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2019年8月13日 (火)

湯の山散策 蒼滝~大石公園

この日は山の日の振替休日でしたが、避暑にでもと出かけた御在所岳。
9:00の営業開始と同時にロープウエイに到着しましたが、
さすがにこの猛暑とお盆休みも重なってか人気のところ。
余裕の駐車場にほっとしたものの、改札窓口はすでに長蛇の列でした。
これはちょっと待つにはツラいと、急遽、湯の山散策に変更 ^^;
久しぶりに蒼滝から大石公園、三嶽寺を回ることにして、
まずは「蒼滝」へと向かいます。

混雑するロープウエイの山麓駅前広場から御在所岳裏道登山道へ。

Yunoyama01
裏道登山道入口は一合目
大石公園への道を右に分けて急な上りの道を行きます。

Yunoyama02
九十九に折れる登山道を登り切ると「蒼滝不動尊」。
何度も見ているところですが・・・久しぶり ^^

Yunoyama03
すぐ先で裏道登山道分岐に出ると滝道は右へ。

Yunoyama04
登ってきた分、急な石段の道を一気に下っていきますが、
やがて木々の向こうに滝が見えてきます。
以前に訪れてからずいぶん日が経っていましたが、
滝見台も数カ所が整備されたようで、少しきれいになっていました。

Yunoyama05
真横にある滝見台からの眺め

Yunoyama06
滝つぼ
平成20年(2008)9月の集中豪雨で被害を受け周辺が崩落、
現在は一部の堰堤工事が終わっていますが、
滝の下流部はまだ崩落した状態のままで通行ができません。

Yunoyama07
正面から見る蒼滝、滝の落差は50m、幅10m。
このところの好天気で水量が少なく、チョッと迫力不足でした。

来た道を戻りますが・・・今度は登りの道がキツイ ><;
蒼滝不動尊の下から大石公園への遊歩道(東海自然歩道)へ入り、
山道の遊歩道を抜けると「大石公園」にでます。

Yunoyama08 
ここには日本一大きいと言われている御影石があり、
ここを訪れた大石内蔵助もお気に入りだったという ^^;
(浅野内匠頭の実弟大学の奥方は菰野藩主土方雄豊(かつとよ)の姫君 ^^)
そのため大石内蔵助はここによく訪れていたという。

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大石橋を挟んだ下流と上流部は”渓流プール”として開放されていて、
夏場は多くの家族連れで賑いますが、この日も多くの人でした。

ここから少し奥まったところにある「三嶽寺」へ行きます。

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境内の「弁天堂」

Yunoyama12 
そして「本堂」
この傍にある観音山には、山を巻くように付けられた約600mの道に、
”湯本西国33札所”の観音道があります。
ゆっくりと観音めぐりをするのもまたよろしいかと ^^

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温泉街の道からこの日の御在所岳ロープウエイ6号鉄塔とゴンドラ、
山はまだ霞んで厚い雲の中でした。

この日は山上には行きませんでしたが、オマケ!です ^^

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ロープウエイ山麓駅舎横の石垣(大石公園・裏道登山道へと下る石段横)
に咲く”イワタバコ”です。

Yunoyama15 
たくさんの花が咲いていましたが、 これは思わぬプレゼントでした ^^;

この日は思わぬ湯の山温泉の散策になりましたが、
やはりお盆休みの観光地は混雑しますね ^^;    📷 12日

2019年7月25日 (木)

山室湿原 夏!

