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2017年8月31日 (木)

大垣ひまわり畑 墨俣

今年のヒマワリも早撒きのところはもう終わりのようですが、
時期をずらして植えられている各地のヒマワリ畑では、
見ごろを迎えたところや、まだ咲き始めのところもあるようです。

大垣市も平町と墨俣町の2カ所にひまわり畑があり、
その後撒き期の畑が見ごろとを迎えたとのこと。
この日は晴れているうちにと一走り・・・大垣市の墨俣町です。

いきなりですが・・・全体の様子を別角度から
いつものパノラマです ^^;

Sunomata01

長良川堤防に沿った東側から。

Sunomata02

その左側部分、ほゞ満開です。

Sunomata03

南側にある保育園横から、
東側は太陽に向かって咲くため後ろ姿ばかり ^^;

Sunomata04

その西側ですが、
ここは近寄っても構図的にはチョッと単調で・・・

Sunomata05

なんていうと、怒られそうですが ><;
今回は久しぶりにアップで楽しんでみました。

Sunomata06

Sunomata07

とはいうものの・・・これも単純です ><;

Sunomata08

イチモンジセセリ

Sunomata09

水滴

まぁ、近づくと雑草が目立つのが難ですが、
今がちょうど見ごろでしょうか。

オマケ!
墨俣から戻る途中にある、
こちらは安八町牧のヒマワリ畑です。

Anpachi01

ちょうど、大垣市の平町ひまわり畑とはすぐ近く、
揖斐川を挟んだ南側にあります。

Anpachi02

その存在をすっかり忘れていましたが ><;
ここは早撒きのところですでに刈り取りが始まっていました。

ここはシラサギと楽しめるひまわり畑 ^^;
来年は忘れないようにしなければ・・・。    30日

2017年8月30日 (水)

於大のふるさと 東浦町

徳川家康の生母”於大の方”のふるさとである東浦町。
「於大公園」の散策中に「緒川城主三代の墓」の案内を見て、
急遽「於大の方」ゆかりのスポットを訪ねました。
とはいってもすべて公園の周辺めぐりですが ^^;

その「城主三大の墓」は公園の東口近くにあります。

Odaik01

公園の北園路(健康の道)にある休憩所、
周辺にある”梅実の丘”や”桜見の丘”を抜けて行くと

 Odaik02

東口手前にその案内の標柱がありました。
案内に従って行きます ^^;

 Odaik03

マレットゴルフ場の傍を抜けて行くと
寂しい雑木林の中にその墓所があります。

Odaik04

中央に緒川初代城主水野貞守、その左に二代賢正(かたまさ)、
そして右には三代清忠の墓です。

於大の方はここ、東浦の緒川城で生まれていて、(異説もあり)
父は緒川城四代城主水野忠政(初代刈谷藩主)、母は於富の方で、
14歳で岡崎城主松平広忠に嫁いでいます。

公園東口からいったん外に出て

  Odaik05

約10分ほど歩いたところにあるその「緒川城址」。

Odaik06

少々木々と雑草に覆われていますが、
ただ「城址」とだけの碑があるだけよりはいいでしょうか ^^;

  Odaik07

その傍にある小城公園には「傳通院於大出生地」碑がありました。

公園に戻って、
こちらは駐車場のすぐ傍にある「乾坤院(けんこういん)」。

  Odaik08

いったん境内を正面に出て、あらためて参道を行きます。

Odaik09

「乾坤院」、1475年水野貞守が一族の菩提寺として創建。
境内には水野忠政の墓をはじめ、水野氏四代 の墓所や、
歴代の位牌を祀った堅雄堂がありました・・・

Odaik10

放生池を渡ると

 Odaik11

手水舎と地蔵堂

Odaik12

そして、総門と

Odaik13

鐘楼門ですが・・・
その奥にあるはずの諸堂は平成28年3月の火災により、
乾坤院本堂(開山堂)、座禅堂(ざぜんどう)、堅雄堂が全焼し、
現在再建工事中でしょうか?
残念ながらこの先にそれらの諸堂はありません。

表に戻ると

Odaik14

道を挟んだ先にあるのは「於大のみち」

Odaik15

明徳寺川沿いに整備された歴史散策路ですが、
毎年、桜の季節には「於大まつり」行列が行われています。

もう一か所、於大の方が生前菩提所として
自身の所持品を納めたという「善導寺」がありますが、
今回は立ち寄りませんでした。    27日

2017年8月29日 (火)

於大公園のオニバス

愛知県東浦町の「於大公園」にある”オニバス池”。
例年、花の見ごろは9月に入ってからとのことですが、
少し咲き始めたとの情報に・・・待ち切れずに出かけてみました ^^;

ここも自然を生かした広大な都市公園ですが、
約1.4kmの外周散策コース(健康の道)が設けられていて

Odaip01

南口にある第一駐車場から、
そのコースをオニバス池へと行きます。

Odaip02

池の多い公園ですがこれは中央部にある「大池」。
その先にあるのが管理棟の「このはな館」ですが、
オニバス池は公園の北端にあります。

Odaip03

「菖蒲園」、「中池」と見ながら、
案内板に従って石段を上ります ^^;

