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2016年8月27日 (土)

JRで行く滋賀の城巡りⅠ

滋賀県のびわこビジターズビューロー公式アプリ、
「ビワイチApp」で観光スポットをめぐるスタンプラリー。
どうも例年行われている企画のようですが、
今年はJRに乗って載って滋賀県のお城をめぐるという、
”JRで行く滋賀のまち歩き ~お城めぐり~” だそうです。

まぁ、車で回ればなんとはない城めぐりですが、
これは面白いか?と、チョッと挑戦してみました。

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スタートはどこからでもいいんですが、
まずは長浜城から。
お城を見て(スタンプ確保 )駅に向かいます。

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JR長浜駅
構内でスタンプをGetすれば完了ですが、
少し駅周辺なども見て回ります。

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駅前ロータリーにある「秀吉と石田三成出逢いの像」、
この日は「舎那院」まで行き戻りました ^^;

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構内のステンドグラス壁画は
「長浜曳山まつり・子供歌舞伎の図」です

お城と駅でふたつのスタンプをGetして、
ここからスタンプラリーのスタート!

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JR北陸線に乗車して
次の指定駅は琵琶湖線「彦根」です。

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近江鉄道が隣接するJR「彦根駅」

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彦根といえば”ひこにゃん” ^^;

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駅前ロータリーには
彦根35万石初代藩主「井伊直政」の銅像です。
ここから少し歩いて彦根城へ。

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彦根城天守は入城しなければ近寄れませんが、
中堀”いろは松”と「佐和口多門櫓」越しに見る天守。

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スタンプをGetするために一応、表門橋を渡ります ><;

さて、そのスタンプラリーですが

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ご覧のようにスマホを使ってスタンプをGetしていきます。
今回はJRの駅を11箇所とお城が7個所、
合計18ケ所をまわることになります。

まぁ、紙でいいと思うんですが、
そこは便利なアプリがあるもので ^^;

駅に戻って次は「安土駅」、お城はもちろん「安土城」。

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その「安土駅」、
下車するのは初めてでした。

駅前には観光案内と貸自転車の店がありますが、
ここはお城まで歩きます ^^;

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田園地帯の先に見える「安土城跡」、
最短距離を行きますが、約1.5kmほど。

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右には「安土城考古博物館」と、
「安土城天主信長の館」の建物が見えます。

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何度も訪れている「安土城跡」ですが、
歩いての見学は「朝鮮人街道」歩き以来・・・何年ぶりか?

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大手門東側石塁とその先には大手道が見えますが、
今回は登城しませんでした。

駅に戻ってこの日はここまで、
中継駅の「近江八幡駅」で時間切れでした。
まぁ、面白い企画ですが結構歩きもあり、
これも好きだからこそできる・・・でしょうか。  camera  22日

2016年8月13日 (土)

宮田宿本陣 旧新井家住宅

伊那から木祖へと向かう途中でしたが、
広域農道(中央アルプス花の道)を走っていて、
目に入った看板に思わず立ち寄りました。

長野県上伊那郡宮田村新田にある
「旧新井家住宅(宮田宿本陣)」です。

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「宮田村ふれあい広場」の東にあるその建物。

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南側にある門と

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こちらは母屋の入口ですが、
開館中は無料で内部を見学できます。

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その母屋の内部
入口を入ると馬屋のある土間があり

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入口側には「しもでい」と、
奥に「おもてざしき」と呼ばれる部屋

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次の間は囲炉裏のある「だいどころ」と、
奥に「なかのへや」とあります。

裏戸を開けてでると

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なまこかべの土蔵があります。

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裏庭からの母屋。
板葺き屋根の上に置かれた石が特徴的な建物ですが

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裏門でしょうか?

