木地師発祥の地 君ケ畑
以前に南木曽からハナモモ街道を走ったとき、
途中に「木地師の里」がありました。
木地師(きじし)
ろくろを使って椀や盆などの木地を作る人たちをいいますが、
その発祥の地が滋賀県東近江市の奥永源寺にあります。
国道421号線の三重県側から石博トンネルを抜けると
県道34号線との分岐にある政所に出ます。
ここから県道を走ると木地師の里・蛭谷ですが、
県道を離れてさらに林道を奥へと入って行きます。
これ以上先には林道しかない山間に
ひっそりとある小さな集落、君ケ畑。
鈴鹿の最高峰御池岳の南、
その山懐に抱かれた山里です。
第55代 文徳天皇(827~853)の時代、
第一皇子であった惟喬親王(これたかしんのう)は
皇位継承の第一候補者でした。
しかし時の摂政関白藤原良房の娘と
文徳天皇の間に生まれた第四皇子、
惟仁親王(これひとしんのう)が第56代清和天皇に即位。
失意の惟喬親王は
小松畑といわれたこの地に幽棲したといわれます。
親王はここでろくろによる木地製作の技法を考案し、
周辺の杣人たちにその技術を伝えたのが
木地師の始まりいわれます。
そして多くの木地師たちが全国に巣立っていきます。
親王はこの地に金龍寺を建てて住居とし、
この地で没したことから、
里人たちは金龍寺を「高松御所」と呼び、
小松畑を君ケ畑と呼ぶようになります。
その金龍寺と
本堂?に掲げられた「高松御所」の扁額。
金龍寺の近くにある惟喬親王の墓所
苔むす石段を上ると石柱に囲まれて
小さな墳丘と塔が建てられ、
石門には十六菊の紋があります。
そして親王を祀る
「大皇器地祖神社(おおきみきぢそじんじゃ)」
深閑とした静寂のなかに、
杉の大木に囲まれてその建物はあります。
拝殿と本殿
木地師の祖として仰がれる惟喬親王
その隠棲先は諸説ありますが、
なぜここなのか?
その疑問は別として、
全国の木地師の多くが今もここ君ケ畑の
「器地祖神社」を参拝しているといわれます。
木地師発祥の地といわれる東近江市君ケ畑に、
惟喬親王ゆかりの寺社を訪ねてみました。
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もう亡くなられましたが、秋田県にこけし工人の小椋久太郎さんという方がいました。小椋さん作品は『木地山こけし』と呼ばれ愛好家に親しまれていましたが、本blogで滋賀県水無瀬(みなせ)の地名をみて驚きました。小椋さんが住んでいた場所も、秋田県雄勝郡皆瀬(みなせ)町字木地山だったからです。
単なる偶然と言ってしまえばそれまでですが…。
小椋さんの姓は秋田県では珍しい方ですが、惟喬親王が住んでいた近江国小椋庄に由来しているのではと言われています。木地師は、轆轤を回すだけでなく木を探して国(藩)を越えて山に入りますが、惟喬親王が出す許可証がないと諸国を巡ることが出来なかったため、木地師にとってはなにより大切な存在だったと思われます。
投稿: の・いそじん | 2012年6月 1日 (金) 05時05分
訂正
水無瀬(山崎)は君ケ畑の前に住んでいた場所でした。
投稿: の・いそじん | 2012年6月 1日 (金) 05時21分
好好爺様と、の・いそじん様のお蔭で、歴史苦手の私が、君ヶ畑を訪れたくなりました。
先日、京都の「陽明文庫展」で感動してきたばかりですが、藤原氏の繁栄の「光と陰」に、心が重くなります。人間、単純 ではありませんね。
ありがとうございました。
投稿: miyabi | 2012年6月 1日 (金) 05時33分
追伸
東近江市観光協会のホームページ、「筒井神社」の項目で、小椋氏 に関する記述を見つけました。
ご参考になれば。
投稿: miyabi | 2012年6月 1日 (金) 05時51分
おまけ
シンガーソングライターの小椋佳(本名は神田姓)は、大学時代に滞在した福島県北塩原村の学生村の周辺に小椋姓が多かったことから名付けたとか。
北塩原村もまた木地師が活躍する山あいの村です。
投稿: の・いそじん | 2012年6月 1日 (金) 08時38分
の・いそじん さん
いろいろとご教授ありがとうございます。
この君ケ畑と手前にある蛭谷は昔から小椋庄(小椋谷)と呼ばれ、
ここから小椋性を名乗る多くの木地師が全国に散っているそうです。
その蛭谷にある木地師資料館には
小椋久太郎さんの父、久四郎さんが愛用していた
手挽ろくろの原型があるそうです。(確認していません)
今回は君ケ畑だけを取りあげましたが、
惟喬親王にまつわる史実を追えば京都周辺からこの近江まで、
まだまだ面白い歴史を知ることができるかも知れません。
機会があれば、いつか惟喬親王を追っかけてみたいですね。
投稿: 好好爺 | 2012年6月 1日 (金) 17時42分
miyabi さん
「陽明文庫名宝展」に行かれましたか ^^
このところ久しくそういった場所に出かけていませんが、
少しは歴史文化の知識を養いたいですね ^^;
>筒井神社
蛭谷にありますが、木地師についてならここの資料館は
見る価値があると思います。(要予約だそうです)
今回は君ケ畑だけでしたがかなり山奥でした ^^
投稿: 好好爺 | 2012年6月 1日 (金) 18時01分
この道はよく通行止めになる道ですね?
通れないときが多かったので奥へ行ったことがありませんでした。
こんな感じなんですね♪
投稿: gen | 2012年6月 1日 (金) 18時43分
gen さん
ここを走られていましたか。
一度多賀から入り往生して戻った道ですが、
そこからさらに山奥です
ここから先は乗用車では走りたくない道ですが、
バイクではまた楽しい道かもしれませんね ^^
投稿: 好好爺 | 2012年6月 1日 (金) 20時31分
好好爺さん
惟喬親王ゆかりの寺社がある、木地師発祥の地といわれる東近江市君ケ畑のご紹介、大変参考になりました。惟喬親王の悲劇については「伊勢物語」の中でも、在原業平との交情を通じてよく知られています。惟喬親王を草深い雪の土地に尋ねて、「忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや 雪踏み分けて 君を見んとは」と詠んでいます。比叡の下、小野の里とありますから、「君ケ畑」とは違うでしょうが、案外この辺りかも知れませんね。
投稿: shuttle | 2012年6月 2日 (土) 10時54分
shuttle さん
木地師発祥の地に惹かれて訪ねてみました。
惟喬親王を調べていて在原業平とのつながりを知りました。
>比叡の下、小野の里
今はもう地名が存在しませんが、
愛宕郡(おたぎぐん)小野(現在の高野川上流松ヶ崎から
大原に至るあたり)がその場所のようです。
ちかくの大原上野には親王の御陵墓もあります。
投稿: 好好爺 | 2012年6月 2日 (土) 17時17分