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2017年3月31日 (金)

美濃街道 駒野から関ケ原

美濃路(美濃街道)は東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結ぶ
脇往還ですが、桑名の東海道から美濃の関ケ原へといたる
もうひとつの美濃街道があります。

関ケ原からは伊勢への道として伊勢街道とも呼ばれる道。
昨年の暮れに桑名の多度から海津市の駒野までを歩いていますが、
この日はその続き、駒野から関ケ原までを歩きました。

Mino201

駒野集落を行く美濃街道

歩く身に楽しい街道とはいえ、特に見どころもなくただ歩くだけ ><;
ただ、この街道は伊勢街道ともいわれるだけに
神宮と刻まれた常夜灯が多くあります。

Mino202

で、いきなり常夜灯(南濃町徳田)ですが ^^;
今回はそんな「常夜灯」を中心に道中を紹介してみたいと思います。

街道は南濃町徳田、戸田の集落を抜けると
再び県道56号線(薩摩カイコウズ街道)に出て,
その先で旧道を志津の集落へと入ります。

Mino203

ここで初めて道標に出会いました。
「右 京都 ・・・  左 伊勢、多度 四日市 ・・・」は判読できましたが、
あとはどうにも??読めなくても街道歩きではうれしい道標です。

次が津屋の集落、美濃津屋駅を過ぎてしばらく行くと

Mino204

この常夜灯。
常夜灯は道しるべも兼ねていますが、
この道筋の常夜灯は”神宮”の文字が刻まれています。

Mino205

すぐ先にある「本慶寺」。
ここはかっての「津屋城」があったところ。
関ケ原の戦いで西軍についたため廃城となりますが、
その後領主の許しを得て本慶寺となっています。

Mino206

津屋から道は養老町へ入ると一色、船見の集落に。

Mino207

ここには「太神宮」の常夜灯です。
その先には「観音寺」がありますが、
とにかくこの街道筋にある神社仏閣の多いのにはちょっとびっくり。

Mino208

小倉から鷲巣の集落に入るとこの石柱、
鷲巣は第13代横綱「鬼面山谷五郎」の生誕地とか。

Mino209

そして「養老駅」に到着。
駒野駅からほゞ10km、2時間10分の行程でしたが、
ここでひと休みして後半へ。
関ケ原までは残り約15kmほどですが、
ここからはエスケープができず、一気の歩きになります。

Mino210

県道56号を渡った先で変則5差路を曲がりそこね、
養老公園の道でいきなり迷いタイムロス ><;
本道に戻って養老町石畑の集落へ入ります。

Mino211

石畑にある比較的新しい道標
ここは伊勢街道と養老街道が交差する柏尾地区。
※ 養老からは伊勢街道に統一します。

柏尾地区から道はいったん県道(通称焼き肉街道)寄りに出ますが

Mino212

すぐに山沿いに戻り、石畑から勢至の集落へ。
このあと竜泉寺、桜井と行きますが、
この辺りは道が入り組んでいて本道を外した感もありました ><;

Mino213

沢田地区に入って珍しい二宮金次郎像と学校の門柱。
養老北小学校跡(前身は沢田小学校)との説明碑がありました。
ここでしばらく休憩 ^^;

Mino214

次が沢田の集落にあった常夜灯(本郷)。
個人の方の寄進によるもので二代目だそうですが、
玉垣で囲われ、唐破風造りの屋根という珍しいものです。

沢田地区を抜けると養老町から大垣市上石津町。

Mino215

すぐに牧田川を広瀬橋で渡ります。

Mino216

その先、上石津町牧田で九里半街道に合流。
(ここから関ケ原の中山道までは重複部分になります ^^;)

九里半街道:詳細は省きますが、
江戸時代、養老の濃州三湊から大垣市上石津町、関ヶ原を通り、
中山道で米原の「朝妻湊」までの九里半(38km)を結んだ街道。

Mino217

その中心部となる牧田宿、
まずはこの大神宮の常夜灯。

Mino218 Mino219

そしてこのふたつの常夜灯、刻まれているのは金毘羅大権現と秋葉山、
海上交通の守り神と、火防の神さんですが、
ここ牧田は水運物資で栄えた町でもあります。

Mino220

牧田集落の外れ「木曽神社」の先にある地蔵尊、
その後ろにまだ新しい?「芭蕉句碑」がありました。
句は ”義仲の寝覚めの山か月かなし 芭蕉”

この先で道は名神高速道をくぐりますが、
その手前にある烏頭坂。

Mino221

ここは島津豊久奮戦の地。
関ケ原の戦いで西軍の敗戦が決したなか、
孤立した島津軍が家康本陣の敵中突破(島津の退き口)で、
島津義弘を助けるため豊久が踏みとどまって戦ったという。
この上にはその豊久の墓がありますが・・・外しました ><;

Mino222

関ケ原町に入ってすぐにある道標、
「左 旧道」の指示通り旧道へ。

Mino223

桑名から始まったもうひとつの「美濃街道(伊勢街道)」、
最後の立ち寄りは桑名藩初代藩主本多忠勝の陣跡でした。

すぐに中山道の追分

Mino224

そしてJR関ケ原駅に到着です。

ヤマトタケルが伊吹山で負傷して下山、
手負いのまま大和をめざした古道でもあるという・・・
これも数ある伊勢街道のひとつでした。  29日

2017年3月30日 (木)

