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2017年9月14日 (木)

元伊勢三社 天岩戸神社

福知山市にある元伊勢三社、最後は「天岩戸神社」へ。
皇大神社の奥宮とされる神社へは
神社社務所の横から続く山中の参道を行きます。

参道標石と案内板を見て入る参道

Iwato01

付近の山一帯は、足を踏み入れてはならないとされる神域で、
岩戸山京都府歴史的自然環境保全地域に指定されているところ。

Iwato02

すぐにある「岩戸山(日室ヶ嶽)遥拝所」。
岩戸山は神の降臨を伝えるという神体山で
お参りすると、”一願成就”できるという。

Iwato03

この先は急坂をいっきに下る参道となり、
これはちょっと予想外の勾配でした ><;

Iwato04

下りきると駐車場から来る道に合流しますが、
この辺り駐車場はなく、ここからさらに急な石段を下ります。

Iwato05

二段に折れる階段の先には本社遥拝所。

Iwato06

鳥居をくぐると、
道は谷底?へと急降下の狭い石段です ><;

神社はってっきり山の上へと登るのかと思いましたが

Iwato07

上から見下ろす奇岩と清流宮川の渓谷。
そして、下りきったその先には・・・

Iwato08

巨岩の上に鎮座する「天岩戸神社・本殿」でした。

 Iwato09

懸造(がけづくり)の本殿ですが、
参拝は大岩に掛けられた鎖を伝って行きます。
もちろん下からも参拝ができます ^^;

Iwato10

その本殿前、
大岩が濡れていると滑りそうですが、
参拝もチョッと窮屈な一枚岩の上。

Iwato11

戻ったあとは裏側を見たくて社殿を回り込みます。

もちろん道はなく、
川の中の石を踏んで行くためここは自己責任 ^^;

Iwato12

そこには川をふさぐ形で巨岩がありますが、
この岩が天降った神々が座したという”御蓙石”でしょうか?
生い茂る木々と澱みのなかでなんともいえぬ雰囲気です。

Iwato13

振り返れば来た道と巨岩群。
このなかには神石もあるようでしたが、よく分からず、
ただ眺めるだけでした ><;

天照大神が伊勢の地に遷座するまでに、
一時的に祀られた元伊勢といわれる場所はいくつかめぐりましたが、
福知山元伊勢三社、ここもまた曰くのある場所でした。  camera 10日

2017年9月13日 (水)

ぶらり福知山・元伊勢三社

京都府福知山市、見どころは広範囲にわたっていますが、
中心部の「福知山城」のあとは、福知山市の見どころのなかでも
チョッと異色か?市街地から少し北に走り、大江エリアにある
「元伊勢三社」(外宮豊受大神社・内宮皇大神社・天岩戸神社)です。

ここはやはり外せないところでしたが、
まずは最初にある「元伊勢外宮豊受大神社」から。

Motoise01

駐車場からすぐの社務所横から、
いきなり長い階段を上っていきます。

Motoise02

上りきると手水舎、左手にある鳥居は樹皮が付いたままの、
杉の木で造られた古様式の黒木鳥居。

Motoise03

くぐって右に少し進むと

Motoise04

左手奥に拝殿と本殿、左右に脇宮2社です。

その横

Motoise05

左手と

Motoise06

右手に祀られた摂社と末社

 Motoise07

そして本殿の後ろにも末社が並び、木の古木は”龍燈の杉”、
”節分の深夜、龍神が燈火を献ずると言い伝えられる・・・”と。
樹齢1500年とも言われる御神木でした。

ここからさらに北へ3kmほど走って「元伊勢内宮皇大神宮」へ。
途中に流れる宮川を”五十鈴川橋”で渡り、駐車場から
大江町内宮の集落を行きますが、まるで伊勢の地です ><;

