初瀬街道・六軒追分へ
「初瀬(はせ)街道」も今回にて最終章です。
3週間前にようやく越えた青山峠でしたが、
残すは伊勢街道との分岐になる六軒追分までの約6里ほど、
感触が冷めないうちにと歩いてきました。
スタートは前回終わった「白山郷土資料館」前。
歩き始めてから「二本木宿」までは見どころは何もありません。
というより、この初瀬街道はお地蔵さんと常夜灯をたどって
歩くようなそんな街道です。
この最終区間もほとんどが常夜灯をたどることになり、
あまり見るべきものがありません。
歩き始めて30分ほどで二本木宿に入ります。
街道の雰囲気を残す狭い道と、
道沿いの建物がわずかに昔のたたずまいを残し
かっての宿場町の面影を偲ばせます。
「二本木宿」を出ると街道は雲出川沿いの道を行きます。
通る堤防は「亀ケ広桜並木」。
当時大村の人が旅人の心を癒すために、
雲出川の眺めのよい場所にと吉野桜を植えたそうです。
並行するようにもみじの木が植えられた「亀ケ広里山」、
いずれは大きな木となって紅葉の名所になるのでしょう。
川に沿って道はさらに続きます。
10分ほど歩くと見えた、色づくもみじの木の下です。
巨岩に刻まれた磨崖仏、
道中安全を祈る「笠着地蔵(かさつきじぞう)」だそうです。
「笠着き」または「逆着き」とも呼ばれるそうですが、
道を挟んだ川の中
こちらも巨岩に掘られた地蔵、
そして左に回り込むと見える石の下にある「逆さ地蔵」です。
安政の大地震で道路脇の巨岩が二つに割れて転げ落ち、
刻まれていた地蔵が逆さまになったという・・・。
かって何度も行ったゴルフ場の入り口の傍でしたが^^;
全然気が付きませんでした。><
ここからまた見どころのない道歩きが続きます。
一志町伊関に入って「大仰宿」、「田尻宿」そして「八太宿」と
通り過ぎて行きますが、
あるのは常夜灯と道標、地蔵堂ばかりです。^^
途中で目にするこうした案内板は旅する者にはうれしいもの、
土地の方たちに感謝しい現代のよき道しるべです。
道はいつしか嬉野町小川に入って行きます。
街道沿いにある道標、
「斎宮御道蹟 忘井 従是 右凡二丁 左参宮道」。
街道歩きであまり寄り道をしたことはないんですが、寄りました^^
道しるべに導かれ・・・迷いながら着いた「忘井」です。
” わかれゆく 都のかたの恋しきに
いざ結び見む 忘れ井の水 ”
天永元年(1110)に、斎王・恂子内親王(恂は女へんですが
なぜか辞書にない?)が伊勢へ群行の途中、
この地で井水を求められ、自分の気持ちを鎮めながら
二度と都の方を振り返ることなく一首詠まれ、
「忘れ井」と名付けられたと伝えられる。 (解説版から要約)
とまぁ、見どころもない街道でチョット立ち寄りました。
ここからすぐに集落を抜けて出たところ。
なんと、近鉄大阪線と名古屋線が分岐する場所です!
現在工事中ですが、いつもは電車の中から見ています。
街道がこんなところを通っていたとは?驚きでした。
旧道は鉄橋の傍を直進しますが道がなく迂回しています。
しばし位置を確かめながら電車を何本か見送ります。
このあとはひたすら六軒めざして歩くのみ。
中川を過ぎて権現前、近鉄中原駅を過ぎて最後の迂回路で
三渡川を渡ります。
左に折れて川沿いを行けば、
初瀬街道の終点、いや起点です。(伊勢からは初瀬街道、
大和からは青越え伊勢街道とも呼ばれます)
「三渡橋」の袂に立つ追分の道標、
こちらからは「いがごへ追分 右 いせみち」。
反対側は「やまとめぐりかうや道」。
そして伊勢街道を挟んである常夜灯です。
道を南にとれば「市場庄」の宿。
” 明日はおたちか お名残り惜しゆや 六軒茶屋まで送りませう
六軒茶屋のまがりとで 紅葉のやうな手をついて・・・♪ ”と、
「道中伊勢音頭別れの歌」に唄われた六軒茶屋。
「市場庄」にはその宿場の様子が今も残され、保存されています。
大阪の玉造から暗越奈良街道、上ツ道、初瀬街道と
歩きつないできました伊勢参宮道、
少し時間はかかりましたがこれにて全行程の終了です。
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