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2024年1月 7日 (日)

新年 ぶらり鳥羽の旅

今年は年明け早々から思わぬ大地震と航空機事故が発生し、
被災地ではまだ救助活動が続けられている状況に心が痛みます。
被災された皆様には心からお見舞い申す上げます。

ぶらり旅もしばらくぶりの更新になりますが、
新年最初の”ぶらり旅”は久しぶりに鳥羽を散策 。
JRで行く年初の小さな旅でした ^^

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JRでの鳥羽行きは記憶にないほど・・・何十年ぶりか?
すでに無人駅ということを車内で知らされ降車 ><;

JR側に降りればやはりここも懐かしい「日和山(ひよりやま)」散策です。

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ここも十数年ぶり ^^;
この日はまっすぐに山上の見晴らし台へと向かいます。

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懐かしい”幸せの鐘”は崩落の危険があり取り壊され、
周りの木々も大きくなったためか展望も今ひとつ ><;
少し荒れた山上を散策して街中へと下山

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すぐの岩崎通りにある「江戸川乱歩館」、ここがこの日の目的でした ^^

2021年10月に発生した火災で本館などが全焼し長期休館中でしたが

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2023年4月にリニューアルオープン!
火災で免れた貴重な資料や作品などが展示されています

Buraritoba06
本館から展示棟へ
ちょっとした昭和レトロの雰囲気を楽しみます ^^

Buraritoba07
こちらはほゞ以前のままの展示 ^^
かつて鳥羽に住んでいた乱歩は鳥羽の人々との関わりも多く、
鳥羽での生活時の様子や作品などが展示されています。

あとは近くの「鳥羽城址」へ
ここは何度か載せているところ ^^;

いつもは武家屋敷跡の”相橋口門”から家老屋敷跡を回るルートですが
この日は大手門通りから三の丸経由での登城です ^^

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水軍の将 九鬼嘉隆によって1594年(文禄3年)に築かれた海城。

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海側から城址の玄関口として魅せるために整備されたところだけに、
入口の石垣や七段の石垣も整備されていて素晴らしく、
圧巻の登城口です ^^;

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108段の石段を登ると城山公園(お城広場)!
新しく設置されたのか?”TOBA”のモニュメントも人気のようです。

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回り込んだ先の本丸西側の石垣も見どころ ^^

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そして本丸跡は広大な広場になっていますが、
ここに3層の天守と本丸御殿があったという・・・

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ここからの眺めも一押しですが・・・
全体のここも草木が生い茂り、木々が大きくなったためか、
眺望は今一つの感じになりました ><;

新春 鳥羽のミニ旅! 楽しみました ^^   📷 6日

2021年2月 4日 (木)

伊賀上野・芭蕉故郷塚

伊賀上野での芭蕉ゆかりの地めぐりは「蓑虫庵」から町なかを周るように、
次の目的地「芭蕉生家」と、松尾家の菩提寺でもある愛染院(あいぜんいん)の
「芭蕉故郷塚(こきょうづか)」へと行きます。

蓑虫庵から東へと歩くと上野恵美須町、その角にある芭蕉句碑

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”みのむしのねを聞きにこよくさの庵 ばせを”を見て、
茅町から寺町へと入り、綺麗に整備された寺町通りを北上して行きます。

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この道筋は藤堂高虎が城下町づくりを手がけた折りに寺院を集め、
城下町の守りに備えたといわれます。今も7つの寺院が建ち並び、
通りの中ほどには、鍵屋の辻の仇討ちで討たれた河合又五郎の墓がある
「萬福寺」など、それぞれに由緒や文化財を宝蔵しています。

Igauenob203
こちらはいちばん北の端(上野市中心部側)にある 「上行寺」。

伊賀上野藩主藤堂家の菩提寺で、天正16年(1588)藤堂高虎によって、
紀州粉河に創建
されましたが、伊予国を経てここに移築されます。

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境内に建ち並ぶ歴代藩主の碑のなか、
こちらが高虎公の墓碑。

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この先で横切るのが伊賀鉄道、お馴染みの忍者列車が通過! ^^
踏切を越えると上野中央通り。右折して東に進むと「芭蕉生家」ですが

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残念ながら現在耐震工事中で今は公開されていません ><;
通りすぎて次の濃人町交差点を右折すると目的の「愛染院」があります。

