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2017年6月14日 (水)

坂本の棚田

「亀山公園花しょうぶ園」から向かったのはこちらも亀山市、
安坂山町にある「坂本棚田」です。
田植えが終わった後の棚田は何度か訪れていますが、
6月に訪れるのは初めてでした。

すでに早苗もかなり成長して、青々とした水田を見ながら、
この日は集落を抜けて行き、
最上部にある野登山登山口まで行きました。

Sakamoto01

久しぶりに見る登山道口(左)、
分岐の脇にあるのは二つに折れた石の道標。

Sakamoto02

すぐ傍にある棚田を見て
いつもの「坂本農村公園展望台」へと戻ります。

Sakamoto03

坂本農村公園展望台

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見下ろす棚田
これまでは水が張られた水田の早苗でしたが、
いまはすっかり緑が濃くなっています。

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その中心部
展望台から棚田のなかに続く道へと下ります。

Sakamoto07

道沿いに咲くアジサイはまだ咲き始め

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遠くに見えるのは新名神高速道・亀山西JCTの工事現場。
今、平成30年度の開通を目指して建設が進んでいます。

棚田に目を移せば

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水田の湾曲に沿って植えられた苗と美しい石垣に、
何度も足が止まります。

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そんな棚田を見ながら下る道。

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苗が植えられた棚田のいちばん下、
見える山は野登山、右端に坂本の集落です。

この日のひと花!

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水路の傍に咲いていた”ウツボグサ”です ^^;

初めて緑の時期に訪れた坂本棚田でしたが、
田植えの終わったばかりの棚田とはまた違った、
初夏の棚田が楽しめました。   camera 11日

2017年6月 5日 (月)

山中城跡

静岡県三島市山中新田にある「山中城跡」。(国指定史跡)
小田原城の西方を防御する城として、
後北条氏により築城されますが、天正18年(1590)、
天下統一を目指す豊臣秀吉の大軍の前に、
わずか半日で落城したといわれる悲劇の城です。

現在は城跡公園として綺麗に整備されていますが、
旧東海道箱根越えの途中に立ち寄りました。

Yamanakac01 
駒形諏訪治神社と右に八坂神社

この日は三ノ丸にある正面の登城口からではなく、
旧東海道沿いの「駒形諏訪神社」参詣口からの登城です。
 ※ 城跡全体図はこちら から

Yamanakac02

神社の左手にあるのが「兵糧庫」。
その右手に数段の小曲輪があり、その上が本丸になります。

Yamanakac03 

本丸跡

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右手の高台へ行くと

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天守台跡があります。
その先を下りると

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本丸と北ノ丸を結ぶ架橋

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渡ると北ノ丸跡
このまま後ろにある散策道を行くと、
外周散策道から西の丸へと行けますが・・・戻って本丸へ。

Yamanakac08

あらためて、ここ本丸跡から西に続く城跡を行きます。

城は標高540mにある岱崎(だいさき)出丸から、
580mの西之丸に至る尾根上に築かれた山城で
土塁と堀で構成されており、
石垣と水堀がないというのが大きな特徴です・・・と説明に。

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本丸と二ノ丸を結ぶ土橋(今は木橋)の下には
綺麗な畝掘の本丸西堀。
城跡跡は芝生が張られていて実に綺麗ですが、
ここはまだ芝も養生中でしょうか。

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架かる橋を行くとその先は二ノ丸で、
先に見える小高い場所が二ノ丸櫓台。

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二ノ丸櫓台から堀を挟んであるのが元西櫓、
手前左に見える架橋の手前には二ノ丸虎口があります。

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二ノ丸堀もまた畝掘で造られていて


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その堀を、
二ノ丸虎口から架橋を渡って元西櫓へ。

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元西櫓跡

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元西櫓と西ノ丸の間は深い空堀になっていて、
今は散策路で結ばれています。

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その道をいったん下って上り返すと西ノ丸。
テレビで見たころの城跡はまだ土がむき出しでしたが、
今は緑の芝生が綺麗な広場?になっています。

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西ノ丸見張台からは真下に西ノ丸堀の一部が見えますが、
これも畝掘のひとつ、北条流障子堀とか。
その堀を見に西ノ丸の南側を回り込みます。

