松尾山・小早川秀秋陣跡
慶長5年(1600)、石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が、
美濃の関ケ原で繰り広げた天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」。
東西約16万ともいわれる軍勢が激突したその岐阜県関ケ原町には、
今も決戦地跡や多くの武将たちの陣跡が残ります。
これまで何度かその陣跡をめぐりましたが、まだ訪れていないところも多く、
特にここはいつか訪れたいと思っていたところ・・・
それが戦いのキーマンとなった武将小早川秀秋が布陣した松尾山でした。
この日は快晴の秋空!・・・とはいかず猛暑日でしたが ^^;
松尾山への登山口
ここから綺麗に整備された九十九に折れる道を行きますが、
案内では山頂まで約40分ほどと。
途中に残る石垣
ここはもともと南北朝時代から松尾山城があったところですが、
これはその名残りでしょうか?
途中にも土塁や曲輪跡を見ることができます。
10分ほど登ったところで道が分かれ、
整備された砂利道から山頂への山道へと入ります。
すぐにある「山之神神社」への案内、
道を分けると小さな祠が建てれられていますが・・・直進します。
いくつかのアップダウンは歩き難い木の階段
下ればまた上ることになりますが・・・
こうした道は傾斜が少ないものの長い距離を歩くことになります ><;
ところには木の根道もあり、
この辺りは低山とはいえ山の雰囲気が楽しめます。
山之神神社を見てから5つ目の階段でようやく山頂直下に来ました。
山頂陣跡への最後の階段を登ります ^^;
登りきると幟が立つ松尾山山頂
標高293m、登り口から高低差190mの小早川秀秋陣跡到着。
歩行時間は30分ほどと、ちょっと急ぎすぎました ^^;
水たまりがありますが、これはただの雨水がたまったものでしょう。
この三等三角点はちょっと予想外
眼下に広がる関ケ原から垂井方面。
関ケ原合戦陣形図がありますが、こうして眺めると東西両陣営の布陣が
一目瞭然であったことがよく分かります。
陣跡に翻る”違い鎌”は小早川の旗印。
優柔不断の裏切り者と言われた小早川秀秋ですが、
当時まだ19歳という若さで1万5千の兵を従え、東軍・西軍のどちらにつくか?
ここで戦況を見ながらまだ迷っていたんでしょうか。
左端奥に西軍石田三成陣跡、木の陰になりますが左端真下が大谷吉嗣の陣。
そして右手端、こちらも木の陰で見えませんが徳川家康陣地になります。
家康から大砲を打たれて寝返りを決心したといわれる秀秋ですが、
おそらく当時の大砲はここまで届いたのか? 諸説あり。
戦国最大の合戦”関ケ原の戦い”をわずか6時間ほどで決着させたのは、
やはりここ松尾山にいた小早川秀秋だったのは事実。
松尾山、往時をしのぶには十分なところでした。 📷 24日
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