伊賀上野・蓑虫庵
伊賀上野城で少しだけ夫婦雛を楽しんだあとは伊賀市上野の散策です。
ここは”ひなまつり”などで何度も訪れているところですが、
やはり伊賀上野といえば松尾芭蕉の生誕地だけに、やはり芭蕉ゆかりの地へ ^^
上野公園の西側(堀の道)から城下町に入って赤門通りを南下して行くと、
すぐに「伊賀上野城西大手門跡」に出ます。
案内の石標が建つ角から右に折れ、西之立町通りを南下しますが
伊賀上野は忍者の里 、町筋には忍者?との撮影ポイントも ^^
東西に延びる旧大和街道の本町通りから、二之町通りを見て、
いったん三之町通りを西へ入りますが、次の中之立町通りをふたたび南下。
この辺りは気のむくままに ^^;途中で通る「忍町(しのびちょう)」。
この町筋は忍びの衆と呼ばれた伊賀者が住んでいたところでもあり、
その屋敷が残っていて、建物は「赤井家住宅」。
走るバスは上野コミュニティバス ”にんまる”。なんでも忍者です ><;
この先でちょっとレトロな町筋を西に折れましたが
この筋は”コトコトこみち”と呼ばれているようで、
こちらはちょっと昭和レトロを思い出す浴場の「一之湯」さん。
ここから角を曲がってふたたび南下していくと
芭蕉ゆかりの地、最初の目的地「蓑虫庵」に到着 ^^
こちらが正門ですが、受付は左手に。
芭蕉の門人、伊賀衆の高弟服部土芳の草庵で、ここを訪れた芭蕉が贈った
”みのむしのねを聞にこよくさの庵”の句にちなんで名付けられています。
中門を入るとその先には「古池塚」があり
”古池や 蛙飛び込む 水乃音 はせを”の句碑が建つています。
句は貞享3年(1686)江戸深川芭蕉庵での吟
左手に建つのが「蓑虫庵」
庭先を回り込んで行くと、東門がありその手前左に「若菜塚」、
右に「蓑虫塚」が建っていますが、碑には土芳と黄子(印)の句が。
さらに右には芭蕉が帰郷した時に、脱ぎ捨てたわらじを土芳がもらい受け、
塚としたという「わらじ塚」がありますが、省略 ^^;
東門沿いを奥に行くと「服部土芳供養墓」
さらに北側を奥に行くと「芭蕉堂」と、その右手前には「なづな塚」です。
なづな塚は ”よくみれは なつな花さく 垣ねかな” の芭蕉句碑、
「芭蕉堂」は大津市の義仲寺にある芭蕉堂にならって
昭和5年(1930)に建立されたもので、芭蕉像が安置されています。
何年振りか?懐かしい「蓑虫庵」でした。
伊賀上野ではもうひとつ外せないのが「芭蕉翁生家」と、
その近くにある「愛染院故郷塚」ですが・・・続きます。 📷 1月29日
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