芭蕉を歩く 須磨
ブログ開設12周年を前に出かけた芭蕉ゆかりの地”明石・須磨”。
なぜか節目の周年になるとここが真っ先に思い出すところで、
今回は5周年以来3度目の再訪でした。
明石はまた違った角度で載せてみましたが、
須磨は2度めの再訪で詳しく載せていて、新鮮味もありませんが、
それなりに写真を変えての紹介になります ^^;
明石から山陽電車で「須磨浦公園駅」に戻ります。
駅から鉢伏山ハイキングコースの道をしばらく行くと
目の前が開けた場所に
蕪村の「春の海終日のたりのたりかな」の句碑があります。
その少し先、みちが大きくカーブする奥に
”蝸牛(かたつむり)角ふりわけよ須磨明石”(笈の小文)の
芭蕉の句碑が隠れるようにあります。
さらに、少し上った斜面には
正岡子規と高浜虚子の師弟句碑
”ことづてよ 須磨の浦わに 晝寝すと 子規”
”月を思い 人を思ひて 須磨にあり 虚子”や、
他にもたくさんの碑があり、
何やら文学の散歩道かと思うほどです ^^;
この日もここまででしたが戻る道、
芭蕉句碑のあるすぐ前ですが・・・
目の前に広がる瀬戸内海を見下ろす展望所で、
素晴らしい景色を眺めながらひとときの休憩でした。
戻って、国道2号線沿いにある「敦盛塚」へ。
一の谷の合戦で源氏の武将熊谷直実に討たれ、
16歳で命を落とした平敦盛を供養するために
建てられたという(異説もあり)大きな五輪塔です。
ここから須磨浦公園を通り抜けて「須磨寺へと行きます。
公園の途中にある一の谷古戦場「源平史蹟 戦の浜」の石柱、
この辺りが源平の戦いの舞台となったところ。
芭蕉「笈の小文」でも、最大の目的地であったところだけに、
特に詳しく書かれた文にその思いが感じられます。
あとは須磨寺まで約2kmほどですが・・・
この日はまた、ムチャ暑い日になりました ><;
途中、「山陽須磨駅」の先で北に折れ、
山陽電車の線路をくぐるとすぐにある「現光寺」。
源氏物語の主人公光源氏が住んだと伝えられ、
「源光寺」、「源氏寺」ともよばれていた・・・と。
芭蕉も旅の途中、ここの庵に泊まっています。
境内にある芭蕉の三段切名句
「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋」の句碑。
そして「須磨寺」
龍華橋を渡って「仁王門」をくぐり、
左右の塔頭を見ながら行くとある「源平の庭」
一の谷の合戦で、
熊谷直実が平敦盛を呼び返す場面が再現されていますが、
三度目とはいえ、やはり記憶に残るところです。
あとは唐門から本堂
弁慶の鐘
「義経腰掛の松」と「敦盛首洗池」
三重塔
そしてその奥にある「敦盛首塚」です。
説明板には「首と胴を別々埋葬し胴塚は一の谷にあり」とありますが、
胴塚は須磨浦公園にあった「敦盛塚」がそれ。
さて、長々と書いてきましたが、
この日の目的はやはり芭蕉句碑 ^^;
参拝客も少なく静かな本坊前、
その左手(写真奥)の木立のなか
「須磨寺や 吹かぬ笛きく 木下やみ」(笈の小文)。
須磨寺の木陰のなかで往時を思い出していると、
笛の名手、平敦盛が吹く笛の音が聞こえるようだ・・・
と、いうことでしょうか。
「笈の小文」の終章は平家終焉の入水の様子で結ばれています。
芭蕉ゆかりの地須磨・明石3度目の訪問でした。 19日
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ブログ開設12周年おめでとうございます。
芭蕉紀行文集の地を廻られて初心に帰って
芭蕉ゆかりの地”明石・須磨、思い出の地に行かれたのですね。
これからも芭蕉の足跡をはじめ
お花、祭り、お寺、ひな人形などなど
これからも楽しみにしています。
投稿: 彩 | 2017年8月21日 (月) 18時38分
彩 さん ありがとうございます。
時の経つのは早いものですね。
ブログを始めてからもう12年になりました。
節目の年にはいつも初心にかえってと思いますが、
やはりきっかけになった芭蕉のことになります ^^;
ただ、基本は各地をめぐるぶらり旅、
これからも、今までどおりのごった煮ブログです。
どうか変わらずお願いします。
投稿: 好好爺 | 2017年8月21日 (月) 20時58分