Motoise08

集落の先、参道入り口

Motoise09

Motoise10

石段を上りきると・・・ここからさらに300mほどあるという、
玉砂利と石段の参道を上っていきます。

Motoise11

杉木立の静寂のなかになんとも趣のある道ですが

 Motoise12

途中にある杉の巨木は”麻呂子親王お手植の杉”とか、
かっては3本あったものの2本は倒れ、残った1本。

Motoise13

小さな「真名井の池」、金のなる石と「御門神社」を見ると、
すぐに社殿境内です。

Motoise14

奥に社務所を見て・・・右へ

Motoise15

鳥居は元伊勢外宮と同じ黒木の鳥居、
全国でも、京都嵯峨野の野々宮神社以外には例がないという
珍しい鳥居をくぐり拝殿・本殿に参拝です。

Motoise16

Motoise17

本殿左右の脇宮と、
木立のなかに祀られた多くの摂社・末社は80余社とか。

そして

 Motoise18

ここにも”龍灯の杉”がありましたが、こちらは樹齢2000年余とか。

”第10代崇神天皇の39年、大和からここに天照大神の神鏡を祀ったと
いわれ、以後全国を転々とした後、54年後に三重県の伊勢神宮に
正式に鎮座されたことから元伊勢宮といわれる・・・”。

福知山に鎮座する元伊勢三社の「外宮豊受大神社」と
「内宮皇大神社」でしたが、残る「天岩戸神社」はこのあとに。

2017年9月12日 (火)

ぶらり福知山・福知山城

久しぶりにチョッと遠出のドライブでしたが、
さて、日帰りで行けるところでまだ訪れていないところと・・・
選んだのが京都府福知山市です。
ここもやけに神社仏閣が多いところですが、
明智光秀が築いた城下町、やはり「福知山城」でしょうか ^^;

Fukuchiyamac01

駐車場から福知山城公園を通り登城します。

Fukuchiyamac02

法川(旧堀)
見える橋は公園から本丸へと至る昇龍橋。

Fukuchiyamac03

正面?に回り込んで本丸への登城道、
湾曲する壁が綺麗ですが、これは新しいものでしょうね。

Fukuchiyamac04

回り込むと天守南側下からの天守が見えます。

Fukuchiyamac05

そして本丸跡

Fukuchiyamac06

天守は昭和61年(1986)に復元されていますが、
大天守(3層4階)、続櫓、小天守が連結されたもので、
近世初期の望楼型、内部は郷土資料館となっています。

Fukuchiyamac07

本丸跡にるこの建物は移築された銅門(あかがねもん)番所。

Fukuchiyamac08

その横には天守台から本丸にかけての石垣に使われていた、
多くの五輪塔や宝篋印塔などの転用石が展示されています。

Fukuchiyamac09

天守正面へと行きます。

Fukuchiyamac10

「豊磐の井(とよいわのい)」
直径2.5m、50mの深さは城郭内湛水井としては日本一とか。

Fukuchiyamac11

大天守と連結小天守
天正7年(1579)、丹波を平定した明智光秀が築城
その後、少し修築が行われますが、
有馬豊氏時代(1600年初期)に完成したものと推定されます。

さて入場ですが、ここは天守内撮影禁止 ^^;

Fukuchiyamac12

城内から眺めるまずは城門?

Fukuchiyamac13

最上部の天守望楼・・・小さいです ^^

Fukuchiyamac14

眺める景色は抜群ですが、その北側に見える市街地

Fukuchiyamac15

戻って北側の石垣を楽しみながら、

Fukuchiyamac16

城門下
この辺り、野面積み石垣は素晴らしく、
これだけでも往時の城跡が堪能できました。

光秀の福知山治世はわずか3年たらずでしたが、
天正10年(1582)の本能寺の変以来、
城主は杉原氏から朽木氏まで8氏に変わっています。  camera 10日

2017年9月11日 (月)

石塔寺 東近江市

滋賀県東近江市石塔町にある「阿育王山 石塔寺」。
              (あしょかおうざん いしどうじ)と読みますが、
開基は聖徳太子によると伝えられ、
境内山中を何万という数の石塔や石仏が埋め尽くしているという。

近くを通るたびに一度は訪れたいと思いながらこれまでかなわず、
この日、初めて訪れてみました。

Ishidouji01

参道入り口

Ishidouji02

突き当たると、
ひときわ大きな「下馬」の碑が目をひく境内入口です。

Ishidouji03

受付へと進みますが、
この辺りから石塔、石仏が迎えてくれます?

