美濃金山城跡
岐阜県可児市兼山にある国史跡「美濃金山城跡」。
森可成(よしなり)から始まる森氏一族の居城であり、
また、本能寺の変で織田信長とともに討たれた(諸説あり)
森蘭丸生誕の城でもありますが・・・初登城です。
標高約277mの古城山山頂に築かれた山城、
まずは麓の第一駐車場から大手道を行きます。
山裾にある「蘭丸ふるさとの森」にある
”伝・蘭丸産湯の井戸”。
ここからはたくさんの遊歩道が整備されています。
どの道を行くも良し!長い、短いはありますが、
いずれでも城跡下にある登城道へ合流します。
巨岩の上に建つ「物見の櫓」
櫓から眺める「出丸跡」。
ここに山頂の駐車場があり、車で来れます ^^;
その車道に出ると登城口がありますが、
思っていたより城跡の真下まで車で来れます。
さて、それでは城跡へ。
丸太の階段を少し登ると「三の丸門跡」
上りきると左に「水の手」への門跡ですが通行止め。
右には「二之丸跡」
奥に進むと「二之丸物見櫓跡」があります。
ただ、視界が開けず見えるところから ><;
戻って本丸跡への道
すぐに「大手桝形」の虎口に出ます。
手前に一の門、右手に二の門があったようですが、
ここで桝形に曲がって本丸へ。
その先には”天守台西南隅石”の石垣跡があり、
少しだけ城郭の面影を残しています。
そして本丸跡に出ました。
奥には「史跡 金山(かねやま)城跡」の碑が建ち、
天守跡?の礎石も見ることができます。
北側には「鳥竜(うりゅう)神社」の祠があったようですが、
盛土の部分はその跡でしょうか?
傍には天然記念物の”オオウラジロノキ(ヤマナシ)です。
本丸跡北側からの眺め、
手前の橋は木曽川に架かる兼山橋。
本丸跡を北側に回り込むと、
わずかですが石垣が残る「東腰曲輪跡」に出ます。
そして
その先は小さな礎石が残る「搦手門跡」でした。
この先、下りてしまうと駐車場に戻るのが一苦労 ^^;
で、ここから戻ります。
登城口に戻って、
ここが山頂駐車場のある「出丸跡」。
天文6年(1537)、斎藤正義(妙春)によって築造され、
「烏峰城(うほうじょう)」と呼ばれていました。
その後、織田信長が美濃を領地としたことから、
家臣の森可成(よしなり)が城主となり
「金山城・兼山城(かねやまじょう)」と改称。
出丸跡に残る石垣
以後、長可(ながよし)、蘭丸、忠政と35年間にわたり
森氏一族の城主が続きますが・・・
慶長5年(1600)犬山城主石川光吉領となると、
翌年、犬山城主小笠原吉次により破却されます。
古城山と金山城跡
平成25年(2013)に国史跡に指定。
また、平成29年(2017)には
”続日本100名城”に選定されています。 17日
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ほんとうにいろんなところをご存知ですね。
以前、近くを通ったような気がしますが城址は登っていません。
出かけたような気分になれてうれしいです。
投稿: 風 kei | 2017年5月18日 (木) 05時26分
風 kei さん
以前に新聞の投稿記事を見て出かけてみました。
可児市には多くの城跡がありますが、
ここは整備も行き届いていて、いい城跡です。
投稿: 好好爺 | 2017年5月18日 (木) 19時56分