ようやく梅雨明けらしい天気になり、夏空が戻ってきましたが、
今年は出かける機会が少なく、花めぐりも思うようになりませんでした 。
花もさることながら、夏といえばやはりハッチョウトンボ!
関ケ原まで来たついでにと立ち寄ったのは、
ここでも見ることができる米原市山室にある「山室湿原」」です。

涼やかな風鈴の音色を楽しんだあとは蒸し風呂のような湿原 ><;

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少し綺麗になった湿原の入り口

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Yamamuros03 
第一西湿原
8月に咲くサギソウにはまだ早く、今はミカズキグサが見られるだけです。
右端に小さな赤いハッチョウトンボが写っていますが、
撮ったときはまったく気が付きませんでした ^^;

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メインはこちらの第一東湿原ですが、 やはり目だった花もなく

Yamamuros05 
目当てのハッチョウトンボとしばらく戯れます ^^;

Yamamuros06 
Yamamuros07
遠くにいる小さいトンボだけに、
どうしてもピント合わせに苦労しますが

Yamamuros08
どうしてもボケた失敗作が多いですね ^^;

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こちらもまた小さい花ですが、
モウセンゴケの花が咲き始めていました。

第一湿原から第二湿原への木道沿いには

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Yamamuros11 
少しだけ咲いていたノギラン

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第三湿原への木道と
Yamamuros13
第三湿原
この辺りの木道も修理がされてきれいになっています。

Yamamuros14
第四湿原から第五湿原へと行く道には、
カキランの群生がありますが、こちらも咲き始めです。

とにかく蒸し暑い湿原だけに、汗まみれの撮影、
目的のハッチョウトンボを撮影して早々に引き上げます ><;

Yamamuros15
戻る途中、近きを走る新幹線!

ここは右に見えるガード下が駐車場(数台分です)のため、
湿原からは片道10分弱の歩きになります。
その間にいつも通り過ぎる新幹線の撮影練習です ^^   📷 23日

2019年7月22日 (月)

日本武尊尾津前遺跡

三重県中部から北勢部には日本武尊ゆかりの地が多くありますが、
以前に桑名市多度町戸津と小山にある「尾津神社」を訪ねたことがあります。
そのときは多度の地が日本書紀にでてくる尾津浜の地だとは知ったんですが、
日本武尊(ヤマトタケル)とのゆかりは何も分かりませんでした。
まさか、こんなところに遺跡があったとはつゆ知らず・・・
雨の中を急遽の訪問でした。

その日本武尊ゆかりの地はこちら、多度町御衣野(みぞの)にある
こちらもまた「尾津神社」です。

Ozusakiyt01
戸津の尾津神社とは規模が違いますが、
こちらは何やらそれらしき雰囲気がある社叢です。

Ozusakiyt02 
Ozusakiyt03 
参道への両脇に建つ石柱

Ozusakiyt04
そして説明板
原文は難しくいちいち書き写すのも面倒で・・・手抜き ^^;

Ozusakiyt05
鳥居をくぐって真っ暗ななか、石段の参道を上ります。
 
Ozusakiyt06 
神話の中で、日本武尊が東国への出征の途中、
太刀を置き忘れた尾津前(日本書紀では尾津浜)の地が
ここ草薙神社?(尾津神社)と伝えられているそうです。

Ozusakiyt07 
東国平定のあと、伊吹山で手傷を負った日本武尊が大和へと帰る途中、
当芸野(たぎの・養老町)から杖衝坂(つえつきざか・四日市)、
そしてここ尾津崎の一本松(多度町)へとたどり着き、
忘れた太刀がまだ残されているのを見つけます。(順番は間違いですね ^^;)

Ozusakiyt08
小さな祠の前には説明板があり
”日本武尊御太刀掛松ト伝説セル松樹ノ枯損セルヲ覆蓋ヲ設ケ
古来ヨリ大切ニ保存シアルモノナリ”とあります。

Ozusakiyt09
拝殿

そこで先述の歌、「尾張に 直に向へる一つ松 あはれ一つ松 人にありせば
衣著せましを 太刀佩けましを」(日本書紀)と詠んだとされています。

Ozusakiyt10 
本殿

そのあと、
日本武尊は 能褒野(亀山市・鈴鹿市とも)までたどり着くものの、
その地で息を引き取ります。
” やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣 
  山ごもれる やまとしうるわし 
” は最後に詠んだ歌のひとつ。