Ishidouji04

ちょっとひるみたくなる階段の下には、
左手に受付があり

Ishidouji05

右手に「阿育王山」の額が掛かる山門

Ishidouji06

くぐると奥に本堂
本尊は「聖観世音菩薩(桜仏)」、
前立は「十一面観世音菩薩」。

Ishidouji07

戻って山頂へと続く158段の石段を上ります。

Ishidouji08

石段を上った先にはおびただしい数の石塔と石仏ですが、
その数8万4000塔とも。

Ishidouji09

その中央に立つのは総高7.5mの三重石塔(阿育王塔)。
奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては
日本最古・最大のもので国指定の重要文化財。

Ishidouji10

三重石塔の横と裏側にもすごい数の石塔、石仏です。

Ishidouji11

三重塔東側の五輪塔2基と、その横にある宝塔も、
国指定の重要文化財で、ともに1300年初期と、中期のもの。

この先の広場

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こちらにもまたすごい石塔、石仏群ですが、
まさに「石塔寺」たるゆえんでしょうか。

その先は八十八所道があり、山頂をひと回りできます。

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なんとも、それらしき道を行きます ^^;

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これは”六拾五ばん”?でしょうか。
道沿いに立ち並ぶ石仏も多く、どれが八十八所仏か分からぬほど。

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ちょうどひと回りして戻った鐘楼前。

詳しい略縁起は省きますが、
伝承によれば、聖徳太子は近江に48か寺を建立し、
石塔寺はその最後の満願寺院で、本願成就寺とも称したという・・・。
これは近江でもちょっと異色のお寺「石塔寺」でした。

2017年9月 7日 (木)

鳥羽市船津 白滝大明神 

鳥羽城跡から鳥羽街道をさらに南へ歩くと鳥羽市船津町。
ここにチョッとした穴場のスポットがあります。
山岳信仰・修行の場という「白滝大明神」ですが ^^;
また、「愛を育む 白滝さん」 として親しまれ、
パワースポットとしても知られているようです。初訪問!

Funatsu

加茂川、近鉄志摩線に挟まれた鳥羽街道、
その先に見えるのが船津の集落。

”白滝さん”は
近鉄志摩線の船津駅から歩いて15分ほど。

Shirataki01

集落から森に入る手前にある「どんぐり小屋」、
休憩所兼禊祓(みそぎはらえ)の受付所でもあります。

ここから森の道を行きます。

Shirataki02

Shirataki03

といっても明るい道ですが ^^;

Shirataki04

神域の入口に建つ案内板と鳥居

Shirataki05

鳥居をくぐるとあるのが「三笠塚」。

いわくは省きますが、世俗を離れ、ここに小さな庵を建て、
幸せに暮らしたという禅僧とむすめの恋物語があるそうです。
碑には ”あゝ涼しここぞ三笠のおき所” と刻まれていて、
恋愛成就を願う女性にはおススメのスポットとか。

Shirataki06

その先にあるのが「行者大岩」。
さらに進むと

Shirataki07

石段の先に見える赤い鳥居、
その手前を川に下りると禊場ですが・・・先に白滝大明神へ。

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鳥居の先

Shirataki09

Shirataki10

大岩の間から流れ落ちる滝(水量が少ないです ^^;)
ここが「白滝大明神(白滝さん)」。
古くから自然崇拝の滝として信仰され、
御山そのものが御神体のため社殿はありません。

ここでは禊祓の体験をすることができます。

Shirataki11

その行場は「白滝さん」の少し下流にあり、
更衣室替わりのテントと、草履が用意されています。
(禊・行白衣や鉢巻の貸し出しはどんぐり小屋へ)

