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2010年1月31日 (日)

須坂30段雛飾り・続編

「30段雛飾り 千体雛祭り」の続きです。

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これだけの雛壇に並ぶお雛さんからひとつ選ぶのも・・・
と思いながらあえて選びました。

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なんとも現代的な顔のお雛さんです。

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たくさんのつるし飾りから比較的飾り物が分かる部分を。

Susakah004
御殿飾りでも一番簡素なものですが、
小さいながらも品のある内裏雛、昭和初期のものでしょうか?

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こちらも小さいですが綺麗に保存されています。

あとで気付きましたがここは撮影禁止の展示ゾーンでした。
知らずに撮った1枚です。^^;

この展示室には江戸後期の享保雛を初め、
明治、大正、昭和初期の古今雛が展示されていました。

「世界の民俗人形博物館」のお雛さん

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お終いはやはり木目込みで、
これも数ある木目込み雛から選んだひとつです。

人形博物館と版画美術館の間にある「歴史的建物園」

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明治30年代に建てられたという長屋門が迎えてくれます。

入るとそれぞれに違う建物が並んでいますが、
建物もさることながらこの日はお雛さんでした。

Susakah008
一番左にある「元板倉家」の建物、
ガラス戸の廊下に飾られた段飾りが目を引きます。

Susakah009
中に入ると部屋には段飾りが並びます。

真ん中にある「旧須坂藩の武家屋敷」

Susakah010
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江戸末期の建物で、11戸の長屋の一戸が復元されたもの。
建物の中はこちらもご覧のとおりです。

そしてもうひとつが「旧牧家」

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江戸末期の町屋で、旧須坂市内に残された唯一の
L字型をした総茅葺屋根の曲家(まがりや)です。

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もちろん、中へ入るとこちらもビッシリと段飾りが並びます。

そしてこの日の最後は隣接する「須坂版画美術館」です。

Susakah014
入ってビックリ!

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こちらも30段雛飾りがで~~ん!と迎えてくれました。^^

この3施設に飾られているお雛さん、
その数約6、500体とは今朝の新聞記事で知りました。><;

須坂市「世界の民俗人形博物館」と隣接する3施設に、
見てビックリ!の お雛さん大集合(~4月13日まで)でした。

2010年1月30日 (土)

三十段飾り千体の雛祭り

長野県須坂市にある「世界の民俗人形博物館」と
隣接する「須坂版画美術館」で今日から始まりました雛祭り、
「三十段飾り 千体の雛祭り」です。

Susaka001
アプローチから続く雛飾り・・・手が込んでいます。

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昨年は四国の徳島勝浦「ビックひな祭り」でしたが、
ここもまた”日本最大級”という三十段飾りと千体のお雛さんです。

Susaka003
館内入り口から左右に奥にと並ぶ雛飾り!

圧巻は中2階の展示室に飾られた雛壇と雛人形、

Susaka004
高さ6m、30段の雛壇と、左右につり雛100本、
1000体のひな人形が並びます。

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左側のつるし雛と御殿飾り

Susaka006
右側です。

Susaka007
正面雛壇に並ぶお雛さん。

     Susaka008
2007年に市内の家庭に眠っていたものを借り受けたものや、
譲渡してもらった雛飾りで始まったそうですが、
その後口コミなどもあり県外からも持ち込まれているという。

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とにかく規模が大きくすぎて雛様の表情を見ることができず、
年代もごちゃ混ぜのようでよく分かりませんが綺麗なお雛様です。

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このフロアーにはまだたくさんのお雛さんが飾られていますが
中2階から2階へ。

Susaka012
2階の休憩室前にもご覧の通り、
そして特別展示室には江戸後期から昭和初期の親王飾りも、
ただこちらは撮影禁止?でした。

隣接する「須坂版画美術館」や「歴史的建物園」の雛飾り、
そして個々のお雛さんはこのあとに・・・続きます。

2010年1月27日 (水)

大阪城公園梅林

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なぜか?大阪を訪れると雨になりますが、
今回もまた雨。
そんななかを少し早いとは知りつつ・・・
訪れました雨の大阪城公園梅林です。

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寅の植栽飾りが迎えてくれます青屋門。

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Osaka004 
青屋門からの梅林口へ、
一番咲いていないところです。^^;

全体にはまだまだこれからですが、
早咲きの紅梅や白梅はすでに見ごろを迎えていました。

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Osaka006 
梅林の中央部、
お休み処の手前辺りは結構綺麗です。

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雨にうたれてけなげに咲いております。^^

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これでまた開花が遅れますかね~。

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青屋門から玉造口まで通り抜けました。

Osaka012 

内濠の東側にある梅林には、
97品種、約1,270本ほどの梅が植えられているそうです。

この日の様子では見ごろになるのはまだ先、
やはり2月に入ってからでしょうか?
一足早い春の先取りとまではいきませんでしたが、
雨の大阪城公園梅林を楽しみました。     25日

2010年1月26日 (火)

知多木綿の町・岡田町

愛知県知多市岡田町。

知多木綿の産地として古くから栄えた町ですが、
多くの土蔵や石垣、レンガ壁、黒塀の屋敷など、
ここにも昔の面影を残す町並みが見られます。

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町の中心部、バス停「岡田」から西に入る「蔵通り」、
見える海鼠壁の蔵とその先は「岡田簡易郵便局」。

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その間に挟まれて建つ「木綿蔵ちた」。

” 明治元年(1868)に建てられたもので、・・・平成7年から
 「手織りの里 木綿蔵ちた」として再利用している。”

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その横にある「岡田簡易郵便局」

” 明治32年(1899)に「岡田郵便受取所」として建てられたもので、
 明治34年「岡田郵便局」と改称、・・・昭和41年に閉鎖されたが、
 平成5年に「岡田簡易郵便局」として復活。”

通りを散策

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立派な長屋門の木綿蔵屋敷、天明年間に建てられたという。

Okada005
こちらはレンガ壁の家

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幾重にも曲がる狭い道を行きつ戻りつします。

Okada007
この町には多くの祠やお地蔵さん、
そして各地区にはそれぞれ「秋葉社」があります。

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こちらは見事な黒塀の屋敷・・・雰囲気のある町並みが続きます。

Okada009
店の玄関にかかる知多木綿の暖簾

そしてここはまた坂の町でもあります。

Okada010
町中を歩きます。
多くの坂道には標高「○○m」と書かれた
小さな木札が立てられています。

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入り組んだ路地の坂道を歩くのも楽しいもんですが、
坂があるということは石垣があります。

Okada013 
どこを歩いても見られる石垣

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上屋敷への古道という「勘右衛坂」にはこんな石垣も。

そして最後はここです。

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知多といえば「知多四国八十八ヶ所霊場」ですが、
ここは太郎坊にある第72番札所「白華山 慈雲寺」。
知多市には第69番から81番間での札所が点在します。。

ぐるりと回った?知多市岡田町、知多木綿の産地、
またひとつ知らぬまちかどを楽しみました。

2010年1月25日 (月)

師崎左義長まつり・続編

「師崎左義長まつり」、続きです。

”どんど”の中に倒された大のぼり、当然ですが燃えます!

Morozaki0201
Morozaki0202
すばやく火の点いた大のぼりが起こされます。
燃えるのが早いです!
のぼりの竹がしなります!重そうです。

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起こされました!
しかしすぐに倒されます!

