旅の終わりは
旬ものを挟んできましたが、
芭蕉「奥の細道」をめぐった旅の最終日に戻ります。
鶴岡から村上市までは奥の細道で歩いた道と、
付かず離れずの山中を通る国道7号線を走りました。
その村上市。
芭蕉はここでも2泊しています。
ここ「宿久左衛門」宅跡がその宿泊地ですが、
現在は1日1組の限定宿として営業中とか。
村上は鮭の町としても有名なところで、
こうした塩引き鮭を干すお店がみられます。
ここから南へと続く道筋が町の中心部。
懐かしい店に立ち寄り買い物でした ^^;
かっては造り酒屋だったというこのお店。
店先から奥に入ると
たくさんの塩引き鮭が干されています。(見学可)
こうして1年間乾燥したあと商品となるそうです。
目的の買い物をすませ町をぶらついたあと
帰路につきました。
ところが続きあり ^^;高速道路(無料区間)に入ってから
ガソリン不足に気が付きました。
有料区間になる荒川胎内ICでいったん高速道を下りて、
近くのガソリンスタンドを探して走っていましたが、
なにやら思い出のある道筋に出ました。
胎内市乙(たいないしきのと)
ここも奥の細道の道筋でした ^^;
そしてこのお寺、「乙宝寺(おっぽうじ)」です。
芭蕉は午前10ごろ村上を立ち、
ここには午後12時半ごろにここに到着しています。
参拝
神橋を渡ると右の池には弁天堂が建ち、
左には金毘羅堂と蓮池です。
その先には見事な仁王門、
仁王像は行基菩薩の作といわれます。
くぐった先には左に「鐘楼」
右には名水「独鈷水」の湧く手水舎があり
その奥には国重文の「三重塔」が建ちます。
そして少し石段を上ると大日堂(金堂)です。
本尊は大日如来、弥陀如来、薬師如来の三尊。
奈良時代・天平8年(736)、聖武天皇の勅命により、
インド僧バラモン僧正と行基菩薩が
北陸一帯の安穏を祈って建てた勅願寺です。
そして右奥には「地蔵堂」と「観音堂」、
その周辺には多くの歌碑や句碑が建ち並びます。
観音堂の前にある芭蕉句碑「浮世塚」。
句は 「奥の細道」とは関係ありませんが、
”うらやまし 浮世の北の 山桜” 元禄5年(1692)の吟。
他にも多くの諸堂が建つ新潟屈指の古刹。
偶然とはいえ、これも何かの縁だったのか?
思わぬ旅の締めくくりでした。
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