日本武尊尾津前遺跡
三重県中部から北勢部には日本武尊ゆかりの地が多くありますが、
以前に桑名市多度町戸津と小山にある「尾津神社」を訪ねたことがあります。
そのときは多度の地が日本書紀にでてくる尾津浜の地だとは知ったんですが、
日本武尊(ヤマトタケル)とのゆかりは何も分かりませんでした。
まさか、こんなところに遺跡があったとはつゆ知らず・・・
雨の中を急遽の訪問でした。
その日本武尊ゆかりの地はこちら、多度町御衣野(みぞの)にある
こちらもまた「尾津神社」です。
戸津の尾津神社とは規模が違いますが、
こちらは何やらそれらしき雰囲気がある社叢です。
参道への両脇に建つ石柱
そして説明板
原文は難しくいちいち書き写すのも面倒で・・・手抜き ^^;
鳥居をくぐって真っ暗ななか、石段の参道を上ります。
神話の中で、日本武尊が東国への出征の途中、
太刀を置き忘れた尾津前(日本書紀では尾津浜)の地が
ここ草薙神社?(尾津神社)と伝えられているそうです。
東国平定のあと、伊吹山で手傷を負った日本武尊が大和へと帰る途中、
当芸野(たぎの・養老町)から杖衝坂(つえつきざか・四日市)、
そしてここ尾津崎の一本松(多度町)へとたどり着き、
忘れた太刀がまだ残されているのを見つけます。(順番は間違いですね ^^;)
小さな祠の前には説明板があり
”日本武尊御太刀掛松ト伝説セル松樹ノ枯損セルヲ覆蓋ヲ設ケ
古来ヨリ大切ニ保存シアルモノナリ”とあります。
拝殿
そこで先述の歌、「尾張に 直に向へる一つ松 あはれ一つ松 人にありせば
衣著せましを 太刀佩けましを」(日本書紀)と詠んだとされています。
本殿
そのあと、
日本武尊は 能褒野(亀山市・鈴鹿市とも)までたどり着くものの、
その地で息を引き取ります。
” やまとは 国のまほろば たたなづく 青垣
山ごもれる やまとしうるわし ” は最後に詠んだ歌のひとつ。
日本武尊の墓陵は能褒野に造られますが、
その魂は白鳥となって大和に向かって飛び立ったという・・・。
多度町に残る日本武尊ゆかりの地御衣野の尾津前遺跡。
それがいつも走り過ぎる道の傍にあったとは、これぞ灯台下暗し ><;
戻るなか、どしゃ降りの雨になりました。 22日
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