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2017年12月23日 (土)

大高史跡めぐり・城と砦

名古屋市緑区大高町の史跡めぐりは名鉄左京山駅からでしたが、
大高緑地を抜けると砦前に出ます。
そこから北へと行き、東海道線を挟んで東にある丸根砦跡と鷲津砦跡、
そして西に位置する大高城跡を見て回ります。

「大高城」は当時今川方の支配下にあり、
それに対して信長が築いたのが「丸根砦」と「鷲津砦」でした。
ふたつの砦は桶狭間の戦いを前に、
織田軍と今川軍との間で激しい戦いが行われたところです。

長くなりますが ・・・^^;

Odaka01

大高緑地の外周を南から回り込んで行くと、
緑区の散策コースマップの道と合流するところが砦前に出ます。

Odaka02

そこから北へ行くと、まずあるのが「丸根砦跡」。
民家の中の細い道を行くとある案内板。

”永禄2年(1559)、信長が今川義元の上洛に備え築いた砦のひとつで、
永禄3年の桶狭間の戦いのとき、佐久間盛重を将とし、
松平元康(徳川家康)ら今川勢との激戦で全滅した・・・”とあります。

Odaka03

小高い丘の頂にあったのは「丸根砦戦殉難烈士之碑」、
周りは雑木林で眺望はなく、そのまま砦を抜けて行きます。

Odaka04

こちらが表口になるのでしょうか?
コース図では、かっては尾根続きだったと思われる道、
今は住宅街の中の高台を行きますが、今回は県道に戻ります。

Odaka05

新幹線・東海道線の高架沿いをしばらく行くと「長寿寺」に。
知多四国八十八所・第八十七番札所ですが、

Odaka06

その先に「鷲津砦公園」の碑があり、ここが鷲津砦跡。
ここも小高い丘の雑木林の中を上ります。

Odaka07

上りきったところにある「史跡 鷲津砦址」碑。

永禄2年(1559)に信長が丸根砦とともに築城。
永禄3年の桶狭間の戦いの前に今川勢に攻められて、
飯尾定宗を将とする織田方はここでも全滅したという。

Odaka08

すぐ傍はもう住宅街でしたが、戻る道から眺める大高駅方面。
ここから駅前に出て大高城に向かいます。

大高川を渡り本町通りの細い道を行くと小さな案内板があり、
民家の中の細い道を行きます。

Odaka09

その先が大高城への道。

Odaka10

坂の途中にある「大高城址」の標柱と案内板、
左右は帯曲輪でしょうか?一部は児童公園になっています。

そのまま道を上がると

Odaka11

本丸跡に出ます。

Odaka12

東端からはすぐ先に鷲津砦、丸根砦を望むことができます。

Odaka13

Odaka14

思っていたより広い本丸跡広場。

Odaka15

一段高くなったところには城山八幡社と

Odaka16

その右に「大高城址」碑が建っています。

Odaka17

本丸跡から西に土橋らしき道を行くと二ノ丸への広場。

Odaka18

少し下ったところにあるのが二之丸跡でしょうか?

Odaka19

本丸と二ノ丸との間にある内堀は、
木々に覆われていてかなりの荒れようです ><;

Odaka20

本丸横から帯曲輪へと下る道。

築城年代は不詳、天文・弘治の頃には水野忠氏父子が居城し、
桶狭間の戦いのときには今川の支配下にありました。
織田軍により兵糧攻めを受けていたとき、
松平元康(徳川家康)が兵糧を運び入れたことで知られています。
義元が討たれたあと元康はここから岡崎へと帰り、のちに廃城・・・。

桶狭間の戦いの前哨戦となった大高城とふたつの砦は、
昭和13年(1938)に国の指定史跡になっています。   21日

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