Odaip04

道を上がった先には、
綺麗に整備された「オニバス池」です。

Odaip06

一緒に植えられている熱帯スイレンも咲いています ^^

さて、見たかったオニバスですが

Odaip07

Odaip08

Odaip09

やはり情報どおりでしょうか。
まだ早すぎたようで花数が少ないです。

Odaip10

Odaip11

詳細は省きますが、平成7年(1995)から保護のために
栽培が続けられているというオニバス。

まだつぼみが多くあるようにも見えますが・・・

Odaip12

この花、水中で自家受粉して咲かない「閉鎖花」があるため、
どれが開くのかはよく分かりません ><;
いずれにしても見ごろにはあとしばらくでしょうか?

四季の花々が楽しめる「於大公園」。
その名前はここが生誕地の”於大の方”(徳川家康の生母)
に因んで付けられています。     27日

2017年8月28日 (月)

佐屋街道 佐屋

愛知県愛西市佐屋町は旧佐屋街道(佐屋路)の宿場町ですが、
残念ながら今はその面影は何もありません。
佐屋街道もブログを開設したすぐに歩いたところで、
ここも芭蕉ゆかりの地といえば・・・ゆかりの地。
さすがにこの暑さで通し歩きは止めましたが ^^;
芭蕉「水鶏塚」と、わずかな宿場の名残りを訪ねてみました。

名鉄「日比野駅」から南に少し歩き、
旧街道に出て西に向かうとすぐに内佐屋交差点。

Saya0

交差点を南へ折れるとある「佐屋海道址」碑です。

ここから佐屋宿までは約1kmほど、
須依の交差点で右折すると旧佐屋宿です。

Saya01

集落の途中にある「水鶏塚(くいなづか)」への道標。
先を急ぐと見落としてしまいそうですが、
もちろんここは立ち寄ります ^^;

Saya02

細い道を100mほど行くとある「水鶏塚」。
少々落ち葉があって荒れてはいますが ><;

Saya03

奥に「水鶏鳴と人の云へばや佐屋泊 芭蕉翁」の碑があります。
元禄7年(1694)5月、江戸から故郷伊賀の国へ帰る途中に、
佐屋の門人、山田庄佐衛門邸に泊まったときに詠んだ句。

旧街道に戻って

Saya04

さらに西へと行き、次の交差点に出る手前に

Saya05

「左 さや舟場道」の石柱があります。
この辺りが元舟場所前で旅籠屋があったところ。

この後ろは民家のブロック塀ですが
そこには”きこくの生垣”の案内板があります。

Saya06

案内によるとこの生垣は
「尾張名所図絵」にも描かれているもので

Saya07

”いこく”とはカラタチのことだそうです。

Saya08

道を挟んだ北側には「佐屋代官所址」がありますが、
代官制度が出来たとき、
その最初の代官所がここ「佐屋代官所」であったとも。

Saya09

さらに交差点を挟んで小さな公園がありますが、
その横を西(見える右側)に行けば木曽川へ。
南(左側)の道を行けば弥富から桑名へ続きます。

その公園の南端にあるのが「佐屋三里之渡址」碑。

Saya10

昔はここまでが川だったため、ここが佐屋街道の終点。
ここから桑名までは水路3里の船旅でした。

「佐屋街道」(佐屋路、東海道佐屋廻りとも)。
熱田の宮宿から岩塚、番場、神守宿(津島市)を通って、
佐屋宿までの陸路6里と、桑名までの水路3里の合わせて9里。
東海道の海上7里(28km)より2里ほど長い道程ですが、
荒天による船止めや、船酔いを避けた旅人で賑ったという・・・。

2017年8月26日 (土)

尾張大野古今散策

今年は天気が不安定で、出かけることも少なく、
雨の合間を見ては思い出したように出かけることが続いています。
ここも久しぶりでしたが・・・以前に訪れてからもう9年になりますか ^^;
愛知県常滑市大野町。
江戸期には商工業の町として発展、海上交通の要所でもあったところ。

Oono01

いきなり海からですが・・・大野海岸?

Oono02

こちらは海岸の北にある「大野海水浴場」。
小さな海水浴場ですが、
鎌倉時代、鴨長明が訪れて潮湯治をしたことから、
世界最古の海水浴場といわれています。

海岸からいったん町なかへ出て、また港へ

Oono03

大野は”大野湊(おおのみなと)”と呼ばれて栄えた港町。
この辺りでは旧い商家や民家も多く、
伝統的な家並みを見ることができます。

海岸筋から町なかへと戻る道は幾筋もありますが

Oono04

古い民家が残るこの町筋は旧大野の中心部。

Oono05

細い路地道に建ち並ぶ旧家を見ながら散策して行きますが、
このすぐ横にあるのが「齊年寺」。

Oono06

大野城主4代佐治家の菩提寺で4代位牌所、
享禄年間(1518~31)に宮山にある大野城の城内に建立。

Oono07

天正15年(1587)には大野城とともに亡びたものの
翌、天正16年、現在地に再建されます。

とにかくここ大野は神社仏閣のムチャ多いところ ^^;
見どころを楽しみながら向かったのは大野城。

Oono08

町なかから散策コースで約1kmほどの、
小高い丘陵(青海山)にある大野城です。

Oono09

北駐車場から石段を数百メートルほど登りますが、
その先にある城門。

Oono10

くぐると左手に城址碑があり

Oono11

城門の横には主郭部二層の模擬天守(展望台)と、
背後には城主であった佐治氏を祀る「佐治神社」があります。
左手の鳥居はなぜか?
「桃山御陵遥拝所」(京都伏見の明治天皇御陵)が・・・。

