朝鮮人街道・能登川~野洲
朝鮮人街道
滋賀県野洲市行畑(ゆきはた)で中山道と分岐し、
近江八幡、安土、能登川を経て彦根市鳥居本で
再び中山道に合流する41キロの道。
かって朝鮮通信使が歩いた道が朝鮮人街道と呼ばれています。
以前に歩いた彦根から能登川では見るところもなくて
載せませんでしたが、
今回は能登川から野洲市までの街道筋をご紹介します。
能登川駅前から街道に入ると北に、南にと折れる道、
轍山(きぬがさやま)の山裾に出てまず見る「望湖神社」。
その先には「轍峰三(さんぽうさん)神社」と続きますが、
この神社、鳥居の先の山頂から下る断崖を氏子の若衆たちが
三基の神輿を担ぎ下ろすというなんとも勇壮な神事・・・
5月に行われる「伊庭の坂下し祭り」で知られているそうです。
ここから轍山トンネルの入口下をくぐります。
トンネルを行くと五個荘へ出ますが道を直進して行き、
「従是南総見寺領」の石標を見て南須田へ。
ここには”安土城跡ゆかりの寺”といわれる「超光寺」。
寺宝の山門は安土城総見寺焼失の際に焼け残った裏門を
明治13年(1880)に移築したものだそうです。
さらに道を行くと安土町との境になる北腰越、
過ぎると安土城跡の前を通る県道2号に合流、
この先で道は安土町の町なかに入り細かく折れ曲がります。
安土町公民館の角にある道標、
地図は持っていても実際にこうした道標を見ると
旧道を辿っている確認にもなり安堵します。
このあとJR安土駅前を右折して真直ぐに近江八幡市へ。
近江八幡市街の手前、西庄町辺りで道が分からず適当に右へ
田んぼ道に入ると出合った道標、
この道がはっきりと分からなかっただけにホッと一息!
黒橋を通り抜けると音羽町南の交差点
県道2号線と交差する先にある常夜燈と
菩薩と「長命寺みち くわんおん寺道」と彫られた道標。
街道は八幡城下の東の入口、縄手町から古い家並みが続く
お馴染みの町の中心部へと入っていきます。
鍵之手町から仲屋町(すわいちょう)へ西へ北へと折れ曲がり、
”あきんど通り”を再度西に折れ中心街を横切っていきます。
郷土資料館の角と観光駐車場の道筋にある道標。
近江八幡での朝鮮人街道は西(左)へは京街道、
東へは彦根街道と呼ばれているようです。
西に向かう京街道は本町通りを直進、
左に「本願寺八幡別院」を見て「願成就寺」で左に曲がり、
市街地から離れ小船木町へ。
江頭町、十王町とこちらも古い建物が残る町並を行きます。
十王町にある新しい道標を見ると日野川に突き当たり、
新しくなった仁保橋(にぼばし)で日野川を越えます。
橋の欄干に掛かる「朝鮮通信使行列絵巻」と「琵琶湖図」。
ここから野洲市に入りますが橋の先で街道は途切れました。
橋のかけかえで工事中のため先で迂回します。
しばらくは何もない桜並木の道をひたすら歩きます。
左手先に三上山が見え、街道もまもなく合流点が近づきます。
祇王から富波を過ぎるとJR琵琶湖線に沿った道になりますが、
この辺りは道を外したかも知れません?
高架橋の下をくぐってJRの線路を渡ると野洲駅前。
野洲小学校の横を流れる祇王井(ぎおうい)川。
” 平清盛の寵愛を受けた祇王と、
祇王井(ぎおうゆ)と名付けられたこの水路の伝説は、
800年を経た今日も私たちに安らぎを与え続けています。”と。
そしてこの川のすぐ先
ここが中山道(右)との分岐地点、朝鮮人街道の起点です。
朝鮮人街道の能登川から野洲市行畑まで、
街道の面影を残す道筋の様子を中心に紹介しました。
特に近江八幡の町並みは素通りしてしまいましたが、
機会があれば縄手町から願成就寺までの朝鮮人街道を
一度歩かれてみるのもよろしいかと。^^
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向山梅林公園の所でコメントを入れましたので、見て下さい。
投稿: 永田章 | 2010年2月11日 (木) 12時56分
永田章 様
コメント拝読させていただきました。
ありがとうございました。
投稿: 好好爺 | 2010年2月11日 (木) 16時51分