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その南側にある散策路から、
堀の周りに植えられたツツジはもう終わりでしたが、
季節なら堀とともに綺麗だったでしょう。

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西ノ丸南側の畝掘

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こちらは西側にある障子堀。
堀の中を区画するように掘り残すことで、
障子の桟に見えることからそう呼ばれているようです。

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山中城跡の最西端です。
右奥に富士山が見えるはずですが・・・この日は残念 ><;

今回は三の丸跡と岱崎(だいさき)出丸は外しましたが、
見事な堀と、美しい山中城跡でした。   camera 5月31日

2017年5月31日 (水)

達目洞の自然環境保全地区

岐阜市の金華山東山麓にある達目洞(だちぼくぼら)。
里山の自然を今に残すというこの地には
金華山を水源とする湧水が逆川(さかしまがわ)となり、
その清流にヒメコウホネが自生するという・・・。

バラ園を楽しんだあとは、
少し手前にある達目洞の自然を楽しみました。

Dachibokun01

解説板と、この木道がなければ、
ただの湿地帯と思ってしまいますが

Dachibokun02

木道の先にある散策路沿いには
その清流?逆川があります。

Dachibokun03

そこに咲くヒメコウホネ
コウホネより全体的に小さいためヒメ(姫)コウホネと言われ、
絶滅危惧II類の希少品種。

Dachibokun04

茎の先から一輪の花を咲かせますが、
花弁のように見える部分はガク片で、
その中にたくさんの花弁があります。

この日はまだそれほど咲いてはいませんでしたが、
開花時期は5月から10月ごろまで。

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石橋で休むのはオオカワトンボ

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東側から逆川
きれいに草が刈られた散策路を回って行きます。

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ノアザミとモンシロチョウ
撮りたいときはなかなか飛んでくれません ^^;

Dachibokun08

ノイバラ

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テントウムシ
ナナホシでしょうか?星を数えていませんでした ^^;

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野イチゴ

まぁ、らしき野の花はありませんでしたが、
それなりにフィールド遊びでした。
そのまま散策路の北の端に出ます。

Dachibokun11

そこに民家が一軒ありましたが、
咲いていたバラに思わず表に回り込みます。

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玄関
見せてもらっていいものか?どうか、
思案していたら数人の見物客が。

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どうやら先に見たバラ園から回ってこられたようで、
自由にご覧くださいとのこと。

Dachibokun14

遠慮なく見せていただきましたが、
こちらも小さいながら見ごたえのあるバラの庭です。

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この日の目玉?
名札には”スーパーグリーン”とありました。

達目洞(だちぼくぼら)の自然を楽しみにきましたが、
最後もやはりバラの花でした。
ヒメコウホネは季節を変えて再訪です ^^;  camera 29日

2017年5月25日 (木)

山室湿原・米原市

滋賀県米原市山室にある「山室湿原(やまむろしつげん)」。
東西約90m、南北約170m、周囲約500mの小さい湿原ですが、
約2.5万年前にできたと考えられているという・・・。

以前は車で近くまで行けましたが(地道に駐車 ^^;)、
今は傍を通る新幹線南側の道に縦列駐車して、
約10分ほどを歩きます。

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東に広がる田園地帯と伊吹山を眺めながら、
農道を行くとひとつめの防御柵があります。

開けてさらに行くと

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山室湿原の入り口

この季節の湿原は何も期待できないか?と思いながら

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整備された木道を行きます。

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たくさんのニガナが咲くなかに

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まだ咲き始めたばかりでしょうか、
淡い紫色のトキソウが迎えてくれました ^^;

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それ以外にらしき花はありません。

いくつかに区分けされた湿原を見て行きます。

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西側にある第五湿原に咲いていたカザグルマ。

戻って東側にある湿原に出ると

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捕虫葉を出し始めたモウセンゴケです。

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まだ花は咲いていませんが、
露に濡れたような捕虫葉が綺麗です。

さらに、この区域には
すでにたくさんのハッチョウトンボが飛び交っています。

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いきなり交尾中のハッチョウトンボに慌てました。
ボケボケですが・・・
このトンボ、いろんなところで見てきましたが
交尾中の撮影は初めてです ^^;