Oono12

天正11年(1583)、大野城主佐治一成に嫁いだ”お江(おごう)”は、
短い期間ですがこの地で暮らしています。

Oono13

天守展望台からの眺め。(一応パノラマです ^^;)
今は城山公園として整備されている「大野城址」でした。

毎年10月には大野の町をめぐるイベント、
「大野古今散策」が開催されているようですが、
今年は21日(土)・22日(日)のようです。    24日

2017年8月24日 (木)

醒井地蔵まつり

8月もこの時期になると各地で地蔵盆が行われますが、
今年も米原市醒井の「地蔵まつり」(23・24日開催)に出かけました。
本番の”万燈流し”と醒井ならではの”つくりもの”が見どころですが、
この日も”つくりもの”目的で出かけたのは23日 ^^;

いつもは朝からですが、この日は午後からでした。

Samegai01

なんとも蒸し暑い日でしたが、
団体さんは”つくりもの”ではなくバイカモ目当てのツアー客 ^^;

さて、その”つくりもの”ですが、
いつものように醒井の入口になる大正通りから。

Samegai02

今年の話題のひとつはやはり”稀勢の里”でしょうか ^^;

Samegai03

大正通りのもうひとつは”きんたろう”。

ここで地蔵川を渡りますが

Samegai04

すぐ傍には中町の”昇り龍”があります。

そのまま地蔵川に沿って行きます。

Samegai05

問屋場前のバイカモ
もうサルスベリの花との競演は期待していませんでしたが・・・
やはり水量も多く、下流部でも花は絡んでいません。
で、今回は”つくりもの”だけです ^^;

Samegai06

地蔵町は”琵琶湖周航の歌100周年”
今年はちょうど歌の100周年になり、このテーマも多いです。

Samegai07

「醒井地蔵尊」

Samegai08

加茂神社にある日本武尊像の下には、
個人の方(野球フアンクラブ)の”つくりもの”です。

この先は新町筋に入ります。

Samegai09

お馴染みの六地蔵さんも健在!

Samegai10

そしてこちらも今年の話題でした ^^;
流れる「王将」の唄を聞きながら・・・思わず似てる ^^;

Samegai11

新町一組は”野洲のおっちゃん”のびわこ一周

Samegai12

そして、毎年楽しませてくれる新町一組の電動ものは、
”とべ!アンパンマン”でしたがまだ動いていませんでした。

ここから戻って西町筋に

Samegai13

「西行水」

Samegai14

こちらの”次の一手は”も、やはり将棋でした ^^;

Samegai15

醒井宿の外れにある昭和町、
こちらも”琵琶湖周航の歌”でした ^^;

最後は名物”六方焼”を買いに行く道筋の栄町

Samegai16

この茅葺屋根?の集落は早くも”雪景色”でした ^^;

ほゞメインどころを見て回りましたが、
今年の”つくりもの”を見ていると、
やはり「地蔵まつり」は夜の祭り・・・を実感でした。  23日

2017年8月22日 (火)

明石城(明石公園)



明石に芭蕉「蛸壺塚」を訪ねたあと、
今回も戻る途中で明石駅前にある明石城・明石公園に立ち寄りました。
この日はちょうど「坤櫓(ひつじさるやぐら)」の公開もあり、
あらためてその中心部を見てまわります。

柿本神社から戻って
明石城東口から城内(公園内)に入ります。

Akashijo01

桝形に曲がる虎口を抜けると

Akashijo02

広大な東の芝生広場
その先には、巽櫓(たつみやぐら)の先端が少し見えます ^^

芝生広場を右から回り込んで二ノ丸南下へ

Akashijo03

二ノ丸南下入口

Akashijo04

登城道を行くと、
目の前に見事な高石垣が現れます。

Akashijo05

二ノ丸南下に続く石垣、
ここは何度見ても素晴らしい石垣が続くところ。

Akashijo06

登りきった先にある二ノ丸跡をみて、
左に折れて行くと・・・

Akashijo07

巽櫓(たつみやぐら)
本丸の南東端に築かれた三層の櫓です。

Akashijo08

その右手には本丸跡が広がり

Akashijo09

西隅にあるのは「人丸塚」、
築城に際して移されたのが先に見た柿本神社(人丸山)です。

Akashijo10

その横には復元された土塀が、
西にある坤櫓(ひつじさるやぐら)と巽櫓を繋げています。

Akashijo11

その坤櫓
この日はちょうど内部が公開されていました。

Akashijo12

坤櫓の北側に隣接する天守台。
築城当初は、本丸に御殿を築き、四隅に三重の櫓を配したが、
天守台の石垣は築かれたものの天守は建てられなかったと。

Akashijo13

天守台と

Akashijo14

その南にある坤櫓
天守閣に変わる役割を果たしたとみられる、
明石城では最大の規模をもつ櫓です。

Akashijo15

本丸跡から稲荷曲輪へと下りる道

Akashijo16

下りきると桜堀
そまゝ城郭の西にある稲荷曲輪下を回り込むと

Akashijo17

西の芝生広場に出ます。
白壁塀で繋がったふたつの櫓がいいですね ^^;

