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2015年1月27日 (火)

なら かしはら 今井町

奈良県橿原市今井町。
市の北西部に位置する東西600m、南北310mの区域に、
いまも江戸時代の建物が数多く残り
重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

初めて車での訪問
Imai01

観光駐車場から表通りに出ると
「今井まちなみ交流センタ・華甍(はないらか)」があります。
明治36年(1903)に高市郡教育博物館として建設され、
昭和4年(1929)より今井町役場にも使用されていた建物。

ここが町の南東部
この町の散策はやはり北東部にある赤い橋、
「蘇武橋(そぶばし)」からでしょうか。

Imai02

2013年に整備開園した蘇武橋公園を見ながら、
飛鳥川に架かる蘇武橋まで行きます。

Imai03

橋の袂には聖徳太子が馬を止めて水を飲ませたと伝わる
「蘇武之井」といわれる井戸があります。

Imai04

いったん橋を渡り、渡り返します。
その先にある樹齢420年ともいわれるエノキを見て、
北の町筋、北尊坊通りに入ります。

この筋は電柱の地中化がまだ進んでおらず、
今回は綺麗な町筋をと
すぐに町の中心部に入りました。

Imai05

北尊坊通りから道を南へ折れると、
途中で交差する町筋の景観が楽しめます。



Imai06

右に、左にと、幾重にも交差する道筋。

これも商業の町として繁栄し、外部からの侵入者を拒絶、
独立した自治都市を築いたこの町の特徴。

Imai07

その見事な建物群と往時の面影を色濃く残す町筋は、
まさに戦国時代から続く歴史を感じます。

Imai08

本町筋
こちらは数ある建物群のなかで
唯一無料で公開されている「旧米谷家」。

18世紀中頃の建物だそうですが

Imai09

一応、許可をとって撮影 したその内部です。

ここはひとつ、ひとつの建物も素晴らしですが、
今回はやはり町の景観を中心に ^^;

Imai10

建物だけではなく
上を見上げれば白壁に”虫籠窓”に”煙出し窓”屋根。

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こちらは白漆喰の虫籠窓、
軒の両脇には袖うだつが上がります。

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御堂筋に入り、「中橋家住宅」。

寺内町として栄えた町ですがここがその中心部

Imai13

すぐ傍にある「称念寺」
今井町はこのお寺の境内地として発展してきました。

Imai14

また屋根ですが ^^;瓦です。
手前から新しい”桟瓦”、真中が古い”本瓦”と”桟瓦”、
奥には古い”本瓦”の屋根が並んでいました。

Imai15

そして町の西端です。
環濠の先に見えるのは「今西家住宅」。

Imai16

Imai17

ちょうど町の西端にあり、
慶安3年(1650)に建てられたという民家ですが、
城郭のような構造で別名「八つ棟造り」と呼ばれます。

この筋を東に戻って、
再び南へ、東へと曲がり

Imai18

最後はやはりこの建物 ^^;
18世紀中頃の建物といわれ、
古くより酒造業を営んでいる「.河合家住宅」です。

数多くの旧家が残る町並みを歩きながら、
しばし江戸時代にタイムスリップしたような
奈良橿原市の今井町でした。

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コメント

初めてコメントさせてもらいます。私が生まれ育った今井町を訪ねて頂き、懐かしく拝見しました。街灯や漆喰壁が綺麗になっている以外昔のままの様ですね。私も両親亡くしてからそんなに帰らなくなりました。河合家に同級生居たんですがどうしているのか・・・会いたくなってきました。

ひろし さん
ご覧いただきコメントありがとうございます。

ここがふるさとの方からのコメントをいただき恐縮です。
私も久しぶりの訪問でしたが、
変わらぬ町筋と旧い建物を懐かしく拝見しました。
ただ、表通りはずいぶんと綺麗に整備されていました。
簡単な紹介になっていますが、
少しは郷愁を感じていただけたら嬉しいです。

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