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松尾家代々の菩提寺でもある「愛染院(あいぜんいん)」。
山門と、山門前に建つのは「芭蕉翁故郷塚」の碑。

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本堂
正式には遍光山願成寺といいますが、本尊の愛染明王から「愛染院」とも。 

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本堂手前、左手角にある芭蕉句碑には、
”家はみな杖にしら髪の墓参り”が刻まれています。
大津に滞在していた芭蕉が兄の招きで帰郷し、盂蘭盆会に
家族で墓参りをした元禄7年(1694)51歳の時の吟。

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先にある紫門を開けて入ると

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左手に「瓢竹庵」
庵内には芭蕉の木像が祀られているそうですが、まだ見ていません ><;

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進んで右に曲がると奥に「故郷塚」があります。周辺には芭蕉のもうひとつ
”数ならぬ身となおもひそ玉祭り”の句碑(元禄7年(1694)吟)と、
他にも芭蕉ゆかりの俳人たちのたくさんの句碑、記念碑が建ち並びます。

Igauenob213
その「芭蕉故郷塚」。
碑面は磨耗していてほとんど読めませんが ><;
資料によると、中央に「芭蕉桃青法師」、右に「元禄七 甲戌 年」、
左に「十月十二日」と刻まれているそうです。
大阪市南御堂で没した芭蕉(51歳)の遺骸は遺言により、
大津市の義仲寺に葬られましたが、伊賀の門人服部土芳と貝増卓袋が遺髪を
持ち帰り、ここ愛染院の藪かげに埋め、碑を建て故郷塚としたという。

12年ぶりにめぐった伊賀上野・芭蕉ゆかりの地でした。 📷 1月29日

2021年2月 3日 (水)

伊賀上野・蓑虫庵

伊賀上野城で少しだけ夫婦雛を楽しんだあとは伊賀市上野の散策です。
ここは”ひなまつり”などで何度も訪れているところですが、
やはり伊賀上野といえば松尾芭蕉の生誕地だけに、やはり芭蕉ゆかりの地へ ^^

上野公園の西側(堀の道)から城下町に入って赤門通りを南下して行くと、
すぐに「伊賀上野城西大手門跡」に出ます。

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案内の石標が建つ角から右に折れ、西之立町通りを南下しますが

Igauenomia02
伊賀上野は忍者の里 、町筋には忍者?との撮影ポイントも ^^
東西に延びる旧大和街道の本町通りから、二之町通りを見て、
いったん三之町通りを西へ入りますが、次の中之立町通りをふたたび南下。
この辺りは気のむくままに ^^;途中で通る「忍町(しのびちょう)」。

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この町筋は忍びの衆と呼ばれた伊賀者が住んでいたところでもあり、
その屋敷が残っていて、建物は「赤井家住宅」。

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走るバスは上野コミュニティバス ”にんまる”。なんでも忍者です ><;
この先でちょっとレトロな町筋を西に折れましたが

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この筋は”コトコトこみち”と呼ばれているようで、
こちらはちょっと昭和レトロを思い出す浴場の「一之湯」さん。
ここから角を曲がってふたたび南下していくと

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芭蕉ゆかりの地、最初の目的地「蓑虫庵」に到着 ^^
こちらが正門ですが、受付は左手に。

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芭蕉の門人、伊賀衆の高弟服部土芳の草庵で、ここを訪れた芭蕉が贈った
”みのむしのねを聞にこよくさの庵”の句にちなんで名付けられています。
 
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中門を入るとその先には「古池塚」があり

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”古池や 蛙飛び込む 水乃音 はせを”の句碑が建つています。
  句は貞享3年(1686)江戸深川芭蕉庵での吟

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左手に建つのが「蓑虫庵」

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庭先を回り込んで行くと、東門がありその手前左に「若菜塚」、
右に「蓑虫塚」が建っていますが、碑には土芳と黄子(印)の句が。
さらに右には芭蕉が帰郷した時に、脱ぎ捨てたわらじを土芳がもらい受け、
塚としたという「わらじ塚」がありますが、省略 ^^;