Akashijo18

そして、「武蔵の庭園」
宮本武蔵が明石城内に「樹木屋敷」を造ったという記録があり、
庭園として整備されたところです。

そのまま南へと向かうと正面出入口

Akashijo19

かつて三の丸・居屋敷曲輪への虎口であり、
太鼓門があったという。
元和4年(1618)徳川二代将軍秀忠の命により、
西国諸藩の監視のために築城されたという明石城。

Akashijo20

中掘

ここはまだまだ見どころがあるようですが、
今回もそのメインどころを中心にめぐってみました。  19日

2017年8月21日 (月)

芭蕉を歩く  須磨

ブログ開設12周年を前に出かけた芭蕉ゆかりの地”明石・須磨”。
なぜか節目の周年になるとここが真っ先に思い出すところで、
今回は5周年以来3度目の再訪でした。
明石はまた違った角度で載せてみましたが、
須磨は2度めの再訪で詳しく載せていて、新鮮味もありませんが、
それなりに写真を変えての紹介になります ^^;

明石から山陽電車で「須磨浦公園駅」に戻ります。

Suma01

駅から鉢伏山ハイキングコースの道をしばらく行くと

Suma02

目の前が開けた場所に
蕪村の「春の海終日のたりのたりかな」の句碑があります。

その少し先、みちが大きくカーブする奥に

Suma03

”蝸牛(かたつむり)角ふりわけよ須磨明石”(笈の小文)の
芭蕉の句碑が隠れるようにあります。

さらに、少し上った斜面には

Suma04

正岡子規と高浜虚子の師弟句碑
”ことづてよ 須磨の浦わに 晝寝すと 子規”
月を思い 人を思ひて 須磨にあり  虚子”や、
他にもたくさんの碑があり、
何やら文学の散歩道かと思うほどです ^^;

この日もここまででしたが戻る道、
芭蕉句碑のあるすぐ前ですが・・・

Suma05

目の前に広がる瀬戸内海を見下ろす展望所で、
素晴らしい景色を眺めながらひとときの休憩でした。

戻って、国道2号線沿いにある「敦盛塚」へ。

Suma06

一の谷の合戦で源氏の武将熊谷直実に討たれ、
16歳で命を落とした平敦盛を供養するために
建てられたという(異説もあり)大きな五輪塔です。

ここから須磨浦公園を通り抜けて「須磨寺へと行きます。

Suma07

Suma08

公園の途中にある一の谷古戦場「源平史蹟 戦の浜」の石柱、
この辺りが源平の戦いの舞台となったところ。
芭蕉「笈の小文」でも、最大の目的地であったところだけに、
特に詳しく書かれた文にその思いが感じられます。

あとは須磨寺まで約2kmほどですが・・・
この日はまた、ムチャ暑い日になりました ><;
途中、「山陽須磨駅」の先で北に折れ、
山陽電車の線路をくぐるとすぐにある「現光寺」。

Suma09

源氏物語の主人公光源氏が住んだと伝えられ、
「源光寺」、「源氏寺」ともよばれていた・・・と。

Suma10

芭蕉も旅の途中、ここの庵に泊まっています。

Suma11

境内にある芭蕉の三段切名句
「見渡せば ながむれば見れば 須磨の秋」の句碑。

そして「須磨寺」

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龍華橋を渡って「仁王門」をくぐり、
左右の塔頭を見ながら行くとある「源平の庭」

Suma13

Suma14

一の谷の合戦で、
熊谷直実が平敦盛を呼び返す場面が再現されていますが、
三度目とはいえ、やはり記憶に残るところです。

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あとは唐門から本堂

Suma16

弁慶の鐘

Suma17

「義経腰掛の松」と「敦盛首洗池」

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三重塔

そしてその奥にある「敦盛首塚」です。

Suma19

説明板には「首と胴を別々埋葬し胴塚は一の谷にあり」とありますが、
胴塚は須磨浦公園にあった「敦盛塚」がそれ。

さて、長々と書いてきましたが、
この日の目的はやはり芭蕉句碑 ^^;

Suma20

参拝客も少なく静かな本坊前、
その左手(写真奥)の木立のなか

Suma21

「須磨寺や 吹かぬ笛きく 木下やみ」(笈の小文)。

須磨寺の木陰のなかで往時を思い出していると、
笛の名手、平敦盛が吹く笛の音が聞こえるようだ・・・
と、いうことでしょうか。
「笈の小文」の終章は平家終焉の入水の様子で結ばれています。