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よく見ると空中で飛び交いながら交尾しますが、
それを撮るのはとても無理で、一瞬止まったところです。
これもすぐに離れるため焦ります ><;

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で、いつものように動かないハッチョウトンボ ^^;

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この日は先客がひとりだけの静かな湿原でした。

ハッチョウトンボの交尾、
できればもういちど撮影に挑戦したいと思いながら引き揚げます。

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車に戻る道から傍を走る新幹線。

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伊吹山に残雪が残り、桜の咲くころには、
この辺りも多くのカメラマンで賑います。

ちょっとまだ、花には時期外れかとも思いましたが、
思わぬハッチョウトンボにも出会え、貴重な写真も撮れ、
うれしい誤算の山室湿原でした。   camera 23日

2017年5月24日 (水)

蘭丸ゆかりの城下町 兼山

チョッと日が経ちましたが、
岐阜県可児市兼山に「美濃金山城跡」を訪ねたあと、
麓にある兼山地区を散策していました。

ここは森氏一族の城下町でもありますが、
特に知られているのが森蘭丸。
そのゆかりの地として町なかの散策コースが設定されています。
今回はその一部を歩いてみました ^^;

Morikane01

スタートは「兼山歴史民俗館」の裏手にある道筋からですが、
建物はその歴史民俗館。
裏から見ると3階建てで懸け造りと呼ばれる建物だそうですが、
表からは2階建て、それは最後に ^^

ここから寺の町らしく、専養寺、浄音寺、森立寺と
お寺が並びますが・・・目的はその先。

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木曽川の流れが止まった感のある澱みの場所がありますが、
ここが「兼山湊跡」。

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常夜灯と湊跡の名残を残す石畳

兼山は水運で栄えた町でもあり、
物資が集まる要衝の地でもあったようです。

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上流に架かる下渡橋

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下流には東海環状道の高架橋

今は上流に今渡ダムができて静かですが、
それまでは流れの激しい急流であったという・・・。

湊跡から県道を1本渡山沿いの旧道へ。
さらにや間際に行くと「貴船神社」がありますが、
今回は旧道を東へと戻ります。

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すぐにある「可成寺(かじょうじ)」は、
”森可成(もりよしなり)菩提寺”。

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2代目の森長可が初代金山城主森可成の菩提寺として創建。
山門前には「森可成、長可(ながよし)公廟所」の碑。

そして

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その前には”筆塚”と”芭蕉翁の墓”碑です。

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本堂
その右手から裏手にある墓地へと行きます。

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苔むす墓地を通り抜けた最奥にある廟所。
主面には、左から長可、可成、父・可行に可成長男可隆。
そして右には

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坊丸、蘭丸、力丸兄弟の墓石でした。

可成寺からさらに東へ行くと、常照寺、西念寺があります。

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鐘楼門のある「常照寺」は、
長可、蘭丸の母、妙向尼(みょうこうに)の菩提寺。

とにかく、ここもお寺の多い町ですが、
それぞれに見どころのあるお寺です。

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町なかも少し紹介しますが・・・蔵です ^^;

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この道筋は城下町らしい雰囲気が残ります。

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歴史民俗資料館に戻ってきました。
もともとこの建物は
町民の寄付により建てられた、
兼山小学校の校舎跡だそうで、素晴らしい建物でした。

町の散策はさらに東へと続き、
さらに「六角堂」、「
戸立観音」などの見どころもありますが、
今回の城下町兼山散策はここまででした。  camera 17日 

2017年5月23日 (火)

西尾いきものふれあいの里

西尾市のバラを楽しんだあとは
歴史公園周辺でも散策しようかと思っていましたが、
ふと目にした「西尾いきものふれあいの里」の案内に。
新緑のなかで里山の自然との触れ合いもいいかと・・・、
名前に魅かれて走った「ふれあいの里」です。

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その拠点になる「ネイチャーセンター」。
「いきものふれあいの里」はこの傍にある
小草池周辺をめぐるセンターゾーンと、
万燈山(146m)周辺をめぐるサブゾーンがあります。