彦根城梅林

滋賀県彦根市にある「彦根城」。
こちらも桜の名所ですが、
その城内に、約400本の紅梅や白梅が咲く梅林があります。

この日は表門山道から「鐘の丸」へは行かず、
そのまま大手門山道を下りたところにある梅林へ直行です。

Hikonec01

天秤櫓の下から大手門へと下る大手山道

Hikonec02

下りきったところから
南北に延びるようにある梅林

Hikonec03

道を挟んで左側には白梅

Hikonec04

右側には紅梅の梅林が帯のように植えられています。

Hikonec05

1950年、彦根城が新日本観光地百選に選ばれたのを記念して、
城の南側にある米蔵跡に植えられたのが始まり。

Hikonec06

開花情報はまだ”5分咲き”でしたが、
この日はもう少し進んでいるようでした。

Hikonec07

梅林からわずかに見える天守

Hikonec08

紅梅の多さに比べると
咲いている木が少し少なく感じる白梅ですが

Hikonec09

Hikonec10

その大半は南と北側に咲いています。

Hikonec12

同じ北側に咲く紅梅とともに
こちらはちょうど見ごろでしょうか ^^;

Hikonec13

その北側から眺める梅林。
ずいぶんと待ちましたが・・・
まだ見ごろになるのは4月に入ってからでしょうか?

オマケ!

Hikonec14

戻った本丸
姉妹都市水戸の梅と彦根城天守(国宝)

Hikonec15

もう一枚 ^^;

Hikonep16

何度も訪れている彦根城でしたが、
梅の咲くこの時期に訪れるのは初めてでした。

ここを今年最後の観梅にと決めていた彦根城梅林。
満開には少し早かったですが、
見ごろ間近の紅梅、白梅を楽しみました。    28日

2017年3月29日 (水)

長浜 豊公園の梅

滋賀県長浜市公園町にある「豊公園」。
滋賀県の桜の名所として知られるところですが、
噴水広場北側に約150本の紅梅、白梅が植えられていて、
桜が咲く前に梅が楽しめます。

”つぼみ、一部は3分~5咲き”との情報から少し日が経ち、
そろそろ見ごろか、と出かけてみました。

Houp01

梅林は噴水広場の西側と、
びわ湖側の2個所にあります。

Houp02

駐車場から入るとまず広場の西側にある梅林、
こちらはほとんどが紅梅で、白梅はわずか。
2013年に一度剪定されているためでしょうか?
一部はまだ木が小さいです ^^;

Houp03

その白梅は見ごろですが・・・
紅梅はまだつぼみばかり ><;これはちょっと誤算でした。

Houp04

そして、びわ湖側の梅林。
こちらにも白梅と紅梅が植えられていますが

Houp05

Houp06

今がちょうど見ごろ。
白梅、紅梅とも綺麗に咲いています。

Houp07

咲いている紅梅をメインに撮っていますが・・・

Houp08

お城側に比べて無剪定のためか?
徒長枝がやや気になります ^^;

Houp09

Houp10

それはそれとして、
ここの梅林はやはり長浜城(模擬復元・歴史博物館)とのコラボ。

Houp11

どうしても天守を入れての撮影になります。

Houp12

Houp13

びわ湖側の梅林はちょうど見ごろでしたが、
広場の西側は少し遅れているようです。
もしかしたら、サクラが咲くころまで見られるかも・・・ ^^;

オマケ!

Houp14

さざなみ街道を米原へと走る途中にある、
道の駅「近江母の郷」に咲く河津桜。

Houp15

ちょうど冠雪した伊吹山とのコラボでした ^^;

まだつぼみの木がある長浜「豊公園」の梅でしたが、
このあとはさざなみ街道をさらに走って彦根へ。
今年最後の観梅は「彦根城梅林」です。   28日

2017年3月26日 (日)

いなべ梅林 大梅林苑

終盤を迎えているいなべ市の「いなべ農業公園 梅林」ですが、
観光用梅苑の南側に、
実生梅の木が植えられた広大な「大梅林苑」があります。
周辺に付けられた収穫用の道路から眺める梅林ですが、
全体を回るとかなりの距離になる広さがあります。

久しぶりにその一部を回ってみました。

Inabeume201

観光用梅林公園から旧見晴場所の高台に上がると、
大梅林苑の間に車道があります。

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その道路から延びる道を東へ(梅林公園入口側)と行き、
作業小屋から道を回り込んで

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少し上った道の途中から眺めると、
広大な実生梅の大梅林苑が望めます。

Inabeume204

こちらもまたすごい数の梅の木ですが、
やはり花は終盤・・・ちょっと寂しい感じです。

ここから逆Sの字に車道を戻りながら、
左右にある梅林を見て行きます。

Inabeume205

中央部からは、
藤原岳から北にある冠雪の山々とウメのコラボ ^^;

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そして梅林

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満開ならさらに綺麗な花が楽しめるところですが、
こちらもすでに終盤 ><;

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先に行くにつれ見えてくる藤原岳、

Inabeume210

北に延びる山々は中央に御池、鈴北岳、右に焼尾山

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まだ雪の多い鈴鹿の山々ですが、
手前の梅林も綺麗です ^^;

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少し場所を変えてみました。

Inabeume213

さらに右には烏帽子岳ですが、
こちらは満開の紅梅とのコラボ ^^

Inabeume214

終盤とはいえ、
少し遠くから撮るとまだ綺麗です。

Inabeume215

最後はやはり藤原岳 ^^;

ボリュームのある満開のウメ・・・とはいきませんでしたが、
「いなべ農業公園の大梅林苑」。
雪の残る山々とともに楽しみました。     24日

2017年3月25日 (土)

