下街道 そのⅡ
新春初歩きで歩き始めた「下街道(したかいどう)」。
前回は多治見まででしたが今回はその続きです。
この街道筋はこれと行って見どころがなく、
多くの神社仏閣と秋葉大権現の常夜灯を眺めて行くだけです。
これがほんとの歩くだけという ^^;
久しぶりのロングウオークです。
前回に終えた多治見市の栄町からスタート、
豊岡町から土岐川を多治見橋で渡ります。
道はすぐに本町エリアの「オリベストリート」へと入ります。
明治から昭和初期まで、美濃焼の陶磁器問屋が軒を並べ、
多治見の中心部として栄えたところに、
茶人でもあった古田織部の自由で斬新な発想を、
現代の町づくりに取り入れようと造られたという・・・。
実に綺麗な道筋です。
ここから道は次第に上りになり、
小さな峠を越えると国道19号線に合流。
すぐに国道を離れると鉱山の専用道を抜けて行きます。
道は下りにかかりますがその手前で東海環状道の
跨橋を渡りますが目の前が開けます。
右に恵那山と左に中央アルプス。
その左には御嶽山が見えますがカットしました ^^;
道はすでに土岐市に入っていますが、
ここの楽しみは高山宿です。
といってもこの街道は正式な公道として認められていない
裏街道のため宿場はありません。
土岐市文化プラザ横からその高山宿に入りました。
宿としての雰囲気を残す工夫がみられるところです。
ただ、ここがちょうど街道の中間あたりになり、
旅人たちの宿場として賑い多くの旅籠があったようで、
宿としての機能ができたと思われます。
綺麗に整備された高山公園を見て先へ。
町から眺める「高山城跡」は
高山公園横から車道が続いています。
道筋には「明治天皇高山御小休所」
この先で細い道に入ると
南宮神社の横にある「明治天皇観陶聖蹟碑」。
このすぐ先が紅葉で有名な「穴弘法」への道、
高山城跡へはここから散策路が続いています。
また何もない(自分には ^^;)街道を行きます。
和合町で瑞浪市に入りますが、
和合橋を渡ると国道沿いにあった陶器のモニュメント。
瑞浪駅を過ぎて土岐町に入ります。
ここにもありました「明治天皇土岐御小休所」の碑。
何もないと書いて省いていますが ^^;
道筋に現れる神社仏閣には途中寄りするだけの価値がある、
そんなお寺や神社もあります。
土岐町の名滝地区に入って初めて道標をみました。
これは歩いてきた道(右)を振り返っていますが、
「右 多治見名古屋 左 ・・・岩村 道」
この先には小さいですが
「名滝稲荷神社」という舞台付きの立派な神社があります。
神社を見てすぐ先にあったのがこの句碑。
芭蕉句碑です ^^;
碑面には
”いさゝらは 雪見にころふ 處まて ばせを” 花月坊書
貞享4年(1687)の吟ですが、
ここで芭蕉句碑に出会うとは思いませんでした。
この先でふたたび土岐川を渡るとあった道標。
大小ふたつの道標ですが
小さい道標は 「左 伊勢道」
大きい方は 「右 中街道 中山道 御嶽之道」
初めて見る”伊勢”の文字でした。
土岐川と付かず離れづに行く街道ですが、
中央線の高架をくぐると釜戸の集落。
釜戸駅を見て集落を抜けて行きます。
下切、上切と行ってふたたび土岐川を境橋で渡ると
ここから恵那市に入って武並町竹折です。
集落を抜けたところで特急”しなの”が通過!
何度も見ながらようやく撮影に成功しました ^^;
正面には恵那山が迫ります。
武並の竹折を行く下街道。
目的の「槇ヶ根追分」はもうすぐですが、
行って戻って来るだけではなんとも味気なく、
楽しみは先に残してと、
今回はこの先の武並駅でゴールにしました。
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今回も凄い距離を歩かれましたね。
お疲れ様でした。
お写真を拝見すると雪は無かったようなので、
歩きやすくて良かったです。
これだけ遠くなると、現地へ行くだけでも大変ですが
帰りはさらに距離が延びるので、電車でも時間が
掛かりますね^^;
投稿: いわし | 2014年1月31日 (金) 20時08分
いわし さん
久しぶりにロングウオークでした。
雪は全くなく暖かいぐらいでした。
まだ恵那まででたいした距離ではありません。
好きで歩いているだけに都合の良い時間に出て、
距離は調整できますから苦にはなりません ^^
投稿: 好好爺 | 2014年2月 1日 (土) 16時16分