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2017年10月14日 (土)

なら歴史の道

旬のコスモスめぐりを先に載せましたが、「なら歴史の道」へ戻ります。
先週、3連休の後半2日間の道歩きでしたが、
奈良の市街地をほゞ一周するように整備されているこの道は、
春日大社から般若寺に出て、平城宮跡から北部に点在する
古墳群をまわり南下、西部の秋篠寺、西ノ京を経由して南都大安寺、
白毫寺と周って奈良の見どころをめぐる一周27kmの道です。

Naramiti01

この日のスタートは東大寺大極殿前から。

Naramiti02 Naramiti03

途中、道案内をしてくれるのはこの道標 ^^;
ただ、はっきりとしないところもあり、観光用ですが地図は必携。
今回は北部に広がる佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)
と呼ばれる古墳群をめぐります。

一条通の北を抜けて行く歴史の道は狭岡神社(さおかじんじゃ)、
不退寺と見ながら国道24号バイパスを横断し法華寺町に。

Naramiti04

国道沿いを回り込むと目の前には
広大な周濠をめぐらせた”ウワナベ古墳”が現れますが、
ここから多くの古墳群のなかを抜けて行きます。

Naramiti05

その先には”コナベ古墳”

佐紀盾列古墳群の東端に位置し5世紀半ば頃の築造と考えられ、
ともに被葬者は定かでありませんが、ヤマト王権の中枢にいた人物
とも推測され、宮内庁から陵墓参考地として治定されています。

Naramiti06

少し北上して行くと次が”磐之媛命(いわのひめのみこと)陵”

Naramiti07

仁徳天皇皇后磐之媛命の平城坂上陵(ならさかのえのみささぎ)です。

ここから御陵を回り込んで行きますが、

Naramiti08

その先にあったコスモス畑につい夢中になり ><;

Naramiti09

この乾垣内池を目印の池と勘違いして道を外してしまい、
途中にある”平城天皇陵”を見逃がしました。(よくあることです ^^;)
そのまゝ先の県道に出て平城京跡の北側で歴史の道に戻ります。

Naramiti10

平城宮跡第一次大極殿正殿

Naramiti11

佐紀神社を見て道をふたたび北上していくと

Naramiti12

”日葉酢媛命陵”に出ます。

Naramiti13

垂仁天皇皇后である、
日葉酢媛命 狭木之寺間陵(ひばすひめのみことさきのてらまのみささぎ)。

Naramiti14

戻るとすぐ隣にある”成務天皇陵”への道へ

Naramiti15

成務天皇陵
この辺りは森に囲まれた静かな地で綺麗に整備されています。
すぐ後ろには孝謙天皇陵もありますが省略 ><;

Naramiti16

松並木の続く小道を挟んで、右には日葉酢媛命陵陵山古墳、
左には成務天皇陵ですが、その間を抜けて行きます。
1日目はこの先にある近鉄平城駅で終わりました。

ここからは日付が変わって翌日になりますが

Naramiti17

平城駅から再開した歴史の道は踏切を越えると
すぐに八幡神社に出ますが、神社を回り込んで行くと

Naramiti18

”神功皇后陵”への道です。

Naramiti19

古墳群の西端に位置し、佐紀盾列古墳群のなかで最大の前方後円墳。
4世紀末から5世紀初頭にかけての築造と推定され、
古墳群の中でも最初に築造されたとみられています。

歴史の道を歩いてみて、あらためてその規模の大きさを感じた
佐紀盾列古墳群でした。

このあとは山陵町から秋篠町へ

Naramiti20

里のなかにある道標を拾いながら秋篠寺、そして西大寺、
菅原神社から”垂仁天皇陵”、唐招提寺、薬師寺とお馴染みのコース。

2日目は西の京までの短い距離 ^^;
久しぶりに楽しんだ「歴史の道」歩きでした。  8,9日

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