神宮参拝
早いもので明日はもう大晦日。
今年はときの経つのが早く感じられましたが、
この日は我が恒例の伊勢神宮参拝でした。
まだ朝日の昇らない宇治橋を渡り
火除け橋から第一鳥居をくぐって
五十鈴川御手洗場
第二鳥居から神楽殿前を行き
何も変わらぬいつもの内宮境内
正宮に参拝
この1年のしめくくりです。
戻った宇治橋では
ちょうど朝日が昇ったところでした。
”ぶらり旅”、これにてこの1年の書き納めです。
今年もご覧いただきありがとうございました。
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早いもので明日はもう大晦日。
今年はときの経つのが早く感じられましたが、
この日は我が恒例の伊勢神宮参拝でした。
まだ朝日の昇らない宇治橋を渡り
火除け橋から第一鳥居をくぐって
五十鈴川御手洗場
第二鳥居から神楽殿前を行き
何も変わらぬいつもの内宮境内
正宮に参拝
この1年のしめくくりです。
戻った宇治橋では
ちょうど朝日が昇ったところでした。
”ぶらり旅”、これにてこの1年の書き納めです。
今年もご覧いただきありがとうございました。
愛知県犬山市にある「日本モンキーセンター」で始まった、
冬の風物詩”たき火にあたるサル”です。
例年は新春に出かけていましたが、
ようやく冬らしい日になり、また来年はさる年!
と、いうことで久しぶりに師走のお出かけです。
場所はお馴染みのモンキーバレイ。
冬らしくなったとはいえ
寒さはまだそれほどでもなく
たき火にあたるおサルさんもいれば、
多くはたき火の周りをうろつくだけ ^^;
たき火から離れて
まだ暖かい日差しのなかにいる群れが多く、
どうやら”ほかほかおイモタイム”が目的のよう ^^;
それまでこちらもしばらく待機で園内を散策 ^^
「モンキースカイウエイ」ではジェフロイクモザルの餌やり
「リスザルの島」のボリビアリスザル
こちらもお馴染み「Waoランド」
ストーブにあたるワオキツネザルも
この日はひなたぼっこでした。
そして”おイモタイム”の時間です。
待っていたようにたき火の周りに集まるおサルたち。
焼き芋が掘り出されるのをジッと待ちますが ^^;
係りの方が焼きいもを群れのなかへ投げると
いっせいにいもに群がり
たき火にあたるサルでは
これもすっかり見慣れた光景
ただ、もくもくと?食べています ^^;
おサルさんのおイモタイムが終わると
見物客やお客さんの”おイモの試食”です。
こちらもすごい人気でした ^^;
”たき火にあたるサル”は
12月31日(木)~1月11日(月・祝)の毎日と、
~2月28日(日)までの土・日・祝(基本的には)の
期間限定開催につき要注意です。 27日
「奥殿陣屋」には何度も訪れていますが、
そのすぐ近くにこんなお寺があったとはつゆ知らず、
陣屋で手にしたパンフに思わず立ち寄りました。
岡崎市桑原町にある
「大澤山龍渓院(りゅうけいいん)」です。
参道入り口左に「下馬」の石柱が建ち、
右には苔むした羅漢石像が建ち並びます。
樹齢200年ともいう杉木立が左手にそびえる
長い参道を行くと入口。
門をくぐると右手には「経堂」
進むと左手にあるのが
承応3年(1654)に再建されたという山門(仁王門)。
安置されている仁王像は
地元奥殿町在住の山下清彫刻家による
ケヤキの一本彫り。(平成13年寄進)
本堂へと延びる中央参道の右には庫裡
左には「百寿観世音菩薩像」
ここはまた「三河百寿観音霊場第八番札所」。
その横には「禅堂」
そして正面に本堂です。
天文13年(1544)に当山が炎上した際に
松平弘忠(家康の父)によって再興される。
そのためか各所に葵の紋が見られる。
本堂から山門
境内一面には苔が敷き詰められ、
「岡崎の苔寺」とも呼ばれている。
本堂から禅堂、衆寮を結ぶ回廊。
くぐって本堂横へ
この先は霊園に出ますが、
