu0051
細かい説明は省きますが、
礎石の上に建つ柱は朝堂院南門の跡。
正面の山は耳成山です。

Fujiwaragu006
東側に来ましたがここにはハス田があります。

これは予想外!
唐招提寺から寄贈のハスを中心にかなりの数があります。
ハスもまた機会があれば・・・
左はるかに見える畝傍山の手前の赤い柱、

Fujiwaragu0071
こちらは朝堂院東門の跡。

ここは大和三山に囲まれたところにあります。
そのまま西に行くと

Fujiwaragu0072
朝堂院西門の跡があります。

ちょうど藤原京の中央部を横断しましたが、
戻ってその中央部から、

Fujiwaragu0081
南門を後ろに、北にある大極殿跡を見ています。
やはり中央には耳成山が見えます。

広角側で撮っていますが、

Fujiwaragu0082
見た目はこんなもんですか?^^
今もまだ発掘調査が続いています。

Fujiwaragu009
ハス田のある東側に戻りました。

唐招提寺寄贈の大賀ハス、ハスもいいですが・・・
先へと行きます。

Fujiwaragu010
ちょうど一周した北側の正面から見たところ、
木の茂る場所が大極殿跡。

Fujiwaragu011

天武天皇の意思を継いだ持統天皇が694年(持統8年)、
飛鳥浄御原宮からここ藤原京に遷都。

その後、710年(和銅3年)に平城京へ移るまで、
この都は持統天皇、文武、元明の三代の天皇によって
治められましたが、わずか16年の短い都でした。

Fujiwaragu012

しかし、平城京もまた同じ中国式の都城。

そして藤原京と平城京を結ぶ古道のひとつ下ツ道は、
藤原京造営の際に基準となった幹線道路でした。
それが平城京では朱雀大路として利用されています。

都は移っても共通点のあるふたつの都は、
古道でも結ばれていたようです。

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2009年5月 3日 (日)

旧東海道金谷・菊川石畳

「お茶の郷」から西に少し行くと旧東海道・金谷坂の石畳。

芭蕉の「野ざらし紀行」を追って歩いた東海道ですが、
2年半ぶりの再訪でした。

Tokaido001
お茶の郷周辺の”お散歩マップ”ではここから金谷駅まで
石畳と旧東海道を歩きますが、この日は写真だけ。

すぐ傍にある芭蕉句碑です。

Tokaido002 
「馬に寝て 残夢月遠し 茶の咽 」 
貞享元年(1684) ~野ざらし紀行~。

そして西に少し歩くと

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Tokaido004
”菊川坂の石畳”です。
下った先は金谷と日坂の間の宿・菊川。

小夜の中山に向かう途中にある二つの石畳、
街道の道を残そうと、地元の方たちの努力で復元された道です。

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遥か茶畑越しに見える先がその菊川宿です。

この日も東海道を歩かれていたご夫婦がいましたが、
この時期は見事な茶畑を見ながらの歩き旅。

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なんともうらやましく見送りながら、
このまま歩いて行きたいと・・・思わず石畳を降りてしまった
愚かな爺でございました。><

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2009年1月 8日 (木)

北国脇往還・春照宿

国道365号と並行してある広域農道の道の駅「伊吹の里」。
ここから東に数100mほど行くと「北国脇往還」が通ります。

この日は「伊吹の里」で所用を済ませ少し時間があったので、
以前歩いた記憶を頼りに「北国脇往還」を「春照(すいじょう)宿」
まであらためて歩いてみました。

 Suijyo0011 Suijyo0012
小田(やないだ)橋(現在は通行不能)から来た街道は
ここ八幡神社から春照に向かいます。

写真左の手前角に道標があります。

Suijyo002
「左 山中道 右 江戸道」とありますが、
ここは街道の曲がり角で分起点ではありません。

しばらく何もない道を行くとこちらも同じ八幡神社ですが、

Suijyo003
その角に立派な道標があります。(向こうから歩いて来ています)。

「北国街道」から長浜街道が分岐するところで、
「右 北国 きのもと ゑちぜん道」、「左 ながはま道」。

 Suijyo0051 Suijyo0052
その「村社 八幡神社」ですが、
姉川の合戦に織田信長が戦勝を祈り凱旋の途に幣を納め、
徳川家康もまた勝運を祈ったという。

