鳥羽城跡 鳥羽市
鳥羽駅から少し南に下った妙慶川河口部にある「鳥羽城跡」。
標高40mの小山を中心に築かれていた城ですが、
現在は「城山公園」として整備され、
本丸跡周囲には石垣が残るのみで城の建物は何もありません。
この日はぶらりと鳥羽をめぐり、その城跡を訪ねてみました。
JR鳥羽駅側から南へ歩き、岩崎通りを西(右)に折れ、
妙慶川沿いに出ます。
川に架かる橋は「相橋」。
鳥羽城は周りを堀と海に囲まれた「海城」で、
ここは城への陸の玄関口で「相橋門」があったところ。
渡って「大山祇(おおやまづみ)神社」への鳥居をくぐり、
境内を抜けて行きます。
坂を上ると三の丸広場から来る道と合流する広場に出ますが、
ここが「城山公園」の下段部。
往時の石垣かどうかは?ですが、
らしき石垣に付けられた階段を上ると
「城山公園」の上にある広場に出ます。
この日は土曜日で、ちょうど祭りの準備中でしたが、
広場を抜けてその先にある本丸跡へと行きます。
途中には綺麗な段差の石垣ですが、
この辺りは城跡の一部が削られた部分だけに、
これも往時のものかどうかは?ですが・・・いい眺めです ^^;
下に見えるのが国道と近鉄線路沿いに整備された「三の丸広場」。
縄張図では国道と線路の部分が往時の「二の丸跡」で、
その先に「大手水門」があり、こちらが城の大手口になります。
道は本丸跡へと右に折れますが
この辺りから見られる石垣は往時のもの。
曲がりきると本丸下西側の石垣
天守台下になるのでしょうか?
野面積みの石垣には往時の面影が偲ばれます。
道を上りきると「本丸跡」。
九鬼嘉隆(よしたか)によって文禄3年(1594)に築城され、
その後は九鬼水軍の本拠地となります。
本丸跡からの眺め。
真下に「ミキモト真珠島」(相島)、奥に答志島ですが、
城はその相島まで続いていたとも。
九鬼嘉隆は答志島で切腹し、島には首塚と胴塚があります。
本丸跡を抜けて南側に下ります。
この右手には旧鳥羽小学校の建物が残り、
本丸跡広場はそのグランドでもあったようです。
本丸石垣下西方にあるその説明板と記念碑。
信長・秀吉らのもと、歴史の表舞台で活躍した九鬼嘉隆。
九鬼水軍の城「鳥羽城」に残る石垣を楽しみ、
このあとは「鳥羽街道」へと出て、さらに南へと歩きます。
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今年3月に、青春18切符を使って鳥羽へ行きました。
ここへも立ち寄り 懐かしく拝見しました。
石垣が立派ですね。再建されたものとてっきり思っていましたが?・・・
鳥羽は海の幸がいっぱいなので、おいしい魚介類を食べられて満足でした。
投稿: スーちゃん | 2017年9月 6日 (水) 08時32分
スーちゃん さん
青春18きっぷの旅でしたか ^^いいですね。
ここはもう石垣と城郭だけしかありませんが、
本丸跡周辺(山側)に残る石垣は当時のものです。
九鬼嘉隆ゆかりの答志島も行かれましたか?
美味しい海の幸を食べて、見どころ散策、
鳥羽もいいところです。
投稿: 好好爺 | 2017年9月 6日 (水) 15時33分