信州・松代城跡
旬の記事を挟みましたが信州松代に戻ります。
真田十万石の城下町でもある信州松代、
やはりここだけは外せません、「松代城跡」です。
”ひなまつり”の前に立ち寄りましたが、
駐車した都合上、城跡裏側からの登城になります。
北入口から入った左側に続く土塁
正面に「北不明門(きたあかずもん)」があります。
そして右手中央にある井戸、
その先が戌亥隅櫓台跡と二の丸を囲む土塁。
”永禄3年(1560)、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信との
「川中島の合戦」の際に築城した「海津城」が松代城のはじまり
とされています。”
本丸北側の搦手(裏側)にある「北不明門」
表門(枡形門)と櫓門とで構成されています。
その櫓門
くぐると
ここが本丸跡
”その後、幾多の変遷のあと元和8年(1622)に真田信之が
上田から移封され、真田3代目藩主幸道のときに幕命により
「松代城」と改名されます。・・・
以来、真田氏10代の居城として明治維新を迎えます。”
戌亥隅櫓台
今は展望台として整備されていました。
本丸からの隅櫓台跡とその石垣
本丸東側には
「東不明門前橋」があります。
そして本丸南側になる大手(正門)入口(虎口)の櫓門
こちらも枡形になった先の表門(橋詰門)と
2棟で構成される「太鼓門」です。
太鼓門と前橋
本丸内堀を西に回り込んでいる「二の丸跡」
「二の丸跡」から見る本丸石垣
明治維新に城郭のほとんどが取り壊された松代城ですが、
平成の大普請でその一部が再現されました。
二の丸跡から見た石垣と戌亥隅櫓台
江戸時代の姿に限りなく近い状態で復元された松代城跡。
本丸を中心とした城郭の一部と、
現存する城郭建築である新御殿(真田邸)とともに、
国の史跡に指定されています。
三の堀の外に建てられていたその真田邸
玄関と、庭園の奥から見た御殿(主屋)
御殿と庭園の整備が完了し、
昨年9月から一般公開されています。
信州松代、”ひなまつり”とともに、
真田十万石の居城・松代城跡とその史跡を訪ねました。
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ありがとうございます。
信州松代は気になるところなのです。
城跡の姿などに刺激されています、蕎麦街道経由で今年中には訪たいですね。
来週、先ずは蹴上から水源の琵琶湖に向けてくてくの予定です。
投稿: ぐうたら太郎 | 2011年4月 8日 (金) 13時09分
ぐうたら太郎 さん
蕎麦街道経由で信州松代とは味な旅ですね。
撮って返す(^^;)我が身にはうらやましい限りですが、
そのときは北信の旅を満喫してください。
>来週、蹴上から琵琶湖へ
早いですねぇ、もうてくてくですか。
蹴上から山科、逢坂山関跡など楽しまれてください。
投稿: 好好爺 | 2011年4月 8日 (金) 17時43分