Morozaki022
この倒れた場所が悪かった!
岸壁でした。

Morozaki023 
大のぼりは何度も倒しては起こし、を繰り返しますが、
起こそうとする若者たち。

Morozaki024
のぼりは起きません ><

Morozaki025
のぼりの先端は岸壁に引っかかって・・・こりゃ無理です。
若衆と若者が駆け寄ります。

Morozaki026
ようやく先端が岸壁から外れました。
のぼりを起こす若者たち!

Morozaki027
倒します。

Morozaki028
起こします!
この繰り返しが続きます。

Morozaki029
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さすがにしんどそうです^^

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倒して、起こして・・・

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途中で若衆たちが折れた竹をナタで切りますが・・・
なかなか切れません。

Morozaki034
ようやく折れたところで竹が切れました。

先端のなくなったのぼり棒を起こす若者たち!
このあとも何度かこの繰り返しがあってまつりは終わりです。

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最後は大漁を祈願して万歳をする若者たちでした。

「師崎左義長まつり」
近年は若者が少なくなりこの大のぼりを立てられるのはここ、
的場地区と、すぐ傍の荒井地区の2ケ所だけという。

師崎左義長まつり

Morozaki001

大漁旗とともに”大のぼり”が翻る南知多市の師崎港です。

24日(日)に行われた「師崎左義長まつり」、
師崎の5地区で行われましたが的場地区の様子です。

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午後1時に神事が行われたあと、
正月飾りなどが積み上げられた”どんど”が燃やされます。

「左義長まつり」の開始です!

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大漁祈願を込めた”大のぼり”を焼き尽くすこの行事は、
室町時代から続くといわれています。

”和紙で作られた大のぼりは、長さ10m、幅3mの大きさで、
 絵や文字に意味のある判じ物が書かれています。” と

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まつりの始まりは 紙で作られた舟?を、
数人の若者たちが火を点けてどんどの周りを3度回ります。

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今年の干支にあわせてあるんかしらん、寅模様?
この舟、爆竹が仕掛けられています^^;

凄い音を響かせる紙の舟を若者たちが引き回します!

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これは結構迫力があります!

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回った後は海へ。

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海の中で火が消され引き上げられます。

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このあと新しく若者が加わり大のぼりの周りに集まりました。

大のぼりを結んでいた縄が外されていきます。

Morozaki011
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あと少しで縄が外れます、懸命に支える若者たち!

      Morozaki013 
縄が外れました!大きく傾くのぼりです。

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こちらは引き綱を持つ若衆です。

 Morozaki015 Morozaki016
どんどに向かって倒れるのぼり。

Morozaki017
どんどの上に倒れました!
和紙で出来ているのぼり、結果は当然ですが・・・

写真が多く、また長くなります。
いつものことですが続編へ、このあとすぐです。

2010年1月24日 (日)

ひなまつり展

今年も始まりました「ひなまつり展」
わが”ひなめぐり”も毎年ここからスタートします。

知多市歴史民俗博物館
「ひなまつり展 おひなさまと女性の装飾品」、
その初日(23日)です。

Titahina001
今年の展示会場ですが2年前によく似た展示です。

写っていませんが左手前には昭和の家庭の一間が作られ、
一般的な七段飾りがあります。

いつもながらここは御殿飾りがメイン、
左側の奥から正面、右側に昭和の御殿飾りが並びます。

Titahina002 
奥の正面に並ぶ御殿飾り。

今年初めてのひな飾りでなぜか気持ちが高ぶります^^
まずはチョッと目を引いた段飾りから。

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昭和13年とあります。
写真はボケていますが^^;可愛い内裏雛です。

 Titahina0031Titahina0032
よろしければ男雛、女雛もアップでどうぞ。

Titahina005
こちらは昭和2年の御殿飾りだそうですが、
とても見ただけではわかりません。 ><
しかし同じ御殿飾りでもこうした落ち着いたのがいいですね~。

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昨年は立ち官女、座り官女でいろいろありましたが、
御殿飾りの三人官女も勉強させてもらいました。^^

今年はガラスで仕切られた中に展示されているお雛さんから。

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江戸時代(享保)の御殿飾り、源氏枠飾りです。
この源氏枠飾りは毎年見ますが内裏雛が変わっているようです。

あとは各時代の親王飾りです。

Titahina008
江戸時代
これらの内裏雛は以前にも紹介しているかも知れません?

Titahina0082
明治時代

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大正時代

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そして昭和の時代と・・・

それぞれにお雛さんの変遷がお分かりになるでしょうか、
顔と衣装とで見分ける享保雛?
これまで勉強してきたことを全然発揮できずに><;
今回は手始めとして楽しんできました。

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ガラスウインドーの中のお雛さん、
左から江戸、明治、大正、昭和と並んでいますしたが、
中央の屏風の前が大正時代のお雛さんです。

そして今年のもうひとつのテーマ「女性の装飾品」です。

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まず衣装の内掛けに驚きましたが

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その下のガラスケースには写真の「笄(こうがい)」をはじめ、
「櫛」、「根掛け」の装飾品がたくさん展示されています。

今年も各地で始まる「ひな祭り」ですが、
追っかけ爺のぶらり旅、”ひいなのまつり”もスタートです。

2010年1月23日 (土)

鮎鮓街道・笠松町

岐阜県羽島郡笠松町、笠松競馬場のある町ですが、
その町なかを「鮎鮓街道(あゆすしかいどう)」が通っています。

Kasamatu001
その街道筋にある「鮎鮓街道・笠松問屋跡」。

”徳川家康・秀忠に鮎鮓を献上するため、岐阜町の鮓元から
加納問屋を経てここ笠松問屋で受けつぎ、一宮問屋へ送られた。”

岐阜市の益屋町から南下し途中の中山道で加納宿を通り
茶所(ちゃじょ)で分岐し笠松町へと下ってきますが、
その道が「御鮨街道(岐阜街道)」と呼ばれています。

Kasamatu002
この街道筋にも古い家並が多く見られます。

今回は特に街道歩きではないのでちょっと寄り道を。

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道筋にある「笠松町歴史民族資料館」です。
目的は貼られているポスターの「干支 寅年展」でした。

Kasamatu0041
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こちらは常設展示室
上が「円城寺の芭蕉踊り(雨乞い踊り)」、
下が「笠松の奴 行列」(は”扌こ”ですが字がありません)、
ともに県重要無形民族文化財、伝統行事です。

そしてこちらの企画展室が「干支 寅年展」です。

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ずらりと並ぶ干支の数々はそれぞれに価値のあるものですが、
関係者の方に説明していただいて知るものばかりでした。

そして寅!

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こちらは平成10年の「お年玉年賀切手」のモデルになった寅。

右が「博多張子の虎」、左が「三春張子の虎」、
あるんですね~これもまたその経緯を聞いてびっくりもの。

そしてこちらが今年の「お年玉年賀切手」のモデルです。

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チョッと映り込みがキツイですが・・・あえて
右が静岡張子「首振りの虎」、左が「加賀魔除け虎」。
今年のお年玉年賀はがきで切手シールが当たった方は
合わせてご覧いただきたいと思います。

どれも個人の方の寄贈によるものだそうですが、
収集には苦労されたようです。

街道に戻ります。

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資料館の横にある町屋造りの商家「杉山邸」。

そして道は「木戸跡」に出ます。

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名古屋街道(鮎鮓街道)と伊勢路の分岐点であり、
すぐに木曽川に突き当たります。

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その先は笠松湊跡で「木曽川笠松渡船場跡」、
ここに昔の石畳が残ります。

Kasamatu013
ここが尾張一宮への渡し跡、
振り返れば整備された公園が広がります。

Kasamatu014
のどかなこの公園は「笠松湊公園」、

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かって中山道の近江と美濃の境にある「寝物語の里」でみた
「野ざらし芭蕉道」の碑、そして芭蕉句碑もありました。