境内周辺にはササユリが咲くという。
徳川時代までは御朱印を授けられた輪番寺であったとも。
岡崎市北部の山間に
静かにたたずむ名刹「大澤山龍渓院」でした。 25日
愛知県岡崎市奥殿町にある「奥殿(おくとの)陣屋」。
”菜の花が見ごろを迎えている”との情報から1週間が経ち、
そろそろかと出かけてみました。
季節外れの花として
テレビや新聞にも取り上げられていましたが・・・
咲いているのは”花ぞの苑”のお花畑
このところ暖かい日が続き咲く時期を間違えたとか
この辺りでは珍しいですが
早いところでは
すでにカンザキハナナが咲くところも
西駐車場傍にある花畑
その半分ほどに、
葉ボタンとともに植えられていました。
菜の花はこれでお終いですが、
この時期こはもうひとつの花?があります。
門松が飾られて、
迎春準備の終わった正面入口から
こちらも門松の飾られた「書院」の表門をくぐり、
「蓬莱の庭」へ出ます。
白壁の傍にある
見事な”ネズミモチ”の木が実を付けていました。
この日は書院の前を通って
裏庭に出ます。
庭の白侘助
裏庭を出て
「花火資料館」の横に出ます。
もうひとつの花はこちらでした。
例年人気の”干支の葉ボタンアート”です。
24m×12m(約288㎡)の畑に、...
白葉ボタン 761個
赤紫葉ボタン 1,116個を使った
来年の干支、”さる”が完成していました。
あとは戻るだけ
その道筋には
まだ咲き残っていた四季桜
バラ園には咲き残るミニバラ?
あらためて
お花畑に植えられている葉ボタンと、
県道沿いに咲く菜の花です。
この日も暖かい日でしたが、
このあとは寒くなるとの予報です。
はたして菜の花はどうなりますやら ^^; 25日
旬ものを挟みましたが「花フェスタ記念公園」に戻ります ^^;
花フェスタといえばバラですが、
バラとともに人気のあるのが「ターシャの庭」。
移り変わる季節をあるがままに・・・
庭の花々を愛でるも良し。
また、花のない庭も良し。
この日は花のない
冬枯れの庭を訪れました。
庭の木々を手折り
スタッフの方が作られたクリスマスリース
誘い込まれるように
足を踏み入れてしまう草むらの道
特に手入れもされていない
それがターシャ流自然のまま・・・
いつもの庭が迎えてくれます。
庭の片隅にはクリスマスツリー
熟れ残るサネカズラの赤い実
ターシャの家
いつもは賑わう家もこの日は静かでした。
キッチンガーデンには
さびれたミルク缶がひとつ
花の咲く季節には
道さえ分からぬほど花に覆われる庭も
今はただ小鳥が飛び交うだけ
晩秋を思わせるような暖かい日
ゆっくりと
過ぎゆくときのなかでひとり占め
なんとも贅沢なひとときでした。
花フェスタ記念公園「ターシャの庭」。
この日もまた
ターシャ·テューダーの世界を楽しみました。 20日
愛知県西尾市東幡豆町にある「かぼちゃ寺ハズ観音」。
正式には「宝樹院 妙善寺」といい、
古くは行基菩薩の開基といわれる三河の名刹ですが、
冬至の日には全国各地より集められた
「かぼちゃサミット」が行われるとのことでした。
名鉄蒲郡線の東幡豆駅から
港に向かって徒歩3分の場所にあります。
山門
小さいかぼちゃの門をくぐり本堂へ。
出かけた時間が遅かったためか、
早い時間の行事はすでに終わっていました ><;
香炉台から本堂前も
それほどの混雑ではありません。
冬至の「中風封じ」法要は多くのお寺でも行われており、
特に珍しいことではありませんが、
初めて訪れるところはまたそれなりに勉強になります。
ここは各地からかぼちゃの寄進や応募があり、
この日はそのかぼちゃの選考と表彰式があったようで、
ずらりとかぼちゃが並んでいました。
入賞したかぼちゃも置かれています ^^
すでに多くのかぼちゃが切られていて、
このかぼちゃは参拝者の方が好きにもらっていきます。
朝から行われた”かぼちゃ練り”の担ぎ台?
