拳母街道
春先に痛めた坐骨神経痛?も少しづつ回復している感じで、
今回は思いきって街道歩きに出かけてみました。
とはいえ、長い距離は無理とどこを歩くか悩みましたが、
途中で何かあった時にはエスケープができる・・・
そんな街道をと選んだのが「拳母(ころも)街道」です。
以前に歩いた「飯田街道」赤池の追分から、
豊田市(旧拳母市)市街地まで、約16kmほどの歩きですが、
旧街道として見るべきものは何もなく、ただ歩くだけ ^^;
愛知県日進市の赤池交差点
ここが「飯田街道」と「拳母街道」とが分岐する追分。
ここから国道153号線に出て側道を東へと歩きます。
何の面白みもない国道の側道を歩くこと約50分ほどで、
東郷町和合牛廻間(うしばさま)の交差点、ここを右折。
すぐに「念仏塚」なるものがありますが・・・これが何か?
説明板もなく分かりませんが、これが唯一の街道筋らしきものでした。
あとはひたすら県道36号、520号線を歩いて行くだけ。
東郷町諸輪で県道54号バイパス、境川を越えるとみよし市ですが、
その手前で豊田まで8km、ここでちょうど半分です。
東名高速を越えるとすぐに豊田市。
宮口町に入ると「宮口神社」がありますが、
ここは鳥居前だけで失礼しました。
その先で逢妻女川を渡りますが、
ここは秋のヒガンバナで知られるところ 、もう豊田市街地はすぐです。
小坂本町、から西町、桜町と市街地を小刻みに右左折し
桜町本通商店街を東進していくと
「拳母神社」西口、ここで右折して次の信号を左折。
道は拳母神社の前を通りすぎて行きます。
この辺りは少しだけ旧道の雰囲気があるところでしょうか?
すぐに矢作川の堤防に突き当って、この日はここまででした。
右に行けば国道301号線で松平、作手から新城への拳母街道、
左に行けば途中から足助への飯田街道に合流します。
ということで何とか歩いてきましたが、
見どころはないとはいえ、最後はやはり「拳母神社」 ^^
神社を参拝しながら豊田市駅まで戻ります。
境内には名木、古木が多いですが、
こちらは樹齢650年ともいわれる”くすのき”。
秋の例祭”拳母祭り”で知られる拳母神社ですが、
江戸時代には「子守大明神」と呼ばれ、子供の成長を願う神様とも。
拝殿前の狛犬はちょっと珍しい”子守(子だき)狛犬”です ^^
本殿
創建については諸説ありますが一般的には文治5年(1189年)と。
明治4年(1871)に「拳母神社」と改称されます。
オマケ!
私事で恐縮ですがここにも芭蕉句碑がありました ^^;
句は“ 木のもとに 汁も鱠も 櫻かな” 元禄3年(1690)吟
寛政11年(1799)建立
豊田市を通る旧街道では飯田街道が知られていますが、
今回歩いた拳母街道は豊田市の中心部(拳母)へと向かう道。
他とはちょっと違った旧街道?でした。 6月30日
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好好爺さん
うわあ、お写真は、私の知っているものばかり。天下の「好好爺」さんが、こうして取材してくださったとは、嬉しい事です。拳母神社の祭礼では、紙ふぶきが舞います。私が結婚式を挙げた神社でもあります。今では、企業城下町として、豊かな豊田市となりましたが、都市としては、やはり、見劣りがしますよね。猿投山や矢作川があり、緑豊かな田舎街です。しかし、消費は盛んなようで、百貨店があり、大きなスーパーも10店近くあります。病院も各種医院も数多くあって、暮らすには良い所ですよ。
投稿: shuttle | 2018年7月 3日 (火) 17時30分
shuttle さん
久しぶりの豊田市街地でしたが、今回は街道歩きでした。
今は企業の名が付き、また合併で広大な市になりましたが、
その中心部はかって拳母藩の城下町ですね。
途中にあった拳母城跡公園(七州城)も立ち寄りたかったんですが、
今回はやはり歴史のある拳母神社は外せないところでした。
なんといっても人気の神社です。
秋の「拳母祭り」も一度は見てみたいですね。
投稿: 好好爺 | 2018年7月 3日 (火) 21時01分