中山道 鵜沼宿から大田宿
この日は各務原市鵜沼の中山道鵜沼宿の
脇本陣で行われていた催しを見に出かけました。
鵜沼宿には何度も出かけていますが、
催事を見たあとは久しぶりに「うとう峠」まで歩こうと
この日も電車でGO!でした ^^;
この日,、脇本陣で行われていた催しはこちら。
やはり撮影は禁止で見るだけででした ><;
あとは脇本陣横にある芭蕉句碑群を見るだけ ^^;
芭蕉はこの鵜沼宿には3度訪れていますが、
最後に訪れたあと
美濃から木曽路をたどり「更科紀行」の旅に出ています。
もうここに用はありません。
このあとは中山道を「うとう峠」へと行きます。
国道21号バイパス交差点にあるのは
復元された「高札場」。
鵜沼駅への分岐にある「うとう峠」への道標
中山道は左へと行きます。
ここが「東の見付跡」で祠は「赤坂の地蔵堂」。
鵜沼宿の東の出入り口で
道は枡形に大きく左へと曲がります。
このあとは団地の傍の長い坂道が続きます。
坂道上り切って池をを回り込むと
目の前が「日本ライン うぬまの森」です。
森に沿って最後の坂を上ると
「うぬまの森」正面ゲートに出ます。
センターハウスの前を通りすぎると
すぐに「うとう峠一里塚」です。
南北両側に一里塚が残っています。
比較的原型を保つこの北塚ですが、
南塚は半分が壊われかなり荒れています。
幾く筋もの遊歩道が延びる「うぬまの森」の中を行く中山道は、
石畳と案内板で迷うことはありません。
一里塚からすぐに「うとう峠」に到着。
この日はここから引き返す予定でしたが、
歩きだすともうやめられない、止まらない・・・ ><;
一度歩いた道だけに記憶を頼りに先に行きます。
ここからはただ下るだけの「うとう坂」
かなりの石畳の急坂ですが、
道が地道になって緩やかになると出口はすぐ。
ひんやりとした国道下のトンネルをくぐって
石段を上ると美濃加茂市坂祝(さかほぎ)町です。
このあとはひたすら国道を歩きますが、
途中で中山道の案内板は「岩屋観音」へとなっていました。
以前に歩いた時は右の国道を行って
この道は通らなかったんですが?この日は案内通りに ^^;
「岩屋観音」を拝観して
通り抜ける断崖横の細い道から
金網越しに見る木曽川の流れ。
この先で再び中山道は国道に合流していきますが、
途中から木曽川の堤防に整備された
”日本ラインロマンチック街道”に入りました。
ほゞ3kmほどの道ですが、
国道の中山道を歩くよりは快適な道 ^^;
終点まで行けば中山道大田宿に出られますが、
ここは橋を左に折れていったん国道に出ます。
しばらく国道を行くと中山道は国道を離れ、
「大田宿」へと入って行きます。
ここも何度か紹介しているため
今回は要所だけを ^^;
中濃大橋の下にある「虚空蔵堂と承久の乱 古戦場跡」、
ここが大田宿の西の出入り口。
ここから枡形になり道は大田宿の中心部へと入ります。
「高札場跡」説明板を見て右折すると
すぐに「旧大田宿本陣門」があります。
この前が「中山道会館」で、
大田宿散策のビジターセンターでもあります。
その横にあるのが「旧大田脇本陣林家住宅」。
現在も居住されていますが(原則火・水のみ公開)、
江戸時代そのままの姿で残っています。
そしてその先にある「祐泉寺」
本堂の右手前にある鐘楼の横に
芭蕉句碑があります。
私的な趣味の芭蕉句碑で恐縮ですが ><;
句は「春なれや なもなき山の 朝がすみ」
貞享二年(1685)「野ざらし紀行」の吟で
ここには関係ありません。
中山道鵜沼宿から「うとう峠」までを歩く予定でしたが、
この日もまた思うに任せ大田宿まで・・・
一気に歩いてしまった中山道でした。
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