浅井三姉妹ゆかりの地・長浜
浅井三姉妹ゆかりの地を訪ねて、その第2弾!
今回は以前に撮った写真に加え新しく撮った写真とともに
湖北長浜市の三姉妹ゆかりの地を巡ります。
まず最初はやはり”江”誕生の小谷城跡から。
少し登った番所跡から城郭のなかに入りますが、
お茶屋敷、馬洗い池、首据石を見て最初の広場が「桜馬場」
広場には顕彰碑と供養搭が建っています。
次の広場が本丸跡に続く「大広間」
本丸広場と僅かに残る本丸石垣、
そして一段高いところが鐘ケ丸。
戻って首据石のところから右に少し下ります。
「赤尾屋敷跡」とその一角に建つ「浅井長政自刃跡」の碑。
天正元年(1573)8月28日小谷城は落城
この年、三姉妹の末娘”江”はここ小谷城で生まれています。
この小谷山のふもとにあるのが「小谷寺(おだにじ)」
説明では、
” 寺伝によると神亀5年(728)泰澄により開基、常勝寺と称し、
小谷山に建てられた修験道場のひとつであった。
浅井亮政(あざいすけまさ)が小谷築城後、深く帰依し、
小谷寺と改称、以後浅井三代の祈願寺となる。・・・”
そして浅井家・長政滅亡のきっかけとなった「姉川の合戦」。
朋友の朝倉家が信長に攻められることを知った長政は、
義兄弟の関係を破り朝倉に味方し、
ここ姉川で織田・徳川軍と死闘を繰り広げます。
姉川に架かる旧野村橋の袂にある「姉川古戦場」跡
元亀元年(1570)、
朝倉攻めをする信長の退路を断った長政の裏切りに、
命からがら逃れた信長は態勢を立て直しその2ヵ月後に、
ここ姉川で浅井・朝倉軍と対峙します。
そして小谷城落城へとなりますが、
そのときお市の方と三姉妹は信長に預けられる・・・
というのが通説でした。
しかしもうひとつの話がありました。
小谷城跡の南東に位置する平塚町にある「実宰院(じっさいいん)」。
小さい集落にひっそりと建つ寺院です。
その山門と本堂
山門横には「浅井三代開基昌庵見久庵主顕彰碑」が建ちます。
浅井の二代目久政の長女阿久姫(長政の姉)が出家し、
昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)として住んだこの庵で
悲運の三姉妹は匿われ、浅井家終焉の際には尼自身に
養育されたと・・・。と説明にあります。
ここにはまた、淀君寄進という尼の坐像があるそうです。
長くなりますが・・・ここからさらに北へ
賤ヶ岳山頂です。
お市が再婚した柴田勝家が、
信長の後継者争いで羽柴秀吉と争った「賤ヶ岳の合戦」。
柴田勝家はこの戦いに敗れ「北の庄」に退きますが、
最後は敗れ城は落城、お市ともども自刃して果てます。
山頂からの琵琶湖と竹生島
北には余呉湖が広がります。
二度の落城という悲劇の中で、
三姉妹は最愛の母とも死別することとなります。
そして茶々、初、江の三姉妹は、
それぞれの運命のもとで生きていくことになります。
« 篠島大名行列・南知多町 | トップページ | 冬の長谷寺・奈良 »
「お出かけ」カテゴリの記事
- 木曽三川公園センター 冬の光物語(2022.12.16)
- ひるがのピクニックガーデン(2022.08.03)
- 納涼!びわこ箱館山(2022.07.22)
- 青山リゾートから青山高原(2022.06.30)
- 日本最大級の木製水車(2022.05.15)
コメント