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2023年9月20日 (水)

備中高松城址

天正10年(1582)織田信長配下の羽柴秀吉による
”高松城水攻め”で知られる「備中高松城」。
今は城址公園として整備されていて往時の面影はりませんが、
一度は訪れたいと思っていたところ ^^;
以前に「備中松山城」を訪れて以来の岡山は備中城址です ^^

備中高松駅から城址公園には徒歩ですぐですが、
まずは水攻めのときに造られた築堤の東端がある”蛙ヶ鼻”へ。

Bithyutakamatuc01
あいにくの雨に中、駅から東に歩いて日本三大稲荷という
「最上稲荷(さいじょういなり)」の大きな鳥居をくぐります ^^

ここから農業用水の傍を東へ1kmほど歩くとある公園

Bithyutakamatuc02
ここが築堤された堤防の東端で唯一残る場所とか
備中高松城址公園は見える鳥居のはるか先、住宅のあるあたりが
かってあった城辺りになり、水攻めの広さが思い浮かびます。

その城址へと向かいます ^^

Bithyutakamatuc03
その備中高松城址公園

Bithyutakamatuc04
入口にあるモニュメントは
中央に城と、その周りを取り囲む秀吉軍の布陣を表しているようです。

Bithyutakamatuc05
まずは二の丸跡から反時計回りで
途中、左手に広大な蓮池、右手の城址資料館を見て

Bithyutakamatuc06
本丸跡への橋を渡ります。

Bithyutakamatuc07
本丸跡はやや高くなった平地のみ

Bithyutakamatuc08
左手にある”清水宗治の首塚”
秀吉が宗治切腹後に家臣につくらせたという供養塔で、
秀吉の本陣があった石井山から移されたものよいう。

Bithyutakamatuc09
本丸から南へと回って行きますが、
沼に囲まれていたという備中高松城はその要害を攻めあぐねた秀吉により、
逆に沼を利用した築堤により水攻めにされることになります ><;

Bithyutakamatuc10
城址の南端

Bithyutakamatuc11
ハス池に咲き残っていた”宗治蓮”
沼の復元により自然に開花したという・・・

”備中高松城水攻め”は本能寺の変による信長の死により急変、
和睦を急ぐ秀吉との間で城内五千の命と引き替えに・・・と、
城主宗治は城を出た小舟の上で切腹します。

Bithyutakamatuc12
第一駐車場から東へ少し行くとある「妙玄寺」。
境内には「清水宗治自刃の地」供養塔があります。

駅へと戻る途中にある「舟橋」

Bithyutakamatuc13
沼地に造られた備中高松城は、周辺と城をつなぐ道には
川舟を並べ、その上に橋を変えた舟橋が多くあったという。

和睦を成立させた秀吉は、この後あの”中国大返し”を行い、
山崎の合戦で明智光秀を討ち天下統一へと突き進みます。
その大きな転機となった「備中高松城址」を訪ねました。  📷18日

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