ここ笠松町のお寺には古い芭蕉句碑がありますが、
こちらは省きます。

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しばらく木曽川を眺めて・・・

まちかど散策の最後はこちら

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「美濃郡代笠松陣屋・県庁跡」。

江戸時代には笠松に陣屋が置かれ、慶応4年(1868)には
美濃の国の一部が笠松県となり笠松県庁になる。
明治4年(1871)岐阜県庁となりますが、明治6年、岐阜市に
移るまではここが岐阜県の中心であったそうです。

再び冬の寒さに戻ったこの日でしたが笠松町のまちかど散策、
このあとは「笠松競馬」で馬と遊びました。

2010年1月22日 (金)

信貴山番外編

旬のネタを挟みましたが再び信貴山に戻ります^^;
今回はその番外編、「朝護孫子寺」境内外周辺の紹介です。

「朝護孫子寺」へは境内駐車場からは別にして
他の駐車場やバス停方面から来る2ヶ所の道があります。

その一つ、王子方面バス停からの道を来るとまずこちら、

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仁王門の手前にある「千体地蔵」です。

謂れは分かりませんが・・・おなじみの前掛を付けた
小さなお地蔵さんがずらりと並びます。

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その先にある「仁王門」

” 信貴山の山門であり、宝暦10年(1760)に再建、
 対象11年(1922)にこの地に移された・・・ ”と。

仁王門をくぐって参道を行くと、

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右手にあるのが「猪上神社」

” 明治維新の神仏分離令により対象11年(1922)に現地に
 遷座しました・・・信貴山の総鎮守として延喜式内に列した古社
 でもあります・・・。”
ちょうど仁王門と同じ時期に移されていることになります。

そして合流するのがもう一つの道。

Bangai003
高安山方面バス停から来ると渡る「開運橋(かいうんばし)」です。

” かって走っていた山上電車の終点信貴山門駅から、
 「朝護孫子寺」に向かう近道として昭和6年(1931)に竣工・・・”と。

Bangai004
全長106mの「上路カンチレバー橋」という形式で、
現存する最古の橋(日本にある2例のひとつ)だそうです。

日本最古の「カンチレバー」構造の橋。
カンチレバーとは
橋脚の左右でバランスをとりながら少しずつ橋げたを延ばす工法。

はじめは解説を読んでいても理解できなかったんですが、
飛び込みのあの踏み板の要領・・・これでようやく分かりました^^;

Bangai005
もちろん橋には”寅”のデザインです。

  Bangai0061 Bangai0062 
下から見た橋脚部。

「トレッスル橋脚」といわれる構造で
山陰本線の「餘部鉄橋」と同じ構造の橋脚です。
こうして真下から見ると圧巻です!


Bangai007
下から見上げる「開運橋」。

「カンチレバー工法」と「トレッセル橋脚」という珍しい橋、
「開運橋」は2007年に文化財価値が認められて
国の登録有形文化財に選ばれています。

その証が橋の袂にありました。

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まだ真新しい文化財登録記念碑?です。

「信貴山朝護孫子寺」、
広い境内に建ち並ぶお堂や見所は数ありますが、
これもまた思いつくままに番外編の境内外でした。

2010年1月21日 (木)

鼻かけえびす初笑い大会

三重県志摩市の浜島町にある恵比寿神社の初えびす、
20日(水)に行われた「鼻かけえびす初笑い大会」です。

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浜島の先端に近い”夢海道”沿いの高台にある恵比寿神社。

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”鼻かけえびす”として知られていますが、
この日は鼻も元どおり、顔も綺麗に化粧して?
衣服も新調?でした。^^

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” 恵比寿神の祭りを恵比寿講といい、
 年初めの初笑いと組み合わせて盛大に講が行なわれる。” と

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神事の後に参加者にお神酒が振舞われ、
イカ裂き?が見物の皆さんにも・・・ありがたくいただきました。^^

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神社にお参りした皆さんが”えびす像”の周りに集まります。

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初笑いが始まる前の皆さん、いたって神妙でした。

”恵比寿の神の心を心として南方向の浜を向き、
 3回の初笑い行事が繰り広げられる。”

さて、漁業従事者や多くの町民の方がえびすさんを囲んで
良き福が来るようにと

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  ”ワ~ハッハッハ” と1回目

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 ”ワ~ハッハッハ” と2回目 

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そして ”ワ~ハッハッハ” と3回目、
これで終わりです。><;

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皆さん笑い終えて満足げに散会です。

この日はたまたまハプニングがあって、
都合3回の初笑いになりましたが皆さん元気に笑ってみえました。

この「鼻かけえびす」さん、
古くより漁師の方が暗夜密かにこの恵比寿像の鼻を取って
お守りとし、誰よりも先に漁場に着き大漁に恵まれるように出漁した
慣わしからいつも鼻が欠けているといいます。

Ebisu013 
売られていました「魁守」、”さきがけ”だそうです。
” 「鼻を取る」とは「先(はな)を取る」、先んずれば人を制す・・・
 「魁守」は必勝の祈願をこめたえびすさんのお守り・・・” と。

我が知る限り時間的には30分ほどの最短の祭りでした。
正月恒例の初えびす「鼻かけえびす初笑い大会」、
これもまた漁師町に継承されている行事のひとつでした。

2010年1月20日 (水)

信貴山・空鉢護法堂

信貴山朝護孫子寺の数あるお堂のなかから「空鉢護法堂」です。

信貴山、当たり前ですが山です!
その中腹にある朝護孫子寺の境内から600mほどの参道を
行った山頂(標高433m)にあります。

Kuhatu001
参道登り口にある「行者堂」。

Kuhatu002
Kuhatu003 
最初は歩幅の合わないコンクリートの階段、
ゆるい登りですがこれが結構疲れます。

Kuhatu004
過ぎると次第にコンクリート舗装の道になりますが、
今度は九十九に折れてキツイ登りが続きます。

Kuhatu005
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「4丁」の丁石を見る辺りから参道沿いに祠が多くなります。

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「二丁」の丁石を過ぎると赤い鳥居が並び建ちます。

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山頂に近い峠ですが「右 おくのいん」の標石、
そういえばこの日は奥の院にだけ行けませんでした。

Kuhatu009
すぐに「空鉢護法堂」ですが

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その前に立ち並ぶ鳥居の横には、
「星祭り本尊」と呼ばれる八体の像が並んでいます。

そしてその後ろにあったのがこちら

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「信貴山城址」の石碑です。

” 標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、奈良県下
 最大規模を有する中世城郭・・・天正5年(1577)、松永久秀が
 織田信長に背き大軍の総攻撃を受け・・・落城、廃城となる ”

ここは山城だったんですね~。

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そして山頂に建つ「空鉢護法堂」

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こちらは本堂の裏側です。
お堂を取り巻くようにたくさんの社祠が建ち並びます。

” 命蓮上人が竜王の教えを蒙り、信貴山縁起絵巻の如く
 空鉢を飛ばして倉を飛び返らせ、驚き嘆く長者に慈悲の
 心を諭して 福徳を授けたという出来事に由来する・・・”
多くの参詣者から「一願成就」の守護神として信仰されているとも。

Kuhatu014
ここからの眺めもまた素晴らしい!
南側ですが先に見える山は金剛山でしょうか?

