中山道 十三峠
前回、雨のバスツワーで歩いた中山道「大湫宿」からの続きです。
快晴の日でしたが暑さもまずまず、
この日を逃してはと?思い切って出かけました。
今回は大湫から大井宿へと歩きましたが、
そのほとんどが難所といわれた「十三峠」です。
標高510mにある小さな大湫宿の集落を抜けると
すぐにその十三峠の坂道が始まります。
杉の~~木立の~ 中山道は~~~ ♪
木曽路と美濃と場所は違っても所詮同じの中山道!
何とも気持ちのよい街道ひとり歩きです ^^
御嵩宿から大井にいたるこの区間は山中を通るため、
開発から免れてほぼ原形を残す7つの一里塚があります。
(ただし、御嵩から最初の一里塚は再現されたもの)
今回はたくさんの見どころから、
十三峠にある3つの一里塚を中心に街道をご紹介。
まず最初が「権現山一里塚」の 左と右
「十三峠」
大湫宿から大井宿間は3里半(約14キロ)ありますが、
その道が全て坂道で13の坂道(峠)があるため「十三峠」と
言われるそうです。
しかし、実際には”十三峠におまけが七ツ”といわれるほど、
資料で数えてみたら22の坂道がありました^^。
坂、また坂のアップダウンが続きますが、
大久後(おおくご)集落を抜けると瑞浪市から恵那市に。
しばらく行くとある「佐倉宗五郎大明神」
ここから少し左にある神社へ立ち寄ります。
境内に建つ多くの歌碑・句碑碑
その中から一番右端にある芭蕉句碑です^^
” 山路来て 何やらゆかし 寿美連艸 ” (野ざらし紀行)、
ここにはまったく関係ありませんが美濃の方が建てた碑でしょう^^
旧道に戻ります。
石畳の続く紅坂の途中に敷かれた”ぼたん岩”
ぼたんの花に見えるでしょうか?
坂を上りきるとすぐに「紅坂一里塚」です。
その先で目の前が開けて竹折の集落
竹折高札葉を見てさらに行った四ツ谷集落で昼の休憩。
集落を抜けるとあるのが”乱れ橋”
逆に歩いていますがこの先が乱れ坂、
” あまりの急坂に大名行列が乱れ、旅人の域が乱れ、
女人の裾も乱れたことから乱れ坂と呼ばれるように・・・
この川は昔は石も流れるほどの急流であったという。
ここに飛脚たちが出資して・・・土橋を架けた・・・ ”と説明板に。
そのみだれ坂の急坂を上りきると右にあるのが「首切り地蔵」
そして左には「姫御殿跡」
和宮下向のときには漆塗りの御殿が建てられたという。
この辺りから道は尾根道となり大井は近い
すぐに駒形の道標が建つ槙ケ根追分です。
中山道と下街道(竹折、釜戸、多治見を経て名古屋へ向かう道)の
分岐点で、かっては神宮遥拝所もあった立場(休憩所)でした。
ここから下る道が槙ケ根坂
坂を下りて少し県道を歩き再び尾根道へ。
開けた道を行き 西行の森 を見ると3つ目の一里塚
「槙ケ根一里塚」があります。
これが御嵩から数えて7つ目の一里塚ですが、
この一里塚は岐阜県の史跡に指定されています。
坂道ももう少し、ここからは下るだけです^^
右に御嶽山を見ながら下っていくとある 西行苑
街道の左に続く石畳の道、そして石段を上ると
右に芭蕉句碑
” 西行の わらじもかかれ 松の露 ” 元禄2年(1689)の吟
その左上に西行歌碑です。
そして小高い丘の上に建てられれていたのは五輪搭
これが「伝 西行塚」でした。
西行終焉の地については他にもあり曰くは省きます^^
今回の中山道十三峠は最後の西行坂を下って行きます。
まだ下りきっていませんが^^;振り返って十三峠の大井側口
下りてくるとここで目の前に現代の道、中央高速道が現れます!
猛スピードで走る車に今までの旧道の雰囲気が吹っ飛ばされ、
現代と過去の道のギャップに思わず立ち止まりました。><
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