いなべ市農業公園 梅林

どうもこの梅林には強風と寒さに縁があるのか?
三重県いなべ市にあるいなべ農業公園の「梅林公園」です。

2014年と15年は例年並みの3月20日過ぎでしたが、
風が吹く寒いなかでの観梅、
昨年は3月2日と早い日の見ごろでしたが・・・残雪と小雪のなか。
今年もまた、晴れるのを待っていたら
強風と冬に逆戻りしたような寒い日になりました ><;

Inabe01

今年から新しくできた「みはらし台」から。
ここには定点カメラが備え付けられていて開花状況が見れるため、
HPで出かける前にチェックをしてきました。

Inabe02

ということで、
この構図はその定点カメラとほゞ同じ ^^;

Inabe03

あとはアップで中心部から

Inabe04

その先と、
こうして上から眺めるとやや透けてはいるものの
まだ十分に見ごろに見えますが・・・

Inabe05

梅林に入ると、
花はさすがに終盤を迎えています。

風が強い分、視界は良いため、
藤原岳とその北部の山々も綺麗に見えて
梅林とのコラボも楽しめます。

Inabe06

ただ、ウメも、しだれ梅もすでに終盤を迎えているためか、
全体にボリューム感はありません。

Inabe07

その分、この日はまだ冠雪の山々が望め、
ウメとのコラボを楽しみます ^^;

Inabe08

しだれ梅はまだ見ごろですが、
この日の強風で散る花もあり・・・

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どうやら梅まつりの最終日(26日・日)ごろまでが
見ごろのラストチャンスでしょうか?

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ただ、ここの梅林は100種類、約4、000本の梅の木があり、
少々透けてはいてもまだ綺麗です。

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今年は終盤の散り花もいいかなと、ちょっと待っていましたが、
何やら中途半端な観梅になってしまいました ^^;

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とはいえ、
ここの梅林はさすがに見応えがあります。

このあとは久しぶりにこの梅苑の南側にある、
実生梅の木が植えられた大梅林苑をめぐってみました。
こちらはウメと残雪の山々です ^^;    24日

2017年3月23日 (木)

近江の国 苗村神社

滋賀県竜王町綾戸にある「苗村神社(なむらじんじゃ)」。
平安時代の延喜式神名帳に
「長寸(なむら)神社」として列座された格式の高い式内社で、
近郷の33ヶ村にわたって氏子を有する。

東本殿(祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと)・
素盞嗚尊(すさのおのみこと))は重文、
西本殿(祭神 国狭槌命(くにのさづちのみこと)は国宝です。


Namura01

西本殿への鳥居とその先に楼門

県道を挟んで東西に本殿がありますが、
駐車場に車を止めてまず目に入る楼門に、
やはり西本殿への参道へとは入ります。

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参道を行くと神橋か?小さな太鼓橋があり、
その先には左右に延びる馬場、そして見事な楼門が建ちますが、
その下層には扉や壁を設けず、全て解放となっています。

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後奈良天皇御下賜という
「正一位苗村大明神」の勅額が掛かる楼門。

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門をくぐると左手には「龍神社」

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境内の右端には鳥居と護国社、
その左手には摂末社が取り巻くように西本殿です。

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拝殿

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鎌倉時代に建立された
三間社流造り、桧皮葺の本殿(国宝)。

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拝殿左手から境内を南に進むと

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苗村不動明王の碑が建つ「不動堂」です。

ここから参道を戻って県道を挟んだ東本殿へ行きます。

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「式内長寸神社」の社名石が建つ東本殿入口

”969年に大和国芳野金峯山の國狹槌尊(くにのさづちみこと)の御神霊が、
神域の西方に御鎮座された為、社殿が造営され、元の本殿を東本殿、
造営された本殿を西本殿と呼ぶようになりました・・・”と、あります。

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鳥居をくぐるとすぐ右手にあるのが「大神宮」

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静寂のなかの参道を行くと

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東本殿(重文)が建ち
右に「天神社」、左には「佐々貴社」です。

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本殿
”建立年代は明らかではないが、
向拝の蟇股(かえるまた)の様式は室町時代のものである・・・”と。
        ↓
(屋根の下中央、桁の間に付けられた山型の部材です ^^;)

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本殿前の狛犬
東西本殿とともに、ちょっと珍しい造りでした。

毎年の例大祭とは別に行われる「三十三年式年大祭」は
33年に一度行われますが、最近は昨年に行われたばかりで、
次回は2046年10月に行われる予定です。   2月25日

2017年3月21日 (火)

岡崎乙川堤の河津桜

岡崎市東明大寺町の乙川(おとがわ)堤防沿いに植えられた、
86本の河津桜が見ごろを迎えたとの情報から1週間ほど経ちました。
この日は出かける予定ではなかったんですが、
暖かい春の陽気に誘われるようについふらふらと電車でGO! ^^;

名鉄東岡崎駅から乙川に出て
堤防沿いを1kmほど南下していくとある竜美丘会館。

Aoisakura01

その前から、約700mほどにわたって
堤防に咲く河津桜です。

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もう終盤かと思っていましたが、
少し葉がで始めてはいるものの、まだ見ごろです。

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堤防上からと、川沿いから眺めるだけの、
単調な桜並木ですが・・・

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これだけ満開の木を見るとまさに圧巻!