Shirataki12

禊場はその傍にあるこちら。
この日はちょうど入れ違いになりましたが、
小さなお子さんが体験されていたようです ^^;

まぁ、観光スポットとしては近寄りがたいところですが、
いちどは禊祓を体験するのもよろしいかと。

オマケ!です。

Shirataki13

戻った船津駅では、
ちょうど近鉄の観光特急”しまかぜ”が通過。

この日は二度も見ることができましたが、
この少し鳥羽寄りは格好の撮影場所でもあるようです。
チョッとだけ鳥羽のぶらり旅でした ^^;   camera  2日

2017年9月 6日 (水)

鳥羽城跡 鳥羽市

鳥羽駅から少し南に下った妙慶川河口部にある「鳥羽城跡」。
標高40mの小山を中心に築かれていた城ですが、
現在は「城山公園」として整備され、
本丸跡周囲には石垣が残るのみで城の建物は何もありません。
この日はぶらりと鳥羽をめぐり、その城跡を訪ねてみました。

JR鳥羽駅側から南へ歩き、岩崎通りを西(右)に折れ、
妙慶川沿いに出ます。

Tobac01

川に架かる橋は「相橋」。
鳥羽城は周りを堀と海に囲まれた「海城」で、
ここは城への陸の玄関口で「相橋門」があったところ。

Tobac02

渡って「大山祇(おおやまづみ)神社」への鳥居をくぐり、
境内を抜けて行きます。

Tobac03

坂を上ると三の丸広場から来る道と合流する広場に出ますが、
ここが「城山公園」の下段部。

Tobac04

往時の石垣かどうかは?ですが、
らしき石垣に付けられた階段を上ると

Tobac05

「城山公園」の上にある広場に出ます。
この日は土曜日で、ちょうど祭りの準備中でしたが、
広場を抜けてその先にある本丸跡へと行きます。

Tobac06

途中には綺麗な段差の石垣ですが、
この辺りは城跡の一部が削られた部分だけに、
これも往時のものかどうかは?ですが・・・いい眺めです ^^;

Tobac07

下に見えるのが国道と近鉄線路沿いに整備された「三の丸広場」。
縄張図では国道と線路の部分が往時の「二の丸跡」で、
その先に「大手水門」があり、こちらが城の大手口になります。

Tobac08

道は本丸跡へと右に折れますが

Tobac09

この辺りから見られる石垣は往時のもの。

Tobac10

曲がりきると本丸下西側の石垣

Tobac11

天守台下になるのでしょうか?
野面積みの石垣には往時の面影が偲ばれます。

Tobac12

道を上りきると「本丸跡」。

九鬼嘉隆(よしたか)によって文禄3年(1594)に築城され、
その後は九鬼水軍の本拠地となります。

Tobac13

本丸跡からの眺め。
真下に「ミキモト真珠島」(相島)、奥に答志島ですが、
城はその相島まで続いていたとも。
九鬼嘉隆は答志島で切腹し、島には首塚と胴塚があります。

Tobac14

本丸跡を抜けて南側に下ります。

Tobac15

この右手には旧鳥羽小学校の建物が残り、
本丸跡広場はそのグランドでもあったようです。

Tobac16

本丸石垣下西方にあるその説明板と記念碑。

信長・秀吉らのもと、歴史の表舞台で活躍した九鬼嘉隆。
九鬼水軍の城「鳥羽城」に残る石垣を楽しみ、
このあとは「鳥羽街道」へと出て、さらに南へと歩きます。

2017年9月 4日 (月)

大和三山 天香久山

橿原市城殿町で本薬師跡のホテイアオイを楽しんだ後は、
傍を通る大和三山回遊路で「天香久山」でした。
以前に”近鉄てくてくマップ”で歩いた大和三山回遊コースですが、
この日は時間もなく「天香久山」だけ。
万葉集にも詠まれた山は、山麓周辺に仏閣も多く、
見どころも多いところですが、
地味なのか、人気がいまひとつなのが不思議な山です。