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東門沿いを奥に行くと「服部土芳供養墓」

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さらに北側を奥に行くと「芭蕉堂」と、その右手前には「なづな塚」です。
なづな塚は ”よくみれは なつな花さく 垣ねかな” の芭蕉句碑、
「芭蕉堂」は大津市の義仲寺にある芭蕉堂にならって
昭和5年(1930)に建立されたもので、芭蕉像が安置されています。
何年振りか?懐かしい「蓑虫庵」でした。

伊賀上野ではもうひとつ外せないのが「芭蕉翁生家」と、
その近くにある「愛染院故郷塚」ですが・・・続きます。 📷 1月29日

2021年2月 1日 (月)

伊賀上野城

雪の多度山を先出ししましたが、この日はその前日でまた寒い日でした。
久しぶりには町歩きにと出かけた三重県内 ^^;伊賀市(伊賀上野)です。
この時期、すでに各地では恒例の”ひな祭り”が始まっていますが、
今年はさすがに出かけるのはちょっと躊躇してまだどこも未訪問 ><;
そんななか、伊賀上野城内でひな祭りではありませんが、
”夫婦びな展”が開催されているという・・・。
伊賀上野といえば毎年「城下町のおひなさん」が開催されているところ。
今年は残念ながら中止のようで、それならお城の夫婦雛もよろしいかと ^^
十数年ぶりに芭蕉ゆかりのまち歩きを兼て出かけました。

まずはその伊賀上野城(上野公園)からです。

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本丸跡から眺める伊賀上野城

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定番の撮影スポットからですが 、綺麗な白亜三層の復興天守閣です。
今回はお城の沿革など詳細は省略させていただいて・・・城内へ ^^;

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1階正面、迎えてくれるのは高虎像(木彫)に鎧冑 と、
伊賀上野城のキャラクター”た伊賀ーくん(タイガークン)”です ^^ 

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その左隅に並べられたお雛さん(内裏雛)

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年代は分かりませんが、比較的新しい時代の内裏雛です。

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少し年代物(昭和中期)らしいお雛さんもありますが ^^;、
古雛といわれるものではありません ^^;

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1年ぶりにまた”ひなまつり”の季節になりましたが・・・

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本頭西陣織本仕立十二単衣 京雛
今年はコロナが収まる様子もなく、さて、どうなることでしょう ><;

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”忍者の里”ともいわれる伊賀の国
城下町にはもちろんですが、城内にも忍者がおります ^^;

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大天守閣3階
城内は資料館となっていて多くの展示品がありますが、
見どころとしては3階格天井の大色紙でしょうか?
天守閣復興祝いに寄せられた著名人の書画など46点が楽しめます ^^

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藤堂高虎が築いた伊賀上野城で有名なのが、高さ30mの高石垣、
城跡をまわりながら・・・

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こちらが茅葺門と

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その奥にある芭蕉「俳聖殿」
旅に生き旅を栖(すみか)とした芭蕉の旅姿を模したという建物ですが、
殿内には伊賀焼の芭蕉座像が安置されていて、
毎年行われる芭蕉祭(命日の10月12日)で公開されます
 。

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お城の西側から眺める見事な高石垣。

城内に展示されたお雛さんを少しだけ楽しみましたが、
このあとはぶらり町歩き、芭蕉ゆかりの地をめぐります。  📷1月29日

2019年5月28日 (火)

ぶらり飛騨街道・金山

この日は下呂市金山町の”筋骨めぐり”を楽しみながら、
飛騨街道金山宿の散策も目的でした。
とはいえ、金山宿そのものは今あまり見るところがありません ^^;

そんななかから600mほどの宿場を歩きながら、
筋骨以外の見どころらしい見どころです ^^

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国道41号線十王坂交差点(飛騨街道金山宿南口)からすぐにある
両面宿難(りょうめんすくな)伝説のある”鎮守山(ちんじゅさん)”です。

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仁徳天皇の時代(西暦400年頃)、大和朝廷に従わない飛騨の豪族宿儺が、
討伐に来た武振熊(たけふるくま)を迎え討つため駐留したという山。

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石仏が立ち並ぶ道を上って行くとある

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鎮守山観音堂
英雄でもあったという両面宿儺が、ここで国家安泰・五穀豊穣を祈願して以来、
この山を鎮守山と呼ぶようになったという。
現在の観音堂は、弘化3年(1846)に再建されたものとか。