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徳川家の家紋にちなんで”葵桜”とも言われ、
秋に咲く彼岸花とともに、
ここは”葵桜と彼岸花の咲くふる里”とか。

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この日は3連休の最終日でもあり、
暖かい日差しのなかで多くの人が花を楽しまれていました。

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アップも一枚 ^^;

ただ、撮るのもお決まりの構図ばかりではと

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やはり花に戯れる鳥たちですが・・・
この日は出かけたのが遅かったためか、メジロが少なく ^^;

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ほとんどがヒヨドリです。

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その飛び回るヒヨドリを追っかけてみましたが、
これがまたタイミングが難しく

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撮ってはみたものの・・・
こんなところが精一杯でした ><;

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桜並木の南端になる「竹橋」からの眺め。

春のような?陽気のなかで楽しんだ河津桜(葵桜)でしたが、
乙川堤のソメイヨシノはまだつぼみです。    20日

2017年3月20日 (月)

なら散策 入江泰吉旧居

奈良公園の片岡梅林から東大寺に出て奈良の散策へ。
”お水取り”の終わった「二月堂」から、
裏参道、正倉院を見て「戒壇堂」出ます。

戒壇堂から南に延びる道は「吉城園」や「依水園」へと続く、
古い建物が立ち並ぶ風情ある町筋の水門町。
その途中に写真家「入江泰吉旧居」があります。

Irie01
入口

奈良大和路を愛し、
大和路の風景、仏像、行事などを撮り続けた入江泰吉。
その旧居

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玄関
一般的な住居のように土間がなく、
直接部屋に通じるようになっています。

元は興福寺の子院正法院家住宅でしたが、
吉城園の建て替えに伴い大正8年に移築したという。

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受付のある玄関間からはすぐに客間になります。

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ここには多くの文人、墨客が訪れたという。

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次の間へと続く欄間には、
薬師寺本尊の「薬師如来台座」(国宝)から拓本をとったという
”白虎”の額が掛かっています。

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廊下から眺める景色、
まだ常緑樹の椿だけで透けて見えますが ^^;
春には新緑、秋には紅葉が楽しめるとも。

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部屋をつなぐ渡り廊下、
この辺りは公開に先立って改修されているようです。

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ちょっと変わった造りの茶室

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部屋の出入り口?

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次の間が奥様の部屋。
廊下に置かれた小さなテーブルが印象的ですが、
このテーブルが二人の語らいの場でもあったようです。

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洋間から書斎へと続きますが、
この辺りはあとで増築された部屋。

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アトリエ

絵画、仏像彫刻などを趣味とした?
写真家入江泰吉の憩いの場でもあったようです。

この家には自身の写真は一枚もありません ^^;
この建物以前に寄贈された全写真、その一部は
「入江泰吉記念奈良市写真美術館」で見れます。

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玄関横から石段を下りて庭に出ました。

飛び石が続く庭の右手には吉城川が流れ、
建物は一段高い場所に造られています。

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石段を上り返すと先には「暗室」、
そして裏庭に出ます。

戦後から亡くなるまでを暮らした旧居は
奥様により平成12年(2000)奈良市に寄贈されます。
以後、建物の使用方法について検討され、
平成27年(2015)、3月に一般公開されました。

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移築されたというその「吉城園」と「依水園」は
旧居からすぐのところにあります。

思えばずいぶんとこの界隈に来ていませんが、
久しぶりに訪れて、
初めて知った「入江泰吉旧居」でした。    17日

2017年3月18日 (土)

奈良公園 片岡梅林

春日大社一の鳥居から参道の右手に続く南側丘陵地にある、
静かなたたずまいの浅茅ヶ原園地。
重要文化財の円窓亭や片岡梅林、鷺池の浮見堂がありますが、
その梅林が満開との情報に久しぶりの奈良公園でした。

片岡梅林
古くからの梅の名所で、約250本の梅の木があります。

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休憩舎の川股亭を過ぎた先にある満開の梅林

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中央に丸窓亭
梅林はその左右と北側の園地に広がっています。

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西側からは

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左手(南側)に鷺池と浮見堂

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右手(北側)にはその丸窓亭

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まぁ、丸窓ということで撮りましたが・・・ ^^;

もとは春日大社の経庫を改造して移築された
鎌倉時代のもので重要文化財

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その案内板がある北側園地
案内板には”俗に丸窓の梅林、あるいは地名に因んで
片岡の梅林という・・・”とも書かれています。

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ちょっと普通の梅林と違った雰囲気は

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平日にかかわらず多くの外国人観光客と、
鹿の群れのためでしょうか。

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ウメにシカと観光客

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これが古都奈良、ならではの風景かも ^^;

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そんななかで、
のんびりとスケッチを楽しむ方たちも多く、
対照的な奈良公園の朝でした。

奈良公園・片岡梅林
花は今がちょうど満開の見ごろです。   17日

2017年3月15日 (水)

西国第三番札所 粉河寺

ちょっと日が経ちましたが・・・
紀州雛めぐりで最後に訪れた和歌山県紀の川市粉河。
ここには西国三十三所観音霊場第三番札所の「粉河寺」があります。
ひなまつりで訪れたとはいえ、やはりここは紹介したいところで、
あらためてその「粉河寺」です。

JR粉河駅から門前通り(とんまか通り)を行き、
中津川に架かる赤い橋を渡ると境内に入ります。

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朱塗りの大門
三間楼門で、和歌山県では、高野山、根来寺に次ぐ威容を誇り、
宝永4年(1706)の総欅造り。

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くぐると左に「不動堂」、正面に御池坊(本坊)を見て右に回ると、
左には多くの諸堂、右手に長屋川にそって門へと続く参道です。

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諸堂は童男大士を祀る童男堂

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念仏堂

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大子堂

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そして四天王が安置された中門をくぐります。

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目の前に広がる広場とその先に見える本堂、
広い境内の東側には

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丈六堂に

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六角堂が建ち並び

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北側正面、石段の左右には枯山水の「粉河寺庭園」

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石段を上った本堂前庭へと続く庭園

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そして正面に本堂です。

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西国三十三所では最大といわれる建物は、
8世紀(770年)の創建以来、造営と改造が繰り返され、
現在の本堂は享保5年(1720)に再建されています。