Kuhatu015
戻って気が付く登り口の杖。

ゆっくり歩いて20分ほどの道のり、
”一汗かいての一願成就”、これもまたよろしいかと・・・。^^

2010年1月19日 (火)

信貴山朝護孫子寺

寅年2010年!いまさらなんですが寅といえばやはりここ、
「信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)」でしょうか。

平城遷都1300年祭で白虎に位置付けされているここ信貴山、
思い立ったわけではありませんが、
1月中にはと思いながらようやくの訪問でした。

Sigisan001
とはいうもののここをどう紹介するか、
通り一遍では面白くない?ということで境内のトラを見ながら
本堂への参道を行くことにします。

いきなりこの大寅が迎えてくれます。

Sigisan002
  Sigisan0031 Sigisan0032 
世界一福寅。
高さ約3m、長さ6mとか、その横には子寅もいました。

” 約1400年前、聖徳太子が仏敵の物部氏討伐を祈願したところ
 毘沙門天が現れ秘法を授けた・・・勝利した太子はこの地を
 信ずべき貴ぶべき山として「信貴山」と名づけ寺院を建立し
 天王像を祀ります。 太子が毘沙門天王の出現を見たのが
 寅年、寅の日、寅の刻・・・境内には多くの寅の像があります。”

とまぁ、簡単に要約するとこんなもんですが、さてトラは。

Sigisan004
赤門をくぐると参道は二手に分かれますが、
なぜか右回りが好きなので^^左の参道を行きます。

まずはこの寅像たち、

Sigisan005
何なんでしょう?いつものことながら資料はありませんから
分からぬままに通り過ぎて。

          Sigisan006_3 
こちらは寅像と言えるかどうか?
本防の玄関先にあったトラです。

この先で「成福院」に突き当たり本堂へは右に行きますが、
左に少し寄り道です。

「玉蔵院」への上り口にあったこの寅像

Sigisan007
” この寅は聖徳太子に仕えた満願の寅で・・・
 本堂に向かって一礼し、寅の脚をさすり御真言を三返唱える・・・”
とありましたがくわえているのは1億円の札束ですわ。

戻って「成福院」の角にありました「ボケ封じ寅の子太師」、

Sigisan008
太師像の足元にある寅像です。

” 昔より大切なお金のことを寅の子と言います。虎さんの頭を
 なぜてボケないように足にさわってお金の足るように・・・”
なるほど、お金?オアシですね~、頭と足が光っています^^

そして「四国八十八ケ所お砂踏み霊石」を踏んで行った先の
三福堂の両側に、

Sigisan0082 
金さん銀さん、いえ金寅と銀寅の二寅門?
こういうのは愉快でよろしいな~
とまぁ、見た?気が付いた寅さんはこれだけでした。

Sigisan009 
Sigisan010
参道を本堂に向かいます。

Sigisan011
本堂の上り口、
左 参詣 道  右 下向 道 ですね。

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本堂奥からですが、
正面からは我が広角では全体が撮れません。><
ならば・・・と
この本堂が見渡せる場所から撮ってみました。

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「剱鎧護法堂(けんがいごほうどう)」横から。

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「開山堂」への参道途中から。
ここから見る本堂が目線的にもはっきり見えました。

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最後は信貴山下側参道にある「仁王門」傍からです。

今回は寅を探しながら本堂をお参りしましたが、
ここ「信貴山朝護孫子寺」には多くのお堂がありました。
紹介したいところは数あれど・・・さて次は? 続きます。

2010年1月18日 (月)

北野天神社筆まつり

知県江南市にある北野天神社です。

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毎年行われる恒例の「筆まつり」が16・17日にありました。

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この日は境内にある大筆に願い事を書くと字が上達するといわれ、
多くの方が願い?を書かれていました。

17日、この日のメインイベント、
午後に行われた「大筆奉納行列」です。

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行列は近くにある中央公園から神社までの道、
約500メートルほどを引き回されます。

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町おこしの一環として昭和39年(1964)から始まったもの

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長さ4m、さ50kgほどの大筆が御所車に載せられて
ゆっくりと神社に向かいます。

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御所車を引くのは幼児から厄年の大人たちだそうですが、
前後を固めるのはどうみても子供たちとお母さん?

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大筆を載せた御所車はゆっくりと県道から商店街通りへ。

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これも神事です、実に静かな奉納行列です。

短い距離ですが引かれてきた御所車は
商店街から神社に入ります。

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最後尾の幟を持つ子供たち。

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境内の拝殿前に到着した大筆、
このあと神事が行われ「大筆奉納行列」は終わります。

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大勢の人たちで埋まる境内拝殿前、
この時期には合格祈願の受験生たちが多く訪れるという。

江南市の「北野天神社筆まつり」。
我が身にはまったく無縁のことと思いましたが、
なんの、あらためて学問と書の神様にお願い事を・・・と
また馬鹿なことを考えた”筆まつり”でした。

2010年1月17日 (日)

船だんじり・紀伊長島

三重県紀北町紀伊長島区で行われた「船だんじり」です。

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大漁旗がひるがえる長島漁港

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ここ長島神社の例大祭で一年の大漁を祈願する
約250年の歴史がある伝統行事です。

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「船だんじり」の前に地元婦人会と子供会の手踊りが出発します。

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かっては各町内の班に分かれていたそうですが、
今は人が少なくなり婦人会と子供会に分かれての手踊り隊です。

踊り隊が神社につく頃
「船だんじり」が長島港を出発します。

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木造の漁船を鮮やかに彩った長さ約10メートルの船だんじり、
船上には法被姿でうす化粧の子どもたちが乗り込んでいます。

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カツオの一本釣りを再現して
竿に付けたカツオのぬいぐるみを集まった見物客に投げ

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えさに見立てた福アメをまきながら、
町内を長島神社へと勇壮に練り歩きます。

江戸時代から続く豊漁を祈願する伝統行事で、
地域に春を告げる祭りでもあります・・・と。

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だんじりは町なかに入りました。

何度か止まってはまかれるエサのかわりの福アメ!

Nagasima011
このアメを拾うために多くの人たちが船の周りを取り囲み、
狭い道筋では身動きできません。

これがまた凄い勢いでまかれ我が額にも直撃!
見事なコブが出来ました><;(カメラに当たらなくてよかった^^;)

Nagasima012
途中から横、後ろと写真を撮っていましたが・・・
途中から後ろに回ったとたん前には出れなくなりました。

狭い道にごった返す人、人、人!

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ようやく神社にたどり着きますが完全に後方待機になりました。

特にこれといった盛り上がりはありませんが、
町中の方たちが船と一緒に歩かれて祭りを盛り上げています。
高齢の方も多く見られ地域ぐるみの祭りを実感するときです。

額のコブと手にした福アメを記念に
漁師の町紀伊長島での「船だんじり」でした。   16日

2010年1月16日 (土)

おかげ横丁

新年15日、今年もまた恒例の伊勢神宮参拝でした。

久しぶりに「おかげ横丁」の徳力富吉郎版画館に立ち寄り、
開催中の企画展「建築めぐり(~1月31日)」を見て、
徳力富吉郎の木版画で伝統的な日本の建物を楽しみました。

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いつも変わらぬ「おかげ横丁」ですが、
版画館の展示室で思わぬ写真を見ました。

この横丁の初期の建物に徳力氏がデザインしたという
鬼瓦と軒先瓦が使われているとのことです。

早速見てきましたがその一部です。

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店名は省かせていただきますがその鬼瓦、
こちらは「楓」

右回りに見て行きます。

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ずばり!「ふくすけ」です^^

また、この店の軒先瓦には「道中伊勢音頭」の一節が
焼きこまれています。

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一枚写真だとかさばるため一部を切り取っています。

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この瓦は横にある版画館・山口誓子俳句館の軒先、
そして他の店の軒先にもありますが、

