信州松代・ひなまつり そのⅡ
信州「松代でひなまつり」
町なかの雛めぐりから歴史的文化遺産として残る、
旧武家屋敷や学校にに飾られたお雛さんです。
無料のところから有料施設まで、
全てではありませんが回った順に載せていきます。
まずは旧横田家住宅(国重文・有料)
見事な瓦葺屋根の住宅は
江戸時代には松代藩で真田家家臣であった中級武士の家。
その家を紹介せずにお雛さんです ^^;
入口土間から奥座敷の雛飾り
昭和30年代の御殿飾りと、昭和10年代の段飾りです。
その段飾り
全てが綺麗に保存されていました。
続いては町から一番離れている旧前島家住宅(無料)
こちらも代々眞田家に仕えた武家で
真田家が松代入封の際に拝領した屋敷だそうです。
こちらは玄関先と奥に段飾りが展示されていました。
ともに昭和50年代の飾りではないかと。
そして多くのお寺を巡りながら中心部に戻ります。
中心部には「真田宝物館」と「真田邸(新御殿)がありますが、
ここには雛飾りはありません。
真田邸の傍にある無料の旧樋口家住宅です。
こちらも見事な茅葺屋根の建物ですが、
江戸時代には真田藩の目付役を務めた藩士の家であったと。
こちらも入った土間の先に飾られた段飾り。
久しぶりに三人官女からひとりを
段飾りばかりで変化がありませんが、
この人形は実に綺麗でした。
ここまでは武家屋敷の旧住宅でしたが、
ここ松代のキャッチは”遊学城下町信州松代”。
その代表格がここ「文武学校」です。
藩士の師弟の学問・武芸を奨励するために、
藩校として文武学校の建設が進められ、
嘉永6年(1853)に完成、安政2年(1855)に開校。
右に「剣術所」と「東序」
左に西序」とその後ろには「弓術所」があります。
「東序」と「西序」にはお雛さんが飾られていました。
そして正面には 「文学所」です。
その玄関
文学所内部
藩士ならぬ昭和の雛飾りが並んでいました ^^;
その中から今年最後のお雛さんです!
昭和20年代の段飾りから、
その内裏雛と三人官女です。
各地の”雛まつり”を巡って
今年もたくさんの”お雛さん”を見てきましたが、
最後はここ長野市松代町「松代でひなまつり」でした。
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好好爺様
「信州松代・ひなまつり(そのⅠ)(そのⅡ)」拝見致しました。
お屋敷の畳の敷き方にも赴きがございますね。
「おひなさま」は、座って拝見するものと思って居りますから、
静かな佇まいのお座敷に飾られているのはいいですねぇ。
やはり、贅沢なものです。今年も沢山の「おひなさま」
いつまでも目に映ります。ありがとうございました。
投稿: hiro | 2011年4月 5日 (火) 21時15分
お雛様は、大きな部屋でこそ見ものですね。
物だらけの狭い部屋では置き場所がありません。
文武学校、懐かしい~と思いました。
私どもが訪れたときは八月でしたのでお雛様はもちろんありませんでしたが
代わりに?おもちつきの杵と臼があり、餅つきの格好をして写真を撮りました・
付近で人力車も走っていました。
また行ってみたいですね。
投稿: フデ | 2011年4月 6日 (水) 00時33分
hiro さん
松代は城下町のためか武家の屋敷が多いです。
お雛さんが飾られているのは和室の広間のためか、
畳の敷き方は平行に敷かれています(不祝儀敷きです)。
文武学校の広い部屋に飾られているお雛さん、
普段ではこんな飾りを見ることはありませんから
こちらもゆっくりと見ることができました。
ほんとに、贅沢そのものの雛めぐりでした。
フデ さん
屋敷や学校のお雛さんはゆっくり見ることができました ^^
文武学校
当時の藩校を知るには素晴らしい学校ですね。
遊学城下町松代散策の最後に相応しいところでした。
人力車
この日は土曜日でしたが、
4月から10月の日・祝日には”町並みめぐり”で走っているようです。
これは知らなかったですね、残念でした。
投稿: 好好爺 | 2011年4月 6日 (水) 17時39分