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一重屋根の礼堂と二重屋根の正堂とが重なった
他に例を見ない複合仏堂の形式・・・見事な建物です。

最後はわが趣味の世界で恐縮ですが ><;

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丈六堂の右前にある芭蕉句碑
句は ”一ツぬひで 後に負ぬ 衣がへ” 
     貞享5年(1688) 笈の小文での吟でした ^^;

「粉河寺」、ここはまた桜の名所、
また桜の咲くころに訪れてみたいところでもあります。  2月26日

2017年3月14日 (火)

左義長まつり 山車(ダシ)

滋賀県近江八幡市で11日に行われた「近江八幡左義長まつり」。
その宮入が終わって馬場(境内)に勢ぞろいした左義長ですが、
この日はその山車(ダシ)が目的でした。

左義長には毎年の干支にちなんだつくりものの、
山車(ダシ)が付けられていますが、
食材だけで作られたそのダシはまさに芸術品です。

Oumi8

勢ぞろいした左義長。
ここだけでダシを撮るのは人が多くて大変です ^^;
で、いつも町練りのときにも撮っていますが・・・

そのダシを 順不同です ^^;

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第一区 命題は”吉兆成就 白竹星模様飾り”

以下、命題だけで、
その材料と詳しい制作意図の説明は省かせてもらいます。

02dai2ku

第二区 ”福神招来”

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参和会 ここは子供山車と両方撮れました。
メインの左 、”ブレーメンの音楽隊風諫鼓(かんこ)鶏”

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仲屋町(すわいちょう) ”左義長にありがとう”

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為心町 ”四合(幸せ)、時代を越えて”

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宮内町 ”日輪の長鳴鶏”~大勲位菊花大綬章~

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魚屋町(うわいちょう) ”幸せの明けの鳥”

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新町通りは町なかで ^^;
命題は”よき日の左義長まつり”~左義長踊りこみ酉と宴~

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紫竹会 ”花鳥風月”
これは材料も ^^;ごまめ、白花豆、えびせん、干しエビ、あおさ海苔、
はるさめ、スルメ、とろろシート、で作られています。

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本町 ”鶏鐘の歯車”

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池田町 ”一寸光陰”

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十區会 ”諫鼓鶏(かんこどり)”

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第十一区 ”枡々(ますます)円満”

以上、13基の左義長に飾られたダシでした。
ダシの制作意図にはすべてに説明がいるところですが・・・
中途半端な抜粋はできないため省略しました。

近江八幡市では今、「節句人形めぐり」が行われています。

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祭りの後先に覘いたお雛さんから ^^;

素晴らしいダシの数々を楽しんだ「近江八幡左義長まつり」。
少しだけ町なかのおひなさんもめぐって、
久しぶりの近江八幡でした。   11日

2017年3月13日 (月)

近江八幡左義長まつり 宮入

滋賀県近江八幡市で11日・12日に行われた「左義長まつり」。
穀物(大豆、小豆、胡麻等)や、海産物(鰹節、昆布、するめ等)の
食材を使って作られた、干支にちなんだ山車(ダシ)と呼ばれる
作り物が人気で、近江八幡に春を告げるという祭りです。

11日(土)に行われた”宮入”に出かけてきました。

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「日牟禮八幡宮」に奉納される左義長のダシが、
一同(13基)に集結するのはこの日だけ。

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宮入にはまだ早く、
時間まで各町内で出発を待つ山車や

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町筋を曳かれる山車を追いかけて過ごします。

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12時を過ぎると、
すでに宮入が始まっている八幡宮鳥居前

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ここでは宮入の前に各町の山車が集まり、
”廻れ廻れ(マッセ、マッセ)”の掛け声のなかで山車が練られます。
(12日の大祭ではダシ同士の組合せ(ケンカ)がまた見どころ ^^;)

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そのあとに各山車は馬場(境内)へと宮入です。

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子供山車と対の町内もあり

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宮入の時間とともに、
各町内の左義長が次々と馬場に集結

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全部の山車がそろう頃には
山車の周りも境内も人、人、人で身動きがとれません。

そんな山車が見たくて来ていますが ^^;

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毎度のことながらその見事な作りの山車の数々

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ゆっくりと見たいんですが、まず撮影ですが、
人が多くてなかなか思うように撮れません ><;

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山車は全て食材でできていますが

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ちなみにこの山車の命題は”四合(幸せ)、時代を越えて”、
材料は乾燥イチゴ、イワシ、海苔、シャケ、スルメ等、他多数。

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今年もまた
いずれ劣らぬ見事な作りの山車の数々でした。

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境内に集合した13基の山車
このあとは左義長ダシコンクールの審査が行われ、
町内への渡御へと出発していきます。

この日はここまででしたが、
このあとはその13基のダシをご紹介します。   11日

2017年3月12日 (日)

寿長生の郷 雛人形展

「寿長生の郷」の”梅まつり”と”野の花観音径”の山野草、
まだ花は少ない観音径でしたが、
この日の目的はホールで開催されている「雛人形展」でした。

毎年この時期に開催されている「雛人形展」は、
多くの古雛や御所人形などを楽しむことができます。

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まずは建物の玄関間に飾られた、
この享保雛を見てホールへ。

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竹灯篭
通路の飾りもまたびっくりのお雛さんが並びます。

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江戸後期の享保雛

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ここではほとんどの雛人形に解りやすい説明があり、
お雛さんの年代や種類を知ることができます。

