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2011年4月 7日 (木)

信州・松代城跡

旬の記事を挟みましたが信州松代に戻ります。

真田十万石の城下町でもある信州松代、
やはりここだけは外せません、「松代城跡」です。

”ひなまつり”の前に立ち寄りましたが、
駐車した都合上、城跡裏側からの登城になります。

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北入口から入った左側に続く土塁

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正面に「北不明門(きたあかずもん)」があります。

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そして右手中央にある井戸、
その先が戌亥隅櫓台跡と二の丸を囲む土塁。

”永禄3年(1560)、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信との
「川中島の合戦」の際に築城した「海津城」が松代城のはじまり
とされています。”

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本丸北側の搦手(裏側)にある「北不明門」
表門(枡形門)と櫓門とで構成されています。


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その櫓門

くぐると

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ここが本丸跡

”その後、幾多の変遷のあと元和8年(1622)に真田信之が
上田から移封され、真田3代目藩主幸道のときに幕命により
「松代城」と改名されます。・・・
以来、真田氏10代の居城として明治維新を迎えます。”


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戌亥隅櫓台

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今は展望台として整備されていました。

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本丸からの隅櫓台跡とその石垣

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本丸東側には
「東不明門前橋」があります。

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そして本丸南側になる大手(正門)入口(虎口)の櫓門

こちらも枡形になった先の表門(橋詰門)と
2棟で構成される「太鼓門」です。

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太鼓門と前橋

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本丸内堀を西に回り込んでいる「二の丸跡」

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「二の丸跡」から見る本丸石垣

明治維新に城郭のほとんどが取り壊された松代城ですが、
平成の大普請でその一部が再現されました。

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二の丸跡から見た石垣と戌亥隅櫓台


江戸時代の姿に限りなく近い状態で復元された松代城跡。
本丸を中心とした城郭の一部と、
現存する城郭建築である新御殿(真田邸)とともに、
国の史跡に指定されています。

三の堀の外に建てられていたその真田邸

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Sanadatei02 
玄関と、庭園の奥から見た御殿(主屋)

御殿と庭園の整備が完了し、
昨年9月から一般公開されています。

信州松代、”ひなまつり”とともに、
真田十万石の居城・松代城跡とその史跡を訪ねました。

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コメント

ありがとうございます。

信州松代は気になるところなのです。
城跡の姿などに刺激されています、蕎麦街道経由で今年中には訪たいですね。

来週、先ずは蹴上から水源の琵琶湖に向けてくてくの予定です。

ぐうたら太郎 さん
蕎麦街道経由で信州松代とは味な旅ですね。

撮って返す(^^;)我が身にはうらやましい限りですが、
そのときは北信の旅を満喫してください。

>来週、蹴上から琵琶湖へ
早いですねぇ、もうてくてくですか。
蹴上から山科、逢坂山関跡など楽しまれてください。

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