その後も羽柴秀吉がここを駆け抜けた「北国街道脇往還」。

Suijyo007

この分岐から道は春照の集落に入ります。

以前はここから宿だと思っていたんですが、
実はここはまだ春照宿ではありませんでした。
さらに行きますと小川があります。

架かる橋が北国橋。

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かっての橋はここから西にあり、
そこで二度直角に曲っていてそこが春照宿の宿口でした。

その傍にある「柳岸寺」。

Suijyo009

かってはこの前を街道が通っていただろうと思われます。

街道に戻り春照宿に入ります。
昔の面影はほとんどありませんが、

Suijyo010
白壁につるし屋根でしょうか?
どこかでみたような???と思いながら・・・。

そして唯一これが街道の名残り。

Suijyo011
春照宿の本陣跡です。

かっては本陣一軒、脇本陣ニ軒をはじめ、
多くの旅籠や茶店が軒を連ねたそうですが今はこの本陣跡のみ。

この先数百メートルで道は直角に北に曲がります。
その場所にある常夜燈。

Suijyo012

この「北国脇往還」は木之本からほぼ斜めに関が原に向かうため、
道はいたるところで直角に曲がります。
特に宿の出口・入口は直角に曲るという・・・その典型です。

北国脇往還・春照宿はここまでわずか数百メートルの宿道でした。

こちらはおまけで、さらに道を進みますとあるのが、

Suijyo013

「史跡野頭観音堂」の石碑と、芭蕉句碑です。
かってここに観音堂があり、旅人に茶の接待をしたとか?

ちなみに句は
「頭巾召せ寒むや伊吹の山おろし」ですが、
芭蕉全句にはありません。

ここから街道は藤川、玉宿通り関が原で中山道につながります。
久しぶりに歩いた?というより散策の春照でした。

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2008年12月17日 (水)

西国33観音霊場・長命寺

近江八幡にある「西国三十三ケ所観音霊場」の三十一番札所、
「姨綺耶山 (いきやさん)長命寺」。

以前に巡拝したときからから5年ぶりに訪れました。

Tyomei001_2
懐かしい808段の石段が迎えてくれます。

5年経つとさすがにこちらの衰えは分かるんですが、
この石段は何も変わっていません。
途中で息が上がって・・・年ですねぇ。

Tyomei002
途中にあります門?それとも鳥居?でしょうか。
山門はまだまだ上ですが、
ここには太郎坊大権現なるものもありますが?

ここまで来るとウオーミングアップになったのか少し楽になります。

ようやく山門が見えてきました。

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頑張って登っていきますと車で来る人たちの駐車場があります。

Tyomei004
その人たちはここからが石段の参道になります。

そして書院の横にある手水舎、
本堂は残りわずかな石段の上です。

Tyomei0051

石段を右に曲ると正面にあるのが三重塔(重文)。

          Tyomei0052 

ここを上がると左に護摩堂(重文)があります。

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今度は石段を少し下りて本堂(重文)に。

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正面の横を進み右に回り込みます。

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入母屋造、総檜皮葺の大建築 、
本尊は千手観音を中心に聖観音、十一面観音。

1800年ほど前、景行天皇時代に活躍した「武内宿禰」が、
この山で長寿を願ったところ、300歳以上の長寿を保ったと
いわれ、その後聖徳太子が延命長寿にあやかって長命寺と
名付けたとされているいるそうです。

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本堂横にある「護法権現社拝殿と渡廊下」。
長命寺の護法神として「武内宿禰」が祀られている層です。

その奥の高いところにあるのが鐘楼(重文)、

Tyomei010

とにかく大きくて立派、近くでは全景が撮れません^^;
重厚?な建物でこちらも入母屋造り、桧皮葺です。

鐘楼の場所から見た「長命寺」です。

Tyomei011

とにかく見どころの多いお寺です。
キツイ石段を歩いてくる価値があります。(もちろん車でもです)。

巡拝のときは残りがあと二つだったこともあってか、
何か特別な気持ちで参拝し、拝観した記憶があるんですが、
こうしてあらためて訪れると懐かしく感じました。

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2008年9月 7日 (日)

伊吹山晩夏?早秋?

