続・山陰道 丹波口から亀岡
旧山陰道歩き前半は京都の丹波口から亀岡との国境老ノ坂峠まででしたが、
続きは老ノ坂峠を下ったところにある旧山陰街道入口からです。
旧道からふたたび国道に出て峠を下って行くと、
左に大きくカーブしたすぐ右に「旧山陰街道入口」の案内があります。
ここは信号がなく、車も多い国道だけに注意して渡り旧道へ。
こちらは田園地帯と山裾を行く細い道が続き旧道の雰囲気十分で、
古道の歩きが楽しめます ^^;
しばらく田んぼの中を行きますが、すぐに山裾の道になると、
”中の谷林道入口・からと越え(本能寺の道)”の案内があります。
本能寺で信長を討つために明智光秀は老ノ坂を越えましたが、
”からと越え”は大軍であった光秀軍の別隊が越えたともいわれる道のようです。
その少し先にある「占い石」
山陰街道を行き交う旅人たちは、
この石に座った占い師に旅の吉凶を問うたという。
山裾を行く道は”三軒屋跡”からふたたび田畑の広がる道になり、
”船着場跡”を見ると県道402号線(王子並河線)に出ます。
ここからは篠の町並みを行く県道歩きですが、
この道筋にもたくさんの愛宕山常夜灯があり、これが道案内にも ^^
あとはひたすら亀岡市街地にある「亀山城跡」に向けて歩くのみ。
亀岡市街地の旧道にある愛宕山常夜灯を見ながら、
年谷川を渡るとその北側に続く堤防は千本松(野橋立)跡だそうで
かっては見事な松並木があったという。
一説には亀山城の防御線として明智光秀が植えたといわれるとも。
そして、道は亀山城下町へと入ります。
亀山城の外堀跡に整備されたという「古世親水公園」。
その先には「桜の馬場跡」、「古世門跡」に
「本陣跡」と、今では駒札だけがその場所を示しています。
城跡の南西にある桝形を回ると
「形原神社」がありますが、ここが「丹波亀山城の大手門跡」で、
神社は寛永元年(1748)、丹波篠山から亀山藩へ入府した
形原信岑(のぶみね)を主祭神とし、歴代藩侯を祀るという。
山陰道は城跡の西側を行き、この先は次の宿町園部と続きますが、
歩き旅はここまで ^^;
ここからは亀山城の西門から東門へと城跡を抜けて行きました。
亀山城跡西門
旧天守への道ですが・・・関係者以外立ち入り禁止で通過 ^^
城跡の石垣が残る万祥橋周辺、この右手が天守跡になるようです。
天正10年6月1日、「敵は本能寺にあり」と光秀が軍勢を発した亀山城ですが、
現在は宗教法人「大本」が神苑として整備した「天恩郷」となっています。
城跡の中を通り抜けた東門から北側に回ったところにある”南郷池”、
ここも内堀だったところでしょうか?
天正5 年(1577)ごろ、丹波攻略のため亀山城を築城した明智光秀ですが、
5年後の天正10年に「本能寺の変」が起こります。
その後、城は羽柴英俊(小早川秀秋)によって修築されます。
JR亀岡駅到着
多くの幟が立てられていますが・・・来年の大河ドラマは
明智光秀が主人公の「麒麟がくる」ですね ^^
今回は山城国と丹波国の2回に分けて載せましたが、
それぞれに見どころの多い街道歩きでした。 📷 15日
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