金ヶ崎城跡・敦賀
敦賀湾を一望する小高い山にある「金ヶ崎城跡」。
延元元年(1336)恒良、尊良(つねなが、たかなが)両親王を守護した
新田義貞が足利軍と戦った古戦場ですが、
「金崎宮」にはその両親王が祀られています。
花換まつりの「金崎宮」から「金ヶ崎城跡」の散策です。
拝殿横から城跡に続く「花換の小道」をたどります。
頭上に咲くサクラを見ながら小道を行くと「鴎ヶ崎」
サクラ越しに見る敦賀湾
さらにサクラのトンネルをくぐり石段を登ります。
すぐに「金ヶ崎城跡碑」が建つ広場に着きますが、
ここが城跡の最高地点(86メートル)で南北朝時代の本丸跡
「月見御殿」と呼ばれるところ。
敦賀湾のフェリー港と日本海が見渡せます。
ここから戻るも良し、この先、散策路を行って「金崎宮」に出るも良し、
さらにその先の展望台まで行くも良し・・・ですが、
この日はその展望台まで行ってみました。
散策路は一部を除いて舗装路と石段、
「三の木戸跡」、「焼米出土地」などの説明板を見て来ると、
ここが「二の木戸跡」。
右に下りると「金崎宮」ですが左に行きます。
「一の木戸跡」を過ぎるとこんな尾根道の石段をを登り続けます。
まだかなぁ、まだかいなぁ~と石段を見上げながら・・・
なかなか着かない展望台。
途中で見かけた”イカリソウ”にホッと一息、
一輪見かけると不思議と思えるほど群生があるものです。
”イカリソウ”と”スミレ”の群生を見てようやく最後の石段、
かっての「見晴台跡」と推定される天筒山(てづつやま)。
中央に展望塔の建つ芝生広場です。
来るときは誰にも会いませんでしたが・・・
すでにかなりの人たちがお弁当を広げてみえました。
展望塔からみる「気比の松原」
左下に見える桜の「金崎宮」、右上の「月見御殿」から、
見えている約1キロの尾根を歩いてきました。
さて、「金ヶ崎城」のその後です。
元亀元年(1570)4月、朝倉義景討伐のため織田信長が
越前に攻め込もうとしたとき、近江の浅井長政の裏切りを知ります。
一気に窮地に追い込まれた信長は急遽総退却、
この時金ヶ崎城でしんがりを務めたのが木下籐吉郎(秀吉)でした。
信長は最大の危機を切り抜け京に戻ります。
先の「金崎宮」入口にあった立て看板、
これが「金ヶ崎の退き口(のきくち)」と呼ばれる有名な撤退戦です。
戻りはただ下るのみ!
「二の木戸跡」からショートカットで戻った「金崎宮」
迎えてくれた”ヤマブキ”の花ですが、早いですね~^^
「歴史のターニングポイント」と言われる金ヶ崎、
花見と、思わぬ城跡めぐりで楽しんだ春のひとときでした。
敦賀市・金崎宮の「花換まつり」は15日までです。
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ここにも桜があったのですね
緑の季節に訪れていると気が付かないもので
展望台までは行ったことがなかったのですが
そうかこんな感じなんですね
好好爺さんの写真で納得させていただきました
投稿: 雪だるま | 2010年4月12日 (月) 05時59分
雪だるまさん
ここの「花換まつり」は有名で多くの人で賑わいます。
以前は偶然に桜の季節でしたが
今回はこれが目当てでした。
展望台へは私も初めてでしたが
眺めも良く、桜もあってなかなかのもんです。
ここは弁当持参が正解ですね。
投稿: 好好爺 | 2010年4月12日 (月) 10時36分