境内では”かぼちゃしるこ”の接待です ^^
百寿かぼちゃ観世音と大きなかぼちゃの像?
触ると後利益があるようです。
寄贈されたかぼちゃでふるまわれる「かぼちゃしるこ」、
これがまた美味しかった ^^
お寺のすぐ目の前が幡豆港
取材には早く出かけることと反省しながら、
全て終わった行事のあとで「かぼちゃしるこ」をいただき、
ただ参拝するだけでした ><; 22日
岐阜県海津市にある「木曽三川公園センター」、
今年も「冬の光物語」が始まっています。
日曜日(20日)のこの日は混雑も予想され、
まだ訪れるつもりではなかったんですが、
「花フェスタ記念公園」からの帰り道でした。
薄暮のなかのイルミからでしたが、
さすがに南ゾーンの
「光の広場」はまだ早すぎ北ゾーンから。
今年は少し違った場所からです ^^;
芝生広場の花絵の場所は「おとぎの国の入口」とか、
レーザー光線が光るなかでのこの絵は?
少し高いところの県道から木々の隙間越しです ^^;
左に金太郎と熊さんの「おいらは金太郎」、
その横に造られた特別ステージでは、
この日の限定イベント”真冬のフラダンス”。
その左には「おとぎの迷路」と、
三川池の上には「竜宮城」。
奥の大花壇には「一寸法師はどこに?」だそうですが、
これは傍に行ってからでしょうか ^^;
センター通路には何がありますか・・・。
暗くなってきたところでいざ、イルミの世界へ!
そのセンター通路の入口には「桃太郎」でした ^^
では、三川池を回り込んで大花壇へと見ていきます。
三川池に映る竜宮城、
池を左へと回り込むと・・・
そこは「おとぎの迷路」ですが、
すでに長蛇の列で中に入るには待つことに ><;
で、外側を迂回します。
外からでは何か分かりませんが、
飛んでるシャボン玉につい一枚 ^^;
迷路の出口には「浦島太郎」、
ここから池の上に造られた「竜宮城」へ。
とにかく人が多くて、
まともに撮ると人の背中ばかり ><;
日本一の富士山とタイやヒラメが舞う竜宮城の、
水上イルミを楽しみながら、
三川池を渡ると大花壇のイルミへと変わります。
三川池を渡って北側から
そして大花壇一面を覆うグラウンドイルミネーション!
その光り輝く大花壇をまわります。
ここは「一寸法師はどこに?」ということですが、
らしきイルミ絵は赤い部分か??
残念ながら近くでも、遠くでも分からない ^^;
もしかしたら赤い部分はお椀の舟?