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その奥に建てられている両面宿祢像
両面に顔があり4本の手を持っていたという宿儺です。

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下から眺める宿儺像と観音堂、
秋には紅葉が綺麗な鎮守山だそうです ^^

ここから少し飛騨街道を歩きますが
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道はその北の端でUターンし馬瀬川沿いに出ます。

Hidak08
渡る橋は境橋
その名のとおり、かっては飛騨と美濃を分ける橋でした。

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橋を渡るとある「子安地蔵尊」
道には伊能忠敬”飛騨測量始め地点”のレリーフが埋め込まれています。

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飛騨街道は右にカーブして飛騨川沿いを行きますが

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その角にある「境橋公園」。
馬瀬川と飛騨川の合流点に位置する飛騨金山。
かつては、飛騨(天領)と尾張藩、苗木藩、郡上藩の境にあたり、
ここが飛騨と美濃の境の地になるそうです ^^;

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戻って川沿いを南に行くと金山橋

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この橋の下で馬瀬川と飛騨川が合流しています ^^

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渡って少し下ったところにあるのが”大船渡の渡し跡”
明治に入って橋が掛かるまでは唯一の手段は渡し船、その渡し場だったという。

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さらに南に下ると、道沿いにある「国境争論地」の碑。
金山は国境(くにざかい)のまちだけにたびたび境界争論が起きていて、
そのため、元禄14年(1701)に飛騨国大船渡村(天領)と、
美濃国田島村(苗木藩)の村民が国境を巡っての口論から抗争事件があり、
その解決を記念して建てられたものといいます。

ここから今度は北へ約2kmほど行きます。

Hidak16 
場所は変わって「下原八幡神社」
先に紹介した両面宿儺を討伐するために派遣された武振熊が、
その必勝祈願をした”根子岩” という岩がある神社です。
岩は本殿の裏手にありますが・・・草叢のなかで近寄るのは遠慮しました ^^;

ぶらり金山町、もう少し飛騨街道が楽しめるかと思いましたが、
さすがに歩いてはちょっと厳しい旧領めぐりでした ><;  📷 25日

2019年1月14日 (月)

美濃国・岐阜の三社参り

美濃国・岐阜で古くから続く伝統行事という・・・「三社まいり」。
岐阜市にある「伊奈波神社」、「金神社」、「橿森神社」は、
その祭神が親子関係であることから、江戸時代、
この三社を歩いて参ることで知られるようになった・・・と栞にあります。
全国各地にある「三社まいり(三寺参り」ですが、
今回初めて知った岐阜の「三社まいり」。
これは・・・と、初詣を兼て早速出かけてみました ^^;

JR岐阜駅から北へと順番に、
まず最初にある「金神社(こがねじんじゃ)」からです。

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金色に輝く鳥居をくぐって

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手水舎、
奉納された?柄杓にはよく知られた人たちの名も あります^^;

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拝殿
主祭神は渟熨斗姫命(ヌノシヒメノミコト)
由緒は長くなるので省略しますが、伊奈波神社の主祭神である
五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコノミコト)の妃です。

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ここから柳ケ瀬本通りを東に歩き

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岐阜市で最初にガス灯が復元された美殿町から

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”御鮨街道”に出て少し北に歩くと
右手に「橿森神社(かしもりじんじゃ)」があります。

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安産祈願、夫婦和合、子供の守り神として信仰されていますが、
織田信長が楽市楽座を開いたとき、
市神をこの神社の神木、榎の元に祭ったという。

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そんな織田信長ゆかりの地でもあり、
参道横には「岐阜信長神社(建勲神社)」もあります。

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鳥居と右奥に拝殿
主祭神は市隼雄命(イチハヤオノミコト)で、
伊奈波神社の主祭神五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコノミコト)と、
金神社の主祭神主祭神渟熨斗姫命(ヌノシヒメノミコト)の子。

再び御鮨街道に戻り、最後の伊奈波神社へと行きますが、
街道を歩くこと15分ほど。

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伊奈波通りに出ましたが、
この日はまだ初詣の参拝客が多く、車の列が続きます ^^;

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車に注意しながら進む参道ですが、
多くの見どころを目で追いながら目指すは「伊奈波神社」拝殿!