芭蕉ゆかりの地須磨・明石3度目の訪問でした。  19日

2017年8月20日 (日)

芭蕉を歩く  明石

芭蕉紀行文集の地を追っかけて始めたブログでしたが、
今年でいつの間にか12年となり、周年記念ではありませんが、
これを機にあらためて思い出の地でも歩こうかと思い・・・
まずはと、出かけたのは明石、須磨。
7年前のブログ開設5周年以来、3度目の再訪でした。

Akashib01

明石駅から15分ほどの柿本神社へと行き、
東参道の鳥居をくぐります。

Akashib02

長~い石段の参道を登ると、
左に明石市立天文科学館の日本標準時大時計塔が高く聳え、
山門前に「蛸壺やはかなき夢を夏の月」の芭蕉句碑があります。

Akashib03

芭蕉「蛸壺塚」と句碑
”蛸壺やはかなき夢を夏の月”

Akashib04

すぐ前にある天文科学館のドーム越しには淡路島と
明石海峡大橋が見える高台の絶景の場所である。
と、まあ芭蕉関係はこれだけですが・・・あとは周辺を散策。

Akashib05

すぐ側には愛称「トンボの標識」といわれている、
東経135度の子午線の位置を示している「日本子午線標準時柱」です。

そして、句碑の後ろにある「柿本神社」

Akashib06

詳しい説明は省きますが、祭神はあの歌人柿本人麻呂。
明石城築城に際して人丸塚とともにこの地に移されたということですが、
芭蕉がここを訪れたのはその人丸塚という。

Akashib07

まぁ、あとは神社仏閣の紹介になりますが、
神社本殿よ子にあるのは”盲杖桜(もうじょうざくら)”。

Akashib08

こちらは”八房の梅”
これは隣にある「月照寺」のウメと絡むためのちほど ^^;

Akashib09

そして御神木の”筆柿”と、木が多いですが

Akashib10 Akashib11

こちらは”石造狛犬”で右が”阿形”で左が”吽形”の一対、
宝暦4年(1754)の銘があるという明石市内では最古のもの。

Akashib12

その隣にある「月照寺」
こちらも明石城の築城により、人丸社とともにこの地に移され、
文人墨客の来訪絶えることがなかったという由緒あるお寺ですが、
明治の神仏分離により人丸社が柿本神社となる。

Akashib13

本堂前にある”八房の梅”は
穂四十七士の一人、間瀬久太夫が大石内蔵助良雄と共に、
素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したものという。

そして山門

Akashib14

伏見城の薬医門 明石城の切手(きって)門として二役を果し、
明治初年ここに移されたものとか。

門横から西参道を下ると

Akashib15

鳥居下にあるのが名水「亀の水」。
元和7年(1621)から湧き出る清水で枯れることもなく、
万病にきくといわれているそうです。

芭蕉が旅した最西端の地としての明石は、
その紀行文集「笈の小文」でも”蛸壺や・・・”の句だけと寂しいですが、
やはり須磨での思いが芭蕉には強かったようです。  19日

2017年8月17日 (木)

大垣ひまわり畑 平町

岐阜県大垣市で例年開催される恒例の「ひまわり畑」。
今年は平町地区と墨俣町上宿地区の2ヶ所ですが、
前半に種がまかれて見ごろを迎えるはずの平町地区は、
先の台風5号の影響で花が倒れてしまったとのことでした。

不安定な天気のなかでしたが、
久しぶりに青空も期待できるということで出かけてみました。

Ogakih01

花は満開ですが・・・
残念ながらやはり多くのヒマワリは倒れています ><;

Ogakih02

それでも思っていた以上に立ちあがって、
花を咲かせていました。

Ogakih03

お盆明けでしたが

Ogakih04

人気のひまわり畑!
たくさんの人たちが訪れて

Ogakih05

Ogakih06

ヒマワリを楽しまれていました。

Ogakih07

花は倒れていても、
走る新幹線はいつものとおり ^^;

Ogakih08

Ogakih09

この日は午後から日差しも出ましたが、
このまま雨が降らなければ
もう少しヒマワリが立ちあがってくれるかもしれません。

Ogakih10

こちらは後半に種がまかれたひまわり畑、
西と東側にもありますが、花はまだ咲いていません。

北側にあるコスモス畑とともに
このあとの楽しみになります。     17日

※ 墨俣上宿地区のヒマワリ畑もまだ葉っぱばかりです ^^;

2017年8月14日 (月)

旧東海道大津追分から山科

JRに乗って滋賀県を巡るモバイルスタンプラリー!
「ビワイチAppスタンプラリー」。
最後のスタンプめぐりは彦根の銘菓”埋れ木”の「いと重菓本舗」から
彦根駅へ出て、あとは琵琶湖線で山科へ。
そこから京阪京津線の追分駅まで行き山科まで旧東海道を戻ります。

