世界遺産の旅・原爆ドーム
世界遺産の旅、厳島神社の次は原爆ドームでした。
いまさら・・・というほど、いろんな意味で知られているところ、
何も書くことはありません。
左回りに撮った写真を載せていきます。
原爆ドーム、元は産業奨励館という建物でした。
爆心地の島病院から150mの距離にあり、爆風がほぼ垂直に
吹いたために中央部だけが倒壊を免れたという。
今まで写真やテレビ中継などで見てきた原爆ドームですが、
実際に目の前にするとただただ黙するばかりでした。
一回りして慰霊碑に祈りをささげ、
元安橋を渡り平和記念公園へと行きます。
橋を渡ったすぐ右にある「原爆の子の像」と「折り鶴記載台」。
いろんな慰霊碑や記念碑がある平和記念公園。
やはりここだけは・・・
多くの人々が祈りを捧げる原爆慰霊碑。
子供たちも世界の平和を祈っているのでしょうか?
中央には燃え尽きることのない”平和の灯り”。
あの宮島の弥山霊火堂の”きえずの火”ですね。
平和を祈る親子の像
平和を祈る象徴、原爆ドーム
世界遺産の正式登録名は、ヒロシマ・ピース・メモリアルです。
~~~~~
場所が変わります^^
平和記念公園から北へ歩いて行くとある広島城跡。
復元された二の丸御門橋・表御門そして平櫓。
門を入ると右手に二の丸多門櫓と奥に太鼓櫓、
左手広場が二の丸跡。
二の丸多門櫓は無料公開されています。
その内部の一部です。
いろんな資料や復元時の様子が見れます。
中御門跡から左に本丸下段を見て裏御門へ。
裏御門から本丸上段の広島大本営跡、
ここにも戦争の傷跡があります。
右に回り込みますと見える天守閣上部。
天守への石段右下には、
天守閣復元のときに天守台から移動した礎石が置かれ、
かっての天守を偲ぶことができます。
その礎石の上に復元された天守閣
毛利輝元が築城、関ヶ原の合戦後福島正則が入城し、
広島城を完成。
その後は浅野長晟が入り、以後明治の版籍奉還まで
浅野氏が城主を務める。
昭和20年(1945)8月6日原爆で倒壊
昭和33年(1958)3月26日竣工。
未だ訪れていなかった「厳島神社」と「原爆ドーム」、
広島県にある世界遺産2ヶ所を訪ねた旅でした。
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我が故郷を 歩いて下さり有り難うございます。
今でも 時々帰ります。
川を挟んで 原爆ドームの向の方に 住んでおりましたのに
今も こうして生かされております。
産業物産館には 母と 時々 散歩がてら行っておりました。
投稿: ビズー | 2010年9月25日 (土) 13時50分
ビズー さん
故郷は広島市でしたか、それも原爆ドームの向いとは。
現地で当時の写真を見ましたが・・・そこがねぇ。
初めて目にした原爆ドーム、
多くの外国人の方の姿に” ヒロシマ・ピース・メモリアル”
あらためて平和の意味をかみしめてきました。
投稿: 好好爺 | 2010年9月25日 (土) 22時26分