鮎鮓街道・笠松町
岐阜県羽島郡笠松町、笠松競馬場のある町ですが、
その町なかを「鮎鮓街道(あゆすしかいどう)」が通っています。
その街道筋にある「鮎鮓街道・笠松問屋跡」。
”徳川家康・秀忠に鮎鮓を献上するため、岐阜町の鮓元から
加納問屋を経てここ笠松問屋で受けつぎ、一宮問屋へ送られた。”
岐阜市の益屋町から南下し途中の中山道で加納宿を通り
茶所(ちゃじょ)で分岐し笠松町へと下ってきますが、
その道が「御鮨街道(岐阜街道)」と呼ばれています。
この街道筋にも古い家並が多く見られます。
今回は特に街道歩きではないのでちょっと寄り道を。
道筋にある「笠松町歴史民族資料館」です。
目的は貼られているポスターの「干支 寅年展」でした。
こちらは常設展示室
上が「円城寺の芭蕉踊り(雨乞い踊り)」、
下が「笠松のお奴 行列」(おは”扌こ”ですが字がありません)、
ともに県重要無形民族文化財、伝統行事です。
そしてこちらの企画展室が「干支 寅年展」です。
ずらりと並ぶ干支の数々はそれぞれに価値のあるものですが、
関係者の方に説明していただいて知るものばかりでした。
そして寅!
こちらは平成10年の「お年玉年賀切手」のモデルになった寅。
右が「博多張子の虎」、左が「三春張子の虎」、
あるんですね~これもまたその経緯を聞いてびっくりもの。
そしてこちらが今年の「お年玉年賀切手」のモデルです。
チョッと映り込みがキツイですが・・・あえて
右が静岡張子「首振りの虎」、左が「加賀魔除け虎」。
今年のお年玉年賀はがきで切手シールが当たった方は
合わせてご覧いただきたいと思います。
どれも個人の方の寄贈によるものだそうですが、
収集には苦労されたようです。
街道に戻ります。
資料館の横にある町屋造りの商家「杉山邸」。
そして道は「木戸跡」に出ます。
名古屋街道(鮎鮓街道)と伊勢路の分岐点であり、
すぐに木曽川に突き当たります。
その先は笠松湊跡で「木曽川笠松渡船場跡」、
ここに昔の石畳が残ります。
ここが尾張一宮への渡し跡、
振り返れば整備された公園が広がります。
のどかなこの公園は「笠松湊公園」、
かって中山道の近江と美濃の境にある「寝物語の里」でみた
「野ざらし芭蕉道」の碑、そして芭蕉句碑もありました。
ここ笠松町のお寺には古い芭蕉句碑がありますが、
こちらは省きます。
しばらく木曽川を眺めて・・・
まちかど散策の最後はこちら
「美濃郡代笠松陣屋・県庁跡」。
江戸時代には笠松に陣屋が置かれ、慶応4年(1868)には
美濃の国の一部が笠松県となり笠松県庁になる。
明治4年(1871)岐阜県庁となりますが、明治6年、岐阜市に
移るまではここが岐阜県の中心であったそうです。
再び冬の寒さに戻ったこの日でしたが笠松町のまちかど散策、
このあとは「笠松競馬」で馬と遊びました。
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お年玉年賀葉書の 平成10年と 平成22年の切手を並べて画面を眺めました!
どちらも モデルが分かり なるほど・・・納得致しました。
ちょっと ユーモラスで可愛い 寅 とらでした。
投稿: ビズー | 2010年1月29日 (金) 12時43分
ビズーさん
平成10年の切手をお持ちでしたか。
今年の切手シールもまだ換えに行っていませんが、
当然ですが同じだったでしょうね。
早速引き換えに行ってきますわ。
投稿: 好好爺 | 2010年1月29日 (金) 18時00分