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第一、第二大鳥居をくぐると「神橋」、その先には「楼門」

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右手には「吉備神社」と「楓稲荷神社」

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神門前左右にはパワースポットといわれる”逆さ狛犬” ^^;

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神門をくぐった右手には霊験あらたかな御神威で人気の「黒龍大神」

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そしてようやく拝殿到着
主祭神は五十瓊敷入彦命(イニシキイリヒコノミコト)

景行天皇14年に稲葉山(金華山)に創建されたといわれ、
1900年以上の歴史を持つ。天文8年(1539)、斎藤道三が
稲葉山城を築城するにあたり現在の地に遷座されます。

「伊奈波神社」に父、「金神社」に母、その子を祀る「橿森神社」を詣で、
家内安全、夫婦円満、子孫繁栄を祈願するという・・・
そんな”ふるさと岐阜のつたえ話「三社まいり」”でした。   13日

2019年1月 8日 (火)

ぶらり美濃路界隈 名古屋

これまで東海三県をを中心に多くの旧街道、古道を歩いてきましたが、
そのほとんどが歩き通すことが目的の先を急ぐ歩き旅でした。
少し寄り道をしていればたくさんの見どころがあったのにと、
心残りのところも多くあり、今年はあらためて旧街道筋にある
その見どころを訪ねてみようかと・・・ぶらり旧街道の散策編 ^^;

手始めは名古屋市の中心部を通り抜ける美濃路界隈です。

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東海道の宮の宿(熱田宿)から国道19号線を北上してきた美濃路は、
古渡交差点で国道と分かれて本町通りへと入ります。
ここはかって名古屋城下の南口になり大木戸が置かれていたところ。

ここから早速寄り道です ^^

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東へ少し行くとあるのが「東別院(本願寺名古屋別院)」
目的はその境内にあるこちら

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境内の片隅に建つ「古渡(ふるわたり)城址」碑 ^^
ここはかって織田信秀が古渡城を築いた跡で信長が元服したところです。

美濃路に戻るとすぐに橘町

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町筋には神社仏閣が多くあり、仏壇仏具の店が建ち並びます。
少し行った通りの右手にある「栄国寺」

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門前と境内には”切支丹遺跡博物館”の標柱がありますが、
その奥

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本堂の前、案内に従って細い道を入ると、
建ち並ぶ多くの石仏とともに慰霊碑があります。

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案内の駒札には「切支丹処刑地跡・無縁仏埋葬地」とありました。
この地はかって千本松原が広がり刑場があったところで、
1664年、キリシタンの弾圧により、多くの宗徒が斬罪されたとも。

街道に戻ってすぐのところを左へ行くと

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こちらには「日置神社」。
ここは永禄3年(1560)5月、信長が桶狭間の戦いに出陣するときに
戦勝祈願をして、戦勝のあとに松を千本植えたとところ・・・とか。

街道筋にはさらにいくつかの仏閣がありますが

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さらに行くと左には「本願寺名古屋別院(西別院)」

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道を挟んだその右側には「三宝大荒神(天寧寺)と、
まぁ、主なところだけに立ち寄りましたが、
実に多くの神社仏閣を見ながら歩いていくと大須に入ります。

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大須で信長といえば・・・やはりここでしょうか、「万松寺」。
この日は正月最後の日曜日、
表通りの「白雪稲荷」と「身代不動明王」は大変な混雑でした ^^;

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裏?に回って本堂参拝。
次が「大須観音」でしたが・・・大須商店街も多くの人で右往左往 ><;

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着いた大須観音もご覧のとおりで ^^;階段下から失礼しました。

あとは商店街の中を通る街道(本町通)に戻り、
さらに北へと歩くだけ。
若宮大通、広小路通、錦通と名古屋のメイン通りを越えて

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着いた伝馬町通りの交差点。
慶長18年(1613)、ここに「伝馬会所」が設けられた「札ノ辻」、
その北角にそのモニュメントがあります。

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モニュメントには”・・・官道の馬継所なり。京の方、清州宿へ二里、
江戸の方、熱田へ一里半、慶長十八年より宿駅となる。・・・”とあり、
ここがかって名古屋の中心部であり、各街道の出発地でした。

新春風景も味わいながら、あらためての美濃路散策でしたが、
寄り道で楽しむ街道歩きもまたよろしいかと ^^;    6日

2018年1月19日 (金)

