中山道 奈良井から洗馬
中山道歩き旅も、前回、南木曽から倉本までを歩いて、
これで京都三条大橋から「奈良井宿」までが終わりました。
この先どこまで歩けるか分かりませんが、
どうしても一区切りを付けたかったのが「木曽路」、
中山道の木曽路11宿で残ったのが「贄川宿」です。
今回の目的は「贄川宿」と、「是より南 木曽路}の碑、
そして「洗馬宿」の”善光寺道追分”まで。
その出発はここ奈良井駅から。
鳥居峠を分水嶺とするこの奈良井川、
歩きは川に沿っての旅になります。
「奈良井宿」の次は平沢
ここは漆器の町、道の両側には木曽漆器の店が並びます。
重厚な構えの店を見ながら
街道は「諏訪神社」の境内へと入ります。
拝殿と
境内両脇には「御柱」が建ちます。
境内を抜けて下る道に残る「中山道石垣(市史跡)」
そして役場前にある「芭蕉句碑」
側面に” 送られつ をくりつはては 木曾の秋 ”
貞享5年(1688)の吟。
ここからは何もない道歩き
平沢の外れ、国道19号線と合流する場所にある
「道の駅 木曽ならかわ」のサクラを楽しみます。
あとは国道と、付かず離れずの街道を行きます。
この橋を渡ると標柱が立つだけの「押込一里塚」、
その先は単調な舗装道をひたすら歩くだけ。
ようやく・・・の、感じで入った「贄川宿」
ここが中山道木曽路最後の北の宿
江戸日本橋から33番目の宿場町ですが、
その面影は町なかに何もありません。
北の突き当たりにある復元された「贄川関所跡」
江戸時代に福島関所が開かれるとともに
おんな改め、白木改めの役目を担った贄川口留番所です。
本来の街道はそのまま直進していきますが、
今は道がありません。
戻って跨線橋を渡り国道の上から見る
ここが「贄川宿」の北の出入口。
右に見える建物の先が「贄川駅」」です。
是にて木曽路11宿を歩き抜けます。
あとは「木曽路の碑」へと
迫り来る山の中へと入って行きます。
また、国道歩きが続きますが・・・
しばらくで桜沢の集落になると国道を離れ短い地道へ。
はるか下に国道と奈良井川を見ながら、
ここは旧街道を満喫する道です 。
国道を行ってもいいんですが、そこはやはり忠実に ^^;
抜けると再び国道に出ますが・・・
2本の”枝垂れザクラ”に挟まれて見えた
こちらが目的のふたつ目、「木曽路の碑」。
「是より南 木曽路」
歩いてきた中山道木曽路ですが、
馬籠の新茶屋で「是より北 木曽路」の碑を見てから、
ちょうど4年半をかけて歩き終え、今通過します。
この先、中山道は信濃路へと入り、
あとは洗馬宿に向かってただ歩くのみです ^^
桜沢にある「木曽路の碑」から日出塩集落へ、
集落のなかにある「長泉院」の綺麗なサクラ。
日出塩・中仙道第二踏切を通過する”ワイドビューしなの”、
今回はサクラとともに我が旅の友でした。
先に載せたサクラの「本山神社」から続く「本山宿」。
町はなにやら祭りのムードですが、
らしきものは何も見当たりません?
出格子、格子窓の家が建ち並ぶ町並みを見ながら
通り過ぎましたが・・・
ここは”本山そばの里(そば切り発祥の地)”です。
この先、国道から分かれ洗馬に向かう田園地帯
蕎麦の季節はそば畑のようですが、
今日、何本目か?下りの”しなの”が通過します。
その中央本線のガード下をくぐって坂を登ると「洗馬の宿」
是も先に載せましたサクラの「洗馬公園」が「高札場跡」、
とちゅうにある脇本陣、本陣跡の標柱を見ながら行った、
街道の先が「善光寺道」との追分。
「右 中山道 左 北国往還 善光寺道」とありますが、
これは右の新道ができたときに移されたもの。
この先が本来の場所
安政4年(1857)の建立という「常夜灯」のある枡形、
ここが「中山道と善光寺街道の分され」とあります。
右に行くと中山道、江戸へ30宿、59里余、
左は北国脇往還、松本を経て麻績(おみ)から善光寺へ、
17宿、19里余とも。
近江路、美濃路、木曽路と歩いて来ました「中山道」、
いよいよ信濃路へと足を踏み入れました。
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