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2010年10月14日 (木)

続・清洲返し時代絵巻

西枇杷島「問屋記念館」から清洲城まで、
約5キロの美濃路に展開された「清洲返し時代絵巻」ですが、
その行列を追って・・・これはチョッとしたウオーキングでした。

尾張徳川家が本拠を清洲から町ぐるみ名古屋に移した
「清洲越(きよすごし)」から400年。
清洲の歴史にまつわる隊列を構成し、市民参加の時代絵巻として
その道のりを逆に辿ろうといいう催し(祭り?)です。

Emaki001
「若き日の信長公」隊を追い越して「清洲越」の町衆隊
当時の石垣(本物の石)と五条橋。

現在も美濃路の五条川にかかる「五条橋」はありますが、
かっての「五条橋」は清洲越で名古屋に移され、
それが今の名古屋堀川にかかる「五条橋」です。

Emaki002
「朝鮮通信使」隊を追い越して

Emaki003
先頭の「青空市場」隊
積まれている野菜類は全て西枇杷島産のものだそうです。

日本三大市場であった下小田井の市(西枇杷島)、
スタートした「問屋記念館」では青果問屋の商いと暮らしが
再現されています。

Emaki004
美濃路のお休み処「飴茶庵」と屋根に祀られた「屋根神様」

新川から名古屋の西区にかけての美濃路沿いにも
いくつか残っています。

Emaki005
先頭を追い越して渡る橋は「新川橋」

江戸時代には、庄内川や五条川の度重なる洪水で被害を受け、
尾張藩にによって新川の治水工事が行われた。

それが日本一長い人工河川といわれる新川です。

Emaki0052
その開削に当たったのがひとりの勘定奉行、
先出ししますが^^ その「新川開削」隊。

そしてこの橋の先が「津島街道」との追分です。

Emaki006
新川橋西詰めにあるポケットパークにある
欄干の道標 には「左 つしま道」、左は新川橋の旧親柱です。

行列に戻ります。

Emaki007
橋の上では先導隊によるパホーマンスが行われていました。

このパホーマンスはどうやら先頭のブラスバンドと、
後方の踊り隊の交代のために行われているようです。

パホーマンスが終って

Emaki008
Emaki009
隊列が動きます。

Emaki010
小学生のブラスバンドと踊り隊は
通過する沿道の小学校と地区の踊り隊が受け持つようです。

短い区間で変わります。

Emaki011
先導隊は須ヶ口へ入っています。

Emaki012 
美濃路 須ヶ口 一里塚跡

小さな橋の傍にありますが、
この用水の改修のときに川底から出土したという道標が、
道を挟んだ「正覚寺」門前にあります。

こちらがその外町一里塚道標

Emaki013
詳細は省きますが
「北 みのかいとう 南無阿弥陀仏 是より 西つし満かい道」

Emaki014
ここでブラスバンドが変わります。
踊り隊も変わっていると思いますが・・・確認していません><;

Emaki015
Emaki016
当時の雰囲気が残る街道を行く「お市と農姫」、
「浅井三姉妹」の御輿。

Emaki017
美濃路の雰囲気が残る家の前を通過して行きます。

Emaki018
こちらは先導隊の「織田信長」
パホーマンスは見事な殺陣を演じていましたが、
御輿の信長より信長らしいですね^^

先頭は五条川沿いに出ました。

Emaki019 
ブラスバンドも代わってこちらが最後ですが、
「清洲小学校」の子供たちです。

清洲城はもう目の前

Emaki020
先頭が清洲城 「大手橋」下に着きました。

ここで最後のパフォーマンスが演じられこの隊はお役目終了!
この後、行列はこの橋を渡るはずでしたが・・・しばし休憩?

先に鉄砲隊による火縄銃の演武が行われます。

Emaki021
火縄銃の一斉射撃から順撃ちと見せてくれますが・・・
プログラムにありません ><;
時代行列もこの演武が終るまで待ちます。

そして時代行列が動きます。

Emaki022

大手橋の下をくぐって行きましたが・・・
この橋には戻って来ませんでした ><;
どうやら入ったのは清洲城裏にある「清洲文化広場」でしょうか?

祭りの最後、信長隊の凱旋式を見届けることなく、
いつものことながら歩いてきた美濃路を戻ります。   10日

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コメント

この祭り
雑誌か何かで見つけて
行こうかどうしようかなんて思っているうちに
忘れてしまいました

記事を拝見して思い出す始末です

清州城
最近立派になったって聞きます
一度、清州の地を踏んでみようと思います

こんにちは!
清洲には、問屋記念館もあるんですね♪
お写真を拝見しながら、この時代のお姫様になった気分で
行列に参加してみました(笑)
凄い人出ですね~
来年~タイムスリップしに行きたいな!

羽島のコスモス畑は、ちぃいとUPに時間かかりそうです。
ドライブ写真、なかなか整理出来ておりません。
(; ̄ー ̄川 アセアセ~

雪だるま さん
清洲が引越しして名古屋が開府、
その四百年にあわせた市民まつりでした。

清洲城
模擬天守だけの小さい城ですが、
今年3月にリニューアルされています。
機会がありましたらぜひ一度
清洲へ行かれるのもよろしいかと。
     
     

☆和香☆ さん
この行列、来年はどうなるのか分かりません ><;

人出は沿道で行列を待つ人たちが多く、
一緒に歩く方はほとんどいないためゆっくり見れます。
来年、違う形で市民参加の祭りがあれば
美濃路を歩かれてみては?楽しいですよ^^

あちらこちらとたくさん写真を撮られていますね^^
コスモスの季節はまだまだ続きますからごゆっくり。

いいですね 町民全員が祭りを盛り上げているのでしょうネ
ローカル色ゆたかで全国区とは違った味があり
拝読しているほうも顔がゆるんでニッコリとしています

「屋根神様」保存されているのですネ 以前は名古屋市内でも
見かけたのですが・・・ 懐かしいもの見せて頂き有難う御座います

あんこ さん
この行列の役どころは公募ですが盛り上げているのは街の方たちです。

全国区の有名な祭りもいいですがこうした祭りもまた良しです^^
「ぶらり旅」でもできるだけそういった祭りを載せるようにしています。
>屋根神様
名古屋の古い町並み(四間道)などでは今でも見られますが、
こうした街道沿いで見るとまた雰囲気がありますね。

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