Ozusakiyt11 
日本武尊の墓陵は能褒野に造られますが、
その魂は白鳥となって大和に向かって飛び立ったという・・・。

多度町に残る日本武尊ゆかりの地御衣野の尾津前遺跡。
それがいつも走り過ぎる道の傍にあったとは、これぞ灯台下暗し ><;
戻るなか、どしゃ降りの雨になりました。    22日

2017年10月25日 (水)

桑名城跡(九華公園)

台風一過で秋らしくなりそうですが、お出かけはしばしお休みで、
今回は地元、「桑名城跡(九華公園)」です ^^;
花の時期にはつれづれに紹介したことがありますが、
城跡としてここを紹介するのは初めてかも知れません ?
いつものように旧東海道「桑名七里の渡し跡」から城跡をめぐります。

Kuwanac01

「七里の渡し跡」と揖斐川の川湊に臨む蟠龍櫓(ばんりゅやぐら)。
右手を真っ直ぐ行けば旧東海道ですが、

Kuwanac02

並行する堀川東岸(旧三之丸)の石垣はかつての桑名城城壁の一部。

Kuwanac03

揖斐川に面する川口樋門(七里の渡し跡の東)から、
南大手橋に至る500mが現存していて市の文化財に指定されています。

Kuwanac04

ここから三の丸公園を通って

Kuwanac05

吉之丸コミニュティーパーク(三の丸跡)沿いの
内堀(三の丸堀)沿いを行きます。

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本多忠勝像
桑名城は慶長6年(1601)に本多忠勝が城主となり10万石を領する。

Kuwanac07

元和3年(1617)、2代藩主忠政は姫路城に移封、
代わって松平定勝が入城。

Kuwanac08

扇橋から城内へ

その後、幾多の変遷があり、文政6年(1823)に松平定永が
11万3千石の城主となって幕末を迎えます。

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吉之丸堀

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二之丸堀

慶応4年(1868)の戊辰戦争で新政府軍に敗北、
幕府軍についた桑名藩は城を無血開城。

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二之丸跡

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吉之丸堀の先には朝日丸跡(九華公園グランド)

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橋を渡った左手にある「辰巳櫓」

元禄14年(1701)に城下で起こった火災により焼失した
天守の代わりとして唯一残っていたいましたが、
戊辰戦争後無血開城、その証しとして新政府軍により焼き払われます。

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櫓跡にはなぜか大砲が・・・

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本丸跡

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本丸跡に鎮座する「鎮国守国神社」

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その本殿横にある「天守台」跡。
元禄14年(1701)に天守焼失以来、天守閣は再建されていません。

Kuwanac18

横から

「扇城」と呼ばれ「海道の名城」とたたえられた城は明治になって廃城、
昭和3年(1928)には松平定信の没後百年祭をきっかけに、
本丸、二之丸跡は現在の九華公園として整備されます。

2017年8月28日 (月)

佐屋街道 佐屋

愛知県愛西市佐屋町は旧佐屋街道(佐屋路)の宿場町ですが、
残念ながら今はその面影は何もありません。
佐屋街道もブログを開設したすぐに歩いたところで、
ここも芭蕉ゆかりの地といえば・・・ゆかりの地。
さすがにこの暑さで通し歩きは止めましたが ^^;
芭蕉「水鶏塚」と、わずかな宿場の名残りを訪ねてみました。

名鉄「日比野駅」から南に少し歩き、
旧街道に出て西に向かうとすぐに内佐屋交差点。

Saya0

交差点を南へ折れるとある「佐屋海道址」碑です。

ここから佐屋宿までは約1kmほど、
須依の交差点で右折すると旧佐屋宿です。

Saya01

集落の途中にある「水鶏塚(くいなづか)」への道標。
先を急ぐと見落としてしまいそうですが、
もちろんここは立ち寄ります ^^;