水路には赤い橋が架かっています。

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母屋に続くのは主客が泊まる本陣(座敷棟)。
内部でつながっていますが裏側から回り込みます ^^;

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座敷棟前に引かれた水路

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座敷棟の玄関は
母屋から渡り廊下で結ばれています。

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正面

江戸時代の宿場町のほぼ中央にあった建物を、
創建当時の姿に移築復元したもの。
母屋が18世紀後半、座敷棟が19世紀初めに
建てられたものと推定され、伊那街道では唯一、
江戸時代の姿のままに残された本陣建物という。

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玄関から見る座敷

京極高知(たかとも)が整備したといわれる伊那街道。
飯田から6番目になる宮田宿は、
伊那街道の中でも重要な宿場であった・・・と。

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新井家は本陣と、母屋の部分がお茶屋を兼ね、
さらに、一時期は問屋も兼ねていたという・・・。
(宮田村HPから抜粋)

思わぬところで思わぬ建物、
復元とはいえ、伊那街道に現存した
貴重な本陣建物が見学できました。  camera 9日

2016年7月 9日 (土)

ハッチョウトンボ

「おふさ観音 風鈴まつり」を楽しんだあとは飛鳥を散策。
藤原宮のハス、本薬師寺跡のホテイアオイもまだ咲き始め、
花のない明日香をめぐって戻る途中でした。

少し時間が遅く、また一番暑い時間だけに、
無駄足になるかな?と思いながらも
ハッチョウトンボが見たくなり、
急遽立ち寄った「三重県上野森林公園」です。

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園内にあるこの日の「サギソウ園」

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ヌマトラノオが咲き始めたばかりの湿地

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この湿地の中にいる、
体長2cmほどの小さなハッチョウトンボを探します。

見つけたハッチョウトンボ

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距離は3mほど先でしょうか。
手元の望遠レンズは300mm、これが精一杯でしたが、
別々に撮影して切り取ります ^^;

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手前にいたのがオス

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奥にいたのはメスと思っていたんですが・・・

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飛び出す寸前のそのハッチョウトンボ

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ブレブレですが ><; そうは撮れない飛行の様子、
あえて載せましたが、この色を見ると
もしかした羽化したばかりのオスか?とも、
だとすればこれから赤くなっていきます ^^;

もう少し近くにいないかと見つけたのがこちら

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木道の傍にいたオス。

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尻尾を立ち上げるのは暑さをしのぐためだとか ^^;
こうしてジッとしています。

サギソウ園のハッチョウトンボを確認して、
園路の帯水域にもいるかな?と移動。

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園路に残された帯水域

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いました!
こちらは間近で観察できます。

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2匹のハッチョウトンボ

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それぞれが縄張りを持っているため、
ほとんど動かずにいます。
だから撮りやすいんですが・・・とにかく小さい ^^;

今年も確認したハッチョウトンボ、
このあとはいつものように園内散策でした。

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この日は七夕の前日、
戻った「ビジターコテージ」の七夕飾りです。

三重県上野森林公園のサギソウ園には、
これからそのサギソウが咲き始めます。  camera 6日

2016年6月 6日 (月)

名古屋城本丸御殿 対面所

名古屋城で復元工事中の本丸御殿。
1日、表書院に続いてあらたに完成した対面所と
下御膳所の一般公開が始まりました。

あらためて表書院からの観覧になりますが、
その対面所と御膳所です。

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ここからが新しく公開された対面所

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次之間
見どころはたくさんありますが、
やはり復元模写された障壁画でしょうか。

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次の間から上段之間へと続く各部屋の障壁画は、
それぞれに趣のある風俗画が描かれています。

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藩主や身内らとの対面や宴席の場として用いられ、
初代藩主・義直と春姫の婚儀にも使われたという対面所

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上段之間

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風俗画は「賀茂競馬(かもくらべうま)」

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納戸一之間

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納戸二之間と見て

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下御膳所
料理の配膳などに使われた下御膳所には
囲炉裏が備えられ、
天井には煙出しがあります。

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名古屋城天守と本丸御殿

残るは上洛殿等(平成30年度完成予定)の
復元工事を待つだけです。    camera 5日

2016年2月15日 (月)

堀田家住宅 津島市

愛知県津島市南門前町にある「堀田家住宅」。
江戸時代中期(1711~1716)に建てられたといわれ、
修理・増築を重ねたあと
昭和53年(1978)に国の重要文化財に指定されています。

この時期には堀田家ゆかりの御殿雛が展示されている
とのことで出かけてみました。

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受付の横にある前庭を見て、
建物を主屋の玄関へと回り込みます。

