岩倉街道
名古屋市西区にある庄内緑地に出かけるときに、
何度か歩いている上小田井の「岩倉街道」。
いつかその全行程を歩いてみようと思っていましたが、
この日は青空の広がり、これ以上はない歩き日和に・・・^^;
新年から歩き旅が続きますが、今回はその岩倉街道です。
街道の始点は清須市の下小田井ですが、
降り立ったのは名鉄東枇杷島駅。
駅から北に少し歩いて旧美濃路に出ます。
すぐに庄内川に突き当たりますが・・・
整備されてすっかり綺麗になった土手下にある美濃路の道標。
10年前に歩いたときとは大きく変わった道を行き
庄内川を枇杷島橋で渡ります。
橋を渡った先にある橋詰神社を見て少し東に行くと、
旧枇杷島橋小橋があった場所に美濃路の道標があります。
ちょっと南面しか載せていませんが、ここがかって岩倉街道との追分。
この地は江戸時代、青果物を扱う江戸の神田、大坂の天満と並ぶ
日本三大市場といわれたところ。
ここが岩倉街道の始点になり、美濃路と分かれて庄内川沿いを行きますが、
この街道、終点には諸説ありよく分からないとのこと ><;
ただ、道は犬山市の城下まで続いています。
下小田井の集落から堤防に戻り、
庄内緑地を見ると堤防から中小田井の集落へと入ります。
この町筋は何度か載せているので省きますが、
名古屋市の町並み保存地区に指定され、街道の面影が残るところ。
集落を抜けるとある岩倉街道案内板と右に旧道標。
ここから旧道は北にほゞ真っ直ぐに延びています。
すぐに新川を平田橋で渡りますが、
その欄干にも岩倉街道の説明板があります ^^
この辺りはまだ旧街道の面影がありますが、
ここから先は神社仏閣があるだけで街道らしき面影はありません。
そんな寺社を見ながら西春駅前を通過、
このあとも単調な道歩きです ^^;
西春駅前から1.5kmほどで五条川を渡り岩倉市へ入りますが、
大山寺本町で犬山線の踏切を渡ると下本町。
下市場の交差点で少し街道を離れ「岩倉城跡」に立ち寄ります。
文明11年(1479)頃に織田伊勢守家の織田敏広が築城されます。
当時の尾張では清洲城とともに重要な城であった城ですが、
その後、永禄2年(1559)3月、織田信長に攻められ落城。
街道に戻ります。
交差点角にあった「岩倉街道(旧柳街道)」の標柱。
岩倉から先、この街道の終点は小折ともいわれますが諸説あるものの、
道は犬山城下まで続いています。
柳街道とは、織田信長が柳を植えたことからとも・・・。
道筋にある「神明生田神社」
”岩倉桜まつり”では主会場になるところで知られていますが
境内にはたくさんの四季桜や十月桜が咲いていました ^^
街道に戻って
岩倉駅前を過ぎ、桝形の道を行くと中本町、
この辺りも街道筋の面影が残りところ。
その先は広い県道をしばらく歩くことになりますが、
名神高速をくぐると少しだけ一宮市です。
道はまた細くなり街道らしくなります ^^;
岩倉市の下本町下市場から4kmほどで江南市の小折交差点。
ここ小折町が街道の終点ともいわれているところで、
左の道を行くと布袋駅ですが、
この一帯は江南市の歴史散策道”信長・生駒(吉乃)コース”。
以前に歩いたところでもあり、そのまま街道を行きます ^^;
小折の交差点から3kmほどで力長町の「若宮八幡宮」
古くから「安産守護」の神様として信仰されていますが、
この日はちょうど「左義長」が行われていました。
少し暖をもらって最後のひと踏ん張りと歩きだしましたが・・・
すぐ先にある柏森駅
ここまで約20km、犬山城下まではあと7kmほどでしたが、
残念ながら時間切れでした。
この先は扶桑から犬山口で稲置街道に合流して犬山まで。
その間はあらためて歩くことに・・・ ^^; 14日
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