Saya02

細い道を100mほど行くとある「水鶏塚」。
少々落ち葉があって荒れてはいますが ><;

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奥に「水鶏鳴と人の云へばや佐屋泊 芭蕉翁」の碑があります。
元禄7年(1694)5月、江戸から故郷伊賀の国へ帰る途中に、
佐屋の門人、山田庄佐衛門邸に泊まったときに詠んだ句。

旧街道に戻って

Saya04

さらに西へと行き、次の交差点に出る手前に

Saya05

「左 さや舟場道」の石柱があります。
この辺りが元舟場所前で旅籠屋があったところ。

この後ろは民家のブロック塀ですが
そこには”きこくの生垣”の案内板があります。

Saya06

案内によるとこの生垣は
「尾張名所図絵」にも描かれているもので

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”いこく”とはカラタチのことだそうです。

Saya08

道を挟んだ北側には「佐屋代官所址」がありますが、
代官制度が出来たとき、
その最初の代官所がここ「佐屋代官所」であったとも。

Saya09

さらに交差点を挟んで小さな公園がありますが、
その横を西(見える右側)に行けば木曽川へ。
南(左側)の道を行けば弥富から桑名へ続きます。

その公園の南端にあるのが「佐屋三里之渡址」碑。

Saya10

昔はここまでが川だったため、ここが佐屋街道の終点。
ここから桑名までは水路3里の船旅でした。

「佐屋街道」(佐屋路、東海道佐屋廻りとも)。
熱田の宮宿から岩塚、番場、神守宿(津島市)を通って、
佐屋宿までの陸路6里と、桑名までの水路3里の合わせて9里。
東海道の海上7里(28km)より2里ほど長い道程ですが、
荒天による船止めや、船酔いを避けた旅人で賑ったという・・・。

2016年8月13日 (土)

宮田宿本陣 旧新井家住宅

伊那から木祖へと向かう途中でしたが、
広域農道(中央アルプス花の道)を走っていて、
目に入った看板に思わず立ち寄りました。

長野県上伊那郡宮田村新田にある
「旧新井家住宅(宮田宿本陣)」です。

Miyata01

「宮田村ふれあい広場」の東にあるその建物。

Miyata02

南側にある門と

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こちらは母屋の入口ですが、
開館中は無料で内部を見学できます。

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その母屋の内部
入口を入ると馬屋のある土間があり

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入口側には「しもでい」と、
奥に「おもてざしき」と呼ばれる部屋

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次の間は囲炉裏のある「だいどころ」と、
奥に「なかのへや」とあります。

裏戸を開けてでると

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なまこかべの土蔵があります。

Miyata08

裏庭からの母屋。
板葺き屋根の上に置かれた石が特徴的な建物ですが

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裏門でしょうか?

水路には赤い橋が架かっています。

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母屋に続くのは主客が泊まる本陣(座敷棟)。
内部でつながっていますが裏側から回り込みます ^^;

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座敷棟前に引かれた水路

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座敷棟の玄関は
母屋から渡り廊下で結ばれています。

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正面

江戸時代の宿場町のほぼ中央にあった建物を、
創建当時の姿に移築復元したもの。
母屋が18世紀後半、座敷棟が19世紀初めに
建てられたものと推定され、伊那街道では唯一、
江戸時代の姿のままに残された本陣建物という。

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玄関から見る座敷

京極高知(たかとも)が整備したといわれる伊那街道。
飯田から6番目になる宮田宿は、
伊那街道の中でも重要な宿場であった・・・と。

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新井家は本陣と、母屋の部分がお茶屋を兼ね、
さらに、一時期は問屋も兼ねていたという・・・。
(宮田村HPから抜粋)

思わぬところで思わぬ建物、
復元とはいえ、伊那街道に現存した
貴重な本陣建物が見学できました。   9日

2016年7月 9日 (土)

