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2011年1月 7日 (金)

浅井三姉妹ゆかりの地・長浜

浅井三姉妹ゆかりの地を訪ねて、その第2弾!
今回は以前に撮った写真に加え新しく撮った写真とともに
湖北長浜市の三姉妹ゆかりの地を巡ります。

まず最初はやはり”江”誕生の小谷城跡から。
少し登った番所跡から城郭のなかに入りますが、
お茶屋敷、馬洗い池、首据石を見て最初の広場が「桜馬場」

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広場には顕彰碑と供養搭が建っています。

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次の広場が本丸跡に続く「大広間」

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本丸広場と僅かに残る本丸石垣、
そして一段高いところが鐘ケ丸。

戻って首据石のところから右に少し下ります。

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「赤尾屋敷跡」とその一角に建つ「浅井長政自刃跡」の碑。

天正元年(1573)8月28日小谷城は落城
この年、三姉妹の末娘”江”はここ小谷城で生まれています。

この小谷山のふもとにあるのが「小谷寺(おだにじ)」

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Odaniji03
説明では、
” 寺伝によると神亀5年(728)泰澄により開基、常勝寺と称し、
 小谷山に建てられた修験道場のひとつであった。
 浅井亮政(あざいすけまさ)が小谷築城後、深く帰依し、
 小谷寺と改称、以後浅井三代の祈願寺となる。・・・”

そして浅井家・長政滅亡のきっかけとなった「姉川の合戦」。

朋友の朝倉家が信長に攻められることを知った長政は、
義兄弟の関係を破り朝倉に味方し、
ここ姉川で織田・徳川軍と死闘を繰り広げます。

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Anegawa02 
姉川に架かる旧野村橋の袂にある「姉川古戦場」跡

元亀元年(1570)、
朝倉攻めをする信長の退路を断った長政の裏切りに、
命からがら逃れた信長は態勢を立て直しその2ヵ月後に、
ここ姉川で浅井・朝倉軍と対峙します。

そして小谷城落城へとなりますが、
そのときお市の方と三姉妹は信長に預けられる・・・
というのが通説でした。

しかしもうひとつの話がありました。
小谷城跡の南東に位置する平塚町にある「実宰院(じっさいいん)」。

小さい集落にひっそりと建つ寺院です。

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その山門と本堂
山門横には「浅井三代開基昌庵見久庵主顕彰碑」が建ちます。

浅井の二代目久政の長女阿久姫(長政の姉)が出家し、
昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに)として住んだこの庵で
悲運の三姉妹は匿われ、浅井家終焉の際には尼自身に
養育されたと・・・。と説明にあります。
ここにはまた、淀君寄進という尼の坐像があるそうです。

長くなりますが・・・ここからさらに北へ

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賤ヶ岳山頂です。

お市が再婚した柴田勝家が、
信長の後継者争いで羽柴秀吉と争った「賤ヶ岳の合戦」。

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柴田勝家はこの戦いに敗れ「北の庄」に退きますが、
最後は敗れ城は落城、お市ともども自刃して果てます。

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山頂からの琵琶湖と竹生島

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北には余呉湖が広がります。

二度の落城という悲劇の中で、
三姉妹は最愛の母とも死別することとなります。

そして茶々、初、江の三姉妹は、
それぞれの運命のもとで生きていくことになります。

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