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2018年1月29日 (月)

百曲街道と番割観音

今年は新年から続く街道歩きですが、
今回は少しまち歩きに近い街道歩きです ^^;

江戸の初期、尾張藩主・徳川義直の命により開かれた熱田新田。
その新田の北側に沿ってできた街道で、
道が幾重にも曲がっていたことから百曲街道と呼ばれた道があります。
尾張城下の大須から堀川、江川沿いに六番町へ南下して西へ、
中川、荒子川を渡り庄内川の明徳橋までですが・・・。

Hyakumagari01

この日は熱田の白鳥庭園南、国道1号線からです。

Hyakumagari02

まずは国道沿いにある観音堂の第一番観音堂。
熱田新田干拓のときに、その安全を願って333の番割ごとに、
西国三十三所に因んだ33観音像が祀られました。

Hyakumagari03

少し西に歩くとある慈教寺には第2番・3番観音がありますが、
寺内にあるため見ることができず石柱だけ ^^;
ここで1本北の道に出てその百曲街道に出ます。

Hyakumagari04

街道といっても道沿いには何もなく、
この日は立ち寄りの多い観音堂めぐりになります。

Hyakumagari05

4番町には第4番・5番札所。

熱田新田は、熱田神宮近くの1番割から西へ順に33番割まで区画され、
現在の熱田・港・中川区の一番町から十一番町の地名は
今に残るその名残とも。 

Hyakumagari06

6番町の新幹線高架下には第6番・7番観音ですが、
この辺りから番割の番号がなくお堂だけになってきます ^^;

Hyakumagari07 Hyakumagari08

第8番・9番
お堂の前にあった石柱に数字がありましたが・・・?

Hyakumagari09

十番町に入ると第10番・11番観音ですが、
それを表すものは何もなく、
観音像もここまでお堂は閉められていて見ることができません ><;

Hyakumagari10

十一番町で国道1号線に出て、
中川運河を昭和橋で渡りますが・・・遊覧船でしょうか?

さて、この先は道が分断されていて、、
観音めぐりも道を大きく外れて中川区の新船町から昭明町、
明徳町辺りをぐるぐると回ります ><;

Hyakumagari11

いちばん南端にあった須成町の12番・13番、
民家のような中にあるお堂でしたが、
ここで初めて観音像を見ることができました ^^;
ここからはもう観音堂だけをめぐる歩きになり、
ただ自己満足だけの世界で・・・観音堂は省略します。

荒子川を渡り中島新町に入ると


Hyakumagari12

熱田新田の干拓工事にあたった鬼頭景義の墓がある「空雲寺」。

Hyakumagari13

墓もさることながら見事な黒松にしばし見とれました。
少し南に下った先で第25番から28番までを見て、
小碓(おうす)、明正一丁目で西井筋(稲葉地用水)を渡ります。

Hyakumagari14

その先からは百曲街道の面影が残るくねくねの道筋 ^^;

Hyakumagari15

すぐに街道沿いの観音堂がありますが、
ここに第29番から33番が祀られています。

Hyakumagari16

その傍にあった説明板。

この先も道はくねくねと曲がりながら庄内川に突き当たります。

Hyakumagari17

渡る橋は人道橋の「正徳橋」、その先は下之一色。

Hyakumagari18

新川沿いの堤防を行くと最後の観音堂が見えます。

Hyakumagari19

熱田新田33番割の工事にあたった鬼頭景義は、
最後に33番割観音堂を港区当知町に造りましたが、
庄内川の道筋を変えたときにこの新川堤防に移したといわれます。
また、干拓の最後になる堤防の締切りであったことから、
この観音は「みよどめ(澪止め)観音」とも。

百曲街道、今回は街道歩きとはいきませんでしたが、
熱田新田干拓で祀られた観音堂をめぐり、
現在も残るその番割に往時を偲びました。     28日

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