そんなことを思いながら・・・。
50万球の光で演出されたイルミネーションの世界、
木曽三川公園センター「冬の光物語」。
今年のテーマは“日本昔ばなし”でした。 20日
古都奈良の一年を締めくくる「春日若宮おん祭り」。
車両規制がかかっても車の走る登大路のお渡りは、
さすがに行列を撮るだけで単調そのもの ><;
全行列を見送ってから一筋南の三条通りに場所を変えます。
すでに凄い人ですが・・・
何とか人垣の隙間にもぐり込んだのは
興福寺南大門前石段に並ぶ僧兵の前、
ここは交名(きょうみょう)の儀が執り行われるところ。
あらためて行列の先頭から
が登大路では見れなかった
稚児行列や菅笠姿の女性たちが先導していました。
そのあとに続く神職からが本隊
ここからが一番から十二番に仕立てられた本体行列です。
”梅白枝(うめのずばえ)”、と”祝御幣(いわいのごへい)
を先頭に第一番の”日使(ひのつかい)の行列。
”十列児(とおつらのちご)”による交名の儀。
”日使”
”神子”が来て
”細男(せいのお)”の交名の儀。
「細男」は、白い浄衣を着し、白い布で顔を隠した6 人の舞人。
千人以上が参加する長い行列が三条通を登ってきます。
「田楽」の五色のご幣と頭上に載せる巨大な花笠ですが、
ここに飾られている人形は
奈良一刀彫りの起源となったと言われるものだそうです。
”馬長児(ばちょうのちご)”
先導するのは五色の短冊をつけた笹竹を手に、
頭上に龍の作り物を乗せている「従者」。
三条通りを下っていきます。
”流鏑馬”
”野太刀”
後方の”大和士”、”大名行列”はまだ見えません。
ごった返す三条通り。
奈良「春日若宮おん祭り」
行列のお渡りはまだ続きますが、
この日ここまででした。 17日
古都奈良の一年を締めくくる春日大社の摂社である
若宮神社の例祭「春日若宮おん祭り」。
17日にそのメイン行事の「お渡り式」が行われました。
少し早めの到着で
今回も開始前の様子から見ていきました。
とにかく馬の行列が続く祭りだけに、
春日大社参道から登大路園地にかけて
りだけにこんな看板が目につきます。
興福寺境内
行列の最後を受け持つ”大名行列”が待機しながら、
途中の動きを全員で練習中!
行列のさいごを飾る一団ですが、
持っているのは槍?に・・・何??
場所を移すと
”馬長児(ばちょうちご)”のお供役たちが、
すでにお渡り式のスタート待ちでした。
”野太刀”を受け持つ人たち。
おん祭のお渡り式はご神霊の行列ではなく、
既に行宮へ遷られた若宮神のもとへ芸能集団や、
祭礼に加わる人々が社参する行列の事をいうそうです。
正午、その行列がスタートしました。
今回は場所を変えての見物、
隊列は分かっているものの・・・
”日使(ひのつかい)”
始まったころは「楽人・日使・巫女・伝供御供・一物・細男・
猿楽・競馬・流鏑馬・田楽」と
その骨格が決まっていたようですが・・・
明治のころから新しく加わった先行の行列があるという。
そのあたりがよく分かりません ><;
”神子(みこ)”の隊列。
このあと”相撲”、”猿楽”、”田楽”など、
数組の隊列を見送っていますが ^^;
騎馬の美しい”馬長児(ばちょうのちご)”
この辺りは賑やかです。
そして行列の最後が”大名行列”です。
お渡り式は登大路を西に下り、
近鉄奈良駅前、油阪を経てJR奈良駅前から
まっすぐ東へ三条通りを登ってきます。
このあとはその三条通りです ^^; 17日
長い石段の大手道を本丸跡まで登ってきましたが、
さらに上にあるのが安土城、その天主跡です。
本丸跡からさらに一段上へ
少し開けたところからさらに上へと延びる石段、
ここが最後の登りです。
そして天主跡(安土城では天守ではなく天主)。
背丈ほどの石垣に囲まれた台地に整然と礎石が並びますが、
ここは天主の地下部分。
天正4年(1576)から3年有余をかけ完成した五層七階の、
壮大な天主閣であったという。
その石垣から眺める景色。
当時は四方を琵琶湖と沼でで囲まれていたそうです。
西側には二の丸跡の「信長公本廟」。
本能寺の変で信長が倒れたのちに焼き払われ、
天下の名城もわずか3年にして灰燼と化します。
戻る本丸跡から二之丸跡に続く天主台の石垣に
当時の面影が偲ばれます。