そのネイチャーセンターの前にあるのが
ビオトーブガーデン。

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カキツバタにキショウブはすでに終了していますが

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ナガバオモダカの群生

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そしてスイレン、
これからハナショウブも咲くようです。

ここから案内に従って里山エリアへ

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道を上がると”小草池”
灌漑用のため池として造られた池のようですが、
左右に分かれる道を左へ行きます。

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その先にあるのが里山エリアで、
整備されたこの地域は昔の里山の原風景とか。

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さらに行くとテーブルとイスがある中央広場。
このあたりは道が交差しますがいずれもここで合流 ^^;

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そして、最奥にあるのがトンボの里。
モウソウチクに囲まれた里には3つの池があり、
数種類のトンボなどがかんさつされるという・・・。

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トンボ池をひと回りして
ここからサブゾーンへの連絡路を行きます。

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いきなり、見事な竹林のなかに延びる道から

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トタンに囲まれた住宅街?の傍を過ぎると

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万燈山への案内に変わります。

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すぐに車の轍がある道に出ますが・・・
これは林道でしょうか?

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空が開けると車道のロータリーに出ました。

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すぐ右に万燈山150mの案内ですが、
この日はスルーしてそのまま遊歩道の周回へ。

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道を横切って下るのは”チョウの小径”
小径とはいえ急斜面の山道 をいっきに下ります。

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下りたところは墓地の中 ^^;
そのまま行くとネイチャーセンターへは戻れず ><;
案内に従って”野鳥の森”経由で山道を上り返します。

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林道に戻ってきた道を引き返しますが、
道沿いに咲くオカタツナミソウの群生に癒されました。

「西尾いきものふれあいの里」。
気楽に楽しむには
センターゾーンの周辺がよろしいかと ^^;  camera 21日

2017年5月18日 (木)

美濃金山城跡

岐阜県可児市兼山にある国史跡「美濃金山城跡」。
森可成(よしなり)から始まる森氏一族の居城であり、
また、本能寺の変で織田信長とともに討たれた(諸説あり)
森蘭丸生誕の城でもありますが・・・初登城です。

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標高約277mの古城山山頂に築かれた山城、
まずは麓の第一駐車場から大手道を行きます。

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山裾にある「蘭丸ふるさとの森」にある
”伝・蘭丸産湯の井戸”。
ここからはたくさんの遊歩道が整備されています。

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どの道を行くも良し!長い、短いはありますが、
いずれでも城跡下にある登城道へ合流します。

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巨岩の上に建つ「物見の櫓」

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櫓から眺める「出丸跡」。
ここに山頂の駐車場があり、車で来れます ^^;

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その車道に出ると登城口がありますが、
思っていたより城跡の真下まで車で来れます。

さて、それでは城跡へ。

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丸太の階段を少し登ると「三の丸門跡」
上りきると左に「水の手」への門跡ですが通行止め。

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右には「二之丸跡」

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奥に進むと「二之丸物見櫓跡」があります。
ただ、視界が開けず見えるところから ><;

戻って本丸跡への道

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すぐに「大手桝形」の虎口に出ます。
手前に一の門、右手に二の門があったようですが、
ここで桝形に曲がって本丸へ。

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その先には”天守台西南隅石”の石垣跡があり、
少しだけ城郭の面影を残しています。

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そして本丸跡に出ました。
奥には「史跡 金山(かねやま)城跡」の碑が建ち、
天守跡?の礎石も見ることができます。

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北側には「鳥竜(うりゅう)神社」の祠があったようですが、
盛土の部分はその跡でしょうか?
傍には天然記念物の”オオウラジロノキ(ヤマナシ)です。

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本丸跡北側からの眺め、
手前の橋は木曽川に架かる兼山橋。

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本丸跡を北側に回り込むと、
わずかですが石垣が残る「東腰曲輪跡」に出ます。

そして

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その先は小さな礎石が残る「搦手門跡」でした。
この先、下りてしまうと駐車場に戻るのが一苦労 ^^;
で、ここから戻ります。