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これは”あまり類品を見ない地方で作られたものと思われ、
享保期のもの”との説明があります。
これは例年の場所に飾られている古雛でした。

ホールへ

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梅まつりのときに訪れるのは初めてですが、
今年は特産品売り場や茶席が作られていて、
会場もずいぶんと賑やかになっています  ^^;

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江戸後期の内裏雛は古今雛
雛人形も今までとは違った配置です。

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源氏脇飾りも並みではありません ^^;

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御殿の中のお雛さんも享保雛でそうそうお目にかかれないもの、
左右に置かれた雛人形もまた必見です。

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そしてホールの正面にはこの御殿飾り。

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御殿のお雛さんは享保年間、1700年代初期につくられた享保雛で、
大きな御殿にふさわしく、
なんとも風格のある見事なお雛さんで、何度見ても飽きません。

左右に飾られた雛人形もまた必見。

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どれも年代を感じる素晴らしいもので、
これまで見たときは単独で飾られていたものですが・・・
今回は勢ぞろいでした。

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流し雛で使われる桟俵に載せられた立ち雛も健在です ^^;

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これも江戸末期の古今雛に五人囃子。

他にもいろんな人形が展示されていますが、
残念ながら今回は割愛しています ><;

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最後は売店に飾られていたお雛さん、
こちらもまた古雛の段飾りです。

他にも多くの人形たちが飾られていて、
いつもながら堪能させてもらった「寿長生の郷」の雛人形展。
梅まつりとともに楽しませてもらいました。     10日

2017年3月11日 (土)

寿長生の郷 梅まつり

今年はあまり町なか雛めぐりに出かけていませんが、
久しぶりに古雛が見たくて出かけました。
滋賀県大津市大石町にある「寿長生の郷(すないのさと)」。
近江の老舗和菓子店が営む里山ですが、
この時期は”雛人形展”と”梅まつり”が開催されています。

雛人形展はすべてが古雛で、素敵なお雛さんですが、
まずは旬物の”梅まつり”と、
”野の花観音径”に咲く山野草からです。

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入り口周辺には見ごろの紅梅、
梅まつりからでしょうか?屋台も出て何やら賑やかです。

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こちらも華やかな飾りの長屋門。
まずは主建物のホールに飾られたお雛さんを見て、
その東側にある梅林へ。

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梅林入口には”桃の花の願い(ひな願い)”が ^^;

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ここの梅林は実生梅、
なだらかな斜面に植えられた梅は約1,000本の城州白梅です。

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もちろん収穫された梅は製品化されて販売されています ^^;

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梅林をまわりながら、
山麓の三咲く道を「野の花観音径」へと行きます。

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まず目には入ったのがバイカオウレンの群生

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雑木林の中に付けられた散策道沿いには、
咲く花の名にちなんだ観音像が建てられていて、
季節の移ろいとともに野の花々が楽しめます。

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バイモ

ただ、この時期はまだ花は少なく ><;

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セリバオウレン

小さな花々を見つけるのが楽しみな散策ですが、
今はオウレンが群生していて見ごろ。

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セツブンソウ

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ミスミソウも少し咲いています。

咲く花はまだ少なく寂しいですが、
これからこの観音径は春の花々で賑やかになります。
このあとは、この日の目的でした雛人形、
ここでしか見れない古雛の数々です。   10日 

2017年3月 8日 (水)

岐阜梅林公園

岐阜市梅林南町にある「梅林公園」。
今年の”梅まつり”はこの11日(土)・12日(日)に行われますが、
遅咲きの品種はまだ蕾が多いものの、
早咲き、中咲きはすでに見ごろを迎えているとのこと。

冬に逆戻りのような寒さと風も強い日でしたが、
混雑する梅まつりを避けて出かけてみました。

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公園には専用駐車場がないためいつも公共交通機関です。
この日もJR岐阜駅からの歩きでした。

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見ごろの梅花ですが、
着いたら突然の冷たい雨にしばし雨宿り ><;

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公園西の入口から東側、
ちょうど見ごろのところです。

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日が差し始めて、小雨になったところで、
中央にある芝生広場を周るように見て行きます。

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ここには約50種1,300本の梅の木が植えられていますが、
遅咲きを除けばほぼ見ごろでしょうか。

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雨が止んで青空が広がります。

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ただ、ときおり吹く強い風に、
早咲きの白梅の花びらが舞い散ります。

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ちょっと流れる雲を・・・
梅に富士?らしく見えませんか ^^;

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輪違い

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紅梅は”烈公梅”

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公園の東側は木が密集していて、
紅梅、白梅も種類が多く見応えがあります。

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西側入口にある池に戻ってきました。

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こちらは白梅が多いところ、
さすがに日差しがあると綺麗です ^^;

オマケ!

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御鮨街道に戻る途中にある「瑞龍寺」。
立ち入り禁止のため門外からですが、
老木の古根から成長したという銘木の”緋紅梅”です。

岐阜「梅林公園」。
”梅まつり”のころには遅咲きの梅も咲いて、
まだ見ごろの梅林が期待できそうです。    7日

2017年3月 6日 (月)

京都 鳥羽離宮跡

京都「城南宮」の”しだれ梅”を先に載せましたが、
この日は城南宮を含む周辺一帯に広がる
「鳥羽離宮跡」の散策も目的でした。

鳥羽離宮は平安時代後期に、
白河・鳥羽・後白河上皇が造営の離宮で院政を行ったところ。
東西1.5km、南北1kmの広大な敷地に
苑池・各殿舎・堂塔が建ち並んでいたそうですが、
今は安楽寿院に各天皇陵、城南宮と秋の山(築山)を残すだけ。