ハッチョウトンボ

「おふさ観音 風鈴まつり」を楽しんだあとは飛鳥を散策。
藤原宮のハス、本薬師寺跡のホテイアオイもまだ咲き始め、
花のない明日香をめぐって戻る途中でした。

少し時間が遅く、また一番暑い時間だけに、
無駄足になるかな?と思いながらも
ハッチョウトンボが見たくなり、
急遽立ち寄った「三重県上野森林公園」です。

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園内にあるこの日の「サギソウ園」

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ヌマトラノオが咲き始めたばかりの湿地

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この湿地の中にいる、
体長2cmほどの小さなハッチョウトンボを探します。

見つけたハッチョウトンボ

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距離は3mほど先でしょうか。
手元の望遠レンズは300mm、これが精一杯でしたが、
別々に撮影して切り取ります ^^;

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手前にいたのがオス

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奥にいたのはメスと思っていたんですが・・・

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飛び出す寸前のそのハッチョウトンボ

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ブレブレですが ><; そうは撮れない飛行の様子、
あえて載せましたが、この色を見ると
もしかした羽化したばかりのオスか?とも、
だとすればこれから赤くなっていきます ^^;

もう少し近くにいないかと見つけたのがこちら

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木道の傍にいたオス。

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尻尾を立ち上げるのは暑さをしのぐためだとか ^^;
こうしてジッとしています。

サギソウ園のハッチョウトンボを確認して、
園路の帯水域にもいるかな?と移動。

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園路に残された帯水域

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いました!
こちらは間近で観察できます。

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2匹のハッチョウトンボ

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それぞれが縄張りを持っているため、
ほとんど動かずにいます。
だから撮りやすいんですが・・・とにかく小さい ^^;

今年も確認したハッチョウトンボ、
このあとはいつものように園内散策でした。

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この日は七夕の前日、
戻った「ビジターコテージ」の七夕飾りです。

三重県上野森林公園のサギソウ園には、
これからそのサギソウが咲き始めます。   6日

2016年6月 6日 (月)

名古屋城本丸御殿 対面所

名古屋城で復元工事中の本丸御殿。
1日、表書院に続いてあらたに完成した対面所と
下御膳所の一般公開が始まりました。

あらためて表書院からの観覧になりますが、
その対面所と御膳所です。

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ここからが新しく公開された対面所

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次之間
見どころはたくさんありますが、
やはり復元模写された障壁画でしょうか。

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次の間から上段之間へと続く各部屋の障壁画は、
それぞれに趣のある風俗画が描かれています。

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藩主や身内らとの対面や宴席の場として用いられ、
初代藩主・義直と春姫の婚儀にも使われたという対面所

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上段之間

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風俗画は「賀茂競馬(かもくらべうま)」

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納戸一之間

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納戸二之間と見て

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下御膳所
料理の配膳などに使われた下御膳所には
囲炉裏が備えられ、
天井には煙出しがあります。

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名古屋城天守と本丸御殿

残るは上洛殿等(平成30年度完成予定)の
復元工事を待つだけです。     5日

2016年2月15日 (月)

堀田家住宅 津島市

愛知県津島市南門前町にある「堀田家住宅」。
江戸時代中期(1711~1716)に建てられたといわれ、
修理・増築を重ねたあと
昭和53年(1978)に国の重要文化財に指定されています。

この時期には堀田家ゆかりの御殿雛が展示されている
とのことで出かけてみました。

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受付の横にある前庭を見て、
建物を主屋の玄関へと回り込みます。

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長い板塀の続く主屋の東側

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主屋の居室部は、切妻造の平入り、
瓦葺二階建てという江戸時代の町屋様式。
両妻に卯建をあげ、片方には忍び返しがついています。

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玄関になる大戸口
入ると左手には「こみせ(待合の間)」があり、

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右手には営業空間の「みせ」、
その奥には一段高くなった
「みせざしき(客間座敷)」になっています。

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内玄関の広い土間には、
かまどの上に荒神が祀られた「荒神かまど」があり、