戻ります。
帰路への分岐で百々橋口道(どどばしぐちみち)へ。
この道もまた石段の連続ですが、
登りはここだけであとは急な下りです ^^;
登りきると三重塔が見えます。
その手前にある
摠見寺本堂跡
。
安土城築城の際に信長が他所より移築し、
自らの菩提寺にしたと伝えられます。
安政元年(1654)焼失、
現在は大手道沿いの伝徳川家康邸跡に建てられている。
その南に建つ「三重塔」
天正3~4年に信長が甲賀の長寿寺(湖南三山)から
移築したとされ、長寿寺にはその礎石が残っています。
本堂跡から眺める西の湖の眺め
下り道から、
このあとは長い下りの石段が続きます。
当時はこの道が百々橋口から城内へと、
家臣たちが登城したといわれる道。
その途中にある「二王門」、
これも天正年間に信長が甲賀から移したもの・・・と。
安土城にはいくつかの登城道がありますが、
今は大手道とこの百々橋口道だけが通行可能。
ただ、以前は通れた百々橋口周辺は、
有料化によって?通行できません ><;
今は山麓の道を案内受付まで戻るだけです。
とにかくひも解けば謎の多い安土城ですが、
今回は難しいことは無しで ^^;
ただひたすら城跡の散策だけでした。
滋賀県近江八幡市安土町にある「安土城跡」。
2006年に有料化されるまではよく散策をしたものですが、
翌年に登城して以来御無沙汰でした。
久しぶりの登城!懐かしい城跡散策です。
春にはサクラの綺麗な大手口
受付から真っ直ぐに続く石段の大手道。
すぐ右には数段の郭に分かれた「伝前田利家邸跡」と、
左には「伝羽柴秀吉邸跡」があります。
その伝羽柴秀吉邸跡の上にある秀吉邸主殿跡。
大手道に戻ると
右手に建つのは摠見寺(そうけんじ)仮本堂。
百々橋口道沿いの本堂焼失により、
昭和期に伝徳川家康邸跡に建てられたもの。
ここは拝観ができますが、
今回はまず大手道をただ天主跡まで登る?だけです。
180mほどある直線部の石段を登ってきました。
石段の道の一部には、
「石仏」の彫られたいくつかの石が使われていますが、
築城当時に石材として使われたものが残されています。
400数段だったか?記憶がありませんが、
石段はまだ続きます。
この石段道もまた安土城ならではでしょうか。
少し石段が切れたところに出ましたが、
ここが百々橋口道(どどばしぐち)との合流地点で、
真っ直ぐ行けば摠見寺三重塔、二王門への帰り道。
ここは道を右にとり城の主郭部へと入ります。
最後の胸突き八丁!短い石段を登りきると
黒金門跡
枡形に折れる素晴らしい石垣の虎口を通り抜けて
いよいよ安土城の主郭部へ。
虎口を抜けた左側には「織田信雄公四代供養塔」があります。
右に曲がると
目の前が開け
突き当りにある「仏足石」を見て左へ。
短い石段の道が続きますが、
左の石段を登りきると二之丸跡にある「信長公本廟」です。
石垣に囲まれた本廟を扉の間から
真下に見えるのが本丸跡への道。
この辺りはまだ紅葉が綺麗でした ^^
その本丸跡です。
本来は天主の御殿があるところですが、
ここは天皇を招き入れる「行幸の間」があったという。
信長が居住した天主跡はさらにこの上に。
このあとは天主跡から摠見寺(そうけんじ)本堂跡、
三重塔から二王門へ・・・ 続きます。 12日
愛荘町「愛知川びんてまりの館」で開催中の
開館15周年記念「びんてまり展」。
展示室へのアプローチに展示されていた
”びんてまり”を見ながら特別展示室へと誘われます。
では、その数々の”びん細工てまり”です。
会場に展示されているのは400作品以上とか
そのなかから載せる作品を選ぶのは酷ですが
あくまでも個人的な好みだけで ^^;
もちろん、
何ひとつ知識もなく解説もできません ><;
初めて見たときはどうしててまりが瓶のなかにと、
不思議に思ったものでしたが・・・
それがまた、
このびんてまりの魅力でしょうか。
何度見ても不思議で美しい”びんてまり”。
竹筒に晒しを巻き付け和紙でくるみ
毛糸とミシン糸で土台を作り
そのミシン糸で巻かれた土台に
金色の糸で地割をして刺繍をしていきます
最後は手まりの中の晒しをすべて抜き出し、
瓶に入れて綿を詰め蓋をかぶせて仕上げるという・・・
そして出来上がった
不思議で美しい”びんてまり”!
