琵琶湖周航の歌碑めぐり
大正6年(1917)に生まれた「琵琶湖周航の歌」。
琵琶湖周辺には曲にまつわる各地に歌碑が建てられていて、
一部は立ち寄ったところもありますが、すべてを見たことがありません。
2017年に歌が作られてから100周年を迎えていたとのことで、
遅まきながらですが、今回はその歌碑をめぐる琵琶湖周遊ドライブです。
曲の生い立ちや、いわれについては良く知られていて解説は無しですが、
その歌碑がある琵琶湖周航のゆかりの地。
参考にしたのはびわこビジターズビューローさん作成の
「琵琶湖周航の歌100周年記念歌碑・・・”すご6MAP”」でした。
旧制第三高校(現在の京都大学)ボート部が琵琶湖周航行(3泊4日)に出たのは
大正6年(1917)の6月末、大津市観音崎の三保ヶ崎から。
その歌碑は観音寺交差点のすぐ近く
琵琶湖第一疎水取水路右岸にある旧制第三高校のマークの入った漕艇庫
橋を渡った右側
草叢に覆われた ><;小公園の奥にその碑があります。
碑面には1番の歌詞から最初の一節が刻まれていますが
♪ われは湖の子さすらいの 旅にしあればしみじみと
昇る狭霧やさざなみの 志賀の都よいざさらば~~
昇る狭霧・・・ではなく快晴ですが ^^;ここから琵琶湖を時計回りです。
今回の周遊ドライブは2日間で順不同でしたが周航の順に載せていきます。
琵琶湖を北上していくと次が雄松崎(近江舞子・小松)
名勝「月見浜」、この日は8月最終日の週末で大混雑でした ><;
先に見えるのが「雄松崎」
2番の歌碑はホテルの前にありました。
♪ 松は緑に砂白き 雄松が里の乙女子は 赤い椿の森陰に
はかない恋に泣くとかや~~
赤い椿・・・ではありませんが、すでに実が生っている椿の木 ^^;
ここが周航1日目の宿泊地。
作詞した小口太郎が琵琶湖周航2日目の今津の宿でクルー仲間に披露し、
学生の間ではやっていた「ひつじぐさ」の曲に合わせて歌ったのがその始まり。
その2日目の宿泊地今津、歌碑は今津港の桟橋傍にあります。
3番歌詞は
♪ 波のまにまに漂えば 赤い泊火(とまりび)懐かしみ
行方定めぬ波枕 今日は今津か長浜か ~~
赤い泊火は、桟橋のいちばん先に建っていた小さな桟橋灯とも。
ここにはすぐ傍に「びわ湖周航の歌資料館」がありましたが、
現在は少し離れた今津東コミュニティセンター に移転しています。
ここからは直接次の4番歌碑がある竹生島ですが・・・
この日は車のためそのまま長浜へと走ります。
琵琶湖をさらに北上して行きますが、海上鳥居のある「白髭神社」。
彼らもボートを漕ぎながらこの鳥居を見たのでしょうか?
※(鳥居は大正時代には無かったようです m(__)m )
さらに琵琶湖の北東部を回って
着いた長浜は「豊公園」の湖畔。
ここのあったという3番の歌碑が・・・ありません ><;
本来は「竹生島」にある4番の歌碑
♪ 瑠璃の花園珊瑚の宮 古い伝えの竹生島 仏の御手に抱かれて
眠れ乙女子やすらけく~~ なんですが、
竹生島航路は現在コロナ対策で事前予約は必要、週末は空席乗船が難しく、
今回はここにあった番外の歌碑で済ませようとしたんですが、残念!
そのまま湖岸道路を彦根へと走ります。
こちらは彦根港の突端に建つ5番の歌碑
♪ 矢の根は深く埋(うず)もれて 夏草しげき堀のあと
古城にひとり佇めば 比良も伊吹も 夢のごと~~
”比良も伊吹も・・・” 伊吹は右手に少しだけ見えましたが、
目の前には比良の北部と多景島 ^^
歌詞にある古城が彦根城かどうかは分かりませんが・・・
港から少し離れてみる「彦根城」。
残るはひとつここからは琵琶湖東側を南下します。
近江八幡市長命寺町にある長命寺港への道筋に建つ歌碑。
碑面には歌詞の後半部”黄金の波に いざこがん”が刻まれていますが、
ここにはもうひとつ、長命寺本堂前に奉納された歌碑があります。
本堂に至る参詣道は808段の長い階段を登りますが、(車道あり)
この日もムチャ暑く ><;汗が滴るなか 着いた本堂前
その6番の歌碑があります。
♪ 西国十番 長命寺 汚れの現世(うつしよ) 遠く去りて
黄金の波に いざこがん 語れ我が友 熱き心 ~~
ここは西国三十一番札所ですが、歌詞は”西国十番長命寺・・・”、
作詞した小口はメロディに合わせて歌いやすいように十番にしたとも。
今回はリサーチ不足もあって「竹生島」には行けませんでしたが 、
その歌碑はまたにするとして、琵琶湖周航の歌碑をめぐった
2日間の琵琶湖周遊ドライブでした ^^; 📷 27・29日
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