北国街道 柳ケ瀬
余呉町池原の「全長寺」でアジサイを楽しんだあとは、
少し北に足を延ばして柳ケ瀬の集落へ寄り道でした。
長浜市の北端に位置する余呉町柳ケ瀬は北国街道の間の宿で、
若狭街道(刀根越)と分岐する街道の要所でもあり、
江戸時代には彦根藩の関所が置かた街道の要所でした。
私事ですが、ちょうど13年前の春、芭蕉「奥の細道」歩き旅で、
敦賀から大垣へと向かう途中に歩いたところでもあります。
ということで、懐かしい柳ケ瀬散策はやはりここから^^;
「倉坂峠・刀根越(久々坂峠)」道の柳ケ瀬口です。
登って行けば柴田勝家の本陣が置かれた「玄蕃尾城」跡があり、
その先は敦賀の刀根集落になります。
この日はここから柳ヶ瀬集落へと戻りますが、
流れる川は荒谷川。
川沿いを行くと小さな祠があり、
ここが柳ケ瀬の北の出入口で若狭街道と北国街道の分岐点。
少し先で振り返っていますが、左が戻って来た若狭街道。
右に行くと国道365号線で北国街道(栃の木峠)です。
分岐の案内板の下にある道標には、
「右えちぜん かがのと道 左つるが 三国ふ祢のりば」とあります。
南へと続く柳ケ瀬の旧北国街道。
小さな「柳ケ瀬関所跡」の石標。
江戸初期、特に婦女子が北国に入ることを厳しく監視したという。
往時は旅人が行きかった宿も、今はただ静かな集落です。
少し南に下ったところには立派な「関守の門」があり、
「明治天皇駐輦之蹟」と「明治天皇柳ケ瀬行在所」の碑が建ちます。
先の「倉坂峠・刀根越(久々坂峠)」は、
明治11年に明治天皇が北陸巡幸のときに通られた道でもあり、
行在所は峠を越えた刀根の集落とここに置かれました。
この先、すぐに国道365号線に合流します。
明治17年(1884)、倉坂峠から約1.3kmの北方に、
長さ1.3kmの柳ヶ瀬トンネルが開通。
鉄道が通るようになったことから刀根越道は廃道となります。
こちらにも小さな祠が建ちます。
左が旧北国街道、右が国道365号線。
山間の静かな集落に、この日訪れる人はいませんでしたが、
我がひとり、懐かしい北国街道柳ケ瀬の散策でした。 26日
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