”難攻不落”の山城 「国吉城」
福井県美浜町佐柿にある「国吉城址(続日本100名城)」。
若狭国守護武田氏の重臣・栗谷勝久が、若越国境の”境目の城”として、
弘治2年(1556)に古城跡を改修して築城したといわれる山城です。
この日は久しぶりの山城散策 ^^でした。
まずは城山の麓にある「若狭国吉城歴史資料館」に立ち寄り資料を入手 ^^
建物は江戸後期の旧田辺半大夫家を移築・再建されたもの。
その左手に広がる「城主居住館」の最下段にある石垣から
本丸への登城口へ。
左手奥に広がる屋敷跡(この日はドクダミの群生でしたが ^^;)を見ながら
途中にある獣害除けの柵を開けて山腹を登る登城道に入ります。
本丸までの道のりは入口から約600m。
擬木で舗装されたつづらに折れる道を急登していきますが、
ちょうど中間あたりにある「伝二ノ丸跡」(左手への案内)。
進むと広場への途中に高い土塁と食違虎口があり、
これは西や南からの攻撃に備えたもので、その先が広場になっています ^^
戻ってさらに道を登ると”本丸下帯曲輪跡”です。
この辺りから多く見られるのが石垣跡と使われていた多くの石類
さらに上には西(左)に延びる連郭曲輪群と東の本丸の間に堀切があり、
石垣に使われたともいわれる石仏の一部も見られます。
まずは東(右手)にある本丸跡へ ^^;
木の根を踏んで急坂を登りきると本丸西虎口。
天正11年(1583年)に城主となった秀吉の家臣木村常陸介定光が、
石垣造りの城に改修したともいわれている石垣群・・・。
本丸に建つ”国吉城址”碑
奥の南端部には櫓台とみられる土壇があります。
南側の真下には旧丹後街道が通る佐柿の集落ですが、
ちょうど集落を屈曲する街道の様子もよく分かります ^^
戻って西に連なる連郭曲輪群へ
こちらには高低差のある五つの曲輪が西へと続いていますが・・・
今回は三つ目まで ><;
永禄6年(1563)から10年にわたり、越前朝倉氏と激しい攻防を繰り広げるも
難攻不落を誇ったという国吉城。(続日本100名城)
信長、秀吉、家康が出陣した越前攻めの戦略を練ったのもこの城であったと。
曲輪跡からの若狭湾が綺麗でした ^^
連郭曲輪群の第二郭から見下ろす第三郭部
ロープを伝って下りるとくるぶしほどの草むらに覆われていて、
その先へは行かず引き返しました ^^;
オマケ!
戻った佐柿の集落と旧丹後街道
秀吉の家臣で佐柿国吉城主に命じられた木村定光により
小集落だった佐柿は城下町としての礎が築かれます。
その後、関が原の戦い後に若狭国主に命じられた京極高次が関所を設け
町を再整備。江戸時代初期に廃城となりますが、
佐柿の城下は丹後街道の宿場として繁栄したという・・・。 📷 12日
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