ぶらり本宿
岡崎市の東の端に位置する本宿町(もとじゅくちょう)。
宿がつくため東海道五十三次のひとつと思われそうですが、
ここは旧東海道の東の「赤坂宿」と西の「藤川宿」との間にあり、
”間の宿”として栄えたところ。
名鉄「本宿駅」から東へ1kmほど行きます。
ここが「本宿」の東の出入口
ちょうど豊川市と岡崎市の境界になります。
立派なモニュメントを見て西に歩くと
本宿集落への旧道分岐があり、
国道1号線と分かれ旧東海道へ入ります。
すぐにある「法蔵寺」
大宝元年(701)、行基によって開創されたといわれ、
徳川家の始祖松平親氏始め、代々松平氏の帰依深く、
諸堂が寄進され松平家の菩提寺でもあります。
街道沿いにある「御草紙掛松」
寺伝として、家康が幼少のころ当寺で手習いの際、
この松に草紙を掛けたといわれています。
今の松は4代目だそうです。
山門をくぐると石段の先には鐘楼門。
そして本堂
その横には「六角堂」
石段を上がってさらに奥へ行きます。
一段高いところには
新撰組隊長”近藤勇”の首塚(右)と胸像があります。
なぜここに近藤勇の首塚か?詳細は省きますが、
生前敬慕していた新京極裏寺町の称空和尚に供養され、
和尚の転任?とともにこの法蔵寺に移されたそうです。
この前には松平広忠一族の墓があり
その奥には「東照宮」も建っています。
本宿ではここが唯一の見どころでしょうか ^^;
「法蔵寺」から旧街道に戻ります。
街道筋から少し奥まったところにある病院が
「本宿陣屋跡」。
その横にあるのが「旧代官屋敷」です。
今はその周辺は病院の駐車場になっています ^^;
本宿一里塚跡
豊川市長沢(赤坂宿の西)の一里塚と、
岡崎市藤川(藤川宿)の一里塚の中間地になり、
ここからちょうど宿間の距離が分かります。
そして本宿の西の出入口近くにある
「宇都野龍硯邸跡と長屋門」。
本宿村医家宇都野氏が宝暦年間に三代立碩が
当地で開業したのが始まりといわれ、
七代龍碩は蘭方医として知られているそうです。
すぐ傍には
旧東海道「本宿」に残る松並木
そして「本宿」西の出入口です。
この日は藤川宿から美合へと歩くつもりでしたが、
猛烈な寒風の向い風にここで挫折 ><;
このあとはまたあらためてと早々に退散でした。
« 雪の御在所岳 再び | トップページ | 明治村 三重県ゆかりの建物 »
「まちかど散策」カテゴリの記事
- 木彫りのまち 井波(2022.08.06)
- 若狭鯖街道 熊川宿(2022.07.14)
- 駅前イルミネーション(2021.12.18)
- ぶらり鳥羽・江戸川乱歩館(2019.08.20)
- 飛騨金山 筋骨めぐり(2019.05.27)
コメント