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登城口に戻って、
ここが山頂駐車場のある「出丸跡」。

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天文6年(1537)、斎藤正義(妙春)によって築造され、
「烏峰城(うほうじょう)」と呼ばれていました。
その後、織田信長が美濃を領地としたことから、
家臣の森可成(よしなり)が城主となり
「金山城・兼山城(かねやまじょう)」と改称。

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出丸跡に残る石垣

以後、長可(ながよし)、蘭丸、忠政と35年間にわたり
森氏一族の城主が続きますが・・・
慶長5年(1600)犬山城主石川光吉領となると、
翌年、犬山城主小笠原吉次により破却されます。

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古城山と金山城跡

平成25年(2013)に国史跡に指定。
また、平成29年(2017)には
”続日本100名城”に選定されています。  camera 17日

2017年5月 8日 (月)

揖斐城趾

岐阜県揖斐川町にある「揖斐城跡」。
この日は三輪神社の例大祭「いびまつり」に出かけていましたが、
最初の軕(やま)の曳き入れを見たあと、
次の稚児役者練込みまでの時間を利用しての城跡見学でした。

登城口にあった案内図には往復1時間ほどとあり、
時間的にはちょうどいい時間つぶしかと ^^;

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神社横の「心字池」越しに眺める中央部が、
城跡のある城台山(標高223m)です。

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隣にある松林寺を見るとすぐにある登城口。
ここから城跡までは比高180m(麓から城までの高さ)、
約30分の道のり。

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すぐに観世音菩薩と金毘羅神社のある「城台山公園」。
ここを回り込んで行くと

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その先にある一心寺、
境内の道から本堂横を抜けると地道の散策路に入ります。

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新緑のまぶしい道はところどころで視界が開け、
真下に広がる田園風景を眺めながら行きます。

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左に白山神社の案内を見ると、すぐに「井戸」への案内板、
ここは帰り道に使うことにして真っ直ぐ丸太の階段を上ります。

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上りきったところが「南の丸跡」。
広場を回り込み、左に民族資料館への道を分けて
右の「本丸跡」へと登ります。

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ここが城台山山頂・揖斐城跡の「本丸跡」。
綺麗に整備され、ベンチもある広場でした ^^;

城跡は尾根に沿ってさらに北へと続きます。

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すぐに桝形虎口跡(本丸正面出入り口)

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右に「本丸腰曲輪」を見て少し下った尾根筋には、
「竪堀跡」が横切っています。

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そして広い広場に出ると「二之丸跡」

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さらに曲輪跡があり、その先が「大手門跡」
城跡はまだまだ続きます ^^;

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ここが「三の丸跡」

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次が右に「出丸」の高い土塁がある横を通過しますが、
ここは「切り通し跡」、出丸は帰りにと通り過ぎます。

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道は次第に細くなり、山道らしくなってきますが、
この先が「北の丸跡」。

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さらに細い尾根筋が続いて、
この辺りは本丸への防御道としての役割として造られた
搦め手道や堀切の跡でしょうか。

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その「搦手曲輪・搦手跡」(城の裏門)に来ました。

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「堀切跡」があってここが城跡の北の端。
かなり縦に長い縄張りに思えましたが、約50mほどとか。

この先もさらに散策路が延びていますが、
ここから戻り、来る途中にあった出丸と井戸に立ち寄ります。

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まずは「出丸跡」

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開けた場所からは揖斐川町の町並みが見えますが、
遠くには左に美濃赤坂金生山、右に池田山?でしょうか。

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そして城跡の下を巻くように山肌を行くとある「井戸跡」です。

およそ650年前に、この地の支配者土岐一族が築いた城で、
約200年にわたり守られてきましたが、
天文16年(1548)に斎藤道三によって攻められ落城します。

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登城道沿いに咲いていたモチツツジ。

その後、幾多の変遷を経て時代は下り、
岡田藩揖斐陣屋の時代を経て、
現在の揖斐川町三輪の町並みが形作られたという・・・。

まつりのさなかに訪れた揖斐城跡でした。  camera 5日

2017年3月20日 (月)