散策は近鉄京都線竹田駅からスタートです。

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南に約10分ほど歩いて西に入るとあるのが「安楽寿院」。
鳥羽上皇が鳥羽殿の東殿に御堂を建立したのが起源で、
幾多の衰退のあと豊臣秀頼により復興されます。

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すぐ南側にあるのが
日本で唯一多宝塔が残る「近衛天皇 安楽寿院南陵」。

安楽寿院の西側には諸堂が建ち並び

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その一角には「三如来石仏」があります。

平安時代の貴重な遺仏といわれる三尊石仏で、
薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊の三体が、
江戸時代に成菩提院跡から出土したと伝わります。
そのひとつ、阿弥陀三尊像は
京都国立博物館で展示されていてありません。

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その隣にある収蔵庫横には復元された庭園。
中には入れませんでしたが鉄扉の外から撮影 ^^;

この辺りは鳥羽離宮東殿になるようですが

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その角にあった「白河法皇・鳥羽法皇院政之地」石碑。
この横にある「冠石」をみて北に上がると

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「鳥羽天皇安楽寿院陵」があります。
さらに北上して「五輪塔」を見て戻り、さらに西へ行くと

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「北向不動尊」
順路で裏から入ってしまいましたが・・・こちらが正面山門 ^^;

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本堂
鳥羽天皇勅願所で、本尊の不動明王が王城鎮護のため、
北を向いていることから「北向不動」と呼ばれています。

ここからは阪神高速道をくぐり

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すぐ先にある「白河天皇 成菩提院陵」を見て北上、
途中、「西行寺跡」祠から少し西に行きます。

小刻みに曲がる道を抜けて行くと

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離宮跡の北西に位置する「田中殿跡」に出ます。

28年間法皇として専権を振るった鳥羽上皇が
離宮内に造営した最後の御所で、皇女八条院のために建立。
現在は田中殿公園となっています。

ここからは一気に南下(といってもすぐですが ^^;)して行き、
城南宮通りへと出ます。

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「城南離宮」の額がかかる鳥居をくぐり城南宮境内へ

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本殿(工事中)への鳥居をくぐって神苑めぐり ^^;

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しだれ梅満開の「春の山」から「平安の庭」

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南にある「城南離宮の庭」、「室町の庭」
そしてこの「桃山の庭」を見て行きます。

城南宮は鳥羽離宮の鎮守社であり、
この辺りは鳥羽離宮の馬場殿だったところ。

境内を通り抜けてふたたび西に向かうと

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鴨川に突き当たりますが、見える橋は「小枝橋」。
このすぐ後ろには

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”鳥羽伏見戦跡”碑があります。

明治元年(1868)正月3日、この付近にあった旧小枝橋で、
幕府軍と新政府軍が衝突、約2年にわたる戊辰戦争の
火蓋が切られたところで、南下する道は鳥羽街道(千本通り)。

街道を少し下ると「鳥羽離宮公園」

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碑が建つ小高い丘が「秋の山」。
これも離宮築山のひとつで、
城南宮の「春の山」とともに対になっています。

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この辺りは戊辰戦争勃発の地であり、
「秋の山」の下にはその顕彰碑が立てられています。

公園を通り抜けるともうひとつの広場に出ますが

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ここが「鳥羽殿跡」
鳥羽離宮で最初に造営された南殿の跡地でした。

あらためて

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鳥羽離宮公園・南殿跡

見てきました京都伏見区竹田・中島・下鳥羽に広がる、
広大な鳥羽離宮跡に、遺跡はほとんど残っていませんが、
一部の離宮跡や御陵に往時の面影を偲ぶことができます。   3日

2017年3月 5日 (日)

城南宮のしだれ梅

周辺の梅だよりも見ごろから満開のところが多くなりましたが、
久しぶりに出かけたのは京都「城南宮」。
神苑「源氏物語 花の庭」の”春の山”に咲くしだれ梅です。

この日は晴れると思っていましたが現地は曇り空 ><;

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ちょっと残念な天気でしたが・・・
約150本あるといわれるしだれ梅はほゞ満開です。

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入苑したのがちょうどラッシュと重なったようで、
平日とはいえすごい人、人 ><;

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さすがに人気の神苑です。

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しだれ梅が植えられた神苑”春の山”は、
平安時代後期に城南宮周辺に築かれた離宮の築山のひとつ。

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この時期はしだれ梅や椿に彩られます。

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京都花の名所でもある城南宮の神苑は、
春のしだれ梅と椿に始まって

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初夏から秋へと四季の花々に彩られますが

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特に「源氏物語 花の庭」とも呼ばれるように

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源氏物語に登場する植物など、
百種以上が栽培されているそうです。

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見事なしだれ梅が咲く春の山を一周して

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椿の道
花はまだ咲き始めですが、
今は”しだれ梅まつり”とともに”椿まつり”も開催中。

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道は神楽殿の裏手に出ますが、
その先は「平安の庭」。

久しぶりに訪れた城南宮神苑。
天気がいまひとつでしたが・・・
それ以上に見事なしだれ梅を楽しみました。    3日

2017年3月 4日 (土)

道の駅 くしもと橋杭岩

紀州雛めぐりを続けてきましたが、ちょっと観光スポットを ^^;

この日は日帰りの雛めぐりドライブだったため、
時間の都合で観光にはどこにも立ち寄りませんでした。
ただ、走る途中、串本町の国道42号線沿いにある
道の駅「くしもと橋杭岩」で休憩タイムでした。

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道の駅からは名前のとおり、
眼前に国の天然記念物。名勝「橋杭岩」が広がり、
沖合に浮かぶ紀伊大島に向かって大小40余りの奇岩が
一直線に林立する様子を見ることができます。