追分駅から旧道に出ると、すぐに大津の「追分」があります。

Tokaido01

ここは奈良街道、小関越えと、何度も歩いた旧道ですが、
もちろん、短い旧東海道沿いに思い出の多いところ ^^;
左にてれば伏見街道(奈良街道)から大阪への”東海道57次”道、
東海道は右に行きます。

Tokaido02

追分からすぐの「閑栖寺」
その門脇にある東海道道標に”車石”と車道の説明駒札。
この説明は後ほどに ^^;

そして、スイーツ巡り最後のスタンプゲット場所 ^^;
京銘菓で知られる「井筒八橋本舗」の追分店。

Tokaido04

玄関には名水”走り井”(飲めません ^^;)と、
大津絵発祥の地碑が建っていますが、江戸時代にこの水で作った
名物”走り井餅を食べ、のどを潤したという・・・。
最後のスタンプは「走り井餅本舗の」近江銘菓”湖舟”でした。

あとは気楽な街道歩き ^^;

Tokaido05

すぐに国道1号線を高架で越えますが、
旧道は高架橋を越えて右に見える道に下りると、
その先で右折して旧三条通へと入ります。

Tokaido06

すぐにあるこの車石の案内板。
車石の説明がありますが、これは当家の方が作られたもので、
京都と大津間3里(約12km)は、物資を運ぶ牛車を楽にするために、
花崗岩の石が敷き詰められていて、石は牛舎の頻繁な通行により、
その表面が削られて轍の痕ができたもの・・・と。

この車石は近江側と京都側の街道筋にいくつも置かれています。

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道の分岐は「小関越え」。
あの芭蕉も越えた道として知られています。

Tokaido08

Tokaido09

旧街道の趣が残る道を楽しみながら

Tokaido10

この道では最大の見どころといえる「徳林庵 六角堂」、
江戸時代の作で地蔵菩薩像を安置。

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山科地蔵ともいわれ、小野篁(おののたかむら)により、
852年に造られた京六体地蔵尊の一体。

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徳林庵は、仁明天皇第四之宮人康(しのみやさねやす)親王の末葉。
南禅寺第260世雲英正怡(うんえいしょうい)禅師が
1550年に開創したという。

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徳林庵 蝉丸・人康親王供養塔
南北朝時代の珍しい宝篋印塔です。

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山科駅前から約100mほど手前にある道標。
ここが京都三条大橋から一里半、大津札の辻まで一里半とあり、
ちょうど中間地点になります。

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すぐに山科駅前。
この先にもスイフヨウの寺「大乗寺」や、見どころも多く、
秋には何度か京都三条大橋までの花めぐりで歩いた道です。

久しぶりに歩いた短い旧東海道でしたが、
今年もまたスイフヨウの季節がやってきます ^^;   12日

2017年8月11日 (金)

伊吹山の花 ’17夏

伊吹山に咲くシモツケソウはまだ少し見ごろには早く、
その他にも、この時期には必ず出会えると思っていた花も、
この日は少なくて探すのにも苦労するほどでした。

チョッと寂しく感じたこの日の伊吹山でしたが、
そんななかでこの日咲いていた花たちからその一部です  ^^;

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西登山道コース北の斜面にはお馴染みのアカソとキオン。
霧で花もはっきりと見えず、少し寂しい感じです。

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この日、やけに目についたコオニユリ

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そしてクガイソウ(左)に咲き始めのルリトラノオ。
ご存じのようによく似た花ですが、
クガイソウは葉が4~6枚の輪生、ルリトラノウは葉が対生。

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キリンソウ

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イブキトラノオ

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キヌタソウ

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キバナノカワラマツバ

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咲き残りのミヤコアザミ

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この花たちも少なかったですが、キンミズヒキにワレモコウ

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唯一咲いていたコイブキアザミは秋の花 ^^;

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ハクサンフウロ
いつもはたくさん見ることができるこの花も、わずかこれだけ。

山頂周辺からは

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中央登山道コースの斜面に咲くキンバイソウ

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お花畑周辺にはミツモトソウが群れて咲いています。

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いつもは見慣れたイブキフウロですが、
ここでようやく見つけた一輪でした。

下る東登山道コース

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この道筋では、いつも同じ場所に咲くヒヨクソウです。

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そして東登山道出口付近の咲き始めたサラシナショウマ、
斜面の上に咲くトリカブトは葉陰に隠れて見えません。

他にもカワラナデシコ、クルマバナ、ウツボグサに
ミヤマトウキなど賑やかでしたが、
全体的に開花時期が遅れているようです。   9日

2017年8月10日 (木)

霧の伊吹山

今年は不安定な天気が続いて、台風まで来襲 ><;
予定していた山歩きにも出かけられず日が経ちましたが、
この日は久しぶりに朝から快晴に。
まだ遠出の山歩きは無理かな?と、近場です ^^;

そろそろシモツケソウも見ごろではないかと思いながら、
出かけた「伊吹山」でした。
ドライブウエイ入り口での山頂情報では曇り・霧、視界100m、
気温20℃で、この時期は避けられない霧ですが・・・