ほんに見事です!
びんてまりと
てまり ^^;
ちょうどてまり保存会の方による
実演が行われていました。
竹筒が抜かれた完成前のてまり、
晒も抜かれてこれが瓶のなかに入れられます。
びんてまりが町のシンボルという愛荘町。
歴史のいきづく町愛知川に受け継がれている
伝統工芸の「びんてまり展」でした。 12日
滋賀県の伝統的工芸品「愛知川びん細工手まり」。
その歴史と制作工程を紹介している
愛荘町の「愛知川びんてまりの館」(愛知川図書館に併設)で、
毎年12月に開催されている「びんてまり展」。
今年は開15周年記念ということで開催中ですが、
実に7年ぶりに出かけてきました。
以前にも紹介したことがある「びんてまりの館」。
こちらでは江戸時代末に伝わったとされる、
不思議で美しい工芸品の魅力を紹介しています。
その不思議で美しい”びん細工てまり”のなかからひとつ ^^;
蛍光灯の写り込みはお許しいただくとして、
このあとは特別展示室の「びんてまり展」です。
入口に展示されているのは、
ペットボトルで作られた保育園児の”てまり”です ^^
展示室へのアプローチ
繭玉?でつくられた開館15周年記念の額。
まずはアプローチの作品から
何も知識がなく解説ができませんが ><;
見事な作品から
中央の作品は鶴に松竹梅
びんの中には小さい手まりがたくさん ^^
子供たちが見ていたのは
これでした ^^
そしてアプローチに展示されていた最後は
この”びん細工てまり”でした。
ただ展示されているだけですが、
このあとは展示会場の
不思議で美しいさまざまな”びん細工てまり”です。
愛知県安城市和泉町にある「丈山苑」。
2年前に散り始めの見事な紅葉を見て以来になりますが、
今年の紅葉めぐりの最後はここと決めていました。
その記憶があるだけに期待は大きかったんですが・・・
駐車場から北門へ行く途中の小公園、
ドウダンは綺麗ですが、
モミジの色づきを見て期待がしぼみます ><;
北門を入って受付への道
この辺りはもともと青葉が多いところですが、
それにしても色づくモミジが少ないです ><;
正門前から「望京橋」
色づいているモミジもありますが、
どうしても青葉が目立ちます。
正門周辺
この辺りの紅葉が見どころなんですが。
まだ早いのか?それとももう色づかないのか
微妙なところです。
門をくぐって受付へ
少しはそれらしい紅葉にホッとしました ^^
遠く離れた京都(詩仙堂)との、
29里(115km)の距離を表すという29枚の踏み板がある
「望京橋」から眺める北と南。
南門への道
少し戻って休憩施設からの眺めですが、
やはり青葉が目立ちます。
ここまでは無料で見れますが、
このまま帰るわけにはいけません ^^;
もちろん、入苑します。
丈山苑の核となる「詩仙閣」
その詩仙の間から眺める唐様庭園は
京都詩仙堂の前庭をイメージしたという。
詩仙閣の望楼「嘯月楼(しゅうげつろう)」へ。
その丸窓から眺める紅葉。
ここからの眺めはまた格別です。
南庭
見事なむくり屋根の下の紅葉と、
先端には「望京橋」の四阿の屋根が見えます。
追っかけてきました紅葉もこれが最後ですが、
まるで今年の紅葉めぐりを象徴しているような、
ここもそんな色づきの紅葉でした。 6日
紅葉を楽しんでいます「白鳥庭園」。
庭園の南側になる「傘亭」まで見てきましたが、
残りの紅葉を・・・その続きです。
あらためて「傘亭」周辺の紅葉、
ここからまずは庭園の西側を北門へ行きます。
庭園のテーマは源流から大海までの”水の物語”。
渓流から水の流れは木曽川へと注ぎますが、
その周辺の紅葉になります。
水琴窟のある「汐見四阿」からの眺め
この辺りはモミジの木が少ないですが、
ちょうど視界が開けるところ。
休憩所の「遊濱亭」手前で思わず振り返りました ^^;
この辺りは日差しをもろに浴びる逆光、
それだけに実に綺麗です。
お馴染みのニホンスイセンは踏み荒らされるためか?