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長い板塀の続く主屋の東側

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主屋の居室部は、切妻造の平入り、
瓦葺二階建てという江戸時代の町屋様式。
両妻に卯建をあげ、片方には忍び返しがついています。

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玄関になる大戸口
入ると左手には「こみせ(待合の間)」があり、

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右手には営業空間の「みせ」、
その奥には一段高くなった
「みせざしき(客間座敷)」になっています。

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内玄関の広い土間には、
かまどの上に荒神が祀られた「荒神かまど」があり、


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さらに奥には「おくどさん」のある台所

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土間の西側、奥に向かっては生活の場となる
居間・寝室・仏間が配置されていますが、

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その寝室に居間、隣には仏間

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箱階段を上がると二階には二間の座敷

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さらに座敷を行くと
”茶ざしき”から”なかのま”と続き奥に書院です。

廊下に出ると”坪の内露地”に「茶室」が建ちます。

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その茶室内部

そして、
この日の目的でしたお雛さんは

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この書院にありました ^^

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約100年前の白木造り御殿飾りで、
大正初期のお雛さんです。

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あまり撮ったことがありませんが横からです ^^;

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書院の奥庭からは当時の西蔵がみえますが、
その横に小蔵、東蔵が建っています。

この住宅、本来は東向きでしたが、
道路の拡幅で方位を45度北に振って曳屋されたため、
現在はほゞ北が正面になっています。

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こちらは出口の近くに飾られていたお雛さん。
昭和初期の御殿七段飾りの内裏雛だそうですが、
このお雛さんの御殿を見たかったですね ^^;

津島市の「堀田家住宅」
開館日は土・日曜・祝日のみです。  camera 13日

2016年2月11日 (木)

東山動植物園・植物園

久しぶりに名古屋に出たついでに立ち寄った
「東山動植物園」です。

目的は植物園でしたが、
いつものことながらこの時期は散策が中心で
途中に咲く花はオマケ・・・ではありません ^^;

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武家屋敷門
やはり花のあるところからスタート!
門の傍にはソシンロウバイが咲き、
その下には

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フクジュソウが開き始めています。

門をくぐり「也楽園」を回り込むと、
小さな畑には

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唐辛子

植物園の散策はいつも「東海の森」からですが、
今は散策路の整備工事中で立入り禁止区域があり、
椿園は途中までしか入れません。

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合掌の家の軒下には唐辛子

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この日はちょうど囲炉裏炊きの日

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客間には”福よせ雛”
8日から始まった福よせ雛プロジェクトのPRでしょうか?

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咲いていたツバキからは有楽
いったん椿園に戻り”東海の森”から”万葉の散歩道”へ。
この日も気の向くままの散策です ^^;

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カンアオイ

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星ヶ丘門口で出会ったジョウビタキ

万葉の散歩道から早春の小道

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咲く花はソシンローバイとローバイ

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梅の谷の梅はまだ咲き始め、
その先はこちらも工事中で立入禁止 ><;
お花畑への道はかなり迂回させられます。

お花畑周辺も花はなく、
梅の丘の小径も花はちらほら ^^;

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万葉の散策路に戻れば、
センダン(あふち)の実と万葉歌碑

”妹(いも)が見し 楝(あふち)の花は散りぬべし
我が泣く涙 いまだ干(ひ)なくに”  山上憶良 (万葉集)


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春を思わす日差しのなかで、
ほんの少し花を愛でたものの
この日も風が強く寒い日でした。 camera  10日

2015年1月20日 (火)

明治村・坐漁荘

明治村の非公開建物が時間限定で見学できる建物ガイド。
先出しした「呉服座(重文)」は偶然の参加でしたが、
この日はここが目的でした。

3丁目27番地にある西園寺公望別邸「坐漁荘」です。

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この「坐漁荘(ざぎょそう)」は
西園寺公望が政治の第一線から退いたあと、
大正9年(1920)に駿河湾奥、清水港近くの
興津の海岸に建てた別邸。

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門(通用口)を入って前庭を行くと

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玄関

西園寺公望亡き後、幾多の変遷を経て、
昭和43年(1968)に明治村への移設話がまとまり、
昭和45年(1970)、移設公開が始まる。

この時間の見学は我が身ひとり ><;