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着いてみれば近年にない霧の濃さ。
しばし待機してから、西登山道コースに入りましたが、
咲く花がムチャ少ないです。(私的には ><;)

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すぐに鹿除けの防護柵をくぐります。
咲く花はあとで紹介するとして、
まずは見たかった”シモツケソウ”を中心に見て行きます。

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ときおり晴れ間が出ますが、
この日はほとんど霧がかかったままの山頂 ><;

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シモツケソウ再生試験地。
昨年も霧の中でしたが、今年はさらにひどく、
ほとんど見えないため、ここは帰りに期待してもういちど ^^;

途中、登山道を経由しましたが花はやはり少なく、
いきなり山頂お花畑です。
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今年からか?お花畑にはぐるりとロープが張られていて、
中には入れません。

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お花畑の北側に咲くイブキジャコウソウも、
ほとんど咲いていませんが・・・これも開花が遅いのか?

そのまま東登山道コースへ行きます。

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ここにも鹿除け柵 ^^;

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東登山道沿いに咲くはずのシモツケソウ、
まだ少ししか咲いていませんが・・・こちらも遅いのか?
昨年よりもひどいです ><;

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何もない東登山道コースを下りますが、
設置された鹿除け防護柵が下山口まで続いています。

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そのまま中央登山道コースを登り返しますが、
こちらのシモツケソウもほとんど見るところなし ^^;

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昨年はまだ咲いていた山頂分岐ですが・・・
ご覧のとおりで、そのままお花畑へと登ります。

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戻ってきた山頂お花畑ですが、
中には入れないため大外に張られたロープに沿って一周。
しばらく天気の回復を待ちましたが、
晴れる気配もなく西登山道を下ります。

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山頂口に咲いていたシモツケソウ。
チョッとでしたが、ここも見ごろ間近でした ^^;

そして、再生試験地です。

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パノラマ風に ^^;
少し明るくなったところで撮りましたが・・・
見ごろはこの週末辺りでしょうか。

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駐車場に近づくにつれて天気は回復してきましたが、
山頂はまだ霧の中でした。

登山道コースの防護柵もずいぶん多くなった気がしますが、
今年はオマケに霧に悩まされた伊吹山。
この日咲いていた花はこのあとに ^^;    9日

2017年8月 8日 (火)

くわな石取祭 2017

三重県桑名市で行われた天下の奇祭!「くわな石取祭」。
日本一やかましいといわれる祭りですが、
今年も6日の本楽から、渡祭の前に田町の交差点で行われた
各町の”石取ばやし”を楽しみに出かけました。

今年も八間通りを中心に38基の蔡車が勢ぞろい。

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この時間はずらりと並ぶ蔡車を見ながら

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まずは次代を担う子供たちが打ち鳴らす
鉦と太鼓を楽しみます ^^;

16:30 
今年の一番籤を引いた宝町の蔡車(花車)が動きます。

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まずは田町交差点での”石取祭ばやし”、
”ゴンゴン、チキチキゴンチキチ”とうち鳴らす鉦と太鼓。
ここでは本番となる春日神社への渡祭とはまた違った
”石取祭はやし”が楽しめます。

今回は盛り上げる囃子連とともに、その音と動きを



短いですがコンデジ動画での初公開です ^^;


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このあと、二番蔡車、三番蔡車と続き、
全蔡車が春日神社への渡祭へと曳かれていきますが

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夕暮れ迫る八間通り。

これから祭り見物に向かう人たちとは逆に・・・
渡祭を待つ蔡車を楽しみながら駅へと戻ります ^^;   6日

2017年8月 6日 (日)

続・白山平泉寺 勝山

福井県勝山市平泉寺町にある「白山平泉寺」。
参道入り口の精進坂から「本社」までを紹介しましたが、
続きはさらに奥にある「三之宮」と
参道の周辺にある中心部の見どころからです。

まずは「本社」に参拝のあとは、
さらに奥に登ったところにある「三之宮」へと行きます。

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本社から三之宮への参道に出て、
小さな鳥居をくぐると

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その先は
はるか彼方へと続く石畳と階段の道

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途中にある「納経所跡」を過ぎると
やがて「三之宮」が見えてきます。

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最後の石段を登りきったところにある「三宮」。
慶長2年(1597)に建立され、明治22年に改築されています。
祀られているのは栲幡千々姫尊(たくはたちぢひめのみこと)で、
安産の神様。

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その一段下には楠木正成の墓があります。
これにはもちろん曰くありですが・・・説明は省きます。

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三宮の横に延びる木の根道。
その先は

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泰澄大師が開いたといわれる白山への登山道”白山禅定道”。
白山市にある白山比咩(しらやまひめ)神社(加賀)、
郡上市の長滝白山神社(美濃)から登拝する禅定道のひとつです。

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戻ります ^^;

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「本社」近くの境内に建つのは
開祖泰澄太師を祀る「開山社」。

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あらためて拝殿と

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本社ですが、
その向拝の紅梁には

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見事な登り龍と降り龍の丸彫

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そして、壁面には浮彫の彫刻でした。

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戻った白山神社社務所(玄成院)
ここには国名勝の旧玄成院庭園があります。