花数も少なくなって周辺が立ち入り禁止に ><;
「遊濱亭」から徳川橋へ出ます。
ドウダンツツジもまだ綺麗でモミジとの競演!
鯉と
少し遊んでみました ^^;
ユリカモメ
北門から”中の池”を回る東側の道へ入ります。
「浮見四阿」
「汐入の庭」への散策路へ。
”中の池”をひと回りして
出会い橋手前から「宮の渡し広場」の常夜灯
「清羽亭」に戻ってきました。
最後は芝生広場の紅葉で締めくくりです。
この日は天気も最高!
これ以上はない「白鳥庭園」の紅葉でした。 5日
飽きもせず紅葉を追っかけていますが、
さすがに訪れるところが限られてきました。
残るところはわずかですが、
この日は名古屋市内の「白鳥庭園」へ。
何度も訪れているところですが、
紅葉の時期は初めてでした ><;
いきなり正門横の紅葉から ^^;
この色づきを見て園内の紅葉に期待しました。
この日はいつものように「晴羽亭」から、
築山、滝口、傘亭へと南から北へ回ります。
まずはその「晴羽亭」へ
思っていた以上の紅葉が広がります。
まさに今が見ごろのピーク!
やっと紅葉が楽しめる・・・
そんな気持ちになります ^^
「晴羽亭」から滝口へと回っていきます。
庭園のなかでもモミジの木が集中するこの辺り
載せてる写真は少ないですが、
見事な紅葉を楽しみながら撮っていました。
「滝見四阿」周辺のグラデーション!
ただ、この辺りは陰陽が強いこともあり、
見ると撮るのは大違いかも ^^;
木曽橋周辺
ようやく日辺りの場所に出ました。
綺麗です!
この日までじっと我慢の子でしたが ^^;
やはり待った甲斐がありました。
庭園はまだ半分、
このあとは水郷地帯から大海の「汐入の庭」まで、
園の北側をめぐります。 5日
三重県松阪市飯高町赤桶にある「水屋神社」。
境内に「水屋の大クス」とも言われるクスノキの巨木があり
地元では「大クスさん」の愛称で親しまれている神社です。
多くの神社仏閣に巨樹、巨木はつきものですが、
そのほとんどに名前が付けられているは
我が知る限りここだけではないしょうか?^^;
ちょっと珍しい巨樹の森?の水屋神社、
その境内の巨木群です。
拝殿右前にあるのは
少々痛々しい枯れ木寸前?の「大ムク」
拝殿横にあるのは樹高45mの「水屋の大杉」
その先には右に「祖霊社」の鳥居と祠、
左には「大楠社」の鳥居が建ちます。
その大楠社の鳥居をくぐります。
すぐ先にあるのは手前に「昇龍楠(三号楠)」と、
奥には「欅」の2本の大木です。
頭上に枝を広げるその頂部
そして本殿を回り込んだ背後にあるのが
「水屋の大楠」です。
推定樹齢1,000年、根回り29m、樹幹12m、
樹高35mという県内有数の大木(県天然記念物)。
合成加工したため変則サイズですがそのほゞ全体 ^^;
何度見ても見事な大木です。
こちらは地中から掘り出されたという
直径3m余りの大ケヤキの切り株。
本殿を回って反対側へ
その横には「楠椙和合の樹」という2本の巨木、
奥に椙(スギ)の木、
手前にはこれもクスノキの大木(3号楠)です。
その上部
こちら側には他にも
「水屋の大榊」と、奥は・・・??
