大和の出雲
唐突ですが古代史の話です ^^
といっても難しい話ではなくこれもまた旅のひとつ。
今読んでいる本ですが,、
「なぜ”日本書紀”は古代史を偽装したのか」
(関裕二著・実業之日本社)、
内容はともかく序章から四章まであるなかの第三章に、
※ 三輪山のふもとに出雲の地名 という項目があります
チョッと一節を引用しますが
”・・・また、三輪山の東南にも「出雲」の地名が残されていて、
いまでも「出雲人形(ちなみに、出雲人形は長谷寺参道に、
いまでも一軒だけ売っている店がある)」という素朴な焼き物の
人形が作られているが、これも出雲国造家の遠い親族に
あたる野見宿禰(のみのすくね)が「埴輪」をつくったという
故事に通じる ” とあります。
話は※ヤマトの歴史を塗り替える纏向(まきむく)遺跡
※ヤマトの纏向は邪馬台国か
と続いていきますが・・・それは別として出雲人形。
長谷寺参道の食事処で女将さんに訪ねました。
しかし人形が売られている店は分からず、ただ人形を作って
いる方はその出雲にいるが今はどうでしょうか?とのこと。
前置きがムチャ長くなりましたが行きます!
その桜井市出雲です。
長谷寺参道口から国道165号線を桜井方面に行くと
しばらくで「出雲」のバス停があります。
その近くにある家の玄関にかかる看板
「初瀬名産 ヤマトいずも人形 窯元 水野・・」
ということで窯元のお家は確認、出雲人形についてはこちらで。
さてその出雲の集落ですが
国道を少し戻って分岐する旧道に入る道筋、
ここが旧出雲村で道は初瀬街道(伊勢街道)です。
その中ほどに鎮座する「十二柱(じゅうにはしら)神社」
参道入り口とその右手にある「野見宿禰(のみのすくね)顕彰碑」、
以前に歩いたときはまったく気がつきませんでした ><;
境内への石段を上がりますが鳥居の左右にある狛犬、
これがまた珍しいもの!
狛犬の台座をそれぞれ4体の力士像が支えています ^^
いろんな狛犬を見てきましたがこれは初めてでした。
拝殿
そしてその横には「武烈天皇社」と
「武烈天皇泊瀬列城宮趾(はつせのなみきのみや)」の碑が建ちます。
説明では、
”武烈天皇は、小泊瀬稚鷦鷯天皇(おはつせのわかさざきのすめらみこと)
と・・・中略・・・壇場(たかきみくら)を泊瀬列城に設けたとあり、
初瀬谷の中央、この出雲のあたりかと考えられている。”と。
要は武烈天皇の皇居があつたのはこの付近であったと ^^
そして手水舎の後ろにある五輪塔
鎌倉時代のものとされ、野見宿禰の古墳の上に建っていた
ものを明治16年に移されたという。
野見宿禰は垂仁天皇の時代に、當麻蹴速と我が国初の
天覧相撲を取り勝者となった相撲の開祖といわれます。
説明板の最後には次のようにも。
”よってここに日本建国の功労者、相撲開祖および土師氏の祖
野見宿禰の五輪塔由来を記して・・・”とあります。
手元の書の第三章、その最後の項目が、
※ヤマト建国の歴史を抹殺した「日本書記」 ><;です。
ヤマト建国と大和の出雲との関係とは?
読むほどに難解な><;この書ですが
そんななかから初瀬街道沿いの大和出雲の地を訪ねました。
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「出雲」のバス停
なんだか 胸キュンとなりました。
確かに 出雲地方では あの人形を よく見掛けます。
不思議な 初夢のようです。
投稿: きなこ | 2011年1月 9日 (日) 21時39分
きなこ さん
出雲人形の現物が見れなくて残念でした。
出雲とヤマト朝廷は深いつながりがあった!?
日本書紀と古代史の謎?というのが面白く
またしばらく楽しめそうです^^
投稿: 好好爺 | 2011年1月10日 (月) 17時41分