揖斐城趾
岐阜県揖斐川町にある「揖斐城跡」。
この日は三輪神社の例大祭「いびまつり」に出かけていましたが、
最初の軕(やま)の曳き入れを見たあと、
次の稚児役者練込みまでの時間を利用しての城跡見学でした。
登城口にあった案内図には往復1時間ほどとあり、
時間的にはちょうどいい時間つぶしかと ^^;
神社横の「心字池」越しに眺める中央部が、
城跡のある城台山(標高223m)です。
隣にある松林寺を見るとすぐにある登城口。
ここから城跡までは比高180m(麓から城までの高さ)、
約30分の道のり。
すぐに観世音菩薩と金毘羅神社のある「城台山公園」。
ここを回り込んで行くと
その先にある一心寺、
境内の道から本堂横を抜けると地道の散策路に入ります。
新緑のまぶしい道はところどころで視界が開け、
真下に広がる田園風景を眺めながら行きます。
左に白山神社の案内を見ると、すぐに「井戸」への案内板、
ここは帰り道に使うことにして真っ直ぐ丸太の階段を上ります。
上りきったところが「南の丸跡」。
広場を回り込み、左に民族資料館への道を分けて
右の「本丸跡」へと登ります。
ここが城台山山頂・揖斐城跡の「本丸跡」。
綺麗に整備され、ベンチもある広場でした ^^;
城跡は尾根に沿ってさらに北へと続きます。
すぐに桝形虎口跡(本丸正面出入り口)
右に「本丸腰曲輪」を見て少し下った尾根筋には、
「竪堀跡」が横切っています。
そして広い広場に出ると「二之丸跡」
さらに曲輪跡があり、その先が「大手門跡」
城跡はまだまだ続きます ^^;
ここが「三の丸跡」
次が右に「出丸」の高い土塁がある横を通過しますが、
ここは「切り通し跡」、出丸は帰りにと通り過ぎます。
道は次第に細くなり、山道らしくなってきますが、
この先が「北の丸跡」。
さらに細い尾根筋が続いて、
この辺りは本丸への防御道としての役割として造られた
搦め手道や堀切の跡でしょうか。
その「搦手曲輪・搦手跡」(城の裏門)に来ました。
「堀切跡」があってここが城跡の北の端。
かなり縦に長い縄張りに思えましたが、約50mほどとか。
この先もさらに散策路が延びていますが、
ここから戻り、来る途中にあった出丸と井戸に立ち寄ります。
まずは「出丸跡」
開けた場所からは揖斐川町の町並みが見えますが、
遠くには左に美濃赤坂金生山、右に池田山?でしょうか。
そして城跡の下を巻くように山肌を行くとある「井戸跡」です。
およそ650年前に、この地の支配者土岐一族が築いた城で、
約200年にわたり守られてきましたが、
天文16年(1548)に斎藤道三によって攻められ落城します。
登城道沿いに咲いていたモチツツジ。
その後、幾多の変遷を経て時代は下り、
岡田藩揖斐陣屋の時代を経て、
現在の揖斐川町三輪の町並みが形作られたという・・・。
まつりのさなかに訪れた揖斐城跡でした。 5日
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