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玄関の間から畳廊下を通り次の間へ。

随所に竹が使われているとの説明を聞きながら、
撮影を待ってくださるガイドさんにはあまりにも失礼と、
あとは説明箇所をメモ代わりに撮るだけ ^^;

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広縁を挟んだガラス戸越しに見える入鹿池は、
興津の別邸から見える駿河湾がイメージされています。

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建物には強い海風に耐えられるよう工夫がされていて、
これは鉄筋の水平筋違いで補強されている壁の様子。
(その説明用に造られた壁です)

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昭和4年(1929)、座敷の横に洋間が、
また、その奥には脱衣室を兼ねた化粧室や
風呂場などが増築されました。

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その脱衣室

ここは普通の畳とは違って
畳縁(たたみべり)と呼ばれる帯状の布がなく、
また、浴室や洗面台の間には滑り止めのため
波紋様の板が敷かれています。

2階へ

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鶯張りの廊下を通って座敷へ、

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ここからは入鹿池がはっきりと望めます。
興津に建てられた当時は右手に清水港から久能山が、
左手に伊豆半島が遠望されたという。

実は、以前に旧東海道を歩いたとき、
静岡県清水市興津でこの「坐漁荘」を見ていました。
その復元された興津の建物がこちらです。

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興津の「坐漁荘」門(通用門)。
(2007年2月撮影、以下同)

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玄関

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1階広縁

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増築された洋間

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興津「坐漁荘」建物(座敷側の外観)。
平成16年(2004)に復元されたもので、
「興津坐漁荘」の名称で一般に公開される。

ちなみに明治村の「坐漁荘」を
同じように切り取ってみました ^^

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懐かしい興津「坐漁荘」を思い出しながら、
明治村でその「坐漁荘」の見学でした。

細部の写真は省きましたが、
最後の元老といわれた西園寺公望別邸ならではの、
工夫された建物の造りを知ることができます。

2015年1月19日 (月)

明治村・呉服座

愛知県犬山市にある博物館「明治村」。
ここではガイドさんの案内で時間限定ですが、
非公開の建物内部が見学できます。
少し日が経ちましたがそのガイドに初めて参加したのが、
4丁目49番地にある「呉服座(重文)」でした。

江戸時代以来伝統建築の名残を留める芝居小屋です。

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明治初年大阪府池田市に建てられ
当時は「戎座」と呼ばれていましたが、
明治25年(1892)に西本町猪名川の川岸に移され、
名称も「呉服座」と改められます。

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地方巡業の歌舞伎をはじめ、
壮士芝居、新派、落語、浪曲、講談、漫才等、
様々なものが演じられました。

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桝席に渡された桟を歩いて客席へ。

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客席は平場(平土間)と呼ばれ、
桝席に区切られている中央の低い部分と、
桟敷と呼ばれる廻りの部分からなっています。

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客席後部

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舞台の袖から奈落へと降ります。

ちょうど廻り舞台の下、
今は見学用の照明が点いていますが、
当時、灯りはすべてローソクだったとか。

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廻り舞台は円周に沿って取り付けられた
車と中心軸とで支えられています。

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廻り舞台の下から
袖に付けられた花道の下を行くと

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入口近くには楽屋があり、
そこから花道の出入り口に出ました。

普通、楽屋は舞台の裏手等に設けられていますが、
この呉服座では入口土間の上にあります。

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大きな音を立てて揚幕が引かれると、
舞台の花道へ。

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ここは七三(舞台へ三分、揚幕へ七分)の位置で、
役者はここで一度立ち止まり、
芝居を演じたり、見得(みえ)を切ったりするところ。

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客席は全体に斜めになっています。

芝居小屋が大衆の遊び場、社交場であつたことが
この建物の役割でもあると同時に、
マスコミの重要な役割も果たしていたという・・・
(主要部は明治村説明文より引用)。

非公開建物が公開される建物ガイド、
まずは「呉服座(重文)」の見学体験でした。

2015年1月16日 (金)