まずは鬼瓦

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「徳力富吉郎版画館」の「扇子に徳」

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「波に鯛」

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「打出の小槌」

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そして「宝船」、他にもありますが

気持ちはすでに軒先瓦の伊勢音頭でした^^

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この一角にある店の軒先瓦がすべて文字入りです。

写真右奥の店から手前へぐるりと回りますがその一部です。

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”明日はおたちか お名残り惜しゅや”
「伊勢音頭別れの歌」の一節が左から右へず~~と

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”紅葉のやうな手をついて”
こんなところに目がいきませんわなぁ。

そして反対側です

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”帯に短し” この後”たすきに長し お伊勢まいりの笠のひも”
と続きますが・・・まぁ、ざっとこんなもんです。

おかげ横丁に伊勢音頭の軒先瓦、
思わぬところで思わぬ遊び心?を見せてもらいました。

2010年1月15日 (金)

天城隧道(旧天城トンネル)

長々と続けてきました伊豆の旅、
ここはあまりにも有名でいまさらとは思いましたが・・・、
旅の最初に立ち寄った「天城隧道」です。

正式には「天城山隧道(旧天城トンネル)」ですが、
ここを取り上げるにはやはり「淨連の滝」からでしょうか。

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天城山中一の大滝! 滝の高さ25m、滝壷の深さは15mという。

     Amagi002 
ここ”淨連の滝”から”天城隧道”、”河津七滝”を下って
湯ヶ島まで続く20.7キロの道が、小説「伊豆の踊子」で
踊子の歩いた「踊子歩道」として整備されています。

この日は車でした。
国道から離れて九十九に折れる1.8キロの旧道を走ると
すぐに旧天城トンネルに到着です。

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川端康成の「伊豆の踊子」や、松本清張の「天城越え」で有名な
トンネルですが明治37年(1904)に完成。

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全長445.5m、幅員4.1m、切石積みで造られ、
我が国に現存する石造道路隧道のなかでは最長のものです。

歩きます^^

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少し入ったところですがその切石積み造り、
いまひとつはっきりしません・・・。

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しばらく先で後ろから車が来ました。
変なイルミより綺麗! なんてことはありません><;

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ヘッドライトに浮かぶトンネル内部、
おかげでその造りがよく分かります。

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通り過ぎて行きましたが・・・まだ現役のトンネルです。
もちろん通るのはここを見に来る観光客の車だけでしょう。

車が通り過ぎて静寂が戻ります。

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ともる電灯もガス灯を模したデザインでレトロですが、
ほとんど目印だけでトンネル内は暗闇です。

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出口が近づき風が一気に通り抜けます。
寒いです!

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トンネルを抜けると河津町。
さらに九十九に折れる道を行くと「寒天橋」、
そして河津七滝最初の二階滝ですがこの日はここまで。

「踊子歩道」のハイライトともいえる「旧天城トンネル」、
トンネルを歩いて少しだけ踊子の世界を楽しみました。

2010年1月14日 (木)

西伊豆海岸・富嶽めぐり

伊豆松崎町から西伊豆海岸を北へ走ります。

海岸沿いには夕日の絶景スポットが続きますが、
こちらは夕日ではなく富士山を眺めるドライブでした。

堂ヶ島を素通りしてまずは西伊豆町へ、
紺碧の海と黄金色に輝く岸壁といえば黄金崎。

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岬に建てられた三島由紀夫文学碑
小説「獣の戯れ」の一節が刻まれています。

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ここに夕日が映えると・・・想像だけではどうにもなりません ><

Nisiizu003
はるかに見える遊歩道の先端、
展望台の先にかすかに富士山の頭が見えます。

Nisiizu004
アップでみる富嶽一景^^;
まずは黄金崎からの富士山でした。

西伊豆町から伊豆市の土肥まではすぐ、
ここもまた夕日の絶景地、そして恋人たちの聖地でもあります。

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魚の干物ではありません^^
ずらりと掛けられた”愛情絵馬”です。

ここは”恋人岬”、
その入口から遊歩道を700メートルほど行きます。

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途中から見る岬の先端展望台と”愛の鐘”
1997年に新しくなったという
長~いボードウオークの階段を下りて行きます。

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二人が撞くのは”愛の鐘” 3回鳴らして恋人宣言!^^

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鐘の傍には恋人像の”アモーレ”

見える富士山をアップしますが雲が多くなりました。

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これで富嶽二景ですが・・・これではつまんない^^

来た道、ボードウオークを戻りもう一つの鐘へ。

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こちらは”金の鐘”とメガネ記念碑(富士見遊歩道記念塔)。

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昔は金色に輝いていたというこちらも愛の鐘!

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定番ですがやはり撮らずにいられない ><;

Nisiizu013 
そしてアップで見る雲にかくれる富士山です。
まぁ、恋人岬で見る富士山、
合わせて富嶽二景^^;としておきましょう。

Nisiizu014 
ここが”の鐘”と”の鐘”の分かれ道。

昔は恋人のメッカでしたが今は老いも若きも岬めぐり
”恋に年齢なんか関係ね~” なんてつぶやきながら・・・
伊豆の旅、
最後は西伊豆海岸・富嶽めぐりのドライブでした。

2010年1月13日 (水)

伊豆松崎町

伊豆の旅2日目は伊豆松崎町のまちかど散策からでした。

うたい文句は”花とロマンの里”、
そして”なまこ壁の映える明治の町並みが残る町”。

といいながらまずはこちらから、

Matsuzaki001
車を止めた「長八記念館」の前にあります「伊那下神社」、
もちろん観光施設ではありません。

Matsuzaki002
境内にある木の彫り物、作り物がなんとも言えず立ち寄りましたが、
これはいったい何なのか?ひとしきり彫り物を楽しみます。

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こちらは本殿前にある大イチョウの木、
県指定天然記念物で樹齢1000年ともいわれ、
他の木と合わせ親子イチョウとも。

そしてまちかど散策です。

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神社の前の国道の先にある路地に入るとそこはなまこ壁通り。

アルカロイドの研究に足跡を残した近藤平三郎氏邸、
そのなまこ壁が続きます。

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右に折れたその正面。

すぐ横にある観光協会を見て左折

Matsuzaki005

目の前にもなまこ壁、そして那賀川に架かるときわ大橋。

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”しっくい”で描かれた桜やツバメの絵があります。
橋の向こうに見える時計塔は大正13年、
昭和天皇ご成婚を記念して建設されたもの。

その傍にあるのが

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明治の商家中瀬邸(邸内見学は有料100円)
母屋や土蔵など7棟が町の案内所として利用されています。

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道を挟んだ反対側にあるこちらは小原邸(駿河屋)

ここで来た道を戻ってしまいましたが、
後でみた散策マップでは川岸を行くのが正解!
これが行き当たりばったりのまちかど散策^^;いい加減です。

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しかしまぁ見事ななまこ壁があちらこちらで見られ、
さすがになまこ壁の町と言われる所以です。

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造り酒屋の旧家を旅館にしたという
長八鏝絵の漆喰作品が残る宿”山光荘”。


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その前にあるのが”伊豆文邸”
松崎町でも一番厚いといわれるなまこ壁がビッシリです。
今は町が整備して休憩所として使われています。