Kaguyama01

途中からですが、
明日香へと続く県道沿いから眺める「天香久山」。

Kaguyama02

その明日香方面を見て南浦町の集落へ入ります。
途中にある「天岩戸神社」の案内でちょっと立ち寄り。

Kaguyama03

天香久山の南麗にありますが、
その入口にある鳥居をくぐって進むと・・・

Kaguyama04

拝殿
南浦集落のほぼ中心に南面にて鎮座し、
天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石があります。

戻って集落のなかへ

Kaguyama05

こちらは聖徳太子第13番霊場という「日向寺(にっこうじ)」。
さらに集落の道を進むと

Kaguyama06

民家の傍を抜けて山道へと入ります。
この登山道はどちらかというと大和三山回遊コース用の道かも?

Kaguyama07

道はしっかりしていますが、
この時期はほとんど歩く人がいないようです ^^;

Kaguyama08

途中にある「伊弉冊(いざなみ)神社(下の御前)」、
この先に「伊弉諾(いざなぎ)神社(上の御前)」がありますが、
今回は立ち寄らず山頂へ。

Kaguyama09

すぐに広い三叉路に出ます。
ここが国見台跡から来る道の分岐で、
麓にある奈良文化財研究所から来る道です。

Kaguyama10

すぐに山頂(152m)に出ます。
鎮座するのは「国常立(くにとこたち)神社」で

Kaguyama11

向かって左側に国常立命、
右側には高龗神(たかおかみのかみ)が祀られています。

Kaguyama12

唯一、西側に開けた場所からは、
葛城金剛山系に二上山、そして畝傍山が望めます。

舒明天皇の歌の書かれた案内板がありますが
「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 
国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ 
うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」と。

ひと休みしてそのまま道を下ると「天香山神社」。

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いきなり拝殿ですが ><;
祭神は「櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)」。

Kaguyama14

歌碑や神木などが立ち並ぶ境内を抜けると

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正面鳥居前、本来ならこちらから参拝ですが、
山から下りたため順序が逆になりました ><;

この日は「耳成山」へと向かう三山回遊路には出ず、
このまま「天岩戸神社」へと戻ります。

Kaguyama16

あらためて山麓から眺める「畝傍山」。

山腹にあった三叉路分岐への登山道は、
戻るこの先、すぐにあります。   camera 1日 

2017年8月30日 (水)

於大のふるさと 東浦町

徳川家康の生母”於大の方”のふるさとである東浦町。
「於大公園」の散策中に「緒川城主三代の墓」の案内を見て、
急遽「於大の方」ゆかりのスポットを訪ねました。
とはいってもすべて公園の周辺めぐりですが ^^;

その「城主三大の墓」は公園の東口近くにあります。

Odaik01

公園の北園路(健康の道)にある休憩所、
周辺にある”梅実の丘”や”桜見の丘”を抜けて行くと

 Odaik02

東口手前にその案内の標柱がありました。
案内に従って行きます ^^;

 Odaik03

マレットゴルフ場の傍を抜けて行くと
寂しい雑木林の中にその墓所があります。

Odaik04

中央に緒川初代城主水野貞守、その左に二代賢正(かたまさ)、
そして右には三代清忠の墓です。

於大の方はここ、東浦の緒川城で生まれていて、(異説もあり)
父は緒川城四代城主水野忠政(初代刈谷藩主)、母は於富の方で、
14歳で岡崎城主松平広忠に嫁いでいます。

公園東口からいったん外に出て

  Odaik05

約10分ほど歩いたところにあるその「緒川城址」。

Odaik06

少々木々と雑草に覆われていますが、
ただ「城址」とだけの碑があるだけよりはいいでしょうか ^^;

