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2018年6月29日 (金)

北国街道 柳ケ瀬

余呉町池原の「全長寺」でアジサイを楽しんだあとは、
少し北に足を延ばして柳ケ瀬の集落へ寄り道でした。
長浜市の北端に位置する余呉町柳ケ瀬は北国街道の間の宿で、
若狭街道(刀根越)と分岐する街道の要所でもあり、
江戸時代には彦根藩の関所が置かた街道の要所でした。
私事ですが、ちょうど13年前の春、芭蕉「奥の細道」歩き旅で、
敦賀から大垣へと向かう途中に歩いたところでもあります。

ということで、懐かしい柳ケ瀬散策はやはりここから^^;

Yanagase01

「倉坂峠・刀根越(久々坂峠)」道の柳ケ瀬口です。
登って行けば柴田勝家の本陣が置かれた「玄蕃尾城」跡があり、
その先は敦賀の刀根集落になります。

Yanagase02

この日はここから柳ヶ瀬集落へと戻りますが、
流れる川は荒谷川。

Yanagase03

川沿いを行くと小さな祠があり、
ここが柳ケ瀬の北の出入口で若狭街道と北国街道の分岐点。

Yanagase04

少し先で振り返っていますが、左が戻って来た若狭街道。
右に行くと国道365号線で北国街道(栃の木峠)です。

Yanagase05

分岐の案内板の下にある道標には、
「右えちぜん かがのと道 左つるが 三国ふ祢のりば」とあります。

Yanagase06

南へと続く柳ケ瀬の旧北国街道。

Yanagase07

小さな「柳ケ瀬関所跡」の石標。
江戸初期、特に婦女子が北国に入ることを厳しく監視したという。

Yanagase08

往時は旅人が行きかった宿も、今はただ静かな集落です。

Yanagase09

少し南に下ったところには立派な「関守の門」があり、
「明治天皇駐輦之蹟」と「明治天皇柳ケ瀬行在所」の碑が建ちます。

Yanagase10

先の「倉坂峠・刀根越(久々坂峠)」は、
明治11年に明治天皇が北陸巡幸のときに通られた道でもあり、
行在所は峠を越えた刀根の集落とここに置かれました。

Yanagase11

この先、すぐに国道365号線に合流します。
明治17年(1884)、倉坂峠から約1.3kmの北方に、
長さ1.3kmの柳ヶ瀬トンネルが開通。
鉄道が通るようになったことから刀根越道は廃道となります。

Yanagase12

こちらにも小さな祠が建ちます。

Yanagase13

左が旧北国街道、右が国道365号線。

山間の静かな集落に、この日訪れる人はいませんでしたが、
我がひとり、懐かしい北国街道柳ケ瀬の散策でした。
   26日

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コメント

好好爺さん

その昔、往来の多かった旧街道も、今はすっかり寂れてしまいました。しかし、こうしてお写真で拝見すると、一種の懐かしさを感じます。私も若かった時期、こうした旧街道を行き来したことがあります。木曽路、中山道、北国街道などのほんの一部でしたが・・。今でも郷愁を感じます。

shuttle さん
旧街道もやはり時代とともに寂れていきますね。
北国街道も木之本辺りはまだその面影を残していますが、
歩かれることの少ない旧道は生活道路や、新しい道として残るだけです。
旧い宿場町も観光地として人気のところもありますが、
こうした山間の地はどうしても忘れられてしまいますね。

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