明治の東海道
旧東海道、名古屋の「熱田の宮の渡し」から「桑名の渡し」まで、
海上七里を嫌った旅人が陸路を通ったのが佐屋街道でした。
ところが、幕末ごろから佐屋川の水が減ったことで、
大型船の遡行が難しくなっていたという。
その頃、京都から江戸に向かう明治天皇の一行が、
佐屋路を通ることになり新しい道が計画されます。
それが名古屋の熱田から弥富の前ケ須まで、
当時干拓された新田を通る明治の国道 東海道です。
名古屋の旧東海道、熱田の「宮の渡し跡」です。
佐屋街道はすでに歩いているので、
一度はこの明治の東海道を歩こうと思っていました。
何も見るところの無い国道ですがその東海道です ^^;
「宮の渡し跡」から少し北に行った大瀬古橋で堀川を渡り、
南へ歩き千年(ちとせ)に向かいます。
千年から東海通(そのまま名残りの東海道 ^^ )に出て、
あとはひたすら西へと歩くのみ。
この間1時間15分ほど・・・
途中の東臨港線を貨物列車が通ります。
こんな幹線道路で見るのは初めてでした ^^
あとは淡々と歩くだけです ><;
ようやく庄内川を「明徳橋」で渡り、
続く新川を「日の出橋」で渡ると東海通から離れます。
川べりを少し南に歩いて再び西に向かいます。
チョッと街道らしい雰囲気の道になります ^^
しばらく行くとある地蔵堂
ここは東福田新田と西福田新田の締切りの場所。
東と西から築きながらつき進んできた堤防をここで締切り、
残った土の上に開発者の鬼頭景義が築いたのが
この地蔵堂だそうです ^^ 奥には神明社があります。
この先で国道302号を渡り道はさらに西へと。
田んぼの畦に咲く 花しょうぶ ^^
再び東海通に合流すると、渡る橋は「河合小橋」、
続いて日光川を「日光大橋」で渡ると、
すぐ先の喫茶店で昼食兼休憩でした ^^
短い休憩のあと出発!
善太川を「善太橋」で渡るとすぐに左折し道は南へ、
ここから弥富市に入ります。
宝川に突き当たって川を回りこむ道から離れ、
旧道は直進して行きます。(ご覧の右の細い道)
街道らしき期待がかかる道・・・^^
これが街道ですねぇ~いい感じです 。
途中にある神明社(後ろにあります ^^)とこの山神社
境内に松があります。
「二つお宮の松」(市指定文化財、天然記念物)。
伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けたこの地区で、
奇跡的に生き残ったという松だそうです。
その先には
「明治天皇西蜆御小休止所」の碑。
左の石碑には文部省の文字があります ^^;
こちらは庶民の?碑
「孝女曾與(そよ)宅跡」とあります。
” 酒を飲み生活の寂しさを忘れようとした父親を、
曽與は哀れに思い孝行をつくしたという・・・”
なんだか身につまされますが・・・ ><;
この先の弥勒寺の門前にその墓があるという。
行く道の途中です ^^
その弥勒寺山門と門前の曾與の墓です。
ここまで来れば明治の東海道はもうすぐ終着地。
弥富の前ヶ須まで多くの神社を見ながら行きます・・・
そして、
ここが弥富市「歴史民俗資料館」
明治の東海道は右手の細い道に入ります。
すぐに広い枡形を回ると
佐屋街道の合流地、そして明治の国道 東海道最終地、
弥富の前ヶ須「ふたつやの渡跡」に着きます。
ここから旅人は桑名の「七里の渡し」に船で向かいましたが、
今は傍を国道1号線が通り、
桑名の「七里の渡し跡」までは陸路で行けます。
歩きました明治の東海道、今回はここまででした。
« なばなの里・花まつり | トップページ | 志摩のあじさい寺・大慈寺 »
「歩く・街道」カテゴリの記事
- 旧東海道 藤沢から神奈川(2023.07.27)
- 旧東海道 大磯から藤沢へ(2023.07.25)
- 熊野街道脇道 大紀町(2022.11.10)
- 熊野街道脇道 度会町(2022.11.03)
- 十三街道十三峠越え・業平道(2022.09.11)
コメント