  Odaik07

その傍にある小城公園には「傳通院於大出生地」碑がありました。

公園に戻って、
こちらは駐車場のすぐ傍にある「乾坤院(けんこういん)」。

  Odaik08

いったん境内を正面に出て、あらためて参道を行きます。

Odaik09

「乾坤院」、1475年水野貞守が一族の菩提寺として創建。
境内には水野忠政の墓をはじめ、水野氏四代 の墓所や、
歴代の位牌を祀った堅雄堂がありました・・・

Odaik10

放生池を渡ると

 Odaik11

手水舎と地蔵堂

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そして、総門と

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鐘楼門ですが・・・
その奥にあるはずの諸堂は平成28年3月の火災により、
乾坤院本堂(開山堂)、座禅堂(ざぜんどう)、堅雄堂が全焼し、
現在再建工事中でしょうか?
残念ながらこの先にそれらの諸堂はありません。

表に戻ると

Odaik14

道を挟んだ先にあるのは「於大のみち」

Odaik15

明徳寺川沿いに整備された歴史散策路ですが、
毎年、桜の季節には「於大まつり」行列が行われています。

もう一か所、於大の方が生前菩提所として
自身の所持品を納めたという「善導寺」がありますが、
今回は立ち寄りませんでした。   camera 27日

2017年8月21日 (月)

芭蕉を歩く  須磨

ブログ開設12周年を前に出かけた芭蕉ゆかりの地”明石・須磨”。
なぜか節目の周年になるとここが真っ先に思い出すところで、
今回は5周年以来3度目の再訪でした。
明石はまた違った角度で載せてみましたが、
須磨は2度めの再訪で詳しく載せていて、新鮮味もありませんが、
それなりに写真を変えての紹介になります ^^;

明石から山陽電車で「須磨浦公園駅」に戻ります。

Suma01

駅から鉢伏山ハイキングコースの道をしばらく行くと

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目の前が開けた場所に
蕪村の「春の海終日のたりのたりかな」の句碑があります。

その少し先、みちが大きくカーブする奥に

Suma03

”蝸牛(かたつむり)角ふりわけよ須磨明石”(笈の小文)の
芭蕉の句碑が隠れるようにあります。

さらに、少し上った斜面には

Suma04

正岡子規と高浜虚子の師弟句碑
”ことづてよ 須磨の浦わに 晝寝すと 子規”
月を思い 人を思ひて 須磨にあり  虚子”や、
他にもたくさんの碑があり、
何やら文学の散歩道かと思うほどです ^^;

この日もここまででしたが戻る道、
芭蕉句碑のあるすぐ前ですが・・・

Suma05

目の前に広がる瀬戸内海を見下ろす展望所で、
素晴らしい景色を眺めながらひとときの休憩でした。

戻って、国道2号線沿いにある「敦盛塚」へ。

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一の谷の合戦で源氏の武将熊谷直実に討たれ、
16歳で命を落とした平敦盛を供養するために
建てられたという(異説もあり)大きな五輪塔です。

ここから須磨浦公園を通り抜けて「須磨寺へと行きます。

Suma07

Suma08

公園の途中にある一の谷古戦場「源平史蹟 戦の浜」の石柱、
この辺りが源平の戦いの舞台となったところ。
芭蕉「笈の小文」でも、最大の目的地であったところだけに、
特に詳しく書かれた文にその思いが感じられます。

あとは須磨寺まで約2kmほどですが・・・
この日はまた、ムチャ暑い日になりました ><;
途中、「山陽須磨駅」の先で北に折れ、
山陽電車の線路をくぐるとすぐにある「現光寺」。

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源氏物語の主人公光源氏が住んだと伝えられ、
「源光寺」、「源氏寺」ともよばれていた・・・と。

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芭蕉も旅の途中、ここの庵に泊まっています。

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境内にある芭蕉の三段切名句
「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋」の句碑。

そして「須磨寺」

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龍華橋を渡って「仁王門」をくぐり、
左右の塔頭を見ながら行くとある「源平の庭」

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一の谷の合戦で、
熊谷直実が平敦盛を呼び返す場面が再現されていますが、
三度目とはいえ、やはり記憶に残るところです。