おかげ横丁の屋根瓦

今年も恒例の新春詣でに出かけた伊勢神宮内宮、
そのあと立ち寄った「おかげ横丁」です。

数年前に一度載せたことがある建物の屋根瓦。
この日は久しぶりにその鬼瓦や飾り瓦、
軒瓦を見上げて横丁の散策でした ^^;

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「おかげ横丁」
ここではやはり猫です ^^;

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可愛い猫もいれば

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こんな猫もいます ^^

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人目につかないところにも”まねき猫”

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こちらは屋根にいる飾り瓦の猫

飾り瓦といえば

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こんなのも

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こちらは傑作の飾り瓦!
左から、見るさる、聞くさる、言うさる!
”良く見て、良く聞いて、良く話してね”、だそうです^^;

その軒瓦に書かれているいる文字は
” (思え) ば 涙 が 先 に 立 つ ”
道中伊勢音頭”別れの唄”の一節 です。

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そしてこちらは正調伊勢音頭(さわぎ)から、
 ”(わしが国さは お伊勢が遠い)
  お 伊 勢 恋 し や ま い り た や ” ^^
他にもたくさんの伊勢音頭の一節があります。

飾り瓦は軒先から屋根上に。

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リス?

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ハト

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これは本物 ><;

そして鬼瓦です。

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「徳力富三郎版画館」の鬼瓦は”扇子に徳”ですが、
「おかげ横丁」の初期の建物には、
徳力氏がデザインした鬼瓦と軒先瓦が使われています。
その鬼瓦は・・・

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波に鯛

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宝船

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打出の小槌に

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福助など。

それ以外にも珍しい鬼瓦もあります。

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伊勢エビ?

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鯛を抱えた七福神のえべっさん、
なぜか右手に竿はありません ^^;

まだまだ載せたい屋根瓦はありますが、
それはまたの機会に・・・。

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そして「おかげ座」です。
平成13年、天照大神などのルーツを紹介する施設
「おかげ座 神話の館」として生まれ変わっています。

懐かしい「おかげ横丁」の屋根瓦でしたが、
横丁だけではなく、おはらい町の建物でも
楽しい屋根瓦が楽しめます。

2014年10月 7日 (火)

竹中半兵衛ゆかりの地

豊臣秀吉の参謀として活躍した「竹中重治(通称は半兵衛)」。
軍師「黒田官兵衛」とともに”二兵衛”と称される。
そのゆかりの地が岐阜県の垂井町岩手にあります。

半兵衛と父、重元は垂井町岩手の菩提山に城を築き、
以後ここを居城としました。

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半兵衛没後に嫡男の重門が菩提山城を廃して
その麓に陣屋を構えます。

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樽井町岩手にある「竹中家陣屋跡」と
正門の櫓門(やぐらもん)。

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正門横にある「竹中半兵衛像」

秀吉に仕える前は美濃の斎藤義龍・龍興に仕え、
織田信長の美濃侵攻に対しては
その知略により何度も切り抜けています。

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陣屋跡から北にある竹中氏菩提寺「禅幢寺(ぜんどうじ)」。

”美濃に半兵衛あり”といわれるもその後垂井町に隠棲。
信長の侵攻により斎藤氏が滅亡後、
織田信長から命を受けた木下藤吉郎(豊臣秀吉)の説得に、
信長ではなく秀吉の家臣となります。

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「鐘楼」

秀吉の軍師となった半兵衛は播磨攻めの折、
黒田官兵衛と知り合いますが、
それが二人の最初で最後の参陣となります。

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「本堂」

天正7年(1579)
播磨三木城を包囲中に病に倒れ京都で療養するも、
すでに自らの死期が近いことを悟ります。

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竹中半兵衛重治の墓(左)と父重元の墓

武士ならば戦場で死にたいと三木の秀吉本陣に戻り、
陣中で病没、享年36歳でした。

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墓所は陣地のあった兵庫県三木市にありますが、
ここ以外にも数カ所存在するようです。

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後年は秀吉に迎えられ参謀として活躍しましたが、
私的には美濃の国主「斎藤義龍・龍興」に仕えたころの、
数々の逸話を持つ竹中半兵衛の印象が強くあります。

そんな竹中半兵衛ゆかりの地を
まだ彼岸花の咲き残るころに訪ねました。