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1530年頃、
室町幕府の管領細川高国によって造られたと言われ、
自然石を利用した枯山水庭園です。
詳しい説明はあるものの・・・解説はできません ><;

この日はあくまで観光としての白山平泉寺でした。
旧参道や南谷発掘地などもめぐればずいぶんの時間になりますが、
ここはあらためて全容を見に訪れたいところです。   3日

2017年8月 5日 (土)

白山平泉寺 勝山

福井県勝山市平泉寺町にある国史跡「白山平泉寺(へいせんじ)」。
越前における白山信仰の拠点として、
養老元年(717)に泰澄によって開かれたと言われていますが、
明治時代までは「霊応山平泉寺」という天台宗の寺院だったという。

このお寺を知った時から気になっていましたが、
この日は北陸地区も晴れるとの天気予報にドライブでした ^^;

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とにかく広大な範囲に広がる寺領のため、
今回はそのメインどころの入口参道から本社まで。
まずは「精進坂」と呼ばれる参道に入ります。

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一の鳥居をくぐった先に延びる参道。
中世には48社・36堂・6,000坊が建ち並ぶ大伽藍でしたが、
天正2年(1574)に越前一向一揆勢に攻められ全山焼失。

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平成になって発掘調査が始まると、
数々の石畳や石垣、坊院跡(僧侶の住居跡)が発見されますが、
今回はこの中心部だけを見ていきます。

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御手洗池
泰澄大師がここで神様に出会ったことが、平泉寺の始まりとか。
「平清水」「平泉」とも呼ばれ、平泉寺の名前の元にもなった・・・とも。

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二の鳥居をくぐると

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すぐ先は左に摂社、右に三之宮への分岐で、
”神と仏の交差点”だそうです。

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杉木立と苔が美しく、神秘的な雰囲気の境内。
それぞれ摂社末社の祠をめぐりながら・・・

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拝殿へと続く両脇の見事な苔庭を見て行きますが、
これでも苔の状態は以前より悪くなっているそうです。

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拝殿(三十三間拝殿跡)
現在の拝殿は江戸時代に造られたという建物ですが、
往時は46間(約83m)もあったと言われます。

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今は、左右に点在する礎石に当時の大きさを知るだけ。

拝殿を回り込むとその後ろには、
本社を中心に3つの社が建っています。

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本社(大御前)、祭神は伊奘冊尊(いざなみのみこと)

見事な昇り龍と降り龍が軒を支えている現在の建物は、
寛政7年(1795)に12代福井藩主の松平重富が寄進したもの。

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その左には大己貴尊(大国主命)を祀る「越南知社(おおなむちしゃ)」

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そして右には
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を祀る「別山社」です。

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本殿とふたつの社は
霊峰白山にある三つの峰をあらわしているそうです。

”慶応4年(18689、明治政府より神仏分離令が出されると、
平安時代以来の神仏習合の伝統が破棄され、神社として分離独立。
今は「平泉寺白山神社」となっています・・・”と。

この後はここからさらに奥にある「三之宮」と、
境内の他の見どころです ^^;     3日

2017年8月 2日 (水)

奈良 ナガレ山古墳

馬見丘陵公園は自然と多くの古墳群を保全するため、
昭和59年(1984)に都市公園(広域公園)として計画され、
平成24年(2012)、中央エリア及び南エリアの一部が開園して、
全面開園となった広大なエリアを持つ公園です。

多くの古墳があることで知られていますが、
特に「ナガレ山古墳」は一般公開されていて
この日は中央エリアの南部ともに初めての見学でした。

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公園中央エリアの南にある古墳

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一段目を上ったところにあった案内板ですが、
白線でめぐった古墳の順路を入れてみました ^^;

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案内板のある横から中央部の階段を上がりますが、
写真は古墳の東側からの一部で、
全長105mの前方後円墳の巨大さが実感できます。

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前方後円墳の後円部

古墳の周りには強化プラスチック製のものと、
河合町町民の方の手作りという埴輪675本並べられています。

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3段目の古墳前方部

被葬者は不明ですが、
5世紀前半に作られたものとされていて

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3段目の後方円部

昭和51年(1976)に国指定の史跡となり、

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後円墳の頂部

発掘調査と整備工事が行われ、
1600年前の築造当初の姿が復元されています。

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後円墳頂部から前方部
古墳の東部(右側)は石壁、西部は芝生で整備されていて、
当時の様子が見てとれます。

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古墳の一段目、入口を上ったところ

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東側に広がるのは公園にの墳群ですが、
はるか右側にはあの「箸墓古墳」も見えるそうですが・・・
この日は周辺の古墳しか見えませんでした ^^;

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後円墳を下りて戻りますが

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手作りとはいえ、
ずらりと並ぶ埴輪の数々には圧倒されます。

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あらためて後方墳円

四季を通じて花の公園として知られる奈良「馬見丘陵公園」。
その中央エリア南端から、南エリアは、
貴重な古墳と豊かな自然が楽しめるエリアでした。  7月30日

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