朝からの予定が早く終りこれなら大丈夫かなと出かけました。
花の伊吹山にイブキトリカブトを見に行きます。

Ibuki02

別に効果を狙っているわけではないんですが、
霞みます・・・いつものことですが、^^;

今日は視界良好、気温21度、風2mでした。

今日の目的はただイブキトリカブトだけでしたが・・・、
そこはこの旬の花も載せなければと思いいつつ、
カメラが・・・思うようにいきません。
・・・で、団体競技が主力です。shock

ではこの時期の花を、

Ibuki03

やはりサラシナショウマでしょうか?

Sarasina

団体競技だといいながら個人じゃまずいんですが、
やはり伊吹の代表格ですから。

今一番のこの花、

Ibuki011
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コイブキアザミ、団体、個人とも山を覆います。

そして、

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手前から、フジテンニンソウ、イブキトリカブト、サラシナショウマの、
いや?奥にはシモツケソウの名残も見えます。

Ibuki_04

こちらがフジテンニンソウです。

こちらはタムラソウ。

Ibuki_061
Ibuki062

アザミと違って刺がありません、いい花?です、好きなんですね~。

そして、この花を見るために来ました今日の伊吹山です。

Torikabuto1
Torikabuto2

山によって花の咲き方、名前が違いますが・・・、
花はどうしてもトリカブトなんですねぇ、んん?~~~。

Torikabuto3

何でもいいですが好きな花なんです。

何の花にも毒がある?ならばこの花で命を・・・と、嘘です!
綺麗な花には毒がある?さて、ほんとでしょうか。

Ibukiaki1

伊吹山にももう秋の気配が漂っていました。

まもなく秋本番です!
花の季節は変わります、夏から秋へ!早い移ろいですね~~。

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2008年9月 6日 (土)

歌舞伎鑑賞

松竹大歌舞伎巡業西コース、三重県文化センターでの公演
「芦屋道満大内鑑」と「勧進帳」を鑑賞。

師匠のお供で久しぶりの歌舞伎鑑賞に出かけました。

共に初めての演目ですが、「勧進帳」はもう歌舞伎以外でも有名、
感心があったのは「芦屋道満大内鑑・葛の葉」でした。

       Cimg0203

安倍保名が助けた狐が化身となった”葛の葉”、
子供までできたた二人のもとに本当の”葛の葉姫”が
両親と共にやってきます。

事情を知った狐”葛に葉”は夜中に寝入っている幼い息子に
自分の身の上話を語りかけます。

「蔦の葉別れ」として知られたお芝居だそうですが、
いとしい子供を残して家を出て行かなくてはならない葛の葉の
哀しく切ない母心、
そして子供をあやしながら障子に書き残す書置きの場面。
曲書きというそうですが、

「恋しくば 尋ね来てみよ和泉なるなる 信太の森の恨み葛の葉」

童子をあやしながら左手で、そして童子を抱っこして口で書く
文字の技巧が見事です・・・唸ります!

そして”葛の葉狐”は信太の森に帰ります・・・涙の別れです。
この童子が後の安倍清明といわれてます。

機を織る葛の葉狐と、保名を尋ねて来る葛の葉姫の二役、
中村魁春の早替りもみものでした!

写真はその一部ですがパンフから抜き撮りました。

大阪府和泉市にあります信太の森の葛の葉伝説、
こちらも久しぶりに歌舞伎、その舞台を訪ねて・・・、
これはもう行かねばなりませぬ。

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2008年1月22日 (火)

大津の芭蕉句碑めぐり

坂本は終ったんですが、ここ滋賀院門跡に芭蕉句碑があります。

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滋賀院門跡の境内、勅使門の左手にある芭蕉句碑です。

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” 叡慮にて賑ふ民や庭かまど ばせを ”
貞享5年(1688)の吟ですが、
坂本ロープウェイの傍からここ滋賀院に移築されました。

今日は私の趣味の世界で恐縮なんですが。

我がブログの始まりは芭蕉の「奥の細道」を歩き終えたあと、
「芭蕉紀行」を追って大津市義仲寺から始めた句碑めぐりでした。

大津市にはおよそ20近い句碑があります。
というわけでそのまま、膳所城址公園に向かいます。

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ここに比較的新しい句碑があります。

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公園内の三等三角点を見て湖に。

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正面に近江大橋を見ます。
その橋の左手が見える場所に句碑がありました。