まちかど散策はここから国道に戻りました。

Matsuzaki013
国道沿いにひときわ目立つ建物
”漆喰芸術の殿堂”として建てられた「伊豆の長八美術館」です。

現代左官技術の粋を集めて完成されたというこの建物には、
ここ松崎町が生んだ繊細かつ大胆な職人、
入江長八の鏝絵の作品が展示されています。

伊豆松崎町”なまこ壁の町”
海風が吹き抜けるように通り過ぎたまちかど散策でした。

2010年1月12日 (火)

石廊崎

下田から南へ30分ほどの南伊豆町にある石廊崎です。

花めぐりで終わるつもりでしたがなにやら物足りなく、
時間の余裕も無いなかなかを石廊崎灯台へ向かいました。

Irouzaki001
日暮れが近づく石廊崎港から1キロほどの道を行きます。

事前調査も無く来ましたがここは参道でした?
爪木崎灯台に刺激された訳ではないんですが、
もしかしたら夕日の灯台が見れるかとかすかな期待をしながら
この時点ではまだこの先は灯台だけだと思っていました。><

Irouzaki002
石廊崎灯台ですが半分しか見えていません><;

伊豆半島の最南端の岬、駿河湾と相模湾の最先端に突き出た
石廊崎の断崖に建つ白亜の灯台で、
明治4年に建設され昭和8年(1933)に改築されています。

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入口の柵越しに見る灯台です。
後ろの高台に登れば全景が撮れたようですが・・・
そこまで知恵の回らぬ浅はかさ^^;

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こちらは灯台のことしか頭にありませんでしたが、
灯台に近づいてこの先に神社があることに気が付きました。

灯台はあきらめて参道を行きます。

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参道の松に結ばれたいくつかのおみくじ。

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下りて行くと目に入ったこの光景、
さらに左に続く石段下にある「岩室(いろう)神社」でした。

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創立は大宝元年(701)といわれ、
由緒、諸説は省きますが現在の社殿は明治34年(1901)
に建てられたそうです。

ここからさらに先に行き振り返ります。

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長さ四間ほどの太い帆柱の上に建つといわれる社殿は
伊豆七不思議の一つだそうですが・・・
説明は長くなりますので省略します。

さらに先へ

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断崖の周囲に付けられた細い参道?を行きます。

Irouzaki010
これぞ最先端の絶壁の上に建つ「熊野神社」です!

Irouzaki011
飾られている絵馬は「岩室神社」のものですが、
この神社には「縁結びの神」が祀られています。

やはり言い伝えがありますが・・・これも省きます。

Irouzaki0012
まさに伊豆半島の最南端、
左に大島、右に伊豆七島が見渡せます。

中央にあるのが「神子元島灯台」

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米英蘭仏との江戸条約に基づき建設された日本最古の
洋式石造り灯台だそうです。

灯台にこだわるつもりはありませんが^^やはり灯台。><;
眺めているうちに夕景が近づきます。

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夕日の石廊崎灯台と海に落ちる夕日をとしばし待ちましたが・・・
秋の夕日は落ちるのが早いですが冬は遅い!!

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あと15分は・・・と思いながら、
ゆっくりと沈む夕日に未練を残して今宵の宿へ。

伊豆の旅、1日目の最後は南伊豆でした。

2010年1月11日 (月)

下田白浜アロエの花まつり

伊豆下田爪木崎から北へ走ると下田白浜ですが
ここに「アロエの里」があります。

といってもここが脚光を浴びるのはこの時期だけでしょうか?
昨年の12月13日から開かれている「アロエの花まつり」。

31日までの開催ですが知りませんでした><;

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紺碧の海と真っ赤に咲くアロエの花。

Aroe002
伊豆白浜板戸地区で行われるこの「アロエの花まつり」、
いつかここが「アロエの里」と言われるようになったという。

これもまた初めての訪問でした。

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湾曲する海岸沿いに約1キロに渡って続く遊歩道沿いに
赤いトンガリ帽子のような花を咲かせるアロエの群生。

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この花がどの状態で満開?かはたまた見頃かが
イマイチよく分かりませんが、
紺碧の海にその赤い花が映えます。

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素人目に見てもこの辺りが見頃ではないかと
そう思いながら花を探して歩きましたが・・・ ?
思うようにはなりません>< これもまた花でございます。

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しかし初めて見ましたアロエの花回廊。

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見頃、外れは別として、
またこれも”花まつり”だということを実感しました。

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この花まつり会場から見る大島、
ここでも伊豆の島々がはっきりと見えます。

伊豆白浜の「アロエの花まつり」、これもまた良し!
ですがこのアロエの花は先の水仙まつり会場でも見ました。
いえ、下田の町なかにもたくさん咲いています。

で、爪木崎の花畑から、

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こちらはアロエの花と菜の花です。

やはり春を感じるのはこちらでしょうか?

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黄色と赤のコラボ・・・とまではいきませんが

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伊豆下田の花めぐり、
最後は春を告げる菜の花でした。

伊豆の旅、しばらく続きますが
気ままに訪ねた観光地を我流に切り撮ってみます。

2010年1月10日 (日)

伊豆下田水仙まつり

少し遠征をしましたが静岡県下田市爪木崎の「水仙まつり」です。

須崎半島の再南端にある爪木崎、
白亜の灯台が建つ海岸沿いに広がる丘陵地に
野水仙の花が咲き乱れます・・・とありました。

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入口の上から見る水仙とアロエの花を見ながら
水仙咲くなかを海岸線をぐるりと回って遊歩道を行くと
灯台の傍に出ます。

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水仙の咲かない海岸側から見た爪木崎灯台と大島。

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灯台正面までは単なる遊歩道が続きます。

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灯台下から見る桂状節理は「俵磯」と呼ばれ、
およそ500万年前に安山岩質溶岩の冷却によって生じたもので、
桂状の岩石が規則正しく配列されているのが分かります。

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ちょうどその反対側に広がる水仙苑
斜面に咲くのが野水仙で明るい場所は植栽されています。

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灯台前の広場から下に下りてきましたが、
この辺りはどうやら終りかけています。

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この辺りはまだ観賞できますが、
今年はやはり花の咲くのが早かったようです。

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場所のためではないんでしょうが・・・
咲き方がまばらです。

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さすがに見ごろのところは綺麗です。

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こちらは植栽されている水仙苑
これから咲く花もあるようで見ごろは続きそうですね。

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遊歩道を一周して戻ってきました。

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これまでは越前海岸の水仙でしたが、
いつかは伊豆の水仙をと思っていました。
これもまた花、いつもながら花の時期は難しいです><;

しかしさすがに太平洋!日本海とは違って暖かい日でした。
水仙はまずまずとして?下田の花めぐりが続きます。  9日

2010年1月 8日 (金)

起宿脇本陣跡・旧林家住宅

旬ネタを挟みましたが再び美濃路の起宿です。

美濃路・起(おこし)宿の街道筋にあってその中心にあります
一宮市尾西歴史民族資料館別館の
美濃路起宿脇本陣跡「旧林家住宅」です。

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” 明治24年(1891)10月の濃尾地震で崩壊した
 美濃路・起宿脇本陣の建物の跡に建てられた・・・
 昭和58年(1983)に起宿記念館として公開・・・”

玄関は上の写真の左手になります。

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入った先の道筋に面したみせ座敷(左奥)とみせ。

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母屋座敷、奥が床の間です。

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母屋と裏座敷への渡り廊下。

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裏座敷です。

渡り廊下から母屋に戻り

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ガラス戸を開けて見る母屋の手水鉢と水琴窟。

ここから庭に出られますが一旦外に出て庭木戸から庭園へ。

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入った右

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そして左です。
飛び石が続く庭を拝見します。

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枯池(心字池)に架かる石橋を渡ります。
使われている石は鞍馬石。