大王崎灯台と波切散策

この日は新年恒例の神宮参拝でしたが、
そのあとは久しぶりに志摩市の大王町波切でした。
波切には何度も訪れていますが、
灯台を目的に訪れるのは実に10年ぶり ^^;
十年ひと昔でしょうか、あらためて波切の町とともに散策です。

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どうしてもゝ写真を撮ってしまいますが ^^;
ここが灯台へと続く散策路?の入口。

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大王崎は多くの画家たちに親しまれている絵描きの町。
今はちょっとその面影がないですが><:
灯台には近い漁港の町でもあります。

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宝門の浜

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波切はまた坂の町でもあります。

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灯台への道を分けて「八幡さん公園」へ行きますが、
ここはかっての「波切九鬼城址」。

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八幡さん公園
城址があったことからか?こちらは城山とか。

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公園から眺める大王埼」灯台
定番のビューポイント!ですが・・・外せません ^^;

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公園からお店の建ち並ぶ道を行くと灯台に。

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ここも全国にいくつかある参観ができる灯台のひとつです。

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灯台からの南西方面、右に見えるのが八幡さん公園。

正面には広大な海が広がるだけ ですが^^;
”「伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王がなけりゃよい」と、
船乗たちに恐れられた大王崎は、志摩半島の東南端にあり、
遠州灘と熊野灘の荒波を二分するように突出した
海の難所として知られていたところ・・・”(HPから引用)

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北側には「波切神社」がある宮山、手前の浜は「須場の浜」。
”わらじ祭り”では海の安全と豊漁を祈願して
この浜で大わらじが流されます。

灯台から浜の傍を通ってその宮山へと行きます。

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浜の突き当りで少し石段を上がると
その”わらじ祭り”で知られる「波切神社」です。

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境内にあった「鯨石」。
むかし捕鯨が行われていたころ、解体した鯨から出てきた石とか ^^;
神社の前からさらに宮山を回り込みます。

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目の前が開けると「崎山公園」。
はるかに安乗岬や、神島、師崎、伊良湖が望めます。

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宮山をぐるりと回って漁港の散策路に出ました。
こちらには波切神社の表参道?がありますが・・・立ち入り禁止です。

町なかに戻って

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「汗かき地蔵」
石の地蔵さんが汗をかき、その汗の色で吉凶を占うという。
こちらも伝説の祭りが行われています。

そのすぐ近くにある「大慈寺」

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「あじさい寺」として知られるところですが、
2月中旬ごろには”てんれい桜(河津桜)”が咲きます。

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この日はてんれい桜のなかでただ1本だけある
”天城桜(寒緋桜)”が咲き始めていました。

灯台が見たくて走った大王町波切。
詳しく載せたいところもありますが、今回はほんの少しだけ ^^;
久しぶりにその見どころを回ってみました。    18日

2018年1月 9日 (火)

新春まち歩き 京都伏見Ⅱ

京都伏見の明治ゆかりの地をめぐる後半は、
桃山町の「乃木神社」から大手筋通りで市街地へと出ます。
大和街道(国道24号線)交差点を渡ると「御香宮神社」。
伏見城の大手門を移築したという表門をくぐり境内へ入りますが、
ここからは我がブログでも何度か紹介したところ。

あらためて御香宮神社

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参道から拝殿、本殿へと行き

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本殿わきにあるのが神社の名の起こりとなった御香水。
さて、明治ゆかりの地といえば、やはり”鳥羽伏見の戦い”でしょうか。

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境内駐車場の北詰にある”明治維新 伏見の戦跡”碑。
ここは明治元年(1868)1月3日に起こった鳥羽・伏見の戦いでは、
新政府軍(薩摩・長州藩)が陣を置かれたところ。

 

大手筋通りに戻り、
近鉄京都線に沿って少し南に歩くと桃陵団地があります。

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その入口角にあるのが「伏見奉行所跡」碑。
こちらは幕府軍(会津藩・新選組)が陣をおいていたところで、
新政府軍と幕府軍がわずかな距離で戦ったことが分かります。

ここから西へと進むと、当時の町の中心部に出ます。

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寺田屋
薩摩藩の寺田屋騒動や、坂本龍馬襲撃事件の宿として知られますが、
伏見の観光スポットでも抜群に人気のところ ^^;