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あとは唐門から本堂

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弁慶の鐘

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「義経腰掛の松」と「敦盛首洗池」

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三重塔

そしてその奥にある「敦盛首塚」です。

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説明板には「首と胴を別々埋葬し胴塚は一の谷にあり」とありますが、
胴塚は須磨浦公園にあった「敦盛塚」がそれ。

さて、長々と書いてきましたが、
この日の目的はやはり芭蕉句碑 ^^;

Suma20

参拝客も少なく静かな本坊前、
その左手(写真奥)の木立のなか

Suma21

「須磨寺や 吹かぬ笛きく 木下やみ」(笈の小文)。

須磨寺の木陰のなかで往時を思い出していると、
笛の名手、平敦盛が吹く笛の音が聞こえるようだ・・・
と、いうことでしょうか。
「笈の小文」の終章は平家終焉の入水の様子で結ばれています。

芭蕉ゆかりの地須磨・明石3度目の訪問でした。 camera 19日

2017年8月20日 (日)

芭蕉を歩く  明石

芭蕉紀行文集の地を追っかけて始めたブログでしたが、
今年でいつの間にか12年となり、周年記念ではありませんが、
これを機にあらためて思い出の地でも歩こうかと思い・・・
まずはと、出かけたのは明石、須磨。
7年前のブログ開設5周年以来、3度目の再訪でした。

Akashib01

明石駅から15分ほどの柿本神社へと行き、
東参道の鳥居をくぐります。

Akashib02

長~い石段の参道を登ると、
左に明石市立天文科学館の日本標準時大時計塔が高く聳え、
山門前に「蛸壺やはかなき夢を夏の月」の芭蕉句碑があります。

Akashib03

芭蕉「蛸壺塚」と句碑
”蛸壺やはかなき夢を夏の月”

Akashib04

すぐ前にある天文科学館のドーム越しには淡路島と
明石海峡大橋が見える高台の絶景の場所である。
と、まあ芭蕉関係はこれだけですが・・・あとは周辺を散策。

Akashib05

すぐ側には愛称「トンボの標識」といわれている、
東経135度の子午線の位置を示している「日本子午線標準時柱」です。

そして、句碑の後ろにある「柿本神社」

Akashib06

詳しい説明は省きますが、祭神はあの歌人柿本人麻呂。
明石城築城に際して人丸塚とともにこの地に移されたということですが、
芭蕉がここを訪れたのはその人丸塚という。

Akashib07

まぁ、あとは神社仏閣の紹介になりますが、
神社本殿よ子にあるのは”盲杖桜(もうじょうざくら)”。

Akashib08

こちらは”八房の梅”
これは隣にある「月照寺」のウメと絡むためのちほど ^^;

Akashib09

そして御神木の”筆柿”と、木が多いですが

Akashib10 Akashib11

こちらは”石造狛犬”で右が”阿形”で左が”吽形”の一対、
宝暦4年(1754)の銘があるという明石市内では最古のもの。

Akashib12

その隣にある「月照寺」
こちらも明石城の築城により、人丸社とともにこの地に移され、
文人墨客の来訪絶えることがなかったという由緒あるお寺ですが、
明治の神仏分離により人丸社が柿本神社となる。

Akashib13

本堂前にある”八房の梅”は
穂四十七士の一人、間瀬久太夫が大石内蔵助良雄と共に、
素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したものという。

そして山門

Akashib14

伏見城の薬医門 明石城の切手(きって)門として二役を果し、
明治初年ここに移されたものとか。

門横から西参道を下ると

Akashib15

鳥居下にあるのが名水「亀の水」。
元和7年(1621)から湧き出る清水で枯れることもなく、
万病にきくといわれているそうです。

芭蕉が旅した最西端の地としての明石は、
その紀行文集「笈の小文」でも”蛸壺や・・・”の句だけと寂しいですが、
やはり須磨での思いが芭蕉には強かったようです。 camera 19日