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2017年5月 8日 (月)

揖斐城趾

岐阜県揖斐川町にある「揖斐城跡」。
この日は三輪神社の例大祭「いびまつり」に出かけていましたが、
最初の軕(やま)の曳き入れを見たあと、
次の稚児役者練込みまでの時間を利用しての城跡見学でした。

登城口にあった案内図には往復1時間ほどとあり、
時間的にはちょうどいい時間つぶしかと ^^;

Ibisiro01

神社横の「心字池」越しに眺める中央部が、
城跡のある城台山(標高223m)です。

Ibisiro02

隣にある松林寺を見るとすぐにある登城口。
ここから城跡までは比高180m(麓から城までの高さ)、
約30分の道のり。

Ibisiro03

すぐに観世音菩薩と金毘羅神社のある「城台山公園」。
ここを回り込んで行くと

Ibisiro04

その先にある一心寺、
境内の道から本堂横を抜けると地道の散策路に入ります。

Ibisiro05

新緑のまぶしい道はところどころで視界が開け、
真下に広がる田園風景を眺めながら行きます。

Ibisiro06

左に白山神社の案内を見ると、すぐに「井戸」への案内板、
ここは帰り道に使うことにして真っ直ぐ丸太の階段を上ります。

Ibisiro07

上りきったところが「南の丸跡」。
広場を回り込み、左に民族資料館への道を分けて
右の「本丸跡」へと登ります。

Ibisiro08

ここが城台山山頂・揖斐城跡の「本丸跡」。
綺麗に整備され、ベンチもある広場でした ^^;

城跡は尾根に沿ってさらに北へと続きます。

Ibisiro09

すぐに桝形虎口跡(本丸正面出入り口)

Ibisiro10

右に「本丸腰曲輪」を見て少し下った尾根筋には、
「竪堀跡」が横切っています。

Ibisiro11

そして広い広場に出ると「二之丸跡」

Ibisiro12

さらに曲輪跡があり、その先が「大手門跡」
城跡はまだまだ続きます ^^;

Ibisiro13

ここが「三の丸跡」

Ibisiro14

次が右に「出丸」の高い土塁がある横を通過しますが、
ここは「切り通し跡」、出丸は帰りにと通り過ぎます。

Ibisiro15

道は次第に細くなり、山道らしくなってきますが、
この先が「北の丸跡」。

Ibisiro16

さらに細い尾根筋が続いて、
この辺りは本丸への防御道としての役割として造られた
搦め手道や堀切の跡でしょうか。

Ibisiro17

その「搦手曲輪・搦手跡」(城の裏門)に来ました。

Ibisiro18

「堀切跡」があってここが城跡の北の端。
かなり縦に長い縄張りに思えましたが、約50mほどとか。

この先もさらに散策路が延びていますが、
ここから戻り、来る途中にあった出丸と井戸に立ち寄ります。

Ibisiro19

まずは「出丸跡」

Ibisiro20

開けた場所からは揖斐川町の町並みが見えますが、
遠くには左に美濃赤坂金生山、右に池田山?でしょうか。

Ibisiro21

そして城跡の下を巻くように山肌を行くとある「井戸跡」です。

およそ650年前に、この地の支配者土岐一族が築いた城で、
約200年にわたり守られてきましたが、
天文16年(1548)に斎藤道三によって攻められ落城します。

Ibisiro22

登城道沿いに咲いていたモチツツジ。

その後、幾多の変遷を経て時代は下り、
岡田藩揖斐陣屋の時代を経て、
現在の揖斐川町三輪の町並みが形作られたという・・・。

まつりのさなかに訪れた揖斐城跡でした。   5日

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