そして平凡ですが「夫婦杉」と、
まぁ、名前の付いた木が多い境内です。
こちらは名もない普通のモミジ ^^;
大和の春日大社の安在所として
天児屋根命(あめのこやねのみこと)を奉斎し、
その後、大化4年(648年)奈良の三笠山から
素盞鳴命、龍神姫命を勧請したという・・・。
飯高町赤桶「水屋神社」の巨木群でした。 1日
今年の紅葉狩りは天候に振り回されていますが、
四日市市水沢町の「水沢(すいざわ)もみじ谷」です。
ここは例年期待しているところですが、
地元の情報では今年はあまり良くないとのこと。
ただ、近場です!
天気のいい間に走っておこうと情報無視でした ^^;
しかし、地元の情報は正しかった!(あたりまえです ^^)
”もみじ祭り”の終わりごろに色づくのを期待して、
ジッと待っていた紅葉でしたが・・・
分かっていたとはいえ、
これにはさすがにガックリ ><;
わずかに見ごろの紅葉もありますが、
それも少しだけ。
これはまだ早すぎるのか?
それともこのまま終わってしまうのか???
せめてきれいな紅葉をと
撮っては見たものの、
これだけではどうにもなりません ><;
ここは”もみじ谷”と言われるだけに、
頭上に覆いかぶさるように色づく紅葉が綺麗なんですが
・・・・・
・・・・・
何も言うことはありません ><;
頭上の紅葉を見上げて、
谷底から県道に上がります。
その見上げていたモミジの木
どうやらここももう終わりのようです。
期待はしていなかったとはいいえ、
青葉ばかりが目に付く
ちょっと寂しい今年のもみじ谷でした。
遊び心で一枚 ^^;
さて、天気も快晴!時間もまだ早い。
このままではちょっと帰るわけにもいかず、
しばし思案のひとときでした。 2日
紅葉もそろそろ終盤を迎えて行先もなくなってきました ^^;
まだ紅葉を楽しもうと思っている人に、
残りモミジといえば怒られそうですが・・・もうそんな気分です。
彦根からの帰りは東近江路(R307号線)に出ました。
多賀大社を過ぎて目に入ったこの紅葉に、
思わず車を停めましたが・・・
「胡宮神社(このみやじんじゃ)」です。
もう色あせだと思っていただけに
チョッとビックリで裏参道を行きます。
表参道の本殿前
まだ観光バスが数台来ていてたくさんの人です。
例年ならちょうど見ごろの時期ですものね><;
神輿倉横のモミジ
見どころはここまででしたが・・・表参道を下りてみました。
さすがにもうお終です。
このモミジの色づきもここまででしょうか?
始めビックリ!
あとはさえない胡宮神社の残りモミジでした。
~~~
途中の西明寺もたくさんの人出でしたが、
素通りしてこの日もまた「百済寺」に立ち寄ります><;
入山する気はなかったものの
この石垣の参道に染まるモミジを見たかっただけ ^^;
残念ながらここから下、
赤門までの参道は見るところなし ><;
本坊前と表門周辺
表門と参道
見ごろが遅かっただけにいい感じですが、
ここもどうやら終盤でしょうか。
この日は彦根から東近江へと走りました。
近江での紅葉はこれが見納めです。 28日
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