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その規則的な並び方が
橋の杭に似ていることから橋杭岩といわれています。

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干潮時にはその周辺を散策できますが・・・
このときはちょうどその時間でした。

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岩の先には紀伊大島の一部、
本州最南端の潮岬はその右端にありますが見えません ><;

串本節に唄われる、仲をとりもつ巡航船も、
平成11年の串本大橋の開通に伴い、
現在はその長かった歴史に幕が引かれています。  26日

2017年3月 3日 (金)

粉河とんまか雛通り

ちょっと旬ネタのしだれ梅を挟みましたが、
紀州ひなめぐりに戻って、最後のひなめぐりは
紀の川市粉河の「粉河とんまか雛通り」でした。

西国三十三観音霊場第三番札所「粉河寺」があり、
粉河駅から続く参道は”とんまか通り”と呼ばれるそうです。
7月に行われる紀州三大祭りのひとつ「粉河祭」で、
参道を行き交うだんじりの太鼓囃子から名付けられた通称とか。

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その門前通り商店街を中心に、
約2,000体のお雛さんが飾られているという。

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いきなり商店街から入りましたが、
飾りのメイン?である
JR粉河駅前の古民家山﨑邸を忘れていました ><;

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到着は予定通り14:30分でしたが、
開催終了まで1時間ほどしかなく、
全てを見て回れるか・・・と、ちょっと焦ってしまいました。

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ここのひなまつりは春の伝統行事として伝わる
紀の川「流しびな」に合わせて

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地域の活性化をと2015年から開催されていて、
今年がまだ3回目。

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この日は町なかのおひなさんも
案内を乞うこともなく外からの雛めぐりです ^^;

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こちらは粉河寺境内へとは入る、
中津川に架かる赤い橋の傍にある「三笠館」

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古雛は明治時代の古今雛
ここでは「粉河祭」のだんじりを彩るだんじり幕が
特別展示されていました。

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その一部ですが、
行灯幕の”唐獅子牡丹の図”と”右は傘幕”だそうです ^^;
その見事な刺繍もまた見どころでしょうか。

このあとはやはり「粉河寺」に参拝します。

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大門から

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諸堂が建ち並ぶ境内参道を行きます。

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手水舎と奥に中門

今回で三度目の訪問でしたが、
やはり1回目に訪れた三十三観音巡りを思い出します ^^;

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中門をくぐった先の広場から本堂。
手前の石組は粉河寺庭園です。

今回は本堂に参拝してそのまま奥へと進み
名勝庭園”洗心庭”がある「十禅律院」へ。

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庫裡の玄関に飾られていたおひなさんです。

すでに時間は終了間近 ><;
最後は三笠館の裏手?にある「旧南丘家住宅」

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飾りは7段飾りの束帯雛でしたが、
手前のケース雛はオルゴール付きという懐かしいものです。
ちょうど見ていらした方としばしのひな談義をしながら、
この日の「紀州ひなめぐり」は無事終了。

ちょっと強行スケジュールだったかと反省しながら ><;
紀伊半島半周ドライブの旅でした。    26日

2017年3月 1日 (水)

紀州海南ひなめぐり

那智勝浦町のひなめぐり、
今年は町なかにおひなさんが展示されていなかったため、
時間に少し余裕ができて、後の予定が少し楽になりました。
次は海南市で行われている「紀州海南ひなまつり」です。

那智勝浦から大阪方面へは初めて走る国道42号線、
途中、”すさみ南”からは紀勢道で着いた海南市のJR海南駅です。

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構内のビックひな檀に飾られた千体雛!

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併設する海南市物産観光センターにも、
吊るし飾りやお雛さんが飾られて華やかです。

ここは平成11年から始まったひなめぐりですが、
その第一回目に訪れた思い出のあるところ。

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その時はじっくりと町なかひな巡りを楽しみましたが、
今回はメインどころの駅前商店街から ^^;

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各お店に飾られたおひなさんですが

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ショーウインドーへの映り込みはどうしようもなく、
比較的撮りやすい木目込雛を載せています ^^;

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こちらの見どころはサブ会場?のひなみ館2号館、
初めて見たあの思い出がよみがえりました。(オーバーか ^^;)

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たくさん飾られたひな飾りの中にあったこちらから

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このふたつのおひなさん、左は以前、”紀州の田舎雛で
「御坊立雛」(大正~昭和初期)”かと書きましたが・・・?
右は不明ですが、この日6年ぶりの再会でした。

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華やかな会場で、
やはり気になったのが郷土の工芸品

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お馴染みの”紀州雛”に

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”たわし雛”、ほうき雛?(特産の棕櫚)もありますが、
海南市はもともと棕櫚から作られた、
たわしやほうきが特産だったところだけに納得のもの ^^;

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今年は海南市全域での開催のようですべてはまわれませんが、
やはりこの地区だけは見に立ち寄ります。

駅前から歩いて20分ほどのところにある黒江地区

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その「うるわし館」に展示されている”黒江夫婦雛”

江戸時代、紀州漆器で栄えた黒江は

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今でもその面影を色濃く残しています。

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今回は時間の関係上、
メインの川端通りエリアだけでしたが

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黒牛茶屋(醸造蔵)、お休み処のひな飾り

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日本の漆器四大産地(会津漆器、越前漆器、山中漆器)のひとつで、
400年以上の歴史がある黒江。
以前訪れた懐かしい飾りを思い出しながらの散策でした。

紀州ひなめぐり、
残るは紀の川市粉河の「粉河とんまか雛通り」です。  26日

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