なら散策 入江泰吉旧居

奈良公園の片岡梅林から東大寺に出て奈良の散策へ。
”お水取り”の終わった「二月堂」から、
裏参道、正倉院を見て「戒壇堂」出ます。

戒壇堂から南に延びる道は「吉城園」や「依水園」へと続く、
古い建物が立ち並ぶ風情ある町筋の水門町。
その途中に写真家「入江泰吉旧居」があります。

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入口

奈良大和路を愛し、
大和路の風景、仏像、行事などを撮り続けた入江泰吉。
その旧居

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玄関
一般的な住居のように土間がなく、
直接部屋に通じるようになっています。

元は興福寺の子院正法院家住宅でしたが、
吉城園の建て替えに伴い大正8年に移築したという。

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受付のある玄関間からはすぐに客間になります。

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ここには多くの文人、墨客が訪れたという。

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次の間へと続く欄間には、
薬師寺本尊の「薬師如来台座」(国宝)から拓本をとったという
”白虎”の額が掛かっています。

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廊下から眺める景色、
まだ常緑樹の椿だけで透けて見えますが ^^;
春には新緑、秋には紅葉が楽しめるとも。

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部屋をつなぐ渡り廊下、
この辺りは公開に先立って改修されているようです。

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ちょっと変わった造りの茶室

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部屋の出入り口?

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次の間が奥様の部屋。
廊下に置かれた小さなテーブルが印象的ですが、
このテーブルが二人の語らいの場でもあったようです。

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洋間から書斎へと続きますが、
この辺りはあとで増築された部屋。

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アトリエ

絵画、仏像彫刻などを趣味とした?
写真家入江泰吉の憩いの場でもあったようです。

この家には自身の写真は一枚もありません ^^;
この建物以前に寄贈された全写真、その一部は
「入江泰吉記念奈良市写真美術館」で見れます。

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玄関横から石段を下りて庭に出ました。

飛び石が続く庭の右手には吉城川が流れ、
建物は一段高い場所に造られています。

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石段を上り返すと先には「暗室」、
そして裏庭に出ます。

戦後から亡くなるまでを暮らした旧居は
奥様により平成12年(2000)奈良市に寄贈されます。
以後、建物の使用方法について検討され、
平成27年(2015)、3月に一般公開されました。

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移築されたというその「吉城園」と「依水園」は
旧居からすぐのところにあります。

思えばずいぶんとこの界隈に来ていませんが、
久しぶりに訪れて、
初めて知った「入江泰吉旧居」でした。  camera  17日

2017年3月15日 (水)

西国第三番札所 粉河寺

ちょっと日が経ちましたが・・・
紀州雛めぐりで最後に訪れた和歌山県紀の川市粉河。
ここには西国三十三所観音霊場第三番札所の「粉河寺」があります。
ひなまつりで訪れたとはいえ、やはりここは紹介したいところで、
あらためてその「粉河寺」です。

JR粉河駅から門前通り(とんまか通り)を行き、
中津川に架かる赤い橋を渡ると境内に入ります。

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朱塗りの大門
三間楼門で、和歌山県では、高野山、根来寺に次ぐ威容を誇り、
宝永4年(1706)の総欅造り。

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くぐると左に「不動堂」、正面に御池坊(本坊)を見て右に回ると、
左には多くの諸堂、右手に長屋川にそって門へと続く参道です。

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諸堂は童男大士を祀る童男堂

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念仏堂

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大子堂

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そして四天王が安置された中門をくぐります。

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目の前に広がる広場とその先に見える本堂、
広い境内の東側には

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丈六堂に

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六角堂が建ち並び

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北側正面、石段の左右には枯山水の「粉河寺庭園」

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石段を上った本堂前庭へと続く庭園

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そして正面に本堂です。

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西国三十三所では最大といわれる建物は、
8世紀(770年)の創建以来、造営と改造が繰り返され、
現在の本堂は享保5年(1720)に再建されています。

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一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが重なった
他に例を見ない複合仏堂の形式・・・見事な建物です。

最後はわが趣味の世界で恐縮ですが ><;

Kokawa16

丈六堂の右前にある芭蕉句碑
句は ”一ツぬひで 後に負ぬ 衣がへ” 
     貞享5年(1688) 笈の小文での吟でした ^^;

「粉河寺」、ここはまた桜の名所、
また桜の咲くころに訪れてみたいところでもあります。 camera 2月26日