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” 湖や暑さを惜しむ雲の峰 ” 
元禄七年(1694)膳所にての吟です。

実は忘れていましてが近くにもう一つ、御殿浜にありました。

日にちが変わります。
今日は市街に残る句碑めぐりに大津市です。

膳所城址に続く「なぎさ公園」の中ほど、中之庄一丁目交差点近くです。

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”四方より花吹き入れてにほの波 はせを”
元禄三年(1690)、膳所・洒落堂から「鳰(にお・にほ)の海」(琵琶湖)の
大観を呼んだものだそうで。

その洒落堂へと向かいました。
京阪・膳所本町から山の手へ。
国道一号線秋葉台の交差点を少し上がると茶臼山古墳公園。
その一角に「芭蕉会館」があります。

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想像していたのとは・・・これが芭蕉会館?って絶句です。
鍵がかかって入れません。

その玄関脇に句碑がありました。

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”大津絵の筆のはじめは何佛 はせを”
元禄四年(1691)の吟ですが、しかしねぇ~。

気を取り直してこの公園にあるとありました「洒落堂」・・・?
見つけられませんでした。

そこから見たという「鳰(にお・にほ)の海」、琵琶湖ですが。

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今は琵琶湖もこんな感じでしか見えません。

このあと句碑めぐりを続けたんですが徒労に終りました。
よくあることですが、まぁこんなもんです。

しかし久しぶりの大津の芭蕉句碑めぐり。
何やらまた「芭蕉紀行」を追ってみたくなったひとときでした。

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2006年11月 5日 (日)

伊勢のみち/桑名のみち

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桑名市博物館特別企画展
「伊勢のみち/桑名のみち ~東海道・ 伊勢参宮・佐屋路~」を見る。
愛知・三重の東海道、伊勢参宮街道、佐屋街道とも、
すでに歩いた道だけに懐かしく、なにが出るのかつい期待する。
展示はそれぞれのみちで構成されている。
東海道関連17点、伊勢参宮22点、佐屋路17点の全56点の出品だ。
いきなり「紙本著色熱田神宮古絵図」。
先日名古屋市博物館の常設展示で見たものと同じもの?
よくみたら模写とある。しかしこんな絵図が二つもあるのか知らん?
国の重文がそれぞれに1点づつ。
「五街道分間延絵図 東海道分間延絵図」。
「五街道分間延絵図 伊勢路見取絵図」。
「五街道分間延絵図 佐屋路」である。現在の縮尺図だ。
みちに地名がふられ、興味深いものである。
街道だけに全体に絵図、図会が多い。他に道中日記など。
特に「宮ヨリ桑名迄渡海路図」は、潮の干満で航路が変わる様子が
描かれていて、状況に応じて3航路を使い分けていたことを知る。
こうした展示は桑名市ならではの企画だろうな~。

少し物足りない気もしたが、ここでも普段は見る事のできない品を
見せてもらって満足する。  頑張れ地方博物館!。

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2006年10月 7日 (土)

芭蕉筆「更科紀行草稿」公開

伊賀市上野芭蕉記念館で、芭蕉直筆の「更科紀行草稿」が公開された。
今日から12日までの6日間の短期公開である。
芭蕉紀行文集を手に出かける。
1007gansenji002残念ながら館内資料は撮影禁止。
つまらん記念館の写真でごめんね。
パンフから写そうと思ったけれど
枠に入らない。
しかしすごいね~。国の重要文化財。
読んでいくと?いやとてもそのままでは
読めませんが。お馴染の?
更科の里姨捨山の月見に
行った紀行文。何で芭蕉は月が好き?
芭蕉自筆草稿で訂正、削除などがされており
推敲の跡が手元の紀行本と比べて見るとはっきりとわかる。
すごいね~。全文を読みとうしてただただ字の難しさだけが残る。
一巻約1メートルほど。芭蕉の字が上手いかどうかは知りませんが?
まあすごいものだと感じ入りました。
今日は丁度十六夜。更科紀行に「いざよひもまださらしなの郡哉」。
なにやらいつぱい訂正がある直本。
芭蕉でも素直に句は詠めないんだと納得する。

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