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左には雪見燈籠。

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庭の西隅にある腰掛待合。

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築山を回り込みます。

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枯池(心字池)のほぼ全景、
敷かれている石は那智黒砂利だそうです。

” 間取図に描かれた庭を基にして建物の施主の子、
 林幸一氏が10年間をかけて作庭されたがまだ未完という。
 心字池を中心とした回遊式で、散策しながら変化する風景を
 楽しめるように工夫されている。”と栞にあります。

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美濃路・起宿、歩くだけで通り過ぎた宿町でしたが、
その脇本陣跡に建てられた旧林家住宅、
あらためて素晴らしい町屋建築と日本庭園を拝見しました。

2010年1月 7日 (木)

六日祭・花奪い

長滝白山神社の六日祭、
国家安穏、五穀豊穣を祈る遊宴芸能「長滝の延年」
これもまた国指定重要無形民族文化財です。

その”延年の舞”の奉納途中に行われた花奪いの続編です。

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低い位置で行われた最初の花奪い、
この高さから一気に6メートルの天井まで引き上げられます。

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高いです!
今回はそう簡単にこの花笠を取ることは難しい高さです。

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勢いをつけて果敢に挑む若者?たち。

まず目指すのは

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この椿の花笠ですが

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拝殿舞台ではまだ延年の舞が奉納されています。
こちらはその4番目の”露払い”、このあとも舞は続きます。

その前で行われている花奪い!何度も失敗が繰り返されます。
見ていてもハラハラですが

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一段目、二段目、三段目と人梯子が組まれていきます。

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最上段の若者が花笠にジャンプ!・・・ではなく
 
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下の人梯子が崩れて宙ぶらりんに、
そして落下・・・失敗でした><

この花笠はどうしても取ってしまわないといけないそうです。
見守る長老の方には心配の様子が見え始めます。

若者たちも作戦でしょうか動きがなく時間が経過していきます。
そして何度目か?

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掛け声とともに勢いをつけて梯子が組まれます。
二段とその上に一人が伏せて、その上にもう一人が立ちます。
この人梯子でようやく椿の花笠に手が届きました。

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宙吊りになりながらも花笠確保です!
落下した若者に花を取ろうと参拝者が押し寄せます。

一息ついて次の花へ

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花笠の位置が少し下がりました^^
ここはどうしても取ってしまわないといけません!
梯子を組む若者たちも疲れています、
一気に体制を立て直して花笠を奪いにいきました。

奪取です!こちらもチョッと興奮気味でした ><

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あとは手の届く高さに下ろされた花笠に参拝者が押し寄せ、
あっという間に花は無くなります。
撮っている我が身も危険を感じるほどの勢いです。

激しい花の奪い合い!
これが「六日祭」の花奪い(はなばい)でした。

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祭りが済んだあとの境内は興奮冷めやらぬまま、
花を手にした人、そうでない人の熱気で雪も融けるほど・・・
いえ、そんなことはありません^^;

Hanabai014

郡上白鳥・長滝白山神社「六日祭」、
「延年の舞」の途中からはじまった勇壮な花奪い。

雪降るなかで待った時間は長かったですが、
そんなことことも忘れて興奮した「花奪い祭」でした。 

2010年1月 6日 (水)

六日祭・長滝の延年

岐阜県郡上市白鳥町の長滝白山神社で、
恒例の「六日祭・長滝の延年」が行われました。

毎年1月6日に行われ「花奪い(はなばい)祭」として知られますが、
初めての訪問です。

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雪降りしきる神社の表参道。

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祭りの行われる拝殿。

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すでに飾られている花笠
桜、菊、牡丹、椿、芥子の花笠を奪いあう「花奪い祭」。

通行料をケチった訳ではないんですが、
いつものように早めの到着もあまりにも早すぎました。

この雪では祭りの前の散策もできません><;

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時間を持て余しながら傍を走る長良川鉄道のワンチャンス。
この祭りを見に来られた人たちが続々と降りてみえます。

待つこと2時間半、

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ようやく神事が始まりましたが・・・、これがまた1時間。
玉ぐしを捧げる神事が延々と続きます^^;

終わると「延年」の式次第2になります。

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「酌取り」
二人ずつ上酌・下酌が行う盃事が始まります。

このあと

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参拝者に菓子まきが行われますが、
その中で揉まれ続け写真も思うに任せず・・・

延年の舞へ

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拝殿舞台で行われる舞のこちらは「とうべん」
詳しい説明は省きますが・・・このあと次々と舞が続きます。

舞の奉納途中から周りが騒がしくなります。

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若者たちの威勢のいい掛け声が響いて輪ができ、
次々と人梯子ができていきます。

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祭りの呼び物?花奪いが始まりました!

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まだ”一つぎ”の人梯子で届く低さの花笠ですが・・・

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この若者は必死です。

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花笠に飛びついてぶら下がりました!そして落下です。

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落ちた花笠の花を奪い合う参拝者たち。

この花を持ち帰ると家内安全、商売繁盛になるといわれ、
花笠が落ちた瞬間は凄い奪い合いで一瞬たじろぎました^^;

このあと花笠は6メートルの天井まで引き上げられました。
ここからさらなる”花奪い”が展開されます・・・ 続きます。

2010年1月 5日 (火)

美濃路・起宿

城下町に続いては宿場町です。

西尾ご城下とはなんら関係ないんですが、
聖運寺の”イブキ”についこちらも”イブキ”とこじ付けです。><

愛知県一宮市尾西の起(おこし)、美濃路の起宿です。

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市町村合併でややこしくなったんですが、
「一宮市尾西歴史民族資料館別館」の起宿脇本陣跡、
旧林家住宅です(左にその本館があります)。

ここはまたその庭園とともに詳しく紹介しますが、
まずは美濃路の起宿を。

前回とのこじ付け、街道筋にある加納邸の”イブキ”です。

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一宮市(旧尾西市)指定天然記念物。
木の規模は分かりませんがやや小ぶりです。

関連上イブキを先に出しましたがこの起宿、
尾張と美濃を結ぶ渡し場のある宿町です。

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脇本陣跡の旧林家住宅のすぐ北にある「本陣跡」の碑。

この宿は本陣が問屋、脇本陣が船庄屋を兼ねていて、
それぞれの経営のバランスをとっていたようです。

宿道を行きます。

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道がゆるやかに曲がる角にある「船橋跡」の碑。

この宿には上、中、下の3ケ所に渡し場がありますが、
こちらはその下の渡し場。

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将軍や朝鮮通信使などの大行列が渡るときに
270艘もの船を木曽川に浮かべ、長さ850mにも及ぶ
日本最大の橋を架けた渡し場で船橋河戸と呼ばれます。
その木曽川に今は濃尾大橋が架かります。

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宿場の名残りを残す宿道と道筋の建物。

さらに行くと大明神社の角にある「宮河戸跡」の碑。

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起宿の商家が商う物資を運んだ渡し口で
中の渡し場になります。

後ろにある木

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大明神社にある”大いちょう”(県指定天然記念物)、
冬ですね~さっぱりしています。^^

その大明神社拝殿

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左手をさらに置くに進みますと

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本殿の先にあるこちらは”やまがき”(県指定天然記念物)です。

こちらも葉が落ちていますが
これらの木にどれだけのギンナンと柿がなるのでしょうか?
などと思いながら・・・先を行きます。

道は濃尾大橋から来る県道をくぐってさらに先へ・・・。

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巨大な常夜灯が建つ金刀比羅社の横に「起渡船場跡」の碑、
ここが起宿の北端になる上の定渡船場です。