ここから道を西に回り込むと竹田街道の京橋

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伏見口の戦いでは激戦地となったところで、

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橋の袂にはその激戦地跡の碑が建っています。

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寺田屋前の船着き場。

説明板には
”この辺りは旅人や貨物を運ぶ船着場として栄えた・・・”とありますが、
戦いの前日に会津藩の先鋒隊が上陸したところでもあります。
戦いはここから4kmほど北にある鳥羽の地、鳥羽街道の
小枝橋辺りで始まりますが、こちらはオマケ! ^^;

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鳥羽伏見の戦い勃発の地となった
中島秋の山町にある現在の小枝橋

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そして鳥羽街道にある”鳥羽伏見戦跡碑”(平成17年3月撮影)
鳥羽の戦いはここ城南宮・鳥羽離宮周辺が戦場となりました。

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伏見の明治ゆかりの地めぐりはここまで ^^;

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京橋から龍馬通りにで北へと歩き

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いつものように近鉄京都線の丹波橋駅へと戻りました。

今年は明治150年で京都市でも多彩な事業が開催中ですが、
HP「明治150年京都のキセキ」にある、
明治ゆかりの地をめぐるのもよろしいかと ^^;    7日

2018年1月 8日 (月)

新春まち歩き 京都伏見Ⅰ

今年は明治改元から満150年の年にあたり、
京都でも「明治150年京都の奇跡プロジェクト」が行われています。
この日は恒例になった京都伏見稲荷大社の新春詣でしたが、
今年はお山めぐりはせずに、久しぶりに伏見の散策でもして
明治にかかわるゆかりの地でもめぐろうかと、
奥社から第一鳥居へと戻ってきました。

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稲荷大社第一鳥居前

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JR稲荷駅前の伏見街道(本町通り)、
ここから伏見の市街地まで南へと歩いて行きます。
特に明治には関わりのないところも挟みますが、
まずは深草に入って直違橋(すじかいばし)を渡れば「藤森神社」。

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街道筋は神社の西門になります ^^;

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拝殿と本殿
初夏のアジサイでも知られるところですが、勝運・学問の神さまです。

境内を抜けて南門から街道に戻ると墨染の街を行きます。
墨染は小野小町と深草少将との悲恋物語の残る街。
また橦木町は大石内蔵助が通ったという遊郭跡もあるところですが・・・
そのまま通過して行くとすぐに国道24号線に合流。

すぐに街道から離れ東の山間へ

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ここからは車の多い街道筋とはかけ離れた森の中に、
静かな参道が続きます。

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桓武天皇柏原陵

道に戻って少し東に歩くと伏見桃山城があります。

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模擬城門

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遊園地のあとに運動公園として整備されていて、
5重6階の大天守と3重4階の小天守の模擬天守が建っていますが、
耐震不足のため天守にはは入れません。

さらに南に下っていきますが

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周辺は広大な森の中の参道

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かっては伏見城の石垣に使われていたという石も残り
この辺りは本来の伏見城(木幡山伏見城)の城跡であったところ。

長い道を行くとやがて見えてくる御陵

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これはまだその西側の一部で、さらに行くと

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「明治天皇伏見桃山陵」に出ます。


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すぐ後ろには長~~い石段(203段)の道 ^^;
ここは帰りに下ることにして

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そのまま東にある昭憲皇太后陵へと急坂を下ります。

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その「昭憲皇太后伏見桃山東陵」

道は森を回るように続いていますが、
やはり急坂を上り返して先ほどの石段の道に戻ります ^^;

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長い石段を下りてきましたが、
ここが御陵への正式な参拝道になります。

これで伏見の東側にある御陵周辺の散策は終わりですが・・・
もうひとつ、明治天皇といえばやはりこちらも外せません。

ここから伏見の市街地に向かう途中にある「乃木神社」

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神門をくぐるといろんな見どころもありますが、
真っ直ぐ拝殿に向かいます。

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拝殿
明治天皇が崩御し、その大葬の日に殉死した
軍人乃木希典と静子夫人が祀られています。
ここもまた明治ゆかりの地でしょうか。

このあとは伏見の市街地に残る
”鳥羽伏見の戦い”ゆかりの地をめぐります。   7日

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