安土城跡 百々橋口道
長い石段の大手道を本丸跡まで登ってきましたが、
さらに上にあるのが安土城、その天主跡です。
本丸跡からさらに一段上へ
少し開けたところからさらに上へと延びる石段、
ここが最後の登りです。
そして天主跡(安土城では天守ではなく天主)。
背丈ほどの石垣に囲まれた台地に整然と礎石が並びますが、
ここは天主の地下部分。
天正4年(1576)から3年有余をかけ完成した五層七階の、
壮大な天主閣であったという。
その石垣から眺める景色。
当時は四方を琵琶湖と沼でで囲まれていたそうです。
西側には二の丸跡の「信長公本廟」。
本能寺の変で信長が倒れたのちに焼き払われ、
天下の名城もわずか3年にして灰燼と化します。
戻る本丸跡から二之丸跡に続く天主台の石垣に
当時の面影が偲ばれます。
戻ります。
帰路への分岐で百々橋口道(どどばしぐちみち)へ。
この道もまた石段の連続ですが、
登りはここだけであとは急な下りです ^^;
登りきると三重塔が見えます。
その手前にある
摠見寺本堂跡
。
安土城築城の際に信長が他所より移築し、
自らの菩提寺にしたと伝えられます。
安政元年(1654)焼失、
現在は大手道沿いの伝徳川家康邸跡に建てられている。
その南に建つ「三重塔」
天正3~4年に信長が甲賀の長寿寺(湖南三山)から
移築したとされ、長寿寺にはその礎石が残っています。
本堂跡から眺める西の湖の眺め
下り道から、
このあとは長い下りの石段が続きます。
当時はこの道が百々橋口から城内へと、
家臣たちが登城したといわれる道。
その途中にある「二王門」、
これも天正年間に信長が甲賀から移したもの・・・と。
安土城にはいくつかの登城道がありますが、
今は大手道とこの百々橋口道だけが通行可能。
ただ、以前は通れた百々橋口周辺は、
有料化によって?通行できません ><;
今は山麓の道を案内受付まで戻るだけです。
とにかくひも解けば謎の多い安土城ですが、
今回は難しいことは無しで ^^;
ただひたすら城跡の散策だけでした。
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