この渡し場が常用された渡し口になります。

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対岸は美濃国の新井村。

川幅約982m、美濃路はここを船で渡り墨俣宿へと向かいます。
現在は先ほどの濃尾大橋を渡り、
川向こうに見えるこんもりとした森のところまで堤防で迂回します。

美濃路
中山道の垂井宿と東海道の宮宿(熱田)を結んで、
大垣、墨俣、起、萩原、稲葉、清洲、名古屋の7宿がありました。

そのひとつの起宿、
ひょんなことから2年半ぶりにあらためての散策でした。

2010年1月 4日 (月)

西尾ご城下町めぐり

祭りの前に・・・西尾の町並み散策、
お茶どころでもある城下町・西尾の歴史と文化?をめぐりました。

まずは西尾市歴史公園、
平成8年に隅櫓、鍮石門(ちゅうじゃくもん)などが再建され
整備された西尾のシンボルだそうです。

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その鍮石門
西尾城の二の丸表口に位置した楼門です。

ここから右回りでいきましたが、
すぐ横にある西尾市資料館はじめ施設はすべて年始休みでした。

ということで外から見える範囲での散策です。

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資料館の玄関前から見る西尾城「本丸丑寅櫓」です。

本丸の丑寅(北東)の隅に建てられた櫓で、
三層、高さ約10メートル、木造本瓦葺。

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本丸跡への広場、
正面に西尾神社、その右が御剱八幡宮と神明社、
その手前が櫓への登り口ですが休館日で入れません。

広場の先にある神社の辺りが本丸跡になります。

御剱八幡宮の横を抜けると

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正面には旧近衛邸があります。

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京都の公家・近衛家の邸内にあった書院と茶室が
移築されたものだそうです。

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旧近衛邸の前から見る「丑寅櫓」、
壁面上部は漆喰塗籠で腰部は下見板張りです。
その高さと造りがよく分かります。

そして鍮石門をくぐるとその先には散策の小径、
細い道を少し行くと尚古荘に突き当たります。

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こちらは裏門ですがここから表通りに出ます。

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こちらがその正面の表入り口。

昭和初期に地元米穀商の方によって造られた、
この地方では珍しいという京風庭園だそうですが、
もちろんお休みでした。><

その横に建つ伝想茶屋

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尚古荘の敷地の一角にあり、
商家風に造られた木造二階建てのお休み処ですが
当然お休みでした。^^;

この辺りまではまだ歴史公園の中にいる感じでした。
ここから西尾の中心部をめぐります。

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北に延びる本町通り、
随所に城下町の面影が偲ばれ雰囲気のある通りです。

正面突き当たりの左にある井桁屋公園にあったこのポスト

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日本でただひとつという抹茶色した「おもてなしまごころポスト」。

茶どころ西尾の抹茶をイメージした色に塗り替えられていますが、
正規の郵便ポストとして利用されています。

この前の さかな町通り を北に行き右に折れると順海町通り、

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崇覚寺と唯法寺の二つのお寺に挟まれた路地には
お寺の板塀と石垣が続きます。

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お寺の先を曲がってさらに路地を抜けると天王町。

肴町も天王町も
西尾まつりでは大名行列や獅子舞が行われるところ。

この先で大給町の武家屋敷跡を探しましたが分からず、
お寺をひとつ拝観して戻ります。

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戻る途中の中町にあった聖運寺の山門、
片側に山廊付きの楼門ですが思わず入ってしまいました。

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境内の本堂前にあったイブキです。

市の指定天然記念物ですが、
樹高15メートル、根回り4.1メートルという立派なものです。
これが行き当たりばったりの”まちかど散策”^^;

今回はほんの少し町の中心部をめぐりましたが、
この町もまたお寺の多いところ。
機会があればそのお寺めぐりも紹介したいと思った町でした。

2010年1月 3日 (日)

西尾のてんてこ祭

2010年、新年最初の”ぶらり旅”はこの祭りからです。

愛知県西尾市の熱池(にいけ)八幡社の「てんてこ祭」、
天下の奇祭として知られ県の無形民族文化財指定です。

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「熱池八幡社御田植神事由来」なる冊子を買い求めましたが、
詳しすぎて手に負えません><

簡単に言えば約1140年前の田植えの儀式を今に伝える祭り
だそうですが、これではあまりにも簡単すぎます^^

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熱池町の町角(由来では社守の宅にて準備をなし神社に至る・・・
とあります)から祭が始まります。

行列は塩導、神職、区長、氏子総代に太鼓、米びつ、御神酒樽、
竹箒を持てる者とあります。

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赤い着物に大根を削って作った男根を腰につけた厄男三人が、
時折打たれる「テンテコテン」の太鼓の音に合わせて腰を振り
神社まで練り歩きます。

その様子は後ほどご紹介しますが、この辺の絡みが今ひとつ、
理解できておりません。><

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一行が八幡社に到着して神事が始まり、
本殿に入った後境内を3周します。

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周るのは、
太鼓と米びつ、生魚(両身を削ぎ取り鱠に用いたる残骸を
〆縄に吊るしたもの)を担ぐ三人の厄男です。

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この祭りの名が付いた「テンテコテン」の太鼓、
そして皆さんこの様子を撮りに来ていますが・・・
太鼓の音に合わせて腰を振る独特の祭り!連続写真でどうぞ。

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これが天下の奇祭!「西尾のてんてこ祭」です。

事前の取材では若い女性の前でしかやらないと聞いていましたが、
何の、ちゃんと子供たちの前でもやってくれました。^^

我が周りも子供と爺ちゃんばあちゃんばかりです><;

この後は竹ぼうきを持った若者が
境内に用意されたわら灰をまきちらします。

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本能的に身を除けましたが、これは除けてはいけません!

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この灰をかぶると厄除けになるといわれていて、
皆さんは舞いあがる灰をかぶってみえました。^^

この後餅まきが行われたところで失礼しましたが、
詳しい由来は別として、
伊勢神宮へ献上するための御田植が今に伝わるものだそうです。

予想していた天下の奇祭とは違った、
とても静かな、そしてユーモラスで楽しい祭りでした。

2010年1月 2日 (土)

初詣・多度大社

今年も桑名市の「多度大社」に恒例の初詣でした。

この日までは毎年変わらぬ我が家の行事、
そしてまた変わらぬ多度大社の写真です。^^

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いつものように参道を行きますが、
夜来の雪が解けてか?ほどよい湿り具合です。

なるべく人出の少ない時間を選んでの参拝。
ややしぐれ気味で風が冷たかったですが、
すぐに晴れて日も射し始めました。

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参道の最奥にある於葺門をくぐります。

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落葉川に架かる神橋を渡ると向かい合うように左に「本宮」、
右に「別宮」です。

今年の無事と健康を祈って両宮に参拝!

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参拝の後は神楽殿前の広場に焚かれた”どんど”で体を温め、
暖かい甘酒をいただきます。

帰りに見る鈴鹿山脈は大荒れの様子で?
どうやら本格的な雪の御在所岳が期待できそうでした。
こちらもまた新春早々の楽しみです。^^

2010年1月 1日 (金)

2010年 初春

Isenaiku

        新年あけましておめでとうございます 

今年も伊勢神宮 内宮の五十鈴川御手洗所です。

清流に身を清め、心身ともにリフレッシュしたたつもりで・・・
気分を一新!

寅年 2010年、
トラの威を借り、いえ、トラに負けぬ勢いで更なる トラをと
夢は大きく持って各地を駆けめぐります。

今年も”ぶらり旅”
引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

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