京都 鳥羽離宮跡
京都「城南宮」の”しだれ梅”を先に載せましたが、
この日は城南宮を含む周辺一帯に広がる
「鳥羽離宮跡」の散策も目的でした。
鳥羽離宮は平安時代後期に、
白河・鳥羽・後白河上皇が造営の離宮で院政を行ったところ。
東西1.5km、南北1kmの広大な敷地に
苑池・各殿舎・堂塔が建ち並んでいたそうですが、
今は安楽寿院に各天皇陵、城南宮と秋の山(築山)を残すだけ。
散策は近鉄京都線竹田駅からスタートです。
南に約10分ほど歩いて西に入るとあるのが「安楽寿院」。
鳥羽上皇が鳥羽殿の東殿に御堂を建立したのが起源で、
幾多の衰退のあと豊臣秀頼により復興されます。
すぐ南側にあるのが
日本で唯一多宝塔が残る「近衛天皇 安楽寿院南陵」。
安楽寿院の西側には諸堂が建ち並び
その一角には「三如来石仏」があります。
平安時代の貴重な遺仏といわれる三尊石仏で、
薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊の三体が、
江戸時代に成菩提院跡から出土したと伝わります。
そのひとつ、阿弥陀三尊像は
京都国立博物館で展示されていてありません。
その隣にある収蔵庫横には復元された庭園。
中には入れませんでしたが鉄扉の外から撮影 ^^;
この辺りは鳥羽離宮東殿になるようですが
その角にあった「白河法皇・鳥羽法皇院政之地」石碑。
この横にある「冠石」をみて北に上がると
「鳥羽天皇安楽寿院陵」があります。
さらに北上して「五輪塔」を見て戻り、さらに西へ行くと
「北向不動尊」
順路で裏から入ってしまいましたが・・・こちらが正面山門 ^^;
本堂
鳥羽天皇勅願所で、本尊の不動明王が王城鎮護のため、
北を向いていることから「北向不動」と呼ばれています。
ここからは阪神高速道をくぐり
すぐ先にある「白河天皇 成菩提院陵」を見て北上、
途中、「西行寺跡」祠から少し西に行きます。
小刻みに曲がる道を抜けて行くと
離宮跡の北西に位置する「田中殿跡」に出ます。
28年間法皇として専権を振るった鳥羽上皇が
離宮内に造営した最後の御所で、皇女八条院のために建立。
現在は田中殿公園となっています。
ここからは一気に南下(といってもすぐですが ^^;)して行き、
城南宮通りへと出ます。
「城南離宮」の額がかかる鳥居をくぐり城南宮境内へ
本殿(工事中)への鳥居をくぐって神苑めぐり ^^;
しだれ梅満開の「春の山」から「平安の庭」
南にある「城南離宮の庭」、「室町の庭」
そしてこの「桃山の庭」を見て行きます。
城南宮は鳥羽離宮の鎮守社であり、
この辺りは鳥羽離宮の馬場殿だったところ。
境内を通り抜けてふたたび西に向かうと
鴨川に突き当たりますが、見える橋は「小枝橋」。
このすぐ後ろには
”鳥羽伏見戦跡”碑があります。
明治元年(1868)正月3日、この付近にあった旧小枝橋で、
幕府軍と新政府軍が衝突、約2年にわたる戊辰戦争の
火蓋が切られたところで、南下する道は鳥羽街道(千本通り)。
街道を少し下ると「鳥羽離宮公園」
碑が建つ小高い丘が「秋の山」。
これも離宮築山のひとつで、
城南宮の「春の山」とともに対になっています。
この辺りは戊辰戦争勃発の地であり、
「秋の山」の下にはその顕彰碑が立てられています。
公園を通り抜けるともうひとつの広場に出ますが
ここが「鳥羽殿跡」
鳥羽離宮で最初に造営された南殿の跡地でした。
あらためて
鳥羽離宮公園・南殿跡
見てきました京都伏見区竹田・中島・下鳥羽に広がる、
広大な鳥羽離宮跡に、遺跡はほとんど残っていませんが、
一部の離宮跡や御陵に往時の面影を偲ぶことができます。 3日
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