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さらに奥には「おくどさん」のある台所

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土間の西側、奥に向かっては生活の場となる
居間・寝室・仏間が配置されていますが、

Tsushima09

その寝室に居間、隣には仏間

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箱階段を上がると二階には二間の座敷

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さらに座敷を行くと
”茶ざしき”から”なかのま”と続き奥に書院です。

廊下に出ると”坪の内露地”に「茶室」が建ちます。

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その茶室内部

そして、
この日の目的でしたお雛さんは

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この書院にありました ^^

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約100年前の白木造り御殿飾りで、
大正初期のお雛さんです。

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あまり撮ったことがありませんが横からです ^^;

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書院の奥庭からは当時の西蔵がみえますが、
その横に小蔵、東蔵が建っています。

この住宅、本来は東向きでしたが、
道路の拡幅で方位を45度北に振って曳屋されたため、
現在はほゞ北が正面になっています。

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こちらは出口の近くに飾られていたお雛さん。
昭和初期の御殿七段飾りの内裏雛だそうですが、
このお雛さんの御殿を見たかったですね ^^;

津島市の「堀田家住宅」
開館日は土・日曜・祝日のみです。   13日

2015年1月20日 (火)

明治村・坐漁荘

明治村の非公開建物が時間限定で見学できる建物ガイド。
先出しした「呉服座(重文)」は偶然の参加でしたが、
この日はここが目的でした。

3丁目27番地にある西園寺公望別邸「坐漁荘」です。

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この「坐漁荘(ざぎょそう)」は
西園寺公望が政治の第一線から退いたあと、
大正9年(1920)に駿河湾奥、清水港近くの
興津の海岸に建てた別邸。

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門(通用口)を入って前庭を行くと

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玄関

西園寺公望亡き後、幾多の変遷を経て、
昭和43年(1968)に明治村への移設話がまとまり、
昭和45年(1970)、移設公開が始まる。

この時間の見学は我が身ひとり ><;

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玄関の間から畳廊下を通り次の間へ。

随所に竹が使われているとの説明を聞きながら、
撮影を待ってくださるガイドさんにはあまりにも失礼と、
あとは説明箇所をメモ代わりに撮るだけ ^^;

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広縁を挟んだガラス戸越しに見える入鹿池は、
興津の別邸から見える駿河湾がイメージされています。

   Zagyo06

建物には強い海風に耐えられるよう工夫がされていて、
これは鉄筋の水平筋違いで補強されている壁の様子。
(その説明用に造られた壁です)

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昭和4年(1929)、座敷の横に洋間が、
また、その奥には脱衣室を兼ねた化粧室や
風呂場などが増築されました。

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その脱衣室

ここは普通の畳とは違って
畳縁(たたみべり)と呼ばれる帯状の布がなく、
また、浴室や洗面台の間には滑り止めのため
波紋様の板が敷かれています。

2階へ

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鶯張りの廊下を通って座敷へ、

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ここからは入鹿池がはっきりと望めます。
興津に建てられた当時は右手に清水港から久能山が、
左手に伊豆半島が遠望されたという。

実は、以前に旧東海道を歩いたとき、
静岡県清水市興津でこの「坐漁荘」を見ていました。
その復元された興津の建物がこちらです。

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興津の「坐漁荘」門(通用門)。
(2007年2月撮影、以下同)

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玄関

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1階広縁

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増築された洋間

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興津「坐漁荘」建物(座敷側の外観)。
平成16年(2004)に復元されたもので、
「興津坐漁荘」の名称で一般に公開される。

ちなみに明治村の「坐漁荘」を
同じように切り取ってみました ^^

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懐かしい興津「坐漁荘」を思い出しながら、
明治村でその「坐漁荘」の見学でした。

細部の写真は省きましたが、
最後の元老といわれた西園寺公望別邸ならではの、
工夫された建物の造りを知ることができます。