新春まち歩き 京都伏見Ⅱ
京都伏見の明治ゆかりの地をめぐる後半は、
桃山町の「乃木神社」から大手筋通りで市街地へと出ます。
大和街道(国道24号線)交差点を渡ると「御香宮神社」。
伏見城の大手門を移築したという表門をくぐり境内へ入りますが、
ここからは我がブログでも何度か紹介したところ。
あらためて御香宮神社
参道から拝殿、本殿へと行き
本殿わきにあるのが神社の名の起こりとなった御香水。
さて、明治ゆかりの地といえば、やはり”鳥羽伏見の戦い”でしょうか。
境内駐車場の北詰にある”明治維新 伏見の戦跡”碑。
ここは明治元年(1868)1月3日に起こった鳥羽・伏見の戦いでは、
新政府軍(薩摩・長州藩)が陣を置かれたところ。
大手筋通りに戻り、
近鉄京都線に沿って少し南に歩くと桃陵団地があります。
その入口角にあるのが「伏見奉行所跡」碑。
こちらは幕府軍(会津藩・新選組)が陣をおいていたところで、
新政府軍と幕府軍がわずかな距離で戦ったことが分かります。
ここから西へと進むと、当時の町の中心部に出ます。
寺田屋
薩摩藩の寺田屋騒動や、坂本龍馬襲撃事件の宿として知られますが、
伏見の観光スポットでも抜群に人気のところ ^^;
ここから道を西に回り込むと竹田街道の京橋
伏見口の戦いでは激戦地となったところで、
橋の袂にはその激戦地跡の碑が建っています。
寺田屋前の船着き場。
説明板には
”この辺りは旅人や貨物を運ぶ船着場として栄えた・・・”とありますが、
戦いの前日に会津藩の先鋒隊が上陸したところでもあります。
戦いはここから4kmほど北にある鳥羽の地、鳥羽街道の
小枝橋辺りで始まりますが、こちらはオマケ! ^^;
鳥羽伏見の戦い勃発の地となった
中島秋の山町にある現在の小枝橋
そして鳥羽街道にある”鳥羽伏見戦跡碑”(平成17年3月撮影)
鳥羽の戦いはここ城南宮・鳥羽離宮周辺が戦場となりました。
~~~
伏見の明治ゆかりの地めぐりはここまで ^^;
京橋から龍馬通りにで北へと歩き
いつものように近鉄京都線の丹波橋駅へと戻りました。
今年は明治150年で京都市でも多彩な事業が開催中ですが、
HP「明治150年京都のキセキ」にある、
明治ゆかりの地をめぐるのもよろしいかと ^^; 7日
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好好爺さん
そう言えば「伏見」には「寺田屋」がありました。ここは見学した事があります。中まで入って、床柱に刀傷がある理由の説明を受けた記憶があります。やはり「鳥羽伏見の戦場」跡が、たくさん残っているのですね。幕末の歴史的遺物と言うわけですか。何と言っても京都は、素晴らしい街ですね。
投稿: shuttle | 2018年1月 9日 (火) 17時25分
shuttle さん
伏見の観光スポットでも寺田屋は訪れる人が多いですね。
幕末の京都は、明治維新に向けての舞台ともいえますから、
そのゆかりの地も多いです。
特に鳥羽伏見の戦いは伏見が中心ですから、
伏見にはその戦跡地が多く残っています。
投稿: 好好爺 | 2018年1月 9日 (火) 20時06分